岡田幸文

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岡田幸文」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2011/07/08(金) 14:41:04
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます

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#center(){&font(#ff0000){2010年日本シリーズ第7戦。}}

この試合勝てば史上初3位からのシリーズ優勝を達成する[[千葉ロッテ>千葉ロッテマリーンズ]]は7-7の同点で迎えた延長12回表、この試合4イニング目となる[[中日>中日ドラゴンズ]]のピッチャー[[浅尾>浅尾拓也]]を追い詰めた。

&font(#0000ff){二死二塁 一打勝ち越し}

雌雄を決めるこの大一番で打席に立つロッテのバッターは&font(#0000ff){岡田幸文}。

ロッテファンのボルテージは最高潮に達してはいたが、心の中でこう思った人も多かっただろう。

&font(#0000ff){「ここは代打・福浦だろう!」}

岡田はシーズン中の打率は1割台で、対する中日の浅尾はセ・リーグを代表するセットアッパー。
しかも万が一ヒットを打たれてもホームで刺せるように外野は前進守備で、長打力のない岡田にはキツいシフトだ。
一振りで何度となくチームを勝利に導いた福浦はこのときのために残しておいたのだろう!?


そんなロッテファンの不安と期待か混ざりあった歓声の中、岡田は浅尾の5球目、150kmのストレートを振り抜いた。
ロッテの選手・ファンの夢を乗せた打球は…

#center(){&font(#ff0000){三宅アナ「前進守備の外野を…越えたぁ~!!」}}


勝利の女神は、ケガをしても「野球」という夢を捨てきれずに白球を追い続けた男に微笑んだ。
この一打でロッテは勝利。「[[史上最大の下克上]]」のフィナーレは育成枠から這い上がってきた苦労人に飾られた。



#right(){―fin.}


















とまあ、ロッテファンのみならず他球団ファンにも岡田幸文という名前が広く知れ渡った2010年の日本シリーズだったが、それは序章に過ぎなかった…。


名前:岡田幸文(「&font(#0000ff){ゆきふみ}」じゃなくて「&font(#008000){よしふみ}」です)
背番号:66
ポジション:外野手
左投げ左打ち


【経歴】
作新学院から日大に進学してわずか半年。肘の故障により長期的な離脱を余儀なくされたため、大学を中退する。ちなみに日大の同期には長野(巨人)もいた。
中退後は必死のリハビリにより完治し、地元の足利クラブでプレー出来るようになった。
といってもお金をもらってプレーしているわけじゃないのでその傍らでは足利ガスの契約社員としてせっせと働いた。


転機が訪れたのは2008年の秋。
この年のドラフト会議で岡田は千葉ロッテマリーンズに指名された。
しかし、&font(#0000ff){支配下}ではなく&font(#ff0000){育成枠}として…。
ちょうどその頃、契約社員として働いていた足利ガスからも正社員にならないか?という誘いももらっており、岡田自身結婚し、子供もいた。
育成選手の年俸は250万円と少なめで家族を養うならば正社員の誘いを受けるべきなのかもしれない。

しかし、岡田はやっぱり&font(#0000ff){夢}を諦めることが出来ず、恥も外聞もなく奥さんに「2年間だけやらせてくれ」と頭を下げる。
その熱意に奥さんも負け、2年後に退団した場合正社員として雇うと言ってくれた足利ガスの後押しもあって、プロの世界へ足を踏み入れた。
&font(#0000ff){何このマンガ…}


2009年
支配下登録もされ、2軍でこそ、そこそこの出場機会に恵まれたが一軍の壁は厚かった。

2010年
約束の2年目。岡田にとっては選手生命を掛けた1年は前年同様に開幕から2軍だった。
1軍には新人で同じタイプの荻野貴司が活躍しており、荻野のケガによる離脱後には同じく俊足の早坂が起用され、岡田の出番は遠いように思えた…。

それでも野球の神様は自分の可能性を信じ続けていた岡田を見ていた!
早坂も故障により外野が手薄になった6月、念願の1軍入り。しかも即スタメン。加えてお立ち台。
&font(#0000ff){これなんてフィクション?}
その後は低調なバッティ(ry…、いや、持ち味の足や守備を武器に終盤の守備固めなどで起用され一軍に居座った。
日本シリーズではケガによる大松の代役として2戦目以降スタメン出場だった。

#center(){そして2011年。}
#center(){我々はこの男の暴れっぷりを幾度となく目撃することとなる…。}



2011年
荻野の遊撃手コンバートにより抜けたセンターの穴を清田・伊志嶺達と争った結果、開幕スタメンの座を勝ち取り1番センターに定着。打撃も好調…とは言いがたいが、2割後半は打っているので、なかなかといったところ。←いや、[[統一球>統一球(プロ野球)]]のせいでみんな軒並打率が下がっているのを見るとむしろ凄いんじゃね?
結局チームは最下位に終わってしまったが、岡田自身はチームで唯一の全試合出場、育成枠出身選手で初の規定打席到達、リーグ3位の41盗塁と輝かしい成績をおさめた。

しかし!
打撃以上に守備で本領を発揮してしまった。もはや誰にも止めることは出来ない。シーズンを通して無失策で、両リーグトップの351刺殺を記録し刺殺のパ・リーグ記録にあと2と迫り、最多得票(163票)でゴールデングラブ賞を受賞した。
さらに、外野手としてシーズン359連続守備機会無失策のリーグ新記録を樹立したことにより、特別表彰をも受けた

元々俊足を活かした広い守備範囲には定評があり、度々外野の頭を越えそうな打球に飛び付きファインプレーを連発してきた。
(詳しくはyoutubeでも見てください)

あるときは「&font(#008000){キャプテン}」ばりに捕ってから体がゴロゴロ転がったり、またあるときは「&font(#008000){プロスピ}」ばりのスライディングキャッチを魅せる。
そして6月14日・15日の[[巨人>読売ジャイアンツ/読売巨人軍]]戦では5つのファインプレーを披露し、守備で勝利に貢献した。

本人によると「&font(#ff0000){オーバーフェンス以外は全て捕るつもりでいる}」とのこと。
 
その姿を見てファンは同じ外野の天才・[[イチロー]]のエリア51にちなんで&font(#0000ff){エリア66}、先輩・[[小坂>小坂誠]]の小坂ZONEにちなんで&font(#0000ff){岡田ZONE}、苗字の岡田から&font(#0000ff){オカダーランド}と命名している。
&font(#ff0000){おい、3つ目のは何だ?}


実況「打ったぁ!これは長打になりそうです!いや!?岡田が捕りました!また岡田の追記・修正だぁ!」

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- 肩が新庄飯田並みの強肩だったら歴代最高センターになれたろうに。別に弱肩じゃないしコントロールも悪くないんだけどね  -- 名無しさん  (2013-09-10 00:11:00)
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