&font(#6495ED){登録日}:2016/11/10 Thu 22:43:51 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- エアバスA300とは、欧州エアバス・インダストリーが開発した中型双発ジェット旅客機である。 まあ色んな意味で旅客機の歴史のターニングポイントとなった「伝説の始まり」と言える機体。 *概要 エアバス社製品の第一号である世界初の双発ワイドボディ旅客機。 元々短距離用の旅客機として開発されたが中距離にも対応できるモデルが開発された結果、 「双発機でも中長距離路線に使える」という流れを作った。 ちなみに「エアバス」というのは元々ワイドボディ機(機内の通路が2本ある旅客機)を指す言葉であり、 まあ「バスみたいに気軽に乗れる(=大量に旅客を輸送できるので一人あたりの運賃も安くできる)飛行機」くらいの意味合いの呼び名…であった。 そして「エアバス・インダストリー」という社名自体も「エアバスタイプの旅客機を作る会社」くらいの意味合いのネーミング…だったが、 本機が大ヒット商品となった結果、元々旅客機のジャンルを表しているはずの「エアバス」がそのまま社名になっちゃった…という結果である。 *エアバス社誕生の経緯 [[B707>ボーイング707]]や[[DC-8]]の就航により航空旅客の数が爆発的に増えると、「将来は誰もが飛行機で移動するようになる」という観測がなされた。 この観測に沿って開発された機体の一つが[[B747>ボーイング747]]である。 もちろんアメリカだけでなく欧州でもこういった将来は予想されており、同じく大型旅客機の構想がイギリスを中心に進められいた。 が。 アメリカ勢はボーイングはB707で、ダグラスはDC-8で大型機…というかジェット旅客機の市場にがっちり食い込んでおり、 当時の欧州の航空機メーカーではそう簡単に食い込める状況ではなかった。 だがここで欧州の人は考えた。 「一社では太刀打ちできない?それなら一社だけでやらずに各企業で手を組んでしまえばアメリカ勢にも対抗できるかもしれない」と。 そういったわけで欧州各国の航空機メーカーが共同で「エアバス・インダストリー」を立ち上げた…というのがエアバス社の始まり。 その「エアバス・インダストリー」の製品第一号がA300である。 *仕様 250-300人乗りクラスの中型双発機。 主翼は低翼配置であり、推力25t級のターボファンエンジンを2台搭載する。 本機の登場の時点ではグラスコクピット(計器類をディスプレイで表示する)とかフライバイワイヤ(電気信号で方向舵などの制御を行う)なんていう便利なものは無かったが、 技術さえ確立されれば将来的にはこれらも採用可能なように機器類の搭載スペースには余裕が設けられている。 エンジンなどの一部のパーツに関しては、開発途中で(ロールス・ロイスを擁する)イギリスが一旦抜けたため、 「イギリスが抜けたならエンジンくらいはアメリカ製のものを使っちゃってもいいんだ」となったため、 DC-10などと同じパーツが採用されている。 また本機の胴体寸法は後続である[[A330]]・[[A340]]にも引き継がれており、文字通り「エアバスの礎となった機体」とも言える。 旅客型は大きく分けて3つの型が存在する。 B4までを第一世代として様々な改良が行われた600/600Rは別物扱いされることも多い。 A300B2 初期のA300でローンチカスタマーはエアバス社お膝元のエールフランス航空。 当初は名前がいくつも混在していたもののエアバス社が整理したことでB2と正式に命名された。 なおB1も存在するもののA3001・2号機の2機しか存在しない。 A300B4 航続距離を延長したモデルで発注はイベリア航空が行ったもののキャンセルされ、ドイツのチャーター便航空会社に納入された。 大きな改良は燃料タンク増設以外にも主翼にクルーガー・フラップが追加されておりB2との差別化が図られている。 航続距離が伸びたことで中距離路線での運行も可能になったためA300の需要も高まりエアバス社発展の原動力となった。 A300-600/600R 前述のB4の成功で会社存続の目途が立ち短胴型のA310の開発が決まり更には一度抜けたイギリスが%%図々しくも%%復帰したため A310に採用された技術をA300にも導入し、更には当時開発中であった[[767>ボーイング767]]に対抗するために改良を行ったモデル。 若干ながら胴体を延長した他主翼を再設計しウイングチップを増設、A310で採用されたグラスコクピットやフライ・バイ・ワイヤを導入し水平尾翼もA310と共通化。 最も大きな変化としてはA310と同じコクピットにしたことで&bold(){機関士を廃し2名乗務での運行が可能になったこと。} これは需要的に競合相手になる767に影響し、当初パイロット組合によって一度は3名乗務仕様にされるも、大統領命令により撤回されるなど波紋を呼んだ。 *エアバス社のその後 当初性能不足やオイルショックなどの影響で最初のB2は受注数が30機など苦境に立たされ、フランスや当時の西ドイツ政府からの援助を受けるなど厳しい 立場にあったエアバス社であったが、L-1011を持て余していたアメリカのイースタン航空からの受注やフラッグキャリアであるパンアメリカン航空からの 受注を得るなどアメリカでの市場開拓に成功。 オイルショックが収まり経済性の高い双発機が評価されるなどの要因が重なった結果急激に受注数が増えるなど嬉しい誤算も重なりA300・310は最終的には シリーズ累計で800機越えの受注を得ることに成功し生産も2007年まで続けられた。 A300・310で蓄積されたノウハウによってエアバス社は同社初のナローボディ機の開発に着手した。 この時開発された機体はシリーズ累計で&bold(){15000機越え}という737に匹敵する大ベストセラー機となった&bold(){A320}。 この大成功によって会社は飛躍的な成長を遂げ、アメリカの旅客機メーカー競争の末に勝者となったボーイング社と肩を並べる企業にまで成長した。 *日本では 日本国内では旅客型は&bold(){日本エアシステム(JAS)}が本機を導入していたことで知られ、貨物型は佐川急便グループのギャラクシーエアラインズで運行された。 元々JASの%%レインボーダッシュ%%レインボーカラーはエアバス社のハウスカラー(航空機メーカーの自社のイメージカラー)だったが、 東亜国内航空(JASの前身の一つ)向けのA300にレインボーカラーと「TDA」のロゴがペイントされている姿を見てTDAの役員が感激し、 「ぜひともあのカラーリングを我が社に譲って欲しい」となりTDA→JASのイメージカラーとなったという経歴がある。 JASは上記全ての型を導入しており総数39機を運行し、エアバス社のアジアにおける貴重な顧客でもあり高い定時出発率から最優秀運航者として表彰されたこともあった。 地方空港への路線が多かったJASでは地方空港の滑走路でも運用可能であったA300は多くの路線開設に貢献、日本で唯一の欧州製・JASにとっても念願のワイドボディ機 だったこともあり広告塔としても活用された。 その後JALとの統合ではまだ比較的新しかった600Rのみが引き継がれB2/B4は退役、引き続き同じ元JAS機のMD-90と共に地方路線で活躍した。 だがその後のリーマンショックやJAL経営破綻のあおりを受け機体整理が行われ、2011年に退役することとなった。 当初3月に引退予定だったがかの[[東北地方太平洋沖地震]]が発生、輸送力増強と被災地である東北の地方空港でも運用可能な性能を生かして活躍 引退は5月に延期、最後に大仕事を終えて無事役目を終えることとなった。 ギャラクシーエアラインズでは貨物型A300ではなく中古の600/600Rを貨物型に改良した2機が運行されていた。 だが運行開始からわずか2年足らずで運行を停止し現在会社は清算完了している。 国内貨物航空会社は今まで例にもれず成功しないという嫌なジンクスがありこの会社でもそれを破ることは出来なかった。 また同社は大型機を運行したものの吸収・合併されず廃業した航空会社としては初めてのケースとなった。 伝説の始まりとなった人やレインボーカラーに感激した人はぜひとも追記修正をお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,1) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 600Rにはよくお世話になりました -- 名無しさん (2016-11-11 17:58:19) - エアバス機の部品を運ぶための魔改造貨物機のベースとなった機体でもある -- 名無しさん (2016-11-11 18:31:48) #comment #areaedit(end) }