教訓

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教訓 - (2017/10/11 (水) 20:05:08) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2009/10/19(月) 19:46:07
更新日:2022/05/12 Thu 08:03:46
所要時間:約 3 分で読めます




教訓とは、将来への生活指針を与えること(新明解第六版)。言い換えるとモラル。
これが欠如すると人間としていろいろまずい事態に陥る。ついでにモラルは直訳で道徳や倫理を意味する。

教訓とは主に、寓話や言葉の裏側などに含まれており、または先人や年配の方々から学ぶものでもある。
まず真っ先に教訓を学ぶのは幼少期で、それを学ばせるのが親であるため親の素行が悪かったりすると悪循環が発生したりもする。
親がDQNであるとそうなる確率が高いため、俗にDQNスパイラルとも呼ばれる。

言葉の裏側というのは、四字熟語や諺の意味のことを主に指す。
例えば四字熟語の「自業自得」では、「自らのしでかしたことにより自らにふりかかる」ということであり、
「悪さをするとその分の報いを受ける」というのが自業自得の教訓である。
また諺の「二兎を追う者は一兎をも得ず」では「欲を張ると一切の手柄が入らない」を教訓とする。



が、言葉や寓話の教訓では言い換えや深読みもできるため、一概に使いやすいものとも言えない。それは無理矢理に教訓として示すこともできるからだ。

寓話「一寸法師」で一寸法師は祖父母から離れ、京の大きな家へ仕えることとなり、そこの娘と宮参りをしにいくと鬼に会う。
鬼は娘を拐おうとするときに一寸法師を飲み込むが腹の中で暴れられてそれを吐き出し、うちでの小槌を置いて逃げたため、
一寸法師と娘はそれを使って末長く幸せに暮らした。

というのがおそらく一般的な一寸法師の話であり、ここから教訓を探すとすれば「家を出て自らの能力を示すべきだ」というようなことも読み取れるが、
鬼が一寸法師を飲み込んだあたり「ものはよく噛んで食べるべきだ」と言えなくもない。
が、これはあくまで一般的な話であり本来の話では老夫婦がいつまでも大きくならない息子を気味悪がり、それを厄介払いのごとく追い出したり
一寸法師は一寸法師で詐欺紛いのことをしたり浮気をしたりと教訓を読み取るには難しい(そもそも小説であるためそういう観念もあったかどうかすら怪しい)。

グリム童話の初版などでは当時の時代風景が反映されており、教訓かどうかは怪しいが読み取れる部分もある。



また、自分自身の過去も教訓である。昔ある仕事で失敗し、そして今似たような仕事をする、といったときなどには当時を思いだし、同じてつを踏まずに行動すると、
教訓を活かしていることになる。
人生は教訓、と呼べなくもないがそのような言葉が重みを持つのは人生の経験を積み上げてきた者の口から出たときだけである。

よく生活の中で「おばあちゃんの知恵袋」などと呼ばれるものもあるが、本来ならあれはどんどんと引き継がれていくものであり、
「新しい知恵」として感心するものではない。
引き継がれなくなった理由としては主に、早くに亡くなった、世帯別の生活が普通になってきた、DQN化したなどがある。
つまり、教訓とは、
「そこにあるから」価値があるのではなく、「教訓として認識」するから価値が発生するのである。
だから言葉を知っているだけではただの知識であり、知恵ではない。

結局のところ教訓とは学んだ「なにか」から見いだした「なにか」であるわけだ。


皆さんの学んだ教訓を追記・修正お願いします。

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