石井弘寿

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石井弘寿 - (2017/11/06 (月) 09:25:39) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/09/29(木) 16:28:59
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石井弘寿(いしい ひろとし)は、[[東京ヤクルトスワローズ]]に所属する[[プロ野球]]選手。
ポジションは投手。左投左打。
千葉県市原市出身。

石井は中学卒業後、憧れの[[石井一久]]の出身校だと思っていた東京学館高校に進学。
しかし、実際の一久の出身校は東京学館&font(#ff0000){浦安}高校だった。

出足からつまづいてしまったが、気をとりなおして一年先輩の相川亮二とともに甲子園を目指すこととなった。

石井は投打に奮闘したが、結局甲子園出場はならなかった。
しかし相川を見に来ていたスカウトに見出され、1995年にドラフト4位で憧れの一久のいるスワローズに指名される。
背番号は一久の16をひっくりかえした61となった。

プロ入り後、石井は1年目から一軍で登板するも、制球難で不安定な投球が続いた。
故障も重なったことで、満足な働きができず、野手転向を視野に入れるなど数年間苦しいシーズンを過ごす。



転機が訪れたのは2000年。
先発で初勝利するもその後結果が出ずリリーフに回り、最終的に45試合で防御率3.30という成績を残す。



2001年には本格的にリリーフに専念。
プロ初セーブを挙げるなど活躍しリーグ優勝に貢献。
日本シリーズにも登板した。
また、一久と共謀し、若松勉監督(当時)を胴上げの際に一回転させ、腰痛の原因を作った。
オフ、一久はMLBに移籍する。



そして2002年、石井は覚醒する。



チームの後輩の[[五十嵐亮太]]とともに&font(#ff0000){ロケットボーイズ}という愛称を与えられた石井は、セットアッパーに定着。
リーグ最多の69試合に登板し6勝2敗5S・防御率1.51で最優秀中継ぎ投手に輝く。
また、10月11日の対[[横浜ベイスターズ]]戦で左腕投手としては最速の&font(#ff0000){155km/h}を記録した。

2003年は脇腹痛で登板数を減らすも防御率1点台を記録。

2004年、長年クローザーの座にあった高津臣吾のMLB移籍により五十嵐とダブルストッパーとなるも故障やアテネオリンピック代表選出のため前年に続き登板数は少なかった。

同年オフ、MLB移籍を球団に志願。
条件付きで翌年の移籍を認められる。

2005年は五十嵐の故障と不調からクローザーとなり、61試合に登板し、4勝3敗37S・防御率1.97という成績を残す。



好成績をあげ、石井のMLB挑戦はほぼ確実と思われた。
しかし、石井を待ち受けていたのは、あまりにも大きな落とし穴だった。

古田敦也のプレイングマネージャー就任が決定すると、状況が変わったとして球団は石井のMLB移籍を認めない方針に転換した。
MLB移籍は次のシーズンに持ち越しとなり、石井はあと一年スワローズに残ることとなった。

そして石井は、第一回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選ばれる。

一次予選の一位通過を賭けた対韓国戦、石井は1点リードで迎えた8回表に登板。イ・スンヨプに逆転2ランホームランを喫し敗戦投手となった。

その後、石井は左肩の故障により代表を離れた。

2006年シーズンは故障の影響から11試合の登板に留まり、オフに手術。
MLB移籍は封印し、復帰を目指す戦いがはじまった。
一方、チームの後輩の岩村明憲はMLBに移籍した。

2007年はリハビリに専念、二軍の公式戦でさえ登板なし。

2008年に777日ぶりに二軍最終戦で実戦復帰を果たす。

2009年、高校時代の先輩相川がベイスターズから移籍。
石井は二軍で13試合に登板。
一軍登板はなかったが秋季キャンプに参加。
オフにロケットボーイズの相方五十嵐がMLBに移籍した。

2010年、春季キャンプに参加するも怪我、また二軍でも結果を残せなかった。


そして2011年9月、ついに引退を決意した。


引退試合は10月25日、スワローズのレギュラーシーズン最終戦である対[[広島東洋カープ]]戦。
始球式は石井の息子がつとめた。
石井は一点ビハインドの7回に登板。相川とバッテリーを組み、打者一人を空振り三振に仕留めた。

この試合、スワローズは前田健太にノーヒットノーランを許す寸前まで追い詰められるも9回に逆転。サヨナラゲームで石井の現役生活最期の試合を飾った。

試合後の引退セレモニーでは言葉を詰まらせながら家族へ「ありがとう」と伝え、仲間たちの手で胴上げされグラウンドに別れを告げた。

その後はヤクルトでコーチ業にいそしんでいる。

マネジメントの関係で地味に吉本興業にも登録してたりする。

追記・修正よろしくお願いします。
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