ねござん

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ねござん - (2018/08/25 (土) 21:55:40) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2018/08/25 Sat 18:15:27
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 8 分で読めます

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&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
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#center(){&font(blue){「やあヴェーネ。今日は御前の5歳の誕生日だったな。」}
&font(blue){「素敵なプレゼントをあげよう。」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「なぁに?」}

&font(blue){「これだ。」}

(ニャーオ)
&font(#66AAEE){ヴェーネ「わぁ…。ネコさんだ…。」}

&font(blue){「可愛いか?」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「うん。とってもかわいい。」}

&font(blue){「大切にするんだぞ。」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「うん。」}

(ニャーオ)
&font(#66AAEE){ヴェーネ「わたしはヴェーネ。」}
&font(#66AAEE){ヴェーネ「ネコさん。あなたのおなまえは?」}
}


&bold(){「ねござん」}とは、フリーゲーム『[[Seraphic Blue]]』(セラフィックブルー)の台詞、及びその台詞が使われるシーンのプレイヤー間での通称である。

&font(red){※本ページには、強烈な動物虐待に関する文章表現が含まれています。特に猫好きの人は注意。}
&font(red){タグ等から内容が想像できてしまった人はごめんなさい。}


**前置き
&font(red){※上記に当てはまる人はこの間にブラウザバックしましょう。}

貴方は悪や怪物から平和を取り戻す勇者になりたいと思ったことはあるだろうか?
別に勇者でなくても、英雄でもヒーローでも何でもいい。
要は&bold(){「世界を救う存在になりたいか」}ということである。

多分「なりたい!」と答える人も割といることだろう。
というか、そういうヒーローの登場するアニメなりゲームなり漫画なりに触れている人の全部とは言わずとも一定数は、
自分をそのヒーローと重ね合わせてなりきるために触れている、はずである。

だが、本当にそれでいいのだろうか?
&bold(){勇者だとか英雄だとかヒーローだとかって、そんなに軽々しく「なりたい!」っていうものなのだろうか?}
そんなことはないはずである。


&font(gray){……いや、「[[勇者は勝手に人の家のタンスを開けて金盗んでいったりするような不届き者だぞ>ドラゴンクエストシリーズ]]」とか、そういう話ではない。}
&font(gray){もうちょい現実的な話ね。}


とりあえず根拠を挙げてみよう。

-①:責任の重さ
なにしろ、自分自身に&bold(){世界中の人の命が掛かっている}のである。
大変なプレッシャーが掛かるだろうし、それが戦いに対して何らかの妨げになるかもしれない。
あるいはその重荷に耐えられず、救世の存在として生きることを辞めてしまうかもしれない。
(これは「普通の人間として生きようとする」のみを指しているのではなく、もっと極端なケース-自ら死を選ぶこと-を含めてである)

-②:周囲の人を巻き込む
①とも被る部分があるが、どうあっても周囲の人を巻き込んでしまう。
それは人命以外の部分もそうで、関わった人は大抵トラブルに巻き込んで面倒を掛けることになる。
一緒に戦ってくれた仲間は怪我で済めばいい方で、重傷・人事不省、もしくはやはり死んでしまうこともあり得る。
そうなった時の悲しみは、なんだかんだで&bold(){赤の他人である「世界中の人」とは比べ物にならない。}


-③:普通とは異なる生き方を迫られる
当然ながら、何の努力もせずに世界を救う英雄・勇者になれる訳ではない。
身体を鍛えたり心を鍛えたり情報を得たり、何をやっても十分とは言えない。
それ以外にも救世のヒーローとして知られていればそれが常に他人の目に晒される緊張、
知られていなければ孤独や「こっちがお前のために努力しているのに、相手はそれを知りもしない」苦痛を味わう。
結果的に様々な&bold(){普通の人はしない苦労をして、普通の人が持っている幸せを多かれ少なかれ捨てる}ことになる。



まあ、こういう問いかけ自体は何もここで新しく提起しているものではなく、
アメコミ等のリアルなヒーローを描いた作品ではしばしば出て来る話題である。
自分からヒーローになりたくてなったケースならそれは自分の責任、厳しく言えばある意味の自業自得とも言えようが、
&bold(){「ヒーローにならざるを得なかったケース」}というのも得てして存在し、
その究極の形は「生まれた瞬間に定められていたヒーロー・勇者」というパターンであろう。
「[[おきなさいおきなさい わたしのかわいいぼうや>ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…]]」

別に貴方の「救世の英雄になりたい」という願望に水を差したいわけではない。
ただ、生半可な覚悟で救世の存在になろうとしても、それは自分を不幸にするだけだろう。
ここではただそれを認識してもらいたかった、それだけである。


**本題
ではここで問題です。
&bold(){貴方は将来「救世の存在」になることが運命付けられている子供の育て親に任命されました。}

(1)当然ながら、最大の目的は&bold(){「子供を救世の存在として成功させる=世界を救わせる」こと}です。
上記のような問題(その子供が「救世の存在」としての辛さに耐えかねて、
どういった手段にしろ「救世の存在」であることを辞めてしまう危険性)をクリアするために、
一体どのような方策を取るのが最善でしょうか?
解答用紙の所定欄に100文字以内で具体的に述べなさい。

(2)(1)の方策に関して生じるデメリットと、それに対する最善の追加方策について、
解答用紙の所定欄に100文字以内で具体的に述べなさい。

[F歴38年度 F国立SBセクション採用試験]


























#center(){&font(blue){「やあヴェーネ。」}
&font(blue){「あれから一週間経つが、猫とは仲良く成れたか?」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「うん。とってもなかよし。」}

&font(blue){「そうか。それは良かった。」}

&font(blue){「実は今日もプレゼントが在ってな。」}
&font(blue){「猫と遊ぶための玩具だ。」}

&font(blue){「これなんだが…。」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「なぁに、それ?」}

&bold(){&font(blue){「これはハンマーという物だ。」}}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「ハンマー…?」}

&font(blue){「そうだ。私が手本を見せて遣ろう。」}
&font(blue){「猫の顔を良く見てるんだぞ。」}


&font(b,red,18){(効果音:打撃)}


&font(#66AAEE){ヴェーネ「ぶぇぇぇ…。ねござん…。」}
&font(#66AAEE){ヴェーネ「ねござん…。うごがないよぉぉぉ…。」}
}

&bold(){「ねござん」}とは、フリーゲーム『[[Seraphic Blue]]』において、
ヒロイン、[[ヴェーネ・アンスバッハ>ヴェーネ・アンスバッハ(Seraphic Blue)]]の教育のために&bold(){猫がハンマーで殴り殺されるシーン}の通称である。

ゲーム中では上記の描写のほか、一撃の瞬間に&bold(){&font(red){赤く染まったドロドロした画像で画面が全面覆い尽くされる。}}
ゲームファイル内に保存されている「教育イメージ.jpg」というファイル名はちょっとシュールだけど。

**説明
問(1)解答例
>その子供が、心=感情、情動を一切感じないようにしてやればいい。
>つまり、誰が死のうが、苦しもうが何も感情を動かさず、
>むしろ生という「苦しみ」から逃れられる「救済」だという考えを植え付けてやればいい。(98文字)

問(2)解答例
>子供に世界を救いたいという感情がなくなってしまう。
>これに対しては、子供に「救世の存在」であるということが絶対の存在意義であると植え付け、
>飽くまで義務感によって世界を救わせることによって対処できる。(98文字)

ヴェーネの教育係となった、ジークベルト・アンスバッハ。
&font(blue){「子育てとは、この世で最もリアルで楽しい『ゲーム』である」}と信じる彼の選んだ方法は、
彼女を世界を救うことに不要な感情を持たない「道具」に仕立てることであった。
その手段の最も極致たる部分がこの「誕生日の猫殺し」である。

作中、ジークベルトは&bold(){ヴェーネの誕生日の度に毎年この「ねござん」を実行している。}
ここで挙げているのは「5歳の誕生日」のシーンだが、
ゲーム内では他の「〇歳の誕生日」のシーンということで同様のシーンが計5~6回は出て来る。
ヴェーネのリアクションが少しずつ冷徹、というより無感情になっていくのがある意味でホラー。
当然だが、この描写以外にも様々な「教育」が作中で行われていることは想像に難くない。

#region(12歳のヴェーネ)
#center(){&font(blue){「やあヴェーネ。今日は御前の12歳の誕生日だったな。」}
&font(blue){「プレゼントをあげよう。」}

&font(blue){「新しい猫だ。」}

(ニャーオ)
&font(#66AAEE){ヴェーネ「要らないわ。欲しくない。」}
&font(#66AAEE){ヴェーネ「結果なんか見えてるんだから。」}

&font(blue){「ほう。それはどんな結果だ?」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「この子もどうせ野良猫なんでしょう?」}

&font(blue){「フッ…。」}
&font(blue){「その眼を見る限り、もう何を問答する必要も無いようだな。」}
&font(blue){「では答えを聞こう。」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「そんなの。ハンマーを貸して。」}
&font(#66AAEE){ヴェーネ「さようなら。ネコさん。」}


&font(b,red,18){(効果音:打撃)}


&font(#66AAEE){ヴェーネ「………。」}

&font(blue){「泣かないのか?」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「如何して?」}

&font(blue){「御前は自分の手で猫の頭を叩き潰したのだぞ?」}

&font(#66AAEE){ヴェーネ「だから?」}

&font(blue){「フフッ…。“合格”だ…。」}
}

#endregion

こんな描写が何度も何度も、しかも必ずしも前触れなくやってくるため、
この「ねござん」シーンは完全に&bold(){このゲームを代表するトラウマシーン}として定着している。
&font(l,gray){段々慣れて来て「あーまたねござんか」みたいな感じになったりするプレイヤーも割といるけど}
このゲームを最後までクリアした上で上記のシーンを忘れてしまえる人間はそういないだろう。

もっとも、このシーンは&bold(){「なんでヴェーネはこんなになっちゃったの?」という問いに対する&font(red){極めて端的な解答}}であり、
ジークベルトという人間の異常性・偏執性を余りにも直球で表した場面であるため外すことはできない。
流石にこれよりキツいシーンは&font(red){そんなに}出て来ないが、
本作が「鬱ゲー」等と形容されている原因の一端をこのシーンが担っていることは間違いないだろう。

しかし、彼がこの方法を取ったことによって、一見回避されたように見えた「ヴェーネの精神面の問題」は、
&font(gray){(え、全然回避されているように見えない?そうですね)}
ジークベルトの予想もしなかった方面に広がり、更には「5年前の事件」による異変も加わって、
果てはヴェーネの「存在目的」である世界の救済までをも巻き込んで行くのである……



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