井上尚弥

登録日:2024/05/07 Tue 10:35:41
更新日:2025/04/12 Sat 18:48:12
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井上 尚弥(いのうえ なおや)は、日本のプロボクサー。
1993年(平成5年)4月10日生まれ。
神奈川県座間市出身。
血液型A型。
既婚。
大橋プロ所属。

身長165cm
リーチ171cm

現在の階級はスーパーバンタム級(118~122ポンド=53.524~55.338kg) で、同階級の世界4団体統一王者である。
プロ入り後の戦績は29戦29勝無敗26KO。(2025年1月末時点)
尚、29戦の内、26戦がタイトルマッチ。
24戦が世界タイトルマッチである。

●獲得タイトル
元日本ライトフライ級王者(防衛0→返上)
元OPBFライトフライ級王者(防衛0→返上)
元WBC世界ライトフライ級王者(防衛1→返上)
元WBO世界スーパーフライ級王者(防衛7→返上)
元WBA世界バンタム級スーパー王者(防衛8、正規王者(防衛2)時代含む→返上)
元IBF世界バンタム級王者(WBAと統一、防衛6→返上)
元WBC世界バンタム級王者(三団体統一、防衛1→返上)
元WBO世界バンタム級王者(四団体統一、防衛0→返上)
現WBC世界スーパーバンタム級王者(WBOと統一、防衛2)
現WBO世界スーパーバンタム級王者(WBCと統一、防衛2)
現WBA世界スーパーバンタム級スーパー王者(四団体統一、防衛1)
現IBF世界スーパーバンタム級王者(四団体統一、防衛1)


【概要】

ニックネームはTHE MONSTER(怪 物)
現在の軽量級ボクサーの中でも世界最強と呼ばれる一人であり、日本のプロボクシング史上に於いても歴代最強と評価されている。
その強さと偉業から「日本ボクシング史上の最高傑作」とも呼ばれ、現在進行系で伝説を作り、塗り替えている人物でもある。

同じ大橋ジムに所属する弟の井上拓真と従兄の井上浩樹もプロボクサーであり、拓真もまた現役の世界チャンピオンである。浩樹も元東洋チャンピオン。オタクで萌え系漫画家と、こちらはこちらで凄い才能の持ち主である。ちなみに井上(尚弥)の方は画伯レベルで、熊にしか見えない○ッキーを披露した時には浩樹に慰められている。

自らもアマチュアボクシングで活躍した父の真吾氏の下で小学1年生の頃より自身の希望により指導を受け始め、後にはボクシング教室にも通い始める。
6年生の時に初めて家族以外の相手との試合を経験し、この時には中学生2年生を破っている。

その後も中学、高校とアマチュアでキャリアを積み、高校時代には国内初となるアマチュア7冠を実現して新記録を樹立。
尚、進学した新磯高校*1にはボクシング部が存在せず、井上の為のみにボクシング部が設立され、父の真吾トレーナーがコーチに就く、という体制が取られた。

井上の奥様は高校時代の同級生であり美人。
井上から告白して高校1年から付き合いが始まった。
交際してからは惚気けてしまい、井上をして練習そっちのけになる程にデートを優先したのだとか。
高校卒業後は同棲を始めたものの、いよいよ練習漬けで遊びに行く暇もなくなりハンサムな井上は他の女性からアプローチを受けることもあり……といった状況の中で不満を溜めた奥様と喧嘩になることも多くなってしまった。
……流石にお互いに悩み、一度は別れたものの、そうなったらそうなったでお互いに心労で激ヤセしてしまい、如何に相手が大事か解ったとのこと。
そうして紆余曲折もあったが再会後に復縁し、約7年の交際期間を経て2015年に結婚した。

現在までに一男二女をもうけており、それぞれの頭文字に“A”が付けられているらしい。
この“3つ並んだA”はトランクスのデザインとして欠かせないものになっている。

高校卒業後の2012年にはロンドンオリンピック出場を目指して予選を兼ねたアジア大会にライトフライ級で出場。
しかし、決勝にて地元カザフスタンの元銅メダリスト・ビルジャン・ジャキホフに判定負けして銀メダルに終わり、
オリンピック出場を逃したことから大橋ジムに父の真吾トレーナーと共に入門。
プロボクサーとしての道を歩み始める。

入門にあたり井上が出した希望は“強い相手と戦いたい”というもので、それが歴代の日本人王者、日本人ボクサーの中でも特に挑戦的な活動を続けている理由となっている。

ボクシング界全体では知名度や評価が低くなりがちな軽量級に居ることや、やはり本場とされる米国をホームとしていない都合から評価を低く見られていたこともあったが、試合を重ねる中で流石に問答無用の圧倒的な強さが話題に挙がるようになり、2022年には“ボクシング界で最も権威がある”とされる『ザ・リング』誌の“パウンド・フォー・パウンド”ランキングに於いて、日本人として初めて1位を獲得した。
元々、軽量級というマイナーな土壌で戦うことの多い日本人選手がランク内に選出されること自体が珍しかった中での、更に1位獲得は快挙である。その後、更なる偉業を成したファイターが居たため短い期間で陥落したものの、以降も2位以上を維持している。

元・ボクシング世界ヘビー級王者で、現在でも強い影響力を持つカリスマとして君臨するマイク・タイソンは井上のことを気に入っており、まだ米国での注目が高くない時期から“日本に小さくて強いヤツがいる”として、正確に名前を知らない(発音できない*2)ながらも、その実力を高く評価する発言を繰り返してくれていることでも有名。


【ファイトスタイル】

スタイルは右オーソドックス。ジャブで突っつき、機を見ると敏に踏み込んでボディやフックでダメージを狙う。
後述するが階級に比べて異様に打撃力が豊富なためインファイトのどつき合いでマッチを決める事が多く、
それを嫌がる対戦相手がアウトボックスで主導権を取ろうとするという展開になりがち。

高次元で攻防を一体化させたボクシングスタイルを完成させようとしている(恐ろしいことに進化中で前の試合で出された懸念が「外野から言われるまでもない」とばかりに次の試合では改善・克服されている。*3)。
相手の動きに応じて、瞬時に戦法どころか攻撃のタイミングすら変えてしまうという理想論や漫画みたいなことすら実戦でやれてしまう異次元のセンスの持ち主。
そもそもの適応力、修正力も極めて高い為、前の試合どころか1ラウンド前に通用した戦術が次のラウンドでは通用しないという事がよくある。

実際、試合の展開の中で突如としてサウスポーにスイッチしたり、インファイトでもアウトボクシングでも苦手な距離が無い(●●)と評される等、極めて弱点と呼べる要素が少ないのが特徴*4

過去の常識から戦前に弱点だと挙げられていた要素が蓋を開けてみれば別に弱点でも何でもなかった━━なんてことばかりである(例として、早いラウンドで決着が付くのでスタミナが無い→そんなことは無かった。攻撃主体で防御が甘い→そんなことは無かった。リーチでハンデがある→そんなことは無かった。…etc.)。

階級を上げれば当然のようにパワーが通じない、リーチに苦しむようになる……といった懸念が当然のように囁かれていたのだが、
元々が階級に見合わないパワーの持ち主であったためか、実際の試合に於いては小さい井上の方が体格で優る筈の相手よりも遥かに大きく見えるという漫画のような錯覚が傍目から見ていてさえも感じられる程。

後ろ足に重心を置きつつも非常に踏み込みのリーチが長く、更には体を大きく開くことで足りないリーチを稼いでいるのに、本来は隙になる筈の“そこ”からの戻しが異常に速く、隙になる筈のものが隙になっていない。

また、単純に戻しが速いだけでなく戻る途中で攻撃された場合の対応も常に想定しているのかのように動いており、手を出された場合にはカウンターや回避行動に移行……と、常に二手、三手先を想定し、理想とする動きを実践してみせる。
何しろ、ギリギリの状態でパンチを被弾しなければいけない状態でもガードや我慢ではなく首ひねりで無効化してくるレベル。
結果として、井上が2~3発パンチを出した後に身体ごと下がり、そこに相手が手を出してミスブロー…という展開がよく繋がる。つまり、意識があって首を捻れる状態なら相手はポイントはともかくダメージなんか与えられないということ。
ちなみに耐久力も普通にあり、後述のドネアとの対戦では顔面骨折する程のKOパンチを受けたのに「子供の姿が浮かんだ」として耐えきってダウンは免れている。
回復力も高く、上記のパンチを受けたラウンドも終盤には回復しきり、逆に攻勢に出ている。
被弾経験の少ないボクサーが打たれ弱いなんて井上には当てはまらないのだ。
また、前述の深く踏み込んでしまった際に死角としか思えない位置からのパンチを避けれてしまうのは、相手の足の位置と腰の動きで打たれるパンチの予測ができてしまうから(避けれる)らしい。

勿論、こうした技術は既にボクシング界に存在していた技術や特性ではあったものの、それをここまで実戦の場で使ったり、そもそも総合的に組み合わせられたボクサーというのは矢張り稀有な存在であるらしい。

━━こうした、異次元とも評される能力は攻撃面でも遺憾なく発揮され、異常に研ぎ澄まされた集中力と異様なレベルの当て勘によるカウンターを得意としている。
序盤の攻防にて相手の攻撃の距離とタイミングを計ってしまった後には、独壇場とも呼べるペースを作って試合をコントロールしてしまうことも少なくない。
完全にペースを握った相手に対しては、相手がパンチを打ってくるタイミングに合わせたカウンターを放つことも多い。……宮本武蔵の“後の先”か何かだろうか?

これが、同じくカウンターを得意とする選手程に井上相手には“手が出なくなっていく”理由である。
特に、相手が前進してくるタイミングにて炸裂する引き(後退しながらの)左フックは、過去に幾度もの試合を決めてきた必殺パンチの一つである。

また、「じわじわ効いてくる」という評が定説でもあるボディブローだが、彼の場合「じわじわどころか、まともに貰ったらその場で悶絶する」レベルにまで昇華されており、その左ボディは代名詞の一つともなっている。
まぁ結局これらだけでなくストレートでも倒すしジャブの積み重ねでも倒すのだが。

動きが止まった相手に対しては敢えて攻撃を誘うためにノーガードで挑発したことが話題となったが、これも相手を舐めてかかっている訳ではなく、その時点までで完全に無力化していると言っても同然の状態に持っていってしまっていて反対に自分も手詰まりになってしまっているが故の次の動きを誘うための行動だったりする。
……まぁ、それでも相手が動いてこないならこないで堅い防御を切り崩せてしまう技術とパワーの持ち主なのだが……。

自分が有利に立ち回っている状況では、他にも前述のサウスポーへのスイッチや、その他の新たな戦法を実戦で試すような動きをしたこともある。
その変幻自在の動きや対応力については、ボクシング界のレジェンドであるナジーム・ハメドやフロイド・メイウェザー・ジュニアの動きと比較されることも。
階級を飛び越えて活躍する様からマニー・パッキャオの再来と呼ぶ声も大きくなってきた。
メイウェザーに至っては「自分の技術を盗んでいる」と発言しており、実際にロープ際で巧みに相手のパンチを躱して最小の動きでロープも利用してカウンターを打ち込む技術などは似ている・または再現してしまえている部分である。

前述の通り、高い技術力と共に井上の大きな武器となっているのが純粋なパンチ力で、普通は攻撃の積み重ねというと一箇所への長い時間をかけての集中攻撃を指すイメージがあるが、井上の場合は最初は顔面狙いでダウンするまでダメージを通した後で、今度はボディ狙いに切り替えて相手を撹乱する所か僅か数発の積み重ねでKOしてしまったというパターンも見られる。

パワーに関しては自身でも減量に苦しんでいた軽い階級の頃にはそこまで注目されていなかったのだが、減量苦から解放されるようになったスーパーフライ級への転向以降は軽量級とは思えない程のパワーも見せつけるようになった。
このパワーを利用してガードごと打ち抜いてダメージを与えたり、その勢いのままに相手をKOしてしまうという信じ難い場面が見られたことも。
スパーリング中、相手のガードの上から叩き込んだボディブローで腕を骨折させてしまったこともある。

そして、規格外のパワーを持つ故に、その反動で自身の拳を壊してしまうことも少なくなく、それが理由で長期の欠場に追い込まれてしまうことも多いのが欠点であり心配な所。
練習中だけでなく試合中にも拳を痛めてしまうというシチュエーションが1度や2度ではない。
現在までに長期の療養には入っても後に響くような怪我はしていないものの、殆どの試合で綺麗な顔のままで試合を終える井上を病院送りにするのが他ならぬ自分というのは皮肉な所である。

この異常な腕力は、坂道をサイドブレーキを外した軽トラを押して上げることで培われたらしい。
対戦相手からの証言によれば、井上のジャブは普通の選手のストレート並に強く、ストレートは更にその3倍も強いのだとか。
これらをまとめて、元3階級王者で現解説者の長谷川穂積曰く「スピード5、テクニック5、ディフェンス及びパンチを避ける能力5、アマチュアを含めた経験5、パワーがマイク・タイソン
比較対象として一番重いヘビー級王者が出てくる時点でなにかおかしいことが分かるだろう。
ただし、対面した選手の多くは「パンチ力自体は驚くほどのものでは無い」とも証言*5しており、一方彼らは口を揃えて「あまりにも速かった」「いくつかのパンチは見えなかった」とも語っている事から、その破壊力は異次元のパンチスピードが齎しているのではないかとも推察されている。
ただし、創作ならば並外れたスピードがパワーになるなんて理論が持ち出されることも頻繁にあるが現実にはそんなことはないようで、ボクシングの常識的にはハンドスピードが速い選手がパンチ力もあるなんてことは先ず有り得ないのだそう。
……やっぱり井上チャンピオンがおかしいということか。

ボクシング的には余りにバカげたスペックの持ち主のために、もしボクシング漫画で井上がモデルのキャラを出したら「リアリティがない」「やり過ぎ」と言われるレベルだろう……と、よくネタにされる。
2020年代の野球将棋も似たような状況だけど。


【主な戦績】


■アマチュア時代

小学1年よりボクシングキャリアを開始。
6年生で初めて親族以外との試合に臨み、中学2年生にRSC*6勝ち。

中学3年時に第一回全国U-15大会に出場。
優秀選手賞を獲得。

高校1年時に、インターハイ、国体、選抜の3冠を達成。
アジアユースに出場し銅メダル。
尚、インターハイ、新潟ときめき国体では1年生ながら3年生であった寺地拳四朗に勝利している。


高校2年時に世界ユース選手権でベスト16。
インターハイはベスト8で終わるものの国体は連覇。
全日本アマチュア選手権に初出場して準優勝。

高校3年時にはインドネシア大統領杯で初の国際大会金メダルを獲得。
世界選手権にも出場するがベスト16。

その後、インターハイと全日本選手権で優勝。
高校生にしてアマチュア7冠を達成する。

高校卒業後の2012年にロンドンオリンピックを目指しライトフライ級でアジア選手権に挑むも、準優勝に終わりロンドンオリンピックを逃す。
以降はプロ転向。

アマチュアボクシングでの戦績は81戦75勝6敗。(48KO/RSC)


■プロ時代


【2012年】

2012年7月に大橋ジムに所属してプロ転向することを発表。
会見にて井岡一翔が持っていた世界王座獲得最短記録を更新すると宣言。
後に更新されたものの、これは達成。

プロ生活はライトフライ級からのスタートとなった。
プロライセンスはスーパーバンタム級B級ライセンスで受験し、実技試験は後楽園ホールでの興行内で行われて合格。

プロ初試合は同年10月のOPBFミニマム級7位のクリソン・オマヤオ戦。
受験はB級だったが特例でA級ライセンスが許され、平成では唯一のA級デビューかつ10代の選手では初だった。
試合は1Rでダウンを奪い、4Rで勝利。
OPBF10位。日本でも6位にランク入り。

【2013年】

1月に後楽園ホールにて、同ジムの前WBA世界ミニマム級王者八重樫東の再起戦を前座に追いやりメインイベントにてタイのライトフライ級王者ガオプラチャン・チュワタナと対戦し引きの左フックでKO。
尚、この試合までに陣営は世界ランカーとの試合を希望して3名と交渉を進めていたのだが、試合が決まりかけていた1人の陣営からデビュー戦の映像を見られてキャンセルされたという伝説を残している。

4月に後楽園ホールにて日本ライトフライ級1位の佐野友樹と対戦。
3Rに右拳を負傷して使えなくなるというアクシデントに見舞われ左しか使えなくなるも、次の4Rにて1Rからのダメージの積み重ねがあったとはいえ左フックの連打でダウンを奪い、10RでTKO勝利を収めた。
この試合で日本ライトフライ級1位に。

8月にスカイアリーナ座間にて日本ライトフライ級王者の田口良一に挑戦。
3-0で勝利し、辰吉丈一郎以来のプロ4戦目での日本王座獲得。
敗れた田口だが、後に自身も世界王座を獲得し、防衛こそ失敗したものの統一王者となっている。
唯一の“井上とフルラウンド戦った日本人”としても称賛されている。

10月に東洋太平洋王座挑戦のために日本王座を返上。

12月に両国国技館にて小野心の返上に伴い空位となっていたOPBFライトフライ級王座を巡りフィリピンのヘルソン・マンシオと対戦し5RでTKO勝ち。
プロ5戦目での東洋王座の獲得は八重樫東らと並んで国内最速タイ記録であった。


【2014年】

12月に世界王座挑戦の為に東洋王座を返上。

4月に大田区総合体育館にてWBC世界ライトフライ級王者アドリアン・エルナンデスに挑戦。
開始直後から圧倒していたものの、試合の3週間前にインフルエンザに罹り限られた期間で無理な減量を成功させねばならなかった影響で3Rの終わりからは左足が攣ってしまい持ち味の足が使えなくなってしまうも、覚悟を決めて打ち合いに臨み6Rで力でねじ伏せてKO。
大橋ジムとしても悲願*7であった日本人世界王座獲得最短記録を達成する。*8

勝利したとはいえ試合後の会見にて減量苦に悩まされたことを告白し、王座を早々に返上して階級を上げる意向も示されたが、王者の責任として防衛戦に応じることを宣言。

9月に国立代々木第二体育館にて元PABAミニマム級王者でWBCライトフライ級13位のサマートレック・ゴーキャットジムと対戦。
4Rと6Rにダウンを奪い、粘られるも11RにTKO勝ち。
勝利後、宣言通りに王座の返上と階級を上げることを報告した。

1階級上でのフライ級での減量も難しいことから2階級上のスーパーフライ級への転向が決まり、WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平への挑戦を表明したものの、河野の試合は指名試合*9となる可能性が高いことと、既に年末興行での試合が決定していたので断られる。

そこで大橋ジムはボクシング解説者・評論家でマッチメイカーのジョー小泉に次の試合のマッチメイクを依頼。
当初はWBA世界スーパーフライ級王者のファン・カルロス・レベコとの対戦が計画されたが、レベコが既に統一戦が内定しているという大事な時期であったために断られ、そこでマネージャーが同じ、WBO世界スーパーフライ級王者のオマール・ナルバエスとの対戦が決定する。

11月に世界ライトフライ級王座を返上。
また、同月には過去にナルバエスと対戦経験のある井上も憧れた選手であり、後に激闘を繰り広げることにもなる元世界5階級制覇王者のノニト・ドネアからナルバエス対策を授けられる。

12月に東京体育館にてオマール・ナルバエスに挑戦。
ナルバエスは既に30代後半とボクサーとしては高齢であったが、過去に世界フライ級王座を16度防衛。
世界スーパーフライ級王座を11度も防衛中という軽量級史上でも屈指の強豪。
150戦超の戦績を誇る20年のキャリアの中で、一階級上のドネアに判定負けを喫した時すら“ダウンした経験が無かった”程の英雄的なボクサーだったのだが、減量苦から解き放たれた井上の拳は異次元の破壊力に到達しており、序盤の打ち合いで手応えを感じた井上はガードを突き破る正面からの右ストレートでナルバエスから人生初のダウンを奪うと、ガードをかためるナルバエスの脳天を掠めるような一撃でもダウンを奪いと1Rから衝撃の展開に。
実は、この試合でも余りの拳の破壊力により自ら右拳を脱臼してしまっていたのだが、2R目も勢いを衰えさせることなく、今度はボディで2度のダウンを奪いKO勝ちを収めた。
試合前には14年間無敗のナルバエス相手に慎重な発言も出ていた井上だったが、この予想外の大勝利にはゲストの香川照之も大興奮。*10
この“有り得ない”事態に決着直後にナルバエス陣営から井上のグローブに不正があるのではないか?とのクレームが寄せられたもののその場で(●●●●)グローブを外して確認させたことで蟠りなく試合を終えている。
また、この試合は当時の最速での2階級制覇記録であった。(2016年にワシル・ロマチェンコが7戦目で達成と更新。)


【2015年】

4月に予定されていた初防衛戦では、再挑戦権を持つナルバエスとの再戦になるかと思われたが右拳の脱臼により延期、長期療養に入った。

12月に復帰すると、有明コロシアムにて、かつて日本でウォーズ・カツマタのリングネームで活動していたこともあるワーリト・パレナスの挑戦を受ける。
井上のパンチに対し不敵な笑みを浮かべる挑戦者の姿に火がついたか、2R目にガードするパレナスをそのガード諸共殴りつけて態勢を崩させ、更に追い打ちでマットに叩きつけてダウン奪取。立ち上がったパレナスを再び沈めてTKO勝ち。


【2016年】

5月に有明コロシアムでデビッド・カルモナの挑戦を受ける。
この試合では右と左と両方の拳を負傷してしまうというアクシデントに見舞われてしまうが、技術やその他では圧倒。最終ラウンドはストップ寸前まで追い込むも粘り切られ、3-0で判定勝ち。

9月にスカイアリーナ座間でんペッパーンボーン・ゴーキャットジムの挑戦を受ける。
この試合までにナルバエスとの再戦や元IBF世界スーパーフライ級王者のソラニ・テテとの対戦が計画されていたが、両名ともバンタム級への転向を理由に流れていた。
ゴーキャットジムとの対戦では数週間前に痛めつつも関係者にすら話していなかった腰痛の影響や今回も右拳の負傷もあってな精細を欠いた試合となったものの10回KO勝ち。
試合自体は危なげなかったものの、腰痛のことを隠されていた父の真吾トレーナーが激怒して試合後にさっさと引き上げるという一幕があった。

試合後のリング上では大橋会長がローマン・ゴンサレスとの一戦の実現を宣言。
翌日の会見では4日前に河野公平を下したWBA王者のルイス・コンセプシオンに統一戦を申し込んだことが報告された。
しかし、ローマンはその後の防衛戦でシーサケット・ソー・ルンビサイに敗北、コンセプシオンとの交渉もまとまらずで結局この試合はどちらも実現は叶わなかった。

12月に有明コロシアムで前WBA王者河野公平を挑戦者に迎えて6RにTKO勝ち。


【2017年】

5月に有明コロシアムでリカルド・ロドリゲスの挑戦を受けて3RTKO勝ち。

9月に初の米国進出を果たし、カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センター・テニスコートでアントニオ・ニエベスの挑戦を受ける。
試合前には自信を見せていたニエベスだったが、圧倒され続けた末に6R終了後にコーナーから立ち上がることができずに棄権勝ち。

しかし、該当興行のメインカードでローマンがシーサケットとの再戦でTKO負け。これにより、年内の他団体王者との統一戦は事実上完全消滅となり、体格的にも留まるのが限界のスーパーフライ級にまだ留まる理由がほぼ無くなってしまった。

12月に横浜文化体育館でヨアン・ボワイヨの挑戦を受けて3RTKO勝ちして7度目の王座防衛に成功。
これが井上最後のスーパーフライ級でのファイトであった。


【2018年】

3月にバンタム級への転向を発表し、5月にWBA世界バンタム級レギュラー王者ジェイミー・マクドネルとの対戦を発表。

5月に大田区総合体育館にて10年間無敗で同階級の亀田和毅も2度退けているジェイミー・マクドネルに挑戦。
過去の実績や10cm以上の身長&リーチ差と不安な要素もあったが、前日の軽量に遅刻して現れて悪びれもしない等、マクドネルの態度について明確に不快感を表明していた井上は、マクドネル側の体調管理に不備があったと言われつつも、それでも体格差のあるはずのマクドネルに猛然と襲いかかりそのまま圧倒。
開始直後に一度、再開後にも凄まじい連打から二度目のダウンを奪い1RTKO勝ち。
3階級制覇を成し遂げる。
試合直後、WBSS(World Boxing Super Series)*11から参加招待が来ている事と参加する意向である事を明かした。

7月に予告されていたWBSSへの正式出場が決定。
第2シードに選ばれた井上は元WBA世界バンタム級スーパー王者のファン・カルロス・パヤノを指名。
パヤノは2014年当時バンタム級最強の王者であり、日本の名王者山中慎介とも激闘を演じたアンセルモ・モレノから王座を奪った実力派の元王者であった。

10月に横浜アリーナでのWBSS2回戦でパヤノと対戦。
自ら「ゾーンに入っていた」と振り返る程の異常な集中力を見せていた井上は1R一分過ぎに強烈なワン・ツーを浴びせてKO。
この試合で井上が他に放ったパンチは牽制の一発程度でそれを合わせてもたったの3発だった。試合時間は僅か70秒。
衝撃的な結末から、この年の“ノックアウト・オブ・ザ・イヤー”に選出された。

余談だが同年末には『ガキの使いやあらへんで』にゲスト出演。世界王者に対して容赦なく執行されたチ●コマシンで悶絶する姿が全国放送され、「人生初ダウン」とちょっとした話題になった。松本「ローブローや」

【2019年】

WBSSの対抗ブロックでは、WBO王者のゾラ二・テテが負傷離脱、井上が1回戦での対戦を熱望した伝説の王者ノニト・ドネアが決勝進出を決めていた。

5月にイギリス・グラスゴーのThe SSE hydroでWBSS準決勝としてエマヌエル・ロドリゲスと対戦。
数日前にロドリゲス陣営の練習を撮影しようとした真吾トレーナーが因縁をつけられたことが拡散されていたためにロドリゲスの入場の際にはブーイングが飛んだ。

また、井上にとっては下階級時代から待ちに待った他団体の王者との対戦であった。
しかし、本試合は井上が当時WBAの正規王者であった為、IBFが統一戦の認可を許可しなかった*12為、井上のベルトは賭けられずIBFのタイトルマッチとして扱われた。

また、当時のリングマガジンが独自に付けたランキング最上位の2人の戦いであった為、リングマガジンはこの試合の勝者に当時空位だったリングマガジン認定ベルト*13を授ける事を発表した。

無敗同士で事実上の決勝戦と言われた対決は1Rこそ互角でありつつもロドリゲスの方が攻撃的に見えた程だったが2R目にペースを上げた井上がパターンを変えつつ3度のダウンを奪いTKO勝ち。ネス湖のネッシーもビックリー!!!

11月にさいたまスーパーアリーナで行われた決勝戦にてノニト・ドネアと対決。
さて、この対戦相手のドネア、実の所前評判が高いとは言いがたかった。確かにドネアは過去5階級を制覇して軽量級で一時代を築き上げ、一時期はフロイド・メイウェザーとマニー・パッキャオに次ぐパウンドフォーパウンドランキングも獲得したアジアの英雄である事に相違は無い。しかし、この頃既に40歳手前となっていたドネアは加齢からか往年のパフォーマンスから遠ざかっていた事もまた事実であり、井上の敵とはならないだろうとする声も小さくなかった。

しかし歴戦の王者はこの前評判を見事に覆してみせる。

試合は立ち上がり井上の攻守が光り、一方的にイニシアチブを握っていくが、2R目にドネア得意の左フックを浴びてしまい、珍しく流血(実は右眼窩底骨折の重症)、ドネアが二重に見えるというハンデを背負う。井上は他ならぬドネアの過去の戦いを参考にしつつ負傷から気を反らさせつつ抵抗するも、狂った視界故か攻勢に出てもドネアを仕留めきれず、逆にドネアにも反撃のチャンスを何度か許すような展開に。。
長期戦を見据えて中盤はペースを落としながらゲームを作る井上だったが、9R目には右ストレートでグラつき、あわやノックアウト負けかと思われる程のダメージを負う。なんとか踏みとどまった井上はブラフを交えてドネアの猛攻を凌いで回復を図り、この窮地を凌いだ。
そして、11Rに左ボディでダウンを奪うも追撃をレフェリーに止められた挙句、審判側からのカウント引き継ぎが1カウント遅れた上にロングカウントとなるという不可解な裁定もあり決着には至らず。最後はドネアが意地で12Rまで立って戦い続けた末判定にまでもつれ込んだ。
最終的に、2R目の被弾以外は優勢を維持して3-0で判定勝ち。

井上は試合後、「初めて世界戦をやれた気分」「楽しかった」と山あり谷ありドラマありとなったこの試合を振り返った。

本試合を経てWBA, IBFの統一に成功し、WBSSバンタム級優勝者となった井上は、今後のキャリアについてはバンタム級にしばらく留まり、4団体統一を目指す方針である事を発表。

12月に4団体統一のためにWBO王座を獲得したジョンリル・カシメロとの対戦を希望した。


【2020年】

1月に希望していたカシメロとの3団体統一戦が4月に行われると発表していたものの、この試合は新型コロナウイルス感染症拡大に伴い中止となる。

9月にカシメロ戦に代わりWBO1位、WBA3位のジェイソン・モロニーと対戦することがトップランクから発表される。

10月に無観客試合とはいえ米国ハリウッドにてメインイベントとしてモロニーの挑戦を受ける。
ファイトマネーは破格の一億円
階級最上位のコンテンダーであるモロニーのテキストブックのような美しいボクシングを相手取りながらも、危なげない試合運びで6Rに初ダウンを奪うと、7Rでワン・ツーの間に切り込むようなカウンターの右ストレートでKO勝ち。

試合後、井上は4団体統一王座の実現のために引き続きWBCのノルディーヌ・ウバーリとWBOのジョンリル・カシメロとの対戦を希望。
カシメロも乗り気であるように見えたのだが……。


【2021年】

5月にIBF1位で元IBO世界王者のマイケル・ダスマリナスとの対戦がトップランクより発表。

また、同月にウバーリがドネアに4RKO負けを喫し王座陥落。再びドネアが井上の対抗王者として名乗りを上げた。

6月にラスベガスでダスマリナスと対決。
井上の強烈な左ボディ(リバーブロー)が冴え渡った試合で、最後に崩れ落ちたダスマリナスを見たレフェリーはそのまま試合を止めて3RでTKO勝ち。

8月にはWBC王者となっていたドネアとWBO王者のカシメロとの対決が濃厚になり、両者共に井上との対決に前向きだったこともあり4団体統一が現実味を帯びてきた……と思われていたが、9月にドネアはレイマート・ガバリョと、カシメロはポール・バトラーとそれぞれの団体より指名試合を行うことを求められたことで統一戦が遠のくことに。

11月に井上はIBF5位、WBA8位のケンナコーン・ルアンカイモックと2年ぶりに国内での防衛戦を行うこと発表。

12月に両国国技館でルアンカイモックと対戦。
ルアンカイモックの「なにっ」と言いたくなるタフぶりに驚いた様子も見せていたものの、8Rに左フックでダウンを奪うと、集中が途切れたのか再開後にも再度のダウンを奪いTKO勝利。


【2022年】

3月にWBC王者ノニト・ドネアとの3団体統一戦が行われることが決定。

6月に再びさいたまスーパーアリーナにてドネアとの2年7ヶ月ぶりの対戦。
前回の苦戦もあってか“ドラマ・イン・サイタマⅡ”と銘打たれた決戦は当事者達にとっても大きな試合であることは間違いなく、試合前からグローブチェックは本来は未開封の状態で行わねばならないのに井上陣営が開封済みのものを出したことにドネア陣営が抗議、これを嫌がらせだとしてドネア夫人が発信する等……試合前からピリピリしたやり取りが繰り広げられ、前回の決戦時の井上とドネアとの交流を伝え聞いていたファンを別の意味で驚かせた。

試合の方は「前回の戦いでは自分が隙を見せたせいで勘違いさせてしまった(意訳)」と取れる発言をしていた井上の予告通り、前回の激闘とは全く別の結末を迎えた。
試合開始直後に前回被弾した左フックをドネアが出し惜しみせずに出してきたことで「気が引き締まった」と語る井上は、1R終盤に前回、自分が左フックを被弾したのを再現するような状況にてカウンターとして左フックを出させておいてから、そこを狙いすました右ストレートでカウンター潰しのカウンターを放ちドネアをダウンさせる。
あまりにもカウンターが鮮やかすぎて、状況が理解できない*14ドネアはなんとか夫人の叫びでKOは免れるもダメージは残る。2R目にラッシュをかけてきた井上に、レジェンドの意地か体ごと押し込んで抵抗する姿も見せたが、逆にカウンターで弾き返された上でトドメのラッシュで仕留められ2RでTKO負け。
尚、最後のラッシュの前にグラつかせた時には「交流のある選手なのでもう殴りたくない」と思っていたそうだが、レフェリーが止めなかったために已む無く倒しにいった*15とのこと。
3団体統一は日本人では初の快挙だった。

6月に井上の余りの強さと世界記録への挑戦のためにも早急に階級を上げるべきとの意見も出ている中で、先ずはバンタム級を制覇して階級を上げると正式に発表し、王座を剥奪されたカシメロに代わりWBO王者となっていたポール・バトラーとの対戦が進められていることが公表された。

また、多くのボクサーが憧れるザ・リング誌の“パウンド・フォー・パウンド”にて日本人として初の1位に選出。
直後にWBA,WBO,IBF世界ヘビー級王者のアンソニー・ジョシュアに勝利したオレクサンドル・ウシクにランキングを奪われるも、以降2024年5月現在まで2位をキープし続けている。

10月にポール・バトラーとの対決が正式発表。

12月に有明アリーナにてポール・バトラーと4団体統一戦。
完全に守りに入ったバトラーに対し、井上は両手を背中に回して挑発する等試すも中々攻めきれず、バトラーの技術力の高さもあってか圧倒しているとはいえ判定にもつれ込むのでは?と思われていた中で11R目にガードを切り崩してKO勝ち。
ボクシング史上で見ても9人目。アジア人としては初の4団体統一王者となる。
また、ベルトを1本ずつ集めての4団体統一は、元ミドル級4団体統一王者であるバーナード・ホプキンス以来2人目の偉業であった。

試合後、スーパーバンタム級への転向が発表され、井上の実績から早々に同階級最強と言われるスティーブン・フルトンとの対戦が現実味を帯びたと言われた。


【2023年】

1月にスーパーバンタム級への転向に伴い、保持していた4つのベルトを返上。

3月に5月に国内でのフルトンとの正式な対決が決定したと報告されるも、この試合は練習中に井上が右拳を痛めたことで7月に延期となる。

7月に有明アリーナにてWBC・WBO統一王者スティーブン・フルトンに挑戦。
ベルトを保持しない形での試合は約5年ぶりだった。
流石に、スーパーバンタム級、それもフルトン相手ではいい加減に体格でハンデが出るかと思いきや、小さいはずの井上が支配的に試合を進める。本来王者が得意とするはずのフィリー・シェル・スタイルをお株を奪うかのごとく披露しながら、アウトボクサーの王者を逆に距離で支配しポイントアウト。8R目にフルトンを積み重ねてきた左ボディストレートからの右ストレートでグラつかせた隙をレフェリーに止めさせる間もなく追撃の左フックでダウンさせる。
立ち上がったフルトンはロープからコーナー際に逃げつつ攻撃をかわそうとするも、それを許さなかった井上が最後はコーナーで叩き伏せてTKO勝ち、転向初戦にて2団体統一王座を獲得した。
尚、この試合での両者のファイトマネーは共に5億円

長身でスリックなアウトボクサーのアメリカ人、それもPFPリストにこそ載っていないものの、載せるべきか否かの議題が挙がるレベルのボクサーを、逆にアウトボクシングで一方的に仕留めたパフォーマンスは世界中にも大きな反響を呼んだ。
マイク・タイソン、マニー・パッキャオ、シャクール・スティーブンソン、デヴィン・ヘイニーを初めとした現役、引退済み問わない各王者達がコメントを寄せ、PFP1位に推すべきという意見も大いに盛り上がった。

その後、実際にリングマガジンのPFPランキングではオレクサンドル・ウシクを抜き返しランクアップ……するかと思われたのだが、同週に開催された四団体世界ウェルター級統一戦でテレンス・クロフォードが、当時PFPリストにも名を連ねていたエロール・スペンス・ジュニアを子供扱いしてKO勝ちした為、今度はクロフォードに抜き返され結果的に2位を維持する事となった。

試合後、WBA・IBF統一王者のマーロン・タパレスが自らリングに上がり井上との対戦を表明。

12月に両者の希望が叶い、まさかの年内でのスーパーバンタム級4団体統一戦が実現。
地味な選手と思われつつも、実は井上と同タイプのタパレスは技術面で井上に食らいつき、有効打を与えた場面もあったものの、最後までダウンは奪えず。
最後は10Rにタパレスの硬いガードを巻き込むような右ストレートを叩き込むと、それまでのダメージの積み重ねから力尽きたかのように膝から崩れ落ちたタパレスがダウン。気力振り絞って立とうとするタパレスだったが、最後まで立ち上がることは出来ず決着となった。
昨年に引き続いての4団体制覇。
そして、史上でも2人めの2階級での4団体統一王者となった。


【2024年】

勝利した井上に対しては、元々タパレス以前から対決が有力視されていた前2団体統一王者のムロジョン・アフマダリエフ等、階級を超えて多くの有力選手からラブコールが寄せられたが、パンテラの通称で呼ばれる元2階級制覇王者ルイス・ネリとの対戦が現実味を帯びてきたと報じられ、実際に5月に指名試合として挑戦を受けることが決定。

そうして5月6日、1990年2月11日のマイク・タイソン対ジェームズ・ダグラス戦以来34年ぶりの、そして日本人がメインイベントを張る形としては初めてとなる東京ドームボクシング興行が開催されることが決定された。
相手は日本国内ではいろんな意味でヒールキャラとなっており、国内メディアからは悪童の烙印を押されているルイス・ネリ。
1Rにカウンターをもらいプロ初のダウンを喫する。思えば34年前も歴史的なアップセットが起きたステージ。まさか歴史は繰り返されるのかと会場中が騒然とするものの、実際はフラッシュダウン*16だったようで、冷静にカウント8まで待ってから立ち上がり、その後は持ち前の回復力とディフェンス(かつては下手くそとネタにされたクリンチもいつの間にか名人級になっており全くネリは引き剥がせないどころかコーナーに追い詰めても得意のコーナーワークからやり返される始末であった。)で仕切り直す。
蓋を開けてみれば、これが最初で最後のピンチ(1R目はドームという異常な空間に呑まれたこともあって気負いからか明らかに動きが固かったのだが、ダウンしたことで緊張が解れた模様)となり、以降は全くネリを寄せ付けないままに2R目以降に足も完全に回復してからはギアを上げていく井上と息切れしたネリとで動きに差がついていき、そのままネリの精一杯のダーティな頭脳プレイも寄せ付けずにあしらい、2,5,6Rと3度のダウンを与えてTKO勝ち。無敗記録とKO記録を更に伸ばした。
特に、フィニッシュの右ストレートは事前に顔面への集中打を浴びせて伏線を張っていたとはいえ、大の男を一撃で軽々と吹っ飛ばして、辛うじてロープに引っかかった状態でダウンカウントを聞かせるという凄まじいものだった。

試合後はプロ生活初のダウンについて聞かれ、観客に「たまにはこういうサプライズもいいんじゃないでしょうか」とダウンが全く問題でない事をアピールしてみせ、その後の会見等でも特にダメージのない姿を披露した。
なおファンからも関係者からも「寿命が縮むからそんなサプライズはやめてくれ」と総ツッコミを受けた。

また、ダウンを喫しながらもそれを一切後のゲーム展開への影響に繋げず、結局はほぼ一方的な展開で完勝した事は更に井上の評価を高め、またクロフォードが上述のスペンス戦以降試合をしていなかった事もあり、リング誌は日本時間5月10日、井上を再度パウンド・フォー・パウンド1位に浮上させた

……ただし、この直後に当時3位だったオレクサンドル・ウシクがタイソン・フューリーを破って世界初のクルーザー級、ヘビー級4団体統一を成し遂げて再度1位にジャンプアップした為、井上は再び2位に転落した。

2024年9月30日にはWBOのスーパーバンタム級2位であるテレンス・ジョン・ドヘニーとの防衛戦に挑む。
WBAからは同団体1位のムロジョン・アフマダリエフとの指名試合という指示があったようだが、氏名があったときにはもうドヘニーとの試合が内定していたためコレはスルーされた。
スルーに当たってトラッシュトークやWBAのベルトが剥奪されるんじゃないかとか色々問題はあったらしかったが結局4団体統一王座戦という形でGoが出た。
試合内容としては1~2ラウンドドヘニー有利のラウンドがあったが、6R終盤井上のラッシュに腰がよじれた瞬間に放たれたボディブローが腰から背中にかけて炸裂。
ラウンド終わりまではなんとか持ちこたえたものの、この一撃で腰の筋肉が言う事を効かなくなったドヘニーが半ばギブアップという形で7回16秒TKO勝ちとなった。
この後は12月末にIBF&WBO世界1位のサム・グッドマンとの試合が告知されたものの、グッドマンの練習中の負傷によって2025年1月へと延期となってしまった。

【2025年】

延期となったグッドマンとの防衛戦は、再びのグッドマンの負傷により中止。興行自体は代役のキム・イェジュンを相手に開催された。
大きなチャンスを得たコリアンファイターはスローに立ち上がる井上を前に左ストレートを差し込むなど果敢に挑戦。しかしながら、格下相手でも隙を見せない井上は4Rにギアを一段上げると勝負の天秤を一気に傾ける。防戦になりながらも粘りこみを図ろうとするキムを最後は強烈な右ストレートで仕留めると、キム陣営がタオルを投げる形でTKO勝ち。世界戦連勝記録と連続KO記録を更に伸ばした。

試合後、2025年から2026年春までのプランを発表。
次戦は春にラスベガスでトッププロスペクトのアラン・ピカソと、秋には元WBA、IBF統一王者のムロジョン・アフマダリエフと、そして年末には一戦だけ階級を上げて現WBAフェザー級王者のニック・ボールに挑戦する予定である事を明かした。
更に、ニック・ボールとの対戦後2026年春にはもう一度スーパーバンタム級に戻し、戦うべき相手と激突するシナリオがある事も表明。いずれもあくまで予定ではあるとはいえ、もし全て実現すれば周辺階級も巻き込んだ大きな影響が発生すると思われる。

【世界的評価】

パウンド・フォー・パウンドに選出されている事から当然と言えば当然であるものの、世界的評価は極めて高く、近隣の軽量級階級のみならず中重量級を主戦場とする王者達にも大きな影響を持つ。
彼らの内その多くが井上のスタイルを参考にしている及び井上のファンである事を公言しており、2024年現在最も多くのリスペクトを集めている選手と考えて相違ないだろう。
上述のファイトスタイルの節で説明されているような、単純なボクサーとしてのスキルのみならず、近年は年一回ペースが増えてきた王者の試合ペースの中でも年最低2回以上こなすハイペースな試合消化率や、その一つ一つのクオリティの高さ、KOを量産するというキャッチーでわかりやすい強さ、そして対戦相手の質の高さへの評価も高い。
特に対戦相手については、バンタム級以降(後のも含めた)世界王者未経験者がキャリアの中で3名しかおらず、調整試合と呼べるような試合を全くしない点は高く評価されている。

パウンド・フォー・パウンドに於いては、特に漫画等の影響から日本では「体重が同一と仮定したら誰が一番強いかを決めるランキング」と勘違いされがちなのだが、実際には「全階級を通じて誰が最も優秀なボクサーであるかを経歴と表層上の戦力評価で定めるランキング」であるので、常に強い対戦相手を選んでいる井上の評価が高く地位をキープしているのは当然と言える。

一方で、口を揃えて残念がられるのが矢張り軽量級であることと、(的外れな)批判の的になっているのは北米を主戦場としていないこと。
階級に関しては、その強さが広まり“マニー・パッキャオ2世”や“新生マニー・パッキャオ”と呼ぶ層も増えてきたことで過剰に期待されてしまっている部分もあり、無闇に階級を上げろと煽る人間に対して苦言を呈されることも少なくない。

北米を主戦場にしていたことについては、矢張り世間的には“ボクシングはアメリカのスポーツ”という古い考えがどうしても払拭できていないということなのだろう。(メイウェザーあたりが井上を認めたがらないのもその辺が気に食わないだけぽいし)

【子供の頃から】

ボクシングに関しては子供の頃から天才的で、家族で温泉旅行に出かけた際に楽しくて歌っていたら酔客に「うるさい」と怒鳴られ生意気にも「うるさくない」と言い返したところ、相手がムキになって殴りかかって来たのを颯爽と躱していなしてしまったという。

小さい時は無鉄砲な性格で、あるときに自転車で歩道橋の階段を勢いよく降りようとして転んだ時には母親は青ざめたそうだが本人は全くの無傷だった。



【実は…】

リング上では磨き抜かれたファイティングコンピューターやメアリー・スーの如く活躍を見せる井上だが、実はプライベートでは天然を思わせるエピソードが多い。

例としては、
  • 奥さんと海外旅行に出かけようとしたらパスポートの期限が切れてて出国できずに国内旅行に切り替えた(期限を示すJanuaryを適当に見ていたのかJapanと読み間違えていたらしい。)
  • タイトルマッチ前の会見に備えて自分でベルトを用意して持って行くのだが、よく玄関口に忘れてしまうとのこと(ひどいのはハリウッドで行われた試合でも同じことをやって飛行機内で気づき取り返しが付かなくなってしまってからTweet……忘れたことを自分から発信した上で「取られるつもりがないから持ってこなかったと言い訳しよう」と言い訳まで含めて公にゲロってしまった)。
  • 2022年に世間がワールドカップで盛り上がっている時期に「暇で仕方がないのでおすすめの映画を教えてください」と発信してしまった。*17




追記・修正は井上尚弥にTKO勝利を収めた方がお願い致します。

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最終更新:2025年04月12日 18:48

*1 在学中に相模原青陵高校に改称。現在は相模原弥栄高校と合併し校名も弥栄。

*2 タイソンに限らず、欧米では表記の都合「イニュウウェイ」もしくは「イニョウェイ」となってしまいがちな為。そういうのもあって、現在では本名以上に「THE MONSTER」の異名の方が世界的には広まっている

*3 恐らくは、これは「どんなにいい試合をしても改善点を指摘するのが俺の役目(意訳)」と語る父・真吾トレーナーの方針もあるのだろう。

*4 例外的に下手と言われたのは“使う必要がなかった”から練習していなかったクリンチ位のものだったが、後の試合で見事克服した。

*5 ただし、ボクサー(格闘家)は基本的に対外的には痩せ我慢に見えるような状況でも強気の発言をするものであり、そうしなければいけない……という事情は踏まえておくべき。

*6 Referee Stop Contest=所謂TKOに相当する圧倒的なポイント差が付いていると判断された場合の試合途中での勝利判定勝ち。

*7 先輩の八重樫東、ジム代表で師匠の大橋秀行、その師匠の米倉健司……と大橋ジム系統の歴代のトップ選手達が挑んでは失敗してきた記録を井上が達成。

*8 2015年に田中恒成がプロ5戦目で獲得と記録更新。

*9 タイトルを管理する団体がタイトル維持の為に王者に対して挑戦者を予め決定してから行わせる試合。

*10 気になる方は試合映像を検索。根っからのボクシングファンの大和田常務の玄人裸足の解説とドラマに劣らぬ大興奮の絶叫が聞ける。

*11 当時開催されていたトーナメント形式のボクシング興行。世界王者、あるいはそこへの挑戦資格を持つランカーのみに参加資格が与えられ、井上が参加するバンタム級では空位だったWBC王者以外の全王者が参加した。

*12 ややこしいが、WBAには正規王者の更に上にスーパー王者というベルトが設けられており、形式上団体を代表する王者は空位でない限りこのスーパー王者が務めることとなっている。そして、当時WBAはライアン・バーネットがスーパー王者であった(そういう意味では、当時の井上は厳密に言えば3階級制覇達成済みとは実は言いにくかったりもする)。そこで、IBFは団体の代表者では無い者が持つベルトと自団体のベルトの統一を認めない採択を取ったわけである。その辺の詳細は書けばキリがないので割愛するが、ともかくIBFはWBAの王者と統一戦したいならスーパー王者とやるべきというスタンスをとったのだ

*13 リングマガジンが独自に製作しボクサーに授与しているベルト。正式に世界王者である事を認定したベルトではないものの、四団体の全王者を含めて階級最強であるとリングマガジンが認定している事を証明するベルトである為、ある意味四団体のベルト以上の価値を持つ。というより、その性質上四団体のいずれ王者でもない選手がこの持つ方法はほとんど無い

*14 実際、映像では茫然自失としたドネアが映されており、本人も自分が倒された事実すら気付かなかったと回想している。更に言えば、この時の井上の右ストレートは余りに速すぎて等速では遠目からでも視認できないレベル。スローモーションでようやく“右ストレートで倒した”と解る位だった。(余談だが、この試合中継を観戦しているのを配信していたカシメロは当初は井上をバカにした態度ではしゃいでおり、この時のダウンもカシメロをして“視えなかった”のと状況から偶然にも肘が当たったのだろうと分析したていたのだが、その後のスローモーションで井上が狙いすましたカウンターで倒したことを知ると、一転して真顔で無言となったことが話題となった。

*15 実際に井上のパンチを受けたたらを踏みながら後退するドネアに対し、井上が一瞬追撃を躊躇してレフェリーに視線をやる一幕が映像として残っている

*16 アゴの先端を引っ掛けられるなど、身体の芯には響かないがいっとき立てなくなるノックダウンの事。もちろん深く刺されば10カウントまで立てない。軽いが固くて早いソリッドなパンチで戦うボクサーはそれを狙う。

*17 流石に総ツッコミを受けたことを番組で親交のある松本人志に明かした時にはやっぱりツッコまれている。