PlayStation

「PlayStation」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

PlayStation - (2018/09/27 (木) 23:14:55) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2018/09/27 Thu 23:??:??
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます

----
&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
----

#center(){じょん!}


&bold(){プレイステーション(PlayStation(PS))}は、1994年12月3日にSCEから発売された家庭用ゲーム機。
90年代中頃からの、所謂&bold(){次世代ゲーム機戦争}の勝者として知られている。
最終的な出荷台数は全世界で一億を越えており、これは家庭用ゲーム機としては世界初の記録であった。
当初は失敗すると見られていた家電メーカーのゲーム業界参戦は見事に果たされ、後継機[[PlayStation2]]の時代まで絶対的な覇権を握ることになった。

メーカーの推奨する略称は『PS』だが、ユーザーからは広く『プレステ』と呼ばれている。
ステは捨てに通じるから縁起が悪いとメーカーからは思われ『プレステ』と呼ばないで、との広告まで出されたことがある。

本体とコントローラーのデザインは、反対の声が大きい中で開発スタッフを支持して、独断でプロジェクトを了承させた、当時のSONY社長の大賀典雄の指示により、当時の基本だった任天堂タイプからの脱却を図る目的があった。



【歴史】
『PlayStation』とは、元々はプロジェクトの中核である久夛良木健が付き合いのあった任天堂と共同開発していた、スーパーファミコン用のCD-ROM互換機の名称だったが、これを任天堂から一方的に反故にされて頓挫したプロジェクトの名称である。((本家wikiとか関係者の著書を参考にするか、詳しくてまとめられる人は追記願います。))

これも、ただでさえSONYがゲーム業界に挑戦することについて、だだでさえ逆風が吹く中で開発スタッフからも「縁起が悪い」との声があったが、既に商標登録している関係等から押し通され、結果的にはリベンジを果たすこととなった。
&font(l){時に問題視されることもある久夛良木氏の挑発的な発言はこの辺の事情があるからかも。}

この第5世代に属するゲーム機より、現在にも通ずる光ディスク(当時はCD-ROM)によるソフトや、3Dポリゴンを利用した三次元的な見せ方やゲーム性等が主流となった。

また、家電メーカーであったSONYの本格的なゲーム業界の参入に伴い、ソニーレコード仕込みの、独自の販売ルートを築いて流通の流れを握り、店舗毎に好き勝手にしていた流通価格を一本化しようとしたり、将来的に本体の開発価格が抑えられることを&ruby(・・・・){見越して}販売を開始し、実際に段階的に本体の値段を下げていき、興味を持った新規の販売層のニーズに合致させる等、上手く時流を読めた戦略も功を奏して、順調に販売台数を伸ばしていったという経緯がある。
当初は39,800円だった販売価格は、最終的に15,000円になっている。
ゲームソフトも、高騰化して一万円を越えることもあったROMカセット時代に比べ、CD化に伴い5,800円からに抑えられた。
コストカットの為に裏面が黒かったのも特徴。

また、所謂ベスト版と呼ばれるソフトの販売形を始めたのもSCEであり、こうした動きは現在までのゲーム業界のスタンダードとなっている。
&font(l){尚、こうした活動によりそれまでの任天堂主体の流通経路は壊滅、本来は値下げできるような仕様ではなかったSEGAは値下げ競争に応じた結果、粛々と赤字を計上する羽目になった。]

当初は、僅かに発売が早く、PlayStationが苦手な2D表示が得意だったことを活かしてアーケードからの高レベルな移植を実現してゲーマーに好まれていたSEGA SATURN(SS)に後れを取っていたと言われるが、安価なCD-ROMの特徴を活かし、新作ゲームの体験版やPV等をゲームや雑誌付録、店舗での無料配布させた宣伝や、現在でも話題に上がる&bold(){ユニークな自社制作CM}等々で注目を集めていき、96年~99年には一人勝ちを収めることになったとされている。

それまでは、大人になるとゲームは卒業していたものたが、PSは幅広い年齢やゲーマーからライト層までと、幅広い層に受け入れられるゲームを登場させていたことや、90年代後半は正にゲーム機が娯楽の頂点の地位にあったためか、文字通りに子供から大人までがPSを購入したのである。

また、ファミコン(FC)~スーパーファミコン(SFC)までのキラータイトルであったスクウェアの『FFシリーズ』とエニックスの『DQシリーズ』はどちらもPSで発売されており、登場が遅れたドラクエはともかく((ただし、初代PSの国内最高売上は『DQ7』の406万本))、発表が遅れていた任天堂の次世代機Nintendo 64を待たずに、スクウェアのPlayStation参入が決定したことは、ライバルであったセガと任天堂に大きな打撃を与えることになったとされる。

また、ただ参入を待つのではなく、自ら安価で開発機材を提供して広くサードパーティーも集めた。
SCEが開発プログラムの提供までしたことについては一部で不満の声も上がったが、後には現場から非常に有難いものであると認識されたとのこと。
当初はCD-ROM機のゲームの評判が悪かったことや、3D表示による新しいゲーム開発に尻込みするメーカーも多かったものの、皮肉にもライバルとなるSEGAが『Virtua Fighter』等のポリゴンゲームを成功させたことで、挑戦の声を挙げるメーカーも増えたのだという。
また、アーケードでSEGAのライバル関係にあり、更には任天堂との仲が悪くなっていたnamcoはPSと独占契約を結び、ローンチタイトルともなった『RIDGE RACER』や、色物転じて王道となった『鉄拳』がPS初期の牽引役となった。

元が音楽と深く関わりのあるメーカーだったからか、クリエイターをアーティストと呼んで、インタビューを掲載させる等して注目を集めさせたりもした。

【形式番号】
PSの特徴としては、当時の常識だった2Dが苦手で、3Dが得意なことが挙げられる。
当時は表現が難しく高価だった3Dポリゴンを独自の構造で表現することが出来た為に、アーケード等からの移植には(ポリゴンゲー除く)向いていないかわりに、数々の魅力的なオリジナルゲームが多く発売された。

前述の様に将来的な技術の向上と安価な代替部品の登場を見越して本体が作られており、この久夛良木の目算通りに、PSは型番が進む毎に本体性能の最適化と余計なパーツの簡略化が進められ、販売価格も抑えられていった。
&font(l){しかし、これによって型番によっては動けないソフトが出たり、古い型番は修理の対象外となる等の問題も出た。}

最後期の小型PSであるPlayStation One(SCPH-100)は、最後の型番となったSCPH-9000と中身は一緒であり、最初期のSA-1000から半分程度の大きさにまで基盤が小型化している。

この他、SCPH-5000では磨耗による劣化が問題視されていたCD読み取り部分が改善され、SCPH-7000では同じく読み取り部分の改善の他、画像処理プロセッサを変更したことによりポリゴン描画性能が向上しているが、以前の型番との違いがあっては不味いためか、公称では変化していないとされている。

その他、型番事にセット内容や、出力端子の仕様等が違っており、幾らで何のセットの時に買ったのか?は、ユーザーの話題の一つでもあった。




……2018年12月3日、世間の流行りに乗ってか『プレイステーション クラシック』の発売が決定している。

1 2 3!



追記修正お願いします。

#include(テンプレ2)
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600)
}
#include(テンプレ3)

#openclose(show=▷ コメント欄){
#areaedit()
#comment
#areaedit(end)
}