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&font(#6495ED){登録日}:2023/03/27 Mon 05:53:50
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます
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&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
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#center(){&bold(){&sizex(6){俺にかまわず逃げてくれ ツインターボ}}}
#right(){1994年 第39回有馬記念 パドックに掲げられた横断幕より}
&bold(){&ruby(Twin Turbo){ツインターボ}}とは日本の元[[競走馬>サラブレッド]]。
メディアミックス作品『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
→[[ツインターボ(ウマ娘 プリティーダービー)]]
目次
#contents
*【データ】
生年:1988年4月13日
死没:1998年1月15日(10歳)
父親:ライラリッジ
母親:レーシングジイーン
母父:サンシー
調教師:笹倉武久 (美浦)→秋葉清一 (上山)
[[馬主]]:黒岩晴男
生産者:福岡敏宏
産地:静内町
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億8,398万円 (中央)
通算成績:35戦6勝 [6-2-0-27]
(中央) 22戦5勝 [5-2-0-15]
(地方) 13戦1勝 [1-0-0-12]
主な勝鞍:'93七夕賞(GⅢ)、'93産經賞オールカマー(GⅢ)
*【概要】
1988年4月13日生まれの鹿毛の牡馬。父はライラリッジ。母はレーシングジイーン。
また母父にはフランスの重賞を2勝したサンシーなどもいる。
あらゆるレースで大逃げをかまし、大抵は逆噴射からの惨敗、されど時折逃げ切っての大勝によって周囲を沸かせるなど非常に両極端な競走馬として有名であり、中央競馬における「最後の個性派」とも呼ばれていた。
しかし、その注目的な大逃げ戦術も、小柄な馬体と[[彼の登場以前に活躍していた大逃げ馬>カブラヤオー(競走馬)]]と同じく他の馬を怖がる臆病な気質から来るもので、「そうせざるを得なかった」という側面も大きかった。
生涯戦績は中央、地方含めて35戦6勝、獲得賞金は1億8670万8000円。
主な騎手としては中舘英二や大崎昭一、地方時代では海方栄二などが挙げられる。
*【現役時代】
その気性からゲート試験に4ヶ月もの期間を要したせいで、デビューは現3歳3月と凄まじく遅れた。
デビュー戦と次走の条件戦を大逃げ戦術で2連勝し、3戦目には日本ダービーの出走権を得るために青葉賞に挑戦。
しかし、ここで初めての逆噴射をかまし最終的に9着と大敗。デビュー戦と条件戦だけでは獲得賞金も当然足りないためダービーは断念となる。
次走の条件戦でも5着に終わるものの、5戦目となるGⅢのラジオたんぱ賞は勝利し、初の重賞タイトルを獲得した。
夏季は休養に充てられ、秋にはセントライト記念や福島記念に出走するも、双方2着と惜しい結果に。
ともあれ重賞でも戦えることは証明され、人気薄だが注目の逃げ馬として年末の有馬記念にて初のGⅠタイトル挑戦となったが、結果は14着ブービーと惨敗。
そのうえレース後に鼻出血が判明((馬は基本的に鼻でしか息を吸うことができない。口は吐くだけなのだ。よって馬にとっての鼻出血は「窒息しかかっている」のも同然の、極めて重い症状なのである。少なくてもレースどころではない。))、その後一年近く休養する羽目になり、大事な現4歳シーズンを丸ごと棒に振る。
復帰後もかつてのような実力を見せられず、掲示板にすら乗れない負けっぱなしの日々が半年以上続く。
そんな中で迎えることになった1993年7月11日、七夕賞。
この日の福島競馬場の入場者は実に47391人を数え、これは今なお破られていないレコード記録となっている。
場内が異様とも言える熱気に包まれる中、ツインターボは騎手に逃げ戦法を得意としていた中舘英二を据えて出走。
前半1000m57秒4というハイペースで逃げ、その後も珍しく失速することなくゴールまで爆走した。
#center(){&bold(){&sizex(6){吼えろツインターボ!}}}
#center(){&bold(){全開だ!ターボエンジン逃げ切った!}}
#right(){実況:高橋雄一(福島テレビ)}
同じ逃げ戦術のアイルトンシンボリやダイワジェームスを押さえて見事ゴールイン、2年ぶりの勝利を飾った。
この際、中舘は「自分は掴っていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」とコメントしている。
そして続くのはもう一つの代表レースとして名高いオールカマー。
既に[[ミホノブルボン>ミホノブルボン(競走馬)]]や[[メジロマックイーン>メジロマックイーン(競走馬)]]を下し、ヒールと呼ばれながらも強豪として名が知れ渡っていた[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]を始めとしたライバルたちが出走する中、
七夕賞と同じく騎手を務めることになった中舘は、七夕賞での大逃げを逆手に取ったミドル逃げ戦法を展開。
#center(){&bold(){さぁ早くもツインターボだけが!ツインターボだけが!第4コーナーのカーブに入ってきました!}}
#center(){&bold(){ツインターボが大きく逃げる!ツインターボが大きく逃げる!}}
#center(){&bold(){そしてライスは現在4番手!ライスシャワーは現在4番手!}}
#center(){&bold(){さぁ200の標識にツインターボがかかる!ツインターボが200の標識を切った!先頭ツインターボ!}}
#center(){&bold(){そしてホワイトストーンが伸びる!ホワイトストーンが伸びる!}}
#center(){&bold(){そしてライスシャワーは届かないか!?ライスシャワーこれはもう無理!}}
#center(){&bold(){&sizex(6){11番のツインターボ!見事に決めたぞ!逃亡者!ツインターボ!!}}}
#right(){実況:塩原恒夫(フジテレビ)}
多くの騎手が抱いていた「ツインターボは終盤で潰れるから、それまで無理に追う必要はない」というイメージを完全に逆手に取り、
後続集団に10馬身以上もの差を付けながら最後まで落ちることなく勝利。重賞2連勝を飾ることになった。
この七夕賞とオールカマーで見せた活躍から、ツインターボの個性派逃亡者としてのイメージは一際強くなったものの、中央における勝利はここまで。
以降のツインターボは今日まで語られるような「かっ飛ばして逆噴射するネタ馬」に完全に成り果ててしまい、
その後も[[ヤマニンゼファー>ヤマニンゼファー(競走馬)]]の1993年天皇賞(秋)や[[ナリタブライアン>ナリタブライアン(競走馬)]]の1994年有馬記念、果ては大井競馬場の帝王賞等も含めた数多くの重賞に挑むことになるが、ことごとく惨敗。
1994年有馬記念に至っては、どう考えても場違いな成績だった事から&bold(){あまりにも盛り上がりに欠ける面子((当初の目玉とされていたナリタブライアンと[[ビワハヤヒデ>ビワハヤヒデ(競走馬)]]の兄弟対決はビワハヤヒデの故障引退で早々に頓挫。無事出走できたGⅠ馬(当時)も故障明けのライスシャワー、距離不安のあるネーハイシーザー、1971年まで遡らないと勝ちがない牝馬の[[ヒシアマゾン>ヒシアマゾン(競走馬)]]とチョウカイキャロルと控えめに言って不安要素しかない有様で、人気は完全にナリタブライアン一強状態だった。))だったので賑やかしに呼ばれた}なんて疑惑が生じる始末。
1995年5月の新潟大賞典を最後に山形県の上山競馬場(2003年廃止)へと移籍することに。
かつての中央競馬の人気者とあって注目度は高く、移籍後初戦となる文月特別では普段の三割増の観客が訪れたという。
鞍上を務めた海方栄二も「写真を撮られるなんて初めてだった」と語る程であった。
ツインターボはその期待に応えるようにいつもの逃亡劇を見せ、見事初戦を勝利で飾る。
しかしその後は再び低空飛行が続き、結局地方でもこの1勝のみに終わってしまった。
1996年8月、この年創設された交流重賞・クラスターカップ(盛岡競馬場)に出走し11着。このレースがラストランとなった。
*【引退後】
宮城県の齊藤牧場で種牡馬入りを果たすも、繁殖成績は期間の短さもありわずか5頭(デビューできたのは4頭)。さらに繁殖入りする仔も現れず&bold(){全頭がいずこかに消えてしまったため}、残念な事にツインターボの血は絶えてしまった。
そして1998年1月15日に心不全を発症し、10年という余りにも短い馬生を全力で駆け抜けこの世を去ることになった。
ちなみに現在ツインターボが眠る地には、彼の死後同じ牧場で余生を過ごしたダービー馬[[アイネスフウジン>アイネスフウジン(競走馬)]]・中山大障害馬ゴッドスピード([[オグリキャップ>オグリキャップ(競走馬)]]と同じ調教師と馬主の管理馬)が共に祀られている。
*【創作作品での登場】
・&bold(){『優駿たちの蹄跡』}
「ツインターボとその仲間たち」に登場。
一人で突っ走りがちな逃げ馬ファンであるデザイナーの視点で、引退後の生活が描かれている。
・&bold(){『優駿劇場』}
第39回オールカマー回に登場。
%%意外にも%%策士タイプであり、レース前夜に偵察に来たライバル達にわざと違う作戦を仄めかす事でスタミナの成長分から目をそらし、レース中のペース配分を誤認させる事に成功。
そのまま逃げ切り勝ちをした。
・&bold(){『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』}
2021年のアニメ第2期に合わせ、2020年12月に実装が決まった。
「個性派」だけあって青髪((色の元ネタはモチーフ馬のメンコの色。ウマ娘では基本的にモチーフ馬の毛色が髪色に採用されるが数少ない例外。))、グルグル目のオッドアイ、ギザ歯、アホ毛、蛍光色のド派手な衣装等、個性の塊のようなビジュアルをしたアホの子。
アニメではチーム「カノープス」に所属。
同期の出世頭であるトウカイテイオーを一方的にライバル視しているが当のトウカイテイオーからは「ダブルターボ」や「ダブルジェット」など毎回名前を間違えられるなど相手にされていない。
しかし、三度目の骨折によってトウカイテイオーが引退を決めた際は、テイオーの引退を止めるべくオールカマーに参戦。
見事に逃げ切り勝ちして「諦めなければ必ずやれる」と示すことで、かつてテイオー自身が語った「最後まで諦めないことの大切さ」を思い出させ、以後は「師匠」と呼ばれるように。
*【余談】
主戦騎手を務めた中館英二は、ツインターボ号について&bold(){「乗っていて楽しい馬ではなかった」}と意外に辛辣な評価を行っている。
中館騎手によるとゲートで暴れるなど手こずらされた思い出が強いそうで、&bold(){「出遅れでもして馬群に飲まれたらツインターボがパニックを起こして、僕は死ぬかもしれないと思った」}とも語っている。
その一方で自身の知名度を上げてくれた馬でもあったので、非常に印象深い馬だとも語っている。
ツインターボ号は前述のように福島競馬場における入場者レコードの持ち主であり、また福島競馬場のメモリアルホースにも選ばれた人気者。
他には切手になってたり、福島競馬場内のメモリアルコーナーでも大きく扱われていたりと、福島においてはまさにヒーローと言っていいほどの扱いを受けている。
事実2000年に日本中央競馬会が実施したファン投票ではGⅠ未勝利にも拘らず100位以内にランクイン((他にGⅠ未勝利でランクインしたのは[[ステイゴールド]](この時はGⅠ未勝利だったが最後の最後で海外GⅠを制覇した)と同期で入賞率の高かった[[ナイスネイチャ>ナイスネイチャ(競走馬)]]のみ。))。
福島競馬場で実施したメモリアルレースの名を投票によって決めたが、この時は2位に2倍もの差をつけ1位((しかもこのレースの勝ち馬は逃げ馬。))。
メモリアルホース選出の投票においても&bold(){総投票数の約半数、2位に10倍以上の差をつける圧倒的な大逃げ}、まさに記録ではなく記憶に残る馬であった。
また、先述のように晩年は山形→宮城と渡り歩くなど東北と縁が深かった。
実はツインターボは1レースだけ逃げなかったことがある。1995年4月13日の帝王賞がそうで、鞍上は武豊。
スタートで思い切り出遅れたのもあったが、結果は最下位。
レース後、武は「最初から逃げるつもりはなかった」という旨の発言をしたため、ツインターボの逃げを見たかったファンからは顰蹙を買ってしまった。
競馬ライターにして後に種牡馬辞典を刊行していることで有名な加藤栄も、この時の武の騎乗に対し「武はまったくもってつまらない競馬をした」「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷をつけた」と批判している。
…時は流れ令和時代。2021年福島記念を鮮やかに逃げ切り重賞初勝利を挙げた&bold(){パンサラッサ}を指して、人々はかつて福島を沸かせた逃げ馬になぞらえこう呼んだ…
&bold(){令和のツインターボ}と。
ツインターボとは血統も(ターボは父系・パンサラッサは母系に大種牡馬[[ノーザンダンサー>ノーザンダンサー(競走馬)]]の血が入っている以外)異なり、実績面も後に海外GⅠ二勝を記録し、日本でも2022年天皇賞(秋)で大逃げから2着に食い込む活躍を見せるなど、似て非なるものと考える人もいるだろう。
それでもその逃げる姿や勝負服の青と緑袖のカラーリング((ツインターボの黒岩晴男氏は「青、白袖緑二本輪」、パンサラッサの広尾レースは「青、袖緑一本輪」。袖が白地か青地か、輪が二本か一本かの違いで、カラーリングはよく似ている。))には、遠い日のターボが重なって見えるのかも知れない…。
なぜかツインターボは背広を着た人間に対してかなりの嫌悪感を示していたという。
追記・修正は、ただ一つの戦いを貫き通せる方がお願いします。
#include(テンプレ2)
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,6)
}
#include(テンプレ3)
#openclose(show=▷ コメント欄){
#areaedit()
- ツインターボを文字だけで表現するのはやっぱり限界があるね。映像を見ないとこの馬の魅力は伝わらない(ほかの馬にも言えることだが) -- 名無しさん (2023-03-27 07:31:57)
- 「最強の逃げ馬はミホノブルボンだけど最高の逃げ馬はツインターボ」っての好き -- 名無しさん (2023-03-27 07:58:07)
- 競馬はどこまで行ってもギャンブルかも知れないが、この馬の話をする時だけは皆、金を置き去りにして夢やロマンを語り出す。そりゃ名馬だわ。 -- 名無しさん (2023-03-27 14:18:46)
- 何処かで見たパンサラッサが令和のツインターボじゃなくて、ツインターボが平成のカブラヤオーだったってコメントが好き。 -- 名無しさん (2023-08-26 08:58:19)
- この馬をみると、誰かを惹きつけるのも才能の1つなんだとわかる。G1馬でも惹きつけることができない馬も中にはいるしな -- 名無しさん (2024-03-13 04:13:42)
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#right(){1994年 第39回有馬記念 パドックに掲げられた横断幕より}
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メディアミックス作品『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
→[[ツインターボ(ウマ娘 プリティーダービー)]]
目次
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*【データ】
生年:1988年4月13日
死没:1998年1月15日(10歳)
父親:ライラリッジ
母親:レーシングジイーン
母父:サンシー
調教師:笹倉武久 (美浦)→秋葉清一 (上山)
[[馬主]]:黒岩晴男
生産者:福岡敏宏
産地:静内町
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億8,398万円 (中央)
通算成績:35戦6勝 [6-2-0-27]
(中央) 22戦5勝 [5-2-0-15]
(地方) 13戦1勝 [1-0-0-12]
主な勝鞍:'93七夕賞(GⅢ)、'93産經賞オールカマー(GⅢ)
*【概要】
1988年4月13日生まれの鹿毛の牡馬。父はライラリッジ。母はレーシングジイーン。
また母父にはフランスの重賞を2勝したサンシーなどもいる。
あらゆるレースで大逃げをかまし、大抵は逆噴射からの惨敗、されど時折逃げ切っての大勝によって周囲を沸かせるなど非常に両極端な競走馬として有名であり、中央競馬における「最後の個性派」とも呼ばれていた。
しかし、その注目的な大逃げ戦術も、小柄な馬体と[[彼の登場以前に活躍していた大逃げ馬>カブラヤオー(競走馬)]]と同じく他の馬を怖がる臆病な気質から来るもので、「そうせざるを得なかった」という側面も大きかった。
生涯戦績は中央、地方含めて35戦6勝、獲得賞金は1億8670万8000円。
主な騎手としては中舘英二や大崎昭一、地方時代では海方栄二などが挙げられる。
*【現役時代】
その気性からゲート試験に4ヶ月もの期間を要したせいで、デビューは現3歳3月と凄まじく遅れた。
デビュー戦と次走の条件戦を大逃げ戦術で2連勝し、3戦目には日本ダービーの出走権を得るために青葉賞に挑戦。
しかし、ここで初めての逆噴射をかまし最終的に9着と大敗。デビュー戦と条件戦だけでは獲得賞金も当然足りないためダービーは断念となる。
次走の条件戦でも5着に終わるものの、5戦目となるGⅢのラジオたんぱ賞は勝利し、初の重賞タイトルを獲得した。
夏季は休養に充てられ、秋にはセントライト記念や福島記念に出走するも、双方2着と惜しい結果に。
ともあれ重賞でも戦えることは証明され、人気薄だが注目の逃げ馬として年末の有馬記念にて初のGⅠタイトル挑戦となったが、結果は14着ブービーと惨敗。
そのうえレース後に鼻出血が判明((馬は基本的に鼻でしか息を吸うことができない。口は吐くだけなのだ。よって馬にとっての鼻出血は「窒息しかかっている」のも同然の、極めて重い症状なのである。少なくてもレースどころではない。))、その後一年近く休養する羽目になり、大事な現4歳シーズンを丸ごと棒に振る。
復帰後もかつてのような実力を見せられず、掲示板にすら乗れない負けっぱなしの日々が半年以上続く。
そんな中で迎えることになった1993年7月11日、七夕賞。
この日の福島競馬場の入場者は実に47391人を数え、これは今なお破られていないレコード記録となっている。
場内が異様とも言える熱気に包まれる中、ツインターボは騎手に逃げ戦法を得意としていた中舘英二を据えて出走。
前半1000m57秒4というハイペースで逃げ、その後も珍しく失速することなくゴールまで爆走した。
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#right(){実況:高橋雄一(福島テレビ)}
同じ逃げ戦術のアイルトンシンボリやダイワジェームスを押さえて見事ゴールイン、2年ぶりの勝利を飾った。
この際、中舘は「自分は掴っていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」とコメントしている。
そして続くのはもう一つの代表レースとして名高いオールカマー。
既に[[ミホノブルボン>ミホノブルボン(競走馬)]]や[[メジロマックイーン>メジロマックイーン(競走馬)]]を下し、ヒールと呼ばれながらも強豪として名が知れ渡っていた[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]を始めとしたライバルたちが出走する中、
七夕賞と同じく騎手を務めることになった中舘は、七夕賞での大逃げを逆手に取ったミドル逃げ戦法を展開。
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多くの騎手が抱いていた「ツインターボは終盤で潰れるから、それまで無理に追う必要はない」というイメージを完全に逆手に取り、
後続集団に10馬身以上もの差を付けながら最後まで落ちることなく勝利。重賞2連勝を飾ることになった。
この七夕賞とオールカマーで見せた活躍から、ツインターボの個性派逃亡者としてのイメージは一際強くなったものの、中央における勝利はここまで。
以降のツインターボは今日まで語られるような「かっ飛ばして逆噴射するネタ馬」に完全に成り果ててしまい、
その後も[[ヤマニンゼファー>ヤマニンゼファー(競走馬)]]の1993年天皇賞(秋)や[[ナリタブライアン>ナリタブライアン(競走馬)]]の1994年有馬記念、果ては大井競馬場の帝王賞等も含めた数多くの重賞に挑むことになるが、ことごとく惨敗。
1994年有馬記念に至っては、どう考えても場違いな成績だった事から&bold(){あまりにも盛り上がりに欠ける面子((当初の目玉とされていたナリタブライアンと[[ビワハヤヒデ>ビワハヤヒデ(競走馬)]]の兄弟対決はビワハヤヒデの故障引退で早々に頓挫。無事出走できたGⅠ馬(当時)も故障明けのライスシャワー、距離不安のあるネーハイシーザー、1971年まで遡らないと勝ちがない牝馬の[[ヒシアマゾン>ヒシアマゾン(競走馬)]]とチョウカイキャロルと控えめに言って不安要素しかない有様で、人気は完全にナリタブライアン一強状態だった。))だったので賑やかしに呼ばれた}なんて疑惑が生じる始末。
1995年5月の新潟大賞典を最後に山形県の上山競馬場(2003年廃止)へと移籍することに。
かつての中央競馬の人気者とあって注目度は高く、移籍後初戦となる文月特別では普段の三割増の観客が訪れたという。
鞍上を務めた海方栄二も「写真を撮られるなんて初めてだった」と語る程であった。
ツインターボはその期待に応えるようにいつもの逃亡劇を見せ、見事初戦を勝利で飾る。
しかしその後は再び低空飛行が続き、結局地方でもこの1勝のみに終わってしまった。
1996年8月、この年創設された交流重賞・クラスターカップ(盛岡競馬場)に出走し11着。このレースがラストランとなった。
*【引退後】
宮城県の齊藤牧場で種牡馬入りを果たすも、繁殖成績は期間の短さもありわずか5頭(デビューできたのは4頭)。さらに繁殖入りする仔も現れず&bold(){全頭がいずこかに消えてしまったため}、残念な事にツインターボの血は絶えてしまった。
そして1998年1月15日に心不全を発症し、10年という余りにも短い馬生を全力で駆け抜けこの世を去ることになった。
ちなみに現在ツインターボが眠る地には、彼の死後同じ牧場で余生を過ごしたダービー馬[[アイネスフウジン>アイネスフウジン(競走馬)]]・中山大障害馬ゴッドスピード([[オグリキャップ>オグリキャップ(競走馬)]]と同じ調教師と馬主の管理馬)が共に祀られている。
*【創作作品での登場】
・&bold(){『優駿たちの蹄跡』}
「ツインターボとその仲間たち」に登場。
一人で突っ走りがちな逃げ馬ファンであるデザイナーの視点で、引退後の生活が描かれている。
・&bold(){『優駿劇場』}
第39回オールカマー回に登場。
%%意外にも%%策士タイプであり、レース前夜に偵察に来たライバル達にわざと違う作戦を仄めかす事でスタミナの成長分から目をそらし、レース中のペース配分を誤認させる事に成功。
そのまま逃げ切り勝ちをした。
・&bold(){『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』}
2021年のアニメ第2期に合わせ、2020年12月に実装が決まった。
「個性派」だけあって青髪((色の元ネタはモチーフ馬のメンコの色。ウマ娘では基本的にモチーフ馬の毛色が髪色に採用されるが数少ない例外。))、グルグル目のオッドアイ、ギザ歯、アホ毛、蛍光色のド派手な衣装等、個性の塊のようなビジュアルをしたアホの子。
アニメではチーム「カノープス」に所属。
同期の出世頭であるトウカイテイオーを一方的にライバル視しているが当のトウカイテイオーからは「ダブルターボ」や「ダブルジェット」など毎回名前を間違えられるなど相手にされていない。
しかし、三度目の骨折によってトウカイテイオーが引退を決めた際は、テイオーの引退を止めるべくオールカマーに参戦。
見事に逃げ切り勝ちして「諦めなければ必ずやれる」と示すことで、かつてテイオー自身が語った「最後まで諦めないことの大切さ」を思い出させ、以後は「師匠」と呼ばれるように。
*【余談】
主戦騎手を務めた中館英二は、ツインターボ号について&bold(){「乗っていて楽しい馬ではなかった」}と意外に辛辣な評価を行っている。
中館騎手によるとゲートで暴れるなど手こずらされた思い出が強いそうで、&bold(){「出遅れでもして馬群に飲まれたらツインターボがパニックを起こして、僕は死ぬかもしれないと思った」}とも語っている。
その一方で自身の知名度を上げてくれた馬でもあったので、非常に印象深い馬だとも語っている。
ツインターボ号は前述のように福島競馬場における入場者レコードの持ち主であり、また福島競馬場のメモリアルホースにも選ばれた人気者。
他には切手になってたり、福島競馬場内のメモリアルコーナーでも大きく扱われていたりと、福島においてはまさにヒーローと言っていいほどの扱いを受けている。
事実2000年に日本中央競馬会が実施したファン投票ではGⅠ未勝利にも拘らず100位以内にランクイン((他にGⅠ未勝利でランクインしたのは[[ステイゴールド]](この時はGⅠ未勝利だったが最後の最後で海外GⅠを制覇した)と同期で入賞率の高かった[[ナイスネイチャ>ナイスネイチャ(競走馬)]]のみ。))。
福島競馬場で実施したメモリアルレースの名を投票によって決めたが、この時は2位に2倍もの差をつけ1位((しかもこのレースの勝ち馬は逃げ馬。))。
メモリアルホース選出の投票においても&bold(){総投票数の約半数、2位に10倍以上の差をつける圧倒的な大逃げ}、まさに記録ではなく記憶に残る馬であった。
また、先述のように晩年は山形→宮城と渡り歩くなど東北と縁が深かった。
実はツインターボは1レースだけ逃げなかったことがある。1995年4月13日の帝王賞がそうで、鞍上は武豊。
スタートで思い切り出遅れたのもあったが、結果は最下位。
レース後、武は「最初から逃げるつもりはなかった」という旨の発言をしたため、ツインターボの逃げを見たかったファンからは顰蹙を買ってしまった。
競馬ライターにして後に種牡馬辞典を刊行していることで有名な加藤栄も、この時の武の騎乗に対し「武はまったくもってつまらない競馬をした」「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷をつけた」と批判している。
…時は流れ令和時代。2021年福島記念を鮮やかに逃げ切り重賞初勝利を挙げた&bold(){パンサラッサ}を指して、人々はかつて福島を沸かせた逃げ馬になぞらえこう呼んだ…
&bold(){令和のツインターボ}と。
ツインターボとは血統も(ターボは父系・パンサラッサは母系に大種牡馬[[ノーザンダンサー>ノーザンダンサー(競走馬)]]の血が入っている以外)異なり、実績面も後に海外GⅠ二勝を記録し、日本でも2022年天皇賞(秋)で大逃げから2着に食い込む活躍を見せるなど、似て非なるものと考える人もいるだろう。
それでもその逃げる姿や勝負服の青と緑袖のカラーリング((ツインターボの黒岩晴男氏は「青、白袖緑二本輪」、パンサラッサの広尾レースは「青、袖緑一本輪」。袖が白地か青地か、輪が二本か一本かの違いで、カラーリングはよく似ている。))には、遠い日のターボが重なって見えるのかも知れない…。
なぜかツインターボは背広を着た人間に対してかなりの嫌悪感を示していたという。
追記・修正は、ただ一つの戦いを貫き通せる方がお願いします。
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- ツインターボを文字だけで表現するのはやっぱり限界があるね。映像を見ないとこの馬の魅力は伝わらない(ほかの馬にも言えることだが) -- 名無しさん (2023-03-27 07:31:57)
- 「最強の逃げ馬はミホノブルボンだけど最高の逃げ馬はツインターボ」っての好き -- 名無しさん (2023-03-27 07:58:07)
- 競馬はどこまで行ってもギャンブルかも知れないが、この馬の話をする時だけは皆、金を置き去りにして夢やロマンを語り出す。そりゃ名馬だわ。 -- 名無しさん (2023-03-27 14:18:46)
- 何処かで見たパンサラッサが令和のツインターボじゃなくて、ツインターボが平成のカブラヤオーだったってコメントが好き。 -- 名無しさん (2023-08-26 08:58:19)
- この馬をみると、誰かを惹きつけるのも才能の1つなんだとわかる。G1馬でも惹きつけることができない馬も中にはいるしな -- 名無しさん (2024-03-13 04:13:42)
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