ツインターボ(競走馬)

登録日:2023/03/27 Mon 05:53:50
更新日:2024/07/16 Tue 18:52:17NEW!
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俺にかまわず逃げてくれ ツインターボ

1994年 第39回有馬記念 パドックに掲げられた横断幕より


ツインターボ(Twin Turbo)とは日本の元競走馬

メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
ツインターボ(ウマ娘 プリティーダービー)


目次

【データ】

生年:1988年4月13日
死没:1998年1月15日(10歳)
父親:ライラリッジ
母親:レーシングジイーン
母父:サンシー
調教師:笹倉武久 (美浦)→秋葉清一 (上山)
馬主:黒岩晴男
生産者:福岡敏宏
産地:静内町
セリ取引価格:-
獲得賞金:1億8,398万円 (中央)
通算成績:35戦6勝 [6-2-0-27]
     (中央) 22戦5勝 [5-2-0-15]
     (地方) 13戦1勝 [1-0-0-12]
主な勝鞍:'93七夕賞(GⅢ)、'93産經賞オールカマー(GⅢ)

【概要】

1988年4月13日生まれの鹿毛の牡馬。父はライラリッジ、アメリカで2勝した下級馬だが半姉がGⅠ3勝リヴァークイーン*1だということで種牡馬入り、ツインターボ以外目立った産駒はいない。母は1勝馬レーシングジイーン。血統的には何の魅力もない。
母父はフランスの重賞を2勝したサンシー、BMSとしてダイイチルビーを輩出したこの馬の活躍で似た血統のディクタスが日本に輸入されたという。
あらゆるレースで大逃げをかまし、大抵は逆噴射からの惨敗、されど時折逃げ切っての大勝によって周囲を沸かせるなど非常に両極端な競走馬として有名であり、中央競馬における「最後の個性派」とも呼ばれていた。
しかし、その注目的な大逃げ戦術も、小柄な馬体と彼の登場以前に活躍していた大逃げ馬と同じく他の馬を怖がる臆病な気質から来るもので、「そうせざるを得なかった」という側面も大きかった。
生涯戦績は中央、地方含めて35戦6勝、獲得賞金は1億8670万8000円。
主な騎手としては中舘英二や大崎昭一、地方時代では海方栄二などが挙げられる。
黒岩晴男氏は地方で4億稼いだアマゾンオペラのオーナーでもある。

本馬場入場の返し馬が全力疾走だったこと、コーナリングが非常に上手かった馬としても知られる。

【現役時代】

1974年の日本ダービーハナ差2着ジョッキーだった笹倉厩舎に入る。最初は地方デビューも考えた黒岩オーナーだったが、バネの良さに期待を込めて中央に送り込んだ。
普段は食が細く、410~420kg程度の小柄な馬体で大人しいのだが…調教時に人が跨ると徹底的に反抗する気性、馬群に入るとやる気をなくし、ゲートに入ってもやる気をなくしたため、ゲート試験に4ヶ月もの期間を要したせいで、デビューは現3歳3月と凄まじく遅れた。しかし、小さな馬体のためにはゆっくりとした調教が適切だったのかもしれない。もしデビューが早ければ「無理をして、潰れていたかもしれない」と笹倉調教師は語っている。
デビュー戦と次走の条件戦を大逃げ戦術で2連勝し、3戦目には日本ダービーの出走権を得るために青葉賞に挑戦。
しかし、第4コーナーで初めての逆噴射をかまし最終的に9着と大敗。デビュー戦と条件戦だけでは獲得賞金も当然足りないためダービーは断念となる。
次走の条件戦でも5着に終わるものの、5戦目となる福島GⅢのラジオたんぱ賞は大崎昭一騎手を背に快勝し、初の重賞タイトルを獲得した。

夏季は休養に充てられ、秋にはセントライト記念や福島記念に出走するも、双方2着*2と惜しい結果に。
ともあれ重賞でも戦えることは証明され、人気薄だが注目の逃げ馬として年末の有馬記念にて初のGⅠタイトル挑戦となったが、結果は14着ブービーと惨敗。15頭中11番人気で優勝したダイユウサクよりも遥かに注目されていた。
「中距離で逃げさせればしぶとい馬」という評価だったが、レース後に鼻出血が判明*3、その後一年近く休養する羽目になり、大事な現4歳シーズンを丸ごと棒に振る。
復帰後もかつてのような実力を見せられず、掲示板にすら乗れない負けっぱなしの日々が半年以上続く。

そんな中で迎えることになった1993年7月11日、七夕賞。
この日の福島競馬場の入場者は実に47391人を数え、これは今なお破られていないレコード記録となっている。
30.6度という要素もあって場内が異様とも言える熱気に包まれる中、ツインターボは騎手に逃げ戦法を得意とし、スタートが巧みだと言われていた相性抜群の中舘英二を据えて出走。
前半1000m57秒4というハイペースで逃げ、その後も珍しく失速することなくゴールまで爆走した。
この年のスプリンターズSの前半3ハロンと0.2~0.4秒ほどしか変わらないハイペースであった。

ターボエンジンを全開で逃げまくります!

かなり飛ばしております!ターボエンジン全開でその差は7、8馬身さあこのまま逃げ切るのか!?

吼えろツインターボ!

全開だ!ターボエンジン逃げ切った!

実況*4:高橋雄一(福島テレビ)

同じ逃げ戦術のアイルトンシンボリやダイワジェームスを押さえて見事ゴールイン、2年ぶりの勝利を飾った。
この際、中舘は「自分は掴っていただけ。馬が勝手に鮮やかに勝っちゃった」とコメントしている。
翌日の紙面では、七夕賞の日には福島で4勝し2年連続の福島リーディングを獲得した。福島で671勝を挙げた増沢末夫の引退後、「新・福島男」の誕生だとメディアは言った。「何とか面目を保てました」と中舘騎手は照れくさそうに語ったそうだ。

そして続くのはもう一つの代表レースとして名高いオールカマー。
既にミホノブルボンメジロマックイーンを下し、ヒールと呼ばれながらも強豪として名が知れ渡っていたライスシャワーを始めとしたライバルたちが出走する中、
七夕賞と同じく騎手を務めることになった中舘は、七夕賞での大逃げを逆手に取ったミドル逃げ戦法を展開。

さぁ早くもツインターボだけが!ツインターボだけが!第4コーナーのカーブに入ってきました!
ツインターボが大きく逃げる!ツインターボが大きく逃げる!

そしてライスは現在4番手!ライスシャワーは現在4番手!

さぁ200の標識にツインターボがかかる!ツインターボが200の標識を切った!先頭ツインターボ!

そしてホワイトストーンが伸びる!ホワイトストーンが伸びる!
そしてライスシャワーは届かないか!?ライスシャワーこれはもう無理!

11番のツインターボ!見事に決めたぞ!

逃亡者!ツインターボ!!

実況:塩原恒夫(フジテレビ)

柴田政人が「あれ以上深追いしてたらホワイトストーンが潰れていた」というように、多くの騎手が抱いていた「ツインターボは終盤で潰れるから、それまで無理に追う必要はない」というイメージを完全に逆手に取り、
後続集団に10馬身以上もの差を付けながら最後まで落ちることなく勝利。重賞2連勝を飾ることになった。
中舘騎手は「何でこんなに離れているんだろうって、信じられなかった」とつぶやいたそうだ。

この七夕賞とオールカマーで見せた活躍から、ツインターボの個性派逃亡者としてのイメージは一際強くなったものの、中央における勝利はここまで。
以降のツインターボは今日まで語られるような「かっ飛ばして逆噴射するネタ馬」に完全に成り果ててしまい、
その後もヤマニンゼファーの1993年天皇賞(秋)やナリタブライアンの1994年有馬記念、果ては大井競馬場の帝王賞に挑むも後述のように「逃げ馬としてのツインターボの歴史に泥を塗った」不甲斐ない結果に。
数多くの重賞に挑むことになるが、ことごとく惨敗。
1994年有馬記念に至っては、どう考えても場違いな成績だった事からあまりにも盛り上がりに欠ける面子*5だったので賑やかしに呼ばれたなんて疑惑が生じる始末。


ツインターボの逃げは早くもゴール前500mで壊滅している!

第108回 天皇賞(秋):三宅正治(フジテレビ)

ツインターボの先頭はここで終わり!

第39回 有馬記念:堺正幸(フジテレビ)

中舘は「小さい馬だから、レースが終わると力を使いはたして、いつもボロボロになっていた。それが可哀相でならなかった……。あのオールカマーで燃え尽きちゃったような気もする」といった。笹倉調教師のツインターボのストレスにならない走りの追求も、ツインターボの身体も限界を迎えていた。
1995年5月の新潟大賞典を最後に山形県の上山競馬場(2003年廃止)へと移籍することに。秋葉清一調教師もツインターボには手を焼かされた。

かつての中央競馬の人気者とあって注目度は高く、移籍後初戦となる文月特別では普段の三割増の観客が訪れたという。「並み居る強豪達にその走りで勝ってしまうのではないか?」と期待はいつまでも続き、熱心なファンは「俺に構わず逃げてくれ」「世界の果てまで逃げてくれ」「全開ターボエンジン」という横断幕を持って駆けつけたという。
鞍上を務めた海方栄二も「写真を撮られるなんて初めてだった」と語る程のファンの多さであった。
ツインターボはその期待に応えるようにいつもの逃亡劇を見せ、見事初戦を勝利で飾る。
海方が「速いし、気持ちいい馬だよ。だけど息を抜くと、自分から走るのをやめちゃうんだよな…」と心配したように、その後は再び低空飛行が続き、結局地方でもこの1勝のみに終わってしまった。
1996年8月、この年創設された交流重賞・クラスターカップ(盛岡競馬場)に出走し11着。このレースがラストランとなった。レース前には1枠1番のツインターボが最初にパドック入りすると、ツインターボがパドック一周するまで他の馬は入場せず引退式代わりのようにツインターボに敬意を表したというエピソードも伝わる。

【引退後】

宮城県の齊藤牧場で種牡馬入りを果たすも、繁殖成績は期間の短さもありわずか5頭(デビューできたのは4頭)。さらに繁殖入りする仔も現れず全頭がいずこかに消えてしまったため、残念な事にツインターボの血は絶えてしまった。
そして1998年1月15日に心不全を発症し、10年という余りにも短い馬生を全力で駆け抜けこの世を去ることになった。
ちなみに現在ツインターボが眠る地には、彼の死後同じ牧場で余生を過ごしたダービー馬アイネスフウジン・中山大障害馬ゴッドスピード(オグリキャップと同じ調教師と馬主の管理馬)が共に祀られている。

【創作作品での登場】

  • 『優駿たちの蹄跡』
「ツインターボとその仲間たち」に登場。
一人で突っ走りがちな逃げ馬ファンであるデザイナーの視点で、引退後の生活が描かれている。

  • 『優駿劇場』
第39回オールカマー回に登場。
意外にも策士タイプであり、レース前夜に偵察に来たライバル達にわざと違う作戦を仄めかす事でスタミナの成長分から目をそらし、レース中のペース配分を誤認させる事に成功。
そのまま逃げ切り勝ちをした。

2021年のアニメ第2期に合わせ、2020年12月に実装が決まった。
「個性派」だけあって青髪*6、グルグル目のオッドアイ、ギザ歯、アホ毛、蛍光色のド派手な衣装等、個性の塊のようなビジュアルをしたアホの子。
アニメではチーム「カノープス」に所属。
同期の出世頭であるトウカイテイオーを一方的にライバル視しているが当のトウカイテイオーからは「ダブルターボ」や「ダブルジェット」など毎回名前を間違えられるなど相手にされていない。
しかし、三度目の骨折によってトウカイテイオーが引退を決めた際は、テイオーの引退を止めるべくオールカマーに参戦。
見事に逃げ切り勝ちして「諦めなければ必ずやれる」と示すことで、かつてテイオー自身が語った「最後まで諦めないことの大切さ」を思い出させ、以後は「師匠」と呼ばれるように。
ファンの間では「オッドアイ(赤と青)は止マレと進メしかない、ツインターボの生き様を表したのでは?」と言われる。

  • 『馬なり1ハロン劇場』
「なんでもアリ馬記念」では、同世代に活躍した逃亡者メジロパーマーと絡めて「ハナを切るメジロパーマー、ケンカを売るツインターボ」という描写があった。
作者のよしだみほは、「あの大逃げが決まったときは本当に気持ちよかったし、逆につかまるときも良かったよね」「大きいところは勝ってないけど、こういう馬がいないと競馬は楽しくないよね。大好きな馬でした」と語っている。

【余談】

主戦騎手を務めた中館英二は、黒岩オーナーと食事をした縁から調教のも携わり「こんなに強いんだ」と思いつつも「やばい馬って分かっていたし、正直、乗りたくはないなぁ」という感じだったが、3戦騎乗した柴田善臣が北海道で騎乗するため声がかかったという。
「お好きにお走りください」「ボクはつかまっていただけ」と半ば馬に任せて騎乗していた。
ツインターボ号について「デビュー前からこの馬を見ていたがゲートの悪い馬だなあと思っていた。癖も悪いので厩舎のスタッフでは扱えず、先輩の石塚(信広)さんが付きっ切りで練習していた。スタッフから返し馬で止まらないから気を付けてとも言われた。走る馬だと思っていたけど正直言ってあまり乗りたいとは思わなかった」、「乗っていて楽しい馬ではなかった」と意外に辛辣な評価を行っている。
中館騎手によるとゲートで暴れるなど手こずらされた思い出が強いそうで、「出遅れでもして馬群に飲まれたらツインターボがパニックを起こして、僕は死ぬかもしれないと思った」とも語っている。福島競馬場で本馬場入場する前もよく暴れていたそうだ。

その一方で調教師となった今では「実はあの年、僕は岡部(幸雄)さんを抜いて夏の福島リーディングになることができて、それを確定させたのが七夕賞で。当時は重賞もそんなに勝っていないし、未勝利とか500万下を勝って必死にアベレージを上げているジョッキーだったのに、あの馬のおかげで全国区みたいになれて、ヒシアマゾンとかにも乗せてもらえるようになった。人生観を変えてくれた馬っていうのかな。それに今の立場になって、当時の厩舎スタッフが大変な思いをして、あの馬をあそこまで連れてきてくれたんだなって痛感して。脚光を浴びるのは騎手だったりするけど、大変だったと思いますよ」
「あのときはいい馬にいいタイミングで乗せてもらったなというぐらいの気持ちしかなかった。まさかこれほど皆さんに愛されるコンビになるとは思いもしなかった」「でも、一つの型をイメージしてもらって、強い逃げ馬を頼まれるきっかけにもなった。逃げ馬は英二に任せておけば大丈夫と言われるような型を持てたことはツインターボに感謝している。自分の騎手人生を振り返ると運命の出会いでしたね
と語っている。
JRA通算1823勝のうち福島競馬場では約4分の1にあたる歴代2位の425勝を挙げた。引退式では大勢のファンから「中舘ありがとう」「お疲れさま」と大きな声援が飛んだ。その中にツインターボの声も混じっていたかもしれない。
福島で長い間騎乗してきたことは間違ってなかったと思った。誇らしい気持ちになった」そう語って調教師の道へと進んでいった。

笹倉調教師はツインターボの引退と共に成績が低迷し、グランリーオの2005年中日新聞杯優勝を最後が華となり、2008年定年を前に「全ては自分の努力不足」と語って引退した。営業のために頭を下げることができなかった人物で厩舎に馬が集まらなかったのが原因だった。晩年は牧場や後輩調教師の世話に回った。
2021年9月22日に死去、ツインターボと同じく心不全が死因だった。

ツインターボについては「絶対に(逃げに)行く」「何が何でも行け・全責任は俺が取る」「好きなように走らせろ。ハナに立て。あとは舵をとるだけでいい」「勝つか、どん尻か。どっちかだから、そのつもりで逃げろ」「行くだけ行って負ける分には構わない。小細工だけはするな」と常々ツインターボのための騎乗を騎手たちに言い、七夕賞では「騎手もうまかったが馬も頑張った。めいっぱい褒めてやってください」「ウチの厩舎のエースですけどね、エースよ呼ぶにはあまりにも小さいですよ。神経質で手がかかるからレースぶりも極端。でも、大した馬なんです」と目頭を熱くしていた。
後年ツインターボについて「若駒時代は牧場の輪に入れず、片隅でポツン」「競走馬にするのは可哀想だ」「気が小さいくせに頑固」「ジョッキーに乗せたら持っていかれるから、俺が乗っていたんだ」「ゲートが開いても立っているだけ。全く反応しなかった。仕方ないから出るまで待ったよ。」と苦労の長さを語るが、どこか誇らしげでもあった。

ツインターボ号は前述のように福島競馬場における入場者レコードの持ち主であり、また福島競馬場のメモリアルホースにも選ばれた人気者。
他には切手になってたり、福島競馬場内のメモリアルコーナーでも大きく扱われていたりと、福島においてはまさにヒーローと言っていいほどの扱いを受けている。
事実2000年に日本中央競馬会が実施したファン投票ではGⅠ未勝利にも拘らず100位以内にランクイン*7
JRAアップロードの「MCターフィーのピックアップホースSHOW」第一回目の紹介競走馬はツインターボであり、同じくJRAが作成した「YouTube再生リスト」ではGⅠ未勝利馬初の登場で「【愛された個性派逃げ馬】ツインターボ」と題されている。JRAはツインターボに脳を焼かれたのだ。
2014年に福島競馬場で実施したメモリアルレースの名を投票によって決めたが、この時は2位に2倍もの差をつけ1位*8。何の偶然か七夕賞も逃げ馬による勝利だった。
2017年福島競馬場のメモリアルホース選出の投票においても総投票数の約半数、2位に10倍以上の差をつける圧倒的な大逃げ、まさに記録ではなく記憶に残る馬であった。
翌年2018年には同じく福島競馬場で「ツインターボ展」も開催された。GⅠ未勝利の競走馬の展示会が開催されるのは大変珍しい。
JRAは「迷いのない逃げで大レースを盛り上げた馬として、ツインターボは競馬史にその名を刻んだのである。」と評価している。

また、先述のように晩年は山形→宮城と渡り歩くなど東北と縁が深かった。

実はツインターボは1レースだけ逃げなかったことがある。1995年4月13日の帝王賞がそうで、鞍上は武豊。
スタートで思い切り出遅れたのもあったが、結果は最下位。
レース後、武は「最初から逃げるつもりはなかった」という旨の発言をしたため、ツインターボの逃げを見たかったファンからは顰蹙を買ってしまった。
競馬ライターにして後に種牡馬辞典を刊行していることで有名な加藤栄も、この時の武の騎乗に対し「武はまったくもってつまらない競馬をした」「生涯逃げ馬じゃなくなっちゃった。ツインターボの経歴に傷をつけた」と批判している。

…時は流れ令和時代。2021年福島記念を鮮やかに逃げ切り重賞初勝利を挙げたパンサラッサを指して、人々はかつて福島を沸かせた逃げ馬になぞらえこう呼んだ…
令和のツインターボと。
ツインターボとは血統も(ターボは父系・パンサラッサは母系に大種牡馬ノーザンダンサーの血が入っている以外)異なり、実績面も後に海外GⅠ二勝を記録し、日本でも2022年天皇賞(秋)で大逃げから2着に食い込む活躍を見せるなど、似て非なるものと考える人もいるだろう。
それでもその逃げる姿や勝負服の青と緑袖のカラーリング*9には、遠い日のターボが重なって見えるのかも知れない…。

ツインターボのファンは言う。
「君はデビューからジョッキーの指示なくゲートが空いたら全速前進。パンサラッサとは違うよな?ツインターボ好きの競馬ファンは浮気することなく貴方のことが本当に大好きなんやで」
「ツインターボ先生のような悲壮感や失速した時の笑いはなかった。やはり、ターボ先生が一番さ。」
「なんにしても、この馬の逃げはファンを沸かせてくれた。まさに魅せる競馬をしていた。とても好きでしたよ」
ツインターボは世を去ってもファンの心からは決して離れることなく語り継がれるであろう。


なぜかツインターボは背広を着た人間に対してかなりの嫌悪感を示していたという。



追記・修正は、ただ一つの戦いを貫き通せる方がお願いします。

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最終更新:2024年07月16日 18:52

*1 薔薇一族の祖ローザネイ祖母である。

*2 セントライト記念勝ちストロングカイザーはクラシック登録を忘れ菊花賞に出走できず、福島記念勝ちヤグラステラはサラ系の星と謳われる快速馬だった。

*3 馬は基本的に鼻でしか息を吸うことができない。口は吐くだけなのだ。よって馬にとっての鼻出血は「窒息しかかっている」のも同然の、極めて重い症状なのである。少なくてもレースどころではない。

*4 福島テレビ特別番組「福島競馬場100年の感謝 そして新たな一歩へ」では「これがツインターボ」というテロップである。諸説あり「燃えろツインターボ」「俺はツインターボ」「唸れツインターボ」など

*5 当初の目玉とされていたナリタブライアンとビワハヤヒデの兄弟対決はビワハヤヒデの故障引退で早々に頓挫。無事出走できたGⅠ馬(当時)も故障明けのライスシャワー、距離不安のあるネーハイシーザー、1971年まで遡らないと勝ちがない牝馬のヒシアマゾンとチョウカイキャロルと控えめに言って不安要素しかない有様で、人気は完全にナリタブライアン一強状態だった。

*6 色の元ネタはモチーフ馬のメンコの色。ウマ娘では基本的にモチーフ馬の毛色が髪色に採用されるが数少ない例外。

*7 他にGⅠ未勝利でランクインしたのはステイゴールド(この時はGⅠ未勝利だったが最後の最後で海外GⅠを制覇した)と同期で入賞率の高かったナイスネイチャのみ。

*8 しかもこのレースの勝ち馬は逃げ馬。

*9 ツインターボの黒岩晴男氏は「青、白袖緑二本輪」、パンサラッサの広尾レースは「青、袖緑一本輪」。袖が白地か青地か、輪が二本か一本かの違いで、カラーリングはよく似ている。