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レシプロエンジン - (2011/08/22 (月) 22:01:41) の最新版との変更点

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#CONTENTS ---- **プロペラの大きさと発動機の出力の関係を教えて下さい。 大直径で、羽枚数が多いと高出力。 羽枚数を減らせば小さめの直径でも大出力エンジンが使える。 #right(){(20:488)} **レシプロ機の高高度性能を上げる過給器には、排気タービン過給器と機械式過給器がありますが、 >WW2当時のレシプロ機に対して、それぞれどんな利点・欠点があったんでしょうか? 排気タービン過給器は排気量辺りの馬力が大きいこと 機械式過給器はターボより必要な技術レベルが低いので先に装備できる #right(){(48:99)} どちらも高度上昇(=空気密度の低下)による出力低下を補う為に、加給を行なう事では一緒。 排気タービン  メリット:駆動に出力を食われない  デメリット:狭いエンジン周りを排気管と吸気ダクトそして高温のタービンが被い冷却が困難。         排気タービン自体高温で連続運転する為材料が高価、製造が困難。 機械式加給機  メリット:製造の技術レベルが排気タービンより低い  デメリット:過給に出力を食われる。 #right(){(48:104)} **昔の戦闘機の「液冷式」エンジンの「液」って何を使ってたの? 自動車の冷却液とほぼ同じです つまり基本的には水 #right(){(50:48)} エチレングリコール水溶液です。 水の沸点を上げるため、使用します。 水が水蒸気になると一気に温度上昇しやすくなるので沸点を上げてやります。 なお、日本の飛燕は加圧水を使ってるので水冷です。 #right(){(50:50)} **WWⅡ末期には航空機用レシプロエンジンの馬力は二千馬力の大台に乗りましたが、現代の航空機用レシプロエンジンはどれ程の馬力が出るのでしょうか? レーサー用なら、4000馬力超ってのがあるが、一般には400馬力程度。 レーサー用の大馬力エンジンは前述の通りだが、実用機用としては 概ね4~500馬力以上のものはターボプロップに駆逐された。 #right(){(初心者スレ486:651,664)} **レシプロの液冷エンジンの機体が流線型になる以外の利点とはなんでしょうか? レプシロ空冷エンジンはWW2レベルだとほぼ星型エンジンになるのが決定してる。 これは前後幅が狭い反面前方投影面積が大きくなり、 空冷という関係上外気を入れなければならないため造波抵抗が増大する。 しかもプロペラ後流もろに受ける位置で。 一方水冷では水平対向やV型やX型などを選ぶ事ができ、 前方投影面積を減らせるのみならず 外気流を直接エンジンに入れずにすむため流線形にしやすい。 そのため造波抵抗が小さくなり、前方視界や下方視界も良好になる。 が、水冷技術が要求され、同時に重量増加になる。 つまり水冷が高速性能に有利なのではなく、 双方メリットデメリットがあって甲乙つけがたい。 特に日本は水冷技術の蓄積が浅く軽快な戦闘機を好む気風もあったため 高速と水冷はイコールにはならない。 現代では水冷技術が枯れたのと速度の争いはジェットエンジンに持ってかれたため 航空用レプシロエンジンといえば水平対向の水冷式が一般的になった。 #right(){(677:161)} **ディーゼルエンジンを使用した航空機はあるの? ドイツのユンカース社は元々船舶用のディーゼルエンジンの開発からスタートした会社で、 1924年に2サイクルの対抗ピストン形式の航空機用ディーゼルエンジンの開発に着手しています。 生産型のユモ4(後に204と改称)は770馬力/1800rpmを発揮し、ルフトハンザによって ユンカースG38に搭載されて運用されています。 この後このエンジンは改良されてユモ205となり、ユンカースJu86爆撃機に搭載されました。 さらに最終生産型であるユモ207ではターボ、もしくはギヤ駆動式スーパーチャージャーと組み合わされて 離陸時の主力は1000馬力/3000rpmに達しています。 そして究極の航空機用ディーゼルエンジンとして、ユモ207を4基合体させたユモ223が 計画されましたが、1942年にこの計画は中止されています。 #right(){(587:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **航空機レシプロエンジンの過給器について >大戦末期の日本では、排気タービン過給器などは良く知られているエンジンメーカー以外にも、 >日立やら石川島やらでも開発されていたと聞きました。 >排気タービン過給器だからいろんなメーカーが作ってたのか、普通の機械式過給器もあちこちが作ってたのか、 >たとえば、三菱(中島)のエンジンの過給器はもちろん自製、とか勝手に思ってたのですが、 >過給器だけ他のメーカーから調達、と言うことも珍しくなかったりするのでしょうか? 排気タービンは例外的なんだよ。 空技廠の永野治や種子島時休が排気タービン(やジェット)の研究を 日立や石川島にさせてた。 だから中島の誉+日立のターボみたいなことも起きたの。 #right(){(332:681)} 語弊があるかもしれませんが、排気タービンやジェットエンジンと言うのは、突き詰めて考えていくと、 機構的には船舶用や発電用の蒸気タービンに行き着きます。 で、日本で当時、そうした技術力を持っていたのが、石川島や日立や三菱だった訳で。 ちなみに、米国でも、三大蒸気タービン製造会社であるAllis-Chalmers、General Electric、Westinghouse の三社にジェットエンジンや排気タービンの研究を行わせています。 #right(){(332:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2のイタリア空軍で採用されているエンジンの命名規則?についてご存知の方、いらっしゃらないでしょうか? >イマイチ法則性が良くわからないです。 基本的に法則性はありません。 例えば、Alfa Romeoは100から始まる一連の番号ですし、FiatならAで始まる連番で、 二番目のNは使用燃料(ナフサ)、Sは特殊を表します。 Isotta-Fraschiniは、初期のものはVono(飛行を表すイタリア語)が付いていましたが、 次のエンジンにはAsso(エースを表すイタリア語)が付いています。 以後は発展型にそれぞれGammaとかBetaとか付いている形。 Piaggioは、最初にPがつきます。 エンジンの後ろに付いているRCxxのRは減速装置付、Cは過給器付の記号で、これは 統一されている様です。 最後のxxは改良型を表します。 日本の栄の一一型、一二型みたいなもので、最初の数字がそのエンジンに加えられた 生産上の大きな改良、最後の数字が小改良を表します。 #right(){(329:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **DB60xやマーリン・グリフォンはSOHCですが、当時すでにDOHCがあったのに、何でDOHCにしなかったのでしょうか。 航空機エンジンにおいて、あまり高回転域の性能は求められていないからです。 何故なら、プロペラは回転数が増せば効率が落ちるからです。 (効率が良いのは、大きなプロペラをゆっくり大トルクで回す事) DOHCとは、カムの動きを直接バルブに伝える事によって、実用回転数を上げる 事を狙ったギミックです。例えば、OHVの場合は回転数が上がると、プッシュロッド がカムの動きに付いて行けなくなり、回転数が頭打ちに成ります。(OHCも同様) ですが、バルブ配置が適切なOHVの場合、低速域の効率は、DOHCと変わりません。 馬力とは、大雑把に言えば、回転数×トルクですが、回転数で馬力を稼ぐDOHCは 自動車では有利でも、飛行機でも有利とは言えないのです。 排気量制限の有るレーシングカーや、排気量によって税金が違う乗用車の場合は、 回転数で馬力を稼ぐしかありませんが、排気量の縛りが緩く、トルクが欲しい航空機 エンジンの場合、排気量の増大で馬力を稼ぐ訳です。 「じゃあ、減速ギア付ければいいジャン」と思うかも知れませんが、実用回転数まで 落とす為の減速ギアの重さと、排気量を増やす為にシリンダー数を増やした結果 増大した重量と、どっちが得か天秤に掛ければ、DOHCには軍配は上がらない訳です。 それよりは、実質的な排気量を上げる加給機(スーパーチャージャーとかターボチャージャーとか) の方に注力した方が良い訳です(高高度対策にも成りますし)。 #right(){(327:新所沢の三等兵 ◆UkUFfcwWIs)} 大馬力レシプロエンジンには普通減速ギアが付いてます。 元々高回転が得られないからDOHCにする必要性が低いというのは正しいですが、 その理由は直結したプロペラ出力の回転数に制約されるからではなく、 ピストンスピードの制約から元々のエンジン回転数が制限されるからです。 #right(){(327:531)} **空冷星型の航空機で、集合排気管から推力排気管に変更して最高速度が向上する例がよく話題になりますが、 >単排気管では排気脈動が利用できないためエンジンパワー自体は低下してしまうと思います。 >単排気管によるガスの推力と言うのは、それほど大きなものなのでしょうか。 バイクと違い、航空機のレプシロエンジンは 地上から高度数千メートルまで幅広い条件で作動させるから 重くてかさばって複雑になろうとも排気のエネルギー回収は機械式が使われる。 つまりターボチャージャーの出番ってわけ。 ところで推力式単排気管が採用されたのは五二型でのことだけど これは排気からエネルギー回収するターボチャージャーではなく 出力軸から直接捻出するスーパーチャージャーが採用された。 なのでエネルギーをたっぷり持った排気が勿体ないと考えられ、 推力式排気管という形での有効利用が目論まれたってわけ。 ちなみに現代のレプシロ機では過給器はもっぱらターボチャージャーが使われる。 その方が排気のエネルギーは垂れ流されず回収され、機構も単純堅牢ですみ、 さらに出力軸から駆動エネルギーとらないからロスも少なく燃費がいいという 両者の優劣が技術と経験の蓄積ではっきりしたから。 #right(){(679:274)} **戦争中の軍用機の多くが液冷でなく空冷エンジンを採用してるのはなぜ? 空冷の利点は頑丈で整備が楽 武人の蛮用に耐えると言う点で液冷よりも上 シリンダーの一つや二つに穴が空いても、 コンロッドがピストンを突き抜けても、空冷ならなんとか動く ただ、航空機用の星型空冷エンジンは 機体直径がでかくなる(高速向きの機体としては不利) 馬力を増やすには気筒の数を増やすしかないが、そうすると直径が更に・・・という壁 だからといって前後に重ねると、後ろの方がよく冷えなくなる といったデメリットがある。 #right(){(347:510,516)} **レシプロエンジンの最大馬力はいくつぐらいでしょうか? >できれば、エンジン名もしくは搭載機などもお教えください 確か、LycomingのXR-7755で、1944年当時で5000馬力。 目標馬力は7000馬力でしたが、試作のみで、これを搭載した機体は作られていません。 そもそも、1基3200kgで、Bore×Strokeが162×171mmで、星形9気筒を4列並べた36気筒 なんで、そんな重くて大きいエンジンをどんな機体に載っけるんじゃボケェ(意訳)と言われた もので。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 実機に積まれたヤツだと、 ・プラット&ホイットニー R-4360-35(3,500馬力) ・プラット&ホイットニー R-4360-53(3,600馬力) 辺りが最大クラスでないか? 前者はボーイングB-29D、別名B-50に搭載 実機への搭載数は四発 後者がコンベアB-36ピースメイカーに搭載 実機への搭載数は六発に加えて、推力2,450kgのジェットが四発 #right(){(288:163)} **ジェット戦闘機の場合アフターバーナー使って全速を出すと燃費が大変悪く、F-15でも20分ぐらいしか飛べないそうですが、レシプロ機の場合どうなんでしょうか? 意訳して戦闘速度(空戦速度)と巡航速度(経済速度)の燃費の差という意味なら 戦闘速度は巡航速度の3倍ぐらいの燃料を消費する。 音速の壁とか急降下とか加味しない場合ね #right(){(610:モッティ ◆uSDglizB3o)} 最高速度は、エンジン最高定格(MaximumRating)で計測する物ですから、 最高定格のRating条件により制限されます。 2次大戦米軍MILスペックのレシプロエンジンだと、最高定格で5分間を保証するQTを実施してるようです。 (エンジンによって違いは有るみたいなんですが) #right(){(610:129)} **空冷倒立V字型エンジンというものがあるそうですがどうやって冷却してるんでしょうか? 一般に空冷エンジン冷却の際には、シリンダーヘッドの表面温度を、瞬間で280度、 短時間で240度、巡航の場合は200度までにするように設計します。 水冷の場合は、300度、液冷(Ethylene Glycol)で200度、これに水を20%添加した ものは100度としています。 空冷エンジンを冷却する場合は、放熱フィンを大きくするかフィンの数自体を多くする 必要があります。 星形エンジンでも四重星形のようなものは、後部にまで冷却のための空気が行き渡 らずに苦労しています。 空冷倒立V型エンジン(有名どころではArgus As411とかDe HavillandのGypsy Queen)も 構造的には同じで、スチール製シリンダーバレルに冷却フィンを取付、これに空気を当てて 冷却を行なっています。 但し、気筒数が増やせなかったのと、大馬力にするには冷却フィンの表面積が増やせない為、 600馬力までの小馬力エンジンとなっています。 >空冷倒立V字型エンジンで戦闘機を造った時、空冷エンジンの長所でエンジンへの被弾に強く >水、液冷エンジンの長所で前方の面積が小さい究極の戦闘機ができると思ったもので・・・ 前面面積を小さくすると言うコンセプトで製作されたものの一つに、Rolls-Royceの空冷式スリーブバルブX型 24気筒エンジン「エクス」というのがありました。 (元々スリーブ・バルブは高回転・高圧縮が可能で、平均友好圧力を高めることで高出力を狙うというものです。  反面、その冷却と高圧縮に伴うライナーの変形の処理が問題になり、材料選択が難しかったりするようですが。) これにより、前面面積を小さくした上、加圧空冷によって22.1リットルのスリーブバルブ付きの小さなシリンダーを 持ち、最初920馬力、後に1200馬力を越え、1500馬力近く出ています。 このエンジンは1933年から計画され、1936年に試作エンジンが出来、以来熟成を重ねていたものです。 そして、このエンジンは、Barracudaの元々の装備エンジンとされています。 結局、Griffonが出力が高かったのでこちらが装備されましたが、試作エンジンにしては故障が少なく、 このエンジンを装備したBattle爆撃機は、テストパイロットの連絡機として一番人気が高く、1943年まで 使用していたそうです。 戦後も同じ構造で2500馬力を出す、ペンニンが計画されてました。 こちらはジェット時代が進んだので開発中止になっていますが。 #right(){(109:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )} **「水、エタノール噴射装置」ってなんですか? 当時の航空機エンジンでは、エンジン出力を上昇させる方法として、過給機などを使って 大量の空気をシリンダーに送り込んでやるのが多く用いられた手段でした。 しかし、そうするとシリンダー内の温度が上昇し、エンジンに無理がかかってしまいます。 これを防ぐためにシリンダーや給気管に水を噴射して気化熱によって 温度を下げる方法が取られました。 実際に運用する際にはより熱を奪いやすいメタノールを混入させており、これを 水・メタノール噴射装置と称しました。 http://www.warbirds.jp/ansq/4/D2000328.html #right(){(114:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **二式単座戦闘機や百式重爆撃機のエンジン、ハ109ですが、大戦末期にようやく1500hpに届いたハ112-2に比べて評価が低いようですが 三菱の場合、エンジンの開発は、エンジン開発全体を統括する開発主務者を決めて 行います。 ハ112(金星)は、決して背伸びすることなく、信頼性の確保を重点に開発が行なわれ、 例えば、Bore Strokeは、当時、三菱が生産していたイスパノスイザエンジンと同じにして あります。 このため、その開発・製造ノウハウが利用出来、結果的に自社自主開発というものに賭け をした割りには、成功作となりました。 (但し、海軍が採用したのと、自主開発に陸軍が難色を示し、採用はずっと後になりましたが) また、これを基に、排気量を小さくしたのが瑞星、Boreを大きくして排気量を大きくしたのが、 火星になり、発展性、補給面でも互換性が一応あるようになっています。 一方の中島の場合、エンジン開発全体を統括する立場の人はいませんでした。 このため、開発は横並びで、Boreの口径もまちまち、Stroke長もまちまちでした。 信頼性のあるエンジン開発に於いて、Bore口径の変更は好ましいことではなく、寧ろ性能重視 が背景にあったものと思われます。 更に、馬力向上、新機構の採用など、熟成に時間の掛かる開発手法を取ったりする傾向も見られ ました。 特に、馬力向上をするには、エンジンを肉薄に作ることが多く、そうなると耐久性が落ちる、また、 他のエンジンと異なるbore径を採用した為、部品供給に支障を来した、と言う点で、余り良くは 思われなかったのではないでしょうか。 #right(){(118:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時に日本に航空機用ディーゼルエンジンはありましたか? 第二次大戦前なら、三菱で九二式重爆用に、ユ式一型ディーゼルエンジンを製作しています。 これは、ユンカースJumo1またはJumo4を国産化したもので、故障が可成り多く、川崎のハ9(これも 故障は似たり寄ったりですが)水冷発動機に換装したりしています。 ちなみに、これと、当時License生産していたHispano-Suizaを基に、三菱は九三式の水冷発動機を 製造しています。 また、海軍は1938年に実験用にFranceから、クレルジェ14F-2空冷星形ディーゼルエンジンを付けた Potez25を購入しますが、機体が老朽化しており、実際の飛行は行ってません。 #right(){(128:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **中島のエンジンは三菱に比べ粗製濫造というような話を聞いたような気がするのですが >三菱の金星はちゃちゃと動き、中島の誉は「国をほろぼす」と言われたのかな? 三菱のエンジン開発は、深尾という造船のdiesel engine部門にいた技師が、発動機部門を統括し、 彼を中心に回っていました。 彼はDiesel engine実用化で苦労したことから、エンジンの設計を整理し、金星を作るに 当り、そのシリンダーのボア・ストロークを140mm×150mmとして(これは当時ライセンス 生産していたイスパノスイザの水冷エンジンと同じもの)、これをベースに、ストロークを 短くして排気量を小さくしたものを瑞星、排気量を大きくしたものを火星として開発してい ます。 火星は排気量を大きくするために、ボア・ストロークを150mm×170mmと拡大していますが、 気筒数など大きな変更はありません。 即ち、大幅な設計変更をせず、今まで実績のあるシリンダを組み合わせることで生産の効率 を上げ、トラブルを招かなくても済んだのです。 実際、三菱で製造されたエンジンは、ボア径は140mmか150mmのいずれか、ストロークは130mm、 150mm、170mmのいずれかしかありません。 方や、中島には深尾の様な全てを統括する技師がいませんでした。 このため、各設計者が自分の考えでボア径、ストローク長を決めていました。 信頼性のあるエンジン開発で、手慣れたボア径を変更することは危険です。 一方で、新機構、馬力などの性能に拘り、ボア径は110~160mmまで5種類の ものを用い、また、コンパクトにすると言うことは剛性が弱いと言うことも言える でしょう。 #right(){(140:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ロールスロイス・マーリンとパッカード・マーリンってエンジンの特性とかに差はありますか? 図面を引き直し、地道に出力向上を行っています。 最初に生産したMerlin24/25/66の各シリーズは、Merlin224/225/266として そのまま生産されていますが、Merlin68は、英国製の60シリーズが離昇出力 が1,315hpであるのに対し、1,400hpに、Merlin69では更に出力が向上して1,490hp になっています。 #right(){(141:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本はDB601エンジンのライセンス生産権を取得したらしいのですが、 >この無段変速過給器や燃料直噴技術は、そのまま日本の航空機エンジンに適用されてるんでしょうか? 三菱の航空機エンジン開発に於いて、ドイツの影響は弱いものです。 三菱は、Hispano-Suizaに学び、またP&W社との技術交換(技術者間では、 実用化前のTwin Hornetを見せられたり、金星のアウトラインを話したりして います。)をしており、三菱のエンジン開発の総元締である、深尾は、欧米 視察の際、総じてヨーロッパのエンジンに見るべきものはないと結論づけて います。 この辺の技術は、三菱に於いては国産開発か、P&Wの技術の応用のいずれか で、DB社の改良などは、まず、社内で採用されなかったでしょうね。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 三菱の燃料噴射装置は実質的にボッシュの無断コピーじゃなかったかしら #right(){(143:106)} **海軍が誉エンジンにこだわったのは何故ですか? 誉エンジンは、1940年に企画が立てられました。 それは、栄エンジンと同じボア・ストロークで、外径寸法は栄の僅か30mm大という もので、栄の18気筒版というものでした。 使用ガソリンは米国から輸入する100オクタンを想定していました。 海軍は性能の良い航空機を開発するには、軽量で出力のあるエンジンが必要と 考えており、誉は正にそれに合致するものとなった訳です。 一方の三菱は、金星を18気筒化したA20エンジンを開発しています。 こちらは、手堅く、将来のオクタン価が低いガソリンの使用も考慮し、若干大型で 放熱設計などもきちんと為されていましたが、こちらもクランクシャフトの焼き付き などの問題が発生しています。 ただ、誉に比べエンジン外径で50mm大きく、乾燥重量では115kg重かったのと、 カタログ性能上はパワーウエイトレシオが低く、海軍の要求に合致しませんでした。 ついでに、三菱は、製品全般に言えることですが、官に無条件に従うものではなく、 言うべき所はきちんと主張するために、結構軍との軋轢もありました。 このため、軍の意向をある程度汲んでくれる、中島飛行機の方に肩入れをしたと言う のもあります。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **液冷式の星型エンジンってないのでしょうか? >星型をパワーアップする場合、同じエンジンを重列しますが、後ろの気筒に >冷却風が当たらなくて2列、3列までが限度だったりします? あります。 Junkers Jumo222 6x4=24気筒 Lycoming XR-7755 6x6=36気筒 #right(){(240:743)} 液冷式ではありませんが、水冷式なら、1911年に猿六村、もとい、Salmsonが 水冷星形7気筒、次いで9気筒エンジンを製作しています。 ちなみに、日本でも川崎造船所、東京砲兵工廠などで国産化されました。 記録では、空冷星形エンジンよりも馬力が出るので、戦闘機乗りはこれを好み、 V型、直列は、クランクケースを破損することが多かったので、忌避されることが 多かった様です。 星形の場合は、クランク軸が短く出来、ベアリングも前後二つでOK。 また、内部モーメントも発生しないので、当時としては前面面積の大きさは十分にカバーされていました。 つまり、機械的な摩擦による損失が、直列型に比べ短いので慣性による荷重がゼロになります。 また、クランクシャフトを短くすることにより、長くなればなるほど、振動の原因になり、内部モーメントが無い ので、厄介な問題は生じにくい訳です。 但し、星形エンジンは一本のクランクピンに全シリンダーのコネクティングロッドを接合できないので、リンク ロッドを円板上のナックルピンに接合、この円盤を歯車を介して固定歯車の周りを回し、更にリンクによって シリンダの位相角やストロークの差をなくすと言う複雑でコスト高の機構が必要となりました。 後、>743氏に補足ですが、BMWもFocke-Wolf Fw-238に搭載予定のBMW803を開発していました。 こちらは液冷4列星形28気筒4000馬力の代物で、前部と後部の二重星形を反対方向に同軸上で回すコント ラプロペラを駆動するものでした。 これは、後部エンジンの動力を歯車によって5本の軸に分け、全部エンジンのシリンダの間隙を縫って前方に 導き、再び歯車によって、プロペラ軸に繋ぐと言う複雑なものでした。 また、NASAルイス研究所では1980年にContinentalと協同で、星形3気筒、6気筒航空用ディーゼルエンジン、 ドイツでは、Zocheが星形4気筒、または8気筒の航空ディーゼルを開発していました。 #right(){(240:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ロールスロイス・ペリグリンについて質問です。 >傑作だったはずのケストレルをもとにしながら、このエンジンはパッとしません。なぜでしょうか? 簡単に言ってしまえば、時代に合わなかったと言うことです。 その設計思想は、Marlinより小さなエンジンを開発しようと言うものでしたが、原型のKestrel自体、 既に限界まで弄り倒されていたので、これに更なる馬力向上を図れば、自然とトラブルは多くなり ます。 ちょっと例えが過ぎるかもしれませんが、BMW9エンジンを川崎が弄り倒したとか、三菱がイスパノ 650馬力に手こずった様なものです。 実際は1000馬力以上の出力を持つ、大馬力エンジンを必要とする局面が多いと言うことで、エンジン 自体、不要とみなされた訳です。 #right(){(238:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **2サイクルの航空用エンジンが無いのはなぜなのでしょうか? 2サイクルの航空機用エンジンは実際に試作され、ドイツでは実用化されています。 Junkersは、第一次大戦の頃には既にその形式のエンジンを試作しています。 でもって、実用化されたのは、Jumo205で、これはJu-86爆撃機のエンジンの一つ となっていました。 但し、この方式は、熱負荷の問題があり、ボアの大きさの決定が非常に難しいもの でした。 これは2シリンダー分の熱をライナー1本で引き受け、4サイクルに比べ、4倍の熱量を 発するのです。 特に排気の熱量は大変なモノで、これを上手く押さえ込まないと、シリンダーへの熱流 が過大となり、過大なオイル消費、その急増に伴うエンジン寿命の短縮、遂には焼き付き に至ります。 また、これはディーゼルエンジンだったために、軍用機に採用した場合、回転変動が大きく、 編隊飛行の場合にその維持が困難になっています。 更に冬期には始動不良の問題が発生し、ガソリン混入の軽油で始動する状態で、現地改造 で回転数を上げたら、ピストンのファイアプレートの亀裂、排気温度増大による排気管折損な どの問題も発生しています。 ちなみに、Jumo204の話ですが、操縦士には嫌われ、「虎のように陰険な奴野郎」とまで言われて いました。 このエンジンの「成功」に幻惑された国々も多々あり、チェコではWalterがJumo205のライセンスを 購入し、国産では、Zbrojovkaが1931年に2スト9シリンダエンジンを試作しています。 フランスもJumo205のライセンスを買い、Peugeot子会社のCLMが生産を準備しますが沙汰止みとなり、 ソ連は、Pe-8の動力として、Jumo205の改良型M-40Fを使用しています。 日本は、東大航空研究所と三菱がその試作を行っています。 また、英国は独自に2ストロークエンジンを開発しようとしていました。 空軍省からの提示で、Rolls-Royceがクレシーというエンジンを開発しています。 これは2ストローク、スリーブバルブ、層状燃焼式ガソリンエンジンでしたが、1930年に原型の単気筒を見せられた Royceは一言、"not bad,but enough!"と述べたそうです。 で、1935年にレーダー網を設置する防空委員会で、これに連動する迎撃機の仕様を決める際、小型、軽量、高出力 が必要とされ、これにクレシーが採用され掛けました。 しかし、このエンジンは熱負荷に悩まされてトラブルが続出し、1942年に試作が完成したものの、以後の製作は中止 されています。 ただ、英国は1951年に至っても、Napierが、Normadエンジンを開発しています。 これは、Shackleton哨戒機の動力として計画されたモノで、液冷2スト3,046馬力のディーゼル+ガスター ビン複合エンジンで、プロペラと3段の排気タービンを回し、このタービン軸が12段の軸流コンプレッサー を回して圧縮した空気をエンジン本体に導くと言う代物でした。 #right(){(168:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2でイタリアの空冷航空機用エンジンが故障がちで低出力だったのはなぜですか? 1930年代初期のFiat A.1エンジンは、後にソ連のT34戦車のV2エンジンに、一部の機構がそっくり そのまま移植されたんですけどね。 まず、イタリア戦闘機のDoctrineとしては、格闘戦を重視していました。 なので、格闘性能を引き出すには軽量の戦闘機が必要となり、軽量小型のエンジンが必要でした。 大重量、大馬力のエンジンは必要なかった。 また、イタリアのエンジンの殆どは、英国のJupiterか、フランスのGnome-Rhoneが基になっています。 お手本になったエンジンは余り出力が出ないモノでしたので、勢い、イタリアのエンジンは馬力が出ない ものになっています。 これが、米国のP&WとかWrightとかの技術を導入したのなら、少しは発展したのかもしれませんが。 後、戦時中のものは日本も同じですが、工作精度が低く、故障がちになっていますね。 #right(){(169:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **三菱がイスパノ系列の水冷/液冷発動機に見切りをつけたのは何時頃でしょうか? 1934年まで、Hispano-Suizaのエンジンが製造されていますが、450馬力でまず製造困難に直面し、 650馬力に至っては手に余る有様で、それを発展させた九三式も同様に少数生産に終わっています。 これは熱的設計が今までの経験と全く異なっていたことと、燃料の問題もあり、更に今まで補機類は フランスから買い付けていたものの、これを国産品に改めたために、品質の問題が発生したためです。 この対策費が莫大になったことと、そのHispano系エンジンの故障に業を煮やした海軍から、「使用ニ 耐エス」と言う通告があって、ついには工場で生産するエンジンが無くなり、三菱航空機の経営に相当 の支障を来すようになったため、三菱財閥の岩崎小彌太主導で、造船と航空機の合併が、1934年6月に 実施され、三菱重工業が成立します。 この時、発動機部長に就任した深尾氏が立てた目標は、  1. 性能、信頼性、および安価であることに於いて、世界一の航空発動機を作る。  2. 水冷か空冷のどちらか一方の開発に絞る。    (海外優秀メーカーはどちらか一方に特化している。二兎を追う者は一兎をも得ず)  3. 海軍用、陸軍用を区別すべきではない。  4. 軍と合作では世界一のものは作れない。他の掣肘を受けることなく、独自に設計すべきである。 として、水冷、空冷の方針検討を行います。 ちなみに、1934年6月に三菱重工常務の郷古潔の渡欧時に、Hispano-Suizaとの間にライセンス契約の 更新を行い、水冷650馬力エンジンのLicenseを締結したばかりでしたが、年末には、深尾は空冷一本の 方針を打ち立て、以後は空冷一本に開発が絞られます。 その理由としては、  1. 水冷論者は直列型の前面抵抗が小さいことを重視するが、馬力向上に従って差が無くなる。  2. 水冷よりも吸気弁を大きくできるから馬力が大となる。  3. 気筒数は複列にすることで、水冷より多くできる。  4. 水冷式は部品の大きなものがあるから廃却品の影響が大きい。  5. 同型部品数が多いから量産に適する。  6. 水冷式は機関砲の取付が容易だと言うが、回転同調装置の使用により、優劣はない。  7. 冷却器が不要である。 としています。 但し、そのボア・ストローク径は爾後、ほぼ一貫して、三菱系航空機エンジンに用いられています。 >12Xとボア・ストロークを同じくする「火星」以外にも、イスパノとそれと繋がるエンジンがあるのでしょうか? Hispano-Suizaのエンジンのボア径は2種類あります。 Hispano-Suiza300/450馬力は、ボア径140mm、ストロークが150mm。 Hispano-Suiza650馬力は、ボア径150mm、ストロークが170mmです。 金星は、ボア140mm、ストローク150mmで、ボア径が当時生産していたHispano-Suiza系 エンジンのものを用いています。 以後、Hispano-Suizaと同じCylinderを採用することで、それまでのノウハウが生かせると 言うことで、300/450馬力の140×150を継承し続けています。 これを出発点に、ボア径140mmはそのままで、ストロークを130mmとして排気量を小さく したのが瑞星、ボア径を少し拡大して650馬力と同じ150mm、ストロークを170mmとして 排気量を大きくしたのが火星になります。 #right(){(183:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **瑞星は栄に対して何が劣っていたのでしょうか? 一番大きいのが、中島の方が量産化技術に関しては一日の長があったことです。 三菱は、各工程に「名人」がいて、仕事は丁寧なのですが、量産には向かず、これを是正するのに 幹部は苦労しています。 一方、軍部に対する姿勢は、三菱が、軍部の意向と関係なく、独自の姿勢を貫いたのに対し、 中島は、軍部の意向を積極的に取り入れたこともあります。 更に、三菱は、金星を主力とし、瑞星は小型機用、火星は大型機用と割り切ったこともあります。 >瑞星(ハ26)の総加工時間 最大5,090h 最小1,970h に対し >栄10の総加工時間      最大6,560h 最小3,392h >ハ102の総加工時間 最大9,250h 最小2,080h に対し >ハ115の総加工時間 最大7,177h 最小3,621h >となって、やや瑞星系が優位に立っているようですが、これは大戦中に逆転したということでしょうか? 三菱は内製を好み、中島は外注を多用したことも一因です。 三菱の名古屋製作所の場合、第一次工場が130(エンジンに直接関係する工場数60、直接利用できる工場数37)、 第二次工場が234で、エンジンについては20%しか外注していません。 このため、需要が急増した際には生産能力が不足し、協力工場の保有能力を発揮出来ていません。 また、生産の際には、信頼性維持に重点を置き、試運転中に事故を起こしたエンジンは徹底的に分解、その部品 一つ一つを調べ、原因を追及することに重点が置かれており、生産機械はあるものの、それを生かす状態には ありません。 また、内製でも加工不良率は45~49%で、素材重量の25%が製品化出来ると言う状況でした。 (参考ながら、ライトの場合は材料不良率、加工不良率共に10%程度でした。) 中島は、早くから部品に関しては外注先を育成しており、84社の協力工場の本社作業の割合は 70%に達しています。 気化器、燃料ポンプ、マグネトー、軸受、バネについては全量外注工場で製作され、敗戦近くに なると、吸排気弁、ピストンピン、弁てこ、弁てこ軸、サブコネクティングロッドに至るまで、協力工場 に移しており、協力工場も技術的向上があります。 後、余談ですが、三菱が金星を作った時、これは陸海軍に反対されている状態で、製作を強行して います。 しかも、金星は海軍向けとなり、陸軍向けに開発していたハ6は結果的に後回しになり、更に、金星の 性能が高かった上に、三菱の所長がハ6は不合格になっても構わないと発言したと伝えられたこと、 加えて、別のエンジン試作での陸軍の研究指導が拙劣だと言う内部文書が見つかって、大騒ぎになり、 陸軍は赫怒しています。 このため、陸軍は金星とほぼ同じ機構に改良したハ6は、1937年に理由無く不採用となり、中島のハ5 生産を命じられます。 陸軍が、金星を採用したのは、1941年のことです。 また、堀越技師は、本来、零戦に金星を使いたかったみたいです。 #right(){(184:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **イタリアってなんで空冷18気筒の大馬力エンジンをものに出来なかったのですか? Alfa Romeoの場合は、Bristol Pegasus/Mercuryがその原点で、FiatはGnome-Rhone14、 P&Wがその原点で、とりわけ、Gnome-Rhoneの影響が大でした。 Piaggioは、両社折衷で、Bristol Jupiter/Mercury、Gnome-Rhoneの影響、とりわけ、Bristol 系の影響が大でした。 この様に、上記各社は技術提携してLicense生産を行った後、自力更生でエンジンの開発を進めて いますが、Bristol系にしてもGnome-Rhoneにしても、提携した当時に各社が手本にしたのは、小出力 エンジンで、これからステップアップするには非常な努力を必要とします。 また、使用ガソリンについても、誉は92オクタンのガソリンを想定していましたが、当時のイタリアの エンジンは87オクタンのガソリンを想定せざるを得ませんでした。 オクタン価の大小は馬力に影響を与える要因です。 また、ボアは問題ないにしろ、ストロークの問題が大きかった様です。 ボア径はイタリアの場合、PiaggioがBristolと同じ146mm、Alfa Romeo、Fiatが140mmを用いています。 しかし、例えば、空冷星形18気筒のAlfa Romeo 135RC32の場合、ストロークは190mmに達しています。 理屈的には、P&W R-2800よりも大きな排気量を持ち、吸入空気量が大きいのですから、大馬力が出せる はずですが、往復運動をする行程が長くなり、燃焼終了までの時間が掛かりすぎる訳ですから、高回転が 望めない訳で、また燃焼の制御も難しく、実際に回転数は、誉の3,000rpm、R-2800の2,800rpmに比べると 一段低い、2,400rpmにしかなりません。 ボア径とシリンダ長の適正な長さが求められると、エンジンの設計は8割方終わったも同然ですが、今のように コンピュータ解析が出来ない時代は、経験に頼るしかなかった訳です。 #right(){(184:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ソ連のエンジンは日本よりヘボかったんでしょうか? 鍛造とかそう言う技術や冶金技術では、ソ連の方が優れています。 それに、Klimovはちょっとずつ進化していっているので、BMW9からいきなりDBにジャンプした 日本よりかなりマシです。 ついでに、Hispano-Suizaのポテンシャルを上手く引き出していますね。 Klimovの派生型はストロークが基本形より2mm短く、排気量35.09lです。 最初のVK-103は単段式過給器で750馬力、次いで回転数を2400回転として860馬力となり、 860馬力のまま、二段過給器を装備して、その改良で960馬力を発揮し、100オクタン燃料の 採用で1,100馬力に達しています。 VK-105は、103の回転数を2700回転に上げたもので、馬力は1050馬力になっています。 これは改良を受け、最終的には1,280馬力となり、吸排気系の改良を施したVK-107で、混合気 吸入量が増大し、回転数を更に2800回転まで上げて、燃料は94/95オクタンを使って、1400馬力、 100オクタン燃料で、1650馬力にまで増大しています。 BMW系列はMikulinが監督して生産しています。 自分で設計したAM-34は、BMWVIシリーズのシリンダーブロック、Hispano-Suiza12のリアホイール ケース、アリソン製過給器と、RRバザード用の減速ギアを使用して製造されています。 #right(){(185:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} ----
#CONTENTS ---- **プロペラの大きさと発動機の出力の関係を教えて下さい。 大直径で、羽枚数が多いと高出力。 羽枚数を減らせば小さめの直径でも大出力エンジンが使える。 #right(){(20:488)} **レシプロ機の高高度性能を上げる過給器には、排気タービン過給器と機械式過給器がありますが、 >WW2当時のレシプロ機に対して、それぞれどんな利点・欠点があったんでしょうか? 排気タービン過給器は排気量辺りの馬力が大きいこと 機械式過給器はターボより必要な技術レベルが低いので先に装備できる #right(){(48:99)} どちらも高度上昇(=空気密度の低下)による出力低下を補う為に、加給を行なう事では一緒。 排気タービン  メリット:駆動に出力を食われない  デメリット:狭いエンジン周りを排気管と吸気ダクトそして高温のタービンが被い冷却が困難。         排気タービン自体高温で連続運転する為材料が高価、製造が困難。 機械式加給機  メリット:製造の技術レベルが排気タービンより低い  デメリット:過給に出力を食われる。 #right(){(48:104)} **昔の戦闘機の「液冷式」エンジンの「液」って何を使ってたの? 自動車の冷却液とほぼ同じです つまり基本的には水 #right(){(50:48)} エチレングリコール水溶液です。 水の沸点を上げるため、使用します。 水が水蒸気になると一気に温度上昇しやすくなるので沸点を上げてやります。 なお、日本の飛燕は加圧水を使ってるので水冷です。 #right(){(50:50)} **現在のレシプロエンジンの主流(?)は何馬力くらいでしょうか。 現在レシプロエンジンが使われてる航空機は、軽飛行機くらい のものですので、主流といえば 150- 300馬力くらいかと。 #right(){(74:214)} **「三式戦飛燕のエンジンは液冷ではなく水冷だ」と聞いたのですが、液冷と水冷は仕組みとして大きな違いがあるのですか? 冷却方法は基本的に同じだけど中身が水か冷却液かの違い。 #right(){(78:245)} 飛燕は冷却液を高圧水に変更しています。 通常の液冷エンジンでも、高空での冷却液の沸点が下がらないようにポンプで加圧します。(地上の状態の維持程度でしょう。) 逆に、飛燕や彗星は、防錆のために少量のエチレングリコールを使用していたらしいです。 それでも液冷と水冷を区別するのは、後者は明らかにエチレングリコールの使用量は少ないし、加圧の度合いが高いからです。 そして、そのために、冷却水ポンプ/配管や接合部/背圧弁などの強化や調整が必要となります。 #right(){(78:248)} **WWⅡ中日本の誉エンジンは良い油を得られずに2000馬力を出せなかったらしいけどドイツではどうだったの? 2000馬力へのアプローチのとしては、まず既存のエンジンを2つ繋ぎ合せて 無理矢理2000馬力を出そうとしたもので、これはDB社でDB610となりました。 但し、冷却問題、二つのエンジンからの動力を一つにまとめるシャフトの問題、 振動問題などが解決できず、余り物になっていません。 次いでシリンダー数を増加しようとして、X型24気筒エンジンDB604をDBが試作 しました。 これは軸受けと連結カンに故障が多く、モノになりませんでした。 もう一つ、JunkersがJumo222で24気筒エンジンを製作し、これが有望と見られ ましたが、大型機にしか使用できなかったのと、Jumo213系の改造が先に求め られたので放置されました。 空冷ではBMWの801系列が発展し、14気筒でクランクシャフトを強化し、メタノー ル水噴射で2200馬力を出しました。 次いで試作された802では18気筒とし、過給器を設けていました。 最後に803で、28気筒4列星形エンジンとなり、3700馬力を目指しました。 燃料については、液冷で87オクタン、空冷で92オクタンを使用していました。 この辺は日本と殆ど変わりません。 ただ、燃料の直接噴射技術が勝っており、過給器もそれなりの水準にあり ました。 更に、大出力を吸収するクランクシャフト一つとっても、日本のような脆いもの ではなく、鍛造のしっかりしたものを作ることが出来ています。 #right(){(77:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **流星改のエンジンがすごくコンパクトなんですが、あんなんでよく540キロ出せたなと思います。 >エンジンの設計が良いということなんでしょうか? 勿論エンジンもそうだが機体の設計も良かったんだよ #right(){(86:687)} 流星改のエンジンは、「誉」と言うのですが、ご覧になった通り大変コンパクト で、性能も「カタログデータ上では」素晴らしいです。 しかし、生産性や整備性が良くなく、日本の工業レベルの低下とあいまって、 所定の性能が発揮出来ず、前線での評価は芳しくありません。 #right(){(86:689)} **エアショーやエアレースには大戦機やそれ以前のクラシック機も飛ばしてますよね。 >あれはストックエンジンだけなんでしょうか。 ストックエンジンで飛ばす機体もあれば 特注のエンジン使う奴もある。 #right(){(91:717)} **航空機用レシプロエンジンはまだ生産されているんですか? されてます。軽飛行機のエンジンは今でもレシプロがほとんどです。 #right(){(91:704)} >エアショーやエアレースには大戦機やそれ以前のクラッシック機も飛ばしてますよね。 >あれはストックエンジンだけなんでしょうか。 >在庫が底をつけばそれでオシマイということなんでしょうか? >それとも細々と生産されているんでしょうか? ストックエンジンで飛ばす機体もあれば 特注のエンジン使う奴もある。 #right(){(91:717)} 基本的にはストックのレストアです。 マーリンの場合だと、有名なチューナーだとクランクケースや シリンダーブロックを山のようにストックしてる。 ピストンやコンロッドなんかは新造可能。 向こうでは、マーリンのレーシングチューン用にワイドプロファイルのカム なんてのが売ってる。 #right(){(91:734)} **旧日本陸海軍の「飛燕」「彗星」のエンジンについて質問です。 >ハ140とアツタ32型ではエンジンが違い過ぎるといいますが、もともとは同じエンジンなのに、そんなに違うんですか? ハ140が不調であった時、アツタも同様に不調になっており、切り替える意味が無かったのよ。 #right(){(107:526)} >>526は間違ってはいないがちょっと補足 アツタもハ40も元になってるのは同じエンジンだが、アツタは日本での使用を考えて独自に改良がされてたの 稼働率はどっちも悪いがどちらかといえばアツタの方が良かったらしい もともと飛燕も彗星も実験機的な性格の飛行機なんだよね #right(){(107:602)} アツタは生産性向上のため、日本独自の改造をしています。 が、川崎も日本独自の改造をしていない訳ではありません。  ハ40:液冷(エチレングレコール水溶液)から水冷(高圧で加圧した水)に変更。  ハ140:圧縮比を変更して出力強化。 ところで、アツタも32型で圧縮比を変更した結果、信頼性を下げています。 また当時の日本の工業界は、時として些細なマイナーチェンジにすら短期間では対応出来ない場合があり、 アツタも生産数を減じたようです。 よって首無しの飛燕2型改が溢れだした頃、アツタも同様の状況でした。 #right(){(107:679)} >>679じゃないけど、「液冷戦闘機飛燕」渡辺洋二著 朝日ソノラマ文庫 に載ってたと思うよ。 #right(){(107:769)} >どうして水に変えてしまったんでしょうか。高度が上がるほど沸点が低くなり冷却に不利と思うのですが。 液冷用冷却水は当時の日本では安定した品質の物を 大量に供給されるかどうか不安があったからと言うのが理由だったと記憶してる。 水なら大抵の場所で手に入るからね。 #right(){(107:777)} エチレングレコールの入手難を懸念してと言われている。 なお、勘違いしないで欲しいのは、加圧している以上、水が漏れない限りは高空でも沸点は下がらない。 高い内圧で、冷却配管にダメージを与えて水が漏れると言う意味では、こと当時の技術では防ぎ難い。(切実) #right(){(107:900)} **空冷倒立V字型エンジンというものがあるそうですがどうやって冷却してるんでしょうか 一般に空冷エンジン冷却の際には、シリンダーヘッドの表面温度を、瞬間で280度、 短時間で240度、巡航の場合は200度までにするように設計します。 水冷の場合は、300度、液冷(Ethylene Glycol)で200度、これに水を20%添加したものは100度としています。 空冷エンジンを冷却する場合は、放熱フィンを大きくするかフィンの数自体を多くする必要があります。 星形エンジンでも四重星形のようなものは、後部にまで冷却のための空気が行き渡らずに苦労しています。 空冷倒立V型エンジン(有名どころではArgus As411とかDe HavillandのGypsy Queen)も構造的には同じで、 スチール製シリンダーバレルに冷却フィンを取付、これに空気を当てて冷却を行なっています。 但し、気筒数が増やせなかったのと、大馬力にするには冷却フィンの表面積が増やせない為、 600馬力までの小馬力エンジンとなっています。 #right(){(109:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} >空冷倒立V字型エンジンで戦闘機を造った時空冷エンジンの長所でエンジンへの被弾に強く水、 >液冷エンジンの長所で前方の面積が小さい究極の戦闘機ができると思ったもので・・・ 前面面積を小さくすると言うコンセプトで製作されたものの一つに、 Rolls-Royceの空冷式スリーブバルブX型24気筒エンジン「エクス」というのがありました。 (元々スリーブ・バルブは高回転・高圧縮が可能で、平均友好圧力を高めることで高出力を狙うというものです。  反面、その冷却と高圧縮に伴うライナーの変形の処理が問題になり、材料選択が難しかったりするようですが。) これにより、前面面積を小さくした上、加圧空冷によって22.1リットルのスリーブバルブ付きの 小さなシリンダーを持ち、最初920馬力、後に1200馬力を越え、1500馬力近く出ています。 このエンジンは1933年から計画され、1936年に試作エンジンが出来、以来熟成を重ねていたものです。 そして、このエンジンは、Barracudaの元々の装備エンジンとされています。 結局、Griffonが出力が高かったのでこちらが装備されましたが、試作エンジンにしては故障が少なく、 このエンジンを装備したBattle爆撃機は、テストパイロットの連絡機として一番人気が高く、1 943年まで使用していたそうです。 戦後も同じ構造で2500馬力を出す、ペンニンが計画されてました。 こちらはジェット時代が進んだので開発中止になっていますが。 #right(){(109:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **現代のプロペラ機と大戦中のB-29とかとは、根本的に違うエンジンなのでしょうか。 大戦中のB-29とかはプロペラですがレシプロエンジンなので、エンジンの構造は別物です。 出力をプロペラに回して推力を得るのはどちらも同じですが、 C-130はエンジンはジェットエンジン、B-29はレシプロエンジンという違いがあります。 レシプロエンジンってのは、まぁ、零戦とかに使われてたやつですね。 #right(){(109:瑞雲 Mikumo)} B-29のエンジンはレシプロエンジン(ガソリンエンジン)であり 現在のプロペラ機(ターボプロップエンジン)は純ジェット機に比べて小さなジェットエンジンを持ち そのジェットエンジンのタービンの軸とギアを介してプロペラの軸が繋がっていて それによりプロペラを回しています。 ちなみに今現在使われている殆どのヘリコプターのエンジンもほぼ同じ原理のエンジンを使っています。 #right(){(109:985)} **三菱製ハ43は順当に行けば「木星」という呼称が与えられたのでしょうか? 「水星」もありえます。 ただし、これは軍の制式名称ではなくメーカーサイドで付ける商品名みたいなもので、 「瑞星」のときに 「土星は語呂が悪い、木星、水星は将来の大馬力発動機の為に残す」と決めた三菱の深尾常務が 他の人に代われば変更もありえます。 ソース:往時茫々の何号だったか忘れた #right(){(110:True/False ◆ItgMVQehA6)} 「水星」の別名「辰星」 「木星」の別名「歳星」 「土星」の別名「鎮星」 あたりまでが候補でしょうか?別名といっても中国名ですが・・・ 「火星」の別名「焔星」 「金星」の別名「明星」 はだぶるのでなさそうですね。 #right(){(110:565)} **二次大戦の「水、エタノール噴射装置」ってなんですか? 当時の航空機エンジンでは、エンジン出力を上昇させる方法として、過給機などを使って 大量の空気をシリンダーに送り込んでやるのが多く用いられた手段でした。 しかし、そうするとシリンダー内の温度が上昇し、エンジンに無理がかかってしまいます。 これを防ぐためにシリンダーや給気管に水を噴射して気化熱によって温度を下げる方法が取られました。 実際に運用する際にはより熱を奪いやすいメタノールを混入させており、 これを水・メタノール噴射装置と称しました。 #right(){(114:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} 水とメタノール(メチルアルコール)の混合液を空気の吸入口に噴射して 気化するとき周囲の空気から熱を奪い冷却して、燃焼用空気の密度を高めて エンジンの出力をあげます ノッキング防止もあります 今のターボエンジン車ならインタークーラーで吸気を冷やしますが 大戦中のドイツのエンジンではスペース関係等で代わりにMW50という装置を装備しています #right(){(114:608)} 簡単に言うと、エンジンは酸素と燃料の混合機を燃やして出力を発生します。 温度が上がると空気は膨張し、酸素の密度が低くなるため出力が低下します。 よってエンジンを水やエタノールで冷やすことで、空気密度を上昇させ、出力を上げます。 そのための装置です。 #right(){(114:624)} **航空機に搭載されるレシプロ発動機は、出力が大事なのか、トルクが大事なのか、どちらなのでしょう。 航空機用エンジンの殆どが直結ないし減速比一定で、 恒速プロペラを備え、プロペラピッチが車の減速機にあたる事を知れば、 「馬力とトルクどちらが大事」と言うのがあまり意味の無い疑問だと判るでしょう。 #right(){(118:787)} **星型空冷の方が軸内砲は付け易い,シャフトが短いから星型の方が改造しやすいと聞いたのですが本当ですか? もう一度じっくりと星型エンジンの構造図をご覧下さい。 疑問に思われたとおり、星型エンジンでは普通はプロペラ軸とクランクシャフトが同一軸線となります。 よって、クランクシャフトに砲身を通すことになってしまい、成立しません。 単列星型エンジンのシリンダ間に砲身(銃身)を通した事例はあります。 理論上は、プロペラ軸をオフセットしてシリンダ間を通した砲身(銃身)を プロペラ軸に通すことは可能ですがメリットが思いつきません。 #right(){(119:True/False ◆ItgMVQehA6)} **レシプロ戦闘機にジェット機のアフターバーナーのような速度を急激に上げる装置はあったんですか メタノール噴射 #right(){(119:351)} WW2の一般的なプロペラ戦闘機ですと、定速プロペラという機構が用いられています。 これはプロペラ内に調速器(ガバナー)が内蔵されており、 指定されたプロペラの回転数を保つよう自動的にピッチが調整されます。 増速するためにブースト圧を上げると、プロペラが高ピッチに自動的に調整されて、 これによって回転抵抗が増し、より多くの空気を後に押し出して高い推力を生み出し速度が上がります。 逆にブースト圧を下げるとピッチが低くなり回転抵抗が下がるのでプロペラの推力が下がり、速度も落ちます。 #right(){(119:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **リノ・エアレーサーのエンジンってマーリンが多いみたいですがグリフォンが人気にならないのは何故なのでしょうか? 単純に、良く出回った物、構造が簡単な物、 ベースとなる機体に適合しやすい物ほどノウハウが蓄積して、 結果的にデフォで大出力を発揮出来る物を凌駕してしまいやすい様です。 #right(){(123:720)} 残された程度の良いグリフォンはスピードボートレーサー用に売り切れちまったから つーのが正解らしいぞ 競技人口も競技の人気も懸賞金もエアレースとケタ違いだから仕方ないそうだが #right(){(123:721)} >>721 君のは結果。>>720の言ってるのが原因。 まずは空冷の方がチューンしやすく、次にマーリン系のチューンが 確立されて、長らくグリフォンへのトライがされなかった。 #right(){(123:800)} **WWⅡ末期には航空機用レシプロエンジンの馬力は二千馬力の大台に乗りましたが、現代の航空機用レシプロエンジンはどれ程の馬力が出るのでしょうか? レーサー用なら、4000馬力超ってのがあるが、一般には400馬力程度。 レーサー用の大馬力エンジンは前述の通りだが、実用機用としては 概ね4~500馬力以上のものはターボプロップに駆逐された。 #right(){(初心者スレ486:651,664)} **レシプロの液冷エンジンの機体が流線型になる以外の利点とはなんでしょうか? レプシロ空冷エンジンはWW2レベルだとほぼ星型エンジンになるのが決定してる。 これは前後幅が狭い反面前方投影面積が大きくなり、 空冷という関係上外気を入れなければならないため造波抵抗が増大する。 しかもプロペラ後流もろに受ける位置で。 一方水冷では水平対向やV型やX型などを選ぶ事ができ、 前方投影面積を減らせるのみならず 外気流を直接エンジンに入れずにすむため流線形にしやすい。 そのため造波抵抗が小さくなり、前方視界や下方視界も良好になる。 が、水冷技術が要求され、同時に重量増加になる。 つまり水冷が高速性能に有利なのではなく、 双方メリットデメリットがあって甲乙つけがたい。 特に日本は水冷技術の蓄積が浅く軽快な戦闘機を好む気風もあったため 高速と水冷はイコールにはならない。 現代では水冷技術が枯れたのと速度の争いはジェットエンジンに持ってかれたため 航空用レプシロエンジンといえば水平対向の水冷式が一般的になった。 #right(){(677:161)} **ディーゼルエンジンを使用した航空機はあるの? ドイツのユンカース社は元々船舶用のディーゼルエンジンの開発からスタートした会社で、 1924年に2サイクルの対抗ピストン形式の航空機用ディーゼルエンジンの開発に着手しています。 生産型のユモ4(後に204と改称)は770馬力/1800rpmを発揮し、ルフトハンザによって ユンカースG38に搭載されて運用されています。 この後このエンジンは改良されてユモ205となり、ユンカースJu86爆撃機に搭載されました。 さらに最終生産型であるユモ207ではターボ、もしくはギヤ駆動式スーパーチャージャーと組み合わされて 離陸時の主力は1000馬力/3000rpmに達しています。 そして究極の航空機用ディーゼルエンジンとして、ユモ207を4基合体させたユモ223が 計画されましたが、1942年にこの計画は中止されています。 #right(){(587:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **航空機レシプロエンジンの過給器について >大戦末期の日本では、排気タービン過給器などは良く知られているエンジンメーカー以外にも、 >日立やら石川島やらでも開発されていたと聞きました。 >排気タービン過給器だからいろんなメーカーが作ってたのか、普通の機械式過給器もあちこちが作ってたのか、 >たとえば、三菱(中島)のエンジンの過給器はもちろん自製、とか勝手に思ってたのですが、 >過給器だけ他のメーカーから調達、と言うことも珍しくなかったりするのでしょうか? 排気タービンは例外的なんだよ。 空技廠の永野治や種子島時休が排気タービン(やジェット)の研究を 日立や石川島にさせてた。 だから中島の誉+日立のターボみたいなことも起きたの。 #right(){(332:681)} 語弊があるかもしれませんが、排気タービンやジェットエンジンと言うのは、突き詰めて考えていくと、 機構的には船舶用や発電用の蒸気タービンに行き着きます。 で、日本で当時、そうした技術力を持っていたのが、石川島や日立や三菱だった訳で。 ちなみに、米国でも、三大蒸気タービン製造会社であるAllis-Chalmers、General Electric、Westinghouse の三社にジェットエンジンや排気タービンの研究を行わせています。 #right(){(332:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2のイタリア空軍で採用されているエンジンの命名規則?についてご存知の方、いらっしゃらないでしょうか? >イマイチ法則性が良くわからないです。 基本的に法則性はありません。 例えば、Alfa Romeoは100から始まる一連の番号ですし、FiatならAで始まる連番で、 二番目のNは使用燃料(ナフサ)、Sは特殊を表します。 Isotta-Fraschiniは、初期のものはVono(飛行を表すイタリア語)が付いていましたが、 次のエンジンにはAsso(エースを表すイタリア語)が付いています。 以後は発展型にそれぞれGammaとかBetaとか付いている形。 Piaggioは、最初にPがつきます。 エンジンの後ろに付いているRCxxのRは減速装置付、Cは過給器付の記号で、これは 統一されている様です。 最後のxxは改良型を表します。 日本の栄の一一型、一二型みたいなもので、最初の数字がそのエンジンに加えられた 生産上の大きな改良、最後の数字が小改良を表します。 #right(){(329:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **DB60xやマーリン・グリフォンはSOHCですが、当時すでにDOHCがあったのに、何でDOHCにしなかったのでしょうか。 航空機エンジンにおいて、あまり高回転域の性能は求められていないからです。 何故なら、プロペラは回転数が増せば効率が落ちるからです。 (効率が良いのは、大きなプロペラをゆっくり大トルクで回す事) DOHCとは、カムの動きを直接バルブに伝える事によって、実用回転数を上げる 事を狙ったギミックです。例えば、OHVの場合は回転数が上がると、プッシュロッド がカムの動きに付いて行けなくなり、回転数が頭打ちに成ります。(OHCも同様) ですが、バルブ配置が適切なOHVの場合、低速域の効率は、DOHCと変わりません。 馬力とは、大雑把に言えば、回転数×トルクですが、回転数で馬力を稼ぐDOHCは 自動車では有利でも、飛行機でも有利とは言えないのです。 排気量制限の有るレーシングカーや、排気量によって税金が違う乗用車の場合は、 回転数で馬力を稼ぐしかありませんが、排気量の縛りが緩く、トルクが欲しい航空機 エンジンの場合、排気量の増大で馬力を稼ぐ訳です。 「じゃあ、減速ギア付ければいいジャン」と思うかも知れませんが、実用回転数まで 落とす為の減速ギアの重さと、排気量を増やす為にシリンダー数を増やした結果 増大した重量と、どっちが得か天秤に掛ければ、DOHCには軍配は上がらない訳です。 それよりは、実質的な排気量を上げる加給機(スーパーチャージャーとかターボチャージャーとか) の方に注力した方が良い訳です(高高度対策にも成りますし)。 #right(){(327:新所沢の三等兵 ◆UkUFfcwWIs)} 大馬力レシプロエンジンには普通減速ギアが付いてます。 元々高回転が得られないからDOHCにする必要性が低いというのは正しいですが、 その理由は直結したプロペラ出力の回転数に制約されるからではなく、 ピストンスピードの制約から元々のエンジン回転数が制限されるからです。 #right(){(327:531)} **空冷星型の航空機で、集合排気管から推力排気管に変更して最高速度が向上する例がよく話題になりますが、 >単排気管では排気脈動が利用できないためエンジンパワー自体は低下してしまうと思います。 >単排気管によるガスの推力と言うのは、それほど大きなものなのでしょうか。 バイクと違い、航空機のレプシロエンジンは 地上から高度数千メートルまで幅広い条件で作動させるから 重くてかさばって複雑になろうとも排気のエネルギー回収は機械式が使われる。 つまりターボチャージャーの出番ってわけ。 ところで推力式単排気管が採用されたのは五二型でのことだけど これは排気からエネルギー回収するターボチャージャーではなく 出力軸から直接捻出するスーパーチャージャーが採用された。 なのでエネルギーをたっぷり持った排気が勿体ないと考えられ、 推力式排気管という形での有効利用が目論まれたってわけ。 ちなみに現代のレプシロ機では過給器はもっぱらターボチャージャーが使われる。 その方が排気のエネルギーは垂れ流されず回収され、機構も単純堅牢ですみ、 さらに出力軸から駆動エネルギーとらないからロスも少なく燃費がいいという 両者の優劣が技術と経験の蓄積ではっきりしたから。 #right(){(679:274)} **戦争中の軍用機の多くが液冷でなく空冷エンジンを採用してるのはなぜ? 空冷の利点は頑丈で整備が楽 武人の蛮用に耐えると言う点で液冷よりも上 シリンダーの一つや二つに穴が空いても、 コンロッドがピストンを突き抜けても、空冷ならなんとか動く ただ、航空機用の星型空冷エンジンは 機体直径がでかくなる(高速向きの機体としては不利) 馬力を増やすには気筒の数を増やすしかないが、そうすると直径が更に・・・という壁 だからといって前後に重ねると、後ろの方がよく冷えなくなる といったデメリットがある。 #right(){(347:510,516)} **レシプロエンジンの最大馬力はいくつぐらいでしょうか? >できれば、エンジン名もしくは搭載機などもお教えください 確か、LycomingのXR-7755で、1944年当時で5000馬力。 目標馬力は7000馬力でしたが、試作のみで、これを搭載した機体は作られていません。 そもそも、1基3200kgで、Bore×Strokeが162×171mmで、星形9気筒を4列並べた36気筒 なんで、そんな重くて大きいエンジンをどんな機体に載っけるんじゃボケェ(意訳)と言われた もので。 #right(){(288:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 実機に積まれたヤツだと、 ・プラット&ホイットニー R-4360-35(3,500馬力) ・プラット&ホイットニー R-4360-53(3,600馬力) 辺りが最大クラスでないか? 前者はボーイングB-29D、別名B-50に搭載 実機への搭載数は四発 後者がコンベアB-36ピースメイカーに搭載 実機への搭載数は六発に加えて、推力2,450kgのジェットが四発 #right(){(288:163)} **ジェット戦闘機の場合アフターバーナー使って全速を出すと燃費が大変悪く、F-15でも20分ぐらいしか飛べないそうですが、レシプロ機の場合どうなんでしょうか? 意訳して戦闘速度(空戦速度)と巡航速度(経済速度)の燃費の差という意味なら 戦闘速度は巡航速度の3倍ぐらいの燃料を消費する。 音速の壁とか急降下とか加味しない場合ね #right(){(610:モッティ ◆uSDglizB3o)} 最高速度は、エンジン最高定格(MaximumRating)で計測する物ですから、 最高定格のRating条件により制限されます。 2次大戦米軍MILスペックのレシプロエンジンだと、最高定格で5分間を保証するQTを実施してるようです。 (エンジンによって違いは有るみたいなんですが) #right(){(610:129)} **空冷倒立V字型エンジンというものがあるそうですがどうやって冷却してるんでしょうか? 一般に空冷エンジン冷却の際には、シリンダーヘッドの表面温度を、瞬間で280度、 短時間で240度、巡航の場合は200度までにするように設計します。 水冷の場合は、300度、液冷(Ethylene Glycol)で200度、これに水を20%添加した ものは100度としています。 空冷エンジンを冷却する場合は、放熱フィンを大きくするかフィンの数自体を多くする 必要があります。 星形エンジンでも四重星形のようなものは、後部にまで冷却のための空気が行き渡 らずに苦労しています。 空冷倒立V型エンジン(有名どころではArgus As411とかDe HavillandのGypsy Queen)も 構造的には同じで、スチール製シリンダーバレルに冷却フィンを取付、これに空気を当てて 冷却を行なっています。 但し、気筒数が増やせなかったのと、大馬力にするには冷却フィンの表面積が増やせない為、 600馬力までの小馬力エンジンとなっています。 >空冷倒立V字型エンジンで戦闘機を造った時、空冷エンジンの長所でエンジンへの被弾に強く >水、液冷エンジンの長所で前方の面積が小さい究極の戦闘機ができると思ったもので・・・ 前面面積を小さくすると言うコンセプトで製作されたものの一つに、Rolls-Royceの空冷式スリーブバルブX型 24気筒エンジン「エクス」というのがありました。 (元々スリーブ・バルブは高回転・高圧縮が可能で、平均友好圧力を高めることで高出力を狙うというものです。  反面、その冷却と高圧縮に伴うライナーの変形の処理が問題になり、材料選択が難しかったりするようですが。) これにより、前面面積を小さくした上、加圧空冷によって22.1リットルのスリーブバルブ付きの小さなシリンダーを 持ち、最初920馬力、後に1200馬力を越え、1500馬力近く出ています。 このエンジンは1933年から計画され、1936年に試作エンジンが出来、以来熟成を重ねていたものです。 そして、このエンジンは、Barracudaの元々の装備エンジンとされています。 結局、Griffonが出力が高かったのでこちらが装備されましたが、試作エンジンにしては故障が少なく、 このエンジンを装備したBattle爆撃機は、テストパイロットの連絡機として一番人気が高く、1943年まで 使用していたそうです。 戦後も同じ構造で2500馬力を出す、ペンニンが計画されてました。 こちらはジェット時代が進んだので開発中止になっていますが。 #right(){(109:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )} **「水、エタノール噴射装置」ってなんですか? 当時の航空機エンジンでは、エンジン出力を上昇させる方法として、過給機などを使って 大量の空気をシリンダーに送り込んでやるのが多く用いられた手段でした。 しかし、そうするとシリンダー内の温度が上昇し、エンジンに無理がかかってしまいます。 これを防ぐためにシリンダーや給気管に水を噴射して気化熱によって 温度を下げる方法が取られました。 実際に運用する際にはより熱を奪いやすいメタノールを混入させており、これを 水・メタノール噴射装置と称しました。 http://www.warbirds.jp/ansq/4/D2000328.html #right(){(114:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)} **二式単座戦闘機や百式重爆撃機のエンジン、ハ109の評価はどのようなものだったのでしょうか? >大戦末期にようやく1500hpに届いたハ112-2に比べて評価が低いようですが 三菱の場合、エンジンの開発は、エンジン開発全体を統括する開発主務者を決めて 行います。 ハ112(金星)は、決して背伸びすることなく、信頼性の確保を重点に開発が行なわれ、 例えば、Bore Strokeは、当時、三菱が生産していたイスパノスイザエンジンと同じにして あります。 このため、その開発・製造ノウハウが利用出来、結果的に自社自主開発というものに賭け をした割りには、成功作となりました。 (但し、海軍が採用したのと、自主開発に陸軍が難色を示し、採用はずっと後になりましたが) また、これを基に、排気量を小さくしたのが瑞星、Boreを大きくして排気量を大きくしたのが、 火星になり、発展性、補給面でも互換性が一応あるようになっています。 一方の中島の場合、エンジン開発全体を統括する立場の人はいませんでした。 このため、開発は横並びで、Boreの口径もまちまち、Stroke長もまちまちでした。 信頼性のあるエンジン開発に於いて、Bore口径の変更は好ましいことではなく、寧ろ性能重視 が背景にあったものと思われます。 更に、馬力向上、新機構の採用など、熟成に時間の掛かる開発手法を取ったりする傾向も見られ ました。 特に、馬力向上をするには、エンジンを肉薄に作ることが多く、そうなると耐久性が落ちる、また、 他のエンジンと異なるbore径を採用した為、部品供給に支障を来した、と言う点で、余り良くは 思われなかったのではないでしょうか。 #right(){(118:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **大戦時に日本に航空機用ディーゼルエンジンはありましたか? 第二次大戦前なら、三菱で九二式重爆用に、ユ式一型ディーゼルエンジンを製作しています。 これは、ユンカースJumo1またはJumo4を国産化したもので、故障が可成り多く、川崎のハ9(これも 故障は似たり寄ったりですが)水冷発動機に換装したりしています。 ちなみに、これと、当時License生産していたHispano-Suizaを基に、三菱は九三式の水冷発動機を 製造しています。 また、海軍は1938年に実験用にFranceから、クレルジェ14F-2空冷星形ディーゼルエンジンを付けた Potez25を購入しますが、機体が老朽化しており、実際の飛行は行ってません。 #right(){(128:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **中島のエンジンは三菱に比べ粗製濫造というような話を聞いたような気がするのですが >三菱の金星はちゃちゃと動き、中島の誉は「国をほろぼす」と言われたのかな? 三菱のエンジン開発は、深尾という造船のdiesel engine部門にいた技師が、発動機部門を統括し、 彼を中心に回っていました。 彼はDiesel engine実用化で苦労したことから、エンジンの設計を整理し、金星を作るに 当り、そのシリンダーのボア・ストロークを140mm×150mmとして(これは当時ライセンス 生産していたイスパノスイザの水冷エンジンと同じもの)、これをベースに、ストロークを 短くして排気量を小さくしたものを瑞星、排気量を大きくしたものを火星として開発してい ます。 火星は排気量を大きくするために、ボア・ストロークを150mm×170mmと拡大していますが、 気筒数など大きな変更はありません。 即ち、大幅な設計変更をせず、今まで実績のあるシリンダを組み合わせることで生産の効率 を上げ、トラブルを招かなくても済んだのです。 実際、三菱で製造されたエンジンは、ボア径は140mmか150mmのいずれか、ストロークは130mm、 150mm、170mmのいずれかしかありません。 方や、中島には深尾の様な全てを統括する技師がいませんでした。 このため、各設計者が自分の考えでボア径、ストローク長を決めていました。 信頼性のあるエンジン開発で、手慣れたボア径を変更することは危険です。 一方で、新機構、馬力などの性能に拘り、ボア径は110~160mmまで5種類の ものを用い、また、コンパクトにすると言うことは剛性が弱いと言うことも言える でしょう。 #right(){(140:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ロールスロイス・マーリンとパッカード・マーリンってエンジンの特性とかに差はありますか? 図面を引き直し、地道に出力向上を行っています。 最初に生産したMerlin24/25/66の各シリーズは、Merlin224/225/266として そのまま生産されていますが、Merlin68は、英国製の60シリーズが離昇出力 が1,315hpであるのに対し、1,400hpに、Merlin69では更に出力が向上して1,490hp になっています。 #right(){(141:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **日本はDB601エンジンのライセンス生産権を取得したらしいのですが、 >この無段変速過給器や燃料直噴技術は、そのまま日本の航空機エンジンに適用されてるんでしょうか? 三菱の航空機エンジン開発に於いて、ドイツの影響は弱いものです。 三菱は、Hispano-Suizaに学び、またP&W社との技術交換(技術者間では、 実用化前のTwin Hornetを見せられたり、金星のアウトラインを話したりして います。)をしており、三菱のエンジン開発の総元締である、深尾は、欧米 視察の際、総じてヨーロッパのエンジンに見るべきものはないと結論づけて います。 この辺の技術は、三菱に於いては国産開発か、P&Wの技術の応用のいずれか で、DB社の改良などは、まず、社内で採用されなかったでしょうね。 #right(){(143:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} 三菱の燃料噴射装置は実質的にボッシュの無断コピーじゃなかったかしら #right(){(143:106)} **海軍が誉エンジンにこだわったのは何故ですか? 誉エンジンは、1940年に企画が立てられました。 それは、栄エンジンと同じボア・ストロークで、外径寸法は栄の僅か30mm大という もので、栄の18気筒版というものでした。 使用ガソリンは米国から輸入する100オクタンを想定していました。 海軍は性能の良い航空機を開発するには、軽量で出力のあるエンジンが必要と 考えており、誉は正にそれに合致するものとなった訳です。 一方の三菱は、金星を18気筒化したA20エンジンを開発しています。 こちらは、手堅く、将来のオクタン価が低いガソリンの使用も考慮し、若干大型で 放熱設計などもきちんと為されていましたが、こちらもクランクシャフトの焼き付き などの問題が発生しています。 ただ、誉に比べエンジン外径で50mm大きく、乾燥重量では115kg重かったのと、 カタログ性能上はパワーウエイトレシオが低く、海軍の要求に合致しませんでした。 ついでに、三菱は、製品全般に言えることですが、官に無条件に従うものではなく、 言うべき所はきちんと主張するために、結構軍との軋轢もありました。 このため、軍の意向をある程度汲んでくれる、中島飛行機の方に肩入れをしたと言う のもあります。 #right(){(148:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **液冷式の星型エンジンってないのでしょうか? >星型をパワーアップする場合、同じエンジンを重列しますが、後ろの気筒に >冷却風が当たらなくて2列、3列までが限度だったりします? あります。 Junkers Jumo222 6x4=24気筒 Lycoming XR-7755 6x6=36気筒 #right(){(240:743)} 液冷式ではありませんが、水冷式なら、1911年に猿六村、もとい、Salmsonが 水冷星形7気筒、次いで9気筒エンジンを製作しています。 ちなみに、日本でも川崎造船所、東京砲兵工廠などで国産化されました。 記録では、空冷星形エンジンよりも馬力が出るので、戦闘機乗りはこれを好み、 V型、直列は、クランクケースを破損することが多かったので、忌避されることが 多かった様です。 星形の場合は、クランク軸が短く出来、ベアリングも前後二つでOK。 また、内部モーメントも発生しないので、当時としては前面面積の大きさは十分にカバーされていました。 つまり、機械的な摩擦による損失が、直列型に比べ短いので慣性による荷重がゼロになります。 また、クランクシャフトを短くすることにより、長くなればなるほど、振動の原因になり、内部モーメントが無い ので、厄介な問題は生じにくい訳です。 但し、星形エンジンは一本のクランクピンに全シリンダーのコネクティングロッドを接合できないので、リンク ロッドを円板上のナックルピンに接合、この円盤を歯車を介して固定歯車の周りを回し、更にリンクによって シリンダの位相角やストロークの差をなくすと言う複雑でコスト高の機構が必要となりました。 後、>743氏に補足ですが、BMWもFocke-Wolf Fw-238に搭載予定のBMW803を開発していました。 こちらは液冷4列星形28気筒4000馬力の代物で、前部と後部の二重星形を反対方向に同軸上で回すコント ラプロペラを駆動するものでした。 これは、後部エンジンの動力を歯車によって5本の軸に分け、全部エンジンのシリンダの間隙を縫って前方に 導き、再び歯車によって、プロペラ軸に繋ぐと言う複雑なものでした。 また、NASAルイス研究所では1980年にContinentalと協同で、星形3気筒、6気筒航空用ディーゼルエンジン、 ドイツでは、Zocheが星形4気筒、または8気筒の航空ディーゼルを開発していました。 #right(){(240:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ロールスロイス・ペリグリンについて質問です。 >傑作だったはずのケストレルをもとにしながら、このエンジンはパッとしません。なぜでしょうか? 簡単に言ってしまえば、時代に合わなかったと言うことです。 その設計思想は、Marlinより小さなエンジンを開発しようと言うものでしたが、原型のKestrel自体、 既に限界まで弄り倒されていたので、これに更なる馬力向上を図れば、自然とトラブルは多くなり ます。 ちょっと例えが過ぎるかもしれませんが、BMW9エンジンを川崎が弄り倒したとか、三菱がイスパノ 650馬力に手こずった様なものです。 実際は1000馬力以上の出力を持つ、大馬力エンジンを必要とする局面が多いと言うことで、エンジン 自体、不要とみなされた訳です。 #right(){(238:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **2サイクルの航空用エンジンが無いのはなぜなのでしょうか? 2サイクルの航空機用エンジンは実際に試作され、ドイツでは実用化されています。 Junkersは、第一次大戦の頃には既にその形式のエンジンを試作しています。 でもって、実用化されたのは、Jumo205で、これはJu-86爆撃機のエンジンの一つ となっていました。 但し、この方式は、熱負荷の問題があり、ボアの大きさの決定が非常に難しいもの でした。 これは2シリンダー分の熱をライナー1本で引き受け、4サイクルに比べ、4倍の熱量を 発するのです。 特に排気の熱量は大変なモノで、これを上手く押さえ込まないと、シリンダーへの熱流 が過大となり、過大なオイル消費、その急増に伴うエンジン寿命の短縮、遂には焼き付き に至ります。 また、これはディーゼルエンジンだったために、軍用機に採用した場合、回転変動が大きく、 編隊飛行の場合にその維持が困難になっています。 更に冬期には始動不良の問題が発生し、ガソリン混入の軽油で始動する状態で、現地改造 で回転数を上げたら、ピストンのファイアプレートの亀裂、排気温度増大による排気管折損な どの問題も発生しています。 ちなみに、Jumo204の話ですが、操縦士には嫌われ、「虎のように陰険な奴野郎」とまで言われて いました。 このエンジンの「成功」に幻惑された国々も多々あり、チェコではWalterがJumo205のライセンスを 購入し、国産では、Zbrojovkaが1931年に2スト9シリンダエンジンを試作しています。 フランスもJumo205のライセンスを買い、Peugeot子会社のCLMが生産を準備しますが沙汰止みとなり、 ソ連は、Pe-8の動力として、Jumo205の改良型M-40Fを使用しています。 日本は、東大航空研究所と三菱がその試作を行っています。 また、英国は独自に2ストロークエンジンを開発しようとしていました。 空軍省からの提示で、Rolls-Royceがクレシーというエンジンを開発しています。 これは2ストローク、スリーブバルブ、層状燃焼式ガソリンエンジンでしたが、1930年に原型の単気筒を見せられた Royceは一言、"not bad,but enough!"と述べたそうです。 で、1935年にレーダー網を設置する防空委員会で、これに連動する迎撃機の仕様を決める際、小型、軽量、高出力 が必要とされ、これにクレシーが採用され掛けました。 しかし、このエンジンは熱負荷に悩まされてトラブルが続出し、1942年に試作が完成したものの、以後の製作は中止 されています。 ただ、英国は1951年に至っても、Napierが、Normadエンジンを開発しています。 これは、Shackleton哨戒機の動力として計画されたモノで、液冷2スト3,046馬力のディーゼル+ガスター ビン複合エンジンで、プロペラと3段の排気タービンを回し、このタービン軸が12段の軸流コンプレッサー を回して圧縮した空気をエンジン本体に導くと言う代物でした。 #right(){(168:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **WW2でイタリアの空冷航空機用エンジンが故障がちで低出力だったのはなぜですか? 1930年代初期のFiat A.1エンジンは、後にソ連のT34戦車のV2エンジンに、一部の機構がそっくり そのまま移植されたんですけどね。 まず、イタリア戦闘機のDoctrineとしては、格闘戦を重視していました。 なので、格闘性能を引き出すには軽量の戦闘機が必要となり、軽量小型のエンジンが必要でした。 大重量、大馬力のエンジンは必要なかった。 また、イタリアのエンジンの殆どは、英国のJupiterか、フランスのGnome-Rhoneが基になっています。 お手本になったエンジンは余り出力が出ないモノでしたので、勢い、イタリアのエンジンは馬力が出ない ものになっています。 これが、米国のP&WとかWrightとかの技術を導入したのなら、少しは発展したのかもしれませんが。 後、戦時中のものは日本も同じですが、工作精度が低く、故障がちになっていますね。 #right(){(169:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **三菱がイスパノ系列の水冷/液冷発動機に見切りをつけたのは何時頃でしょうか? 1934年まで、Hispano-Suizaのエンジンが製造されていますが、450馬力でまず製造困難に直面し、 650馬力に至っては手に余る有様で、それを発展させた九三式も同様に少数生産に終わっています。 これは熱的設計が今までの経験と全く異なっていたことと、燃料の問題もあり、更に今まで補機類は フランスから買い付けていたものの、これを国産品に改めたために、品質の問題が発生したためです。 この対策費が莫大になったことと、そのHispano系エンジンの故障に業を煮やした海軍から、「使用ニ 耐エス」と言う通告があって、ついには工場で生産するエンジンが無くなり、三菱航空機の経営に相当 の支障を来すようになったため、三菱財閥の岩崎小彌太主導で、造船と航空機の合併が、1934年6月に 実施され、三菱重工業が成立します。 この時、発動機部長に就任した深尾氏が立てた目標は、  1. 性能、信頼性、および安価であることに於いて、世界一の航空発動機を作る。  2. 水冷か空冷のどちらか一方の開発に絞る。    (海外優秀メーカーはどちらか一方に特化している。二兎を追う者は一兎をも得ず)  3. 海軍用、陸軍用を区別すべきではない。  4. 軍と合作では世界一のものは作れない。他の掣肘を受けることなく、独自に設計すべきである。 として、水冷、空冷の方針検討を行います。 ちなみに、1934年6月に三菱重工常務の郷古潔の渡欧時に、Hispano-Suizaとの間にライセンス契約の 更新を行い、水冷650馬力エンジンのLicenseを締結したばかりでしたが、年末には、深尾は空冷一本の 方針を打ち立て、以後は空冷一本に開発が絞られます。 その理由としては、  1. 水冷論者は直列型の前面抵抗が小さいことを重視するが、馬力向上に従って差が無くなる。  2. 水冷よりも吸気弁を大きくできるから馬力が大となる。  3. 気筒数は複列にすることで、水冷より多くできる。  4. 水冷式は部品の大きなものがあるから廃却品の影響が大きい。  5. 同型部品数が多いから量産に適する。  6. 水冷式は機関砲の取付が容易だと言うが、回転同調装置の使用により、優劣はない。  7. 冷却器が不要である。 としています。 但し、そのボア・ストローク径は爾後、ほぼ一貫して、三菱系航空機エンジンに用いられています。 >12Xとボア・ストロークを同じくする「火星」以外にも、イスパノとそれと繋がるエンジンがあるのでしょうか? Hispano-Suizaのエンジンのボア径は2種類あります。 Hispano-Suiza300/450馬力は、ボア径140mm、ストロークが150mm。 Hispano-Suiza650馬力は、ボア径150mm、ストロークが170mmです。 金星は、ボア140mm、ストローク150mmで、ボア径が当時生産していたHispano-Suiza系 エンジンのものを用いています。 以後、Hispano-Suizaと同じCylinderを採用することで、それまでのノウハウが生かせると 言うことで、300/450馬力の140×150を継承し続けています。 これを出発点に、ボア径140mmはそのままで、ストロークを130mmとして排気量を小さく したのが瑞星、ボア径を少し拡大して650馬力と同じ150mm、ストロークを170mmとして 排気量を大きくしたのが火星になります。 #right(){(183:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **瑞星は栄に対して何が劣っていたのでしょうか? 一番大きいのが、中島の方が量産化技術に関しては一日の長があったことです。 三菱は、各工程に「名人」がいて、仕事は丁寧なのですが、量産には向かず、これを是正するのに 幹部は苦労しています。 一方、軍部に対する姿勢は、三菱が、軍部の意向と関係なく、独自の姿勢を貫いたのに対し、 中島は、軍部の意向を積極的に取り入れたこともあります。 更に、三菱は、金星を主力とし、瑞星は小型機用、火星は大型機用と割り切ったこともあります。 >瑞星(ハ26)の総加工時間 最大5,090h 最小1,970h に対し >栄10の総加工時間      最大6,560h 最小3,392h >ハ102の総加工時間 最大9,250h 最小2,080h に対し >ハ115の総加工時間 最大7,177h 最小3,621h >となって、やや瑞星系が優位に立っているようですが、これは大戦中に逆転したということでしょうか? 三菱は内製を好み、中島は外注を多用したことも一因です。 三菱の名古屋製作所の場合、第一次工場が130(エンジンに直接関係する工場数60、直接利用できる工場数37)、 第二次工場が234で、エンジンについては20%しか外注していません。 このため、需要が急増した際には生産能力が不足し、協力工場の保有能力を発揮出来ていません。 また、生産の際には、信頼性維持に重点を置き、試運転中に事故を起こしたエンジンは徹底的に分解、その部品 一つ一つを調べ、原因を追及することに重点が置かれており、生産機械はあるものの、それを生かす状態には ありません。 また、内製でも加工不良率は45~49%で、素材重量の25%が製品化出来ると言う状況でした。 (参考ながら、ライトの場合は材料不良率、加工不良率共に10%程度でした。) 中島は、早くから部品に関しては外注先を育成しており、84社の協力工場の本社作業の割合は 70%に達しています。 気化器、燃料ポンプ、マグネトー、軸受、バネについては全量外注工場で製作され、敗戦近くに なると、吸排気弁、ピストンピン、弁てこ、弁てこ軸、サブコネクティングロッドに至るまで、協力工場 に移しており、協力工場も技術的向上があります。 後、余談ですが、三菱が金星を作った時、これは陸海軍に反対されている状態で、製作を強行して います。 しかも、金星は海軍向けとなり、陸軍向けに開発していたハ6は結果的に後回しになり、更に、金星の 性能が高かった上に、三菱の所長がハ6は不合格になっても構わないと発言したと伝えられたこと、 加えて、別のエンジン試作での陸軍の研究指導が拙劣だと言う内部文書が見つかって、大騒ぎになり、 陸軍は赫怒しています。 このため、陸軍は金星とほぼ同じ機構に改良したハ6は、1937年に理由無く不採用となり、中島のハ5 生産を命じられます。 陸軍が、金星を採用したのは、1941年のことです。 また、堀越技師は、本来、零戦に金星を使いたかったみたいです。 #right(){(184:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **イタリアってなんで空冷18気筒の大馬力エンジンをものに出来なかったのですか? Alfa Romeoの場合は、Bristol Pegasus/Mercuryがその原点で、FiatはGnome-Rhone14、 P&Wがその原点で、とりわけ、Gnome-Rhoneの影響が大でした。 Piaggioは、両社折衷で、Bristol Jupiter/Mercury、Gnome-Rhoneの影響、とりわけ、Bristol 系の影響が大でした。 この様に、上記各社は技術提携してLicense生産を行った後、自力更生でエンジンの開発を進めて いますが、Bristol系にしてもGnome-Rhoneにしても、提携した当時に各社が手本にしたのは、小出力 エンジンで、これからステップアップするには非常な努力を必要とします。 また、使用ガソリンについても、誉は92オクタンのガソリンを想定していましたが、当時のイタリアの エンジンは87オクタンのガソリンを想定せざるを得ませんでした。 オクタン価の大小は馬力に影響を与える要因です。 また、ボアは問題ないにしろ、ストロークの問題が大きかった様です。 ボア径はイタリアの場合、PiaggioがBristolと同じ146mm、Alfa Romeo、Fiatが140mmを用いています。 しかし、例えば、空冷星形18気筒のAlfa Romeo 135RC32の場合、ストロークは190mmに達しています。 理屈的には、P&W R-2800よりも大きな排気量を持ち、吸入空気量が大きいのですから、大馬力が出せる はずですが、往復運動をする行程が長くなり、燃焼終了までの時間が掛かりすぎる訳ですから、高回転が 望めない訳で、また燃焼の制御も難しく、実際に回転数は、誉の3,000rpm、R-2800の2,800rpmに比べると 一段低い、2,400rpmにしかなりません。 ボア径とシリンダ長の適正な長さが求められると、エンジンの設計は8割方終わったも同然ですが、今のように コンピュータ解析が出来ない時代は、経験に頼るしかなかった訳です。 #right(){(184:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ソ連のエンジンは日本よりヘボかったんでしょうか? 鍛造とかそう言う技術や冶金技術では、ソ連の方が優れています。 それに、Klimovはちょっとずつ進化していっているので、BMW9からいきなりDBにジャンプした 日本よりかなりマシです。 ついでに、Hispano-Suizaのポテンシャルを上手く引き出していますね。 Klimovの派生型はストロークが基本形より2mm短く、排気量35.09lです。 最初のVK-103は単段式過給器で750馬力、次いで回転数を2400回転として860馬力となり、 860馬力のまま、二段過給器を装備して、その改良で960馬力を発揮し、100オクタン燃料の 採用で1,100馬力に達しています。 VK-105は、103の回転数を2700回転に上げたもので、馬力は1050馬力になっています。 これは改良を受け、最終的には1,280馬力となり、吸排気系の改良を施したVK-107で、混合気 吸入量が増大し、回転数を更に2800回転まで上げて、燃料は94/95オクタンを使って、1400馬力、 100オクタン燃料で、1650馬力にまで増大しています。 BMW系列はMikulinが監督して生産しています。 自分で設計したAM-34は、BMWVIシリーズのシリンダーブロック、Hispano-Suiza12のリアホイール ケース、アリソン製過給器と、RRバザード用の減速ギアを使用して製造されています。 #right(){(185:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **戦争末期になるとおもな航空機エンジンに水メタノール噴射装置が追加されているみたいですが、 >おもな航空機エンジン(栄とか金星とか)の水メタ噴射装置の装備時期を教えてください。 試作品ならば、火星23型で1941年12月に追加されています。 金星52型も1942年頃でしょうか。 手元の資料は三菱系のものしかありませんが、元々、オクタン価の高いガソリンで稼働していた エンジンを、オクタン価の低いガソリンで稼働させようとした場合、異常燃焼の発生に伴う馬力低下 をどうするか、その対策のために種々検討されたもので、1941年頃までに水・メタノール噴射の研究 が行われていました。 その成果としての水・メタノール噴射装置の装備については、1941年末の火星を奔りとして良いの ではないか、と思います。 #right(){(226:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **ハ5、ハ109、ハ41は失敗作だという説を聞きました。 >基本的に使い慣れた寿の14気筒版としか思えないのですが、何が問題だったのでしょうか? 確かに、初期のハ5については、寿の9気筒から7気筒複列にすることによって、後列シリンダの冷却対策を とりましたが、吸排気系統の取り回しが複雑になり、クランクシャフト周りが複雑になるため、第一号エンジン ではこれらが上手く機能せずに、再設計したものを製作しています。 しかし、失敗作と言うのだったら、7千余基も作られはしません罠。 後、ハ44の計画ですが、栄系列のエンジンは直径を小さくすることで、前面面積を減らし、 機体設計の際の空気抵抗軽減に寄与しようとしていましたが、逆に言えば、ボアやストローク が小さいので、馬力を無理に向上させようとすると無理が生じ、信頼性が低くなります。 なので、手堅い寿系のボア・ストロークを採用することで、余裕のあるエンジンを目指した と言えるのではないでしょうか。 #right(){(196:眠い人 ◆gQikaJHtf2)} **第2次世界大戦時のレシプロエンジンの構造について質問です >1、エンジン形式は4サイクルのガソリンエンジンって認識で宜しいでしょうか? >2、燃料の供給はいわゆる燃料を吹き付けるインジェクションなのか >  それとも吸入負圧を利用するキャブレターなのでしょうか? >3、航空機の場合、高度差が激しいと思うので燃料の調整が必要だと思うのですが >  どのような構造で調整していたのでしょうか? >4、もし、ガソリンエンジンだった場合、当時のオクタン価は幾つくらいですか? >  やはり、航空機用にオクタン価を上げていたのですか? 1、基本的には4サイクルエンジンが殆どですけど一部ディーゼルエンジンも有  ったし後期にはジェットエンジンも登場しました。 2、イグニッションが主流ですけど最後までキャブレターのメーカーもありまし  た(他ならぬ中島飛行機ですが)。 3、これについてはメカニカルな事はよく知りません。 4、上はアメリカの100オクタンから下は日本陸軍の87オクタン(松根油入り)   まで色々です。ドイツは95オクタン、日本海軍は92~98オクタン。 #right(){(57:502)} 当時はキャブレターが主流だと思いますが、ガソリンの燃料噴射のものも、 存在したようです。 「BMWと航空機エンジン」 http://homepage1.nifty.com/clube46/bmwengine.html #right(){(57:509)} オクタン価を上げるにも、当時の技術なら、鉛を加える程度の方法しか、 無かったのではないでしょうか。 日本では、「松根油」と言うものの採集もされたようですが、この油を、 ガソリンに混ぜる事によって、オクタン価が上がるという記述も、 どこかのウエブページには有りました。 #right(){(57:510)} **レシプロエンジン機の「水メタノール噴射」ってなんでメタノール入れるんですか? レシプロエンジンのピストン内でメタノールが気化して圧縮圧が高くなる とかだったかな #right(){(57:825)}} ----

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