「WW2重火器」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
WW2重火器」を以下のとおり復元します。
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**日本の12.7cm高角砲のプラモデルみてて思ったのですが、砲兵はどこで作業をするのでしょうか?
>中に入るのですか?それとも外で戦うのですか?
砲の傍に流線型の物体が付いていますが、その物体の後ろで
作業しました。
そもそも、防盾は砲身側にしか付いていませんから(除大和級)、
砲員はその側を自由に動き回れたみたいです。
#right(){(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**噴進砲ですが、陸上用のは無かったのですか?
陸軍では四式20センチ噴進弾と、四式40センチ噴進弾の二種があります。
海軍では20センチロツ弾、45センチロツ弾という名称でした。

実用化は海軍の方が早く、1942年頃完成しました。
弾頭部は陸上砲撃用の20センチ砲弾をそのまま流用しました。
1944年に完成した45センチの方は、「陸用大和型ロケット」と称されていた
そうで、沖縄戦で実戦に投入されました。

陸軍のものは1944年に正式採用され、沖縄戦、硫黄島で使われ、米軍から
その発射音が赤ん坊の泣き声に似ていることから、「バッフリーワッフリー」
と言われていたそうです。

終戦直前には60センチのロケット弾が7基製造されましたが、発射実験される
こともなく、内灘の射爆場に埋められたそうです。 
#right(){(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
陸軍は実戦投入していません。本土決戦部隊にはバズーカ型、
迫撃砲型のものが若干数が配備されたようです。

ロケットに似て非なるもので、98式臼砲という火器はあります。
直径32センチの砲弾を飛ばすブツなので、たまに欧米の文献だと
「ロケット弾」と表記している場合があります。 
#right(){(12:名無し厨尉)}

**高角砲は対艦戦闘に使用できるものでしょうか?
別に砲弾を取替える必要も無く使える。
基本的に艦艇搭載の高角砲の使用弾種は榴弾のグループ。
対空戦闘時にはこれを時限信管で炸裂させるが、着発信管も付いている。
これは狙った航空機に直撃した場合に炸裂させることを狙った物だが、
これは即ち水上目標である艦艇に直撃しても炸裂するということ。
従って同じ砲弾で対空・対艦にも使用できる。
#right(){(16:357)}

**日本陸軍の砲っていろいろあるのですが山砲、臼砲、速射砲、榴弾砲、対戦車砲の違いと軽機関銃と重機関銃の違い、
>高射砲と高射機銃(?)の違いについてできるだけ詳しくご教授願えないでしょうか
>その他にも砲があれば教えてください。
山砲=分解運搬が可能な中口径榴弾砲。
臼砲=大口径、短砲身の榴弾砲。
榴弾砲=比較的短砲身で、間接射撃を主体とする、支援砲撃用の野砲。
対戦車砲=戦車を撃破することを目的とした、徹甲弾を主に使用する、長砲身で比較的小型の砲。

さらに
カノン砲=長砲身で、直接および間接射撃に使える野砲。
歩兵砲=主に直接射撃を行う、近接歩兵支援用の砲。
迫撃砲=短い砲身に二脚を設けた、簡易な砲。歩兵支援用に用いる。
などもあります。

軽機関銃=1名で運搬が可能な機関銃。軽量だが射撃頻度に劣る
重機関銃=重量のある台座と照準機を備え、冷却機構(また予備銃身)を
多数装備して、連続射撃を行えるようにした機関銃。
長時間の連射が可能だが、重く取り扱いにくい。
汎用機関銃=装備の交換によって軽、重両方に使用できる機関銃

高射砲=主に航空機を攻撃することを目的として、大きな仰角を得られるような機構と対空照準機を持った砲。
高射機関銃=機関銃に対空照準機を備えたもの。

簡単ですが、こんなところで。
#right(){(17:379)}

**旧軍の山砲の名前を教えてください
古いものから順番に…。

4斤山砲、7センチ山砲、三十一年式速射山砲、四一式山砲、九四式山砲、九九式10センチ山砲、
試製一式7センチ半山砲、試製一式10センチ山砲、ボ式山砲。
#right(){(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**巨砲「リトル・デービット」とはどのようなものなのか
米軍が開発したWWⅡで最大口径といわれる臼砲です。
口径は914mm、砲弾の重量は1640kg(炸薬はおよそ700kg)最大射距離は約一万㍍。
自重は60トン、砲身長は6.6メートルの砲口装填式です。
もともとは陸軍航空隊が航空爆弾のテスト用に開発したものですが、
これにもをつけた陸軍が攻城用臼砲として採用したものです。
終戦までに一門が製造されましたが、使用されることはありませんでした。 
#right(){(30:名無し軍曹)}

**日本陸軍の火砲は米軍のそれよりずっと命中率や作りが上だったのでしょうか。
事実です。日本陸軍は日露戦争以来、仮想敵であるロシアに比べて砲門数と砲弾蓄積量が
常に劣るという想定で砲兵戦力の整備を行っています。
その為、射弾散布界の縮小と砲自体の軽量化による運動性の向上で対抗しようと目論んでいました。
自衛隊結成時、旧軍の砲兵将校が貸与された米軍の一〇榴を実際に運用してみて、
あまりに射弾散布界が広い事に驚いている事が多くの手記に語られています。
ただし、旧軍の野戦砲の砲身命数は、その冶金技術の低さと精度向上の為に列強中最低であり、
大量の砲弾を短時間に投射できないという欠点も持っていました。
米軍は、砲一門あたりの射撃精度の低下を甘受するかわりに、生産性と砲自体の堅牢性を高め、
一度に大量の砲を集中する事を前提としています。
こうした運用思想上の違いがありますので、砲単体の精度を比較する事に意味があるとは思えません。
#right(){(31:819)}

**「アハト、アハト!」ってなんなんですか?
アハトは8を意味するドイツ語です
つまりアハトアハトは88mm高射砲を意味します
#right(){(38:753)}

**81ミリ迫撃砲なんて第二次世界大戦時の日本にあったのですか?
81ミリ迫撃砲はありました。
と言うか、世界中の迫撃砲はフランスはストークブラン社のコピー又はライセンス生産でした。
日本ではそれを九七式曲射歩兵砲として採用しています。

余談ですが、日本ではそのストークブラン社のものを更に威力増大する
ために口径90ミリに増大して九四式「軽」迫撃砲なる物を作っていますが、
原型の重量67キロに対し、重量160キロと意味のないものに仕上がってしまいました。
このため、同じことを目論んだソ連の82ミリ迫撃砲に比べると、
意味のない兵器になってしまっていますね。 
#right(){(39:眠い人 ◆ikaJHtf2)}

**旧日本陸軍の「大隊砲」あんなオモチャみたいなんでほんとに威力あったんすか?
92式歩兵砲(大隊砲)は威力的には特に問題はありません。 
旧軍の実験によると榴弾の威力半径は22mで、これは75mm級の野砲弾と 
ほぼ同じ威力です。しいて問題点をあげるとすれば、迫撃砲と大差ない射程と 
威力の割に価格と重量がはるかに大きいことでしょう。 
(81ミリ迫撃砲で60kg程度、大隊砲は204kg)
#right(){(39:509)}

**当時の日本の高射砲で、高度10000メートルを飛行するB-29を撃墜することができたのでしょうか?
渡辺洋二の「死闘の本土上空」(文春文庫)は良い本だよ。
入手しやすいし軍ヲタからの評価も高い。一読をお勧め。

取りあえずの回答。B29は常に高高度を飛んでいたわけではないです。
特に夜間や護衛戦闘機がついた場合には。
護衛戦闘機が付くのは硫黄島陥落以後。
#right(){(41:311)}

**旧日本軍に要塞砲ってあったんですか?
ありましたよ。
というより、日本海軍は沿岸防衛が創設の動機でしたので、
港湾や海峡の防備はそれなりに重視されていました。
たとえば、日露戦争の旅順要塞攻撃に使用された28サンチ砲は
沿岸防衛用の要塞砲を転用し、現地に運搬したものでした。

今でも対馬などには巨大な要塞砲の砲塔のあとが
そのまま残っています。たしか戦艦長門級の主砲塔と同じ
ものが設置されていたと記憶しています。
#right(){(45:279)}

**ポムポム砲の発射速度を教えてください。
自動射撃で毎分115発になってるよ。
#right(){(45:名無し軍曹)}
ポムポムの発射速度、300発/分というデータがあり、これに
もっともよくある4連のポムポムは自動ではなく、手回しによる
連射であった、という事実と、その際の発射速度が75発/分である
という記述を考え合わせると、4連ポムポム全体での発射速度は
300発/分であり、8連のものは600発/分前後ではなかったかと思われます。

それでも対空目的にしては発射速度も弾速も遅いことに変わりはなく、
40mmボフォースの方が評判が良かったようですが。
#right(){(45:968)}
8連のポムポムは自動ではありませんでしたか?
#right(){(46:78)}

**久我山にあった、15センチ高角砲って戦後、1門潰され、もう一本どうなった?
陸自の高射学校にある。
#right(){(50:582)}

**日本軍が開発していたロケット爆弾についてご存知の方、教えてください。
>25番と50番の二種類があったと聞いた記憶があるのですが。
戦争の進展で急降下爆撃の戦果が挙げられにくくなって居たため、開発されたもので、実際に
製作されたものは3式25番4号と50番4号の二種類です。
これらは250kgまたは500kgのロケット推進の徹甲爆弾でした。
しかしながら、ロケット着火のタイミングが難しく、50番4号は試作と試験のみ、25番4号爆弾が
100発程度製造されて、部隊に供給されましたが、実際には使用されずに終わったみたいです。
#right(){(初心者スレ365:472,眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**日本軍の90式野砲は対戦車砲として十分な能力があったのでしょうか?
初速、威力ともに充分でございますよー(適切な弾丸を使った場合ですが)。 
もっとも、日本の場合、戦車砲でも 
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage51.html 
みたいに被帽なしの無垢の徹甲弾がデフォだったんで、威力がやや弱い? 
というのはまあ否定しません(無垢の徹甲弾は装甲鈑に当たったとき滑りやすい傾向アリ)。 
九〇式野砲の場合はさらに悲惨で、一式徹甲弾までは戦車用徹甲弾より 
さらに威力の微妙な九〇式破甲榴弾とかしかなかったわけだから……哀しいですね 

こちらでの議論が興味深いのですけど、けっきょく世界標準に達する砲弾がなかったことが 
なんかしょぼい、というイメージを持たれてしまう原因なのかもしれません 
砲自体は、ごく普通に高初速で威力の大きい75mm野砲です。 
http://www.warbirds.jp/ansq/3/C2000567.html
#right{(549:275)}
どれぐらいで対戦車砲として十分といえるのかという定義しだいです。 
日本軍の火砲の中ではかなり高い対戦車能力(75mm弾頭の質量効果×初速683)を持っていたので対戦車砲としても運用されました。 
それの対戦車能力を買われて一式砲戦車や三式戦車の主砲に選定されてます。 
ただ実際問題、M4戦車の正面装甲を抜けるかと言われれば苦しいといわざるを得ません。 
あくまで日本の火砲の中ではという事です 

構造も開脚式の砲架やタイヤ(機動九〇式野砲のみ)比較的対戦車砲に向いていたと思います 
九〇式はシュナイダー社の技術を導入して作った先進的な砲で 
軽く丈夫な自緊式の砲身や反動を抑えるマズルブレーキや空気式注退復座機を有してます 

対戦車能力で九〇式を超えるのは高射砲群、特に四式、五式戦車の主砲にもなった四式高射砲ぐらいかな。 
結局、十分な数を供給できなかったけどさ 
#right{(549:モッティ@いもば ◆uSDglizB3o)}

**日本軍は南方のジャングルなどで運用が簡単な山砲や歩兵砲を活用したそうですが、米軍もそのような砲を使っていたのでしょうか?
当時の米軍には山砲と呼ばれるジャンルの軽砲はなく、その代わりとしてパックハウザーと呼ばれる
分解して駄載できる砲種がありました。
WW2で活躍したのは75mmM1パックハウザーで、木製車輪のM1砲架に載せられたものと
ゴム輪付きのM8砲架のものがあり、M8砲架は空挺投下可能でした。
また、米軍では口径57mmのM18無反動砲の開発に成功しており、ヨーロッパではほとんど
用いられなかったものの、太平洋戦線には1944年末から投入されています。
#right(){(337:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}

**九六式二十五粍高射機関砲は、陸軍でも使用されたんですか?
昭和19年中期以降、陸軍の高射機関砲(九八式二十粍高射機関砲)の不足を補うために海軍から移管されましたた。
陸軍での呼称は「九六式基筒単装二十五粍機関砲」(連装のものは「九六式基筒双連二十五粍機関砲」)。
陸軍では移管された機関砲により「特設機関砲隊」を72隊?編成し、セレベス、フィリピン、マレー、スマトラ、パラオ、小笠原(硫黄島・父島)、八丈島、台湾、宮古島、大東島などに配備しました。
八丈島に配備されていた「特設第41機関砲隊」の例では、隊長以下85名で25粍単装機関砲12を装備していました。
なお、部隊名に「特設」という語が入っていますが、正規に編成された部隊であり、現地で臨時に編成された部隊ではありません。
#right(){(346:234)}
**WW2ドイツ軍の歩兵砲とはどういう時に使ったんですか? 
>現代で言う重迫撃砲みたいなもんですか?自走歩兵砲と突撃砲との運用の違いは? 
だいたい重迫撃砲といっしょ。 
砲兵じゃなく歩兵科がもってる直協用の火器で、敵の火点つぶしが基本。 
平射できるから迫撃砲より精度良くあたる。 
本来の突撃砲は装甲が厚く機動性のいい、戦車に近い自走歩兵砲と考えれば良い。 
#right(){(588:816)}

**WWIIでの高角砲や高射機関砲のスペックノートを見ると90度まで仰角が取れるものが多いですが、実用上も、直角に近い角度で撃ってたんでしょうか?
高射砲の真上に目標が来た場合、目標の高射砲の位置からの見かけの移動速度がいちばん大きい。 
だから射撃できる機会が少ない。 
また、高射砲陣地の真上を目標が通過する機会自体があまりない。 
といったところではないでしょうか。
#right(){(俺初質スレ430:932)}
**17ポンド砲って口径にすると76ミリ程度なのに何であんなに威力でかいんですか?
装薬(発射薬)が多いから。
あまり砲弾がでかくなると装填作業をはじめいろいろと大変なので、砲弾を
大きくせずに威力を増す方を選んだ。

その替わり、砲尾がでかすぎて戦車に搭載するのが大変になってしまい、
戦車の搭載砲としては問題が出た。

コメットに搭載された 77mm砲は威力が多少落ちるのを容認して砲尾を小型化
したバージョン。77mm、という表記だが実は口径は同じ。
(105mm砲と 106mm無反動砲みたいなもの)
#right(){(305:824)}
**4号突撃砲の存在意義って何ですか?
>性能も3突と殆ど変わらないのなら4号の車台はブルムベアやラング等に使う方がよかったのでは無いでしょうか?
現場にはⅢ号突撃砲が絶賛されていたから。
また、突撃砲はとにかく安かった。のと、特別な技術や部品がなくても
生産できたから。ブルムベアは砲の基部にボールマウントが必要だし、
対戦車戦闘が出来ない(実際には対戦車戦闘でかなりの戦果を挙げてる
けど)。Ⅳ号駆逐戦車は足回りと車体下部しか使い廻せない(車体上部
は専用のものがいる)し、75mm長砲身砲をパンターと奪い合うことになる
ので生産効率が悪かった。

突撃砲なら戦闘室載せるだけだからね。
とはいえ「そこまでして必要か?」という気はする。
#right(){(305:828)}
**なぜイギリス軍やソ連軍は水冷式の重機関銃をWW2終盤までも使い続けたのでしょうか?
端的に言えば深刻な装備不足、銃器を筆頭に大量に失ったんで作っても作っても間に合わず、
古いのを引っ張り出す羽目になった。
戦間期にはいろいろ開発してたけど、それらも一緒に失っちゃったからあまり関係ないね。
原因はソ連は当然負け続けてみんな死んじゃった為、
イギリスはヨーロッパから撤退するのに、人以外は全部捨てて逃げたから
#right(){(俺初質スレ431:499)}
**ドイツの有名な88ミリ対空砲に、徹甲弾が支給されるようになったのはいつ頃からなんでしょうか?
レン・デイトンの電撃戦では、ドイツ軍の20ミリから10.5センチまでのすべての
高射砲に徹甲弾が支給されていた。と書いてあります。
#right(){(22:32)}
**日本陸軍の九六式15cm加農と九六式24cm榴弾砲について
>砲床無しでの射撃は可能ですか?また砲床抜きの放列砲車重量はどれくらいか
>これら二砲の位置づけは、攻城砲であり、野戦重砲としての使用は考慮外だったのか
九六式15糎加農砲の場合は、砲床無しでの射撃は不可能です。
ちなみに、この砲は、砲身、砲床、砲架の3つに分解し、三車に分載して九五式15噸牽引車にて運搬します。
これら一車当りの重量は、最大12tになります。
でもって、この砲は、野戦攻城重砲であり、なおかつ海岸要塞重砲として使用する目的で開発されています。
配備部隊は、Bataan攻略戦で、独立重砲兵第二中隊が九六式15糎加農砲2門、壱岐要塞生月砲台(壱岐要塞
守備隊の壱岐要塞重砲兵連隊)に敗戦時2~4門、虎頭要塞(第四国境守備隊)第1大隊に砲塔式のそれが4門、
他に鎮海湾機張砲台に4門、下関角島砲台に4門、津軽汐首第二砲台に4門、羅津花端砲台、宗谷岬砲台、宗谷
西能登呂砲台にそれぞれ4門が配備されています。

九六式24糎榴弾砲も同様に砲床無しでの射撃は不可能です。
分解は、砲身、砲床、砲架、小架の4つは1車当り12t程度、それ以外は4t運搬車2両に分載しています。
これも同様に、野戦攻城重砲と要塞重砲の位置付けです。
配備部隊は、独立重砲兵第二中隊に重砲兵学校の2門を充当くらいしか判らないです。
但し太平洋戦争中はResourceが他に食われ、数門しか製造していません。
腔発問題については、弾薬の問題と言う形になっていた様ですが、戦争の進展で等閑にされていた感じ
です。
#right(){(283:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**強力な対戦車砲兼用の88ミリ高射砲がありながら、なぜドイツは並行して50ミリや75ミリの対戦車砲を作ったのでしょうか? 
88㎜クラスになると、歩兵だけでの迅速な陣地転換が不可能です。 
37mm~50mmクラスなら、隠顕陣地から数発発射して人力だけですばやく 
予備陣地へ移動して再度射撃を行なう事も可能ですが、75mm対戦車砲でさえ 
自重は1.5トンを超えかなり移動が困難になりました。 
このことは米軍ですら対戦車砲は57mmクラスで、それ以上の口径の砲は 
自走砲として使用した事からも解かると思います。 

後は生産コストの問題もあるかと。 
#right(){(103:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**九七式曲射歩兵砲について教えて下さい。
九七式曲射歩兵砲については、1932年の九二式歩兵砲の採用直後にストークブランから迫撃砲の
売り込みがありましたが、その構造簡便、軽量、運搬すべき人数が少ない(九二式で11名、ストーク
ブラン砲では3名)と、技術関係者は大いに興味を示しています。
が、如何せん既に国内では九二式の試作生産が開始されていたのでお蔵入りとなりました。

しかし、中華民国軍に採用されたとの情報を聞いて、「有翼弾の研究」ということで国内製造権と見本を
購入します。
しかも、満州事変の戦訓で、この種の曲射砲の必要性が再認識され、生産準備が行われますが、これ
また極秘の内に行われたので、生産数は余り多くありませんでした。

と言うわけで、大隊砲として配備されていたか、については、大隊砲として配備はされていました。
定数は大隊砲と同等のものとしていたので、大隊に付き2門~4門。
九二式歩兵砲とどちらが一般的かと言うと、当然、九二式になります。
どちらが高評価か、と言う質問には、それしかなかった訳ですから、何とも言えない(但し、技術
関係者の評価としては、曲射歩兵砲に軍配が上がるし、南方のジャングル戦線であれば、曲射
歩兵砲の方が高評価と言うことになります。
#right(){(270:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**10-15㎝の加農砲ならシャーマンを撃破できると思うのでずか、それらを対戦車用に使おうという試みは無かったのですか?
秘匿名称「ホリ砲」という戦車砲と「カト砲」という対戦車砲が研究されていました。
昭和18年7月に「試製十糎戦車砲(ホリ砲)」と「試製十糎対戦車砲(カト砲)」の
開発方針が陸軍省の軍需審議会幹事会から出され、これに沿って開発がスタートしました。

ホリ砲は口径は105mm、半自動装填機を採用した意欲的な砲でした。
砲身は開発中止となった「試製大威力十糎加農砲」の砲身を流用、装填機は
三式12糎高射砲の機構を流用しています。
カト砲は口径は同じ105mmですが、対戦車砲としてさらに高威力を狙い、
1000メートルで200mmの貫徹能力が要求されました。
これらはそれぞれ「ホリ車」「カト車」という車体に固定式に搭載されて
砲戦車/対戦車自走砲として使用される予定でした。

しかし共に砲は完成しながら車体の開発は間に合わず、完成することはありませんでした。
#right(){(257:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
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復元してよろしいですか?

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