「欧州戦全般3」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
欧州戦全般3」を以下のとおり復元します。
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**第二次大戦中にドイツ軍によって、200人からの住民を虐殺されたと言う事で大戦後もあえて復興せず、保存してあるフランスの村って何という名前ですか?
オラドゥール・シュール・グランヌ
この辺のサイトなんか参考に。
http://www.keelhaul.me.uk/travel/oradour.htm
#right(){(57:567)}

**ナチスの作った収容所が連合国に占領され、そこにドイツ軍の捕虜を入れて虐待したってマジ?
米軍は終戦後拘束したドイツ兵を捕虜ではなく「武装解除敵軍」であるとして、
ジュネーブ条約で定められた捕虜として取り扱いませんでした。その結果彼らは、
テントもない鉄条網に囲われた屋外で、水も食糧もないと言う劣悪な環境下に放置され、
多くのドイツ兵が死亡しました。
詳しいことを知りたければ、パウル・カレル著 学習研究社
「捕虜―誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路」を読んでおくれ。 
#right(){(58:811)}

**降伏寸前のフランス軍に負けたイタリア軍ってどんな戦いだったのですか?
普通にニース辺りに侵攻して、普通に撃退されました。
後、空襲を行っていますが、被害甚大で撃退されています。 
#right(){(59:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}

**ノルマンディー上陸作戦で何人の連合軍兵が死んだのですか?
詳細な資料がないので大づかみですが、連合軍はほぼ10,000人の死傷者を出してます。
うち、死者は4,000人以上ということです。
#right(){(59:645)}

**戦後ギリシャが共産化しなかった理由は?
第二次世界大戦中、欧州戦線では、しばしば戦死者の埋葬、負傷者の
交換などで連合国とドイツ軍が前線で停戦協定を結んでいた。
これ自体、ヒトラーの耳にはいるとタダでは済まなかったのだが、一件
だけ例外があった。

ギリシャのイオニア海に浮かぶクレタ島などの島嶼に駐留していたドイ
ツ軍は、連合国軍の黙認の下、全員無事にヨーロッパ本土にたどり着いた。
但し、英国との協定で、その部隊はバルカン半島を侵攻するソ連軍から
ギリシャのテッサロニキなどを防衛するために使用されることになっていた
のである。
このため、ソ連軍の侵攻を免れたギリシャは戦後の共産党軍との戦いに
勝利することが出来た。

欧州情勢は正に複雑怪奇なり。
>スターリンとチャーチルとの話し合いで、ギリシャはソビエト勢力の影響はそれほどなかったんじゃないの? 
相手はスターリンですよん。

あわよくばバルカン半島全てをソ連の勢力範囲に入れようと画策し、
ユーゴを通じて(ユーゴもギリシャのマケドニアの領有を主張してた。
ついでにブルガリアもね)、共産党パルチザンに軍事援助を与えてた
訳で。

それに不信感を抱いていたのがチャーチル。
これは、1944年後期にドイツ軍が英国軍に交代するや否や、ギリシャ
共産党のパルチザンが蜂起したことで決定的となります。

その後、英国の支援で1946年までに共産党の蜂起は鎮圧されましたが、
王制に関する国民投票(ギリシャの国王はドイツのザクセン王の系統だった
ので、ドイツから解放された国の元首としてはふさわしくないと言う国民世論
(と言うか共産党のアジテーションによるもの)に押されて国民投票を行うこと
となった)を実施し、王制が支持されると、再度内戦に突入。
1949年までこれが続いた。

これが、ソ連軍支配下だったらどうなってたかね。 
#right(){(続★信じられないが、本当だ。:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
**ポーランド、ベルギー、オランダはなんであっさり負けたの?
え~っと、巷間言われるようにポーランドってそんなに弱小国じゃないですよ。
戦車とかの数が少し足りなかっただけで、ソ連が背後を突かない限り、相当
互角な戦いを繰り広げていたです。

ベルギーとオランダ、こっちは両方とも中立国だったので、準備が出来ていな
かった。
ただ、ベルギーの方は第一次大戦で煮え湯を飲まされたため、英国と協調
するなどの準備が出来ていたです。
第二戦線的発想でそんなに押し寄せる兵力がないと思ったのが誤算だった
かもしれません。

フランスとて、戦略さえあれば、ドイツはあっという間に負けていたでしょうね。
ポーランド相手にちょっかい出しているうちに、背後から攻め込めば、少なくとも
塹壕戦状況には持ち込めたんじゃないですかね。 
#right(){(WWⅡのフランス陸軍:眠い人 ◆ikaJHtf2)}
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