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ドイツ軍2 - (2011/07/10 (日) 00:09:21) の編集履歴(バックアップ)



WW2の独軍は1日休暇を取ってどこかに遊びに行くなんてこともないですよね?

えと、独空軍のエクスペルテン(撃墜王たちね)の自伝/伝記類が多量に翻訳、出版されておりますので
それをお読みになるとよいかと
半年に1回、1週間から2週間程度の休暇があるのが通例で実家に帰ったり友人を訪ねたり、いろんなことに
活用しています
陸軍とか海軍の軍人の伝記では、なぜか休暇に触れてあるものがなかったような(探せばあるかも)
(52:23)
部隊単位には違いないけど、師団ほど巨大な戦略単位を後方に下げる機会はそうそうあるものではないですね。
大損害を受けたり新兵器受領して再編される機会に後方に下がることはありますが。
マーケットガーデン作戦のとき、そういう休養部隊だった武装SSによって、
降下した英軍がひどい目にあったこともあります。
普通は小隊とか中隊とかのレベルで交替です。
(52:44)

ドイツ海軍の編制を教えて下さい。

国防軍総司令官
  |
  +→ 海軍総司令官(海軍司令長官)
       |
       +→ 海軍総司令部(総務局、防衛局、管理局、作戦局、装備局、艦船局)
               |
               +→ 東部管区
               +→ 北海管区
               +→ 東海管区
               +→ 潜水艦部隊(Kiel)
               +→ 偵察部隊(Kiel)
               |     |
               |     +→ 魚雷艇部隊(シュヴィーネミュンデ)
               |     |      |
               |     |      +→ 防備部隊
               |     |      |
               |     +→ 掃海艇部隊(クックスハーフェン)
               +→艦隊(Kiel)  
               |   |
               |   +→大海艦隊
               |   |
               +→装甲艦部隊(ヴィルヘルムスハーフェン)
               +→ドナウ舟艇隊(ドナウ川)


続き

●大海艦隊
  戦艦(個艦行動)
  巡洋戦艦(個艦行動)
  巡洋艦部隊(個艦行動)
  駆逐艦部隊(第1~第8/うち、第1~3は1940年まで、4は1940年までと42年から、5以降は1940年から編成)
  水雷艇部隊
   (第1~第10/うち、第1は1941年まで、第3は1941年から、第4は43~44年、第6は41年までと43年~44年、第7は40年のみ、
    第9は43~44年、第10は44~45年で第8は欠番)
  魚雷艇部隊
   (第1~11、21~24/うち、第1、3、7、21、22、24は1943年以降、23は欠番)
  特設巡洋艦(個艦行動)
  補給艦(個艦行動)

●防備部隊(略歴は以下省略)
  掃海艇部隊(第1~34、36、38、40、42、44、46、52、54、56、70掃海隊/うち20は戦後編成)
  機動掃海艇部隊(第1~17、21、25、30艇隊/うち、25は戦後編成)
  特設掃海艇部隊(第1~6、8艇隊)
  沿岸防備艇部隊
    哨戒艇部隊(第1~20、51、53、55、57、59、61、63~68艇隊)
    監視艇部隊(第1~6、8~16艇隊)
    駆潜艇部隊(第1~3、11、12、14、17、21~23艇隊)
    護衛艇部隊(第1~5、第30~31護衛隊)
●潜水艦部隊
  潜水艦部隊(第1~14、18~27、29~33潜水隊/うち、19~27、31、32は練習潜水艦部隊)
(133:眠い人 ◆gQikaJHtf2 )

ドイツ軍はマルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが、簡単に補充が効いたんでしょうか?

ルフトヴァッフェは、スターリングラードへの空輸作戦のために集められる
あらゆる輸送機をかき集め、その総数は850機に達しました。
不足する機体やパイロットを補うために、訓練学校から人員・機材を引き抜くことまで
行っています。

しかし、厳しい寒さや悪天候、未整備の滑走路やソ連側の対空砲火などに阻まれて損耗は激しくなり、
1943年2月の第6軍の降伏までに488機が失われてしまいました。
この損失を埋める生産をドイツでは終戦までついに行うことが出来ず、さらに教官や生徒を
失ったことで輸送機乗員の養成が滞ることになってしまいました。
(148:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

ゲーリングが降下猟兵に固執していた理由はなんでしょうか

自らの権限の拡大と保持のため。
ナチスってのは、ヒトラーの独裁政権であると同時に、
非常に上層幹部の封建領主的な性格が強い。
ゲーリングの空軍&航空産業やヒムラーの親衛隊のように、
案外にヒトラーが執拗に介入してこずに、自らの「王国」のように
振舞える領域があったわけです。

彼らにしてみればその「王国」を拡張したい。
特に、ゲーリングは戦前は国防大臣になるのを渇望していたように、
国防軍(陸軍)もその傘下に収めたがってました。
(その当時の国防大臣ブロンベルクに陸軍関連の経験や知識を半可通呼ばわりされて、
一蹴されてしまいましたが)

そこで、新兵種たる落下傘降下兵(降下猟兵)が設立されたときに、
あの手この手で、自らの「王国」である空軍の管轄にしちゃったわけです。
で、一度、手に入れた権限は絶対に離そうとしない。
むしろ、そこから空軍管轄の陸上兵力を拡大するという行為におよび、
空軍野戦師団やら、ヘルマン・ゲーリング装甲師団やらも生まれてくるわけです。
(260:448)

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