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硫黄島 - (2011/08/15 (月) 19:03:31) の編集履歴(バックアップ)



硫黄島とかに設置されていたトーチカってどんなのですか?

硫黄島は決戦場として資材が最優先で割り当てられており、
重要部は戦艦の艦砲射撃にも耐えられるように作られていました。
重砲等の火点は貴重なセメント/鉄筋等を優先して使用しましたが資材が足りず、
周壁は堅牢な岩壁を利用し、天蓋だけセメントとしていたようです。
(24:765)

硫黄島でアメリカ軍は塹壕突破用兵器であるはずの戦車を持っていたのに苦戦したんですか?

戦車=突破不能の塹壕突破専用兵器だったのは第一次世界大戦では・・・
(それも心理効果が主ですぐに野砲で・・・)
そもそも、専用の歩兵戦車や突撃砲で無い限り
戦車は機動力をもって戦術となす性質のもので
単純に戦車=強いは間違い
そもそも、陣地を制圧するのは歩兵で、戦車は火力支援をするだけ
ちなみに対戦車能力が
極端に低い日本軍といえども上陸部隊の持つ戦車ぐらいなら
周到な陣地からの側面射撃や肉薄攻撃で抵抗できた
(37:機甲自転車)

陸軍の防衛方針が硫黄島で急に持久戦に方針が変わったのは何で?

明確な発案者はいるのでしょうか?栗林中将?それとも参謀本部の中の人の?
一応、太平洋戦域に於ける戦訓から水際戦闘より、サイパン失陥で沿岸撃滅に変更され、
フィリピン戦での艦砲射撃の効果を鑑みて、持久戦への転換が図られますが、その戦訓は
現地にて顧みられることが無く、硫黄島において栗林司令官が採用するまで、日の目を見る
ことはありませんでした。
その採用についても、栗林司令官が指揮権に基づく強制で強引に通した訳で。
(350:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
補足を加えると、海軍が度重なる敗戦によってほぼ航空戦力を喪失しているという、
陸軍では一部しか知らなかった情報を偶然に堀江参謀から得たということが、
栗林司令官に持久戦を決意させたかと。
つーかこんな情報まで隠すなよ、海軍…
因みにこの時の強権行使で言う事聞かない参謀をクビにしまくっているので、
硫黄島で彼の指揮下に入った事のある方々からは、えらく評判が悪かったりする。
(350:90)

硫黄島ではほかの戦場より戦果が上がってたように見えますが,ほかのところではこういった持久戦の発想はなかったんですか?

玉砕命令が出されることが多かったらしいですが.
沖縄戦も発想は同じで、持久によって、結構、米軍に出血を強いています。
しかし、我慢できなくなった参謀長が、攻勢作戦を主張して瓦解しましたけどね。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
以下のページより引用
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta025.htm
日本軍の規則および軍事著作物によれば、防御は消極的形態の戦闘であり、本質的に、また精神上、
非日本的という烙印を押されているので、将校が喜んで防御解答を提唱するような戦術研究問題を書くことは非常に困難であった。
(292:603)

硫黄島では島の形が変わるほどの艦砲射撃に曝されたにも拘らず、砲撃による直接の犠牲者は少なかったのはなぜですか?

爆風は基本的に上と横に広がる。
その為、下に潜られると効果が激減する。
地下陣地に退避していた日本軍は鉄の暴風の影響を殆ど受けなかった。

似たような状況として第一次大戦でのソンム戦がある。
連合側は6日間ぶっ通しで173万発の砲撃を続けたが、
退避壕に隠れたドイツ軍は抵抗力を充分に残したままイギリス軍の突撃に備えることが出来た。
(544:502)

硫黄島の戦いで日本軍が一時的にすり鉢山を奪還して日章旗を掲げたという話は事実ですか?

米軍がすり鉢山を占領し、その後日本が取り戻し日章旗を掲げ、また、翌日に米軍が占領、その翌日に日本軍が取り戻し、
シャツに血を塗った手作りの日本旗の掲げ、その後、完全にすり鉢山を米軍が抑えたと週刊誌に載っていたのですが本当ですか?
あの星条旗掲揚時には、擂鉢山内にも日本軍の抵抗は行われていた。と、言っても兵力そのものは
殆どなかったのだが。 
だが、米軍が制圧後、日本軍側が再制圧、日章旗を掲げたなんて事実はない。

あの有名な写真は二度目に星条旗を掲げたとき、
と言う史実を間違って解釈しているんだろ。
(331:538,539)

硫黄島の戦いにおいて末期、米軍は日本軍の洞窟の上から穴を空けてガスを注入した、という話は本当でしょうか。

中には、こんな話もあります。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327866458
ただ硫黄島自体が、ガス(硫黄)の島なので、米軍でなくてもガスの出所は
あるわけですが、やはり誤認でしょうか。他の本にないということは。

毒ガスを使うかどうかはともかく、洞窟の上から穴を空けて云々というのは、
日本軍が「馬乗り攻撃」と称して恐れた戦術で、硫黄島や沖縄で広く使用された。
爆薬やガソリン、時に海水をぶち込むことが多かったようだが、
発煙筒や催涙弾を放り込んだ例もあったようで、これを「毒ガス」と誤認したんだろう。
ガスマスクはみんな持ってたので、催涙ガスに対抗するために着用することは自然。

例えば秋草鶴次「十七歳の硫黄島」(中公新書、2006年)のp.208に、
米軍が「毒ガス攻撃」をした話がある。著者は陸戦隊で硫黄島にいた少年兵。
いわく2種のガスが使われたと言い、最初にバルサンのような白煙、
つづいて「茶筒のような缶」が出入り口から放り込まれて黄色い煙が出たと。
黄色なんていうとマスタードガスを思わせるが、
天井伝いに広がる軽い気体で、びらん症状も無いのでただの着色煙だろう。

さらに硫黄島の場合、致死性毒ガスを大規模使用する計画が検討されていた。
これは上陸前に検討されたもので、艦砲などでマスタードガスをぶち込むというもの。
孤立した島なんで住民犠牲も無くて、いいんじゃねと提案されたが、
結局は実行されずに、通常の上陸作戦が実施されることになった。
おそらくこれが伝言ゲームを経て、実戦使用したという話になったんだろ。
(608:340-341)

「父親たちの星条旗」で、硫黄島を艦砲射撃している米海軍の戦艦が陸上砲に撃ち返されて損傷するシーンがあるのですが、そのようなことが実際にあったのですか?

戦艦テネシー、重巡ペンサコラ、駆逐艦ロイツェ、ドーチ、ワルドロン、ジョン・W・ウィークス、揚陸艇LST-779が被弾損傷している。
(創作質問55:101)

硫黄島は鉄分が多く、地雷探知機が役に立たないと聞きましたが

大量に地雷を埋めて(ドイツがやった様な3段重ね地雷等)放棄すれば、
本土防衛の時間稼ぎもでき、兵力も温存できたのではと
硫黄島で、日本軍はけっこうな数の地雷を埋めています。
しかし、その大半は上陸前後の艦砲による支援砲撃でふっとんでしまったんですわ…
山の中や飛行場周辺などに埋めたのはそこそこの効果をあげたらしい。
(292:592)

硫黄島ではほかの戦場より戦果が上がってたように見えますが、ほかのところではこういった持久戦の発想はなかったんですか?

沖縄戦も発想は同じで、持久によって、結構、米軍に出血を強いています。
しかし、我慢できなくなった参謀長が、攻勢作戦を主張して瓦解しましたけどね。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

硫黄島では日本の戦艦大和とかが、アメリカの戦艦をやっつけにいかなかったんでしょうか?

船を動かす重油が枯渇している状態、しかも、日本の周辺部には米国艦隊が
うようよ居る状態では、何も出来ません。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

硫黄島ですが、日本軍の戦車はアメリカの戦車と戦ったんでしょうか?

戦車第26聯隊の戦車23両が硫黄島守備に就きました。

この聯隊は、重点進出攻撃と、対戦車戦闘を行い、戦車壕を進出地域に用意して、
砲撃や爆撃を避け、前方に射撃掩体を造り、戦車を移動トーチカとして使用しています。
これにより、米国の一個歩兵連隊を攻撃したのを手始めに、交戦一ヶ月間で、砲兵小隊
と合わせて、M4を270両屠ったとされていますが、結果的に徐々に損耗し、最後は玉砕して
います。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

硫黄島の戦闘の目的は時間稼ぎにあると言われるが、その時間稼ぎで日本軍ないし日本国にどんな利益があったのだろうか?

単に硫黄島攻略に時間が掛かっただけでは無く、硫黄島に戦力が拘束される事によって沖縄に
回せる兵力に制限が掛かったりして、沖縄攻略も遅延する遠因にも成りました。
硫黄島や沖縄があっさり落ちていたら、九州上陸作戦(オリンピック作戦)が夏頃に行われていた
公算も有り、地上戦に巻き込まれて民間人の被害もさらに増えた可能性も有るし、原爆の使用地
も、使用タイミングもどう成ったか判りません。
さらに、国内で終戦工作を行っていた人達にも、時間は必要でした。
長期的に見れば意味が無いとしたら、開戦自体、負けと判っているのだから意味が無いのですがね。
(268:新所沢の三等兵 ◆UkUFfcwWIs)

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