偉人を追加してみよう 芸術家
近代以降に生まれた芸術芸能の旗手達
冒頭であんな事を書いたがこのカテゴリには凄くたくさんのアメリカ人がいる。仕方ないね。
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Marius Petipa マリウス・プティパ(1818-1910)
フランス出身のダンサー、振付師、台本作家。主に帝政ロシア時代のサンクトペテルブルグで活躍し、クラシックバレエの基礎を築いた。いわゆる三大バレエの制作でも知られる。
「あなたから私へ、私からあなたへ。あなたから私の場所へ、私からあなたの場所へ」振付の指示。「あなた」は隅を、「私」はプティパのいる地点を意味する
-Sergei Diaghilev セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)
ロシアの芸術プロデューサー。『芸術世界』の発起に加わり、また空前絶後の人材(*1)が集った「バレエ・リュス」をプロデュースする等、モダンバレエ、更には芸術界に多大な影響を与えた人物である。
「鉄砲丸が遠くまで飛ぶのは方向が限られているからさ」
-Isadora Duncan イサドラ・ダンカン(1878-1927)
「裸足のイサドラ」と呼ばれたアメリカのダンサー。ギリシア・リバイバルの影響を受け、窮屈なクラシック・ダンスの枠から人体を解放する事でモダン・ダンスの開祖となった。
「体操家にとっては体の動きと訓練はそれ自体が目的であるが、ダンスにとって、それは単なる手段にすぎない。ダンスでは体そのものを忘れなければいけないのだ」
-Vaslav Nijinsky ヴァーツラフ・ニジンスキー(1890-1950)
ロシアのバレエダンサー、振付師。恐るべき脚力と中性的な身のこなしを併せ持った伝説的なダンサーで、特に『薔薇の精』や『春の祭典』は世界に大きな衝撃を与えた。
「わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた」テオフィル・ゴーティエ「薔薇の精」
-Alfred Stieglitz アルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)
「近代写真の父」とも呼ばれるアメリカの写真家。絵画の模倣ではない、「写真」にしか出来ない表現の確立を目指した。ジョージア・オキーフの夫でもある。
「写真は私の情熱。真実の追求は私の強迫観念である」
-Marcel Duchamp マルセル・デュシャン(1887-1968)
フランス出身の芸術家。網膜に囚われた芸術界に便器を投げつけ致命的な致命傷を与えた。「芸術≠創造」である事を示した最初の人である。(*2)
「芸術作品についての最後の判断を下すのは見る者なのだ」
-Andy Warhol アンディ・ウォーホル(1928-1987)
アメリカの画家、アーティスト。ニューヨークに「ファクトリー」を構え、大量生産大量消費の申し子とも言えるポップ・アートを牽引し続けた。
「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません」
-Bessie Smith ベッシー・スミス(1894-1937)
アメリカの黒人ヴォーカリスト。その圧倒的な声量と歌唱力で建造物を揺るがすとさえ言われた「ブルースの女帝」であり、後の様々なジャンルの歌手に強い影響を与えた。(*3)
「世間にとやかく言われずに 私にできることは何もない 言えることは何にもない けれど私はやっちゃうの 自分のやりたいように そして気にしない、みんなにさげすまれたって」「Tain’t Nobody’s Bizness If I Do」
-Django Reinhardt ジャンゴ・ラインハルト(1910-1953)
ロマのギタリスト。ジプシー・スウィングの祖であり、更にジャズギターの先駆者でもある。火傷による左手の障害が独特な演奏をもたらした事、更に譜面やコードが読めなかった事でも知られる。
「俺は練習はしない、ステージに上がるためだ」
-Elvis Presley エルヴィス・プレスリー(1935-1977)
アメリカ生まれのキング・オブ・ロック。黒人のR&Bと白人のC&Wを融合してロックンロールのカリスマとなった。「Hound dog」や「Heartbreak Hotel」など名曲多数。(*4)
「エルヴィスの前には何もなかった」ジョン・レノン
「俺が死んでかなりたってから、俺が歌った歌を聴く人たちがいるだろう。そういう人たちに、俺の本当の良さをわかってもらいたいな」
-John Lennon ジョン・レノン(1940-1980)
イギリスのシンガーソングライター。ビートルズのリーダーとして世界を魅了し、また音楽界に多大な影響を与えた。こちらも「(Just Like) Starting Over」や「Imagine」など名曲多数。
「僕らは今やイエスよりも人気がある」
-Michael Jackson マイケル・ジャクソン(1958-2009)
アメリカの歌手、ダンサー。「Brack or White」「Beat It」「Thriller」等、それまでの常識を遙かに越える映像、パフォーマンスを生み出した「キング・オブ・ポップ」である。
「私は星になり月になる。愛する人と愛される人になる。歌い手と歌になる…私は踊り続ける。それは創造という名の永遠の踊り。創造主と創造が、一つの大きな喜びの中に合体する。私はただ踊って、踊って、踊り続ける。踊りしかなくなるまで」
-Charlie Chaplin チャールズ・チャップリン(1889-1977)
「喜劇王」の異名を持つコメディアン。強者と権力を笑い飛ばす「小さな放浪者」として、喜劇史に不滅の足跡を遺した。『黄金狂時代』『モダン・タイムズ』『独裁者』等が代表作。(*5)
「諸君は機械でも家畜でもない! 人間なのだ!」『独裁者』より
-Sergei Eisenstein セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898-1948)
ソ連の映画監督。モンタージュ理論を確立、実践した事で映画史における重要人物となった。特に『戦艦ポチョムキン』における階段のシーンが有名。
「「よくあることだ」、そして大体において「やはりありうることだ」というたぐいの「動機づけ」は、無表現の恐ろしい泥沼である」
-Alfred Hitchcock アルフレッド・ヒッチコック(1898-1980)
イギリスの映画監督。『バルカン超特急』『めまい』『サイコ』『鳥』等を撮影し、「サスペンスの神様」と呼ばれるに至った。自身の作品に必ずカメオ出演していたことでも有名。
「「映画作家は何かを言うのではなく、見せるだけだ」ということではないでしょうか──その通りだ」フランソワ・トリュフォーとの対談において
-Walt Disney ウォルト・ディズニー(1901-1966)
ウォルト・ディズニー・カンパニーの創始者であり、ミッキー・マウスの生みの親。数え切れないほどのキャラクターと傑作映画を生み出し、世界にアニメの可能性を知らしめた。
「夢を見る事が出来るなら、実現する事が出来る」
-Leni Riefenstahl レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)
ドイツの映画監督、写真家。卓越した映像技術で『意志の勝利』『オリンピア』などを制作したものの、ナチスに協力したせいで戦後は不遇をかこつ事になる。(*6)
「たとえ何が起ころうと、人生を肯定して生きよう」
-Stanley Kubrick スタンリー・キューブリック(1928-1999)
アメリカ生まれの映画監督。「完全主義者」として制作の全てを統括する手法で知られ、『ロリータ』『2001年宇宙の旅』『フルメタル・ジャケット』等を撮影した。
「良い映画には2種類しかない。内容がすばらしいか、撮り方がすばらしいかだ」
-Sid Meier シド・マイヤー(1954-)
え? 説明は不要でしょ?
「昔に戻って、新しい物語を作り上げてみたい、もし違う決定をしていたら異なる方向に時間が進んでいたはずだと誰もが思いますよね。それこそが、Civilizationのエッセンスなのです」
計13人
以下は手を広げ出すと収拾がつかなくなるのでざっくりいく。追加したい人、好きな人、敬愛する人等がいれば下で是非どうぞ。
**絵画、彫刻等、視覚関係の芸術家 [#k0ccdebe] -
Shen Zhou 沈周(1427-1509)
明代の画家、書家、文人。先祖にあたる沈万三の件もあり、隠者としてその生を送る。その傍らにおいて様々な文化活動を送り、特に画においては呉派を興すに至る。
「気散じ風衝きて、豈に居るべけんや」「弔郭璞墓」
-Charles Le Brun シャルル・ル・ブラン(1619-1690)
フランスの画家、美術理論家。ヴェルサイユやルーブルに代表される絢爛豪華な室内装飾によってルイ14世の栄光を彩り、またフランス芸術アカデミーの初代学長にも任命された。
「…それゆえ、ル・ブランの連作は、古代の有名な挿話を思い起こさせるだけではなく、王政の栄光と君臨する王者を讚えるプロパガンダの一翼を完全に担っていると言える」ルーブル美術館より引用
-Francisco Goya フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)
スペインの宮廷画家。『マドリード、1808年5月3日』のようないわゆる宮廷画で知られるが、一方で『我が子を喰らうサトゥルヌス』のようなシュルレアリスム的な絵画も遺している。(*7)
「絵画とは、全て犠牲と決断である」
-Auguste Rodin オーギュスト・ロダン(1840-1917)
フランスの彫刻家。大胆な構図と力強いデフォルメを特徴とし「近代彫刻の父」と呼ばれる。『地獄門』とその一部である『考える人』が特に有名。(*8)
「芸術に独創はいらない。生命が要る」
-Alphonse Mucha アルフォンス・ムハ(1860-1939)
ミュシャとも。アール・ヌーヴォーを代表するチェコ出身のデザイナー。美麗なポスターや挿絵の制作で成功を収め、以後は『スラブ叙事詩』を作成する等母国チェコの為に活動した。
「それぞれの民族にそれぞれの異なった言語があるように、それぞれの民族にそれぞれの異なった芸術がある」
-Edvard Munch エドヴァルド・ムンク(1863-1944)
ノルウェー出身の画家。生と死、そして孤独、嫉妬、不安といった生々しい感情を人物画に込める表現主義の代表者。『叫び』はあまりにも有名である。
「私の朽ち果てつつある死体から花が成長するであろう。私はその花の中に生きる。それが永遠というものである」
-Wassily Kandinsky ワシリー・カンディンスキー(1868-1944)
ロシア出身の画家で、美術理論家。具象が無くとも色や図形だけで絵画が成立する事を発見し、抽象絵画の先駆者となる。代表作として『コンポジション』シリーズ等。
「真の芸術作品は、神秘的に生まれる」
-M.C.Escher マウリッツ・エッシャー(1898-1972)
オランダの画家。立体にはなりえない騙し絵や、同一図形の繰り返し、鏡像などを使って極めて独特な世界を展開した。代表作に『物見の塔』『描く手』『上昇と下降』等。
「私たちをとりまく謎について深く考えをめぐらし、自分のみたものを分析した果てに、私は数学の世界にたどりついてしまった」
-Salvador Dali サルバドール・ダリ(1904-1989)
スペインの画家、彫刻家。シュールレアリズムの旗手として、悪い夢が具現化したかのような世界を描いた。代表作に『記憶の固執(柔らかい時計)』『ロブスター電話』等がある。(*9)
「完璧を恐れるな、完璧になんてなれっこないのだ」
計9人
**音楽家 [#k0ccdebe] -
Niccolo Paganini ニコロ・パガニーニ(1782-1840)
イタリア出身の「ヴァイオリンの鬼神」。「悪魔に魂を売った」と噂されるほどの恐るべき技巧の持ち主で、遺した作品もまた高度な技術を要求するものばかりである。
「パガニーニは二度繰り返さないのだ!」 サルディーニャ王によるアンコールへの返答
-Franz Schubert フランツ・シューベルト(1797-1828)
オーストリアの作曲家。リスト曰く「もっとも詩情豊かな音楽家」で、様々な分野に名曲を遺し「歌曲の王」とも呼ばれる。日本では特に『魔王』が有名であろう。
「あるべき姿ではなくありのままの人間を受け入れよう」
-Frederic Chopin フレデリック・ショパン(1810-1849)
「ピアノの詩人」として名高いポーランド出身のピアニスト、作曲家。世界で最もピアニストに愛されている人物の一人。『別れの曲』『英雄ポロネーズ』等、数多くのピアノ作品を生み出した。
「自分の耳が許さない音を、弾いてはいけない」
-Franz Liszt フランツ・リスト(1811-1886)
ハンガリー出身の音楽家。「ピアノの魔術師」とまで言われた伝説的なピアニストであると同時に、交響詩を確立する等作曲家としても才能を発揮した。『超絶技巧練習曲』の作曲者でもある。
「指が5本ついている手が二つあると思うな。身体から10本の指が生えていると思え」
-Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)
ドイツの作曲家。『タンホイザー』『トリスタンとイゾルデ』『ニーベルングの指環』等を作曲し、「歌劇王」の名を欲しいままにしている。(*10)
「仕事をする時は上機嫌でやれ。そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない」
-Pyotr Tchaikovsky ピョートル・チャイコフスキー(1840-1893)
ロシアの作曲家。特に三大バレエ『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』を作曲し、バレエ曲を確立した事で有名。他の分野においても『悲壮』等の名曲を遺している。
「私がかくも勇気を持って今の試練に耐えて居るのは、未來への揺るがぬ信頼を持って居るからだ」
-Edward Elgar エドワード・エルガー(1857-1934)
イギリスの作曲家、指揮者。ポシティブかつ軽やかな作風で知られ、特に英国第二の国歌とも言われる『威風堂々』は、今もなお世界中で演奏されている。
「僕が死んだ後にもし誰かが口笛でこの旋律をモールヴァーン丘陵で吹いていたなら、怖がらなくていいよ。それはきっと僕なんだから」
-Erik Satie エリック・サティ(1866-1925)
フランスの作曲家。革新的な手法を平然と用い、後の音楽界に多数の種子をばらまいた「音楽界の異端児」。『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』等、自身の曲に妙な題名を付けた事でも有名。
「私はとても古い時代に、とても若くしてこの世に生を受けた」
-Pablo Casals パブロ・カザルス(1876-1973)
カタルーニャ出身のチェリスト。チェロの近代的奏法確立、バッハの『無伴奏チェロ組曲』再発見、何より彼自身の演奏によって20世紀最大のチェリストと呼ばれている。
「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」フルトヴェングラー
-Igor Stravinsky イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)
ロシアの作曲家。『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』等を作曲した現代音楽の嚆矢だが、新古典主義の分野においても名曲を遺している。
「私は音楽を考えるだけでなく、それに触れることを必要としている」
-Jascha Heifetz ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)
リトアニア出身のヴァイオリニスト。幼少の頃から神童の誉れ高く、長じては誰にも辿り着けない高みに昇ってしまった20世紀を代表するヴァイオリニストである。
「1日練習しないと 自分にわかる 2日だと 批評家にわかる 3日になれば 聴衆にわかる」
-Vladimir Horowitz ウラディミール・ホロヴィッツ(1903-1989)
ウクライナ出身のピアニスト。主にアメリカで活躍し、誰にも真似の出来ない奏法から生み出されるスリリングかつ透明感のある演奏で多くの人々を魅了した。
「さあ!世の中へ出てミステイクをやってきたまえ!でもそれでいいんだ。君のミスだからさ。君自身のミスでなければならない。君の音楽で何かを言ってきたまえ。何でもいいのさ、「これが君だ」という何かをね」
-Dmitri Shostakovich ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906-1975)
ロシアの作曲家。ともすれば難解になりがちな20世紀のクラシック音楽界において、明解な曲を多数作った事で成功を収めた。交響曲第五番が特に有名。
「あらゆる暗くて陰気なものが消え去って、美しいものが勝つ」『ショスタコーヴィチ自伝』
計14人
**指揮者 [#k0ccdebe] -
Arturo Toscanini アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)
イタリア出身の指揮者。楽譜と音が全てであるとする楽譜至上主義・即物主義的な「指揮者の中の王」で、カラヤンを初めとする後進に与えた影響も絶大なものがあった。
「我が指揮棒を不本意ながら置き、なおかつ我がオーケストラに別れを告げねばならぬ悲しい時が来てしまった」引退に際して
-Bruno Walter ブルーノ・ヴァルター(1876-1962)
ドイツの指揮者。彼自身の人柄を反映したかのような優しい演奏で知られ、その演奏は「微笑」と例えられていた。マーラーの弟子であり、親友でもあり、彼の音楽における権威でもある。
「あんな悲しげな顔でリハーサルされたら音を出さざるを得ないよ。トスカニーニなどの怒りんぼう指揮者以上に困った指揮者だね」ウィーン・フィル団員
-Leopold Stokowski レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)
イギリス出身の指揮者。指揮棒を用いず十本の指で楽団を操り、また音楽を分かりやすくするためであれば大胆な編曲も辞さない等、極めて個性的な人物である。
「美しい絵画の前では拍手は起こりません。彫刻の前でも好感を抱いたとしても、喝采は起こりません」
-Wilhelm Furtwangler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)
ドイツの指揮者。ベルリンフィルの音響監督を務め、トスカニーニとは対照的に曲の内面に秘められたものをえぐり出すような演奏に特色がある。(*11)
「感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ」
-Karl Bohm カール・ベーム(1894-1981)
オーストリアの指揮者。楽譜全体を見渡し曲の意図を正確に汲み取る事に腐心した人で、その演奏は重厚かつ地に足のついたものであると評価される事が多い。
「禅の高僧が矢を射る時、「私が矢を飛ばす」とは言わず「矢が飛ぶ」と言う。すなわち「無為の為」である。これと同じく、ベームの指揮は「音楽が湧く」と言える。つまりベームによって、音楽が奏ではじめるのである」カラヤン
-Yevgeny Mravinsky エフゲニー・ムラヴィンスキー(1903-1988)
ロシア出身の指揮者。彼自身が徹底的に鍛え上げたレニングラードフィルを率い、厳峻できびきびした演奏を構築した人である。ショスタコーヴィチとの親交も有名。
「人間にとって音楽は、どうしても必要なものではない。しかし、音楽がないことは不幸なことだ」
-Herbert von Karajan ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)
オーストリアの指揮者。強烈なカリスマを持つ20世紀を代表する指揮者で、クラシック音楽の普及に多大な功績を残した。恐るべき数の演奏と録音をこなした事でも知られる。
「これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」ライナー・ツェペリッツ
-Leonard Bernstein レナード・バーンスタイン(1918-1990)
ユダヤ系アメリカ人の指揮者、作曲家。こちらも20世紀の代表と言える人物で、感情を隠さぬ動的な指揮を持ち味とする。また『ウエスト・サイド物語』を書くなど作曲家としても優れた才能を発揮した。
「誰かと分かち合えない感動は私にとって無意味だ」
-Carlos Kleiber カルロス・クライバー(1930-2004)
ドイツ出身の指揮者。独特かつ生命力に溢れたその指揮によって「天才」と称えられた。リハーサルに通常の倍以上の時間をかけた事、後年は極度に指揮の回数を減らした事でも有名。
「私は庭の野菜のように太陽を浴びて成長し、食べて、飲み、眠りたいだけ」
計9人
**文学者、詩人 [#k0ccdebe] -
Sappho サッフォー(生没年不詳。BC7C-6C)
古代ギリシャの女流詩人。恋愛詩を得意とし、プラトンには「十人目の女神」と称えられた。また若い娘に文学や音楽、舞踊といった教養を教授していた事でも知られる。
「愛の神エロスよ、痛みをもたらすものよ」
-Cao Zhi 曹植(192-232)
曹操の五男にあたる魏の王族。父や兄をも凌ぐ詩才によって「詩聖」と呼ばれた、李白・杜甫以前の中華文学を代表する詩人である。ただし本人は軍や政における活躍を望んだらしい。
「…願わくは中林の草と為り 秋野火に随いて燔かれなん 糜滅するは豈に痛ましからざらんや 願わくは株亥と連ならん」 『吁嗟篇』
-Abu Nuwas アブー・ヌワース(750-810)
アッバース朝時代の詩人。主にバグダードで活躍し、イスラム教が禁じているものを実に魅力的に詠った、イスラーム文学を代表する詩人の一人である。ムスリムの癖に酒豪であった。(*12)
「朝になったら、さっそく朝酒をやり給え ぐずぐずして酒を出し惜しみしてはならない」
-Bai Juyi 白居易(772-846)
唐の行政官、詩人。平易な作風で知られ、彼の詩は士大夫のみならず字も読めないような人々にまで愛唱されていたという。またその影響は中華のみならず日本や朝鮮にも及んでいる。
「蝸牛角上何事をか争う 石火光中此の身を寄す 富に随したがい貧に随い且しばらく歓楽せよ 口を開いて笑わざるは是れ癡人」 「酒に対す」
-Snorri Sturluson スノッリ・ストゥルルソン(1178?-1241)
アイスランドの詩人、政治家、歴史家。北欧神話と詩の教本『スノッリのエッダ』とノルウェーの歴史を綴った『ヘイムス・クリングラ』を遺した人物である。
「オーディンはある者達には勝利を与えたが、それ以外の者達はヴァルハラに迎えたのである。そのどちらの運命も彼らには栄誉あることであった」『ヘイムス・クリングラ』
-Friedrich Schiller フリードリヒ・フォン・シラー(1759-1805)
ドイツの詩人、劇作家、思想家。「自由の詩人」として、今なおドイツ語の手本とされる美文で理想を追い続けた。『群盗』『ヴィルヘルム・テル』『歓喜の詩』等が代表作。
「幸福には翼がある。つないでおくことは難しい」
-Charles Baudelaire シャルル・ボードレール(1821-1967)
フランスの批評家、詩人。ドラクロワを激賞する等批評家として活躍すると同時に、退廃的、官能的な詩を遺して後世に絶大な影響を与えた。詩集として『悪の華』等。
「放縦がわれを招き、恋愛がわれに王冠を授く」『悪の華』
-Rabindranath Tagore ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)
「詩聖」と謳われたインドの詩人、作曲家。ヨーロッパの影響を受けつつこれをインドの世界観に組み込み、独自の世界を創りあげた。主な詩集として『ギーターンジャリ』等。
「「われ存す」ということが不断の驚きであるが、つまり、それが人生である」
-Luo Guanzhong 羅貫中(14C頃?)
元末から明初の頃に活動したとされる作家。いわゆる正史を基にした講談を集め『三国志演義』や『水滸伝』を編んだ、とされる。
「天に二日無く、地に二王無し」『三国志演義』
-Alexandre Dumas アレクサンドル・デュマ(1802-1870)
フランスの小説家、劇作家。『モンテ・クリスト伯』『ダルタニャン物語』『王妃マルゴ』等の連載で絶大な人気と巨万の富を掴むが、それ以上の勢いで散財してもいる。
「盗作は認める。だが俺の方が面白い」
-Fyodor Dostoyevsky フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)
ロシアを、そして十九世紀を代表する文豪。正教に基く魂の救済に人間回復を見出したとされる。代表作として『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』等。
「一番簡単で、いちばん明白な思想こそが、いちばん理解し難い思想である」『未成年』
-Leo Tolstoy レフ・トルストイ(1828-1910)
同じく十九世紀を代表するロシアの文豪。従軍経験を下敷きに文筆業と平和活動を進め、政治にも大きな影響を与えた。『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』等が代表作。
「文学と科学はパンと水のようなものである」『芸術とはどういうものか』
-Lu Xun 魯迅(1881-1936)
中華民国の作家。口語体で文学を著した事と、その人間解放への情熱によって近代中華文学の泰斗となった。代表作に『阿Q正伝』『狂人日記』。
「四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年その中に交っていたのだ」『狂人日記』
-Ernest Hemingway アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)
アメリカの詩人、小説家。アメリカの価値観を強く反映した「ハードボイルド」な作品を書いた作家である。『誰が為に鐘は鳴る』『武器よさらば』『老人と海』等が代表作。
「この世は素晴らしい。戦う価値がある」『Kick Out The Jams』
-Jean-Paul Sartre ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)
フランスの哲学者、小説家、劇作家。実存主義者として当時の世界を席巻した存在で、『存在と無』『嘔吐』『シチュアシオン』などの著作を遺している。
「実存は本質に先立つ」
-Edgar Allan Poe エドガー・アラン・ポー(1809-1849)
アメリカ生まれの小説家、詩人。世界初の推理小説『モルグ街の殺人』を発表した事で有名だが、ホラー、SF、印象派詩人等にも影響を与えた多才な人であった。
「解かれることを望まない秘密だってあるさ」『盗まれた手紙』
-Arthur Conan Doyle アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)
スコットランド生まれの小説家。シャーロック・ホームズの生みの親である。その人気は当世においても作者自身を困惑させるほどのものだったという。
「想像力がなければ、怖いものはない」
-Jules Verne ジュール・ヴェルヌ(1828-1905)
「SFの父」と呼ばれるフランスの小説家。発展著しい科学と彼自身の冒険心を重ね合わせ、『海底二万里』『八十日間世界一周』『月世界旅行』等多くの作品を著した。
「人が想像できることは、必ず人が実現できる」
-H.G.Wells H・G・ウェルズ(1866-1946)
イギリスの小説家。『タイム・マシン』『宇宙戦争』『透明人間』等を著したSFの生みの親であり、また様々なSFガジェットを生み出した存在でもある。
「人間の為し遂げたことの一切は、人間がこれから為すべきことの序曲たるにすぎない」
-Saint-Exupery サン=テグジュペリ(1900-1944)
フランスの小説家で、パイロット。多くの若者達に空への憧れを植えつけた存在で、『夜間飛行』『人間の土地』『星の王子さま』が代表作。なお『星の王子さま』は世界一売れている小説でもある。
「おとなは、だれも、はじめは子どもだった」『星の王子さま』
-Lewis Carroll ルイス・キャロル(1832-1898)
イギリスの学者、写真家、作家。『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の作者であり、写真家としても知られている。(*13)
「カラスが書き物机に似ているのはなぜか?」『不思議の国のアリス』
-H.P.Lovecraft H・P・ラヴクラフト(1890-1937)
アメリカの詩人、小説家。「コズミック・ホラー」と呼ばれる神話体系を創造した怪奇小説家である。なおその世界観は現在進行形で禍々しく進化している。(*14)
「永遠に横たわること能うものは死するに非ず、そして奇怪なる永劫のうちには死すらも死なん」『クトゥルフの呼び声』
-J.R.R.Tolkien J・R・R・トールキン(1892-1972)
イギリスの文献学者、詩人、作家。『指輪物語』とその舞台である「中つ国」、エルフ、ドワーフ、オークといった種族、更には「エルフ語」まで創造したファンタジーの大家である。
「「空想」のなかで、人間は実際に神の「創造」の葉をひろげ、その豊かさを増すことを手伝うことができるのだ」『妖精物語について』
計22人
合計67人
**追加したい方がいればここにどうぞ [#k0ccdebe] -
Aisopos アイソーポス(BC619-564)
イソップとも。小アジアに生まれたとされる、古代ギリシアの寓話作家。元は奴隷であったが解放され、その後は寓話の語り手として各地を放浪したという。
「全ての真実には二つの面がある。どちらかに献身する前に、両方とも見ておいた方が良い」
-Heo Nanseolheon 許蘭雪軒(1563-1589)
李氏朝鮮の詩人。許インの姉であり、僅か9歳にして詩を諳んじたとされる早熟の才女で、時代を超越した幻想的な詩や、社会の矛盾(*15)を鋭く穿つ詩を遺している。
「花冠と花の蕾をちりばめた 虹色の九幅の衣のすそをひるがえし 笛の音が碧雲の間に響くのを聞いたわ 龍の影 馬のいななき 滄海に昇る月 上陽君に会いに十洲まで行こう」「游仙詩」
-Heo Gyun 許イン(1569-1618)
李氏朝鮮の文人、思想家。ハングル最古の小説であり、今日の朝鮮においても抜群の人気を誇る『洪吉童伝(*16)』の作者。なお朝鮮史上最初のクリスチャンで、美食家でもあり、極めて先進的な思想家でもあった。
「世を動かせる原動力は民にあり、その中でも自分の意思で世を直そうとする豪民こそが社会で尊重されるべきである」『惺所覆ホウ稿』「遺才論」
-Elias Lonnrot エリアス・リョンロート(1802-1884)
フィンランドの医者。自身で蒐集したフィンランドの民間説話を『カレワラ』として体系化し、フィンランド人の民族意識を大いに高めた(*17)。フィンランド語、スウェーデン語辞典の編纂者としても有名。
「大地より立て、剣士たちよ。泉より立て、剣客たちよ。森よ、起きよ、部下とともに、孤独な男を助けるため」『カレワラ』
-Hans Christian Andersen ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805-1875)
デンマークの詩人、童話作家。デンマークを、そして世界を代表する童謡作家であり、生前からその人気は絶大であった。『裸の王様』『みにくいアヒルの子』等々代表作多数。(*18)
「私は、なにか考えが浮かぶと、子どもを前にお話しをします。しかも、父親や母親も聞いていることを考えに入れて。親たちにも、なにか考えるものを提供しなければなりませんからね」
-Ambrose Bierce アンブローズ・ビアス(1842-1914?)
アメリカの作家、コラムニスト、ジャーナリスト。『悪魔の辞典』の作者であり、人を人とも思わぬ風刺と毒舌の使い手として一世を風靡した。実は短編小説にも定評がある。
「HAPPINESS [幸福] n. 他人の不幸を眺めることから生ずる気持ちの良い感覚」『悪魔の辞典』
-George Bernard Shaw ジョージ・バーナード・ショー(1856-1950)
アイルランド出身の作家、劇作家、社会主義者。進取の精神の持ち主であり、戯曲や評論、警句などを通じて人間の解放を訴えた。『ピグマリオン』『聖女ジョウン』等が代表作。
「悪に対する力を持たずに善に対する力を持つことは出来ない。殺人者も英雄と同様に母親の乳が育てるのだから」
-Karel Capek カレル・チャペック(1890-1938)
チェコの作家、劇作家、ジャーナリスト。幅広い分野に作品を遺したが、特に「ロボット」という言葉を世に広めたSF作家として知られている。代表作に『R.U.R.』『山椒魚戦争』等。
「ぼくたちのこの小さな国は、未来の世界の中心になるんです。逃げ込むのは、力を蓄えられるようなところがいいですね。そう、一〇〇年もしたら、また人間が世界を支配できますよ」『R.U.R.』
-Choe Nam-seon 崔南善(1890-1957)
朝鮮の詩人、ジャーナリスト。三・一独立宣言を起草するなど文筆家として活躍する一方、雑誌『青春』を主宰し啓蒙活動にも力を入れた。(*19)
「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民である事を宣言する。これを以て世界万邦に告げ人類平等の大義を克明にし、これを以て子孫万代に告げ民族自存の正当な権利を永久に所有せしむるとする」三・一独立宣言
-Lee Kwang-su 李光洙(1892-1950) ※ 英語記事無し。代わりにハングル記事を掲載。
朝鮮の作家、思想家。ダーウィニズムの影響を受け、己の文学を以て朝鮮民族を「改造」し独立を成し遂げんようとした。が、総督府に協力したせいで戦後の不幸を招く事に。
「私は、人が平等ではないことを信ずる。知力においても、意志力においても、体力においても、いずれにも千差万別があるが、その中でも「正しいもの」、「美しいもの」を知る力、感じる力において、いっそう、そうであることを信ずる。そして、私はこれを悲しまない。むしろ、人のこの差別こそ、無限の向上と進化を約束するものであるがゆえに、虫が向上しようと力を尽くして仏様になることができるものと、信じることができるのだ」『愛』
-J.D.Salinger J・D・サリンジャー(1919-2010)
アメリカの小説家。無垢なものへの憧れから10~20代の多感な少年少女を主人公とした小説を多く書き、特に『ライ麦畑でつかまえて(*20)』は世界で6500万部を売り上げる大ベストセラーとなった。
「私は逆の意味でパラノイアである。周りの人々が私を幸せにするために陰謀を企てているのだと疑っている」
-George Gershwin ジョージ・ガーシュウィン(1898-1973)
アメリカの作曲家。始めはポピュラー音楽で活躍し、次いでクラシック音楽にジャズやブルースといったアメリカ固有の音楽を組み込む事で、「アメリカ音楽」を作り上げた。
「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない」ラヴェル
-Ray Charles レイ・チャールズ(1930-2004)
アメリカのR&B歌手、ピアニスト。ゴスペルやジャズから自らのルーツを探す中で、「ソウル・ミュージック」に辿り着いた盲目のミュージシャン。代表曲「Georgia On My Mind」は今日ジョージア州の州歌となっている。
「君たちは目が開いているのに、何も見えないんだな」
-Luciano Pavarotti ルチアーノ・パヴァロッティ(1935-2007)
イタリアのオペラ歌手。「キング・オブ・ハイC」と呼ばれる程の美声と歌唱力の持ち主である。ドミンゴ、カレーラスと共に「世界三大テノール」を組んだ事でも有名。
「音楽を聴くのに頭なんて必要ないのさ」
-Bob Marley ボブ・マーリー(1945-1981)
ジャマイカのレゲエミュージシャン。レゲエとラスタファリズムの伝道師として世界中を駆け回り、第三世界における「最初のスーパースター」とさえ呼ばれるに至った。
「俺たちはポジティブだ。俺はポジティブなことに従事している。否定的なものは何から何まで完全に取り除きたいのだ。ネガティブは出て行け。おまえの口からついてでる言葉が、お前を生かすのだ。おまえの口からついてでる言葉が、お前を殺すのだ」
-Jimi Hendrix ジミ・ヘンドリクス(1942-1970)
アメリカのギタリスト。メジャーシーンにおける活躍は四年程でしかなかったにも関わらず、未だに後世に絶大な影響を与え続けている「史上最高のロックギタリスト」である。
「最小限の人数で最大限の音を」
-Freddie Mercury フレディ・マーキュリー(1946-1991)
タンザニア生まれのロックシンガー、ピアニスト。ロックバンド「Queen」のメンバーであり、世界でも指折りのヴォーカリストに数えられる。「Killer Queen」「We Are The Champions」「Bohemian Rhapsody」等代表曲多数。
「今日なんかクソくらえ。明日が勝負さ」
-Marlon Brando マーロン・ブランド(1924-2004)
アメリカの俳優。若き日は時代の先頭を突っ走る型破りな青年として、老いては圧倒的な存在感を放つカリスマとして映画会に君臨。20世紀を代表する俳優である。
「脚本がしっかりしていて、俳優が正しいテクニックを身につけていさえすれば、映画の出来は変わらないのである。映画館では、その暗闇に魔法をかけられた観客が、俳優に代わって大体の演技をしてくれるからだ」
-Marilyn Monroe マリリン・モンロー(1926-1962)
アメリカの女優、若しくはアイドル。言わずと知れたアメリカのセックス・シンボルで、例えば朝鮮戦争において米兵の士気を最も高めたのが彼女だった事からも当時の絶大な人気が伺える。
「シャネルの5番を着て寝るの」
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Audrey Hepburn オードリー・ヘプバーン(1929-1993)
イギリスの女優。「永遠の妖精」とも形容される愛らしい所作を魅力とし、特に『ローマの休日』で演じたアン王女は今なお多くの人々を虜にし続けている。
「成功は誕生日みたいなもの。待ちに待った誕生日がきても、自分はなにも変わらないでしょ」
-Andrei Tarkovsky アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)
ソ連の映画監督。寡作だが水と自然を独特の美学で映す象徴的な作品で知られる。『ストーカー』『アンドレイ・ルブリョフ』『ノスタルジア』など。
「芸術のためには全てが許される」
-Bruce Lee 李小龍(1940-1973)
ブルース・リーとも。アメリカ生まれの中国人俳優であり、截拳道の創始者。『燃えよドラゴン』や『死亡遊戯』等で知られる伝説的なアクション・スターである。
「考えるな、感じろ」