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帰る場所
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無人島の夕暮れ
名もない島へ流れ着いてから、空はずいぶん暗くなっていた。
砂浜へ乗り上げた《シーグラス号》は大きく傾き、裂けた船底からは、時折青い粒子が零れている。
すぐに航行できる状態ではない。
そのため団ノ子の一行は、海岸から少し上がった岩場へ野営地を作っていた。
森へ近づきすぎず、満潮になっても波が届かない場所。
中央には流木を組んだ焚き火。
船から降ろした帆布で作った簡易テント。
食料や工具も、一晩で使う物と修理用の物へ分けられている。
スフレとルカは、焚き火の近くで夕食の準備をしていた。
船に残っていた保存食へ、島で見つけた香草を少し加えるらしい。
ルカは香草の葉を一枚ずつ確かめ、食べられると判定されたものだけを小さく刻んでいく。彼女の戦闘用召喚獣は森との境目に立ち、暗くなり始めた木々の奥を警戒していた。
スフレは《シーグラス号》から外してきた小型魔石炉を、鍋へ合わせて調整している。
「出力が少し強い」
「焦げそう?」
「このままだと、底だけ先に焼ける」
歯車を一段戻すと、魔石炉から出ていた青い火が少し小さくなった。
そのさらに奥。
波の近くでは、エイルとロウガン、ガトーショコラが釣り糸を垂らしていた。
食料を増やすために始めたはずだが、いつの間にか三人とも本気になっている。
「来た、来た! でかいぞ、これ!」
エイルが立ち上がり、身体ごと竿を引く。
隣にいたロウガンがすぐに糸の向きを見る。
「岩の方へ逃げている。一度、少し緩めろ」
「緩めたら逃げるだろ!」
「そのまま引けば糸が切れる」
二人の少し後ろでは、ガトーショコラが専用スコープを通して海面を見ていた。
「左へ行った。今なら引けるよ」
「魚を見るのにスコープを使うのは反則じゃねえか?」
「撃ってはいないから、釣りだよ」
しばらくして、大きな魚が水面から跳ねた。
三人の声が重なり、焚き火の近くにいたスフレとルカもそちらを見る。
島へ流れ着いた直後の緊張は、少しだけ薄れていた。
みたらしっぽは、その様子から少し離れた岩の上へ座っていた。
隣にはアイリスがいる。
海の向こうには、海洋巨大都市マレグランディアの灯りが見えた。
何層にも重なる海上城壁。
高く伸びる青い尖塔。
さらに上空では、領海を巡回するラインタリスの白い翼が、時折月明かりを遮っている。
アイリスは遠い都市を見たあと、傾いた《シーグラス号》へ目を向けた。
「無人島なんて、現実じゃなくてよかったわね」
少し笑いながら言った。
みたらしっぽも、砂浜へ深く突き刺さった船首を見る。
「現実だったら、笑っている余裕はないよ」
「だから笑っているのよ」
アイリスは膝の上へ杖を置いた。
「現実なら、救助が来るまで何日かかるかもわからない。怪我も簡単には治らないし、食料も本当に尽きるもの」
ここでは、負傷しても回復魔術が使える。
保存食も残っている。
森へ入れば、素材や食べられる物を判定することもできる。
危険がないわけではない。
それでも、絶望するような状況ではなかった。
みたらしっぽは焚き火の向こうへ目を向ける。
スフレとルカが鍋を覗き込んでいる。
釣りをしていた三人からは、また大きな声が上がった。
「船代を惜しまなければ、今頃はアズールステラへ着いていたかもしれない」
「それは、そうね」
アイリスは否定しなかった。
「次からは、きちんとした定期船を使いましょう」
「うん。そうする」
「でも、あの船を選んだ時に止めなかったのは私たちも同じよ」
アイリスは少しだけ肩をすくめた。
「今さら、あなた一人がずっと反省していても仕方ないでしょう」
みたらしっぽは返事をせず、しばらく焚き火を見ていた。
船は壊れた。
島から出る方法も見つかっていない。
それでも、誰も立ち止まってはいなかった。
スフレは壊れた機関から使える部品を探している。
エイルは海図を引き直している。
ガトーショコラは島の沖合を見張っている。
ロウガンは野営地の地盤を確かめた。
ルカは召喚獣を森の警戒へ回している。
アイリスも、全員の状態を何度も確認していた。
「こういう時でも、みんな自分のすることを見つけるんだね」
みたらしっぽが言う。
「何もせずにあなたの判断だけを待つような人たちではないでしょう」
「うん」
みたらしっぽは小さく笑った。
「それが団ノ子なんだと思う」
岩場の下から、エイルの声が聞こえた。
「釣れたぞ! ロウガン、網!」
「急に引き上げるな。最後に暴れる」
ガトーショコラも立ち上がり、魚の動く方向を伝えている。
アイリスがその様子を見て、表情を緩めた。
「ずいぶん楽しそうね」
「さっきまで遭難した顔をしてたのに」
「あなたも似たようなものよ」
少しの間。
二人は海を見ながら、何も話さなかった。
潮の音。
森の葉が揺れる音。
焚き火の中で、木が小さく弾ける音。
やがてアイリスが、静かに尋ねた。
「それでも、アズールステラへ行くつもり?」
「行くよ」
みたらしっぽの答えに迷いはなかった。
「ここまで来たから、というだけじゃない。飛行船の機関は、このままでは安定しない。スフレが何度も作り直して、みんなもドックを作るところから手伝った」
まだ骨組みしかない飛行船。
それでも、団ノ子の中では既に一つの大きな目標になっている。
「アイリスも、クラス外魔術を調べたいんでしょう?」
「もちろんよ」
アイリスはマレグランディアとは反対側、アズールステラがある東の海を見る。
「こんなところで帰ったら、何のために船を一隻壊したのかわからないよ」
みたらしっぽも東へ目を向けた。
今は暗い海しか見えない。
目的地は、その向こうにある。
「明日は島を調べよう。森の奥で聞こえた音も気になる。船を直せる物があるかもしれない」
「何もなかったら?」
「その時は、また全員で考える」
アイリスは小さく頷いた。
「なら、今日は食べて休みましょう」
スフレが、鍋の蓋を開いた。
湯気と香草の匂いが、夜の空気へ広がる。
海岸では、三人が釣り上げた魚を抱えて戻ってくるところだった。
エイルは満足そうに笑い、ロウガンは切れかけた釣り糸を確認し、ガトーショコラは既に次に魚が集まりそうな場所を探していた。
みたらしっぽとアイリスも、岩から立ち上がる。
森の奥から。
また一度だけ、金属とも鐘ともつかない細い音が聞こえた。
二人は暗い木々の間を見た。
青い光が、ほんの一瞬だけ灯る。
「明日ね」
アイリスが言う。
「うん。夜に入る場所ではなさそうだ」
その夜。
団ノ子の一行は、焚き火を囲んで島で最初の食事を取った。
島を出る方法は、まだ見つかっていない。
それでも、誰も朝が来ることを恐れてはいなかった。
砂浜へ乗り上げた《シーグラス号》は大きく傾き、裂けた船底からは、時折青い粒子が零れている。
すぐに航行できる状態ではない。
そのため団ノ子の一行は、海岸から少し上がった岩場へ野営地を作っていた。
森へ近づきすぎず、満潮になっても波が届かない場所。
中央には流木を組んだ焚き火。
船から降ろした帆布で作った簡易テント。
食料や工具も、一晩で使う物と修理用の物へ分けられている。
スフレとルカは、焚き火の近くで夕食の準備をしていた。
船に残っていた保存食へ、島で見つけた香草を少し加えるらしい。
ルカは香草の葉を一枚ずつ確かめ、食べられると判定されたものだけを小さく刻んでいく。彼女の戦闘用召喚獣は森との境目に立ち、暗くなり始めた木々の奥を警戒していた。
スフレは《シーグラス号》から外してきた小型魔石炉を、鍋へ合わせて調整している。
「出力が少し強い」
「焦げそう?」
「このままだと、底だけ先に焼ける」
歯車を一段戻すと、魔石炉から出ていた青い火が少し小さくなった。
そのさらに奥。
波の近くでは、エイルとロウガン、ガトーショコラが釣り糸を垂らしていた。
食料を増やすために始めたはずだが、いつの間にか三人とも本気になっている。
「来た、来た! でかいぞ、これ!」
エイルが立ち上がり、身体ごと竿を引く。
隣にいたロウガンがすぐに糸の向きを見る。
「岩の方へ逃げている。一度、少し緩めろ」
「緩めたら逃げるだろ!」
「そのまま引けば糸が切れる」
二人の少し後ろでは、ガトーショコラが専用スコープを通して海面を見ていた。
「左へ行った。今なら引けるよ」
「魚を見るのにスコープを使うのは反則じゃねえか?」
「撃ってはいないから、釣りだよ」
しばらくして、大きな魚が水面から跳ねた。
三人の声が重なり、焚き火の近くにいたスフレとルカもそちらを見る。
島へ流れ着いた直後の緊張は、少しだけ薄れていた。
みたらしっぽは、その様子から少し離れた岩の上へ座っていた。
隣にはアイリスがいる。
海の向こうには、海洋巨大都市マレグランディアの灯りが見えた。
何層にも重なる海上城壁。
高く伸びる青い尖塔。
さらに上空では、領海を巡回するラインタリスの白い翼が、時折月明かりを遮っている。
アイリスは遠い都市を見たあと、傾いた《シーグラス号》へ目を向けた。
「無人島なんて、現実じゃなくてよかったわね」
少し笑いながら言った。
みたらしっぽも、砂浜へ深く突き刺さった船首を見る。
「現実だったら、笑っている余裕はないよ」
「だから笑っているのよ」
アイリスは膝の上へ杖を置いた。
「現実なら、救助が来るまで何日かかるかもわからない。怪我も簡単には治らないし、食料も本当に尽きるもの」
ここでは、負傷しても回復魔術が使える。
保存食も残っている。
森へ入れば、素材や食べられる物を判定することもできる。
危険がないわけではない。
それでも、絶望するような状況ではなかった。
みたらしっぽは焚き火の向こうへ目を向ける。
スフレとルカが鍋を覗き込んでいる。
釣りをしていた三人からは、また大きな声が上がった。
「船代を惜しまなければ、今頃はアズールステラへ着いていたかもしれない」
「それは、そうね」
アイリスは否定しなかった。
「次からは、きちんとした定期船を使いましょう」
「うん。そうする」
「でも、あの船を選んだ時に止めなかったのは私たちも同じよ」
アイリスは少しだけ肩をすくめた。
「今さら、あなた一人がずっと反省していても仕方ないでしょう」
みたらしっぽは返事をせず、しばらく焚き火を見ていた。
船は壊れた。
島から出る方法も見つかっていない。
それでも、誰も立ち止まってはいなかった。
スフレは壊れた機関から使える部品を探している。
エイルは海図を引き直している。
ガトーショコラは島の沖合を見張っている。
ロウガンは野営地の地盤を確かめた。
ルカは召喚獣を森の警戒へ回している。
アイリスも、全員の状態を何度も確認していた。
「こういう時でも、みんな自分のすることを見つけるんだね」
みたらしっぽが言う。
「何もせずにあなたの判断だけを待つような人たちではないでしょう」
「うん」
みたらしっぽは小さく笑った。
「それが団ノ子なんだと思う」
岩場の下から、エイルの声が聞こえた。
「釣れたぞ! ロウガン、網!」
「急に引き上げるな。最後に暴れる」
ガトーショコラも立ち上がり、魚の動く方向を伝えている。
アイリスがその様子を見て、表情を緩めた。
「ずいぶん楽しそうね」
「さっきまで遭難した顔をしてたのに」
「あなたも似たようなものよ」
少しの間。
二人は海を見ながら、何も話さなかった。
潮の音。
森の葉が揺れる音。
焚き火の中で、木が小さく弾ける音。
やがてアイリスが、静かに尋ねた。
「それでも、アズールステラへ行くつもり?」
「行くよ」
みたらしっぽの答えに迷いはなかった。
「ここまで来たから、というだけじゃない。飛行船の機関は、このままでは安定しない。スフレが何度も作り直して、みんなもドックを作るところから手伝った」
まだ骨組みしかない飛行船。
それでも、団ノ子の中では既に一つの大きな目標になっている。
「アイリスも、クラス外魔術を調べたいんでしょう?」
「もちろんよ」
アイリスはマレグランディアとは反対側、アズールステラがある東の海を見る。
「こんなところで帰ったら、何のために船を一隻壊したのかわからないよ」
みたらしっぽも東へ目を向けた。
今は暗い海しか見えない。
目的地は、その向こうにある。
「明日は島を調べよう。森の奥で聞こえた音も気になる。船を直せる物があるかもしれない」
「何もなかったら?」
「その時は、また全員で考える」
アイリスは小さく頷いた。
「なら、今日は食べて休みましょう」
スフレが、鍋の蓋を開いた。
湯気と香草の匂いが、夜の空気へ広がる。
海岸では、三人が釣り上げた魚を抱えて戻ってくるところだった。
エイルは満足そうに笑い、ロウガンは切れかけた釣り糸を確認し、ガトーショコラは既に次に魚が集まりそうな場所を探していた。
みたらしっぽとアイリスも、岩から立ち上がる。
森の奥から。
また一度だけ、金属とも鐘ともつかない細い音が聞こえた。
二人は暗い木々の間を見た。
青い光が、ほんの一瞬だけ灯る。
「明日ね」
アイリスが言う。
「うん。夜に入る場所ではなさそうだ」
その夜。
団ノ子の一行は、焚き火を囲んで島で最初の食事を取った。
島を出る方法は、まだ見つかっていない。
それでも、誰も朝が来ることを恐れてはいなかった。
――そして、海を隔てた別の場所では。
新たな大陸へ続く旅が、もう一つ進んでいた。
新たな大陸へ続く旅が、もう一つ進んでいた。
隣にいた人
チョコチップ、シュトレン、フィナンシェ、フェタシェールの四人は、アストラディール南部の交易港へ到着していた。
ターブルロンドへ向かう正式な交易路が整備されてから、以前よりも新大陸へ渡りやすくなっている。
それでも、四人だけで中央部まで歩くには危険が大きい。
シュトレンたちのレベルは、最初の町を出た頃と比べればかなり上がっていた。
いくつかのダンジョンを越え、装備も新しくなっている。
それでも、ターブルロンド周辺に出現する魔物の推奨レベルには届いていなかった。
そのため、南部交易港からは認可された隊商か、高レベルの護衛と一緒に進む予定だった。
出発前に物資を買うため、四人は港近くのバザーを歩いていた。
その時。
フィナンシェが、通りの先で足を止めた。
「チョコちゃん。あそこ、エスプレッソさんじゃない?」
露店が並ぶ通りの端。
黒い装備を身につけたエスプレッソが、一人の女性プレイヤーと話していた。
エスプレッソが誰かと二人で長く話しているところ自体が珍しい。
しかも、普段よりも言葉数が多い。
相手の女性は、短い黒髪と赤紫色の瞳を持っていた。
黒を基調とした軽い装備。
腰には、長い鎖を巻きつけた大きな鎌。
鎖の継ぎ目からは、鮮やかな赤紫色の光が薄く漏れている。
名前表示は、
<アムールレイン>
クラスは《鎖術師》。
四人が近づくと、アムールレインが先に気づいた。
「エスプレッソの知り合い?」
親しみやすい声だった。
けれど、背後にある鎖鎌の形が、戦い慣れていることをそのまま示している。
エスプレッソは、少しだけ表情を固くした。
「団ノ子のチョコチップ。ほかの三人は、その友達」
「へえ。新しいパーティーか」
レインは四人の装備を順番に見る。
視線は鋭いが、値踏みするような嫌な感じではなかった。
「私はアムールレイン。レインでいい。エスプレッソとは、前からたまに一緒に遊んでる」
「PvPの友人」
エスプレッソが付け加えた。
言い方が、普段より少しだけ早い。
レインは楽しそうに鎖の一部を指へ巻いた。
「闘技場へ来たくなったら声かけて。最初は鎖で転ばせるところから――」
「まだ教えなくていい」
エスプレッソがすぐに止めた。
「三人はFoFを始めたばかり。PvPへ連れていかなくていい」
「別に無理やり連れていかないって」
レインは笑いながら鎖を解いた。
エスプレッソは四人へ向き直る。
「レインは大会でも上位にいる。強いけど、戦い方は少し特殊」
少し間を置く。
「最初の参考にはしない方がいい」
レインが肩を揺らして笑った。
「随分な紹介だな。勝つために工夫してるだけだよ」
エスプレッソが何も返さずに見つめると、レインは両手を軽く上げた。
「わかった、わかった。今日は勧誘しない」
チョコチップは、普段よりも反応の早いエスプレッソを少し不思議そうに見ていた。
シュトレンたちも同じだったらしい。
いつも静かに立っている彼女が、レインの言葉を先回りするように止めている。
長い付き合いなのだと、二人の会話だけで伝わってきた。
レインは近くの露店へ視線を向けた。
鎖や金属部品、闘技場向けの消耗品を並べた店だった。
「じゃあ、私は買い物へ戻る。エスプレッソ、また闘技場でな」
「時間があれば」
「それでいい」
レインは四人へ軽く手を上げ、露店の並ぶ通りへ戻っていった。
赤紫色の鎖が、歩くたび小さく鳴る。
姿が人混みへ紛れたあと。
フィナンシェがエスプレッソへ尋ねた。
「エスプレッソさん、PvPもするんですか?」
「少しだけ」
「レインさんとは、よく一緒に?」
「時々」
短い返事へ戻っている。
それでも、普段より少しだけ柔らかな表情だった。
チョコチップは、エスプレッソの横に止められている黒い屋根つきの馬車へ気づいた。
荷台には、ターブルロンドへ運ぶらしい資材が積まれている。
「エスプレッソさんも、これからギルドハウスへ戻るんですか?」
「うん」
エスプレッソは四人の旅程表示を見た。
「隊商を待っている?」
「次の便は明日の朝だそうです」
チョコチップが答える。
エスプレッソは馬車の荷台を確認した。
積み荷は多いが、座れる場所は残っている。
「四人なら乗れる」
フェタシェールが、少し驚いたように馬車を見る。
「乗せてもらってもいいの?」
「同じ場所へ行くから」
エスプレッソは御者台へ上がった。
「途中の宿場町で一泊する。明日の昼には着けると思う」
四人は予定を見合わせた。
すぐに断る理由はなかった。
荷物を載せ、チョコチップが御者台の隣へ座る。
シュトレン、フィナンシェ、フェタシェールは、屋根のある荷台へ乗り込んだ。
馬車がゆっくり動き始める。
露店通りの向こうでは、レインが鎖の部品を手に取り、店主と何か話していた。
こちらへ気づくと、遠くから一度だけ手を振った。
エスプレッソも、小さく手を上げて返した。
ターブルロンドへ向かう正式な交易路が整備されてから、以前よりも新大陸へ渡りやすくなっている。
それでも、四人だけで中央部まで歩くには危険が大きい。
シュトレンたちのレベルは、最初の町を出た頃と比べればかなり上がっていた。
いくつかのダンジョンを越え、装備も新しくなっている。
それでも、ターブルロンド周辺に出現する魔物の推奨レベルには届いていなかった。
そのため、南部交易港からは認可された隊商か、高レベルの護衛と一緒に進む予定だった。
出発前に物資を買うため、四人は港近くのバザーを歩いていた。
その時。
フィナンシェが、通りの先で足を止めた。
「チョコちゃん。あそこ、エスプレッソさんじゃない?」
露店が並ぶ通りの端。
黒い装備を身につけたエスプレッソが、一人の女性プレイヤーと話していた。
エスプレッソが誰かと二人で長く話しているところ自体が珍しい。
しかも、普段よりも言葉数が多い。
相手の女性は、短い黒髪と赤紫色の瞳を持っていた。
黒を基調とした軽い装備。
腰には、長い鎖を巻きつけた大きな鎌。
鎖の継ぎ目からは、鮮やかな赤紫色の光が薄く漏れている。
名前表示は、
<アムールレイン>
クラスは《鎖術師》。
四人が近づくと、アムールレインが先に気づいた。
「エスプレッソの知り合い?」
親しみやすい声だった。
けれど、背後にある鎖鎌の形が、戦い慣れていることをそのまま示している。
エスプレッソは、少しだけ表情を固くした。
「団ノ子のチョコチップ。ほかの三人は、その友達」
「へえ。新しいパーティーか」
レインは四人の装備を順番に見る。
視線は鋭いが、値踏みするような嫌な感じではなかった。
「私はアムールレイン。レインでいい。エスプレッソとは、前からたまに一緒に遊んでる」
「PvPの友人」
エスプレッソが付け加えた。
言い方が、普段より少しだけ早い。
レインは楽しそうに鎖の一部を指へ巻いた。
「闘技場へ来たくなったら声かけて。最初は鎖で転ばせるところから――」
「まだ教えなくていい」
エスプレッソがすぐに止めた。
「三人はFoFを始めたばかり。PvPへ連れていかなくていい」
「別に無理やり連れていかないって」
レインは笑いながら鎖を解いた。
エスプレッソは四人へ向き直る。
「レインは大会でも上位にいる。強いけど、戦い方は少し特殊」
少し間を置く。
「最初の参考にはしない方がいい」
レインが肩を揺らして笑った。
「随分な紹介だな。勝つために工夫してるだけだよ」
エスプレッソが何も返さずに見つめると、レインは両手を軽く上げた。
「わかった、わかった。今日は勧誘しない」
チョコチップは、普段よりも反応の早いエスプレッソを少し不思議そうに見ていた。
シュトレンたちも同じだったらしい。
いつも静かに立っている彼女が、レインの言葉を先回りするように止めている。
長い付き合いなのだと、二人の会話だけで伝わってきた。
レインは近くの露店へ視線を向けた。
鎖や金属部品、闘技場向けの消耗品を並べた店だった。
「じゃあ、私は買い物へ戻る。エスプレッソ、また闘技場でな」
「時間があれば」
「それでいい」
レインは四人へ軽く手を上げ、露店の並ぶ通りへ戻っていった。
赤紫色の鎖が、歩くたび小さく鳴る。
姿が人混みへ紛れたあと。
フィナンシェがエスプレッソへ尋ねた。
「エスプレッソさん、PvPもするんですか?」
「少しだけ」
「レインさんとは、よく一緒に?」
「時々」
短い返事へ戻っている。
それでも、普段より少しだけ柔らかな表情だった。
チョコチップは、エスプレッソの横に止められている黒い屋根つきの馬車へ気づいた。
荷台には、ターブルロンドへ運ぶらしい資材が積まれている。
「エスプレッソさんも、これからギルドハウスへ戻るんですか?」
「うん」
エスプレッソは四人の旅程表示を見た。
「隊商を待っている?」
「次の便は明日の朝だそうです」
チョコチップが答える。
エスプレッソは馬車の荷台を確認した。
積み荷は多いが、座れる場所は残っている。
「四人なら乗れる」
フェタシェールが、少し驚いたように馬車を見る。
「乗せてもらってもいいの?」
「同じ場所へ行くから」
エスプレッソは御者台へ上がった。
「途中の宿場町で一泊する。明日の昼には着けると思う」
四人は予定を見合わせた。
すぐに断る理由はなかった。
荷物を載せ、チョコチップが御者台の隣へ座る。
シュトレン、フィナンシェ、フェタシェールは、屋根のある荷台へ乗り込んだ。
馬車がゆっくり動き始める。
露店通りの向こうでは、レインが鎖の部品を手に取り、店主と何か話していた。
こちらへ気づくと、遠くから一度だけ手を振った。
エスプレッソも、小さく手を上げて返した。
高いレベルの街道
南部交易港を出ると、ターブルロンドへ続く広い街道が始まった。
最初の頃、攻略大部隊が何日もかけて切り開いた道。
今では石が敷かれ、一定間隔に道標や休憩所が設置されている。
NPCの隊商。
商人プレイヤーの荷車。
冒険者たちのパーティー。
大陸の中心へ向かう人々が、同じ道を行き交っていた。
道そのものは整備されている。
けれど、少し外へ目を向ければ、今まで三人が見たことのない魔物が歩いていた。
大きな角を持つ獣。
岩のような甲殻を背負った狼。
空高く旋回する飛竜。
名前表示へ添えられたレベルは、三人のものより遥かに高い。
フィナンシェは荷台の窓から外を見たまま、弓へ手を伸ばしかけた。
すぐに下ろす。
戦うためではなく、いつでも構えられるよう確かめただけだった。
「今の私たちだと、どのくらい危ない?」
フェタシェールが御者台へ尋ねる。
チョコチップが後ろを振り返った。
「一体だけでも、かなり危険です。街道から外れなければ、すぐ襲われることはありません」
道の両側には、交易路を示す青い標柱が並んでいる。
標柱の間には弱い結界が張られ、野生の魔物が簡単には入り込めないようになっていた。
それでも、絶対に安全ではない。
ところどころに、戦闘の跡や壊れた柵が残っている。
エスプレッソは馬車の速度を落とさず、前方の道を見ていた。
「標柱から離れない。夜になる前に宿場へ入る」
余計な不安を煽らない、静かな声だった。
シュトレンたちは、改めて自分たちが遠くまで来たことを感じていた。
最初の草原では、小さな兎型の魔物一体にも苦戦した。
今は、その頃には地図へ表示すらされなかった大陸を馬車で進んでいる。
直接戦えるほど強くなったわけではない。
それでも。
少しずつ進んできた結果として、ここにいる。
夕方。
馬車は南部交易路に作られた宿場町へ入った。
高い石壁。
夜になると閉じられる門。
町の中央には宿屋と馬車の整備所が並び、多くの隊商が同じように夜を過ごしている。
ターブルロンドまでは、あと半日ほどだった。
最初の頃、攻略大部隊が何日もかけて切り開いた道。
今では石が敷かれ、一定間隔に道標や休憩所が設置されている。
NPCの隊商。
商人プレイヤーの荷車。
冒険者たちのパーティー。
大陸の中心へ向かう人々が、同じ道を行き交っていた。
道そのものは整備されている。
けれど、少し外へ目を向ければ、今まで三人が見たことのない魔物が歩いていた。
大きな角を持つ獣。
岩のような甲殻を背負った狼。
空高く旋回する飛竜。
名前表示へ添えられたレベルは、三人のものより遥かに高い。
フィナンシェは荷台の窓から外を見たまま、弓へ手を伸ばしかけた。
すぐに下ろす。
戦うためではなく、いつでも構えられるよう確かめただけだった。
「今の私たちだと、どのくらい危ない?」
フェタシェールが御者台へ尋ねる。
チョコチップが後ろを振り返った。
「一体だけでも、かなり危険です。街道から外れなければ、すぐ襲われることはありません」
道の両側には、交易路を示す青い標柱が並んでいる。
標柱の間には弱い結界が張られ、野生の魔物が簡単には入り込めないようになっていた。
それでも、絶対に安全ではない。
ところどころに、戦闘の跡や壊れた柵が残っている。
エスプレッソは馬車の速度を落とさず、前方の道を見ていた。
「標柱から離れない。夜になる前に宿場へ入る」
余計な不安を煽らない、静かな声だった。
シュトレンたちは、改めて自分たちが遠くまで来たことを感じていた。
最初の草原では、小さな兎型の魔物一体にも苦戦した。
今は、その頃には地図へ表示すらされなかった大陸を馬車で進んでいる。
直接戦えるほど強くなったわけではない。
それでも。
少しずつ進んできた結果として、ここにいる。
夕方。
馬車は南部交易路に作られた宿場町へ入った。
高い石壁。
夜になると閉じられる門。
町の中央には宿屋と馬車の整備所が並び、多くの隊商が同じように夜を過ごしている。
ターブルロンドまでは、あと半日ほどだった。
宿場の夜
宿屋へ部屋を取り。
馬車の積み荷を預けたあと、五人は一階の食堂へ集まった。
窓の外には石壁。
その向こうでは、時折大型魔物の遠吠えが聞こえる。
町の中にいる限りは、安全だった。
フィナンシェは今日見た魔物の記録を開いていた。
「ターブルロンドの周りって、本当にレベルが高いんだね」
「町ができる前は、もっと危険でした」
チョコチップは温かい飲み物を両手で持っている。
「街道も標柱もありませんでしたから。団ノ子も、大部隊の輸送列を守りながら進みました」
シュトレンは、のこまち書店で見た本を思い出した。
崖に挟まれた細い道。
長い輸送列。
その中で刀を構えていたチョコチップ。
「本に載っていた道を、今日通ってきたんだね」
「一部は同じです」
チョコチップは少し嬉しそうに頷いた。
「当時より、ずっと歩きやすくなっています」
フェタシェールは町の地図を開き、現在地とターブルロンドを見比べていた。
最初の町から見れば、遥か遠く。
それでも、もう地図上では一本の街道でつながっている。
「明日には、本に載っていた町へ着くんだ」
「はい」
チョコチップの返事は穏やかだった。
「ギルドハウスも案内します」
その言葉を聞き、三人の肩から少し力が抜けた。
町の外へ出るたび。
帰還碑の位置。
宿屋。
街道の標柱。
何かあった時に逃げ込める場所。
フェタシェールたちは、いつも帰り道を確かめながら進んできた。
明日からは。
新大陸の中央にも、知っている人がいる場所ができる。
食事を終えたあと。
四人は宿屋の二階へ上がった。
エスプレッソは馬車と積み荷を確認するため、少し遅れて部屋へ戻るらしい。
窓からは、遠くにターブルロンドの明かりが見えた。
まだ小さな光の集まり。
それでも。
目的地が、初めて目に見える距離へ近づいていた。
馬車の積み荷を預けたあと、五人は一階の食堂へ集まった。
窓の外には石壁。
その向こうでは、時折大型魔物の遠吠えが聞こえる。
町の中にいる限りは、安全だった。
フィナンシェは今日見た魔物の記録を開いていた。
「ターブルロンドの周りって、本当にレベルが高いんだね」
「町ができる前は、もっと危険でした」
チョコチップは温かい飲み物を両手で持っている。
「街道も標柱もありませんでしたから。団ノ子も、大部隊の輸送列を守りながら進みました」
シュトレンは、のこまち書店で見た本を思い出した。
崖に挟まれた細い道。
長い輸送列。
その中で刀を構えていたチョコチップ。
「本に載っていた道を、今日通ってきたんだね」
「一部は同じです」
チョコチップは少し嬉しそうに頷いた。
「当時より、ずっと歩きやすくなっています」
フェタシェールは町の地図を開き、現在地とターブルロンドを見比べていた。
最初の町から見れば、遥か遠く。
それでも、もう地図上では一本の街道でつながっている。
「明日には、本に載っていた町へ着くんだ」
「はい」
チョコチップの返事は穏やかだった。
「ギルドハウスも案内します」
その言葉を聞き、三人の肩から少し力が抜けた。
町の外へ出るたび。
帰還碑の位置。
宿屋。
街道の標柱。
何かあった時に逃げ込める場所。
フェタシェールたちは、いつも帰り道を確かめながら進んできた。
明日からは。
新大陸の中央にも、知っている人がいる場所ができる。
食事を終えたあと。
四人は宿屋の二階へ上がった。
エスプレッソは馬車と積み荷を確認するため、少し遅れて部屋へ戻るらしい。
窓からは、遠くにターブルロンドの明かりが見えた。
まだ小さな光の集まり。
それでも。
目的地が、初めて目に見える距離へ近づいていた。
交易中央都市ターブルロンド
翌朝。
馬車は宿場町を出発した。
街道は少しずつ広くなり、すれ違う隊商の数も増えていく。
遠くには、円卓協議会の塔が見え始めていた。
道の外側では、高レベルの魔物が何体も歩いている。
その姿へ緊張しながらも、前日ほどの不安はなかった。
この道を進めば、町へ着く。
そのことがわかっている。
昼前。
石造りの大きな都市門が見えた。
何台もの荷車。
門を通る商人。
各地へ向かう冒険者。
城壁の向こうには、大小さまざまな建物と、高く掲げられた都市旗が見える。
<交易中央都市ターブルロンド>
都市名が表示された。
シュトレンたちは、馬車の荷台から身を乗り出すように街を見る。
のこまち書店の本で見た町。
何もない台地から作られた交易都市。
写真の中にあった景色が、今は目の前へ広がっている。
ただし。
本が発行された時より、さらに建物が増えていた。
新しい商店。
広くなった通り。
高い倉庫。
別のギルドが建てた拠点。
町は、今も成長を続けている。
馬車は中央広場を抜け、少し離れた大通りへ入った。
その先に。
ギルド団ノ子の新しいギルドハウスがあった。
石造りの一階。
木材を使った二階。
大きな窓。
入口の上には、王都から運んできた団ノ子の看板。
建物の横には広い搬入口があり、その奥には、建設途中の飛行船ドックが見えている。
まだ船体は骨組みだけ。
上部の開閉屋根も、一部が組み上がっている途中だった。
エスプレッソは馬車を搬入口へ回し、積み荷を降ろす位置で止めた。
チョコチップが先に降りる。
入口の認証へ触れると、ギルドハウスの扉が開いた。
「どうぞ」
三人は、少し緊張しながら中へ入った。
広い会議室。
中央には、長い木のテーブル。
壁にはアストラディールの地図。
棚には、これまでの攻略で集めた記録や小物が並んでいる。
町の外で感じていた高いレベルの気配が、扉一枚を隔てただけで遠ざかっていく。
フェタシェールは、持っていた盾を壁際へ置いた。
シュトレンも魔導書を閉じる。
フィナンシェは弓を背中から外し、ようやく深く息を吐いた。
「着いた……」
誰かが言った。
三人とも、同じ気持ちだった。
チョコチップはゲスト用の入館権限を登録し、三人の名前を追加した。
「ギルドメンバーしか使えない設備もありますが、休憩室や客室は使えます」
会議室の奥。
調理場。
休息用のソファー。
二階の客室。
一つずつ案内していく。
「ターブルロンドの外は、今の皆さんにはまだ危険です。出かける時は、私か団ノ子の誰かと一緒に行きましょう」
三人は素直に頷いた。
それでも。
危険な場所へ来てしまったという後悔はなかった。
ここには帰ってこられる。
装備を外せる。
温かい物を食べられる。
知っている人の声を待てる。
フィナンシェは、長いテーブルの近くにある椅子へ座った。
「このテーブル、王都のギルドハウスから運んできたんだよね」
「はい」
チョコチップも隣へ座る。
「場所は変わりましたが、同じものです」
シュトレンは窓の外へ目を向けた。
そこにはターブルロンドの通りと、まだ完成していない飛行船の骨組みが見える。
「本で見た時は、すごく遠い場所だったのに」
今は。
自分たちも、その町の中にいる。
フェタシェールは、現在地を示す地図を閉じた。
何度も確認してきた帰還碑や宿場の位置を、今だけは見なくてもよかった。
「帰れる場所があるって、思ったより安心するね」
チョコチップは、静かに笑った。
「先輩たちも、ここへ帰ってきます」
今は海の向こうで、アズールステラを目指している仲間たち。
彼らが戻れば。
この長いテーブルへ、また声が増える。
エスプレッソが積み荷を運び終え、会議室へ入ってきた。
普段どおり静かな表情へ戻っている。
その姿を見て。
四人は、港でレインと言葉を交わしていた時の彼女を思い出した。
FoFには。
まだ知らない一面を持つ人がいる。
まだ行ったことのない場所がある。
自分たちには危険すぎる敵もいる。
けれど。
遠くへ進むほど、戻る場所も増えていく。
新しい大陸の中心で。
チョコチップ、シュトレン、フィナンシェ、フェタシェールの四人にも、ようやく一つ。
安心して次の冒険を考えられる場所ができていた。
同じ頃。
遠く離れた名もない島では、団ノ子の焚き火が夜風に揺れていた。
ギルドハウスの窓にも、暖かな灯りがともる。
離れた場所にいる仲間たちは、それぞれ違う夜を過ごしている。
それでも。
帰る先だけは、同じ場所へつながっていた。
馬車は宿場町を出発した。
街道は少しずつ広くなり、すれ違う隊商の数も増えていく。
遠くには、円卓協議会の塔が見え始めていた。
道の外側では、高レベルの魔物が何体も歩いている。
その姿へ緊張しながらも、前日ほどの不安はなかった。
この道を進めば、町へ着く。
そのことがわかっている。
昼前。
石造りの大きな都市門が見えた。
何台もの荷車。
門を通る商人。
各地へ向かう冒険者。
城壁の向こうには、大小さまざまな建物と、高く掲げられた都市旗が見える。
<交易中央都市ターブルロンド>
都市名が表示された。
シュトレンたちは、馬車の荷台から身を乗り出すように街を見る。
のこまち書店の本で見た町。
何もない台地から作られた交易都市。
写真の中にあった景色が、今は目の前へ広がっている。
ただし。
本が発行された時より、さらに建物が増えていた。
新しい商店。
広くなった通り。
高い倉庫。
別のギルドが建てた拠点。
町は、今も成長を続けている。
馬車は中央広場を抜け、少し離れた大通りへ入った。
その先に。
ギルド団ノ子の新しいギルドハウスがあった。
石造りの一階。
木材を使った二階。
大きな窓。
入口の上には、王都から運んできた団ノ子の看板。
建物の横には広い搬入口があり、その奥には、建設途中の飛行船ドックが見えている。
まだ船体は骨組みだけ。
上部の開閉屋根も、一部が組み上がっている途中だった。
エスプレッソは馬車を搬入口へ回し、積み荷を降ろす位置で止めた。
チョコチップが先に降りる。
入口の認証へ触れると、ギルドハウスの扉が開いた。
「どうぞ」
三人は、少し緊張しながら中へ入った。
広い会議室。
中央には、長い木のテーブル。
壁にはアストラディールの地図。
棚には、これまでの攻略で集めた記録や小物が並んでいる。
町の外で感じていた高いレベルの気配が、扉一枚を隔てただけで遠ざかっていく。
フェタシェールは、持っていた盾を壁際へ置いた。
シュトレンも魔導書を閉じる。
フィナンシェは弓を背中から外し、ようやく深く息を吐いた。
「着いた……」
誰かが言った。
三人とも、同じ気持ちだった。
チョコチップはゲスト用の入館権限を登録し、三人の名前を追加した。
「ギルドメンバーしか使えない設備もありますが、休憩室や客室は使えます」
会議室の奥。
調理場。
休息用のソファー。
二階の客室。
一つずつ案内していく。
「ターブルロンドの外は、今の皆さんにはまだ危険です。出かける時は、私か団ノ子の誰かと一緒に行きましょう」
三人は素直に頷いた。
それでも。
危険な場所へ来てしまったという後悔はなかった。
ここには帰ってこられる。
装備を外せる。
温かい物を食べられる。
知っている人の声を待てる。
フィナンシェは、長いテーブルの近くにある椅子へ座った。
「このテーブル、王都のギルドハウスから運んできたんだよね」
「はい」
チョコチップも隣へ座る。
「場所は変わりましたが、同じものです」
シュトレンは窓の外へ目を向けた。
そこにはターブルロンドの通りと、まだ完成していない飛行船の骨組みが見える。
「本で見た時は、すごく遠い場所だったのに」
今は。
自分たちも、その町の中にいる。
フェタシェールは、現在地を示す地図を閉じた。
何度も確認してきた帰還碑や宿場の位置を、今だけは見なくてもよかった。
「帰れる場所があるって、思ったより安心するね」
チョコチップは、静かに笑った。
「先輩たちも、ここへ帰ってきます」
今は海の向こうで、アズールステラを目指している仲間たち。
彼らが戻れば。
この長いテーブルへ、また声が増える。
エスプレッソが積み荷を運び終え、会議室へ入ってきた。
普段どおり静かな表情へ戻っている。
その姿を見て。
四人は、港でレインと言葉を交わしていた時の彼女を思い出した。
FoFには。
まだ知らない一面を持つ人がいる。
まだ行ったことのない場所がある。
自分たちには危険すぎる敵もいる。
けれど。
遠くへ進むほど、戻る場所も増えていく。
新しい大陸の中心で。
チョコチップ、シュトレン、フィナンシェ、フェタシェールの四人にも、ようやく一つ。
安心して次の冒険を考えられる場所ができていた。
同じ頃。
遠く離れた名もない島では、団ノ子の焚き火が夜風に揺れていた。
ギルドハウスの窓にも、暖かな灯りがともる。
離れた場所にいる仲間たちは、それぞれ違う夜を過ごしている。
それでも。
帰る先だけは、同じ場所へつながっていた。