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宗太兄弟の悲劇
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宗太兄弟の悲劇
山本周五郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)確《しか》
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(例)上|宗六《そうろく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
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[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「では私共の仇討は、理に適っておらぬと申されるか」
「如何にもそうだ」
「確《しか》と左様か」
「諄《くど》いことを」
「うぬ」
若い武士は、ぱっと膳を蹴って起つ、と真向から抜打に斬つけた。中年の武士は居ながらに体を交して刄を潜る、
「小癪な」
火花の散るような体当り。そこで座の者が総立ち、両方に分かれて二人を抱止めた。
「村上《むらかみ》氏、待たれい、待たれい、狼藉でござるぞ」
「白川《しらかわ》殿まず、まず」
刀を奪いとられた若い武士、村上|宗六《そうろく》は蒼白な面に癇癪《かんしゃく》筋をきりきりと立て、喘《あえ》ぎながら、抱かれた腕の中で絶叫する。
「余りに、余りに慮外な言い分だ、理非を糺《ただ》してくだされい、このままでは私一分が立ちませぬ」
こちらでは中年の武士、白川|弥門《やもん》、呼吸も変えず、冷たい面に軽侮の色を仄《ほの》めかして立つ、彼は逸《はや》り狂う村上を尻目に嘯《うそぶ》いた。
「理非はとくに分明だ、一分が立たねば立つようにしたがよい」
「よし、その言葉をお忘れあるな」
文化六年正月十日の夜、小笠原掃部《おがさわらかもん》の江戸詰家老、矢田部信濃《やたべしなの》赤坂榎坂の邸に於て、十日正月の祝宴半ばに起った事件である。
では白川弥門のいう『理に適わぬ仇討』とは何を指すか。
一昨年の春。つまり文化四年の三月、二十日の夜のこと、麻布飯倉にある家老次席|田野義太夫《たのぎだゆう》の邸で、花月の宴が張られ十数人の客が招かれたが、席上馬廻役三百石を食む村上|宗左衛門《そうざえもん》が、小納戸五十石の若侍、柳川和助《やながわわすけ》の為に斬られた。
宗左衛門は当年辰の五十歳、馬廻を勤めていたが、槍が達者で師範の腕を持っていた。性来豪直を以て矜恃《ほこり》とし、烈しい強情家。しかも非常に自尊心が強い。往来で犬が吠えついたというので、飼主の家まで押かけて行き、武士の体面がどうのこうのと談じつけた男である。その上彼は酒癖がある、酔うとまず家柄の自慢が際限もなく弘げられる。――そもそも村上の家たるや後宇多帝三代の後裔、鷹司摂家の後にして――と。それが終ると自分の槍術の講釈だ。誰にも口を入れる事を許さぬ。もし異論でも※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]んだら事だ。
こういう性格の彼が人に好かれる筈はない。藩中誰一人として村上一家と交際する者がない。皆かかずらわない。併し彼はそんな事を苦にする男でなかった。集会といわず招宴といわず、どしどし行く。招待を受けようが受けまいがお構いなし、こっちから押かけて行って、
「や、御免蒙る。永日の気晴しには佳きお招きじゃ、やれ」
と、それから好きなだけ酒を飲んで、そもそも村上の家たるや――である、しかし遂に、それが破滅の因をなす日がきたのであった。
文化四年三月二十日の夜、田野義太夫邸の招宴に出掛けて行った宗左衛門は深更に近く、瀕死の重傷を受けたまま三名の同僚付添いで、芝片門前の家に担ぎ込まれた。
「事の顛末書に、家老田野義太夫殿外、同座の者連署で役向へ願出でござるが、柳川和助と些細な口論にて宗左衛門殿より抜刀、仲裁の者起つ間もなく、和助も抜きつれ、遂にかかる結果と相成りました。和助は座よりただちに逐電、追跡させましたが行衛相不分」
という口上である。妻|八重《やえ》、長男|宗太《そうた》、次男宗六は驚愕して為すところを知らなかった。
和助の逐電行衛不明は表面の口実である。日頃から好感を持たれていなかった宗左衛門、しかも顛末書によると、その夜も例によって家柄自慢、槍術の講釈、人も無げなる振舞、ついに血気の和助が勘忍の緒を切ったのである。
従って同席の者の同情は若い柳川和助に集まった。皆はその場から路用の金子旅支度等を揃えて、彼を落としてやったのである。
父は討たれた、敵は逐電した。当然兄弟は仇討に出なければならぬ。がさて、彼等がいよいよ仇討に出るという段になると、藩内に表立ってではないが、非難の声が起こった。
「村上兄弟が仇討に出るとは理に合わぬ、宗左衛門が討たれたは非分あっての事だ、口論を蒔いたも先に抜刀したも宗左衛門だ、柳川和助がこれに応じたのはやむを得なかった事だ」
また別な一派では言っていた。
「なに、元来が、自慢なは家柄ばかりで通った村上の家だ、親父は強がりで死んだが、小伜共は臆病故、仇討などは得為すまい」
兄弟は必死の覚悟で仇討に出た。そして三月の後に、駿府城下で仇を討ち、柳川和助の首級、及び証拠の品々を携えて戻ってきた。
兄弟の仇討は、主君の認むるところとなった。村上家は食禄相違なく、長男宗太が跡目を継いで事件は納まったのである。
ところが意外な事が始まった。
宗太には既に約婚の女があった。馬廻同役二百五十石|米村弥太七《よねむらやたしち》の娘|小夜《さよ》、当時十八歳である。ところが、兄弟が仇討から帰って半年後、弥太七は仲人役を勤める家老次席田野義太夫を通じて、
「娘儀、近年とかく気分勝れず、到底お約束に堪えませぬ故、恐縮ながら約婚の儀は破談に願いたく」
と破約を申込んできた。宗太は慇懃《いんぎん》に――健康が勝れぬからとあれば、両三年婚礼を延期してもよいと、返辞をしたが――それでは養生する娘の気も安まらぬからと、相手はきっぱり破約を要求した。今はどうにも致し方がない。
これが、藩中の者の村上一家から乖離する口火となった。
「兄弟は卑怯にも、病床に身動きもできぬ和助を討ったのじゃそうな」
こんな噂が段々露骨に家中に弘まって行った。
「親が理不尽なれば子もまたそうだ。仇討面は片腹痛い」
そうして一人去り、二人去り、遂には村上兄弟は全く白眼環視の裡に孤立してしまったのである。
しかも、健康が思わしくないからと破約を申込んだ米村弥太七の娘小夜は、破談の後、半年にて他へ嫁したのであった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
「兄上残念だ」
宗六は兄の部屋へ入ると、そう叫びながら男泣きに泣いた。
「どうしたのだ」
「満座の中で恥辱を受けた、私共の仇討は、理に適っておらぬと言うのだ、無法に人を斬ったと言われたのだ」
宗太は思わず胸に手をやった、今日迄、危くも触れずにきた傷手をむざと指先で掻※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]られたように感じたのである。
「相手は――」
宗太の声は低く鋭かった。
「白川弥門」
「一人か」
「大村孫太郎《おおむらまごたろう》、石田八左衛門《いしだやざえもん》、そればかりではない外の者も皆、座中誰一人私の為に口を利く者はない」
「分った、その後を言うな」
宗太は手を振って、弟の言葉を遮った、が、宗六は押返して叫ぶ。
「いや私は言う、私達は何故こんなに除け者にされるのだ、私達は父を討たれた、父の討たれたのは、父が悪かったからかも知れぬ。御家老殿もそう証拠立てられておるから。だがそれでは何故皆は私達兄弟を仇討に追いやったか、御主君は何故仇討の許可をしたのだ、もし父が非分あって斬られたのであるなら、何故皆は私達を仇討に行かねばならぬように為向けたのだ」
「止めい、女々しい愚痴は聞きたくもない」
「いや止めぬ、言うだけは言う、兄上もそうだ、米村弥太七の人もなげな振舞を何故黙っている、躯が勝れぬからと無理矢理に兄上との婚約を破談しておきながら、面当てがましく、半年も経たぬ内に小夜殿は嫁に行ったではないか」
「宗六、止めぬか」
宗太は抑えつけるように叫んだ。
「母上のお耳に入ったら何とする、それでなくてもこの頃は世を狭う暮らされておるのに」
「だから言うのだ。それは皆我々兄弟が卑屈に世を渡っている故ではないか、私達一家は、まるで日蔭者のように世を渡っている、今日迄は嘲られても蔑まれても黙って忍んできた、それは兄上も知らるる通りだ。しかし私はもう我慢が切れた、我々が正しいか彼等が正しいか――思い知らせてやる」
兄宗太は黙って弟から外向いた。
襖の陰では、母親が息を殺して聴いていた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
ぼしょぼしょと雨の降る晩である。
「御免くだされい、御免くだされい」
白川弥門の家の表に、こう言って訪れる声がした。
弥門は甥の松本用三郎《まつもとようざぶろう》と碁を囲んでいた。未の下刻である。
「どなた」
下男が出る。
「弥門殿に御意得たい、村上宗太で御座る」
弥門は取次をきいて掴んでいた石を取落した。カチリという寒い音、
「お通し申せ――唯今碁囲みをいたしおる故、失礼は御免蒙ると、な」
村上宗太が案内されて来る。――色の蒼白い病身な男、躯は痩せて長く眼のみが鋭い、刀を左手に提げてずいと部屋に通る。
「いま少しで一局終ります、どうぞ暫く」
宗太は軽く会釈を返して座した。
ぼしょぼしょという雨の音が続いている。
「用三郎、狼狽いたすな、ここが危いぞ」
弥門は静かに笑いながら盤面を指す。ぱちり、という音。長い沈黙。
「そりゃ、また伯父の勝じゃ」
やがて、そう言って弥門は碁盤を押やった。改めて茶を命じ、菓子を勧め三人快くこれを吸って後、用三郎を別間に退けた。
「雨中といい、夜に入ってお訪ねは何か至急の御用でも」
「されば」
宗太はぐっと膝を寄せる。
「昨日、拙弟め、貴殿に御無礼を申上げしと、取敢ずその御詫やらなにやら」
「おおこれは何を言われることか――」
「また」
と宗太の眸はきらりと輝いた。
「その節貴殿が仰せ下された、お言葉の趣意も承りたく、な」
「趣意――」
「左様。貴殿、私兄弟の仇討を理不尽な為方と仰せられました、と」
「――」
「無論、そう仰せらるるは貴殿御一人では御座らぬ、私、それをよく承知いたしおります、しかし」
「――」
「満座の中で明かにそう仰せられては、私兄弟とても御趣意を承らねばなりませぬ、それは貴殿もお分かりくださろう、な」
「申上げよう」
弥門は暫らく沈黙して低く、呻くように言った。
「儂《わし》はそう申した、して事実お身方の仇討は理不尽で御座るよ、宗左衛門殿の果てられたは、全く御自身の招かれた禍で御座った、儂も同座した一人、事の始終はとくと見ております」
「では、何故御主君は、私兄弟に仇討のお許くだされましたか」
「御主君を軽々に御引合い申すは慎しまれい」
弥門は息を引いて黙った。
「御身方が仇討をせねばならなかったのは事実で御座ろう。父御を討たれたのだから。しかし御身方の仇討が理に適っておらぬのも事実だ」
「分かりました」
宗太は低く言って刀を引寄せた。
「お命を頂戴仕ります」
「なに」
宗太は抜いた、弥門は咄嗟に跳退って小刀を構える。
ぼしょぼしょという雨の音。
やっ、やっ。そしてずしりと人の倒れる響――下男と甥の松本用三郎の馳せつけた時、首のない弥門の屍が紅に染まって倒れていた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
ぼしょぼしょという雨の音。
「御免くだされい、御免くだされい」
馬廻役米村弥太七の邸の門をこう言って訪れる者がある。
「どなたでござる」
「御主人に御意得たい、手前、村上宗太で御座る」
弥太七は部屋で書見をしていた。鬢髪の白い初老の男、癇癪の強そうな赭顔《あからがお》、取次の者を振返って、村上宗太という名に眉を寄せたが、
「客間へ御通し申せ」
と命じた。
主客は軽く会釈を交して相対した。五拍子ばかりの沈黙。
「何ぞ火急の御用かな」
「されば」
宗太は、凝乎《じっ》と眼を相手に注ぎながら、低く、鋭く言う。
「承りたき儀がござって、な」
「して」
「勿論こう申せば御分りの筈と存ずる、小夜殿の婚約破談お申越の言葉に依れば、小夜殿健康勝れず、とあった。両三年間お待ち仕ると申上げたれど、それでは養生全うからずとて、強《た》って破約をお迫りでござった」
「――」
「しかるに、半年を出ず、小夜殿は他家へ嫁されたと」
「――」
「余りの為されかた、その心得が承りたいと、な」
「破約相済む上は、御身家とそれがし家とは何の縁もない筈」
弥太七は不興げに言い放った。
「今更となって、苦情がましい儀は見苦しい事だ」
「止められい。貴殿から修身の道教えは頂かぬ」
宗太はずいと寄る。
「この度の御扱に就ては、貴殿、原《もと》よりそのお覚悟ある筈、それとも、村上一家の者は、撲たれてもただ尾を巻いて去る犬とのみ思われたか」
「こやつ、強談か」
「起たれえ、お命を頂戴仕る」
「うぬ」
声と共に座を蹴って弥太七は起つ、なげしの槍に手が掛る、とたんに宗太が跳び込んだ。
やっ、ずしり――ぼしょぼしょという雨の音。
物音に驚いて家人の馳せつけた時、槍を片手にした、首のない弥太七の屍が、空しい部屋に倒れていた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
「兄上か」
「宗六――無事か」
「かすり傷を負った、が大した事ではない、貴方は」
「無事だ、これを見ろ」
重たげに提げていた風呂敷包を見せた。
「私も」
宗六も同じような荷物を提げている。彼は石田八左衛門、大村孫太郎両名を討って来たのだ――闇の中、二人は淋しく笑顔を交した――冬とは思えぬひそかな雨は降り続いて止まぬ。
二人は黙って雨の中を歩いて行った。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
「御免くだされい、御免くだされい」
赤坂榎坂にある小笠原家の家老、矢田部信濃の邸の裏門に訪れる声がした。
「夜中ながら大事につき、御家老に御意得たい、村上宗太兄弟でござる」
「暫らくお待ちを」
取次の者は奥へ去る。宗六は傘をすぼめて、体にかかった雨の滴を払いながら、左手の肱の縛った傷を見せた、そして頬笑んだ。
「どうぞこちらへ」
再び現れた取次の者は、こう言って兄弟を導いた。
庭に面した広間、燭台が三基、うす暗く部屋の中を照している。兄弟はずっと通って座した。
茶菓が運ばれた。兄弟は静かに茶を啜り菓子を摘まんだ。
「お待たせ仕りました、唯今主人お眼にかかりまする」
そう言って用人が挨拶をした、そして信濃が出てきた。
「いやそのまま」
信濃は兄弟の座をすべろうとするのを制して座についた。
「挨拶は後といたして、何か大事の儀で御入来の由、それをまず承りましょう」
「はっ」
宗太は弟に眼配せする、――兄弟の者は持参の風呂敷包を開く、四個の首級が現れた。宗太はそれをずいと信濃の前に並べた。
「とくと御検分を」
「む」
さすがに信濃の顔色が変る。
「白川弥門、米村弥太七、大村孫太郎、石田八左衛門、四名の首級でござる、私兄弟、意趣あって討果たしました」
重たい沈黙、ぼしょぼしょと雨の音は絶えない。
「母御を、どうなさる」
「母は、昨夜自害してあい果てました」
「――」
「私兄弟、家に引取りおります、四名の者の遺族、もし仇討の望みなどござらば、快く立合う所存、お含みおきくだされたい」
「お気の毒だ」
信濃の声は涙をふくんでいた。
「お身方のお心は分かる。辛いことだ。武家の諚は、のう」
「御免なされい」
宗太は礼をして首級を押包んだ。宗太は自分達の陥った苦境、母の自害そして自分達の決心などを語ろうと思ってきたのである、が相手はとくにそれを察しているようであった。
「今となっては、何も申上げる事はござりませぬ――御推察」
兄弟は家老邸を引上げた。
[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]
文化六年正月十二日の朝である。
村上兄弟は四個の首級を、母の亡骸の枕辺に供えて、名残の酒をくみ交しかいがいしく身仕度をして討手の来るのを待っていた。
この時分六人の若侍が、介添の武士数名と共に、芝片門前の村上邸へと向かっていた。
白川弥門の甥松本用三郎、米村弥太七の息|弥太郎《やたろう》、同|弥五郎《やごろう》、大村孫太郎の弟|源二郎《げんじろう》、石田八左衛門の子|三弥《さんや》、弟|五左衛門《ござえもん》、介添の武士は目附役の差遣わした者――いずれも着込みをつけ、足拵え身仕度をととのえ、槍術の達者、師範役の瀬川小太夫後見として粛々と進んだ。
「兄上、来たようでござる」
「よし、お前は裏手へ向かえ、おれは表を引受けよう。必ず卑怯に振舞うな私達の望みはこの瞬間にある、潔くやれ」
「しかと」
兄弟は手を握り合った。お互いの眼がしっかりと結びついた。
ばりばり、みしり、表裏同時に門を押破る音。
「村上宗太兄弟、出合え」
「おお」
二人は仁王立になって迎えた。
「急くな」
瀬川小太夫は皆を制した。
「意趣を名乗ってかかれ、卑怯の振舞あるな」
「石田八左衛門の子三弥、父の敵、覚悟」
「来い」
宗太は落着いて構える。
「米村弥太七の子弥太郎、父の仇覚悟」
「来い」
宗六は兄と背を合せて弥太郎に対した。
争闘は四半刻、討手に向かった六人はことごとく重傷、しかしみな急所を外してある。宗六も、宗太もかなりな手傷である。二人は血沼の中にぺったりと坐る。
「天晴れな働きであった」
後見として付き添ってきた瀬川小太夫が言った。
「目付衆も始終を見届けられたぞ、――何か言いおく事はないか」
宗太が顔を挙げた。
「藩の人達に告げられたい」
宗太の顫え声が叫んだ。
「御覧の如くこの人々の傷はみな急所を外して御座る。お手当くださらば必ず蘇生する筈。この人々が再び元の体になられた時。さて、藩の方々はこれをどうお扱いなさるか。とな。――ただ、母が気の毒でござったよ」
「八幡、その趣しかと承った、お腹をめされい。介錯仕る」
「御厚志、かたじけのう存ずる」
兄弟は自刄、瀬川小太夫がこれを介錯した。『容斎見聞録』という写本に見えた仇討後日譚の抜書である。――その後は知らぬ。
底本:「強豪小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年3月25日 初版発行
1979(昭和54)年8月15日 四刷発行
底本の親本:「日本魂」
1928(昭和3)年7月号
初出:「日本魂」
1928(昭和3)年7月号
※表題は底本では、「宗太《そうた》兄弟の悲劇」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
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《》:ルビ
(例)確《しか》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)上|宗六《そうろく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
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[#8字下げ]一[#「一」は中見出し]
「では私共の仇討は、理に適っておらぬと申されるか」
「如何にもそうだ」
「確《しか》と左様か」
「諄《くど》いことを」
「うぬ」
若い武士は、ぱっと膳を蹴って起つ、と真向から抜打に斬つけた。中年の武士は居ながらに体を交して刄を潜る、
「小癪な」
火花の散るような体当り。そこで座の者が総立ち、両方に分かれて二人を抱止めた。
「村上《むらかみ》氏、待たれい、待たれい、狼藉でござるぞ」
「白川《しらかわ》殿まず、まず」
刀を奪いとられた若い武士、村上|宗六《そうろく》は蒼白な面に癇癪《かんしゃく》筋をきりきりと立て、喘《あえ》ぎながら、抱かれた腕の中で絶叫する。
「余りに、余りに慮外な言い分だ、理非を糺《ただ》してくだされい、このままでは私一分が立ちませぬ」
こちらでは中年の武士、白川|弥門《やもん》、呼吸も変えず、冷たい面に軽侮の色を仄《ほの》めかして立つ、彼は逸《はや》り狂う村上を尻目に嘯《うそぶ》いた。
「理非はとくに分明だ、一分が立たねば立つようにしたがよい」
「よし、その言葉をお忘れあるな」
文化六年正月十日の夜、小笠原掃部《おがさわらかもん》の江戸詰家老、矢田部信濃《やたべしなの》赤坂榎坂の邸に於て、十日正月の祝宴半ばに起った事件である。
では白川弥門のいう『理に適わぬ仇討』とは何を指すか。
一昨年の春。つまり文化四年の三月、二十日の夜のこと、麻布飯倉にある家老次席|田野義太夫《たのぎだゆう》の邸で、花月の宴が張られ十数人の客が招かれたが、席上馬廻役三百石を食む村上|宗左衛門《そうざえもん》が、小納戸五十石の若侍、柳川和助《やながわわすけ》の為に斬られた。
宗左衛門は当年辰の五十歳、馬廻を勤めていたが、槍が達者で師範の腕を持っていた。性来豪直を以て矜恃《ほこり》とし、烈しい強情家。しかも非常に自尊心が強い。往来で犬が吠えついたというので、飼主の家まで押かけて行き、武士の体面がどうのこうのと談じつけた男である。その上彼は酒癖がある、酔うとまず家柄の自慢が際限もなく弘げられる。――そもそも村上の家たるや後宇多帝三代の後裔、鷹司摂家の後にして――と。それが終ると自分の槍術の講釈だ。誰にも口を入れる事を許さぬ。もし異論でも※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]んだら事だ。
こういう性格の彼が人に好かれる筈はない。藩中誰一人として村上一家と交際する者がない。皆かかずらわない。併し彼はそんな事を苦にする男でなかった。集会といわず招宴といわず、どしどし行く。招待を受けようが受けまいがお構いなし、こっちから押かけて行って、
「や、御免蒙る。永日の気晴しには佳きお招きじゃ、やれ」
と、それから好きなだけ酒を飲んで、そもそも村上の家たるや――である、しかし遂に、それが破滅の因をなす日がきたのであった。
文化四年三月二十日の夜、田野義太夫邸の招宴に出掛けて行った宗左衛門は深更に近く、瀕死の重傷を受けたまま三名の同僚付添いで、芝片門前の家に担ぎ込まれた。
「事の顛末書に、家老田野義太夫殿外、同座の者連署で役向へ願出でござるが、柳川和助と些細な口論にて宗左衛門殿より抜刀、仲裁の者起つ間もなく、和助も抜きつれ、遂にかかる結果と相成りました。和助は座よりただちに逐電、追跡させましたが行衛相不分」
という口上である。妻|八重《やえ》、長男|宗太《そうた》、次男宗六は驚愕して為すところを知らなかった。
和助の逐電行衛不明は表面の口実である。日頃から好感を持たれていなかった宗左衛門、しかも顛末書によると、その夜も例によって家柄自慢、槍術の講釈、人も無げなる振舞、ついに血気の和助が勘忍の緒を切ったのである。
従って同席の者の同情は若い柳川和助に集まった。皆はその場から路用の金子旅支度等を揃えて、彼を落としてやったのである。
父は討たれた、敵は逐電した。当然兄弟は仇討に出なければならぬ。がさて、彼等がいよいよ仇討に出るという段になると、藩内に表立ってではないが、非難の声が起こった。
「村上兄弟が仇討に出るとは理に合わぬ、宗左衛門が討たれたは非分あっての事だ、口論を蒔いたも先に抜刀したも宗左衛門だ、柳川和助がこれに応じたのはやむを得なかった事だ」
また別な一派では言っていた。
「なに、元来が、自慢なは家柄ばかりで通った村上の家だ、親父は強がりで死んだが、小伜共は臆病故、仇討などは得為すまい」
兄弟は必死の覚悟で仇討に出た。そして三月の後に、駿府城下で仇を討ち、柳川和助の首級、及び証拠の品々を携えて戻ってきた。
兄弟の仇討は、主君の認むるところとなった。村上家は食禄相違なく、長男宗太が跡目を継いで事件は納まったのである。
ところが意外な事が始まった。
宗太には既に約婚の女があった。馬廻同役二百五十石|米村弥太七《よねむらやたしち》の娘|小夜《さよ》、当時十八歳である。ところが、兄弟が仇討から帰って半年後、弥太七は仲人役を勤める家老次席田野義太夫を通じて、
「娘儀、近年とかく気分勝れず、到底お約束に堪えませぬ故、恐縮ながら約婚の儀は破談に願いたく」
と破約を申込んできた。宗太は慇懃《いんぎん》に――健康が勝れぬからとあれば、両三年婚礼を延期してもよいと、返辞をしたが――それでは養生する娘の気も安まらぬからと、相手はきっぱり破約を要求した。今はどうにも致し方がない。
これが、藩中の者の村上一家から乖離する口火となった。
「兄弟は卑怯にも、病床に身動きもできぬ和助を討ったのじゃそうな」
こんな噂が段々露骨に家中に弘まって行った。
「親が理不尽なれば子もまたそうだ。仇討面は片腹痛い」
そうして一人去り、二人去り、遂には村上兄弟は全く白眼環視の裡に孤立してしまったのである。
しかも、健康が思わしくないからと破約を申込んだ米村弥太七の娘小夜は、破談の後、半年にて他へ嫁したのであった。
[#8字下げ]二[#「二」は中見出し]
「兄上残念だ」
宗六は兄の部屋へ入ると、そう叫びながら男泣きに泣いた。
「どうしたのだ」
「満座の中で恥辱を受けた、私共の仇討は、理に適っておらぬと言うのだ、無法に人を斬ったと言われたのだ」
宗太は思わず胸に手をやった、今日迄、危くも触れずにきた傷手をむざと指先で掻※[#「てへん+劣」、第3水準1-84-77]られたように感じたのである。
「相手は――」
宗太の声は低く鋭かった。
「白川弥門」
「一人か」
「大村孫太郎《おおむらまごたろう》、石田八左衛門《いしだやざえもん》、そればかりではない外の者も皆、座中誰一人私の為に口を利く者はない」
「分った、その後を言うな」
宗太は手を振って、弟の言葉を遮った、が、宗六は押返して叫ぶ。
「いや私は言う、私達は何故こんなに除け者にされるのだ、私達は父を討たれた、父の討たれたのは、父が悪かったからかも知れぬ。御家老殿もそう証拠立てられておるから。だがそれでは何故皆は私達兄弟を仇討に追いやったか、御主君は何故仇討の許可をしたのだ、もし父が非分あって斬られたのであるなら、何故皆は私達を仇討に行かねばならぬように為向けたのだ」
「止めい、女々しい愚痴は聞きたくもない」
「いや止めぬ、言うだけは言う、兄上もそうだ、米村弥太七の人もなげな振舞を何故黙っている、躯が勝れぬからと無理矢理に兄上との婚約を破談しておきながら、面当てがましく、半年も経たぬ内に小夜殿は嫁に行ったではないか」
「宗六、止めぬか」
宗太は抑えつけるように叫んだ。
「母上のお耳に入ったら何とする、それでなくてもこの頃は世を狭う暮らされておるのに」
「だから言うのだ。それは皆我々兄弟が卑屈に世を渡っている故ではないか、私達一家は、まるで日蔭者のように世を渡っている、今日迄は嘲られても蔑まれても黙って忍んできた、それは兄上も知らるる通りだ。しかし私はもう我慢が切れた、我々が正しいか彼等が正しいか――思い知らせてやる」
兄宗太は黙って弟から外向いた。
襖の陰では、母親が息を殺して聴いていた。
[#8字下げ]三[#「三」は中見出し]
ぼしょぼしょと雨の降る晩である。
「御免くだされい、御免くだされい」
白川弥門の家の表に、こう言って訪れる声がした。
弥門は甥の松本用三郎《まつもとようざぶろう》と碁を囲んでいた。未の下刻である。
「どなた」
下男が出る。
「弥門殿に御意得たい、村上宗太で御座る」
弥門は取次をきいて掴んでいた石を取落した。カチリという寒い音、
「お通し申せ――唯今碁囲みをいたしおる故、失礼は御免蒙ると、な」
村上宗太が案内されて来る。――色の蒼白い病身な男、躯は痩せて長く眼のみが鋭い、刀を左手に提げてずいと部屋に通る。
「いま少しで一局終ります、どうぞ暫く」
宗太は軽く会釈を返して座した。
ぼしょぼしょという雨の音が続いている。
「用三郎、狼狽いたすな、ここが危いぞ」
弥門は静かに笑いながら盤面を指す。ぱちり、という音。長い沈黙。
「そりゃ、また伯父の勝じゃ」
やがて、そう言って弥門は碁盤を押やった。改めて茶を命じ、菓子を勧め三人快くこれを吸って後、用三郎を別間に退けた。
「雨中といい、夜に入ってお訪ねは何か至急の御用でも」
「されば」
宗太はぐっと膝を寄せる。
「昨日、拙弟め、貴殿に御無礼を申上げしと、取敢ずその御詫やらなにやら」
「おおこれは何を言われることか――」
「また」
と宗太の眸はきらりと輝いた。
「その節貴殿が仰せ下された、お言葉の趣意も承りたく、な」
「趣意――」
「左様。貴殿、私兄弟の仇討を理不尽な為方と仰せられました、と」
「――」
「無論、そう仰せらるるは貴殿御一人では御座らぬ、私、それをよく承知いたしおります、しかし」
「――」
「満座の中で明かにそう仰せられては、私兄弟とても御趣意を承らねばなりませぬ、それは貴殿もお分かりくださろう、な」
「申上げよう」
弥門は暫らく沈黙して低く、呻くように言った。
「儂《わし》はそう申した、して事実お身方の仇討は理不尽で御座るよ、宗左衛門殿の果てられたは、全く御自身の招かれた禍で御座った、儂も同座した一人、事の始終はとくと見ております」
「では、何故御主君は、私兄弟に仇討のお許くだされましたか」
「御主君を軽々に御引合い申すは慎しまれい」
弥門は息を引いて黙った。
「御身方が仇討をせねばならなかったのは事実で御座ろう。父御を討たれたのだから。しかし御身方の仇討が理に適っておらぬのも事実だ」
「分かりました」
宗太は低く言って刀を引寄せた。
「お命を頂戴仕ります」
「なに」
宗太は抜いた、弥門は咄嗟に跳退って小刀を構える。
ぼしょぼしょという雨の音。
やっ、やっ。そしてずしりと人の倒れる響――下男と甥の松本用三郎の馳せつけた時、首のない弥門の屍が紅に染まって倒れていた。
[#8字下げ]四[#「四」は中見出し]
ぼしょぼしょという雨の音。
「御免くだされい、御免くだされい」
馬廻役米村弥太七の邸の門をこう言って訪れる者がある。
「どなたでござる」
「御主人に御意得たい、手前、村上宗太で御座る」
弥太七は部屋で書見をしていた。鬢髪の白い初老の男、癇癪の強そうな赭顔《あからがお》、取次の者を振返って、村上宗太という名に眉を寄せたが、
「客間へ御通し申せ」
と命じた。
主客は軽く会釈を交して相対した。五拍子ばかりの沈黙。
「何ぞ火急の御用かな」
「されば」
宗太は、凝乎《じっ》と眼を相手に注ぎながら、低く、鋭く言う。
「承りたき儀がござって、な」
「して」
「勿論こう申せば御分りの筈と存ずる、小夜殿の婚約破談お申越の言葉に依れば、小夜殿健康勝れず、とあった。両三年間お待ち仕ると申上げたれど、それでは養生全うからずとて、強《た》って破約をお迫りでござった」
「――」
「しかるに、半年を出ず、小夜殿は他家へ嫁されたと」
「――」
「余りの為されかた、その心得が承りたいと、な」
「破約相済む上は、御身家とそれがし家とは何の縁もない筈」
弥太七は不興げに言い放った。
「今更となって、苦情がましい儀は見苦しい事だ」
「止められい。貴殿から修身の道教えは頂かぬ」
宗太はずいと寄る。
「この度の御扱に就ては、貴殿、原《もと》よりそのお覚悟ある筈、それとも、村上一家の者は、撲たれてもただ尾を巻いて去る犬とのみ思われたか」
「こやつ、強談か」
「起たれえ、お命を頂戴仕る」
「うぬ」
声と共に座を蹴って弥太七は起つ、なげしの槍に手が掛る、とたんに宗太が跳び込んだ。
やっ、ずしり――ぼしょぼしょという雨の音。
物音に驚いて家人の馳せつけた時、槍を片手にした、首のない弥太七の屍が、空しい部屋に倒れていた。
[#8字下げ]五[#「五」は中見出し]
「兄上か」
「宗六――無事か」
「かすり傷を負った、が大した事ではない、貴方は」
「無事だ、これを見ろ」
重たげに提げていた風呂敷包を見せた。
「私も」
宗六も同じような荷物を提げている。彼は石田八左衛門、大村孫太郎両名を討って来たのだ――闇の中、二人は淋しく笑顔を交した――冬とは思えぬひそかな雨は降り続いて止まぬ。
二人は黙って雨の中を歩いて行った。
[#8字下げ]六[#「六」は中見出し]
「御免くだされい、御免くだされい」
赤坂榎坂にある小笠原家の家老、矢田部信濃の邸の裏門に訪れる声がした。
「夜中ながら大事につき、御家老に御意得たい、村上宗太兄弟でござる」
「暫らくお待ちを」
取次の者は奥へ去る。宗六は傘をすぼめて、体にかかった雨の滴を払いながら、左手の肱の縛った傷を見せた、そして頬笑んだ。
「どうぞこちらへ」
再び現れた取次の者は、こう言って兄弟を導いた。
庭に面した広間、燭台が三基、うす暗く部屋の中を照している。兄弟はずっと通って座した。
茶菓が運ばれた。兄弟は静かに茶を啜り菓子を摘まんだ。
「お待たせ仕りました、唯今主人お眼にかかりまする」
そう言って用人が挨拶をした、そして信濃が出てきた。
「いやそのまま」
信濃は兄弟の座をすべろうとするのを制して座についた。
「挨拶は後といたして、何か大事の儀で御入来の由、それをまず承りましょう」
「はっ」
宗太は弟に眼配せする、――兄弟の者は持参の風呂敷包を開く、四個の首級が現れた。宗太はそれをずいと信濃の前に並べた。
「とくと御検分を」
「む」
さすがに信濃の顔色が変る。
「白川弥門、米村弥太七、大村孫太郎、石田八左衛門、四名の首級でござる、私兄弟、意趣あって討果たしました」
重たい沈黙、ぼしょぼしょと雨の音は絶えない。
「母御を、どうなさる」
「母は、昨夜自害してあい果てました」
「――」
「私兄弟、家に引取りおります、四名の者の遺族、もし仇討の望みなどござらば、快く立合う所存、お含みおきくだされたい」
「お気の毒だ」
信濃の声は涙をふくんでいた。
「お身方のお心は分かる。辛いことだ。武家の諚は、のう」
「御免なされい」
宗太は礼をして首級を押包んだ。宗太は自分達の陥った苦境、母の自害そして自分達の決心などを語ろうと思ってきたのである、が相手はとくにそれを察しているようであった。
「今となっては、何も申上げる事はござりませぬ――御推察」
兄弟は家老邸を引上げた。
[#8字下げ]七[#「七」は中見出し]
文化六年正月十二日の朝である。
村上兄弟は四個の首級を、母の亡骸の枕辺に供えて、名残の酒をくみ交しかいがいしく身仕度をして討手の来るのを待っていた。
この時分六人の若侍が、介添の武士数名と共に、芝片門前の村上邸へと向かっていた。
白川弥門の甥松本用三郎、米村弥太七の息|弥太郎《やたろう》、同|弥五郎《やごろう》、大村孫太郎の弟|源二郎《げんじろう》、石田八左衛門の子|三弥《さんや》、弟|五左衛門《ござえもん》、介添の武士は目附役の差遣わした者――いずれも着込みをつけ、足拵え身仕度をととのえ、槍術の達者、師範役の瀬川小太夫後見として粛々と進んだ。
「兄上、来たようでござる」
「よし、お前は裏手へ向かえ、おれは表を引受けよう。必ず卑怯に振舞うな私達の望みはこの瞬間にある、潔くやれ」
「しかと」
兄弟は手を握り合った。お互いの眼がしっかりと結びついた。
ばりばり、みしり、表裏同時に門を押破る音。
「村上宗太兄弟、出合え」
「おお」
二人は仁王立になって迎えた。
「急くな」
瀬川小太夫は皆を制した。
「意趣を名乗ってかかれ、卑怯の振舞あるな」
「石田八左衛門の子三弥、父の敵、覚悟」
「来い」
宗太は落着いて構える。
「米村弥太七の子弥太郎、父の仇覚悟」
「来い」
宗六は兄と背を合せて弥太郎に対した。
争闘は四半刻、討手に向かった六人はことごとく重傷、しかしみな急所を外してある。宗六も、宗太もかなりな手傷である。二人は血沼の中にぺったりと坐る。
「天晴れな働きであった」
後見として付き添ってきた瀬川小太夫が言った。
「目付衆も始終を見届けられたぞ、――何か言いおく事はないか」
宗太が顔を挙げた。
「藩の人達に告げられたい」
宗太の顫え声が叫んだ。
「御覧の如くこの人々の傷はみな急所を外して御座る。お手当くださらば必ず蘇生する筈。この人々が再び元の体になられた時。さて、藩の方々はこれをどうお扱いなさるか。とな。――ただ、母が気の毒でござったよ」
「八幡、その趣しかと承った、お腹をめされい。介錯仕る」
「御厚志、かたじけのう存ずる」
兄弟は自刄、瀬川小太夫がこれを介錯した。『容斎見聞録』という写本に見えた仇討後日譚の抜書である。――その後は知らぬ。
底本:「強豪小説集」実業之日本社
1978(昭和53)年3月25日 初版発行
1979(昭和54)年8月15日 四刷発行
底本の親本:「日本魂」
1928(昭和3)年7月号
初出:「日本魂」
1928(昭和3)年7月号
※表題は底本では、「宗太《そうた》兄弟の悲劇」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ