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  • harukaze_lab @ ウィキ
  • 寝ぼけ署長07毛骨屋親分

harukaze_lab @ ウィキ

寝ぼけ署長07毛骨屋親分

最終更新:2019年11月01日 07:54

harukaze_lab

- view
管理者のみ編集可
寝ぼけ署長
毛骨屋親分
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)他処《よそ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)町|間《かん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
-------------------------------------------------------

[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]

 並木町から北原町へかけて毎晩にぎやかに夜店が出るのを御存じでしょう、あれはもと柳町の電車通りにあって、焼鳥屋だの牛飯おでん屋などという飲み食いの屋台も一緒だったのを、そういう業者と切離してあっちへ移したものです。あの夜店は他処《よそ》のものと違って業種がたいへん多く、書籍や、衣類、日用雑貨、器具調度から化粧品まであり、近在の農家から野菜や雑穀を、海岸の町からは汽車に乗って魚貝を運び込むという風で、常には五―七百の店が並び、多いときは千を越すくらいです、尤《もっと》もこれは旧幕時代から「城下の日市《ひいち》」と呼ばれた有名なもので、つまり交易市《こうえきいち》の伝統が遺《のこ》っている訳なんです。……それを柳町からあっちへ移すに就いては複雑な事情があり、また我が寝ぼけ署長の果断と、正義を守りぬく不撓《ふとう》の勇気が隠されているのですが、ひとつそれを手短かにお話し致しましょう。
 話すまえに一つ申上げて置くことがあります、これまで度《たび》たび御紹介したように、署長はふところの寛《ひろ》い独特の性格で、赴任早々はともかく、日を経るに従って各層の好意と支持を受けるようになりました、貧困階級は特別として、これほど市民から信愛され頼みにされた署長は前にも後にも無かったでしょう。然《しか》しそのなかでただ一つ、どうしても融和しない一群の人たちがありました、それはどこの都市にもある「顔役」とか「ボス」などという存在です。政治の有《あら》ゆる間隙にもぐり込んで、利権を争奪し、統制を破り、綱紀を蹂躙《じゅうりん》する、暴力と威嚇を擬して秩序を紊《みだ》すこれらの存在は、中央地方の差なしに行政上の癌《がん》ですが、この市にもそうした一群が県会市会のなかに根強い勢力を張っていました。我われの寝ぼけ署長が着任して来たときのことです。署の会議室の壁面に功労者の表賞状が掲げてある。道場の建物を寄付したとか、新築改装の費用を負担したとか、備品や厚生費を寄贈したとか、色いろ警察事業に貢献した人々を表賞するものですが、その多くが何某組だの何某土建会社という、つまり「顔役」に類する人たちです、署長はその掲額を眺《なが》めながら、側にいる主任に向って、「これがこの市のボス連中だね」と云いました。
「こういう人たちに寄付を貰わなければやっていけないのかい」
「なにしろ経費が足りないものですから」主任は至極あたりまえにこう答えました、「建物を改築するとか寮を造るとか、署員の医療や生活費の補助など臨時応急の出費は殆んど寄付に仰ぐ習慣になっています、尤もこれはどこの警察でも同じだと思いますが……」
「経費が不足なら予算の増加を申請すればいいだろう」署長は明らかに不愉快だという調子でした、「少なくとも僕のいるあいだはこういう人たちの寄付は断わる、これだけは心得ていて呉《く》れたまえ……それからこの表賞状の額はどこか他《ほか》へ移すんだね」
「承知しました、然しどこへ移したらいいでしょうか……」
「どこでもいいさ、物置でも、天床裏《てんじょううら》でも、見えない処《ところ》で邪魔にさえならなければ、どこでも結構だよ」
 更にその年の暮のことでした。前に挙げた何某組の人たちの寄付で署員の忘年会が行われる、これは毎年の例になっていたのですが、新任の寝ぼけ署長はそれをはっきり禁止しました。驚いたのは署員たちより寄付者の側で、「これはながい慣例に反《そむ》く」とか、「当局と市民との親睦《しんぼく》を破る」とか云って説き伏せにやって来ました。署長は例の舌たるい調子で警察権の独立と尊厳の意味を説明し、今後はこの種の寄付を絶対に受けないと答えて譲りません。
「なぜならばですね」そのとき署長は極めて柔和にこう云いました、「貴方《あなた》がた有力者の寄付に依って、警察署の改装をしたり、建増しをしたり、署員の生活費の補助をしたりすることは、警察権の独立という点は別として、国家を侮辱する結果になりますから」
「国家を侮辱するとはどういう意味ですか」
「例《たと》えば親があるのに、他人から金や着物の面倒をみて貰うとすればどうでしょう、それが親を侮辱することにならないでしょうか」
 彼等はなお言葉を変え、警察官が時には生命の危険を冒して、市の治安のため日夜はげしい勤務に就いていること、然も酬《むく》われること甚《はなは》だ薄いことを挙げ、自分たちは純真な気持からその労に酬い、旁《かたがた》、感謝の意を表するためにできるだけの奉仕をするので、寄付献金には些《いささ》かも他意がない旨を強調しました。
「そういう御理解だけで私共にはもう充分です」署長はやんわりと微笑しました、「その理解こそ百万円にも代え難い御寄付ですよ、どうか今後はそういう点で御助力を願います」
 彼等は空《むな》しく帰りました。そしてその後も妥協しようとして、手を変え品を変え署長の懐柔にかかりましたが、こちらは例のぬらくらした態度で、然し断乎《だんこ》とそれをはねつけとおしていた訳です……これだけの事を承知して頂いて本題の話にかかるのですが、まず喉《のど》しめしに氷菓《アイスクリーム》でも取るとしましょう、どうぞお楽になすって下さい。

[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]

 梅雨があけてにわかに夏らしくなった季節の或る宵のことでした。夕食のあとで珍しく署長は散歩をしようと云いだし、浴衣《ゆかた》がけで一緒に官舎を出ました。雨でも降ったあとのように空気の爽《さわ》やかな夕べで、大川の岸や橋の上などにはもう涼み客の姿がみえ、すれ違う人のなかには螢籠《ほたるかご》を持つ子供などもあって、街いったいに活《いき》いきした夏のざわめきが漲《みなぎ》っていました。……夜の散歩は珍しいし、出ても城山あたりをひとまわりするくらいですが、その晩は大川を渡って広小路へぬけ、電車通りを柳町のほうまで歩きました。四丁目の交岐点から先が夜店の出る地帯になっている、その角へ来たときでした。道端の並木のところに人集《ひとだか》りがして、なにか大きな喚《わめ》き声《ごえ》が聞えます。覗《のぞ》いてみると躯《からだ》の逞《たくま》しい一人の若い者が、十八あまりになる花売の娘を捉《とら》え腕捲《うでまく》りをしながら怒号している。
「虫も殺さねえ風な面《つら》あしやがって舐《な》めたまねをするな、須川組をなんだと思やがるんだしこう云いさま彼は娘の手から花籠を叩《たた》き落し、むざんに足で踏みにじりました、「うぬらに甘くみられて指を銜《くわ》えてるほど腑抜《ふぬ》けじゃあねえ、須川組にゃあ眼もあれば腕っぷしもあるんだぜ」
 右手が動いたと思うと娘の頬《ほお》へ烈しい平手打がとんだ。娘はあっといってよろめきましたが、若者は片手でその肩を掴《つか》み、暴《あら》あらしく引寄せて更に殴《なぐ》りつけようとする、堪《たま》らなくなって私が出ようとしたとき、署長が大股《おおまた》に近寄っていって若者の腕を掴《つか》みました。
「なにょうしやがる放せ」相手は凶暴な顔を振向けました、「……てめえはなんだ」
「通りがかりの者だよ」署長は相手の腕を逆に取ってから答えました、「若い娘を男が殴りつけるというのはいけない、訳は知らないがとにかく乱暴はよしたまえ」
「よけえな処へでしゃばるな、露店には規則があって柳町両側五町|間《かん》と定《きま》っている、それをこのあま[#「あま」に傍点]はいつも区域外で売《ばい》をしやあがる、五町露店街は須川組の繩張《なわばり》だ、こんな舐めたまねをされちゃあ須川組の顔が潰《つぶ》れる許《ばか》りか、警察から任されている取締りのしめしがつかねえ、おまえさんそれを承知でちょっかいを出すのかい」
「私はなんにも知らないよ、ただどっちにしてもいい若い者がこんな娘を打ったり殴ったりするのはよくない、もっと穏やかに話したらどうかと思っただけさ」署長はこう云うと、若者の腕を放し、踏みにじられた花籠を拾って娘の手に渡しました、「さあお嬢さん、あなたもこれからはこんな場所へ出ないんだね、定りはよく守らなくてはいけない、この花は私が買って上げるからもうお帰り」
「あま[#「あま」に傍点]忘れるな」若者は肩をそびやかしてこう喚《わめ》きました、「こんどみつけたら片輪だ、覚えて置けよ」
 そして人混の中へ去ってゆきました。署長も娘を抱《かか》えるようにして、横丁の人気《ひとけ》の無いところまでゆき、拒み続ける手に五円紙幣を握らせました。平凡なまる顔の、でもかなり愛くるしい眼鼻だちで、ごく気の弱い柔順そうな性質にみえる、よほど力任せに打ったのでしょう、右の頬が赤く腫上《はれあが》っていました。どうして夜店街へ出ないのか、これまで度《たび》たびこんなめに遭《あ》ったのか、家族はあるのか……署長は色いろと訊《たず》ねましたが、娘はひどくなにかを怖《おそ》れる風で、少しもはかばかしい返辞をしません。署長も強《し》いては追求せず、
「なにか困ることがあったら相談においで」こう云って名刺を与え、彼女に別れて帰りました。
「こないだうちからあの夜店街でなにか紛擾《ごたごた》があるという話を聞いたように思うが、知らないかね」
「精《くわ》しいことは知りませんが、喧嘩《けんか》だか傷害|沙汰《ざた》が五六件あったとか聞いたようですが、然しああいう場所ではよくあることですから」
「ひとつ調べてみて呉れ、須川組との関係もついでに頼むよ」
 須川組の主人は須川源十といって、この市の「顔役」の中でも古い型の、いわゆる親分という種類に属する人間です。土木請負もやるし、露店や縁日の繩張を持っている、低級な興行物も扱い、博奕《ばくち》のてら[#「てら」に傍点]も稼《かせ》ぐ、事があれば命知らずの若い者が三十余人、どこへでも押掛けるという風でした。かなり眼に余る事があっても、県会の黒幕として相当の勢力を持っていましたから、これまで警察でも殆んど手を付けることができなかったのです。……然し我が寝ぼけ署長ならやるかも知れないぞ。私はそのときこう思いました。例の寄付問題は彼等に対する断交宣言でもある。この半分眠っているような頭の中には、案外なにか秘策があるかも知れない。もしもそうだとしたら、……私は思わず拳《こぶし》を握り、署長のためにできるだけの助力をしようと心のなかで誓いました。
 当時はまだ私も署長がどんな人物かよく知りませんでした。それでおこがましくもそんなことを考えた訳ですが、とにかく、その翌日すぐ私は毎朝新聞社へいって青野に会いました。青野庄助は私のごく親しくしている記者で、気骨もあるし向《むこ》う張《ばり》の強い元気な青年です。
「須川組へ手を付けるって」彼はふんと鼻を鳴らしました、「よせよせ、あんな寝《ね》ぼけ狸《だぬき》なんかになにが出来るものか、椅子を大事にのんびり昼寝でもするほうがにん[#「にん」に傍点]相応だ、おけらが笑うよ」

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 私は彼を説き伏せました。もちろん彼も本気でそんな罵倒《ばとう》をしたのではない。須川組のやって来た不法な無道の事実は、社会部記者の彼には私などより遙かに精《くわ》しくわかっている。従って公憤も大きい訳で、一種の八当り的な言葉だったのでしょう。熱心に事情を話すと幾らか乗気になり、「どうせむだ骨だろうが」と云いながら、ともかく調査部でたしかな事を調べると答えて呉れました。
 青野はその午後に署へやって来ました。私は彼を署長に紹介し、持って来た調査書を読んでみました。さすがに精細な調査でびっくりしましたが、一《いち》いちここで申上げる必要はないでしょう。肝腎なのは柳町五町露店街の件ですが、従来のことはともかく、数カ月こっち際立ってあこぎなまねをしている。例を挙げると、それまでは露店業組合へ入るとき二十円納め、あとは「場銭」といって毎夜十銭ずつ払えばよかった。それが最近は場銭が三十銭になり、「はな[#「はな」に傍点]を付ける」といって、店を出す場所に依《よ》って別に幾らと権利のような金を取られる。また五年十年と古くから定《きま》った場所に出ていた者が、「はな[#「はな」に傍点]を付け」られると其所《そこ》を譲って他へ移らなければならない。その「はな[#「はな」に傍点]」には最低五十銭から五円、七円という高額のものまであり、勿論《もちろん》すべて須川組のふところへ入る、これが毎晩のことだから地道な商売をしている者には負担しきれず段だん端のほうへ追われてしまいます。そしてもし不服を云ったり場銭が払えなかったりすると、例の若い者がやって来て暴力をふるい、場銭に相当する品を店から持ってゆくという有様でした。細かい事を挙げればもっとあるのですが、これだけでも他は推察できるでしょう。……署長は暫く黙っていましたが、しずかに青野のほうを見てこう云いました。
「有難う、お蔭でよくわかった、詰りこれでみると、須川という人は、かなりその、徳望家、と云うか、詰りたいへん人徳があるとみえるね」
「人徳ですって、徳望家ですって」青野は眼を剥《む》きました、「署長さんはこの調査からそういう結論を掴《つか》まれたんですか、いったいどこを指して貴方《あなた》は」
「結論は僕じゃないよ」署長はのんびりと欠伸《あくび》をしました、「僕はなんにも掴みやしない、ただこう考えただけさ、詰り、それだけはっきりした事実があるのに、須川源十氏が今日なお隆々と栄え、県会市政に大きい勢力を張っていて、誰ひとりこれを指弾する者もない、……ということは、よほどの徳望家でなければならない筈《はず》じゃないか、そう思わないかね、青野君」
「皮肉なら失敬ですが返上します、坐っていて舌を叩《たた》くくらいの芸当なら木偶《でく》にでもやれますからね、これまでも僕は度《たび》たびそんなごたく[#「ごたく」に傍点]を聞きました、かなり腰を入れて掛った署長もありましたよ、然しみんな……」青野はくるっと手を振って椅子から立ちました、「みんなそれっきりの事です、署長の椅子は温かくて掛け心地《ごこち》がいいとみえますからね」
「それはたしかだ、まったくこの椅子はふっくらとして温かいからな」署長はゆっくりと頷《うなず》きました、「僕だってへたな事をしてこいつを失《な》くしたくはないよ」
「では精ぜい大事にするがいいでしょう、傷《いた》めば須川組が唯で取替えて呉れますからね、是れは貰って帰ります、失礼」
 青野はかんかんに怒って、調査書を掴むなり鉄砲だまのようにとびだしてゆきました。青野の短気なことはよく知っていますが、署長の応待がまたわざと彼を怒らせるようにみえました。せっかく彼を紹介し、彼を通じて毎朝新聞を味方に付けようと考えた計画は、これでまったく逆になったようなものです。些《いささ》か心外ですから私はその不満を訴えました。署長は眼をつむって聞いていましたが、だるそうに肩を揺りあげ、ぐっと椅子の背に凭《もた》れかかりながらこう答えました。
「化膿《かのう》した虫様突起は切開手術をするより他《ほか》にない、頓服薬《とんぷくやく》をのんだり御符を貼《は》ったりするより、患者へメスを入れるのが唯一の手段だ」
「然し新聞紙のちからは御符より少なくはないと思いますが……」
「ちからは己《おれ》だ」ゆっくりと署長はこう云いました、「男が仕事をする場合に、たのむのはおのれのちから一つだ、少しでも他に頼む気持が動いたら、仕事の形は出来ても魂がぬけてしまう、尤《もっと》も……青野君には頼むことがあるがね」
 ちからは己だという号黒聚は私に強い印象を与えました。たしかに署長はなにかしようとしている、だがいったいどんな秘策があるのか、半ば好奇心に似た期待を以て、私はじっとようすを視《み》ていました。……それから四五日、暇を偸《ぬす》むようにして署長はどこかへでかけました。なんの目的でどこへゆくのか、一時間ほどで帰ることもあり、半日あまり留守にすることもあるという具合でした。そして或る日の午後、この話の第三幕ともいうべき出来事が起こったのです。

[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]

「いつか柳町で助けて頂いた者ですが」と云って面会人がありました。私が出てみますと、このあいだの花売り娘が開衿《かいきん》シャツを着た見知らぬ青年と受付に立っていました。二十五六になる角張った顔だちの、骨細な躯《からだ》つきをしたその青年は、かなり吃《ども》るせっかちな調子で、「洋子の事に就いてぜひお願いがある」と嘆願するように云います。娘はまるで怯《おび》えたような表情で、固く青年の腕に縋《すが》り付いていました。私は二人を署長室へ伴《つ》れてゆきました。
「挨拶《あいさつ》はぬきにして、まあそこへ掛けたまえ」署長は二人に椅子を示し、煙草に火をつけながら彼等をやさしく眺《なが》めました、「……よく此処《ここ》へ来ることを覚えていたね、さあ聞こう、なにが起こったんだ」
「これを警察へ保護検束して頂きたいのです」
「ほう、……この人をね」
「そうです、それでないとこれも、これの家族も無事ではいられません、僕は小栗公平という者ですが」
 彼の話をつづめて申上げましょう。……娘は島村洋子といって十九になり、病気で三年も寝たきりの母と、六十三になる祖父貞助と三人で暮している、十年ほど前に亡《な》くなった父は、若いころ東京で鮨屋《すしや》の修行をし、そっちで妻を貰って帰ると、柳町の露店街で屋台の店を始め、江戸前の握り鮨でかなり繁昌《はんじょう》した。そこは親の貞助が十五年もおでん屋の店を出していた由縁《ゆかり》の深い場所で、映画館や寄席《よせ》の並んでいる盛り場だったせいもあろう、妻の名をとった「菊ずし」の評判はひと頃ずいぶん弘まったものである。洋子が尋常三年のとき父が死んでから、祖父と母とで暫く店を続けていた、然し或るとき客の一人に「菊ずしの味じゃあなくなったな」と云われ、それでは亡くなった者に済まないからと思い切って止《や》め、もういちど祖父のおでん屋に返った。これもかなり盛ったが、お菊が病臥《びょうが》するようになってから金の要《い》ること許り続き、生活は苦しくなる一方だった。……そこへ夜店の「場銭」が三倍、また「はな[#「はな」に傍点]」の規則というものができた。貞助の店を出す所は盛り場の最もいい位置だったから、「はな[#「はな」に傍点]」は最高七円で付ける者がありこっちには到底そんな金は出せないので、前後三十年ちかくも出つけた場所を逐《お》われ、今では七丁目のいちばん端に出るような始末だった。……それだけならまだいいのですが、須川組の親分というのが、店を手伝っていた洋子を見て、古風にも妾《めかけ》によこせと云いだした、断わると若い者が毎晩のように来て商売の邪魔をする、しぜん客足が遠くなるし、病人を抱《かか》えて生活は逼迫《ひっぱく》するし、やむなく洋子が区域外へ花売りに出たのです。彼等はうるさく付纒《つきまと》いながら、先夜のように暴力をふるったり、家へ押掛けて嚇《おど》したり、有ゆる手段で洋子を責めたて、ついには誘拐《ゆうかい》しても意に従わせようというところまで来たのです。
「私は金花町の同じ長屋にいて、柳町六丁目へ古本の夜店を出しているのですが」小栗公平という青年はこう続けました、「洋子とは幼な馴染ですし、実は……つい最近、将来の約束をした間柄なんです、けれど事情がこんな具合になっては、どこか他の土地へでもゆかなければ結婚もできず、生活することさえできなくなります、それで私はK……市にいる友達のところへ相談にいって来ようと思うのですが、いまお話ししたような訳でこれ[#「これ」に傍点]の躯《からだ》にのっぴきならぬ危険が迫っていますので、私が帰るまでこちらに預かって頂きたいのです、無理かも知れませんがどうかお願い致します」
「預かりましょう、然し……」署長は卓子の上で拳《こぶし》を握りながら静かに相手を見ました、「然しそれは君たちが此処から逃げだす手伝いをするためにじゃない、寧《むし》ろこの土地で平穏な生活をするための手段としてだ」
「でも私は考えられる限り考えたのです、その他にはまったく方法がないのですから」
「それじゃあ訊《き》くがK……市へゆけば君たちは安全だと信ずるのかね、須川組のやっているような不法と暴力が、K……市には無いと信ずるのかね、違うよ君、たいへん違う」握った拳をひらき、それをまた強く握りながら、署長は厳《きび》しい調子でこう続けました、「不正や無法や暴力はどんな土地にもある、正義が尊ばれるのは人間生活の中でそれが極めて少ないからで、世界は不正や暴力で充満しているんだ、正しい生き方は大なり小なり悪との闘いのうえにある、その闘いから逃げることは自分で自分の生存を拒むのと同様だよ、そう思わないか」
 小栗青年は唇を噛《か》んで深く頭を垂れました。たしかに、返す言葉はなかったでしょう。署長の云うことは現実を離れた公式論で、それをどんなに絶叫してみたところが事実の解決には役立ちはしません。なんのためにこんなことを云うのか、私は訝《いぶか》しく思いながら見ていました。……小栗公平は間もなく顔をあげ、署長を睨《にら》むようにしながら云いました。
「それでは署長さんは、私に須川組と闘えと仰《おっ》しゃるんですか」
「そんなことは云やあしない、他の土地へいったって同じだということ、不当に迫害されて逃げだすような気持では、この世界には生きてゆけないということを注意しただけだ、此処にいたまえ、君たちは此処で正当に生きてゆく権利を持っているんだ」署長はこう結びました、「そして君にそれだけの決心がついたら私もできるだけの助力をするよ、よく考えてみたまえ」

[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]

 その夕方のことでした。いつもなら官舎へ帰る時間なのに、署長は自動車を命じて私と一緒に署をでかけました。
「さっき己《われ》が小栗という青年に云ったことを、君は大人げないと思ったらしいな」車が走りだすと間もなく署長はこう云いました、「いやわかってるよ、たしかにそうなんだ、露店街の人たちが須川組の不法を泣きの涙で忍んでいるのは、勇気が無いからではなくて力の比例を知っているからだ、須川組の持っている暴力に正面から敵対することが、いかに愚かであるかということを知っているからだ、……然《しか》し『知っている』この『知っている』ということが問題なんだ、実際には力をもちながら、頭だけで計算して投げてしまう、これが人間を無力にする最も大きな原因だ」
 こういう話になると例に依《よ》って署長の調子は熱を帯びてきます。顔つきも若やぎ、眼は光りを湛《たた》え、まるでだだっ子のように傍若無人な論法をふりかざす。自分でも衒《て》れるところの「中学生的論理」が始まった訳です。
「いったい日本人は無用の知識が多過ぎる、『中央私論』だとか『改作』だとか、その他のいわゆる高級総合雑誌をみたまえ、月々それらの誌上には哲学、社会学、人類学、科化学、史学、国際事情、経済学などという有ゆる思想、批判、論駁《ろんばく》、証明の類がぎっしり詰っている、そしてかかる雑誌が多く売れ、読者の数が逓増《ていぞう》すれば、それで日本の文化水準が高まったと信じて誇る、愚《ぐ》や愚や汝《なんじ》を如何《いかに》せんだ」署長はここで憐憫《れんびん》に耐えぬという風に片手を振りました、「いいか聞きたまえ、これらの論文を読むことはたしかに見識を広くするだろう、然し見識を広くすることだけでおしまいだ、僕の知っている質屋……ぼろが出たね……の主人公に、哲学、社会学、自然科学、考古学などに極めて深く通暁する人がいた、実際びっくりするほど熟《よ》く知っているんで感にうたれたくらいだ、恐らくこういう例は到る処にあるだろう、銀行の出納係、駅の改札、魚問屋の番頭、商事会社の社員、呉服屋の手代、町役場の吏員、どこにでもいるに違いない、然し、それはどこまでも唯それだけのこった、質屋の主人や町役場の吏員がギリシア哲学に就いて論ずるということは、タルタラン的性格として諧謔《かいぎゃく》の種にこそなれ、それ以外には笑う価値もありやしない、実行力の伴わない知識、社会的に個人の能力を高めざる知識、これらのただ知ることで終る知識は恒《つね》に必ず人間をスポイルするだけだ、彼等はなんでも知っている、だからいつも物事の見透《みとお》しをつける、すべてがばかげてみえ、利己的で勤労を厭《いと》う、同朋《どうほう》を軽侮し、自分の職業を嫌う、……社会的不正、国家的悪などという、国民全体の最も重大な出来事に当面しても、高級なる知識人であればあるほど、三猿主義になるものと相場は定っているんだ、……こんなこってなにができる、泣っ面をして『長いものには巻かれろ』などと鼻声を出しているようでは、社会全体に対する、或いは文化に対する個人の責任を果すことなど夢にもできやしない、そしてその責任の自覚なくして文明なる国家というものは存立しないんだ、失敬だけれども」
 そのとき自動車は或る邸《やしき》の前で停《とま》りました。
「こういう風習が小栗青年や露店街ぜんたいの人たちを無力にしている原因だ、自分の能力を試《ため》してもみずに、暗算でものごとの見透しをつける小利巧さ、こいつを叩《たた》き潰《つぶ》さなくてはいけない、有ゆる学問思想に通じながら、なに事をも為《な》し得ない腑抜《ふぬ》け根性《こんじょう》、こいつも叩き潰さなくちゃあいけないんだ」
「署長、車が停っていますよ」
「わかってるよ、車は停った、下りればいいんだろう、己はもっと云いたいことがあるんだが、……まあいい、あとにしよう」
 私たちは車を下りました。そこは御殿町裏という処で、眼の前にあるのは石の門構えに石の塀《へい》をめぐらせた、さして広大ではないが俗っぽく凝った造りの眼立つ邸でした。表札には須川源十とあります。署長は大股《おおまた》にはいっていって自分で案内を乞《こ》いました。……この訪問が彼等を驚かせたのは明らかです。家の中がちょっと色めき遽《あわただ》しい足音などが聞えました。そして「どうぞお通り下さい」と案内されたのは十|帖《じょう》ほどの日本間でしたが、そこではいま食事が始まろうとしているところでした。恐ろしく大きな、でこでこに彫りのある卓子に向って、須川氏が正面にあぐらをかき、五つくらいの可愛《かわい》い女の子を膝《ひざ》に抱いている。その脇に三十歳くらいでひどく粋《いき》づくりな、そのくせ色の黒い不縹緻《ぶきりょう》な女が坐っていました。須川氏は顔も躯も固肥《かたぶと》りで、浴衣《ゆかた》がけのはだかった胸には熊のような毛が生《は》え、威嚇的な胸毛と濃い口髭《くちひげ》が眼をひきます。「どうぞこちらへ、どうぞ」源十氏は愛相よく笑いながら、こう云って署長に自分の脇の座を示しました。

[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]

「ちょうど一杯やりかけたところです、失礼ですが一ついかがですか」
「いや、折角ですがこんな恰好ですから」署長はこう云って盃《さかずき》を断わりました、「今日は貴方《あなた》に御相談があって来たんです、簡単なことですが此処《ここ》で云って構いませんか」
「どうぞどうぞ、私は無礼講にして貰ってこいつをやりながら伺います」源十氏はこう云って傍《かたわ》らの女に酌をさせながら、抱いている女の子をとろけそうな眼で眺《なが》め、「こんどはなんだ、卵焼か、きんとん[#「きんとん」に傍点]か」などと甘い声をだして頬《ほお》をすりつけるのでした。
 それはこちらを無視する擬勢のようてもあるが、実はそれ以上に子供を溺愛《できあい》しているというのが事実らしい。署長もつりこまれるように「お孫さんですか」と訊《き》きました。
「孫とはひといですな、子供ですよ」源十氏は相好を崩して笑いました、「尤《もっと》も五十になって初めて出来たんですが、そのせいですかな、顔はこんなおかめですがおそろしく利巧なやつで」
 親馬鹿まるだしで子供自慢を始めました。そういうところはまったく温和な好人物で、これが血も涙もない須川源十その人かと疑われるくらいです。署長はやがて用談にかかりました。
「御相談というのは露店街のことなんですが」
「ふむふむ」源十氏は子供のおかっぱ頭を撫《な》でながら、女に酌をさせて平然と酒を呑んでいます。
「細かい事は云いませんが、夜店商人たちに対する負担がだいぶ重くなったこと、暴力|沙汰《ざた》が非常に増加したこと、この二つの件に就いて貴方に御注意したいのです」
「注意とはどういう意味ですか」源十氏は盃を口へ持ってゆきました、「柳町両側五町の露店街は、さよう、五道さんは御存じないだろうが、あれは須川組が許可を取って経営の管理をやっているものです、商人たちに対する負担とか、風紀に関する点など、警察の御厄介にならぬよう組内で努力している積りです、決して不合法な事はやっておる訳ではない、それは責任者たるこの私がはっきり云えることです」
「私のほうに集まった材料は、残念ながら香《かんば》しくないものが多いのです、このままでは我われの職分として黙っている訳にはいかない、貴方のほうで根本的に考え直して下さらぬ限り、こちらでは然《しか》るべき手段を講じなければならないと思うのです」
「好い子だなゆき[#「ゆき」に傍点]坊」源十氏はこう云って抱いていた女の子を下ろしました、「父ちゃんはお話が少しあるから、おまえ広間のほうへいって遊んでおいで」
 子供は聞分けよく立って、廊下を向うへばたばたと駆けてゆきました。私はなにげなくそれを見送ったのですが、そのとき明けてある障子の彼方《かなた》、鉤《かぎ》の手《て》に曲った廊下の角のところに、この家の子分でしょう、若い者が五六人じっとこちらを見ている姿を発見したのです。源十氏は坐り直し、急に人の違ったような眼つきで署長を見上げ見下ろしました。
「なんですって、署長さん根本的に考え直せ、さもなければ然るべく方法を講ずる、……こう仰《おっ》しゃるんですかい」
「そのとおりです、断わって置きますがそれが私の掛値のない肚《はら》ですから」
「面白いねえ」源十氏は唇の端で笑いながら云いました、「あんたはこの市へ就任して来られてから、だいぶその御自慢の『肚』を振廻しておいでなさる、せんだっての寄付問題にしても、我われ市の有力者と警察とのながい親睦関係をぶち毀《こわ》し、我われに対して挑戦的態度をとられた、こんどはまた須川源十に向って然るべき方法をとると云う、宜《よろ》しい、結構だ、やってみせて貰おう」
「すると……」署長はのんびりと手で顎《あご》を撫でました、「するとこの相談は纒《まと》まらない訳ですね」
「念には及ばねえ、こんな地方都市の警察なんぞが怖《こわ》くて、おれ達の商売がやってゆけるもんじゃあないんだ、やるなら肚をきめてやってみろ」
 怒号しながら力いっぱい卓子《テーブル》を叩《たた》いたので、皿小鉢《さらこばち》はけたたましい音をたてて踊り、燗徳利《かんどくり》が倒れました。本領をさらけだしたというところでしょう。署長は黙って源十氏の顔を見ていたが、やがて静かに目礼して座を立ちました。
「それでは仕方がありません、私のほうは私のほうとして対策を講じましょう」
「但し首の根を洗ってな」源十氏は古風なたんかを切りました、「おまえさんが須川組に手を着ける前に、おまえさんの死骸《しがい》が大川へ浮くかも知れない、よくいっても転任になる覚悟はきめて置くがいい、おれは須川源十だぜ」

[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]

 それからまる三日間、署長は忙しそうになにか書いたり外出したりしていましたが、ちょうど四日めの朝、毎朝新聞の青野庄吉がとびこんで来て「おやじはいるか」とひどく意気ごんで云います。すぐ会いたいというので伝えると、署長は「来たかね」と新聞を置いて、会うから伴《つ》れて来いと云いました。
「夕刊報知の記事は本当ですか」青野は署長室へはいるなりどなりました、「あの並木町へ露店を許可したという記事は」
「まあ掛けたまえ、そして煙草でもやらないかね」
「冗談はぬきにして下さい」青野は乱暴に右腕を振りました、「東京から毛骨屋《けぼねや》なにがしとかいう親分が来るとか、その繩張で並木町へ露店街が出るとかいう、あの記事が本当かどうかを伺いたいんです、署長は御存じなんでしょう」
「あああの記事はいま読んだよ」署長はこう訟って伸びをしました、「例に依って、新聞らしい先ばしりをしている、うむ、然しまあ大体としては、事実と云っていいだろうね」
 青野に劣らず私もびっくりしました。並木町へ新たに露店を許可したなどということは初耳ですから、……というのは、並木町へ露店街を移すという案は、十数年まえから問題になっているもので、地元の町民もずいぶん運動して来たのですが、県会で議案が通過しないためそのまま今日に及んでいるのです。なにしろ時には出店が千を越すほどの大きな存在なので、色いろ利権が絡《から》んでいるのでしょう。これは当市としては相当重大な問題になっているのですから、それを夕刊報知にスクープされた青野のいきまく気持はよくわかります。
「じゃあ署長は夕刊報知一社へ材料をお遣《や》りになったんですね」
「僕はなにも遣りゃあしないよ、この一週間ばかり記者諸君には会ったこともない、材料がどこから出たか知らんが、……もしかすると毛骨屋のほうからでも洩《も》れたのかわからない」
「毛骨屋という親分はもう来ているんですね」青野は手帖と鉛筆を出しました。
「代理人はいるが当人はまだ来てはいない、然しもし希望なら」と、署長はそらをつかった声で云いました、「今日これから新しい露店組合の結合会へ、一緒にいってもいいよ」
「新しい露店の、……もうそんなところまで進んでいるんですか」青野は眼を瞠《みは》ったが、ふと声を低くして、「然し署長、こんどの許可に就いて、県会のほうの了解はあるんでしょうね」
「県会……そんなものはありゃしないよ」
「すると署長ひとりの裁決ですか」
「県や市のほうとはあとで折衝するさ、そんなことを待っていたら、夜店|商人《あきんど》は口が干上《ひあが》ってしまう、……まず種子《たね》を蒔《ま》けさ」
「もう一つだけ聞かせて下さい、須川組が黙っていないと思いますが、勿論《もちろん》その背後にある県会と市の顔役連を加えてですね、この圧迫を押切る策をお持ちですか」
「僕は知らないな」署長は両足をいい心持そうに踏み伸ばしました、「そういう点は毛骨屋が引受けて呉れるだろう、東京ではちょっと名の売れた男だからね」
「ともかくも署長の肚はきまってるんですね」こう云ってじっと署長の眼を見まもり、「事に依ると転勤ものですが、その覚悟もついておいでですか」
「そろそろ時間かな」青野の言葉には答えないで、署長はこう云いながら立ちました、「車が来ているだろう、一緒にゆくかね」
 青野はいな[#「いな」に傍点]されてむっとしたようですが、それでも帽子を掴《つか》んで署長の後からついて来ました。……待っていた車に乗って、我われ三人のいった先は公園下の料亭「茶仙」でした。玄関には夥《おびただ》しい数の穿物《はきもの》が並び、受付という訳でしょう、机を据えて三人の男が掛けてましたが、我われの顔を見るなりその中から一人の青年が出迎えにとんで来ました。それは小栗公平だったのです。署長は靴を脱ぎながら、「みんな集まったかね」と訊《き》きました。
「はあ代表者は全部集まりました」小栗の態度は見違えるほど元気になっていました、「署長さんのおいでをお待ちしていたのです、どうぞ」
 案内されたのは宴会に使われる五十|帖敷《じょうじき》の広間で、そこには雑多な身装《みなり》をした老若の人たちが五十人ばかり、ひどく緊張したようすで待っていました。……私たちが座に就くと、小栗公平が起って「これから新しい組合の結合会を始めます」と云い、みんなざわざわと坐り直しました。……小栗青年はちょっと昂奮《こうふん》した調子で、かねて並木町から北原町へかけて、露店営業許可申請の運動があったこと、それがこんど初めて実現したうえ、東京から毛骨屋という親分が来て組合長になって呉れることなどを述べ、新組合の規約を読むと云って、手にした一枚の紙を読みあげました。
「新組合に入会する者は、入会費金二円を支払うこと、場銭は一夜五銭、但し入会金、場銭とも組合名義を以て貯蓄し、組合員相互の扶助救済費に充《あ》てること、いかなる理由ありとも、組合全員の合議に依らざる限り徴集金をなさざること、役員は常任五名、任期は一年とし、組合員の厳正なる選挙に依ること、以上、細部は追って協定すべきこと……」

[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]

「以上が規約のあらましです」小栗青年はこう云って一座を見まわしました、「これに就いてなにか疑問のある方はどうか遠慮なく質問して下さい」
「入会金と場銭が」と、中年の髭《ひげ》だらけの男が手をあげながら云いました、「片方は二円片方は五銭というのが、安過ぎるように思われるんだが、どうでしょう」
「それとも一つ、その……」こんどは隅のほうから老人がこう云いました、「そういう金をみんな組合名義で貯金して、組合員の相互救済に遣《つか》うということだが、それではその毛骨屋とかいう親分は、そのう、一文も取らないということになりそうだが、そこになにか有るんじゃあないですかね」
「ご尤《もっと》もです、お答えしましょう」小栗公平は待っていたというようにこう云いました、「初めの入会費と場銭が安過ぎるという点ですが、これは考えようで、組合員を凡《およ》そ五百人とすれば千円という額になります、場銭も一夜二十五円、ひと月だと七百五十円ですから、年に積れば九千円になる勘定で、決して安過ぎるということはないと思います」
 集まった人たちはこの数字を聞いて眼を瞠り「すると須川組はたいした儲けをしていたんだな」などと呟《つぶや》く者もありました。
「それから毛骨屋親分の取り前がないという点ですが、これは仰《おっ》しゃるとおりで親分は一文も取りません、というのが、毛骨屋はこんどの新しい組合を作って、一年間だけその面倒をみる、そして組合の基礎が固まればあとは組合員の自治的経営に任せて手を引く、こういう約束なんです」小栗は改めて一座を見まわしました、「以上は毛骨屋親分から任された代理人として、この私が責任をもって実行します、どうか賛成の方は組合に参加して下さい、そして我われの新しい生活を建設しようではありませんか」
 割れるような拍手を浴びて小栗青年は坐りました。するとこんどは我が寝ぼけ署長が立って、「ひとこと挨拶《あいさつ》をします」と静かに口を切りました。そしてこんどの露店指定を許可するに就いては、警察としても相当の決意を持っていること、秩序の維持には責任をもつこと、新しい組合はどこまでも協同体の精神を忘れず、組合員全体の利益ということを守られたいことなどを語り、最後に調子を改めてこう結びました。
「人間が正しく生きるためには勇気が必要であります、貴方《あなた》がたが勇気をもって新しい組合を守る限り、五百人として一年に壱万円ほどの資産が貴方がたの所有になる、またこれを十年続けたとして、年五分の利を加算すれば、十三万円余の額に達するのです、これは貴方がた共同の所有であり、何者にも侵される怖れのない資産である、然しもし貴方がたに無法や暴力と闘う勇気がなければ、こんな積立の不可能なことはもちろん、再び貴方がたは生活の途をさえ脅やかされるに違いありません、人間は独《ひと》りでは弱い、けれども力を協《あわ》せてやれば大抵の困難は克服できる、どうか勇気をだして、貴方がた自身の生活と組合の正しい発展のために闘って頂きたい」
 署長が坐ると待っていたように、向うで半纒着《はんてんぎ》の若者が立上り、「お話はよくわかりました、僕はやります」と昂奮した声で叫びました、「僕たちが弱かったのは自分ひとりが大事だったからです、然しこんどは協同の組合というものがある、自分の生活と自分たちの組合を守るためなら闘ってゆけます、どんな事があったって僕はやります」すると彼方《あっち》からも此方《こっち》からも、「己《おれ》もやるぞ」「もうなにも怖いものはないぞ」「みんなでがっちり腕を組んでやろう」などという元気な叫びがあがりました。……これでいい、署長はそう云いたげに頷《うなず》いて、やがてその席から立ちました。
「毛骨屋親分はいつ来ますか」茶仙を出ると青野がこう質問しました、「勿論……来たら会わせて下さるでしょうね」
「一週間ぐらいすれば来る筈《はず》だ、然しあの男は新聞屋が嫌いだからな」署長は車へ乗りながらこう答えました、「まあ諦《あきら》めたほうが無事だろうね」
「宿だけ教えて下されば結構です、新聞嫌いなどと吹いている人間ほど新聞に書かれる事を喜ぶものですよ」青野は青野流のことを云います、「それから、いまの会合のことは記事にしていいでしょうね、お蔭でスクープされた埋合せがつきます」
「毛骨屋のことなんぞ余り書かないほうがいいぜ」
 青野が途中で車を下りるとき、署長は念を押すようにこう云いました。青野はにやっと笑い、それには答えずに颯爽《さっそう》と下りてゆきました。

[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]

 それから数日の緊張した気持は今でも忘れられません。明くる日の毎朝紙がでかでかと「新露店街の許可と同組合の発足」という標題を掲げ、東京から毛骨屋親分なる顔役が来てその後《うし》ろ盾《だて》となること、同親分は関東一円に知られた勇侠《ゆうきょう》の人物で、今次組合の結成には利欲を離れ、献身的に最後まで面倒をみる、などという事を書きたてると、県庁から知事秘書が駆けつける、全新聞社から記者が押掛ける、市の顔役たちがやっている睦連合会から問合せがあるというありさまで、署ぜんたいがざわざわした不安な空気に包まれていました。
「そうです、私の責任で新しい指定地の許可をしました」署長は質問を受けるたびにこう答えました、「現在の場所は電車通りで、交通機関のためにも、雑踏する客のためにも危険が多い、それに反して新しい指定地は鉄道にも近く、本町通りに接していて、これから繁華街に発展する良い条件を備えている、十数年まえから指定地にする運動があったそうだが、私もよく考えた結果それが最も合理的であると信じて許可をしたのです、県会に諮《はか》らず、独断でやった点は私の責任ですが、それは単に手続きの上の問題で、既に東京の本庁へも連絡がとってあるし、この許可がやがて確認されるだろうことは、些《いささ》かの疑問もなく確信しています」
 調子は例の舌ったるい緩慢たるものですが、言句の裏には尋常でない決意が感じられるし、もう一つ、なにか懐中《ふところ》に用意してあるとでもいうような、一種の威嚇に似た印象さえ与えているようでした。……県会の一部と、それを操るボス連中が、頻《しき》りに策動を始める一方、並木町から北原町へかけての指定地では、早くも露店街が華やかに開店しました。
 青野は毎日のように「毛骨屋はまだ来ませんか」と訊きに来る、また新しい露店組合からは一日に一度、小栗公平か幹事の誰かが必ずなにか連絡に来る、県会からも署長を支持する一派が激励に来る、というような日が四五日続いたあと、毎朝新聞に「任侠の人、毛骨屋親分の来市」という記事が出ました。……或る理由から宿所は隠してあるが、本社が確実なる筋より探訪したところに依《よ》れば、毛骨屋は既に五日以前に市へ到着し、新露店組合の基礎確立のため奔走中なる由、云々《うんぬん》ということが書かれてありました。私は署へ出勤してから読んだのですが、どこからそんな情報が出たのか不審なので、「これは本当ですか」と署長に訊いてみました。
「ああ本当だよ」署長はとぼけたような眼で天床《てんじょう》を眺《なが》めながらこう答えました、「但し日は違うがね、毛骨屋はずっと以前から来ているよ」
「ずっと前からって、……-署長は会っていらっしゃるんですか」
「あの男は人に会うのを嫌うからね」
 こう云っているとき小栗公平がとび込んで来ました。ひどく緊張した容子《ようす》で、はいって来るといきなり、「やって来ました」と口早に告げました。署長はいつもの眠そうな顔つきで、「君が会ったのかね」とゆっくり訊き返しました。
「幹部がみんなで会いました」小栗青年は低い声で、「そして仰《おっ》しゃるとおり答えましたら、すぐ此方《こちら》へ伺うと云って帰りました」
 署長はふむと鼻息を洩《も》らし、腕組みをしてなにか考えていましたが、やがてっと身を起こすと、「それでは……」と云って小栗公平の顔を見上げました。
「それでは、君は洋子君を伴《つ》れて帰りたまえ、保護室の生活もこう長くては辛《つら》いだろうし、例のほうの面倒もみて貰わなければならない」
「あの事をやるんですか」
「関ケ原だよ」署長の声は重おもしい暗示の響きをもっていました、「機会は一度しかない、必ず成功しなければいけないんだ、あとは凡《すべ》て僕が引受ける、やれるだろうね」
「組合のためです、きっとやります」
「宜《よろ》しい、家のほうは用意してあるし、洋子君も伴れていっても心配のないように、警戒も充分にしてある、安心してしっかりやりたまえ」
 私にはなんの事だかさっぱりわかりませんが、打合せが終るとすぐ、あれ以来ずっと保護室にいた洋子を伴れて、小栗公平は自動車で帰ってゆきました。……須川源十氏が二人の子分を供に訪《たず》ねて来たのは、それからほんの三十分ばかり後のことでした。署長は愛相よく迎え、自分から立って源十氏に椅子を直したり、煙草を勧めたりしました。源十氏は上布《じょうふ》の蚊飛絣《かがすり》の帷子《かたびら》に紗《しゃ》の羽折《はおり》、雪駄穿《せったば》きといういでたちだし、子分の二人は縮緬浴衣《ちりめんゆかた》に麻裏草履《あさうらぞうり》、なかなかりゅう[#「りゅう」に傍点]とした押出しでした。
「やあ、貴方《あなた》には一本まいりましたよ」源十氏はぐっと砕けた調子でこう口を切りました、「先日はひどく威《おど》されたので、実は十手風《じってかぜ》でも吹くのかと思ったんですが、新指定地の許可とは背負投げを食いました、五道さんもなかなか隅に置けませんな」

[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]

「然《しか》しこの儘《まま》ではいけませんぞ」源十氏は温厚な好人物らしい調子で、にこにこ笑いながら続けました、「この儘では私の顔はともかく須川組の面目がまる潰《つぶ》れで、捨てて置くときっと血の雨が降るでしょう、そういう事態を避けるためにはここで紳士協定が必要だと思います」
「紳士協定がね……」署長はちょっと歯を見せました、「それは甚《はなは》だ結構ですが、どうしたらいいとお考えですか」
「毛骨屋さんに会わせて頂きたい、同じ稼業《かぎょう》をしている人間同志、膝《ひざ》を突合せて懇談すれば話は早いでしょう、いかがですか」
「そうですな、いいと思いますが、なにしろ人に会うのを嫌う性分で」こう云って暫く考えていましたが、「……とにかく相談してみましょう、一時間ほどしたら結果を電話でお知らせします」
「お願いします、その他《ほか》には紛擾《ごたごた》を避ける手段がないということ、それから懇談はできるだけ早くという点に念を押して頂きたい、若い者たちがそうとう殺気立っていますから」
 飽くまで温厚に云うだけ云うと、源十氏は子分を伴れてたち去りました。署長もそのあとから独《ひと》りでどこかへでかけたが、恐らく毛骨屋を訪問したのでしょう。一時間ばかりすると戻って来て、すぐに須川邸へ電話をかけました。
「毛骨屋でもお眼にかかるということですから」源十氏が出るとこう告げました、「……さよう、今日の午後五時、公園下の茶仙でということですが、そちらの都合はいかがです……さよう毛骨屋は一人で伺うそうです、はあ、もちろん私も紹介役に出ます、……それでは」
 電話を切ると同時に、署長は椅子の背へ凭《もた》れかかって深い溜息《ためいき》をつきました。いかにも「やれやれ」という感じです。「愈《いよ》いよクライマックスですね」私がそう云いますと、ふむと鼻を鳴らし、眼をつむったと思うと間もなく鼾《いびき》をかき始めました。……こんどの事では私はまったく局外者のようで、なにがどう進行しているのかてんでわからない。主要人物の毛骨屋親分がいつこの土地へ来たかも知らなかった。署長はなにもかも独りで計画し独りで奔走している。僅かに新しい組合の小栗公平や幹部の者たちが助力しているようですが、これとてどの程度のものか見当もつかない。わかっていることは、署長が独力で、強引に事をここまで運んだこと、毛骨屋と須川源十氏との対決が成敗の岐《わか》れ目《め》であること、この二つだけに過ぎませんでした。――とにかく是が非でも両親分の対面だけには同席したいものだ、こう思って署長の容子に注意していました。
 午後の四時半になって、車の支度ができたので知らせましたが、署長は事務を執っていて動きません。「五時になりましたが」と云っても「わかった」と頷《うなず》いたきりでようやく椅子を立ったのは五時三十分でした。……君も来たまえ、思いがけなくそう云われて、私は殆んど跳《と》びあがったくらいです。署長はその容子を見てにやにや笑い、「但し断わって置くが」と云いました。
「ああいう社会の人間同志だ、事に依ると刃物が飛んだり拳銃《けんじゅう》の一発くらい鳴るかも知れない、側杖《そばづえ》を食ってもいい覚悟でいくんだぜ」
 そのくらいの値打はあると思います。私はこう云って署長に帽子を差出しました。……茶仙へ着いたのは約束に後《おく》れること五十分でした。女中に案内されて別棟《べつむね》の座敷へゆくと、源十氏と二人の子分が既に来ています。署へ来たときの身装そのままですが、縮緬浴衣でしんと坐った若い者の姿というものが、そんなに凄《すご》みのあるものだとは初めて気がつきました。……待たされた源十氏は明らかに苛《いら》いらし、温和に応待しようとしながら、言葉の棘立《とげだ》つのを抑《おさ》えきれないという風です。遅刻の詫びをよく聞きもせず、「毛骨屋さんは御一緒じゃあないのですか」と詰問するように訊きました。
「いやもう来ているでしょう」署長はこう云って上座を除けた席に坐り、卓子の上の団扇《うちわ》を取りました、「ひどく蒸しますな、お崩しになったらどうです……」
「約束は五時ということでしたね」源十氏は扇子をぴしっと鳴らせました、「私は正五時に来て待っているんです、ひとつ用談を片づけるように運んで貰えませんか」
「承知しました、ではこれから呼んで来ますが、須川さん」署長は穏やかに相手を見てこう云いました、「貴方が紳士協定と云われたので、毛骨屋のほうの条件を先にお伝えして置きますが、新しい指定地の露店では飲食業を入れない規定にするそうです、詰り飲食店は従前どおり柳町のほうに残す、こういう話ですから御承知下さい、では暫くどうぞ……」
 署長が座敷から出てゆくと間もなく酒肴《しゅこう》の支度が始まりました。源十氏は頻《しき》りに扇子を鳴らし、子分の二人は極度に緊張した容子で、然し身動きもせずに端座しています。雨になるか風になるか、好奇心に駆られて来たものの、私もさすがに動悸《どうき》の高まるのを抑えられませんでした。

[#6字下げ]十一[#「十一」は中見出し]

 二十分ばかり経ったでしょう。廊下に足音がして署長が戻って来ました。官服をぬき、浴衣《ゆかた》にへこ[#「へこ」に傍点]帯の寛《くつろ》いだ恰好に変っています。
「やあ失礼」と云ってこんどは正座へ坐り、すぐ燗徳利《かんどくり》を取って、「まあ一つどうです」と源十氏に勧めました。
「いや後にしましょう」源十氏は首を振りました、「用談が済むまでは頂きますまい」
「話は呑みながらでもできますよ」
「だが相手なしの相撲《すもう》は取れない、毛骨屋さんに挨拶《あいさつ》してからにしましょう」
「毛骨屋は来ていますよ」
 署長がそう云ったとき、座敷の中を颯《さっ》と風が走ったように感じられました。通り魔がしたというのはああいう感じのものでしょう。源十氏と二人の子分は電光のようなまなざしで入口のほうを見ました。
「そんな処《ところ》じゃあない須川さん、眼の前」署長は静かに呼びかけました、「……毛骨屋三省、私ですよ」
 二人の子分は反射的にふところへ手を入れました。源十氏は手から扇子の落ちたのも知らず、とび出すような眼で署長の顔を瞶《みつ》めています。有ゆる物が死滅したような、深い、どす黒い沈黙が十秒ばかり続きました。そして、源十氏がとつぜん片膝《かたひざ》を立て、つと食卓に手を掛けたとき、機先を叩《たた》く感じで署長が「源十さん」と鋭く叫びました、「お前さんの云う紳士協定こっちの条件はさっき云ったとおりだ、但し譲歩したのじゃあない、飲食業者にはだいぶ須川組と因縁のある者がいる、酔ったあげくの暴力|沙汰《ざた》などがあっては、新しい露天街の紊《みだ》れの原《もと》だから除外したんだ、お前さんと妥協する気持なんか爪《つめ》の垢《あか》ほども有りゃあしない、これだけは此処《ここ》ではっきり断わって置く」
「よくわかった」源十氏は色の変った顔で頷《うなず》き、「警察本署長の五道三省、二足の草鞋《わらじ》でけぼね[#「けぼね」に傍点]屋三省、とは知らなかった、いいことを聞かせて貰って有難い、礼を云わなくちゃあなるまいが毛骨屋さん、こんな市にも検事局や裁判所くらい有るということを知っていなさるかい」
「知っていたら腰でも抜かすかね」署長は口の隅で笑いました、「毛骨屋三省と正面切って名乗るのに、打つ手も打たぬ馬鹿はないだろう、それとも念のためならいって訊《き》くがいい、裁判所の桃井所長は学校で己《おれ》の二年後輩だ、渡辺検事正は同期生だ、財部知事と三人で己《おれ》を此処へ呼んだんだから三省のことなら熟《よ》く知っているよ、紹介状でも書こうかね」
 源十氏の喉《のど》がごくっと鳴りました。署長は右の袖《そで》を捲《まく》り、ぐっとあぐらをかいたと思うと、恐ろしく伝法な口調でこう浴びせました。
「源十さん、このあいだお前さん乙なたんか[#「たんか」に傍点]を切っていたが笑わせちゃあいけない、己は本庁で十三年、総監も手を焼く横紙破りで通して来た、善《よ》しと信じたら司法大臣と組打ちをしても遣抜《やりぬ》いて来た人間だ、三度まで官房主事に推されたのを、三度とも棒に振ったのもそのためさ、こんな田舎町《いなかまち》の顔役ぐらいが怖《こわ》くて本庁をとび出したんじゃあないんだぜ、……新しい露店街は毛骨屋の繩張だ、指一本ささせないからそう思って呉れ」
 そのとき突然、子分の一人が短刀を抜きました。源十氏も羽折の紐《ひも》へ手をかけ、座を蹴《け》って立ちながらなにか叫ぼうとする。然《しか》し署長はその先手を打って、「いいだろう、やってみたまえ」とおちつきはらって云いました。
「己が此処へ独《ひと》りで来るには、独りで来るだけの石が打ってあるんだ、源十さん、お前さんには睦連合会という背景がある、県や市の政界を牛耳《ぎゅうじ》る顔役、ボスなとという連中が付いている、それを承知で乗出すからには毛骨屋三省も素手じゃあないんだ」こう云いながら署長は、懐中から一綴《ひとつづ》りの書類を取出してぴたりと卓子の上へ置きました。かなり部厚なもので表に睦連合会罪悪史と書いてある。署長はそれを源十氏のほうへ押しやりながら、「……この土地へ来てから一年三カ月、己のちからで出来る限り調べあげた材料がこれだ、必要なだけの証人も書証も揃《そろ》っている、これと同じものを検事局へ出してあるから、お前さんの出よう一つで須川組ばかりじゃあない、睦連合会や、それに繋《つな》がる市の有力者も一網打尽だぜ、……源十さん、これを進呈するから、持って帰って睦連合会でひと相談やるんだな、血の雨が降るなんぞというこけ脅しな手とはちょっと違うぜ」
 源十氏はその書類を取りました。そして鼻で笑いながらなにか云おうとしたとき、廊下を走って来た一人の女が「ああ親分」と叫びながら、蒼白《まっさお》な顔をして源十氏の側へ駆け寄りました。いつか署長と訪《たず》ねたとき、源十氏の酒の相手をしていた女です。
「お雪ちゃんは」女はせいせい息を切らせながらこう云いました、「……親分、お雪ちゃんは、此処に来ていますか」

[#6字下げ]十二[#「十二」は中見出し]

「雪坊が此処へ……なにを寝呆《ねぼ》けてるんだ、雪坊がどうかしたのか」
「やっぱり誘拐《かどわか》しだ」女はヒステリイでも起こしたように身悶《みもだ》えをして、「いいえこうなんです、私が毘沙門《びしゃもん》様から帰って来ると、お雪ちゃんは親分からお迎えがきて今出ていったと云うんです」
「己から迎えだって……」
「親分がいっしょに夕飯を喰《た》べたいと仰しゃるので、これから迎えをやるから、そういう電話が掛って間もなく、自動車で若い女中風の娘が迎えに来たんですって、茶仙の者だと云うし、別に疑わしい容子《ようす》もないので、一緒に出してあげたというんです、私はそれを聞いて、今日は用談が用談だから雪ちゃんを呼ぶ筈はないがと思い、念のために此処へ電話を掛けてみたら案の定そんな事は知らないという返事なんです、それですぐとびだして来たんですが」
「ばかやろう」源十氏は拳《こぶし》をあげて女を殴《なぐ》りそうにしました、「まぬけめ、此処までのめのめ知らせに来る暇で、他《ほか》にする事は無かったのか」
「いいえ、子分衆はすぐ手分けをして捜しに出ましたし、電話で警察へも届けました」
「警察……」こう云いかけて、源十氏はぎくっとしたように振返りました。そして、のんびりと顎《あご》を撫《な》でている署長の顔を、やや暫く睨《ね》めつけていましたが、急に顔色を蒼《あお》くして呻《うめ》き、「……毛骨屋、いずれ挨拶にゆくぜ」こう捨てぜりふを云うと、まるで逃げるように廊下へとびだしてゆきました。
 子分たちや女が去り、二人だけになっても、私は暫く口が利《き》けませんでした。なにしろ驚きの大きさと緊張の激しさで頭も躯《からだ》も痺《しび》れたようになっていたのですから。
「どうしたんだい」署長は笑いながら燗徳利を取り、「猿芝居《さるしばい》はもう済んだんだよ、酒も肴《さかな》もたっぷりある、口止め料の積りで遠慮なくやって呉れ、さあ一ついこう」
「然しそんな悠長な事をしていていいんですか」
「毛骨屋の仕事はもう終った、あとは仕上げだけさ、まあ盃《さかずき》を取りたまえ」
 正《まさ》しくその対談が事件のやま[#「やま」に傍点]でした。睦連合会と、それに関係のある有力者筋が、ちょっと色めきたって策動するようでしたが、署長の打った石が要所要所に活《い》きていて、下手《へた》に騒ぐと一蓮托生《いちれんたくしょう》という事実がはっきりし、結局は手を引くより仕方がなかったようです。
 前の日から一週間めに、源十氏が独りで署長を訪ねて来ました。見違えるように憔悴《しょうすい》し、眼だけ赤く充血してぎらきら光っている。声はまったく潰《つぶ》れてかさかさに嗄《かす》れ、少し大きく叫ぶと苦しそうに咳《せ》きこむという風でした。
「娘を返して呉れ」源十氏はいきなりこう怒鳴りました、「お雪を返して呉れ、あれにどんな罪があるんだ、たったいまお雪を返して呉れ」
「どうしたんです須川さん」署長はけけん[#「けげん」に傍点]そうに眉をひそめました、「娘さんを返せだなんて、私にはなんの事かてんでわからない、貴方は誰か人違いをしているんじゃないのですか、おちついてよく見て下さい、私は警察署長の五道三省ですよ」
「大騙《おおかた》りめ、詐欺師め、悪党」源十氏は片手で卓子を叩き、絞りだすような声で罵《ののし》りました、「その署長面《しょちょうづら》をひと皮|剥《む》けは毛骨屋三省、どこへ出てもはっきり云ってやる、これが世間へ知れれば貴様も唯では済まないんだぞ」
「結構ですな、須川源十氏と寝ぼけ署長、どっちを世間が信用するか試《ため》してみるのもいいでしょう、やってみたらどうです」
「娘を返してくれ」源十氏は卓子を叩きながら怒号しました、「お雪を返して呉れ、お前さんが本当に寝ぼけ署長と呼はれる人だったら、こんな無慈悲なことができる筈はない、お願いだ、お雪を私に返して呉れ」
 終りはもう哀願の叫びでした。須川源十ともある人間が、幼い娘一人のためになぜそれほど取乱したのでしょう。……後でわかったのですが、あの娘は自分の子ではなく孫だったのです。源十氏は家庭的に恵まれない人で、妻には早く死なれるし、一人娘は十八の年に相手の知れない子を生んだ。そしてどう訊いても相手の名を云わず、この事件のあった前の年に、患《わずら》って死んでしまいました。こうして遺《のこ》されたのがあの幼い娘だったので、源十氏にとっては、娘と孫とを一つにした可愛《かわい》さと、二人ぶんの不憫《ふびん》さとで体裁も意地もなかった訳なんです。
「須川さん……」やがて署長が静かにこう云いました、「貴方はいま無慈悲ということを云われましたね、その意味を貴方は知っているんですか、慈悲も情けもなく、貧しい露店商人たちを絞りあげ、背景と暴力にものを云わせて、弱い者を泣かせて来た、その貴方に無慈悲という言葉の意味がわかるんですか」
「このとおりです署長、このとおりです」源十氏は卓子へ両手をつき、見栄《みえ》も外聞もなく頭を下げました、「お雪を返して下さい、お望みならどんな事でもします、なにもかも貴方の命ずるとおりにします、だからどうか私に娘を返して下さい」
「須川組を解散して下さい、毛骨屋の条件はそれだけです」署長の声はきっぱりしていました、「……睦連合会もやがて解散するでしょう、須川組はその先鞭《せんべん》をつける訳です、貴方から解散の通知があり、事実がたしかめられたら、私が毛骨屋からお嬢さんを受取ってお宅へお届けします、これでいかがですか」
 源十氏は頭を垂れました。完膚なきまでに敗北した人の姿です。さすがに哀れを催したのでしょう。署長は源十氏から外向《そむ》いて椅子を立ち、窓へいって日盛りの街を眺《なが》めやるのでした。三日めに源十氏から須川組の解散を知らせて来ました。署長は四五日ようすを見たうえ、大丈夫と認めたのでしょう。北原町の裏長屋からお雪ちゃんを伴れだして、源十氏の家へ送り届けました。預けてあったのは小栗公平の住居で、彼と洋子君とはもう結婚していたようです。……睦会が解散したのはそれから半年も経ってからでしょうか。勿論《もちろん》それでいわゆる顔役やボスがいなくなった訳ではありませんが、それまでのように公然と悪徳をやる風は無くなりました。面白かったのは青野庄助ですよ。彼はすっかり毛骨屋に惚《ほ》れ込んだとみえ、当分のあいだ署長の顔さえ見れば「会わせろ会わせろ」と云うのでした。
「こんどの顔役狩りが成功したのは貴方の力じゃないですよ署長、みんな、毛骨屋親分のお蔭ですぜ、もしあの親分が乗出さなかったら、へん、貴方なんぞ……」



底本:「山本周五郎全集第四巻 寝ぼけ署長・火の杯」新潮社
   1984(昭和59)年1月25日 発行
※表題は底本では、「毛骨屋《けぼねや》親分」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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