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菊と竹
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菊と竹
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)会《くわい》
(例)会《くわい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)後|始末《しまつ》
(例)後|始末《しまつ》
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(例)[#「どてら」に白ゴマ傍点]
(例)[#「どてら」に白ゴマ傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ごた/\
(例)ごた/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
昨夜の会《くわい》の飲《の》み食《く》ひの後|始末《しまつ》で、ごた/\してゐる茶《ちや》の間《ま》の火|鉢《ばち》のところで、今、寝室《しんしつ》から出て来たばかりの融《とほる》は、たばこを吹かしながら、食器《しよくき》を洗《あら》つてゐる女中に、いたはりの言葉《ことば》をかけてゐた。
「もういゝの?」
「え。」
彼《かの》女は無愛想《ぶあいそう》であつた。それに、さう頭脳が働《はたら》くといつた方でもなかつた。しかし正|直《ぢき》であつた。ひとりでも、やつて行かうといふ殊勝《しゆせう》な心がけをもつてゐた。それは当然《とうぜん》困難《こんなん》であつた。が、兎《と》に角《かく》、間《ま》には合《あ》つて行つた。昨夜も会《くわい》が散《さん》じて、夥《おびたゞ》しい汚れた食器類《しよくきるい》や、果物《くだもの》の皮《かは》や、たばこの吹|殻《から》や、飲《の》み物《もの》の空壜や、そんなものが茶《ちや》の間《ま》と台所《だいどころ》へ、こて/\持ち出される時分に、押《お》してゐた感冒《かんぼう》と持|越《こ》しの睡眠不《すいみんぶ》足と疲労《ひろう》とで、到頭《とうとう》倒《たふ》れてしまつたが、けさ融《とほる》が来てみると、かひ/″\しく働《はたら》いてゐた。
女中が倒《たふ》れたりしたので昨夜も泊《とま》つて後|片《かた》づけをしてくれたり、けさも掃《そう》除や何かに働《はたら》いてくれてゐる青年の一人のK――が、その時来|訪者《ほうしや》のあるのを聞《き》きつけて、玄関《げんくわん》へ出て行つたと思《おも》ふと、やがて一|枚《まい》の名|刺《し》をもつてかへつて来た。
それは朝鮮《てうせん》人であつた。
「手|紙《がみ》を差《さ》し上げておいたさうですが苦《く》学生を助《たす》けるために、お目にかゝつてお話《はなし》したいことがあるとかいたさうで……。」
融《とほる》は色々の仕《し》事で頭脳が一|杯《ぱい》になつてゐたが、勝《かつ》手の方へ来てみれば又家事上のことが、何かと目について、落《おち》着と規律《きりつ》と経済的観念《けいざいてきくわんねん》のないのが気《き》になつた。彼《かれ》はそれを考《かんが》へると気《き》分が悉皆《しつかい》憂鬱《ゆううつ》になつた。生きるのがものうくさへなるのであつた。もちろん原|因《いん》はそればかりではなかつた。彼《かれ》は妻《つま》を失《うしな》ひ、若《わか》い愛《あい》人を得《え》てから、あらゆるものゝ興味《けうみ》を失《うしな》つてゐた。
融《とほる》はちよつと名|刺《し》をのぞいたが、無論《むろん》眼《め》鏡なしでは字《じ》は読めなかつた。見るのも面倒《めんどう》くさかつた。
「忙がしくてあへないといつてくれたまへ。」
K――は名|刺《し》をもつて再《ふたゝ》び玄関《げんくわん》へ出て行つたが、訪間者《ほうもんしや》は容易《ようい》には帰《かへ》らなかつた。融《とほる》は二三日前にも物騒《ぶつそう》な風|貌《ぼう》をしたプロレタレアツトに、少《すこ》しばかりのいはゆる「エサ」代《だい》なるものを持つて帰《かへ》つてもらつたことがあつたので、これもその種類《しゆるい》だらうと想像《そうぞう》してゐた。
K――は名|刺《し》をもつて、三|度《ど》か四|度《ど》玄関《げんくわん》と茶《ちや》の間《ま》のあひだを往復《おうふく》した揚句《あげく》に、新|聞《ぶん》の切《きり》抜の貼り込《こみ》をもつて来た。
「新|聞《ぶん》でもこの通《とほ》り出てゐるんださうですが。つまり苦《く》学生のために絵《ゑ》を描いて売《う》るんださうですが、兎《と》に角《かく》先生にちよつとでもあつていたゞきたいんださうです。」
切《きり》抜の新|聞《ぶん》には画《ぐわ》箋の上に筆《ふで》を揮つてゐる、風|采《さい》の好《よ》いモーニング姿《すがた》の紳士《しんし》の写真《しやしん》が出てゐた。記《き》事も長々と書かれてあつた。他《た》の幾《いく》十かの切《きり》抜には作品《さくひん》の写真《しやしん》や記《き》事が出てゐた。
融《とほる》はどてら[#「どてら」に白ゴマ傍点]のまゝ、いきなり玄関《げんくわん》へ顔《かほ》を出した。と見ると、モーニングを着た三十四五の紳士《しんし》が、敬意《けいい》をもつた目で彼《かれ》を見あげた。金ボタンの学生がそこに一人|立《た》つてゐた。
「どんな御|用《よう》ですか。」融《とほる》がいきなり尋《たづ》ねると、紳士《しんし》は
「先生でございますか」と慇懃《いんぎん》にお辞儀《じぎ》をして、
「お忙《いそが》しいところを甚《はなは》だ恐縮《けうしゆく》でございますが……。」
融《とほる》は幾度《いくど》も断《ことわ》つたのが、気《き》の毒《どく》になつた。
「まあこちらへ……。」
彼等《かれら》は板敷《いたじき》の部屋《へや》へ通《とほ》されたが、用向《ようむ》きをきいてゐるうちに、同|伴者《はんしや》の苦《く》学生のために、自作《じさく》の画を売《う》りたいなどゝいふ意味《いみ》が、婉|曲《きよく》でお上|品《ひん》な辞令《じれい》とゝもに明《あきら》かにされた。彼《かれ》には画を押《おし》売りするやうな口|吻《ふん》は、ケシほどもなかつた。
「本|当《とう》は支那《しな》ですが、長く朝鮮《てうせん》にをりまして、今|度《ど》東|京《けう》に止まつて、修養《しうよう》したいと思《おも》ひますので。画会《ぐわくわい》もやることになつてをりますが、これか……」彼《かれ》は同|伴者《はんしや》の学生を目ざして
「××大学で来年か卒業《そつげう》なのですが、大|変《へん》に困《こま》つてをりますので、その前に少《すこ》しばかり金に換《かへ》たいと思《おも》ひまして、先生と参|河《かは》先生は△△学|堂《どう》でもお噂《うはさ》を伺《うかゞ》つて、かねて風|貌《ぼう》を偲んでをりましたところから、必《かなら》ず御|諒解《れうかい》下さるものと、甚《はなは》だ失礼《しつれい》でしたが、これで二|度《ど》ばかり伺《うかゞ》ひました。御|寸閑《すんかん》もないところ、恐縮《けうしゆく》でございます。」
彼《かれ》の口|調《てう》には外《ぐわい》人らしいぎごちなさが、比較的《ひかくてき》少《すくな》かつた。
「画を拝《はい》見しませうか。何が御|得意《とくい》です。蘭《らん》ですか竹ですか。」
「蘭《らん》もあります。竹もあります。」彼《かれ》はさういつて学生に指《さ》し図《づ》した。
学生が作品《さくひん》を部屋《へや》へ持ちこんで来て壁《かべ》ぎはに立《た》つて、竹を一|枚《まい》ひろげた。見たところ、墨痕《ぼくこん》が潤《うるほ》うてゐるやうで、筆力が繊|弱《じやく》で、強《つよ》い個性《こせい》はなかつたけれど、筆意《ひつい》が素直で日本人の作品《さくひん》に見るやうな衒|気《き》と厭|味《み》のないのが感《かん》じが好《よ》かつた。気品《きひん》も卑しいとはいへなかつた。
蘭《らん》がその次《つ》ぎにひろげられた。花に絵|具《ぐ》が差《さ》されてあつたが、画は竹よりもすぐれてゐた。
その次《つ》ぎに岩《いは》の菊《きく》がひろげられた。画趣《ぐわしゆ》が前の二|品《しな》よりもまた一|段《だん》すぐれて、新|味《み》があつた。古《こ》韻を模《も》した南|画《ぐわ》の新人が描きさうな画柄で、懸けておいてもをかしくはなかつた。
「これが一|番《ばん》好《よ》いやうだな。」
「これが一|番《ばん》評判《へうばん》の好《よ》い画でございます。」
「蘭《らん》も悪《わる》くはないですね。」
「しかし先生などには寧《むし》ろ絵|具《ぐ》を用《もち》ゐない方が……。」
「さうでもないな。」
呉昌《ごせう》石とかいふ画《ぐわ》家の噂《うはさ》を、融は話《はなし》のついでに聞《き》いて見た。
「画は兎《と》に角《かく》としてなか/\高いです。東|京《けう》には沢《たく》山あります。私《わたし》の父も弟子です。」
「あなたのお父さんも画《ぐわ》家ですか。」
「は、さうです。」
「それで、これを買《か》つたら好いんですか。」
「先生方は御高名な方ですから、買《か》つていたゞくのも恐縮《けうしゆく》ですが、苦《く》学してをりますこの男を助《たす》けてやつていたゞければ、それに越《こ》したことはございません。」
「しかし余《あま》り高くちや。昨日も洋画《ようぐわ》を一つお義理《ぎり》で買《か》つたばかりで……。」
融は愛弟子の好《よし》子が、月々いくらかの保護《ほご》を与《あた》へて、時々|身《み》のまはりの用《よう》を足させたり、舞踊《ぶよう》の名家に内弟子として住《す》みこませてある愛児《あいじ》の面倒《めんどう》を見に行つてもらつたりしてゐる、若《わか》い婦《ふ》人の作品《さくひん》を一つ、昨日|買《か》つたばかりであつた。それは或るひそやかな展覧会《てんらんくわい》に出|品《ひん》して、金|牌《はい》を※[#「羸」の「羊」に代えて「女」、第4水準 2-5-84]ち得《え》たものであつた。芸術《げいじゆつ》に無《む》上の憧憬をもつてゐる好《よし》子は、芸術家《げいじゆつ》にもまた特殊《とくしゆ》の尊敬《そんけい》を払《はら》つてゐた。従《したが》つて芸術《げいじゆつ》家は相見|互《たがい》見といふ感情《かんぜう》を、人一|倍《ばい》多《た》分にもつてゐた。
その若《わか》い洋画《ようぐわ》家の素質《そしつ》の好《よ》ささうなことを融は屡《しば》々好《よし》子から聞《き》かされて、好意《こうい》を寄《よ》せてゐた。作品《さくひん》が二|点《てん》入|選《せん》したことや、その一|点《てん》が、三人|受《う》けた金|牌《はい》入|賞《せう》のうちの一つであることも耳にしてゐた。それに人生をひたすらに美しくのみ見ようとしてゐる好《よし》子は、一|体《たい》に人の美|点《てん》を誇張《こてう》する癖《くせ》があつた。若《わか》いその洋画《ようぐわ》家の話《はなし》をする場合《ばあひ》にも、彼《かの》女はいつも多《おほ》くの希望《きぼう》をその前|途《と》に寄《よ》せてゐた。
「新子さんにはどこか好《よ》い素質《そしつ》があるやうですか。今|度《ど》初《はじ》めて出|品《ひん》して、金|牌《はい》を貰《もら》つて大|喜《よろこ》びなんですのよ。苦《くる》しんでゐるだけに、好《よ》い芸術《げいじゆつ》家になるかも知《し》れませんね。」
「えらいんだな。」
「それで見に行つてほしいやうなことをいつてゐますの。私《わたし》も暇があつたら行つて見ようと思《おも》ひますけれど、先生は……。」
「さうね。」
或日|好《よし》子を隣《となり》の下|宿《しゆく》の部屋《へや》に訪ねると、その日も新子が来てゐて、出|品《ひん》画の話《はなし》が出た。
「画は売れたの。」融はきいて見た。
「いゝえまだですの。」新子は持前の優《やさ》しい声《こゑ》をした。
「売れさう?」
「どうですか。」新子は口をつぼめて微笑んだ。
そこで何となく、もしその画が売れなかつたら、一|度《ど》見てもいゝやうな話《はなし》を融は好《よし》子の前で、新子にしたのであつた。
「もしよかつたら買《か》つてもいゝな。いくら位《くらゐ》についてゐるの。」
「三十円ですの。安《やす》いんですわ。」新子はきまり悪《わる》さうにいつた。
融は何か知《し》らこの女|流芸術《りうげいじゆつ》家の特《とく》色が、その作品《さくひん》にきつと現はれてゐるやうな期待《きたい》をもたさせられた。たとひ画が拙くても、幼稚《ようち》でも、好《よし》子のいふやうな好《よ》い素質《そしつ》が、そこに見出せるに違《ちが》ひないと思《おも》つた。もちろん彼《かれ》は画のことは、さつぱり知《し》らなかつた。解ることもあり、解らないこともあつた。初《はじ》め好《よ》いやうに思《おも》つて、後に失望《しつぼう》することもあり、初《はじ》め何んでもなくて、見てゐるうちに好《よ》くなつて来ることもあつた。油《あぶら》画は殊《こと》に解らなかつた。しかし好《よ》いものは矢張《やは》りどこか好《よ》いのであつた。新子の画にも何かさういつた好《よ》いところがありさうに思《おも》へてならなかつた。その画が二|点《てん》とも昨日融の書|斎《さい》へ持|込《こ》まれたのであつた。金|牌《はい》の方か額《がく》縁にはまつてゐたか、二つとも初冬《しよとう》の風|景画《けいぐわ》であつた。もちろん金|牌《はい》の方が画に纏《まと》まりがあつた。融は割合《わりあひ》平凡《へいぼん》な感《かん》じを受《う》けたが、兎《と》に角《かく》初冬《しよとう》の光|線《せん》だけは、樹《じゆ》木にも壁《かべ》にも、路《ろ》上にも、それらしい底光沢《そこつや》をもつて、ほのかに画面《ぐわめん》を包《つゝ》んでゐた。期《き》待したほどではなかつたけれど、それでもよくこれだけに描くものだと、融は思《おも》つた。案外《あんぐわい》素直《すなほ》な女らしさがあるやうにも感《かん》じた。
「買《か》つてあげてもいゝが、値段《ねだん》づけのとほりでいゝの。」
「え、結構《けつこう》です。」
「少《すこ》し名が出ると高いね。」
「え、この位《くらゐ》の大きさですと、ずゐぶん高いんですの。」
「これはどこ?」
「池|袋《ぶくろ》の奥《おく》の方ですの。」
「やつぱり毎日|写《しや》生に出て……。」
「え、毎日。余《あま》り寒《さむ》いので風邪《かぜ》ひいてしまひましたの。日の暮方まで仕《し》事をしてゐましたら、ぶる/\顫へて来て、足から肩《かた》のところへ、痛《いた》い悪感《をかん》が込《こみ》上げて行きました。びつくりしてしまひましたわ。」
「画は買《か》つて上げてもいゝね。額《がく》ごとでその値《ね》でいけない?」
「額《がく》縁は今|度《ど》またつかひたいんですけれど。××会《くわい》にぜひ出|品《ひん》しろといつて来ましたから、これから描《か》きますの。」
「今年は帝展《ていてん》へでも出すの。」
「え、やつて見るつもりですけれど……。」
新子はまた、
「その画は記念《きねん》にもつてゐたんですけれど、先生のところにあれば、いつでも見られますから。」
「好子の方においてもいゝ。兎《と》に角《かく》お金を上げようね。」
「今でなくてもよろしございます。」
「でも、どうせ。」
そしてその画は買《か》はれたのであつたが、直《すぐ》その後へ来た若《わか》い雑誌記者《ざつしきしや》は、それを見て讚《ほ》めはしなかつた。
「絵|具《ぐ》が自《じ》分のものになつちやゐませんね。」
雑誌記者《ざつしきしや》に限《かぎ》らず、その画は誰《たれ》にも評判《へうばん》が好《よ》くなかつた。
「でも光|線《せん》は出てゐる。」融はいつた。
「これで光|線《せん》でもなかつたら……。」誰《たれ》かゞいつた。
居合《ゐあは》せた好子も買《か》ひ方の高いのを非難《ひなん》した。
「私《わたし》はさういふ積《つも》りぢやなかつたのよ。ばか/\しいわ。新子さんも少《すこ》しづうづしいわ。よし。私《わたし》さういつてやる。為《ため》にならないから。」
「お止し。買《か》つてしまつたんだから。」
「先生はいつでもさうなのよ。用《よう》心ぶかいやうで、ふいと乗《の》つてしまふのよ。今|度《ど》の建築《けんちく》だつて何だつて……。」
「いゝぢやないか。どうせ絵|具代《ぐだい》ぐらゐやらうと思《おも》つてゐたんだから。」
「先生のお気《き》持はわかつてゐますけれど、惜《をし》いわ。」
融はよいことをしたとも思《おも》はなかつたか、悪《わる》いことをしたとも思《おも》はなかつた。
そしてその翌《よく》日の今日なのであつた。
融は日本|室《しつ》の方へ案《あん》内して、更《さら》にその画を床《とこ》の間《ま》と壁《かべ》とに懸けさせて見たがやつぱり菊《きく》が好《よ》かつた。外《ほか》に蘆雁《ろがん》もあつたが、ぱさけて居《ゐ》た。
「もらへばこれだが、いくら差《さし》上げたら……。」
「近々|展覧会《てんらんくわい》をやることになつてゐますので、その時には相|当《とう》の値段《ねだん》をつけますが、今はそれまで待《ま》つてゐられませんので……。」
その画は昨日の洋画《ようぐわ》よりも安《やす》かつたが、ちよつと見られる絵《ゑ》であつた。
融は去《きよ》年の春《はる》から一|切《さい》の趣味《しゆみ》をなくしてゐた。今|作《つく》つた家も、必要《ひつよう》をみたす以|外《ぐわい》、何の好《この》みも持つてゐなかつたが、出来てみると、床《とこ》の間《ま》などが何だか余計《よけい》ものゝやうに感《かん》じて、軸|物《もの》なども、いきなりにかけただけであつた。床《とこ》を打《う》ちこはして、戸棚《とだな》か寝床《ベツト》かに作《つく》りかへようかなどゝ考《かんが》へたりしてゐた。其|絵《ゑ》をほしいとは思《おも》はなかつたが、気《き》分かそんなに不調和《ふてうわ》でもなかつたし、かけつぱなしにしておくのに、さう惜《をし》くはなかつた。で、「岩《いは》に菊《きく》」を買《か》ふことにした。
「この竹もお預《あづ》けしたら。」苦《く》学生が蘆雁《ろがん》や蘭《らん》を捲《ま》きをさめながら画《ぐわ》家にさゝやいた。
「さう、よろしい。君《きみ》のいふのは、竹も先生がおすきのやうだから、差《さ》しあげたらよろしいといふんだろ。至極《しごく》よろしい。」
「これも置《お》いて行くんですか。」
「失礼《しつれい》ですが、これも表装《へうそう》するとなか/\よろしい。」
融はいふに任《まか》した。まさか彼等《かれら》は商売気《せうばいき》を出したのではなかつた。彼《かれ》はその画品《ぐわひん》のやうに淡《たん》々としてゐた。融は貰《もら》つたことが嬉《うれ》しくもなかつたが、決《けつ》して気《き》まづくはなかつた。彼《かれ》は聊《いさゝ》か気《き》持のうへで救《すく》はれた。[#地付き](昭和2年4月1日「サンデー毎日」)
「もういゝの?」
「え。」
彼《かの》女は無愛想《ぶあいそう》であつた。それに、さう頭脳が働《はたら》くといつた方でもなかつた。しかし正|直《ぢき》であつた。ひとりでも、やつて行かうといふ殊勝《しゆせう》な心がけをもつてゐた。それは当然《とうぜん》困難《こんなん》であつた。が、兎《と》に角《かく》、間《ま》には合《あ》つて行つた。昨夜も会《くわい》が散《さん》じて、夥《おびたゞ》しい汚れた食器類《しよくきるい》や、果物《くだもの》の皮《かは》や、たばこの吹|殻《から》や、飲《の》み物《もの》の空壜や、そんなものが茶《ちや》の間《ま》と台所《だいどころ》へ、こて/\持ち出される時分に、押《お》してゐた感冒《かんぼう》と持|越《こ》しの睡眠不《すいみんぶ》足と疲労《ひろう》とで、到頭《とうとう》倒《たふ》れてしまつたが、けさ融《とほる》が来てみると、かひ/″\しく働《はたら》いてゐた。
女中が倒《たふ》れたりしたので昨夜も泊《とま》つて後|片《かた》づけをしてくれたり、けさも掃《そう》除や何かに働《はたら》いてくれてゐる青年の一人のK――が、その時来|訪者《ほうしや》のあるのを聞《き》きつけて、玄関《げんくわん》へ出て行つたと思《おも》ふと、やがて一|枚《まい》の名|刺《し》をもつてかへつて来た。
それは朝鮮《てうせん》人であつた。
「手|紙《がみ》を差《さ》し上げておいたさうですが苦《く》学生を助《たす》けるために、お目にかゝつてお話《はなし》したいことがあるとかいたさうで……。」
融《とほる》は色々の仕《し》事で頭脳が一|杯《ぱい》になつてゐたが、勝《かつ》手の方へ来てみれば又家事上のことが、何かと目について、落《おち》着と規律《きりつ》と経済的観念《けいざいてきくわんねん》のないのが気《き》になつた。彼《かれ》はそれを考《かんが》へると気《き》分が悉皆《しつかい》憂鬱《ゆううつ》になつた。生きるのがものうくさへなるのであつた。もちろん原|因《いん》はそればかりではなかつた。彼《かれ》は妻《つま》を失《うしな》ひ、若《わか》い愛《あい》人を得《え》てから、あらゆるものゝ興味《けうみ》を失《うしな》つてゐた。
融《とほる》はちよつと名|刺《し》をのぞいたが、無論《むろん》眼《め》鏡なしでは字《じ》は読めなかつた。見るのも面倒《めんどう》くさかつた。
「忙がしくてあへないといつてくれたまへ。」
K――は名|刺《し》をもつて再《ふたゝ》び玄関《げんくわん》へ出て行つたが、訪間者《ほうもんしや》は容易《ようい》には帰《かへ》らなかつた。融《とほる》は二三日前にも物騒《ぶつそう》な風|貌《ぼう》をしたプロレタレアツトに、少《すこ》しばかりのいはゆる「エサ」代《だい》なるものを持つて帰《かへ》つてもらつたことがあつたので、これもその種類《しゆるい》だらうと想像《そうぞう》してゐた。
K――は名|刺《し》をもつて、三|度《ど》か四|度《ど》玄関《げんくわん》と茶《ちや》の間《ま》のあひだを往復《おうふく》した揚句《あげく》に、新|聞《ぶん》の切《きり》抜の貼り込《こみ》をもつて来た。
「新|聞《ぶん》でもこの通《とほ》り出てゐるんださうですが。つまり苦《く》学生のために絵《ゑ》を描いて売《う》るんださうですが、兎《と》に角《かく》先生にちよつとでもあつていたゞきたいんださうです。」
切《きり》抜の新|聞《ぶん》には画《ぐわ》箋の上に筆《ふで》を揮つてゐる、風|采《さい》の好《よ》いモーニング姿《すがた》の紳士《しんし》の写真《しやしん》が出てゐた。記《き》事も長々と書かれてあつた。他《た》の幾《いく》十かの切《きり》抜には作品《さくひん》の写真《しやしん》や記《き》事が出てゐた。
融《とほる》はどてら[#「どてら」に白ゴマ傍点]のまゝ、いきなり玄関《げんくわん》へ顔《かほ》を出した。と見ると、モーニングを着た三十四五の紳士《しんし》が、敬意《けいい》をもつた目で彼《かれ》を見あげた。金ボタンの学生がそこに一人|立《た》つてゐた。
「どんな御|用《よう》ですか。」融《とほる》がいきなり尋《たづ》ねると、紳士《しんし》は
「先生でございますか」と慇懃《いんぎん》にお辞儀《じぎ》をして、
「お忙《いそが》しいところを甚《はなは》だ恐縮《けうしゆく》でございますが……。」
融《とほる》は幾度《いくど》も断《ことわ》つたのが、気《き》の毒《どく》になつた。
「まあこちらへ……。」
彼等《かれら》は板敷《いたじき》の部屋《へや》へ通《とほ》されたが、用向《ようむ》きをきいてゐるうちに、同|伴者《はんしや》の苦《く》学生のために、自作《じさく》の画を売《う》りたいなどゝいふ意味《いみ》が、婉|曲《きよく》でお上|品《ひん》な辞令《じれい》とゝもに明《あきら》かにされた。彼《かれ》には画を押《おし》売りするやうな口|吻《ふん》は、ケシほどもなかつた。
「本|当《とう》は支那《しな》ですが、長く朝鮮《てうせん》にをりまして、今|度《ど》東|京《けう》に止まつて、修養《しうよう》したいと思《おも》ひますので。画会《ぐわくわい》もやることになつてをりますが、これか……」彼《かれ》は同|伴者《はんしや》の学生を目ざして
「××大学で来年か卒業《そつげう》なのですが、大|変《へん》に困《こま》つてをりますので、その前に少《すこ》しばかり金に換《かへ》たいと思《おも》ひまして、先生と参|河《かは》先生は△△学|堂《どう》でもお噂《うはさ》を伺《うかゞ》つて、かねて風|貌《ぼう》を偲んでをりましたところから、必《かなら》ず御|諒解《れうかい》下さるものと、甚《はなは》だ失礼《しつれい》でしたが、これで二|度《ど》ばかり伺《うかゞ》ひました。御|寸閑《すんかん》もないところ、恐縮《けうしゆく》でございます。」
彼《かれ》の口|調《てう》には外《ぐわい》人らしいぎごちなさが、比較的《ひかくてき》少《すくな》かつた。
「画を拝《はい》見しませうか。何が御|得意《とくい》です。蘭《らん》ですか竹ですか。」
「蘭《らん》もあります。竹もあります。」彼《かれ》はさういつて学生に指《さ》し図《づ》した。
学生が作品《さくひん》を部屋《へや》へ持ちこんで来て壁《かべ》ぎはに立《た》つて、竹を一|枚《まい》ひろげた。見たところ、墨痕《ぼくこん》が潤《うるほ》うてゐるやうで、筆力が繊|弱《じやく》で、強《つよ》い個性《こせい》はなかつたけれど、筆意《ひつい》が素直で日本人の作品《さくひん》に見るやうな衒|気《き》と厭|味《み》のないのが感《かん》じが好《よ》かつた。気品《きひん》も卑しいとはいへなかつた。
蘭《らん》がその次《つ》ぎにひろげられた。花に絵|具《ぐ》が差《さ》されてあつたが、画は竹よりもすぐれてゐた。
その次《つ》ぎに岩《いは》の菊《きく》がひろげられた。画趣《ぐわしゆ》が前の二|品《しな》よりもまた一|段《だん》すぐれて、新|味《み》があつた。古《こ》韻を模《も》した南|画《ぐわ》の新人が描きさうな画柄で、懸けておいてもをかしくはなかつた。
「これが一|番《ばん》好《よ》いやうだな。」
「これが一|番《ばん》評判《へうばん》の好《よ》い画でございます。」
「蘭《らん》も悪《わる》くはないですね。」
「しかし先生などには寧《むし》ろ絵|具《ぐ》を用《もち》ゐない方が……。」
「さうでもないな。」
呉昌《ごせう》石とかいふ画《ぐわ》家の噂《うはさ》を、融は話《はなし》のついでに聞《き》いて見た。
「画は兎《と》に角《かく》としてなか/\高いです。東|京《けう》には沢《たく》山あります。私《わたし》の父も弟子です。」
「あなたのお父さんも画《ぐわ》家ですか。」
「は、さうです。」
「それで、これを買《か》つたら好いんですか。」
「先生方は御高名な方ですから、買《か》つていたゞくのも恐縮《けうしゆく》ですが、苦《く》学してをりますこの男を助《たす》けてやつていたゞければ、それに越《こ》したことはございません。」
「しかし余《あま》り高くちや。昨日も洋画《ようぐわ》を一つお義理《ぎり》で買《か》つたばかりで……。」
融は愛弟子の好《よし》子が、月々いくらかの保護《ほご》を与《あた》へて、時々|身《み》のまはりの用《よう》を足させたり、舞踊《ぶよう》の名家に内弟子として住《す》みこませてある愛児《あいじ》の面倒《めんどう》を見に行つてもらつたりしてゐる、若《わか》い婦《ふ》人の作品《さくひん》を一つ、昨日|買《か》つたばかりであつた。それは或るひそやかな展覧会《てんらんくわい》に出|品《ひん》して、金|牌《はい》を※[#「羸」の「羊」に代えて「女」、第4水準 2-5-84]ち得《え》たものであつた。芸術《げいじゆつ》に無《む》上の憧憬をもつてゐる好《よし》子は、芸術家《げいじゆつ》にもまた特殊《とくしゆ》の尊敬《そんけい》を払《はら》つてゐた。従《したが》つて芸術《げいじゆつ》家は相見|互《たがい》見といふ感情《かんぜう》を、人一|倍《ばい》多《た》分にもつてゐた。
その若《わか》い洋画《ようぐわ》家の素質《そしつ》の好《よ》ささうなことを融は屡《しば》々好《よし》子から聞《き》かされて、好意《こうい》を寄《よ》せてゐた。作品《さくひん》が二|点《てん》入|選《せん》したことや、その一|点《てん》が、三人|受《う》けた金|牌《はい》入|賞《せう》のうちの一つであることも耳にしてゐた。それに人生をひたすらに美しくのみ見ようとしてゐる好《よし》子は、一|体《たい》に人の美|点《てん》を誇張《こてう》する癖《くせ》があつた。若《わか》いその洋画《ようぐわ》家の話《はなし》をする場合《ばあひ》にも、彼《かの》女はいつも多《おほ》くの希望《きぼう》をその前|途《と》に寄《よ》せてゐた。
「新子さんにはどこか好《よ》い素質《そしつ》があるやうですか。今|度《ど》初《はじ》めて出|品《ひん》して、金|牌《はい》を貰《もら》つて大|喜《よろこ》びなんですのよ。苦《くる》しんでゐるだけに、好《よ》い芸術《げいじゆつ》家になるかも知《し》れませんね。」
「えらいんだな。」
「それで見に行つてほしいやうなことをいつてゐますの。私《わたし》も暇があつたら行つて見ようと思《おも》ひますけれど、先生は……。」
「さうね。」
或日|好《よし》子を隣《となり》の下|宿《しゆく》の部屋《へや》に訪ねると、その日も新子が来てゐて、出|品《ひん》画の話《はなし》が出た。
「画は売れたの。」融はきいて見た。
「いゝえまだですの。」新子は持前の優《やさ》しい声《こゑ》をした。
「売れさう?」
「どうですか。」新子は口をつぼめて微笑んだ。
そこで何となく、もしその画が売れなかつたら、一|度《ど》見てもいゝやうな話《はなし》を融は好《よし》子の前で、新子にしたのであつた。
「もしよかつたら買《か》つてもいゝな。いくら位《くらゐ》についてゐるの。」
「三十円ですの。安《やす》いんですわ。」新子はきまり悪《わる》さうにいつた。
融は何か知《し》らこの女|流芸術《りうげいじゆつ》家の特《とく》色が、その作品《さくひん》にきつと現はれてゐるやうな期待《きたい》をもたさせられた。たとひ画が拙くても、幼稚《ようち》でも、好《よし》子のいふやうな好《よ》い素質《そしつ》が、そこに見出せるに違《ちが》ひないと思《おも》つた。もちろん彼《かれ》は画のことは、さつぱり知《し》らなかつた。解ることもあり、解らないこともあつた。初《はじ》め好《よ》いやうに思《おも》つて、後に失望《しつぼう》することもあり、初《はじ》め何んでもなくて、見てゐるうちに好《よ》くなつて来ることもあつた。油《あぶら》画は殊《こと》に解らなかつた。しかし好《よ》いものは矢張《やは》りどこか好《よ》いのであつた。新子の画にも何かさういつた好《よ》いところがありさうに思《おも》へてならなかつた。その画が二|点《てん》とも昨日融の書|斎《さい》へ持|込《こ》まれたのであつた。金|牌《はい》の方か額《がく》縁にはまつてゐたか、二つとも初冬《しよとう》の風|景画《けいぐわ》であつた。もちろん金|牌《はい》の方が画に纏《まと》まりがあつた。融は割合《わりあひ》平凡《へいぼん》な感《かん》じを受《う》けたが、兎《と》に角《かく》初冬《しよとう》の光|線《せん》だけは、樹《じゆ》木にも壁《かべ》にも、路《ろ》上にも、それらしい底光沢《そこつや》をもつて、ほのかに画面《ぐわめん》を包《つゝ》んでゐた。期《き》待したほどではなかつたけれど、それでもよくこれだけに描くものだと、融は思《おも》つた。案外《あんぐわい》素直《すなほ》な女らしさがあるやうにも感《かん》じた。
「買《か》つてあげてもいゝが、値段《ねだん》づけのとほりでいゝの。」
「え、結構《けつこう》です。」
「少《すこ》し名が出ると高いね。」
「え、この位《くらゐ》の大きさですと、ずゐぶん高いんですの。」
「これはどこ?」
「池|袋《ぶくろ》の奥《おく》の方ですの。」
「やつぱり毎日|写《しや》生に出て……。」
「え、毎日。余《あま》り寒《さむ》いので風邪《かぜ》ひいてしまひましたの。日の暮方まで仕《し》事をしてゐましたら、ぶる/\顫へて来て、足から肩《かた》のところへ、痛《いた》い悪感《をかん》が込《こみ》上げて行きました。びつくりしてしまひましたわ。」
「画は買《か》つて上げてもいゝね。額《がく》ごとでその値《ね》でいけない?」
「額《がく》縁は今|度《ど》またつかひたいんですけれど。××会《くわい》にぜひ出|品《ひん》しろといつて来ましたから、これから描《か》きますの。」
「今年は帝展《ていてん》へでも出すの。」
「え、やつて見るつもりですけれど……。」
新子はまた、
「その画は記念《きねん》にもつてゐたんですけれど、先生のところにあれば、いつでも見られますから。」
「好子の方においてもいゝ。兎《と》に角《かく》お金を上げようね。」
「今でなくてもよろしございます。」
「でも、どうせ。」
そしてその画は買《か》はれたのであつたが、直《すぐ》その後へ来た若《わか》い雑誌記者《ざつしきしや》は、それを見て讚《ほ》めはしなかつた。
「絵|具《ぐ》が自《じ》分のものになつちやゐませんね。」
雑誌記者《ざつしきしや》に限《かぎ》らず、その画は誰《たれ》にも評判《へうばん》が好《よ》くなかつた。
「でも光|線《せん》は出てゐる。」融はいつた。
「これで光|線《せん》でもなかつたら……。」誰《たれ》かゞいつた。
居合《ゐあは》せた好子も買《か》ひ方の高いのを非難《ひなん》した。
「私《わたし》はさういふ積《つも》りぢやなかつたのよ。ばか/\しいわ。新子さんも少《すこ》しづうづしいわ。よし。私《わたし》さういつてやる。為《ため》にならないから。」
「お止し。買《か》つてしまつたんだから。」
「先生はいつでもさうなのよ。用《よう》心ぶかいやうで、ふいと乗《の》つてしまふのよ。今|度《ど》の建築《けんちく》だつて何だつて……。」
「いゝぢやないか。どうせ絵|具代《ぐだい》ぐらゐやらうと思《おも》つてゐたんだから。」
「先生のお気《き》持はわかつてゐますけれど、惜《をし》いわ。」
融はよいことをしたとも思《おも》はなかつたか、悪《わる》いことをしたとも思《おも》はなかつた。
そしてその翌《よく》日の今日なのであつた。
融は日本|室《しつ》の方へ案《あん》内して、更《さら》にその画を床《とこ》の間《ま》と壁《かべ》とに懸けさせて見たがやつぱり菊《きく》が好《よ》かつた。外《ほか》に蘆雁《ろがん》もあつたが、ぱさけて居《ゐ》た。
「もらへばこれだが、いくら差《さし》上げたら……。」
「近々|展覧会《てんらんくわい》をやることになつてゐますので、その時には相|当《とう》の値段《ねだん》をつけますが、今はそれまで待《ま》つてゐられませんので……。」
その画は昨日の洋画《ようぐわ》よりも安《やす》かつたが、ちよつと見られる絵《ゑ》であつた。
融は去《きよ》年の春《はる》から一|切《さい》の趣味《しゆみ》をなくしてゐた。今|作《つく》つた家も、必要《ひつよう》をみたす以|外《ぐわい》、何の好《この》みも持つてゐなかつたが、出来てみると、床《とこ》の間《ま》などが何だか余計《よけい》ものゝやうに感《かん》じて、軸|物《もの》なども、いきなりにかけただけであつた。床《とこ》を打《う》ちこはして、戸棚《とだな》か寝床《ベツト》かに作《つく》りかへようかなどゝ考《かんが》へたりしてゐた。其|絵《ゑ》をほしいとは思《おも》はなかつたが、気《き》分かそんなに不調和《ふてうわ》でもなかつたし、かけつぱなしにしておくのに、さう惜《をし》くはなかつた。で、「岩《いは》に菊《きく》」を買《か》ふことにした。
「この竹もお預《あづ》けしたら。」苦《く》学生が蘆雁《ろがん》や蘭《らん》を捲《ま》きをさめながら画《ぐわ》家にさゝやいた。
「さう、よろしい。君《きみ》のいふのは、竹も先生がおすきのやうだから、差《さ》しあげたらよろしいといふんだろ。至極《しごく》よろしい。」
「これも置《お》いて行くんですか。」
「失礼《しつれい》ですが、これも表装《へうそう》するとなか/\よろしい。」
融はいふに任《まか》した。まさか彼等《かれら》は商売気《せうばいき》を出したのではなかつた。彼《かれ》はその画品《ぐわひん》のやうに淡《たん》々としてゐた。融は貰《もら》つたことが嬉《うれ》しくもなかつたが、決《けつ》して気《き》まづくはなかつた。彼《かれ》は聊《いさゝ》か気《き》持のうへで救《すく》はれた。[#地付き](昭和2年4月1日「サンデー毎日」)
底本:「徳田秋聲全集第16巻」八木書店
1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年4月1日
初出:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年4月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年5月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年4月1日
初出:「サンデー毎日」
1927(昭和2)年4月1日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ