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徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)兄《あに》
(例)兄《あに》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|週間《しうかん》
(例)一|週間《しうかん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「きつかけ」に傍点]
(例)[#「きつかけ」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いた/\
(例)いた/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
兄《あに》が総《すべ》てを取仕切《とりしき》つてやつてゐる山《やま》を見《み》に行《い》つた羊《やう》三は、その山《やま》の事務所《じむしよ》に一|週間《しうかん》ばかりゐておりて来《き》た。詳《くは》しいことは迚《とて》もわからなかつたけれど、鉱山《こうざん》の仕事《しごと》がどういふものだかといふことは略《ほゞ》頭《あたま》へ入《はい》つたので、事務上《じむぜう》のことで遽《にはか》にK――町《まち》へ出《で》ることになつた兄《あに》と一|緒《しよ》に、其事務所《そのじむしよ》の人達《ひとたち》に別《わか》れを告《つ》げて、電車《でんしや》に乗《の》つたのであつた。職工達《しよくこうたち》の賃銀値上《ちんぎんねあげ》げの運動《うんどう》が鎮《しづ》まつたあとなので、何《なに》か其事《そのこと》について、急《きう》に本部《ほんぶ》へ用事《ようじ》が出来《でき》たのだらうと、羊《やう》三は想像《さうざう》してゐた。
羊《やう》三は硝子《がらす》ごしに見《み》える、技師《ぎし》たちの社宅《しやたく》から其《そ》の課《くわ》の事務室《じむしつ》へ通《かよ》ふ道路《どうろ》になつてゐる山《やま》の傾斜面《けいしやめん》と、その山《やま》の奥《おく》から立昇《たちのぼ》る煙《けむり》より外《ほか》、何《なに》一つ見《み》ることのできない事務所《じむしよ》の二|階《かい》の広《ひろ》い部屋《へや》の一つに、蟄居《ちつきよ》してゐたお蔭《かげ》で、気分《きぶん》がどうかすると憂鬱《ゆううつ》になりがちであつたけれど、折角《せつかく》慣《な》れた孤独《こどく》の寂《さび》しさを出《で》るのが惜《を》しまれもした。
「ちよつとK――町《まち》へ出《で》るから、一|緒《しよ》に帰《かへ》らう。」兄《あに》がさう言《い》つて促《うなが》さなかつたなら、彼《かれ》はいつまで経《た》つても、そこを出《で》てくるきつかけ[#「きつかけ」に傍点]がなかつたかも知《し》れなかつた。彼《かれ》はどこにゐても同《おな》じやうな気《き》がしてゐた。家庭気分《かていきぶん》の煩《わづらは》しい渦《うづ》のなかにゐても、かうした落莫《らくばく》な山《やま》のなかにゐても、さう大《たい》した変《かは》りはなかつた。
さうは言《い》つても、羊《やう》三は暫《しばら》くぶりでK――町《まち》へ出《で》て行《い》くのが、何《なん》となく嬉《うれ》しかつた。東京《とうけう》とちがつて、そこには適度《てきど》の環境《くわんけう》の閑寂《かんじやく》と、人《ひと》の交渉《こうせう》と、生活《せいくわつ》の享楽《けうらく》とが彼《かれ》を待受《まちう》けてゐた。
十|月《ぐわつ》の末《すゑ》で、温度《おんど》は寒《さむ》さに弱《よわ》い彼《かれ》の体《からだ》にちやうど適当《てきとう》してゐた。沿道《えんどう》の夷《なだら》かな山《やま》の姿《すがた》、雪国《ゆきくに》らしい軟《やはら》かい木立《こだち》の感《かん》じなどが、荒《あら》い関東《くわんとう》の自然《しぜん》とまるで違《ちが》つてゐて禿山《はげやま》ばかり見《み》てゐた、彼《かれ》の目《め》を楽《たの》しませた。羊《やう》三は蘇《よみが》へつたやうな気《き》がした。電車《でんしや》は次第《しだい》に平原《へいげん》へ出《で》て来《き》た。
M――町《まち》のはづれにある、電車《でんしや》の終点《しうてん》へ着《つ》いたのは、お昼頃《ひるころ》であつた。電車《でんしや》は山《やま》の経営《けいえい》に係《かゝ》るものなので、そこの事務所《じむしよ》でも暫《しばら》く休《やす》んだ。往《い》きに一|緒《しよ》に温泉《おんせん》へいつた若《わか》い事務員《じむいん》の顔《かほ》などが見《み》えた。そして其処《そこ》から汽車《きしや》に乗《の》つた。
羊《やう》三は幼《ちいさ》い時分《じぶん》、そこに住《す》んでゐた乳母《うば》が、町《まち》へ出《で》てくる度《た》びに土産《みやげ》にもつて来《き》た餡《あん》ころ餅《もち》を買《か》つたりした。故郷《こけう》へ来《く》る度《たび》に、彼《かれ》は長《なが》い過去《くわこ》の積重《つみかさ》ねの前《まへ》に、まるで幼年《ようねん》のやうな自分《じぶん》を発見《はつけん》すると同時《どうじ》に、いた/\しく年《とし》を取《と》つたことを、またひどく明瞭《はつきり》させられるやうな感《かん》じがするのであつた。ある時《とき》足《あし》を洗《あら》ひに裏《うら》へまはつた乳母《うば》が式台《しきたい》のところにおいたお土産《みやげ》の餡《あん》ころ餅《もち》を、そそくさと取《とり》あげて、奥《おく》へ入《はい》らうとして、お行儀《げうぎ》がわるいと言《い》つて、ちよこすかした羊《やう》三を窘《たしな》めた乳母《うば》の骨《ほね》も、もう大概《たいがい》腐《くさ》つた時分《じぶん》だと思《おも》はれた。
兄《あに》の家《いへ》へ帰《かへ》ると、姉《あね》は少《すご》しあわて気味《きみ》で玄関《げんくわん》に出迎《でむか》へた。
「どうでした山《やま》は。御退屈《ごたいくつ》でしたでせう。」姉《あね》は羊《やう》三に言《い》つた。
それから遽《にはか》に昼飯《ひるめし》の仕度《したく》を急《いそ》いだりして、姉《あね》は持前《もちまへ》の慇懃《いんぎん》な態度《たいど》で、留守中《るすちう》の用事《ようじ》を、良人《をつと》に報告《ほうこく》するのであつた。
兄《あに》は飯《めし》がすむと間《ま》もなく車《くるま》を命《めい》じた。羊《やう》三は姉《あね》たちを訪問《ほうもん》かた/″\、町《まち》を見《み》ようと思《おも》つて、近所《きんじよ》の床屋《とこや》へ行《い》つた。
「今《いま》女中《じよちう》にさう言《い》つておきました。ちやうどすいてゐるさうですから。」姉《あね》はさう言《い》つて、床屋《とこや》の所在《しよざい》を教《をし》へてくれた。
「あの床屋《とこや》は面白《おもしろ》い奴《やつ》だぞ。親父《おやぢ》は政治狂《せいぢけう》で、碌々《ろく/\》仕事《しごと》なぞしやせん。近頃《ちかごろ》市役所《しやくしよ》へ出《で》ることになつたさうだが、細君《さいくん》がまたなか/\感心《かんしん》な女《をんな》だ。あれはお寺《てら》の娘《むすめ》だといふことだが、九|人《にん》もある子供《こども》をよく育《そだ》てゝ行《い》くんだ。みんな出来《でき》がいゝ。近頃《ちかごろ》は看板《かんばん》をはづしたやうだな、社会主義《しやくわいしゆぎ》か何《なに》かの……。」兄《あに》は姉《あね》に訊いた。
羊《やう》三は通《とほ》りへ出《で》ると、二三|軒《けん》の骨董屋《こつとうや》なぞ覗《のぞ》いて、それからその床屋《とこや》へ入《はい》つて行《い》つた。兵隊《へいたい》が一人《ひとり》ゐて、多分《たぶん》子息《むすこ》であらう、書生《しよせい》とも職人《しよくにん》ともつかないやうな、二十一二の青年《せいねん》と話《はな》してゐた。羊《やう》三は直《ぢ》きに椅子《いす》にかけた。
「あんた牧田《まきた》さんのお客《きやく》さんですね。」
羊《やう》三はきかれた。
「さうです」と言ふと、その男《をとこ》は傍《そば》へ来《き》て、仕度《したく》をしはじめた。
ちやうど羊《やう》三の目《の》の向《き》くところの柱《はしら》に、短冊《わんざく》がかゝつてゐて、それがM――といふ知名《ちめい》の俳人《はいじん》のであつた。羊《やう》三はぢろ/\それを見《み》てゐたが、刈《か》り手《て》は鋏《はさみ》を動《うご》かしながら兵隊《へいたい》と、連《しき》りと友達《ともだち》の噂《うはさ》をしてゐた。四|高《こう》の試験《しけん》に落第《らくだい》してひどく悲観《ひくわん》してゐる男《をとこ》のことや、結婚《けつこん》したての女《をんな》と別《わか》れて、東京《とうけう》へ出《で》て行《い》つた青年《せいねん》のことや……。羊《やう》三は黙《だま》つてきいてゐたが、刈《か》り手《て》の口調《くてう》には、どこかアムビシアスな青年《せいねん》らしい熱情《ねつぜう》や反抗《はんこう》があつた。
「あの短冊《たんざく》は何《ど》うして持《も》つてゐるんだね。」羊《やう》三は兵隊《へいたい》が帰《かへ》つてから訊《き》いてみた。
「あれですか。M――さんが此方《こちら》へ来《こ》られたとき、書《か》いてもらつたんです。」
「君《きみ》は俳句《はいく》をやるんかね。」
「いや、余《あん》まりやりません。」刈《か》り手《て》は答《こた》へたが、それだけでは物足《ものた》りなさうに
「なか/\そんな暇《ひま》もありませんから。」
「君《きみ》はこゝの子息《むすこ》さんだね。」
「え、長男《てうなん》に産《うま》れた悲《かな》しさに、かうやつて店《みせ》へ出《で》てゐるんですが、少《すご》し無理《むり》ですよ。私《わたし》のやうな若《わか》いものに、店《みせ》を任《まか》せきりにしておくんですからな。」
「兄第《けうだい》が多《おほ》いのかね。」
「え。しかしさう長《なが》いこともありません、次《つ》ぎが大《おほ》きくなると、私《わたし》は出《で》るつもりです。いつ迄《まで》もこんなごとはしてゐられません。けれど親父《おやぢ》の気持《きもち》もわかつてをりますから、まあかうやつて仕事《しごと》をしてゐるんです。人間《にんげん》には多少《たせう》犠牲的精神《ぎせいてきせいしん》がなくては可《い》けないと思《おも》ひます。」
「君《きみ》は感心《かんしん》だね。」
「いや、僕《ぼく》なんか駄目《だめ》ですけれど、近頃《ちかごろ》の社会主義《しやかいしゆぎ》かぶれのした青年《せいねん》の中《ぼか》には、随分《ずいぶん》無責任《むせきにん》の奴《やつ》がゐますからな。僕等《ぼくら》も現状《げんぜう》には不満《ふまん》ですけれど、あゝいふ人《ひと》たちのいふことを聞《き》いてゐると、腹《はら》のたつことがあります。僕《ぼく》なんかやつぱり日本《にほん》の立場《たちば》も考《かんが》へずにはゐられませんから。この間《あいだ》も、あの連中《れんちう》の一人《ひとり》のF――といふ男《をとこ》のところへ行《い》つて、議論《ぎろん》したんですけれど、浅薄《せんぱく》で迚《とて》もお話《はなし》になりません。」
F――は羊《やう》三のところへも来《き》たことのある男《をとこ》であつた。
「あの男《をとこ》は別《べつ》にさういふものを研究《けんきう》した訳《わけ》でもないだらう。」
「けれどなか/\鼻息《はないき》が荒《あら》いんです。」
「沢山《たくさん》ゐるかね。」
「しかし何処《どこ》までが本物《ほんもの》だか。大抵《たいてい》附焼刃《つけやきば》ですから。」
それから羊《やう》三が見《み》て来《き》た山《やま》の労働運動《らうどううんどう》の噂《うはさ》も出《で》て、彼《かれ》は牧田《まきた》がさういふ問題《もんだい》の実際《じつさい》解決《かいけつ》に対《たい》して、いつも好《よ》い成績《せいせき》をあげてゐることを、賞讚《せうさん》した。
「この土地《とち》からも、近頃《ちかごろ》作家《さくか》が出《で》て来《き》ましたね。」
「君《きみ》はやらんのかね。」
「え、どうも……。しかし近頃出《ちかごろで》たH――なんか威|張《ば》つてゐますけれど、まだ駄目《だめ》なんでせうね。」
「さう云《い》ふこともないだらうがね」
「やつぱりY――さんなんか、しつかりしてゐるんでせうね。」
Y――は羊《やう》三自身《じしん》であつた。知《し》つてゐるのか、知《し》らないのか、
とにかく羊《やう》三には擽《くすぐ》つたかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》のその時代《じだい》の気分《きぶん》を思《おも》ひ出《だ》さずにはゐられなかつた。悶《もだ》えと反抗《はんこう》の多《おほ》かつた枉屈時代《おうくつじだい》の自分《じぶん》の息《いき》を、そこに嗅《か》ぐやうに思《おも》つた。そしてこの青年《せいねん》がこれがY――だといふことを想像《そうぞう》してゐるにしても、しないにしても、そのまゝ知《し》らない顔《かほ》をしてゐるのが、可笑《をか》しいやうに思《おも》はれた。
「Y――さんは牧田《まきた》さんの御親類《ごしんるい》ださうですが。」
「僕《ぼく》がY――だが……。」羊《やう》三は気軽《きがる》に言《い》つた。
青年《せいねん》は「あゝ、さうですか」と言《い》つて、今更《いまさら》何《ど》うといふこともなかつた。彼《かれ》は最初《さいしよ》からY――を対象《たいせう》に鬱勃《うつぼつ》を洩《もら》してゐたのであつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年7月5日「サンデー毎日」)
羊《やう》三は硝子《がらす》ごしに見《み》える、技師《ぎし》たちの社宅《しやたく》から其《そ》の課《くわ》の事務室《じむしつ》へ通《かよ》ふ道路《どうろ》になつてゐる山《やま》の傾斜面《けいしやめん》と、その山《やま》の奥《おく》から立昇《たちのぼ》る煙《けむり》より外《ほか》、何《なに》一つ見《み》ることのできない事務所《じむしよ》の二|階《かい》の広《ひろ》い部屋《へや》の一つに、蟄居《ちつきよ》してゐたお蔭《かげ》で、気分《きぶん》がどうかすると憂鬱《ゆううつ》になりがちであつたけれど、折角《せつかく》慣《な》れた孤独《こどく》の寂《さび》しさを出《で》るのが惜《を》しまれもした。
「ちよつとK――町《まち》へ出《で》るから、一|緒《しよ》に帰《かへ》らう。」兄《あに》がさう言《い》つて促《うなが》さなかつたなら、彼《かれ》はいつまで経《た》つても、そこを出《で》てくるきつかけ[#「きつかけ」に傍点]がなかつたかも知《し》れなかつた。彼《かれ》はどこにゐても同《おな》じやうな気《き》がしてゐた。家庭気分《かていきぶん》の煩《わづらは》しい渦《うづ》のなかにゐても、かうした落莫《らくばく》な山《やま》のなかにゐても、さう大《たい》した変《かは》りはなかつた。
さうは言《い》つても、羊《やう》三は暫《しばら》くぶりでK――町《まち》へ出《で》て行《い》くのが、何《なん》となく嬉《うれ》しかつた。東京《とうけう》とちがつて、そこには適度《てきど》の環境《くわんけう》の閑寂《かんじやく》と、人《ひと》の交渉《こうせう》と、生活《せいくわつ》の享楽《けうらく》とが彼《かれ》を待受《まちう》けてゐた。
十|月《ぐわつ》の末《すゑ》で、温度《おんど》は寒《さむ》さに弱《よわ》い彼《かれ》の体《からだ》にちやうど適当《てきとう》してゐた。沿道《えんどう》の夷《なだら》かな山《やま》の姿《すがた》、雪国《ゆきくに》らしい軟《やはら》かい木立《こだち》の感《かん》じなどが、荒《あら》い関東《くわんとう》の自然《しぜん》とまるで違《ちが》つてゐて禿山《はげやま》ばかり見《み》てゐた、彼《かれ》の目《め》を楽《たの》しませた。羊《やう》三は蘇《よみが》へつたやうな気《き》がした。電車《でんしや》は次第《しだい》に平原《へいげん》へ出《で》て来《き》た。
M――町《まち》のはづれにある、電車《でんしや》の終点《しうてん》へ着《つ》いたのは、お昼頃《ひるころ》であつた。電車《でんしや》は山《やま》の経営《けいえい》に係《かゝ》るものなので、そこの事務所《じむしよ》でも暫《しばら》く休《やす》んだ。往《い》きに一|緒《しよ》に温泉《おんせん》へいつた若《わか》い事務員《じむいん》の顔《かほ》などが見《み》えた。そして其処《そこ》から汽車《きしや》に乗《の》つた。
羊《やう》三は幼《ちいさ》い時分《じぶん》、そこに住《す》んでゐた乳母《うば》が、町《まち》へ出《で》てくる度《た》びに土産《みやげ》にもつて来《き》た餡《あん》ころ餅《もち》を買《か》つたりした。故郷《こけう》へ来《く》る度《たび》に、彼《かれ》は長《なが》い過去《くわこ》の積重《つみかさ》ねの前《まへ》に、まるで幼年《ようねん》のやうな自分《じぶん》を発見《はつけん》すると同時《どうじ》に、いた/\しく年《とし》を取《と》つたことを、またひどく明瞭《はつきり》させられるやうな感《かん》じがするのであつた。ある時《とき》足《あし》を洗《あら》ひに裏《うら》へまはつた乳母《うば》が式台《しきたい》のところにおいたお土産《みやげ》の餡《あん》ころ餅《もち》を、そそくさと取《とり》あげて、奥《おく》へ入《はい》らうとして、お行儀《げうぎ》がわるいと言《い》つて、ちよこすかした羊《やう》三を窘《たしな》めた乳母《うば》の骨《ほね》も、もう大概《たいがい》腐《くさ》つた時分《じぶん》だと思《おも》はれた。
兄《あに》の家《いへ》へ帰《かへ》ると、姉《あね》は少《すご》しあわて気味《きみ》で玄関《げんくわん》に出迎《でむか》へた。
「どうでした山《やま》は。御退屈《ごたいくつ》でしたでせう。」姉《あね》は羊《やう》三に言《い》つた。
それから遽《にはか》に昼飯《ひるめし》の仕度《したく》を急《いそ》いだりして、姉《あね》は持前《もちまへ》の慇懃《いんぎん》な態度《たいど》で、留守中《るすちう》の用事《ようじ》を、良人《をつと》に報告《ほうこく》するのであつた。
兄《あに》は飯《めし》がすむと間《ま》もなく車《くるま》を命《めい》じた。羊《やう》三は姉《あね》たちを訪問《ほうもん》かた/″\、町《まち》を見《み》ようと思《おも》つて、近所《きんじよ》の床屋《とこや》へ行《い》つた。
「今《いま》女中《じよちう》にさう言《い》つておきました。ちやうどすいてゐるさうですから。」姉《あね》はさう言《い》つて、床屋《とこや》の所在《しよざい》を教《をし》へてくれた。
「あの床屋《とこや》は面白《おもしろ》い奴《やつ》だぞ。親父《おやぢ》は政治狂《せいぢけう》で、碌々《ろく/\》仕事《しごと》なぞしやせん。近頃《ちかごろ》市役所《しやくしよ》へ出《で》ることになつたさうだが、細君《さいくん》がまたなか/\感心《かんしん》な女《をんな》だ。あれはお寺《てら》の娘《むすめ》だといふことだが、九|人《にん》もある子供《こども》をよく育《そだ》てゝ行《い》くんだ。みんな出来《でき》がいゝ。近頃《ちかごろ》は看板《かんばん》をはづしたやうだな、社会主義《しやくわいしゆぎ》か何《なに》かの……。」兄《あに》は姉《あね》に訊いた。
羊《やう》三は通《とほ》りへ出《で》ると、二三|軒《けん》の骨董屋《こつとうや》なぞ覗《のぞ》いて、それからその床屋《とこや》へ入《はい》つて行《い》つた。兵隊《へいたい》が一人《ひとり》ゐて、多分《たぶん》子息《むすこ》であらう、書生《しよせい》とも職人《しよくにん》ともつかないやうな、二十一二の青年《せいねん》と話《はな》してゐた。羊《やう》三は直《ぢ》きに椅子《いす》にかけた。
「あんた牧田《まきた》さんのお客《きやく》さんですね。」
羊《やう》三はきかれた。
「さうです」と言ふと、その男《をとこ》は傍《そば》へ来《き》て、仕度《したく》をしはじめた。
ちやうど羊《やう》三の目《の》の向《き》くところの柱《はしら》に、短冊《わんざく》がかゝつてゐて、それがM――といふ知名《ちめい》の俳人《はいじん》のであつた。羊《やう》三はぢろ/\それを見《み》てゐたが、刈《か》り手《て》は鋏《はさみ》を動《うご》かしながら兵隊《へいたい》と、連《しき》りと友達《ともだち》の噂《うはさ》をしてゐた。四|高《こう》の試験《しけん》に落第《らくだい》してひどく悲観《ひくわん》してゐる男《をとこ》のことや、結婚《けつこん》したての女《をんな》と別《わか》れて、東京《とうけう》へ出《で》て行《い》つた青年《せいねん》のことや……。羊《やう》三は黙《だま》つてきいてゐたが、刈《か》り手《て》の口調《くてう》には、どこかアムビシアスな青年《せいねん》らしい熱情《ねつぜう》や反抗《はんこう》があつた。
「あの短冊《たんざく》は何《ど》うして持《も》つてゐるんだね。」羊《やう》三は兵隊《へいたい》が帰《かへ》つてから訊《き》いてみた。
「あれですか。M――さんが此方《こちら》へ来《こ》られたとき、書《か》いてもらつたんです。」
「君《きみ》は俳句《はいく》をやるんかね。」
「いや、余《あん》まりやりません。」刈《か》り手《て》は答《こた》へたが、それだけでは物足《ものた》りなさうに
「なか/\そんな暇《ひま》もありませんから。」
「君《きみ》はこゝの子息《むすこ》さんだね。」
「え、長男《てうなん》に産《うま》れた悲《かな》しさに、かうやつて店《みせ》へ出《で》てゐるんですが、少《すご》し無理《むり》ですよ。私《わたし》のやうな若《わか》いものに、店《みせ》を任《まか》せきりにしておくんですからな。」
「兄第《けうだい》が多《おほ》いのかね。」
「え。しかしさう長《なが》いこともありません、次《つ》ぎが大《おほ》きくなると、私《わたし》は出《で》るつもりです。いつ迄《まで》もこんなごとはしてゐられません。けれど親父《おやぢ》の気持《きもち》もわかつてをりますから、まあかうやつて仕事《しごと》をしてゐるんです。人間《にんげん》には多少《たせう》犠牲的精神《ぎせいてきせいしん》がなくては可《い》けないと思《おも》ひます。」
「君《きみ》は感心《かんしん》だね。」
「いや、僕《ぼく》なんか駄目《だめ》ですけれど、近頃《ちかごろ》の社会主義《しやかいしゆぎ》かぶれのした青年《せいねん》の中《ぼか》には、随分《ずいぶん》無責任《むせきにん》の奴《やつ》がゐますからな。僕等《ぼくら》も現状《げんぜう》には不満《ふまん》ですけれど、あゝいふ人《ひと》たちのいふことを聞《き》いてゐると、腹《はら》のたつことがあります。僕《ぼく》なんかやつぱり日本《にほん》の立場《たちば》も考《かんが》へずにはゐられませんから。この間《あいだ》も、あの連中《れんちう》の一人《ひとり》のF――といふ男《をとこ》のところへ行《い》つて、議論《ぎろん》したんですけれど、浅薄《せんぱく》で迚《とて》もお話《はなし》になりません。」
F――は羊《やう》三のところへも来《き》たことのある男《をとこ》であつた。
「あの男《をとこ》は別《べつ》にさういふものを研究《けんきう》した訳《わけ》でもないだらう。」
「けれどなか/\鼻息《はないき》が荒《あら》いんです。」
「沢山《たくさん》ゐるかね。」
「しかし何処《どこ》までが本物《ほんもの》だか。大抵《たいてい》附焼刃《つけやきば》ですから。」
それから羊《やう》三が見《み》て来《き》た山《やま》の労働運動《らうどううんどう》の噂《うはさ》も出《で》て、彼《かれ》は牧田《まきた》がさういふ問題《もんだい》の実際《じつさい》解決《かいけつ》に対《たい》して、いつも好《よ》い成績《せいせき》をあげてゐることを、賞讚《せうさん》した。
「この土地《とち》からも、近頃《ちかごろ》作家《さくか》が出《で》て来《き》ましたね。」
「君《きみ》はやらんのかね。」
「え、どうも……。しかし近頃出《ちかごろで》たH――なんか威|張《ば》つてゐますけれど、まだ駄目《だめ》なんでせうね。」
「さう云《い》ふこともないだらうがね」
「やつぱりY――さんなんか、しつかりしてゐるんでせうね。」
Y――は羊《やう》三自身《じしん》であつた。知《し》つてゐるのか、知《し》らないのか、
とにかく羊《やう》三には擽《くすぐ》つたかつた。彼《かれ》は自分《じぶん》のその時代《じだい》の気分《きぶん》を思《おも》ひ出《だ》さずにはゐられなかつた。悶《もだ》えと反抗《はんこう》の多《おほ》かつた枉屈時代《おうくつじだい》の自分《じぶん》の息《いき》を、そこに嗅《か》ぐやうに思《おも》つた。そしてこの青年《せいねん》がこれがY――だといふことを想像《そうぞう》してゐるにしても、しないにしても、そのまゝ知《し》らない顔《かほ》をしてゐるのが、可笑《をか》しいやうに思《おも》はれた。
「Y――さんは牧田《まきた》さんの御親類《ごしんるい》ださうですが。」
「僕《ぼく》がY――だが……。」羊《やう》三は気軽《きがる》に言《い》つた。
青年《せいねん》は「あゝ、さうですか」と言《い》つて、今更《いまさら》何《ど》うといふこともなかつた。彼《かれ》は最初《さいしよ》からY――を対象《たいせう》に鬱勃《うつぼつ》を洩《もら》してゐたのであつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年7月5日「サンデー毎日」)
底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1923(大正12)年7月5日
初出:「サンデー毎日」
1923(大正12)年7月5日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「サンデー毎日」
1923(大正12)年7月5日
初出:「サンデー毎日」
1923(大正12)年7月5日
入力:特定非営利活動法人はるかぜ