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徳田秋声
徳田秋声
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《》:ルビ
(例)気《き》
(例)気《き》
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(例)論|晏《やすし》
(例)論|晏《やすし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)どか/\
(例)どか/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
梅雨晴れとでもいひさうな朝であつた。湿気の多い空気が、季節にしては少し寒い程の肌ざはりで……しかし其処らが何となく夏めいてゐた。庭の下草にすいく新芽が暢びて、仰いでみると葉の密茂した梅の梢に、懐かしい感じのする実が三つ四つ目についた。気候が不順なお蔭で、新緑の季節がいつもより少し長いやうに思はれたが、八方建物に取囲まれた小さい庭に立つてゐると、晏は腹立しいほど町の生活が厭はしかつた。昨日今日やつと暢びだした若葉に、ちよつと触つたゞけでも、指頭が真黒になるほど煤煙の滓がこびりついてゐた。
「いつまでこんな処に閉籠められてゐなければならないのだらう。」
彼はいつでも自分の居るところに落着けないやうな心の動きを感ずるのであつたが、この季節には殊にそれが劇しかつた。
晏はやがて縁の下から小さいシヤベルを取出して、気《き》になる下草の植替へをしてゐたが、それにも興味が乗らなかつた。大体庭全体が気に食はないのであつた。最初から成案なしに人任せにやり出した結果が、弄れば弄るほど悪くなるばかりであつた。ちやうど彼の作品や、彼の生涯のやうに。終ひに彼はみじめを感じた。
ちやうど其の時、台所の方からまはつて来た、庸一がひよつこり大きな木蓮の木の下へ姿を現した。
晏は「来たな」と思つた。来るといふ通知は三四日前にあつた。庸一の妹婿の若い骨董屋さんが或る大名華族の売立てにやつてくるのに同伴して、三四日厄介になりたいと云ふ手紙を受取つてから、晏は彼れの来るのを心待ちに待つてゐた。彼は余所に客となることが好きであると同じ程度で客の来るのが好きであつた。旅に出ても、気のおけない親類の家なら、いくら居ても飽きなかつたが、田舎から出てくる客で、若し先きが余り物事を気にしない人間か、解りの好い捌けた人間かで、且つさほど無作法でもなかつたら、いくら居ても煩く思ふやうな事はなかつた。それが幸に妻のお加奈と調子の合ふやうな人だつたら、都てが晏に取つて一層好都合であつた。若し彼れの経済事情が許すなら、そして外国の作品などにあるやうに間《あひだ》は家族と交渉なしに、一つか二つの部屋を占領させて、客自身の箇性を虐げたり、又は読書、思索、起伏の自由を妨害する事のないやうに、相当の設備が出来るとしたら、それこそ客をする事が彼に取つて尤も楽しい人生の楽しみとなるであらう。
庸一は去年も杜鵑の啼く時分に、二三日のつもりで震災後の東京を見舞つたのであつたが、四日が五日になり五日が六日になりして、到頭三週間ばかり裏の家に滞在してゐた。庸一は工芸美術家であつた。晏が下宿時代に、彼も東京へ出て三四年或る名家について修業したので、叔父の晏の家にゐることが、何となし彼を昔し懐かしい気持にするのであつた。庸一は晏の姉になる母も父も未だ健康で、家事の世話をやいてゐた。子供も三人になつてゐた。近頃お茶や花や謡ひや、仕事と万更縁のないこともない趣味生活を、いくらか享け楽しむ余裕ができたほど、彼も年を取つて来た。家や仕事から離れて、旅にあるときの、彼の気持は、晏にも想像することが出来た。そして又た外間から見ると、えらい暢気な怠けものにしか見えない、いつも区切《くぎ》りのつかないやうな生活の慵い悩みも、晏には十分同情できるのであつた。
晏はまた去年の夏一と月ばかり、郷里で、毎日のやうに庸一と何処かで逢つてゐた。親類の家とか料理屋とかで……。しかし晏に取つては、休息時の、つまり遊ぶときの、癖のない好い相手であるほか、高尚な談敵でもなく、飽きのくる邪魔ものでなかつたと同じ程度で、お加奈にも気に入つてゐた。寧ろお加奈の気に入つてゐたから、晏も気持を攪乱されることなしに、彼を家族の一人に加へておけるのであつた。
「女連は……。」
晏は今庭へまはつて来た彼を見ると、すぐ其の事をきいた。庸一が妹婿と一緒に、評判の売立を見にくるにつれて、晏にも親しい女を二人つれて行つても可いか何うかを、前以つて間合せて来たのに対して、晏は二人宛二度にしてくれるやうに、返事を出しておいたけれど、それでも女連も出て来るかも知れないと思つてゐた。
「まあ二人だけ出て来ました。義弟は客もつれて来てゐますから、いづれ宿を取りませう。三人くらゐだつたら、どこの隅にでも居られない事もなからうと思つたんですが、事によつたら呼び寄せさして戴くかも知れません。」
晏は女連が来なくて興がないやうで、来なくてよかつたやうにも思つた。
「荷物は。」
「今義弟の宿において来ました。」庸一は晏につゞいて、上へあがりながら、
「昨夜はどうもひどい込合ひで。侯爵家の売立てに来る人で一杯でした。」
「さうだらう。己も友達と午後から行くことになつてゐる。」
そこへお加奈も出て来た。
「女連はこないさうだ。」
「さうですか。」
さう言ふお加奈も、来たがつてゐる人を、幾分自分の心持から、来なくしてしまつたことを、心寂しく思つた。実際彼女も三人だつたら何うかして都合しようと思つて、半分はその積りにしてゐた。
やがて挨拶がすんだ。
「何しろ多勢一度にどか/\来られても困るしね。折角来るなら方々見せたくも思ふからな」。晏が言つた。
「此方へは出たことのない連中で、男についてゞも来なければ来られないのでして。何に東京の土を踏みさへすれば可いんです。」庸一は呼寄せたさうな口吻であつた。
勿論|晏《やすし》の気持も同じであつた。さう深い縁故でもない女連だけで来たところで、お加奈とうまく調子が合つて行くか何うかゞ不安心であつた。今迄の経験では、多分そんな事はなささうであつたが、若しかしてお加奈が神経を尖がらせでもして、好い顔をしてくれなかつたとしたら、それこそ晏の立場は惨めであつた。女連を庸一の蔭におく方が、やつぱり安全だと思はれた。晏には疚ましい事が少しもある訳ではなかつた。たゞ其の家と古くから交際があつたゞけであつた。いくらか縁も引いてゐたので、去年なぞ庸一と一緒に、そこで酒を飲んだり、女を呼んだりして、彼等の生活にも触れたゞけの事であつた。若し堅気でないことを言へば、お加奈の側の客にも、さうした種類の人が全然ないこともなかつた。しかしお加奈には晏との関係が、何となし明瞭でなかつた。
「三人なら都合できないこともないね。」
「それは何うにでもね。」
「たゞ此のところ莫迦に忙しいんで……。」
「さうですよ。だから斯《か》うしたら宜《よろ》しいぢやございませんか。庸さんがお帰りになつて、直ぐ寄越すといふことに。宅から迎ひに出てゐますから。宅も行きたがつてゐますから、帰りは送つて行くことにでもして。」
庸一は汽車のなかで見て来た売立目録を、そこに置いてゐたので、晏は取りあげて、開けて見てゐた。
「とにかく一寸行つて来ます。余り込まないうちに一と通り拝見したいと思ひますから。」庸一はさう言つて土産物をおいて出て行つた。
「やつぱり出てこなかつたね。来なくて仕合せだ。」晏は寂しさうに言つた。
「さういふ人は矢張男の方についてゞもこなければ来にくいんでせう。」
「世間見ずだからね。しかし長いあひだの約束だから、一度は呼んでやらなければ……。」
「そんなら呼んだら可いでせう。その方がいゝでせう。」
「さうしても可いね。」
「さうなさい。庸さんも義理が悪いでせうから。」
「いつまでこんな処に閉籠められてゐなければならないのだらう。」
彼はいつでも自分の居るところに落着けないやうな心の動きを感ずるのであつたが、この季節には殊にそれが劇しかつた。
晏はやがて縁の下から小さいシヤベルを取出して、気《き》になる下草の植替へをしてゐたが、それにも興味が乗らなかつた。大体庭全体が気に食はないのであつた。最初から成案なしに人任せにやり出した結果が、弄れば弄るほど悪くなるばかりであつた。ちやうど彼の作品や、彼の生涯のやうに。終ひに彼はみじめを感じた。
ちやうど其の時、台所の方からまはつて来た、庸一がひよつこり大きな木蓮の木の下へ姿を現した。
晏は「来たな」と思つた。来るといふ通知は三四日前にあつた。庸一の妹婿の若い骨董屋さんが或る大名華族の売立てにやつてくるのに同伴して、三四日厄介になりたいと云ふ手紙を受取つてから、晏は彼れの来るのを心待ちに待つてゐた。彼は余所に客となることが好きであると同じ程度で客の来るのが好きであつた。旅に出ても、気のおけない親類の家なら、いくら居ても飽きなかつたが、田舎から出てくる客で、若し先きが余り物事を気にしない人間か、解りの好い捌けた人間かで、且つさほど無作法でもなかつたら、いくら居ても煩く思ふやうな事はなかつた。それが幸に妻のお加奈と調子の合ふやうな人だつたら、都てが晏に取つて一層好都合であつた。若し彼れの経済事情が許すなら、そして外国の作品などにあるやうに間《あひだ》は家族と交渉なしに、一つか二つの部屋を占領させて、客自身の箇性を虐げたり、又は読書、思索、起伏の自由を妨害する事のないやうに、相当の設備が出来るとしたら、それこそ客をする事が彼に取つて尤も楽しい人生の楽しみとなるであらう。
庸一は去年も杜鵑の啼く時分に、二三日のつもりで震災後の東京を見舞つたのであつたが、四日が五日になり五日が六日になりして、到頭三週間ばかり裏の家に滞在してゐた。庸一は工芸美術家であつた。晏が下宿時代に、彼も東京へ出て三四年或る名家について修業したので、叔父の晏の家にゐることが、何となし彼を昔し懐かしい気持にするのであつた。庸一は晏の姉になる母も父も未だ健康で、家事の世話をやいてゐた。子供も三人になつてゐた。近頃お茶や花や謡ひや、仕事と万更縁のないこともない趣味生活を、いくらか享け楽しむ余裕ができたほど、彼も年を取つて来た。家や仕事から離れて、旅にあるときの、彼の気持は、晏にも想像することが出来た。そして又た外間から見ると、えらい暢気な怠けものにしか見えない、いつも区切《くぎ》りのつかないやうな生活の慵い悩みも、晏には十分同情できるのであつた。
晏はまた去年の夏一と月ばかり、郷里で、毎日のやうに庸一と何処かで逢つてゐた。親類の家とか料理屋とかで……。しかし晏に取つては、休息時の、つまり遊ぶときの、癖のない好い相手であるほか、高尚な談敵でもなく、飽きのくる邪魔ものでなかつたと同じ程度で、お加奈にも気に入つてゐた。寧ろお加奈の気に入つてゐたから、晏も気持を攪乱されることなしに、彼を家族の一人に加へておけるのであつた。
「女連は……。」
晏は今庭へまはつて来た彼を見ると、すぐ其の事をきいた。庸一が妹婿と一緒に、評判の売立を見にくるにつれて、晏にも親しい女を二人つれて行つても可いか何うかを、前以つて間合せて来たのに対して、晏は二人宛二度にしてくれるやうに、返事を出しておいたけれど、それでも女連も出て来るかも知れないと思つてゐた。
「まあ二人だけ出て来ました。義弟は客もつれて来てゐますから、いづれ宿を取りませう。三人くらゐだつたら、どこの隅にでも居られない事もなからうと思つたんですが、事によつたら呼び寄せさして戴くかも知れません。」
晏は女連が来なくて興がないやうで、来なくてよかつたやうにも思つた。
「荷物は。」
「今義弟の宿において来ました。」庸一は晏につゞいて、上へあがりながら、
「昨夜はどうもひどい込合ひで。侯爵家の売立てに来る人で一杯でした。」
「さうだらう。己も友達と午後から行くことになつてゐる。」
そこへお加奈も出て来た。
「女連はこないさうだ。」
「さうですか。」
さう言ふお加奈も、来たがつてゐる人を、幾分自分の心持から、来なくしてしまつたことを、心寂しく思つた。実際彼女も三人だつたら何うかして都合しようと思つて、半分はその積りにしてゐた。
やがて挨拶がすんだ。
「何しろ多勢一度にどか/\来られても困るしね。折角来るなら方々見せたくも思ふからな」。晏が言つた。
「此方へは出たことのない連中で、男についてゞも来なければ来られないのでして。何に東京の土を踏みさへすれば可いんです。」庸一は呼寄せたさうな口吻であつた。
勿論|晏《やすし》の気持も同じであつた。さう深い縁故でもない女連だけで来たところで、お加奈とうまく調子が合つて行くか何うかゞ不安心であつた。今迄の経験では、多分そんな事はなささうであつたが、若しかしてお加奈が神経を尖がらせでもして、好い顔をしてくれなかつたとしたら、それこそ晏の立場は惨めであつた。女連を庸一の蔭におく方が、やつぱり安全だと思はれた。晏には疚ましい事が少しもある訳ではなかつた。たゞ其の家と古くから交際があつたゞけであつた。いくらか縁も引いてゐたので、去年なぞ庸一と一緒に、そこで酒を飲んだり、女を呼んだりして、彼等の生活にも触れたゞけの事であつた。若し堅気でないことを言へば、お加奈の側の客にも、さうした種類の人が全然ないこともなかつた。しかしお加奈には晏との関係が、何となし明瞭でなかつた。
「三人なら都合できないこともないね。」
「それは何うにでもね。」
「たゞ此のところ莫迦に忙しいんで……。」
「さうですよ。だから斯《か》うしたら宜《よろ》しいぢやございませんか。庸さんがお帰りになつて、直ぐ寄越すといふことに。宅から迎ひに出てゐますから。宅も行きたがつてゐますから、帰りは送つて行くことにでもして。」
庸一は汽車のなかで見て来た売立目録を、そこに置いてゐたので、晏は取りあげて、開けて見てゐた。
「とにかく一寸行つて来ます。余り込まないうちに一と通り拝見したいと思ひますから。」庸一はさう言つて土産物をおいて出て行つた。
「やつぱり出てこなかつたね。来なくて仕合せだ。」晏は寂しさうに言つた。
「さういふ人は矢張男の方についてゞもこなければ来にくいんでせう。」
「世間見ずだからね。しかし長いあひだの約束だから、一度は呼んでやらなければ……。」
「そんなら呼んだら可いでせう。その方がいゝでせう。」
「さうしても可いね。」
「さうなさい。庸さんも義理が悪いでせうから。」
天候の差響きの敏感な晏は、この頃の陽気の変調のせゐもあつたらうが、少し忙しすぎたので不眠症にかゝつてゐた。北国の空のやうに、一日のうちに幾度となく雲つたり照つたりするのも厭だつたが、あわたゞしい旋風のやうな風の、襲つてくる癖のついた、今年の新緑季節は一層不快であつた。彼は頭脳を休めに、初夏の故郷を訪れるのも悪くないと思つてゐた。古い屋敷町の若葉、新緑の山裾の川魚料理、静かな温泉町、松原の美しい海岸、晏は夢寐にも忘れる事が出来なかつた。
とにかく少し閑を得たいと思つたが、仕事が捗取らなかつた。彼は莫迦に気忙しかつた。旅行を空想することだけでも、頭脳が疲れた。庸一が来ても、どこへ連れて行きたいと思ふところもなかつた。
「K――市などから東京へ遊びにくるのは莫迦げてゐますね。この頃の東京ですから。」
晏はさう言つてゐた子供の言葉に同感であつた。自動車がないだけでも田舎は助かると思つた。強ち地震のためばかりではなかつた。年のせゐでもあつた。彼は全く憊《くたび》れてゐた。少しでも生活を逃げよう/\としてゐることが、自分にも善く判るのであつた。
昨夜も三時を聞くまで眠れなかつたので、今朝は頭脳が妙に萎え疲れて、目蓋が痛懈いやうであつた。そして庸一が出て行つてから、少し寝ようとしてゐるところへ、友人のK――氏が出入りの骨董屋の番頭と同伴でやつて来た。
「少し時間が早いやうだが、何うだね。」
「さうね、行きませうか。まあ一寸お上りなさい」
K――氏は書斎へとほつて、骨董屋を紹介した。骨董屋は叮嚀に「どうぞ宜しくお引立を……」とお辞儀をしたので、彼は擽《くすぐ》つたい感じがした。
K――氏は使つてもいゝ仕事の利潤以外の余裕ある時に、ちよい/\書画や骨董を買ひ入れるのを楽しみにしてゐたので、晏も色々なものを見る機会があつた。金のある大人は誰でも大抵女か骨董を翫ぶ。子供に翫具が必要であるとほりに、大人にも翫具が必要なのであるが、書画や骨董の道楽は、人間の私有慾を尤も極端に露骨に発揮したもので、晏の郷里などでは、町人は昔から金でもつてゐるのが不安なので、上から睨まれないやうに骨董で貯めておいた習慣が伝はつてゐて、今でも所蔵のお道具の多寡によつて、その家柄が軽重されるのである。骨董品に対する愛着ほど、拘《かゝ》はりの多い私有慾は恐らく外にないであらうと思はれるほど、凝り出すと病的になり易いものだが、K――氏の場合などでは、寧ろ趣味性の修養としてやつてゐるので、それを買ひ入れる主義にもほぼ系統が立つてゐる。晏の思ふところでは、書画や骨董は、百のうち九十まで贋物だと見るの斌至当で、一つの本物があれば百の贋物がそれについて産れ出てゐることは、いつの時代にも有りがちのことで、それが人間の私有慾の如何に執念ぶかいものであるかを証拠立てゝゐる。勿論贋物を買はうと思つて、千金を抛つものはない筈だが贋物を扱ふことが、寧ろ本当の商売だと公言したくらゐ徹底した書画商もあつて、一生贋物ばかり扱つてゐたと言ふから、私有慾さへ充たされゝば、盲目は盲目なりに贋物を弄んで楽しんでゐれば、それで十分結構なのである。商売人自身がわかつた顔をして、嵌めにくる贋物を買つて悦んでゐるところに、金持人種の人の好さがあるのである。実業家で読書人であるK――氏などにも、処世的にはひどく用心ぶかいところがありながら、骨董屋の乗ずる隙間が全くないとは言へないであらうが、選択が少し旋毛曲りであるほど時好的でない事だけは確かである。
晏は一時間ばかり見てくるつもりで袴などはいて家を出た。
「私の郷里の骨董界などでは、もつと好いものが出ると思つてゐたらしいんだが、何んなですか。」
「さいですな。もつと好いものもお有りでせうが、名物は相当にお出しになつてるやうで。」
「金がないからですか。」
「上り高で美術館をお立てになるとかで。」
そんな話をしながら、門をくゞつて行つた。門内は広々としてゐた。自動車が木蔭に幾台となく並んでゐた。晏たちは後から/\入つてくる自動車の揚げる砂塵をよけながら、玄関へ着いて、そこから右の廊下へ出て行くと、長いその廊下に、柳原の古着屋のやうに、綺羅美やかさに時代のいぶしのかゝつた能衣裳が、づらりと懸かつてゐた。それが尽きると又た能衣裳とお面と、裂などの陳列された部屋から部屋につづいてゐた。その中には金の重量で、ぽつとり持ち重りのする蜀江の錦とか、唐錦とかいふ希代の織物で作つたものもあつた。蓆のやうに手厚い硬い絽織などもあつた。その衣裳と面だけ見ても、昔しの大名の勢威のほどが想像されたが、刻苦してそれを作つた工人達の蒼白い顔も同時に想像された。晏は西陣の機織工場を見たことがあるので、現代では経済的生活では、高貴な織物の織れる織工が、次第に滅びて行くことを見せつけられてゐた。好い織物は、いかに鍛錬な織工でも、一日かゝりきりで、漸く二寸か三寸よりしか織れないのであつた。羽二重や縮緬などに比べて、上等の織物がいかに安いものであるかも知つてゐた。
いつか園遊会のあつたとき、節がちやうど五月だつたので、広い部屋一杯に、幾壇となく人形が飾られてあつた、その部屋へ入つて行くと、そこにはづらりと置きならべられた卓のうへに陳列した、瀬戸もの類に集つて、坐つて観賞してゐる人達がうよ/\してゐた。それらは大抵茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]とか茶入とか、又は香盒、※[#「てへん+曳」、第4水準2-13-5]溜、茶匙、建水、香煎入といつたお茶の道具であつた。天目や、高麗や、南京や、利休や、光悦や、仁清や、晏が名ばかり耳にして、滅多に作品に接する機会のなかつたやうな名品が、そのなかに見出された。骨董屋が時々説明を加へてくれた。
廊下には又た南蛮の壺や、梵貝《ぼんばい》や、釜や、炭斗や、花生、水差、燭台のやうなものの陳列があつた。
「この燭台はこの油受一つで、四五百円に買へる代物です。」骨董屋は子供の塗つたやうな絵具のかゝつた小さい皿を取りあげて笑つた。
それから又幾箇もの部屋を、晏は見てあるいた。そのなかには砂張りの火箸を、ひどく有難がつて、叮嚀に細工を観賞してゐる人達もあつた。
「この火箸は恐らく三千円では何うですか。」骨董屋は首を傾げてゐた。
K――氏は錆びついた手燭など取りあげて見てゐた。利休か誰かが使つたものだといふ、由緒がそれにも附いてゐた。
「電燈がきえたときなんか、ちよつと可いぢやないか。」K――氏は言つてゐた。
青銅の水差なども、K――氏の目を惹いた。
「書斎におくのに、このくらゐ大きいものでないとね。」
二階の広間には、一層珍品があつた。そして其の真中に青竹で囲ひの柵を結ひめぐらしたのが、幾十かの名物であつた。「この品をお手にお取りになるには一応札元へお断はり下さい。」そんな紙札が其処についてゐた。
「これが問題の餓鬼腹ですよ。」骨董屋はさう言つて、どす蒼い釉のかゝつた一箇の茶壺を示した。
「まあ四五万……喉によると十万台まで行きますかな。」
骨董屋の主人も来てゐて、先刻から二人でK――氏を案内してゐたのであつたが、K――氏の茶器には余り興味をもたないらしかつた。
一休の一行もの、松花堂の二幅対、雪舟、元信、尚信、大雅、竹田、それから多くの写経、刀剣、絵巻物、そんなものにも目を惹かれなかつたが、定家の小幅だけには、評価が下された。
それから夫へと見てゐるうちに、晏は襤褸屑の展観を見てゐるやうな気がした。事実多くの陳列のなかには、長いあひだに溜り/\して、棄てることもできず、仕舞つておいても困るやうな古反故のやうなものもあるのであつた。北野の縁起だとか、公卿達の短冊とか、源氏の写本とか、太閤の墨蹟とか言つたやうなものが、若しそれが通りの古本屋の店頭にでも曝されてゐたら、せい/″\古物ずきの好事家が、いくらかの零砕金で買つて行くくらゐの反故だとしか思へなかつた。勿論晏のやうな盲目にも、名品はやつぱり名品であつた。目にふれたり手にさはつたりするだけでも、たまらない感触の快さに耽けらずにはゐられない作品も、ざらにあつた。それらは悉く優れた芸術家の洗錬された感覚が産みだした逸品であつたが、かくも多くの餓利々々連の目に曝されて、三千円とか、一万円とか、乃至は五万十万と、小汚い札束で、そつちこつち引廻はされることを思ふと、寧ろ芸術の冒涜を感じるのであつた。芸術品はそれを産み出す芸術家に取つてのみの生命であつた。それを鑑賞しうるものに取つてのみ価格があるのであつた。
晏は株式か何かにたかつて来る人達のやうに、卑しい目を光らしてゐる群衆によつて、弄りまはされてゐるそれらの作品を、むしろ浅猿しく感じた。勿論その中には鑑賞の目の肥えた人達も多かつたが、市そのものゝ空気が可けないのであつた。
やがて四人で喫茶室へ入つて行つた。そこへ晏の知つてゐる、侯爵家の美術品の掛りの人の顔が見えた。
「ようこそ。」
「これで好いものは大概出た訳ですか。」
「いや/\、全然出ないものもあります。半分くらゐ出したものもあります。具足の種類は一つも出ません。刀剣はほんの片鱗ですが、能衣裳やお面は、先づ半分くらゐでせう。茶器はこれでまあ全滅といふ訳でせう。」
「さうですかね。」
「皆さんはお食事は……。」骨董屋はさう言つて、更に弁当を通した。
四人はやがて食堂へ入つて行つた。K――氏はそこで、目をつけておいたものゝ入札を約束した。
「どうも慾しいと思ふものはないね。」
「何しろ書画はあやしいものが多うござんすからな。」
「あの雪舟なんか仕様がないぢやないか。写経なども菅家の真物はしまつておいて、悪い方を出してあるんぢやないか。」
「中将姫もあやしいもんだ。それよりか庭でも見よう。」
「さうね。」
四人は庭へおりて行つた。しかし庭は近年の急造にかゝるものなので、先祖伝来の美術品を見た目には、まるで比べものにならないほど、荒い感じのものであつた。ごろ/\した石が旱魃の川原のやうに乾ききつて、痛ましいほど荒れてゐた。勿論地震当時の避難場であつたことなども、風致を損つた重な原因だと思はれた。
「水のない町で庭を造らうとするのが、大体無意味だ。」晏は思つたが、それだけの庭でも、学校へ引渡されることは、悲劇であつた。
晏は、有つても無くても、むしろ保存に金がかゝつて、手数のたえない邪魔ものでしかない、それらの多くの骨董屑を、有象無象の商人共の前へ投りだしてしまつた、若い侯爵の現代並みな頭脳の好さに微笑まれたが、彼自身は多少骨董の目が肥えたほかに、芸術職人の悲哀を覿面《てきめん》に感じさせられた。
とにかく少し閑を得たいと思つたが、仕事が捗取らなかつた。彼は莫迦に気忙しかつた。旅行を空想することだけでも、頭脳が疲れた。庸一が来ても、どこへ連れて行きたいと思ふところもなかつた。
「K――市などから東京へ遊びにくるのは莫迦げてゐますね。この頃の東京ですから。」
晏はさう言つてゐた子供の言葉に同感であつた。自動車がないだけでも田舎は助かると思つた。強ち地震のためばかりではなかつた。年のせゐでもあつた。彼は全く憊《くたび》れてゐた。少しでも生活を逃げよう/\としてゐることが、自分にも善く判るのであつた。
昨夜も三時を聞くまで眠れなかつたので、今朝は頭脳が妙に萎え疲れて、目蓋が痛懈いやうであつた。そして庸一が出て行つてから、少し寝ようとしてゐるところへ、友人のK――氏が出入りの骨董屋の番頭と同伴でやつて来た。
「少し時間が早いやうだが、何うだね。」
「さうね、行きませうか。まあ一寸お上りなさい」
K――氏は書斎へとほつて、骨董屋を紹介した。骨董屋は叮嚀に「どうぞ宜しくお引立を……」とお辞儀をしたので、彼は擽《くすぐ》つたい感じがした。
K――氏は使つてもいゝ仕事の利潤以外の余裕ある時に、ちよい/\書画や骨董を買ひ入れるのを楽しみにしてゐたので、晏も色々なものを見る機会があつた。金のある大人は誰でも大抵女か骨董を翫ぶ。子供に翫具が必要であるとほりに、大人にも翫具が必要なのであるが、書画や骨董の道楽は、人間の私有慾を尤も極端に露骨に発揮したもので、晏の郷里などでは、町人は昔から金でもつてゐるのが不安なので、上から睨まれないやうに骨董で貯めておいた習慣が伝はつてゐて、今でも所蔵のお道具の多寡によつて、その家柄が軽重されるのである。骨董品に対する愛着ほど、拘《かゝ》はりの多い私有慾は恐らく外にないであらうと思はれるほど、凝り出すと病的になり易いものだが、K――氏の場合などでは、寧ろ趣味性の修養としてやつてゐるので、それを買ひ入れる主義にもほぼ系統が立つてゐる。晏の思ふところでは、書画や骨董は、百のうち九十まで贋物だと見るの斌至当で、一つの本物があれば百の贋物がそれについて産れ出てゐることは、いつの時代にも有りがちのことで、それが人間の私有慾の如何に執念ぶかいものであるかを証拠立てゝゐる。勿論贋物を買はうと思つて、千金を抛つものはない筈だが贋物を扱ふことが、寧ろ本当の商売だと公言したくらゐ徹底した書画商もあつて、一生贋物ばかり扱つてゐたと言ふから、私有慾さへ充たされゝば、盲目は盲目なりに贋物を弄んで楽しんでゐれば、それで十分結構なのである。商売人自身がわかつた顔をして、嵌めにくる贋物を買つて悦んでゐるところに、金持人種の人の好さがあるのである。実業家で読書人であるK――氏などにも、処世的にはひどく用心ぶかいところがありながら、骨董屋の乗ずる隙間が全くないとは言へないであらうが、選択が少し旋毛曲りであるほど時好的でない事だけは確かである。
晏は一時間ばかり見てくるつもりで袴などはいて家を出た。
「私の郷里の骨董界などでは、もつと好いものが出ると思つてゐたらしいんだが、何んなですか。」
「さいですな。もつと好いものもお有りでせうが、名物は相当にお出しになつてるやうで。」
「金がないからですか。」
「上り高で美術館をお立てになるとかで。」
そんな話をしながら、門をくゞつて行つた。門内は広々としてゐた。自動車が木蔭に幾台となく並んでゐた。晏たちは後から/\入つてくる自動車の揚げる砂塵をよけながら、玄関へ着いて、そこから右の廊下へ出て行くと、長いその廊下に、柳原の古着屋のやうに、綺羅美やかさに時代のいぶしのかゝつた能衣裳が、づらりと懸かつてゐた。それが尽きると又た能衣裳とお面と、裂などの陳列された部屋から部屋につづいてゐた。その中には金の重量で、ぽつとり持ち重りのする蜀江の錦とか、唐錦とかいふ希代の織物で作つたものもあつた。蓆のやうに手厚い硬い絽織などもあつた。その衣裳と面だけ見ても、昔しの大名の勢威のほどが想像されたが、刻苦してそれを作つた工人達の蒼白い顔も同時に想像された。晏は西陣の機織工場を見たことがあるので、現代では経済的生活では、高貴な織物の織れる織工が、次第に滅びて行くことを見せつけられてゐた。好い織物は、いかに鍛錬な織工でも、一日かゝりきりで、漸く二寸か三寸よりしか織れないのであつた。羽二重や縮緬などに比べて、上等の織物がいかに安いものであるかも知つてゐた。
いつか園遊会のあつたとき、節がちやうど五月だつたので、広い部屋一杯に、幾壇となく人形が飾られてあつた、その部屋へ入つて行くと、そこにはづらりと置きならべられた卓のうへに陳列した、瀬戸もの類に集つて、坐つて観賞してゐる人達がうよ/\してゐた。それらは大抵茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]とか茶入とか、又は香盒、※[#「てへん+曳」、第4水準2-13-5]溜、茶匙、建水、香煎入といつたお茶の道具であつた。天目や、高麗や、南京や、利休や、光悦や、仁清や、晏が名ばかり耳にして、滅多に作品に接する機会のなかつたやうな名品が、そのなかに見出された。骨董屋が時々説明を加へてくれた。
廊下には又た南蛮の壺や、梵貝《ぼんばい》や、釜や、炭斗や、花生、水差、燭台のやうなものの陳列があつた。
「この燭台はこの油受一つで、四五百円に買へる代物です。」骨董屋は子供の塗つたやうな絵具のかゝつた小さい皿を取りあげて笑つた。
それから又幾箇もの部屋を、晏は見てあるいた。そのなかには砂張りの火箸を、ひどく有難がつて、叮嚀に細工を観賞してゐる人達もあつた。
「この火箸は恐らく三千円では何うですか。」骨董屋は首を傾げてゐた。
K――氏は錆びついた手燭など取りあげて見てゐた。利休か誰かが使つたものだといふ、由緒がそれにも附いてゐた。
「電燈がきえたときなんか、ちよつと可いぢやないか。」K――氏は言つてゐた。
青銅の水差なども、K――氏の目を惹いた。
「書斎におくのに、このくらゐ大きいものでないとね。」
二階の広間には、一層珍品があつた。そして其の真中に青竹で囲ひの柵を結ひめぐらしたのが、幾十かの名物であつた。「この品をお手にお取りになるには一応札元へお断はり下さい。」そんな紙札が其処についてゐた。
「これが問題の餓鬼腹ですよ。」骨董屋はさう言つて、どす蒼い釉のかゝつた一箇の茶壺を示した。
「まあ四五万……喉によると十万台まで行きますかな。」
骨董屋の主人も来てゐて、先刻から二人でK――氏を案内してゐたのであつたが、K――氏の茶器には余り興味をもたないらしかつた。
一休の一行もの、松花堂の二幅対、雪舟、元信、尚信、大雅、竹田、それから多くの写経、刀剣、絵巻物、そんなものにも目を惹かれなかつたが、定家の小幅だけには、評価が下された。
それから夫へと見てゐるうちに、晏は襤褸屑の展観を見てゐるやうな気がした。事実多くの陳列のなかには、長いあひだに溜り/\して、棄てることもできず、仕舞つておいても困るやうな古反故のやうなものもあるのであつた。北野の縁起だとか、公卿達の短冊とか、源氏の写本とか、太閤の墨蹟とか言つたやうなものが、若しそれが通りの古本屋の店頭にでも曝されてゐたら、せい/″\古物ずきの好事家が、いくらかの零砕金で買つて行くくらゐの反故だとしか思へなかつた。勿論晏のやうな盲目にも、名品はやつぱり名品であつた。目にふれたり手にさはつたりするだけでも、たまらない感触の快さに耽けらずにはゐられない作品も、ざらにあつた。それらは悉く優れた芸術家の洗錬された感覚が産みだした逸品であつたが、かくも多くの餓利々々連の目に曝されて、三千円とか、一万円とか、乃至は五万十万と、小汚い札束で、そつちこつち引廻はされることを思ふと、寧ろ芸術の冒涜を感じるのであつた。芸術品はそれを産み出す芸術家に取つてのみの生命であつた。それを鑑賞しうるものに取つてのみ価格があるのであつた。
晏は株式か何かにたかつて来る人達のやうに、卑しい目を光らしてゐる群衆によつて、弄りまはされてゐるそれらの作品を、むしろ浅猿しく感じた。勿論その中には鑑賞の目の肥えた人達も多かつたが、市そのものゝ空気が可けないのであつた。
やがて四人で喫茶室へ入つて行つた。そこへ晏の知つてゐる、侯爵家の美術品の掛りの人の顔が見えた。
「ようこそ。」
「これで好いものは大概出た訳ですか。」
「いや/\、全然出ないものもあります。半分くらゐ出したものもあります。具足の種類は一つも出ません。刀剣はほんの片鱗ですが、能衣裳やお面は、先づ半分くらゐでせう。茶器はこれでまあ全滅といふ訳でせう。」
「さうですかね。」
「皆さんはお食事は……。」骨董屋はさう言つて、更に弁当を通した。
四人はやがて食堂へ入つて行つた。K――氏はそこで、目をつけておいたものゝ入札を約束した。
「どうも慾しいと思ふものはないね。」
「何しろ書画はあやしいものが多うござんすからな。」
「あの雪舟なんか仕様がないぢやないか。写経なども菅家の真物はしまつておいて、悪い方を出してあるんぢやないか。」
「中将姫もあやしいもんだ。それよりか庭でも見よう。」
「さうね。」
四人は庭へおりて行つた。しかし庭は近年の急造にかゝるものなので、先祖伝来の美術品を見た目には、まるで比べものにならないほど、荒い感じのものであつた。ごろ/\した石が旱魃の川原のやうに乾ききつて、痛ましいほど荒れてゐた。勿論地震当時の避難場であつたことなども、風致を損つた重な原因だと思はれた。
「水のない町で庭を造らうとするのが、大体無意味だ。」晏は思つたが、それだけの庭でも、学校へ引渡されることは、悲劇であつた。
晏は、有つても無くても、むしろ保存に金がかゝつて、手数のたえない邪魔ものでしかない、それらの多くの骨董屑を、有象無象の商人共の前へ投りだしてしまつた、若い侯爵の現代並みな頭脳の好さに微笑まれたが、彼自身は多少骨董の目が肥えたほかに、芸術職人の悲哀を覿面《てきめん》に感じさせられた。
三日たつて、彼はお加奈と一緒に、庸一と、庸一の義弟の鉱作とを銀座へつれ出した。芝居の切符は手に入りさうもなかつたし、女達が若し来るとすれば、二重になる虞《おそ》れがあつたので、芝居見物は見合すことにした。女達を呼びよせる筈の電報が、あれきりぐづ/\になつてゐた。
その日はちやうど開札の翌日であつた。晏はもう一度見ておきたいやうな気がしてゐたが、暇がなかつた。庸一や鉱作に聴くと、それらの骨董品の伝統や、特質や、位置や、評価がよく解るのであつたが、雪舟や蕭白の怪しい事や、晏が涎を垂らした赤絵の香煎入りなどの日本出来であることも、鉱作によつて確かになつた。何の品がどこへ落ちて行くかと云ふことなぞも、略ぼ見当がついてゐるやうであつた。
「東京の骨董屋さんは楽です。お客さまが皆んな一|廉《かど》見識家ぶつてゐますから、骨がをれんと言ふわけです。京都や国ではさうは行きません。骨董屋がお客を仕込むのだから、責任があります。尤も東京は書画屋さんばかりでしてね、私も東京にゐた時分、書画を少し手がけてみましたが、何うも趣味にあはんもんですから、ばか/″\しくなりましてね。」
鉱作の言ふところによれば、東京の骨董屋は大抵「ど盲目」であつた。
「何か取れさうですか。」晏はきいた。
「どうかして二三点手に入れたいと思つてゐますが、今度は好いお客が二三人はづれてゐますので、何の道お高いもの買へません。註文もありますし、嵌まりさうな品もありますけれど、行つて説明しなけあ解りませんものですから。往復に日がつぶれてしまひます。尤も忙しい思ひをして、それをやつてゐる人もありますけれど。」
晏は昨夜もお加奈と庸一と三人で、町へ出て、おそく帰つたのであつたが、何だか張合ひがなかつた。女連がくるか来ないかゞ未定だつたし、呼んでいゝか悪いかも、判断しかねた。やつぱり庸一たちが帰つてからにした方が好ささうに思はれた。お加奈に適当な理解をもたせるにも、いくらかの時日が必要であつた。それに此の月の芝居は、どこも出しものが悪かつた。女連に見せたいやうなものは一つもなかつた。
「それでもお前のゐるうちに呼ばうか。」
「いや、もう可うござんす。私が帰つて又たよく話をしますから。出てくるか何うかわかりませんよ。」
「でも折角来ようといふのだからね。こつちは少しも差閊へんのだから、ゆつくりして可いんだよ。」
「だからそんな大業でなく、気軽にいらつしやればいゝぢやありませんか。おかまひしません代りに、気楽にしてゐるやうに。」お加奈も言ふのであつた。
晏はその家のことを、時々お加奈にきかれて、然るべく説明してゐたが、お加奈には何うもはつきりしないらしかつた。
「事によると姉の方が庸一と関係があるのかも知れないよ。」晏は気安めを言つたりした。
「でも庸一さんの子があるといふのは……。」
「二番目の妹さ。」
「その人が来るんですの。」
「いや、それは余所へ師匠に出てゐる。その次の妹の、いつか話した宗匠の女が、姉と一緒に来たがつてゐるのさ。」
「それが一番末なの。」
「いや、青物問屋にひかされてゐるのが、一番末の妹だ。」
「づゐぶん多いんですね。そのお母さんといふのが、貴方がたと何うかした関係なの。」
「づつと以前はね。」
「人をしらないと、聞いたゞけでは判らないものね。」お加奈は牾かしさうに、目をぱち/\させたが、その人達に逢ひたい気も、十分動いてゐるのであつた。
「それあさうさ。お前の親類だつて、今におき僕にはわからない。」晏は笑つてゐた。
庸一が市に行つてゐる留守に、そんな話が時々出るのであつたが、庸一は庸一で、そつとお加奈の耳に入れてゐることもあるのであつた。
「おばゝが世話になつてゐるんですつて? 庸さんのお話ですけれど、それなら何んなにでもしなくちや。」お加奈は言つてゐた。
昨夜の散歩では、広小路で落語をきいたのであつて、帰りに何か食べてから、電車通りをぶら/\歩いてゐると、夜更けの町を、自動車がまだ侯爵家の門へ入つたり出たりしてゐた。更紗の風呂敷につゝんだ荷物を、うんと積んで行くのを見受けた。
「何うだつたかな、鉱作君は。」
「さあ、何か一つ二つ手に入ればいゝと思つてゐるんですが。」
家へ帰つてみると、鉱作はまだ帰つてゐなかつた。彼は一緒に来た人達が立つてから、宿を引払つて、昨夜から晏の家へ来てゐた。
「まだ遣つてゐると見えるの。品物をもつてくるのに、夜がふけて、大丈夫だらうか。」
「しかし皆な小さいものばかりですから。」
三人は茶の室で、お茶を飲んでゐた。
一時頃に鉱作が漸と帰つて来た。片手ではちよつと持切れないやうな箱の包みをぶら下げて、元気よく入つて来た。
「獲物がありましたね。」晏は微笑みかけた。
「いゝや、ほんのもう……。」鉱作は汗をふきながら座つた。
「しかし見込みははづれませんでした。百万円を突破しましたからな。」
「ふゝむ。」
「餓鬼腹が五万七千円、これあちよつと安うござんした。」彼はさう言つて、値段づけの目録を懐ろから取出して、目ぼしいものの価格を一つ/\読みあげた。
それから晏が覚えてゐる品物について、一々繰つて聞かせた。
「みんな売れたですか。」
「一つも残りません。」
「をかしなものだね。――拝見しようぢやないか。」晏がいふと、鉱作は荷物を引寄せて、風呂敷を釈いた。
初め出したのが、宗中の茶匙一つであつた。それが六百某であつた。それから呉器の茶碗が古い裂の袋を剥かれて、そこへ取出された。「これが紅葉出といふ奴でして、ちよつとまあ……。」鉱作はさう言つて、薄青赭くぼかされた釉薬を示した。
晏たちは交る/\手に取つて見た。
「成程ね。いくらです。」
「一千七百八十五円でしたか。」鉱作はさう言つて、大きな落札を三枚出した。
「これは私の道楽で、家へお土産です。」鉱作はさう言つて、瀬戸の茶入れを一つ、縞と模様との二つの古代更紗の替袋と一緒に、そこへ取出して並べた。箱も二重になつてゐた。それは五百幾十円かのものであつた。
「名物ものは何処へ行くか知ら。」
「みんな関西です。東京ではよう買ひません。しかし名物と其次ぎの品物とのあひだが、大分距離がありますんでね、我々にすれば、あの間にもつと好い代物があつてほしいんですけれど。あゝして見たところでは、寧ろ国の村井さんなぞの方に、筋の好いものがあります。」
晏たちはしばらく其の作品や、袋を弄つてゐた。
その翌日は一日家で話しこんで、銀座へ行つて飯を食つたのが、晩方であつた。
「もう二三日遊んだら何うです。儲かつたんだから。」晏は鉱作にすゝめた。
「いや、実は今朝の一番で帰らうと思つたんですけれど、つひ寝坊をしてしまつて。」鉱作はさう言つて、庸一に一緒に立つことを勧めた。
「去年は弱つてしまひました。庸一がまだ帰らないと言ふんで、おぢいさんが家へ来て大こぼしでした、何しろ三週間ですからね。」
庸一はにや/\笑つてゐた。
「しかしちよつと来られないから。」
「来たつて仕様がないからね。金をつかふなら、国で使つた方がいゝ。」
「東京もわるくない。」庸一はやつぱりにや/\しながら、猪口に親しんでゐた。
大酒呑みで、そして荒い金づかひであつた鉱作は、この二三年ぴつたり酒を口にしなくなつてゐた。郷里で晏と一緒に女を呼んだこともあつたが、アルコホルは一滴だも口へ入れなかつた。彼はサイダを飲んでゐた。
「感心ですね。」多勢の酒呑みを兄弟にもつたお加奈は心から感心したやうに言つた。
「それも子供があるからです。かうやつてゐても、子供が気にかゝつてなりませんのでね。一時は千円儲かれば千円つかふといふ風で……又た景気の好い時分は、金なぞ何でもありませんでした。少し持つてゐたものが、羽がはえて飛んで行くんですから。それを丸る儲けたやうな気になつて、今日は温泉だ、明日は芝居だといふもので、女を引率して暴れまはるんです。お蔭で町のお茶屋だけは、どこへ行つても顔の好いものです。今日日《けふび》となると、盆暮のお茶屋の払ひが、おとましくてならんのですさかえ。」
「しかし五百円のお土産を買つて行けるやうなら可いだらう。」
「まあさうです。いつかは又物になりますさかえ。しかし田舎は駄目です。もう少し修業して、東京で一旗揚げてみたいやうな気もしてゐますが、年寄りや子供が足手纏ひでしてね。」
そんな話をしてゐるうちに、余り親しみを感じなかつた、お加奈も、段々鉱作が解つて来たやうに思へた。
その日はちやうど開札の翌日であつた。晏はもう一度見ておきたいやうな気がしてゐたが、暇がなかつた。庸一や鉱作に聴くと、それらの骨董品の伝統や、特質や、位置や、評価がよく解るのであつたが、雪舟や蕭白の怪しい事や、晏が涎を垂らした赤絵の香煎入りなどの日本出来であることも、鉱作によつて確かになつた。何の品がどこへ落ちて行くかと云ふことなぞも、略ぼ見当がついてゐるやうであつた。
「東京の骨董屋さんは楽です。お客さまが皆んな一|廉《かど》見識家ぶつてゐますから、骨がをれんと言ふわけです。京都や国ではさうは行きません。骨董屋がお客を仕込むのだから、責任があります。尤も東京は書画屋さんばかりでしてね、私も東京にゐた時分、書画を少し手がけてみましたが、何うも趣味にあはんもんですから、ばか/″\しくなりましてね。」
鉱作の言ふところによれば、東京の骨董屋は大抵「ど盲目」であつた。
「何か取れさうですか。」晏はきいた。
「どうかして二三点手に入れたいと思つてゐますが、今度は好いお客が二三人はづれてゐますので、何の道お高いもの買へません。註文もありますし、嵌まりさうな品もありますけれど、行つて説明しなけあ解りませんものですから。往復に日がつぶれてしまひます。尤も忙しい思ひをして、それをやつてゐる人もありますけれど。」
晏は昨夜もお加奈と庸一と三人で、町へ出て、おそく帰つたのであつたが、何だか張合ひがなかつた。女連がくるか来ないかゞ未定だつたし、呼んでいゝか悪いかも、判断しかねた。やつぱり庸一たちが帰つてからにした方が好ささうに思はれた。お加奈に適当な理解をもたせるにも、いくらかの時日が必要であつた。それに此の月の芝居は、どこも出しものが悪かつた。女連に見せたいやうなものは一つもなかつた。
「それでもお前のゐるうちに呼ばうか。」
「いや、もう可うござんす。私が帰つて又たよく話をしますから。出てくるか何うかわかりませんよ。」
「でも折角来ようといふのだからね。こつちは少しも差閊へんのだから、ゆつくりして可いんだよ。」
「だからそんな大業でなく、気軽にいらつしやればいゝぢやありませんか。おかまひしません代りに、気楽にしてゐるやうに。」お加奈も言ふのであつた。
晏はその家のことを、時々お加奈にきかれて、然るべく説明してゐたが、お加奈には何うもはつきりしないらしかつた。
「事によると姉の方が庸一と関係があるのかも知れないよ。」晏は気安めを言つたりした。
「でも庸一さんの子があるといふのは……。」
「二番目の妹さ。」
「その人が来るんですの。」
「いや、それは余所へ師匠に出てゐる。その次の妹の、いつか話した宗匠の女が、姉と一緒に来たがつてゐるのさ。」
「それが一番末なの。」
「いや、青物問屋にひかされてゐるのが、一番末の妹だ。」
「づゐぶん多いんですね。そのお母さんといふのが、貴方がたと何うかした関係なの。」
「づつと以前はね。」
「人をしらないと、聞いたゞけでは判らないものね。」お加奈は牾かしさうに、目をぱち/\させたが、その人達に逢ひたい気も、十分動いてゐるのであつた。
「それあさうさ。お前の親類だつて、今におき僕にはわからない。」晏は笑つてゐた。
庸一が市に行つてゐる留守に、そんな話が時々出るのであつたが、庸一は庸一で、そつとお加奈の耳に入れてゐることもあるのであつた。
「おばゝが世話になつてゐるんですつて? 庸さんのお話ですけれど、それなら何んなにでもしなくちや。」お加奈は言つてゐた。
昨夜の散歩では、広小路で落語をきいたのであつて、帰りに何か食べてから、電車通りをぶら/\歩いてゐると、夜更けの町を、自動車がまだ侯爵家の門へ入つたり出たりしてゐた。更紗の風呂敷につゝんだ荷物を、うんと積んで行くのを見受けた。
「何うだつたかな、鉱作君は。」
「さあ、何か一つ二つ手に入ればいゝと思つてゐるんですが。」
家へ帰つてみると、鉱作はまだ帰つてゐなかつた。彼は一緒に来た人達が立つてから、宿を引払つて、昨夜から晏の家へ来てゐた。
「まだ遣つてゐると見えるの。品物をもつてくるのに、夜がふけて、大丈夫だらうか。」
「しかし皆な小さいものばかりですから。」
三人は茶の室で、お茶を飲んでゐた。
一時頃に鉱作が漸と帰つて来た。片手ではちよつと持切れないやうな箱の包みをぶら下げて、元気よく入つて来た。
「獲物がありましたね。」晏は微笑みかけた。
「いゝや、ほんのもう……。」鉱作は汗をふきながら座つた。
「しかし見込みははづれませんでした。百万円を突破しましたからな。」
「ふゝむ。」
「餓鬼腹が五万七千円、これあちよつと安うござんした。」彼はさう言つて、値段づけの目録を懐ろから取出して、目ぼしいものの価格を一つ/\読みあげた。
それから晏が覚えてゐる品物について、一々繰つて聞かせた。
「みんな売れたですか。」
「一つも残りません。」
「をかしなものだね。――拝見しようぢやないか。」晏がいふと、鉱作は荷物を引寄せて、風呂敷を釈いた。
初め出したのが、宗中の茶匙一つであつた。それが六百某であつた。それから呉器の茶碗が古い裂の袋を剥かれて、そこへ取出された。「これが紅葉出といふ奴でして、ちよつとまあ……。」鉱作はさう言つて、薄青赭くぼかされた釉薬を示した。
晏たちは交る/\手に取つて見た。
「成程ね。いくらです。」
「一千七百八十五円でしたか。」鉱作はさう言つて、大きな落札を三枚出した。
「これは私の道楽で、家へお土産です。」鉱作はさう言つて、瀬戸の茶入れを一つ、縞と模様との二つの古代更紗の替袋と一緒に、そこへ取出して並べた。箱も二重になつてゐた。それは五百幾十円かのものであつた。
「名物ものは何処へ行くか知ら。」
「みんな関西です。東京ではよう買ひません。しかし名物と其次ぎの品物とのあひだが、大分距離がありますんでね、我々にすれば、あの間にもつと好い代物があつてほしいんですけれど。あゝして見たところでは、寧ろ国の村井さんなぞの方に、筋の好いものがあります。」
晏たちはしばらく其の作品や、袋を弄つてゐた。
その翌日は一日家で話しこんで、銀座へ行つて飯を食つたのが、晩方であつた。
「もう二三日遊んだら何うです。儲かつたんだから。」晏は鉱作にすゝめた。
「いや、実は今朝の一番で帰らうと思つたんですけれど、つひ寝坊をしてしまつて。」鉱作はさう言つて、庸一に一緒に立つことを勧めた。
「去年は弱つてしまひました。庸一がまだ帰らないと言ふんで、おぢいさんが家へ来て大こぼしでした、何しろ三週間ですからね。」
庸一はにや/\笑つてゐた。
「しかしちよつと来られないから。」
「来たつて仕様がないからね。金をつかふなら、国で使つた方がいゝ。」
「東京もわるくない。」庸一はやつぱりにや/\しながら、猪口に親しんでゐた。
大酒呑みで、そして荒い金づかひであつた鉱作は、この二三年ぴつたり酒を口にしなくなつてゐた。郷里で晏と一緒に女を呼んだこともあつたが、アルコホルは一滴だも口へ入れなかつた。彼はサイダを飲んでゐた。
「感心ですね。」多勢の酒呑みを兄弟にもつたお加奈は心から感心したやうに言つた。
「それも子供があるからです。かうやつてゐても、子供が気にかゝつてなりませんのでね。一時は千円儲かれば千円つかふといふ風で……又た景気の好い時分は、金なぞ何でもありませんでした。少し持つてゐたものが、羽がはえて飛んで行くんですから。それを丸る儲けたやうな気になつて、今日は温泉だ、明日は芝居だといふもので、女を引率して暴れまはるんです。お蔭で町のお茶屋だけは、どこへ行つても顔の好いものです。今日日《けふび》となると、盆暮のお茶屋の払ひが、おとましくてならんのですさかえ。」
「しかし五百円のお土産を買つて行けるやうなら可いだらう。」
「まあさうです。いつかは又物になりますさかえ。しかし田舎は駄目です。もう少し修業して、東京で一旗揚げてみたいやうな気もしてゐますが、年寄りや子供が足手纏ひでしてね。」
そんな話をしてゐるうちに、余り親しみを感じなかつた、お加奈も、段々鉱作が解つて来たやうに思へた。
翌日は二人で庸一の弟をたづねた。そのあひだに、お加奈は晏の兄の家と、庸一と鉱作の妻への土産ものなどを調へるのに忙しかつた。庸一はどこか飽足りなさうであつたけれど、晏もお加奈も余り引留めないことにした。
「鉱作さんの方が兄いさんのやうですね。二三子さんにはまだ逢はないけれど、好いお亭主をもつて仕合せですね。それに気象がさつぱりしてゐますよ。その代りあんな人は損だ、お国自慢するから奢られなくなつてしまふ。」
「さうさ、あれは奢らされる方でね。」晏も苦笑してゐた。
「だけど庸一といふ人も、ちよつとも癖のない好い人ね。」
夕方になつて、帰るとすぐ二人は立つた。晏は帰つたら直ぐ女連に逢ふやうに、庸一に言ひつけた。
「来るか来ないか、すぐ電報で知らしてくれ。」
晏は念を入れた。[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年6月「中央公論」)
「鉱作さんの方が兄いさんのやうですね。二三子さんにはまだ逢はないけれど、好いお亭主をもつて仕合せですね。それに気象がさつぱりしてゐますよ。その代りあんな人は損だ、お国自慢するから奢られなくなつてしまふ。」
「さうさ、あれは奢らされる方でね。」晏も苦笑してゐた。
「だけど庸一といふ人も、ちよつとも癖のない好い人ね。」
夕方になつて、帰るとすぐ二人は立つた。晏は帰つたら直ぐ女連に逢ふやうに、庸一に言ひつけた。
「来るか来ないか、すぐ電報で知らしてくれ。」
晏は念を入れた。[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年6月「中央公論」)
底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「中央公論」
1925(大正14)年6月
初出:「中央公論」
1925(大正14)年6月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
1999(平成11)年3月18日初版発行
底本の親本:「中央公論」
1925(大正14)年6月
初出:「中央公論」
1925(大正14)年6月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ