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夜の辛夷

最終更新:2019年11月01日 05:19

harukaze_lab

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夜の辛夷
山本周五郎

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)日昏《ひぐ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|帖半《じょうはん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#6字下げ]
-------------------------------------------------------

[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]

 お滝が初めて元吉を客にとったのは、十二月十八日の晩であった。
 その日はふしぎなほど客がなく、四人いる女たちのうち、しげる[#「しげる」に傍点]だけにたった一人、老人の客がついただけだった。十二月中旬といえば一年じゅうでもっともひまな時期の一つであるが、この権現前でも、「吉野」の店でそんなことは珍しく、おまけに日昏《ひぐ》れがたから雨になったので、稀《まれ》にぞめきの一人でも来れば、両側の店から女たちがとびだして、力ずくの奪いあいにもなりかねないありさまだった。
 夜の十一時ちょっと過ぎ、――
 じめじめした土間に立って、雨をよけながら客を待っていると、傘もささず、半纒《はんてん》を頭からかぶり、ふところ手をした彼が通りかかってこっちを見た。
 そのときお滝といっしょに、ともえ[#「ともえ」に傍点]とお若がいて、彼に呼びかけた。お若は十八、ともえ[#「ともえ」に傍点]は十七歳で、二十四になるお滝とは年もはなれていたし、二人とも売れるさかりだから(縹緻《きりょう》はともかく)髪化粧もちゃんとしていたし、着物や帯もあくどいほど派手な、めだつものを着けていた。――お滝は彼を眼でとらえた。ものを云わずに黙って、上眼づかいにみつめて、その眼をすばやくそっと伏せるのである。彼はその眼にとらえられ、まっすぐにお滝のほうへ来た。ともえ[#「ともえ」に傍点]やお若のほうは見もしなかった。お滝はまた上眼づかいに彼を見て、「あたしお滝っていうのよ」といった。
 彼は頷《うなず》いて土間へはいった。
 お滝は彼の雪駄《せった》(それはびどく濡れていたが)を持ってあがり、奥の四|帖半《じょうはん》へみちびいていった。うしろでともえ[#「ともえ」に傍点]とお若が、低く、するどく罵《ののし》るのが聞えた。
「泊ってって下さるわね」
 雪駄を片づけながら、お滝が訊《き》いた。彼は立ったまま「うん」といい、窓のところへいって、障子をあけた。そこは雨戸が閉っていた。
「こっちが権現さまか」と彼が訊いた。
「ええそうよ」とお滝がいった、「あけましょうか」
 彼は「うん」といった。
 お滝は立っていって雨戸をあけた。三尺おいて板塀《いたべい》があり、その向うに根津権現の樹立がまっ黒に、のしかかるようにまぢかにみえ、雨が降りこんで来た。「寒いわ」とお滝がいってそっと彼により添った。
「ねえ、本当に泊って下さるの」
 彼は「うん」といいながら、雨戸と障子を閉めた。「うれしいわ」といいながら、お滝は彼の胸にもたれた。そこは濡れて冷たかった。お滝は、「いま火を持って来るわね」といい、行燈を明るくしておいて部屋を出た。
 火のおこっている火鉢を運び、それから、浴衣と丹前を重ねた寝衣《ねまき》を持って来た。
「火鉢なんか持って来ていいのか」
「ほんとうはこの土地ではいけないんだけれど、あなた濡れてらっしゃるんですもの」とお滝は寝衣の衿《えり》のところを火鉢にかざしてから、「さ、着替えましょう」と立ちあがった。
 彼は二十八、九にみえた。眼にちょっと険はあるが、おもながの尋常な顔だちで、痩《や》せがたの肉のしまった、敏捷《びんしょう》そうな躯《からだ》つきをしていた。青梅縞の素袷《すあわせ》に、黒襟《くろえり》のかかった双子唐桟の半纒。そして寸の詰った角帯という、職人らしい恰好をしていたが、どこかしら、こんな権現前の岡場所などに来る人柄とは、違ったところが感じられた。
 お滝は「好きだわ」と云いながら、より添って、彼の腰へ手をやった。なんだ、と彼はその手をよけた。帯を解いてあげるのよ。いいよ、と彼は自分で帯を解き、「済まないが寝床を二つとってくれ」と宏った。あらどうして、とお滝は彼を見た。あたしが嫌いなの。そうじゃない、癇性《かんしょう》でそうしなければ眠れないんだ。あらいやだ、あなた眠るためにいらっしたの。うん、今夜は眠りたいんだ。そう、とお滝は彼の顔をみつめ、ほかに意味のないことを認めてから「いいわ」といって、彼の脱いだ物を衣紋竹に掛けた。
 彼は南鐐《なんりょう》を一枚出した。寝床を二つ敷かせるからだという、お滝はすなおに受取った。この土地でそんな代銀を出す客は少ないが、お滝はそういうけぶりもみせずに受取った。
 寝床を敷くと、彼は窓のほうに敷いたのへはいった。お滝は掛け蒲団を直してやりながら、あたしいくつにみえて、と訊いた。
「わからないな」と彼はいった、「おれには女の年はまるでわからないんだ」
「あたし十七、――」とお滝が云った。
「うん」と彼は眼で頷いた、「そのくらいだと思ったよ」
「でも老けてみえるでしょ」
「じみづくりだからな」と彼がいった、「でもおれにはちょうどそのくらいにみえるよ」
 お滝は「うれしいわ」と微笑し、掛け蒲団の上からそっと彼に抱きついた。彼はじっとしていた。お滝は本当に十七という年に返ったような気持で、身動きもしない彼をやや暫くそうやって抱いていた。
 その夜、彼はお滝を近よせなかった。お滝のほうでも、いつものようにしいることができず、やっぱりあたしが嫌いなのねと、怨みを云うのが、精いっぱいであった。
「嫌いなら泊りゃしない」と彼はいった。
「おれはこんな性分なんだよ」
 あくる朝、彼を送り出すとき、お滝は「もういらっしゃらないわね」といった。彼はひと言「来るよ」といい、まだ降り足りなそうな、陰気に曇った空を見あげ、そしてこちらは見ずに去っていった。
 ――もう来ないかもしれない。
 とお滝は思った。
 だが、その夜また、彼は来た。
 お滝には彼の来るまえに客が三人あり、一人は「泊り」であった。ちょうど根岸の政次に呼びだされ、店さきで話していると、向うから彼が来てすっと店へはいった。あんまり思いがけなかったので、お滝はどきりとし、すぐには声もだせなかった。彼は硬ばったような顔で、去ってゆく政次のうしろ姿をみつめ、すぐにその眼をそらしながら、上へあがった。
 奥の四帖半は「泊り」の客でふさがっていた。お滝は二つ目の三帖へ案内したが、持ってあがった(彼の)雪駄を片づけるのも忘れるほど、気がうわずっていた。
「堪忍してね」とお滝はいった、「今夜はまだ奥が塞《ふさ》がっているのよ」
 彼は「いいよ」といった。
 行燈に火をいれ、火鉢を運んでから、「待っていてちょうだいね」とささやいて、お滝はその都屋を出た。

[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]

 他の二人の客を帰し、「泊り」の客を寝かせるまで、お滝は三度も彼の部屋へゆき、茶をいれ替えたり、火鉢に炭をついだりした。
「これでもうゆっくりできるのよ」
 泊り客を寝かせて来てから、お滝はそういって彼の眼に微笑《ほほえ》みかけた。ちょっとお茶漬をたべて来ますからね。気にしないでいいよ、と彼はいった。おれは先に寝ているから、済まないがまた寝床を二つ敷いてくれ。あら今夜も。うん、おれはいつもそうなんだ。つまらない、それじゃあ、あたしつまらないわ。いいから二つ敷いてくれ、おれは眠りたいんだ。彼はそういって、また南鐐を一つそこへ出した。きげんを悪くしたようすはない。本当にそれが望みらしいので、お滝は云われるままにした。三帖に寝床二つは無理で、頭と足とが片方は板壁、片方は隣りの三帖の襖《ふすま》へと、きっちり、いっぱいになった。
「ではちょっとね」お滝は彼のぬいだ物を片づけながらいった、「すぐに来るから待っててちょうだい、眠ってはいやよ」
 彼は「うん」といった。
 時刻は十二時を過ぎていた。帰した二人の客のあとを片づけ、内所へいって茶漬を喰《た》べた。女主人のおはま[#「はま」に傍点]は宵のうちに旦那が来て、そのときはもう寝ていたし、しげる[#「しげる」に傍点]には「泊り客」があり、ともえ[#「ともえ」に傍点]とお若の二人が、四、五人ずつ客をこなしたあとで、長火鉢にしがみつき、駄菓子をつまみながら、なにかぼそぼそ話していた。
「そうよ、それが人情ってもんよ」とお若がいった。「誰だって泥棒や強盗なんかしたくはないわ、暮しに困って、ほかにどうすることもできないからするんじゃないの」
「あたしたちだって好きこのんでこんなしょうばいをしてるんじゃないわ」とともえ[#「ともえ」に傍点]がいった、「親きょうだいのためとか、そうでなくっても、のっぴきならないわけがあって、それに死ぬようなおもいで身を沈めたんだわ、どっちもめぐりあわせが悪かったんだし、日蔭者っていうことでは同じようなもんじゃないの」
「それを訴人するひとがいるんだからね」とお若がいった、「おんなじ日蔭者で、どっちも世間から爪はじきされてる人間じゃないの、そうとわかっても、庇《かば》ってやるのが人情ってもんだわ」
 お滝は喰べ終った箸《はし》と茶碗を置き、「ちょいと」と二人に呼びかけた。
「その話はあたしにあてつけかい」
「さあどうかしら」とお若はそっぽをむいた。
「あの根岸の政っていう人が岡っ引で、誰かがその手先で、兇状《きょうじょう》持ちが来ると密告する、っていうことを聞いたから、その話をしていただけだわ」
「しらばっくれるのはおよしよ、あたしにあてつけてるってことぐらい、わからないような唐変木じゃないんだから」
「あらそう」とお若がいった、「それじゃあ、あれはお滝|姐《ねえ》さんのことだったの」
「そうだったらどうだっていうのさ」とお滝はやり返した、「いかにもあたしはやっているよ、政さんに頼まれなくったって、兇状持ちだとわかれば訴人するよ、悪い人間は悪い人間なんだ、仕事がない、食うに困る、暮してゆけないからって、誰も彼もが泥棒や強盗になるかい、人をぺてんにかけたり、かっぱらいや押し込みをするような人間をあたしは知っているし、そういう人間から煮え湯をのまされたこともある、いまでも忘れやしない、生涯忘れることはでぎないだろう、ああ、忘れるもんか」とお滝は声をふるわせた。
「ぺてんにかけられたり、盗まれたりして、泣いている者が世間にはうんといるんだ、そういう人たちのためにだって、兇状持ちだとみたら指してやる、これからだって遠慮なく指してやるよ」
「仰しゃることはご立派だわ」とお若もふるえながらいった、「でもそんなご立派な気持なら、どうしてお金なんか貰うの」
「お金がどうしたって」
「ひとり訴人するたびに、根岸の政っていう人からお金を貰うんでしょ、きれいな口をきいたって知ってるんだから」
「それがどうしたのさ」お滝の目じりがつりあがるようにみえた、「あたしが金を貰うことが、あんたになにか関係でもあるのかい」
「きれいな口を、ききなさんなってのよ」と、お若がどなった、「人をぺてんにかけるとか、煮え湯をのませるとか、盗むとか、他人の悪いことばかり数えたてるけれど、自分はいったいどうなのさ、御自分は、へっ二十四の大年増で五つになる隠し子まであるのに、ちりめん皺《じわ》を紅白粉《べにおしろい》で塗り隠し、妙ないろ眼を使って十七になります」とお若は誇張した声色でいった、「あたし十七よ――そうやって罪のない客を騙《だま》して、しぼるったけしぼりあげ、おまけに岡っ引の手先までして金を稼《かせ》いでいるじゃないの、これはぺてんじゃないんですか、人を騙すんでも煮え湯をのませるんでもないんですか、自分のことを棚にあげて、あんまりえらそうな口をきかないほうがいい、知ってる者はみんな知ってるんだから」
 お滝は蒼《あお》くなり、怒りのために舌が動かなくなった。彼女は言葉に詰った。お若をひと言で抑えられる言葉がない。お若の云ったことは事実であり、誰が聞いてももっともだと思うだろう。だがそれは事の表面だけだ。「知っている者は知っている」というけれども、本当のことはその当人だけにしか、わかりはしない。お滝はそういいたかった。「いいわよ」とお滝は吃《ども》りながら頷いた。
「いいわよ、なんとでもおいいな」と彼女はいった、「ただね、あんたは十八であたしは二十四、あんたは売れるさかりだし、あたしはもう付く客も少ない、あんたには係累がないけれど、あたしには子供がある、……これだけの違いを覚えといてちょうだい」
「ふん、話をそらすわね」とお若はせせら笑いをした、「覚えとくとご利益でもあるの」
「若ちゃん」とそばからともえ[#「ともえ」に傍点]がいった、「もういいじゃないの、やめてよ」
「ご利益があるかないか知らないよ」とお滝がいった、「けれど、あんたもいつまで十八でいやあしない、いつかいちどは二十四になるんだ、そのうち男に騙されて子供を産み、親きょうだいにはつきあってもらえず、男には棄てられて、産んだ子を育てるために身を売るようになってごらん、本当のことを知っているかどうか、そのときになればよくわかるよ」
「あたしがそんなとんまなことをすると思うの」
「それは二十四になってから聞こうよ」とお滝はいった、「あたしは自分の子を育てるためならなんでもする、紅白粉で皺も隠すし、必要があれば年もごまかす、あたしが騙すんじゃなく、客のほうで騙されに来るんだ、ひと夜のなさけだって、なさけのうちさ、二十四というより十七というほうがよければ、十七のような気持になって楽しませる、誰のものをくすねるんでもない、自分の躯を売ってるんだ、自分の躯をだよ」お滝の眼から涙がこぼれた。
「こんなことになったのも、悪いやつに騙されたからだ、あたしは男が憎い、悪いことをするようなやつはもっと憎い、誰がなんといおうと、兇状持ちとみたら、これからだって指してやる、ああきっと指してやるさ」
 お滝は膳《ぜん》をそのままにして立ち、涙を拭きながら内所を出ていった。
「へっ、たいそうおだ[#「おだ」に傍点]をあげたね」
 というお若の声が、うしろで聞えた。

[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]

 部屋へいってみると、彼は眠っていた。
 お滝は低い声で、三度ばかり呼んでみたが、彼はちょっと唸《うな》って寝返ったまま、起きるようすがなかった。お滝は着替えもせずに自分の寝床へはいり、冷たい掛け蒲団をかぶって、しばらく泣いていた。――泣きねいりに眠ったらしい。明けがたに眼がさめたので、そっと彼の寝床へすべりこんだ。しかし、彼は、すぐに眼をさまし、お滝の手と足から巧みに身をそらして、静かに「よせよ」とささやいた。お滝は「いや」といってかじりついたが、彼はその手と足を抑えつけて、どうしても自由にさせなかった。
 どうしてなの、なにかわけがあるの、とお滝はあえぎながら訊いた。わけなんかない、こういう性分だっていったろう、と彼は低く囁《ささや》いた。いまはいやだ、もっとよく馴染んでからだ。本当にそれでいいの。うん。それまではどうしてもだめなの。諄《くど》いのは嫌いだ、と彼はいった。さあそっちへいって寝てくれ、もうひとねいりしよう。
 お滝は自分の寝床へ戻った。
 ――馴染みになる客ではない。
 お滝は心のなかで呟《つぶや》いた。すると、お若との口争いがまた頭にうかんできて、もう自分もまもなく客が付かなくなるだろう、そうなったらどうして子供を育てたらいいのか、などと思い、里子にやってある子のひよわなことまでが、悲しい将来を暗示するようでいかにもはかなく、やるせないようなおもいに、胸を緊めつけられるのであった。
 お滝の想像はまた外れて、彼は金ばなれのいい、馴染み客になった。
 そのあと続けて三度来たし、それからのちも五日と来ないことはなかった。代銀は南鐐ときまっていたし、いちどなどは一分くれたこともあった。これでは多すぎるというと、笑って、「ちょっと目が出たんだ」などというふうであった。
 寝床をべつにすることは相変らずで、そのために、却《かえ》ってお滝は情がうつり、彼の見る前では着替えをするのも恥ずかしいような気持になっていった。
 彼は口の重い性分らしく、自分からは何もいわないが、お滝が訊けばすなおに(なんでも)話した。彼の名は元吉で年は二十七、うちは外神田で大工をしていた。父親は手間取りからしあげて、棟梁《とうりょう》株にまでなったが、一人息子の彼はわがままいっぱいに育ち、十五、六から博奕《ばくち》を覚えて、すっかりぐれてしまった。
「いまでもぐれっ放しなの」
「まあね」と彼は唇で笑った、「まあ、そんなもんだろうね」
 そのときお滝は、なんて淋しい笑いかただろうと思った。
 それから幾夜か経って、早くお嫁さんをもらって御両親を安心させるのねというと、彼はしばらくまをおいて「手おくれだよ」といった。
「おやじは五年まえに死んじまった」
「亡くなったの」
「うん」と彼はいった、「首をくくってね」
「ばかなこと云わないで」
「本当さ」と彼は無感動にいった、「本当に首をくくって死んだんだ」
 お滝は息をひそめた。
 彼の父親は大きな建築を請負った。今川橋の山城屋という呉服商が、京橋二丁目に新しく店を建てる。土蔵付きで、総工費千二百両あまりの工事だった。彼の父親には荷の勝つ仕事だが、仕上げれば棟梁としての幅がひろくなる、組合の役付きにもなれるだろう、それで無理をして請負った。山城屋は京都の出で、それだけの普請に手金を一割しか出さなかった。彼の父親は百方借りをして、ようやく壁を塗り終るとこちまでこぎつけた。そしてある夜、それが火事で全焼した。殆んど普請は終っていた、錺屋《かざりや》の仕事が少し残っているだけだったが、きれいさっぱりまる焼けになってしまった。
 原因はわからなかった。錺屋の職人の不始末と思われるが、証拠はなかった。また一方では、その工事をせりあった相手の大工がやったのだ、という噂《うわさ》もあった。これも噂だけのことでどうにもならない。材木屋をはじめ建具屋、左官、屋根屋など、借りた銀子をべつにしても、支払わなければならない金を山と背負った。これらの支払いができなければ、御府内ではもう大工の職は立たない。しかも、山城屋までが渡した手金の返済を求めて来た。
「おやじは気の好い、くそまじめな性分だった」と彼は云った、「手間取りから叩きあげて、いちおう棟梁といわれるようになり、もうひとのしというところだった、……だがそこで足をすくわれた。くそまじめな性分だから、借金を棄てて逃げることもできなかったんだろう、五年まえの十月、うちの裏にあった木小屋で、――」
 彼はそこで口をつぐんだ。
 お滝は黙ったまま、そっと手を伸ばして彼の夜具の中をさぐり、彼の手を捜してそっと握った。彼の手は握られたまま、力のぬけたように動かなかった。
「そしてお母さんは」とお滝が訊いた。
「もうやめだ」と彼は頭を振った、「こんな話はたくさんだ、寝よう」
「そっちへいってはいけなくって」
「おやすみ」
 彼は握られた手を放して、窓のほうへ寝返りをうった。
 こういう岡場所では女の出替りが早い、正月のうちにしげる[#「しげる」に傍点]とお若が「くら替え」してゆき、代りに二人の女がはいって来た。一人は二十二になるおしま[#「しま」に傍点]、一人はともえ[#「ともえ」に傍点]と同じ十七歳で、おしま[#「しま」に傍点]が「しげる[#「しげる」に傍点]」をなのり、十七歳のほうが「お若」となった。
 まだ九時ころだったが、根岸の政次が来たので、端の三帖で話していると、「お滝姐さん」と呼ぶともえ[#「ともえ」に傍点]の声がした。障子はあけてあるので、覗《のぞ》いてみると彼であった。お滝はすぐに立って、奥の四帖半へ彼を案内し、茶を出しておいて政次のところへ戻った。
「あの客はよく来るな」と政次がいった、「素姓はわかっているのか」
「おとなしい人よ、大工さんの息子ですって」
「大工って柄じゃねえぜ」
「ええ、お父っつぁんが大工で、あの人はぐれちゃったんですってさ」
 お滝は元吉から聞いた話をした。
 政次は退屈そうに聞いていたが、やがて煙管《きせる》をしまって立ちあがった。
「いい客らしいな」と政次はいった、「逃げられねえように大事にしてやれよ」
 そして彼は帰っていった。

[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]

 その夜は客が多く、ひけたのは十二時すぎであった。
 茶漬を喰べるのもそこそこに、着替えをして四帖半へゆくと、彼は着たまま寝床の上へ仰向けになり、障子のあけてある窓の、外のほうを眺めていた。
「あら、あけっ放しなんかで、風邪をひくわよ」
「あの花はなんだ」と彼が訊いた。
 お滝は「どれ」といいながら、裾のほうをまわって窓際へいった。少し暖かすぎる晩だったけれど、十二時をすぎたので、さすがに気温が下り、窓際に立つと寒いくらいだった。板塀の向うを見ると、まっ暗な樹立の中に、高く、ほのかに白く、ぽつぽつと咲きだしている花があった。
 あの白いの、とお滝が訊き返した。うん、と彼はいった。あれはね、ええと、知ってるのよ、ええと、なんていったかしらね、ここまで出ているんだけれど。木蓮《もくれん》か、と彼が訊いた。いいえ、違うの、花はちょっと似ているけれど違うのよ、いま思いだすわ、とお滝は衿を合わせながらいったの閉めてもいいわね、それともあけておくの。もういい、閉めてくれ、と彼は顔をそむけた。お滝は窓を閉めてから、寝衣を取って彼に着替えさせたが、彼の眼が濡れているのでびっくりした。
「どうしたの」とお滝は彼を見あげた、「なにかあったの」
 彼は首を振り、隣りの襖のほうへ手をやった。お滝はそっちを見て、そして頷いた。
「なにか聞いたのね」
「泣かされたよ」と彼は寝床へはいった、「聞くまいと思っても唐紙一重だからな」
「先月来たおしま[#「しま」に傍点]さんよ」とお滝は彼のぬいだ物を片づけながら云った、「お茶をいれ替えて来ましょうか」
 彼は「もういい」と首を振り、「客は亭主らしいな」と云った。お滝も自分の寝床へはいり、彼のほうを見た。
「芝の神明から移って来たのよ、ずいぶんいりくんだわけがあるらしいわ」
「客は亭主らしいんだ」と彼はまたいった。
「まだやっている、聞えるだろう」
 お滝は黙って頷いた。
 あたりが鎮まってきたし、襖一重のことで、隣りの話はよく聞えた。男の声は低く、女は鳴咽《おえつ》していた。
「いっしょに暮せるなら、どんな苦労でもいとわないわ」と女がいった。
「いっしょに暮したいわ、あんたといっしょに、ねえ、お願いだからいっしょに暮せるようにして」
 男は返辞をしなかった。
「二人で世帯を持ったのは一年足らずだわね、楽しかったわ、仲のいい御夫婦だって、長屋の人たちによくからかわれたわねえ」そして女はその思い出に酔う。近所にいた誰それのこと。棗《なつめ》の樹。井戸替えの騒ぎ。向う隣りの浮気で人の好い巫女《いちこ》。……そしてまた女は啜《すす》り泣く。「いま思うと夢のようだわ、運が悪いといえばそれっきりだけれど、もう二度とあんなふうに暮すことはできないのかしらねえ、あたしたちもうだめなの」
 男がなにか答える、しかし、その声はあまりに低く弱々しいので、言葉は少しも聞きとれなかった。
「氷川さまから神明前」と女は続けた、「この根津でもう三度めよ、あんたのためだからいやだとは思わないけれど、こんなことをしていたら躯がだめになりそうだわ、いちばん辛いのは、客を取って寝るときなの、そういうときになると、きまってあんたのことが思いだされるのよ、あんたに済まない、悪いことをするような気がして、辛くって、とても辛抱できないことがあるわ」
 男が「勘弁してくれ」という。みんなおれが悪いんだ、もうそんなことを云わないでくれ、いまにきっとどうにかするから、と男は弱々しく云う。女は聞いていないらしい、まるでうたうように鳴咽しながら、「ねえ、いっしょに暮したいわ」と繰り返す。
「あんたといっしょに暮せるなら、あたしどんな苦労でもするわ、土方でも人足でもなんでもしてよ」と女はいう、「お願いよ、ねえ、お願いだから、いっしょに暮せるようにしてちょうだい、あたしもう辛抱が続かないわ」
「おれだってつらいんだ」と男がいう、「いっしょに暮したいのはおれのほうだ、それがいまできないことは知っているじゃないか」
「ああ」と女が呻《うめ》く、「あたしいっそ、死んでしまいたいわ」
 お滝が「畜生」とつぶやいた。「畜生、けだもの、男なんてみんな畜生だ」と、するどい憎悪をこめて呟いた。
 彼は黙って眼をつむっていた。
 そのちょっとまえから、お滝は彼を送りだすのに「いってらっしゃい」といい、彼が来ると「お帰んなさい」というようになった。彼はそれをどう感じているか、かくべつ嬉しそうでもないが、いやがるようすもなく、例のとおり三日も続けて来たり、二日おいて来たり、足の遠のくようすは少しもなかった。
 四日ばかり経ったある日、たそがれに銭湯へいって帰ると、根岸の政次が待っていた。
「訊きたいことがあるんだ」と政次はあがろうともせずに云った、「おめえの馴染みのあれ、あの元吉っていう客に刺青《ほりもの》があるか」
「さあ、知らないわね」
「知らねえって」
「あたしまだいっしょに寝たことがないのよ」とお滝は事情を話した。「だから、肌もよく見たことがないんだけれど」
「岡場所へ来て独りで寝るって、世の中にはおかしな客がいるもんだな」
「刺青ってどこにあるの」
「あれば左の胸だ」と政次がいった、「済まねえが見てくれ」
「あるとすれば――」
「なに、たいしたことじゃあねえ」と政次は軽くいった、「つまらねえようなことなんだが、念のためだから見ておいてくれ」
 お滝は承知した。
 博奕をやっているようだから、そのほうでなにか間違いでもあったのかもしれない、とお滝は想像し、だが、「おそらく、あの人には刺青なんぞはないだろう」と思った。
 彼はその夜も来ず、次の夜も、三日目にも来なかった。五日も来ないことは初めてで、政次にあんなことをいわれたあとだし、お滝はにわかに不安になった。政次はそのあと二度やって来たが、べつに彼のことを訊くでもなく、お滝が「あの人まだ来ないのよ」といっても、ただ「そうかい」と聞きながすだけであった。
 ――それでは本当にたいしたことではないのかもしれない。
 お滝はこう考えて少しおちついた。
 彼は中六日おいて、七日目の夜、十一時まわってから来た。

[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]

 まえの日の夜なかから降りだした雨がやまず、少し風さえ出て、高い気温と湿気のために、肌が汗ばむほどむしむしした。その夜はまだ一人も客がなかったし、その時刻ではあとの望みもない。ともえ[#「ともえ」に傍点]とお若には客が付いたのに、お滝とおしま[#「しま」に傍点]が売れ残っていた。
 ――やっぱり若い者にはかなわないんだな。
 ぞめきの客もなく、雨に叩かれている路地を眺めながら、お滝は身にしみてそう思い、「いっそ寝てしまおうか」と独り言をつぶやいた。そのとき戸口にいたおしま[#「しま」に傍点]が、こっちへ振返って、「あの人よ」といった。
 彼が蛇の目をすぼめながらはいって来た。お滝は気があがって、すぐには口をきくこともできず、彼が手拭で脛《すね》を拭き、端折っていた裾をおろすまで、ばかにでもなったように立って眺めていた。
「どうした」と彼がこっちを見た。
 お滝はやっと微笑して、「お帰んなさい」といったが、その微笑はべそをかくようにみえた。本当のところ、いまにも涙がこぼれそうなので、お滝は彼の手から手拭を取り、しぶきのかかった肩袖を拭いた。彼の高歯は泥だらけで、そのままでは持ってあがれない。揚蓋の中へ入れ、よく水を切った傘だけ持って、いつもの四帖半へ案内した。
「ずいぶん、久しぶりね」
「済まないが窓をあけてくれ」
「今日で幾日だと思って」お滝は窓をあけながらいった、「こんなにいらっしゃらないことなんて初めてだから、どこかにお馴染みでもできたんだろうって、諦《あきら》めていたのよ」
「傘を置いたらどうだ」
 これは向うへ置いて来るの、といって、お滝は彼により添おうとした。彼は窓のところへゆき「着替えさせてくれ」といった。お滝はうきうきした声で「はい、ただいま」といい、出てゆこうとして、振返って「嬉しいわ」とささやいた。
 傘を片づけ、寝衣を揃《そろ》えていると、おしま[#「しま」に傍点]が来て、「ちょっと」と手まねきをした。
 ――いまごろになって客か。
 どうしよう。お滝は舌打ちしたいような気持で、彼のところへ寝衣を持ってゆき、着替えさせてから店へいった。するとおしま[#「しま」に傍点]が端の三帖を指さして、「そこよ」といった。
 客ではなく、根岸の政次であった。
「来ただろう」と政次はお滝を見た。
「ええ、たったいま」
「あれをたしかめてくれ」と政次はいった。
「おれはここで待っている」
 お滝はまた不安になった。政次は、お滝が不安を感じたことに気づいたのだろう。「心配するな」と笑い、どっちにしろたいしたことではないんだ、といった。でも今夜でなければいけないんでしょ。いけないこともないが、足が遠のくようだからな、と政次は腰から莨入《たばこいれ》を取りながらいった。まあひとつやってみてくれ。いいわ、とお滝は頷いた。なんとかやってみるわ、でも暇がかかるかもしれなくってよ。いいとも、おれは待ってるよ、と政次がいった。
 四帖半へ戻ると、彼は窓框《まどがまち》に腰を掛けて、ぼんやり外を眺めていた。
「雨が吹っこむでしょう」とお滝はそばへよった、「なにを見てるの」
「すっかり咲いちまった」
「なにが」とお滝は彼にもたれた。
「あの白い花さ」
「あら、ほんとだ、もう終りだわね」
 樹立の中のその花は、このまえには咲きはじめで、ほの白く点々と見えるばかりだった。いまでも花はかたまってはいない、樹が高いし枝がまばらなので、ぱらっとひろがっているが、もうさかりを過ぎていることは夜目にもわかった。枝の一つはこちらへ伸びているので、しおれた花がいくつもあるのが見わけられた。それは、小降りになった雨のなかで、ひっそりと、静かに、なにかを独りなげいてでもいるような、咲きかたにみえた。
「今日はあんたがくちあけだったのに」とお滝がいった、
「いまごろになって客があったのよ」
「結構じゃないか、おれのほうなら構うことはないぜ」
「そうね」お滝は彼からはなれて、寝床を敷きながらいった。「どうせ、そうなのよ、あんたはそういう薄情な人なんだわ」
「風邪で五日ばかり寝たんだし彼はそういって、一分銀を盆の上へ置いた、「まさかここまで寝に来るわけにもいかないだろう」
「あらいやだ、それなら濡れてはいけなかったじゃないの」お滝は寝床を敷き終り、そぼへいって彼を窓框から立たせた、「さあ、早く寝てちょうだい、おうちがわからないから、手紙をあげることもできないし、淋しかったのよ」
 彼は寝床へはいり、「いっておいで」といった。窓を閉めましょうね、とお滝がいった。いや、もう少しあけておこう、こうむしてはやりきれない。でも風邪をひき直すといけないわ。大丈夫だ、港う少し経ったら自分で閉めるよ。そう、ではそうしてね、とお滝は彼の脇へ坐った。
「ねええ――」とお滝がささやいた。
 彼は「なんだ」といった。
「ねえ」とお滝がいった。「ちょっと肌だけさわらせて……」
 彼は黙っていた。
 お滝は手早く帯を解き、着物をぬいで、下着の衿をぐっと左右にひろげ左。まだ十分に艶《つや》のある膚で、色は少し浅黒いが、両の乳房も(子を産んだにもかかわらず)固く緊張していた。彼は「きれいだな」といった。お滝は「恥ずかしい」といいながら、彼の寝床へすべりこんだ。彼は横になった。お滝は彼の寝衣の衿をひろげ自分の胸を彼の胸にぴったりと押しつけ、そうして彼を抱き緊めた。
 お滝はのぼせあがったようになり、わなわなと躯がふるえた。力いっぱい彼に抱きついても、そのふるえは止らず、動悸《どうき》が苦しいほど激しくなった。
「もうよせ」彼は顔をそむけた。
 お滝は彼の胸へ頬ずりをしてあえいだ。
「たくさんだよ」彼はお滝を押しのけた。
 お滝は掛け蒲団をはね、彼の躯をあおむけにすると、狂ったような動作で、いきなり彼の左の胸乳に吸いついた。
「よせ」と彼はお滝の肩をつかんだ。
 お滝はいちど唇をはなし、血ばしったような眼で彼を見たが、「ああ」と呻きながら、またそこへ吸いついた。
 彼はお滝を押しはなした。
 お滝はそこへうつぶせになり、両手で顔を抑えたまま、はっはっとあえいだ。つむった眼の前に、いま見たものが、ありありとうかんでいた。彼の左の胸の、小さな乳首の下に、長さ三寸ばかりの匕首《あいくち》の刺青があった。
「おどろいた」と彼がいった、「初めてだ、男でもそうなのか」
 お滝は「恥ずかしい」と顔をそむけ、衣紋を直してから、小粒ののせてある盆を持って、下着のまま出ていった。

[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]

「やっぱりそうか」と根岸の政次は頷いた、「おれの勘が当った、有難うよ」
「わけを話してよ、いったいどうしたんですか」
「匕首の吉っていうぬすっとだ」
「えっ」とお滝は息をひいた。
 三年ほどまえから、下町の大店《おおだな》ばかりをねらう三人組がいた。二人は去年の暮に繩にしたが、残りの一人がどうしても捉《つか》まらなかった。その一人が大工の伜だということを、政次は、お滝の話を聞いて思いだし、すぐに(捕えてある)二人と面接する手順をとった。ちょっと暇がかかったが、牢《ろう》で二人に会い、詳しく彼のことを訊いた。身の上もたいてい合っているし、胸の刺青のあることもわかった。
「匕首の刺青なんてざらにあるもんじゃあねえ」と政次はいった。「まちげえなしだ、いつもの伝で手引を頼むぜ」
 お滝は頷いた。
「おい」と政次はいった、「しっかりしてくれ、おめえにはいい客らしいが、ぬすっとじゃしょうがねえ、いつかは、どこかで、御用になるんだ、そうだろう」政次は煙管をはたいた、「いまのうちなら、罪もそう重くはねえようだ、なまじ逃がすと却って当人のためにならねえぜ」
 お滝は頷いた。
「いいわ」とお滝はいった、「でも、少し刻《とき》を下さいね」
「おれは飲みながら待ってる」
「しげる[#「しげる」に傍点]さんにいって下さい」とお滝は立ちあがった、「じゃあ、いつものとおりね」
 お滝は店にいるおしま[#「しま」に傍点]に、政次の用をきくように頼んで、内所へゆき、自分の荷物をあけて財布を出した。眼がまわるような気持だし、足がふらふらした。
 四帖半へはいると、彼は窓のほうを向いて寝ていた。
 ――ああよかった。
 まだ窓があいているのを見て、お滝はそう思いながら、そっと彼をゆり起こした。彼は眠ってはいなかった。
「逃げてちょうだい」とお滝がささやいた。がちがちと歯が鳴るほど、躯が震えた、「これを持って」とお滝は財布を出した、「あんたから貰った残りを貯めといたの、一両二分とちょっとある筈よ」
 彼は黙ってお滝を見ていた。
「お願いよ、この窓から出て塀を越すと、権現さまの神主さんの庭へ出るわ、早く着替えをして逃げてちょうだい」
 彼は静かに「いいよ」といった。
「よかあないの、御用聞が向うに来ているのよ」
 彼は「うん」と頷いた。
「ごしょうだから逃げて」
「もういいんだ」と彼はいった、「こうなるのを待っていたんだよ」
「待ってたんですって」
「ああ」と彼は顔を歪めた、「自分のやってることに厭気《いやけ》がさしたんだ、仲間の二人もつかまったし、この辺が年貢のおさめどきだと思ってた、だから、嘘をいえばいえたのに、身の上ばなしもありのままにしたんだよ」
「じゃあ、――」とお滝は彼を見た。「あたしが指すことを知っていたの」
 彼は頷いた。
 お滝はじっと彼を見まもっていたが、「ごめんなさい」といいながら、彼の枕もとへ泣き伏した。あたしは悪い女だった、どんなに罪の深いことをしていたか、いまになって初めてわかった、「堪忍して、堪忍してちょうだい」と身もだえをして泣いた。
「あんたはなにもかも、正直にいってくれたけれど、あたしは瞳ばかりついてたわ、年だって十七なんていって、本当はもう二十四だったのよ」
「いやそうじゃない、おまえは十七だった」と彼がいった、「おれと逢っているときのおまえは十七だった」と彼がいった、「おれと逢っているときのおまえは十七だったよ」
「あたしには里子にやってある子供さえあるの、今年はもう六つになるのよ」
「知っている」と彼は頷いた、「しかし、おれにとっては同じことだ、おまえは十八になっただけだよ」
「子供のあることも知ってたの」
「知ってた」と彼はいった、「二度めに来た晩、まえにいたお若とおまえと、喧嘩《けんか》をした、大きな声だったので、たいてい聞えたんだ」お滝は(泣きながら)また身もだえした。「悪い人間は悪い人間だといったことも、そういう人間のためにどれほど泣いている者があるかしれない、といったことも聞えた」と彼はいった、「それだけじゃあない、おまえ自身が悪いやつに煮え湯をのまされ、親きょうだいにもみはなされて、子供を育てるために身を沈めたという――子供を育てるためならなんでもする、というのを聞いて、まいった、本当にまいったんだよ」彼は寝床の上に起きあがった、「このまえは話さなかったが、おれのおふくろは気が狂った、おやじが首を吊《つ》ってるのを見て、気が狂って、一年ばかりして死んだ、そのあいだじゅう口をあくと、おれのことばかりいうんだ、元はどうした、元をねかさなければならない、元がまた転んだ、元が、元が、……おれはそれを思いだした、気が狂っても、おふくろの頭にはおれのことしかない、おまえは子供のためならなんでもすると叫んだ、おれはまいった」
 彼は膝《ひざ》をつかみ、頭を垂れ、そして、すばやく眼を拭いた。
「おやじがそんな死にかたをしてから、おれは世の中を僻《ひが》んじまった、まじめ一方に叩きあげたおやじでさえ、ひとつ間違えばそんなみじめな死にかたをする、勝手にしやがれと思った」と彼は低い声で続けた、「……だが、あの晩から考え直した、はっきりはいえない、自分がいやになっていたこともたしかだろう、これがこうとはっきりはいえないが、年貢をおさめて、きれいなからだになりたくなったんだよ」
「じゃあ、あたしのこと、堪忍してくれるのね」
「うん」と彼はいった、「きざになるから礼はいわない、さあ、そいつにそういってくれ、おれがお繩を待っているって」
「いや、まだいや」
「向うでも待ってるんだろう」
「こっちから合図をするの、それまでは来やしないわ」
「では合図をしてくれ」
「まだいや」とお滝はかぶりを振り、ようやく起き直って涙を拭いた。
「あんたはまだいちども寝てくれなかった、今夜だけはあたしのお願いをかなえて、ねえ、たったいちどよ」
「合図はどうするんだ」
「こうするの」
 お滝はそばへ寄って、彼の細紐《ほそひも》へ手をかけた。どうするって、と彼が訊いた。
「あなたを裸にするの」とお滝がいった、「そして着物や帯を廊下へ出すのよ」
「裸では逃げだせないか」
「ねええ」とお滝は彼へささやいた、「一生にいちど、いいわね」
 彼は頷いた。
 お滝は彼の細紐を解いた。すると、とつぜん彼は「あっ」と叫び、うしろ首を抑えてとびあがった。あんまり不意だったので、お滝も吃驚《びっくり》して身を反らした。
 彼はうしろ首へやった手を、そっと取ってみた、少ししおれた一枚の花片が、その手のひらに付いていた。
「あら、辛夷《こぶし》の花じゃないの」とお滝がいった、「窓から散りこんだのよ、いまの声、なんだと思ったの」
 そういってお滝は笑いだした。
 彼の驚きかたが、あんまりひどかったので、つい可笑《おか》しくなったのだろう。笑い出して、だがその笑い声がそのまますすり泣きに変った。
「人間って――」と鳴咽しながら、お滝がいった、「人間ってこんなときでも笑えるのね」
 彼は手のひらの花片をまるめた。
「こんど出て来れば」と彼はいった、「こんなことでとびあがるほど、怯《おび》えて暮さなくともよくなるんだ」
 お滝は「あんた」といった。
 彼は寝床へ横になった。お滝も扱帯《しごき》をくるくると解き、窓の障子を閉め、それから行燈の火を消した。
「お顔を見ていたいけれど」とお滝が闇のなかでささやくのが聞えた。
「――あたし恥ずかしいから……」
 外は雨があがっていた。



底本:「山本周五郎全集第二十六巻 釣忍・ほたる放生」新潮社
   1982(昭和57)年4月25日 発行
底本の親本:「週刊朝日別冊」
   1955(昭和30)年4月
初出:「週刊朝日別冊」
   1955(昭和30)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ

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