harukaze_lab @ ウィキ
寝ぼけ署長06夜毎十二時
最終更新:
harukaze_lab
-
view
寝ぼけ署長
夜毎十二時
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)俄《にわ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長|宛《あて》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
-------------------------------------------------------
[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
その年の五月は梅雨の繰り上ったかたちで、鬱陶しいこぬか雨が下旬ちかくまで降り続き、それがあがったと思うといっぺんに暑さがやって来ました。湿気の多いところへ俄《にわ》かの暑さですから、蝿や蚊の繁殖も例年にないひどさで、流行病を警戒する宣伝が早くから行われるありさまでした。……そういう季節の一日、五道三省という個人名で署長|宛《あて》に書留の速達便が届きました、差出し人は曲輪町の成瀬正彦、大きく「必親展」とあります。曲輪町の成瀬といえば旧藩主の一族で、その巨《おお》きな資産といっぷう変った性格とで有名です、私はすぐにその手紙を署長のところへ持ってゆきました。
「僕には訳がわからない」署長は読み終った手紙を押してよこしながら、うんざりしたという風にその逞《たくま》しい肩を揺上げました、「こういう人たちは警察をどう思っているんだろう、自分の使用人とでも考えているんだろうか、まあ読んでみたまえ」
私は手紙を取りました。それはごく簡単なけれど小学生の書いたように歪《ゆが》んだ下手《へた》くそな鉛筆の走り書で、「自分の生命に関する件でぜひ極秘に相談したいことがある、今夜正十時に万障繰り合せて来て貰いたい、その際できるなら公証人を同伴するように、また来訪は私服に限り、玄関では石田三造という名を通じて頂きたい」こういう意味のことが書いてありました。
「然《しか》し生命に関するということですから、このまま抛《ほう》って置く訳にもいかないでしょう」
署長は暫くなにか考えていましたが、やがてふと私のほうへ振返り、「君は半年ほどまえにどの新聞かで成瀬家のことを書いた記事を読んだ覚えはないか」と訊《き》きました。そう云われて気がついたのですが、長い病床にある成瀬氏と若い夫人のことに就いて、たしかに美談風なことがどの新聞かに出ていた筈《はず》です。
「内容は忘れましたが読んだ覚えはありますね」
「済まないが捜して来て呉れないか」
私はすぐ書庫へいって小使に手伝わせながら綴込《とじこみ》を繰ってみました。それは五カ月前の夕刊報知に出ていました、「現代|嬋娟伝《せんけんでん》」という題で、美人という噂《うわさ》の高い当市の名流婦人や令嬢を評判記風に書いた連載物です。成瀬夫人の記事はその五番めにあり、三回にわたる精《くわ》しいものでした。……簡単に云うとこうです。成瀬正彦氏は旧藩主の一族であり屈指の資産家として著名だが、狷介《けんかい》孤高の質でまったく世間と交渉を持たず、深くその邸内に隠れて禅者の如《ごと》き生活を続けて来た。五年まえ、氏は健康の衰えを感じて夫人を迎えた、夫人はやはり旧藩主の支族の家柄だが、すっかり零落して数年まえから成瀬氏の補助を受けていたのである、新夫人の名は佐知子、年は十八歳で女学校を出たばかりだった。成瀬氏はすでに五十六歳で年のひらきも大きかったし、夫人はその母校でも美人の名が高かったので、この結婚は香《かんば》しからぬ世評を愛けた。然し間もなく成瀬氏は脳溢血で倒れ半身不随で病床に就いて以来、夫人は献身的に良人《おっと》の看護をして今日に至っている。世間はこの点で夫人に対する偏見を改めなくてはいけない、家庭は成瀬氏子飼いの和泉秘書と、老僕、女中という寂しい人数だ、訪客もなし外出もしない明くことなき門、閉ざされたる窓、陰鬱な暗い邸《やしき》の中で、老いたる病夫のために幸多き日を捧《ささ》げ、修道尼の如き明け昏《く》れを送る佳人、これこそ正《まさ》しく、……ざっとこんな調子のものでした。
「いってみるかね」署長は新聞を読み終ってからそう云いました、「美しい令夫人に会えるだけでも値打があるかも知れない」
「公証人というのをどうなさいますか」
「君の代理でいいだろう、本当に必要ならまた改めてゆくさ、たぶんそんな事なしで済むと思うがね」
その夜十時五分前に私たちは成瀬邸を訪れました。築地塀《ついじべい》をとりまわした広い邸内には、隙もなくみず楢《なら》や榧《かや》や椎《しい》などの常緑樹が枝をひろげ、それだけでも暗くじめじめした感じなのに、建物が明治初期の洋館で、がっちりはしているが窓の少ない英国風の陰気な造りですから、重くるしく冷たい圧迫するような雰囲気が澱《よど》んでいました。
「せっかくですが主人は病中ですし、どなたにもお会いしない定《きめ》ですから」
玄関へ出た老人がこう答えました。腰の曲りかけた、白髪の、ぎすぎすした老人です、これがこの家で「爺《じい》や」と呼ばれる木内又平でした。
「いや御主人は会って下さる筈です」署長はこう云いました、「どうか石田三造がまいったと伝えて下さい、きっとお許しがでるでしょうから」
老人はなお無表情な眼で疑わしげにこちらを見ていましたが、やがて奥へ訊《き》きにゆき、ほどなく戻ると、黙りこくった不機嫌な顔つきで、どうぞという手真似《てまね》をしました。私たちは廊下を曲ってゆき、もう古びた、少しぎしぎしいう階段を登って、三つ並んでいる扉のいちばん端の室の前に立ちました、廊下を隔ててこちら側にも二つ扉がみえ、廊下のつき当りは露台へでも出るらしい重くがっちりとした両開き扉になっています。……老人が叩《ノック》しますと、室内から澄んだ鈴の音が聞えました。それをよく聞きすましてから老人は扉を明け、ようやく私たちのために躯《からだ》をどけるのでした。その物ものしい容子《ようす》は、この家の日常の退屈で古臭い習慣と主人の頑《かたくな》な好みを表わしているようで、私は早くも不愉快な気持に聾われました。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
それは二間に三間くらいの、ひどく陰鬱な感じの部屋でした。黒ずんだ緑色の垂帷《カーテン》を引いた窓のほうを頭にして、大型のマホガニイ製の寝台がどっしりと据えられている。部屋の飾付は単純で重おもしく、天床《てんじょう》も壁も嵌木《はめき》細工の床も時代のさびと沈んだ艶《つや》を帯びていました、寝台の右側に棚付きの脇卓子《わきテーブル》があり、その上に濃い藤色のシェードを掛けた枕電燈が点《つ》いている、弱よわしい――微《かす》かなその光りが、寝台の上に寝ている老人を私たちに見せて呉《く》れました。……黄ばんだ、麻のようにこわい白髪と、腫《は》れぼったい眼蓋《まぶた》と、だらっとした緊《しま》りのない唇とがまず注意を惹《ひ》きました、然しこれだけ見るのがやっとのことでした、自尊心の強い人たちが誰でもそうであるように、成瀬氏も私たちに顔を見られることが不愉快だったのでしょう、けわしく眉を顰《しか》めながら枕ランプの光りから外向《そむ》き、不自由な右手をだるそうに動かして、椅子へ掛けろという合図をしました。
「たしかに五道君ですな」成瀬氏は枕ランプの笠《かさ》を傾《かし》げて、光りがまっすぐこちらへ向くようにしながら、低いうえに舌のもつれる、ひどくがさがさした声でこう云いました、「たしかに五道三省君に間違いありませんな、もし貴方《あなた》が……」
「間違いなく五道です、御相談というのを伺いましょう」
「わしは躯《からだ》が利《き》かない、このとおり舌もよくまわらない、恐らく物の判断も不正確だろうと思う、だから君が五道君の名を偽っているのだとしても、見やぶる能力がないかも知れない、……そう思いはせんかね」
舌がもつれるので聞きにくいし、偏執的に疑い深いねちねちした調子なので、署長も些《いささ》か気を悪くしたのでしょう、「そんなに御不審ならこのまま帰ることにしましょう」と云って椅子から立ちそうにしました。
「君は怒ったんですか」成瀬氏はこう云いました、「まあ掛けて下さい、わしは一般に人間というものを信じない質なんでね、が、君が五道君だということはたしからしい、宜《よろ》しい信じましょう」
「御用談を伺いましょうか」
「これを……」こう云いながら、成瀬氏は例のよく利かないぶるぶるする右手で、一枚の紙を差出し霞した、「これを読んで、貴方とそこにいる公証人とで、立会保証をして貰いたいのだ」
署長は受取って披《ひら》きました。それは遺言書といったもので、「自分の死後、成瀬家に属する全資産は、甥《おい》の松川郁造に譲る、郁造はその中から現金で一万円を余の妻佐知子に与えること、当市の慈善事業へ一万円寄付すること、右二条を実行する義務がある、これに対して親族じゅうのいかなる異議も※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しはさむことは許さない」こういう文言のあとへ署名|捺印《なついん》がしてあります、署長は困ったように溜息《ためいき》をつきました。
「これはかなり重要な問題ですな、事情も有ることでしょうが、然しどうして私を立会人に選ばれたのですか」
「他に無いからだ」成瀬氏は冷笑するような調子でこう答えました、「わしの周囲には信ずることのできる人間はひとりもおらん、みんな虎狼《ころう》の如き奴等《やつら》ばかりだ、然もわしは、生命を脅やかされておる、生命を……五道君のことは度《たび》たび新聞で読んだし、警察署長という身分がこの遺言の立会人としても、またわしが殺されようとしている事実に対しても誰より有力な立場にあると考えたからだ」
「どうも信じ兼ねますな」署長はこう云いながら、ふと手を伸ばして成瀬氏の頬《ほお》にとまっている蚊を追いました、「貴方のような御身分の方がそんな危険な状態にあるとは、私には信じられません」
「君が信ずる信ぜないは勝手だ、そしてわしも自分の感覚がまったく健全だとは主張しない、然し、わしはこの眼で見るのだ」成瀬氏はちょっと言葉を切り、どこかを瞶《みつ》めるように眸子《ひとみ》を凝らしながら続けました、「毎晩十二時頃に、誰かがこの部屋へはいって来る、そして、その脇卓子の上にある、わしの臭素剤シロップのはいっている吸呑《すいのみ》の中へ、なにかの薬滴を入れる、それからまたそっと出てゆく、……毎晩だ、毎晩十二時頃には、必ずこれだけのことを見るんだ」
「それだけでは、どうもし署長はじっと病人の顔を見まもっていました、「ひとつもう少し精しく聞かせて頂きたいですな」
「わしの躯にはもう臭素剤だけしか用がない、それも午後と、夜半の二回、心悸亢進《しんきこうしん》の起こる場合だけに、……甥の郁造がその二度の臭素剤シロップを作って呉れる、午後一時に一回、午後八時、彼が帰るときに一回、わしの見ているところで、そこの薬棚から薬を出して作って呉れる」
「どうして奥さんがなさらないのですか」
「ああ黙っていて貰いたい、君にはわしの立場がわかってはいないのだ」成瀬氏は殆んど怒りの語気でこう云いました、「和泉はこの家で子飼いからの人間だ、佐知子はわしの妻だ、けれどもわしは、……わしは食事を爺《じい》やに作らせる、薬は甥の他に手を付けさせようとは思わない、……決して、だがこんな家庭の内情は君には無関係だ、毎夜十二時に、何者かがわしの飲むシロップへ薬滴を入れる、君にはこの事実だけを知って置いて貰いたいんだ」
「およそ誰かという見当はおつきにならないのですか、男か女か、若いか老人かという……」
「この枕電燈は燭光《しょっこう》が弱いし、その人間は薬戸棚の向う側へ光りを避けて来るから、そのうえわしの視力はすっかり衰えておるので、男女の区別さえわしにはつかんのだが……」
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
だが……と云いかけたとき、成瀬氏の左の頬がぴくぴくと痙攣《けいれん》しました、大きな縞蚊《しまか》が一|疋《ぴき》そこに留って血を吸っているのです、署長はまた静かに手を伸ばして追ってやりました。
「それでは貴方《あなた》が御自分の生命に危険を感じていらっしゃるのは、夜半に誰か来て、貴方の召上る薬の中へなにか毒物ようの物を入れる詰りそのことを指す訳ですね」
「喰《た》べ物《もの》にだって入れるかもわからん」成瀬氏は抑揚のない声で云いました、「だが、わしにとってはそんなことはもう重大ではない、わしはこのとおり殆んど全身不随で、生きた死骸《しがい》も同様なんだ、死ぬことを恐れはしない、だが、わしの喉《のど》を締める手にわしの遺産を握らせるわけにはいかん、それだけは断じて許せない、おわかりかな、五道君」
「失礼ですが」署長はちょっと間を置いてから云いました、「私に二三ご家庭のことを聞かせて頂けませんか、例《たと》えば和泉という人の……」
「いや断わる、わしは成瀬正彦だ、わしが生きている限り、家庭の内情を探索するようなことは許さぬ、またどこにそんな必要があろう、そんなことはわしが死んでからで充分だ」成瀬氏はゆらゆらと例の右手を振りました、「……それから貴方は、ここでその遺言書に署名|捺印《なついん》して、むろんそちらの公証人にも同様にして頂きたい、そこに硯箱《すずりばこ》が出してありますから」
寝台のこちら側、詰り私たちの掛けている椅子のすぐ側に小さな書き物机があり、その上に螺鈿《らでん》のりっぱな硯箱が載っています、おやじどうするだろう、私はこう思いながら見ていました。ところが署長はむぞうさに机へ向い、硯箱を開けて筆を執りました、そして署名を終ると肉池《にくち》へ親指の腹を付けて拇印《ぼいん》を捺《お》し、振返って私にもやれという合図をします、仕方がありません、私も同じように署名と拇印を捺しました。
「うむ結構だ」成瀬氏は念入りに二人の名を見てから、それをこちらへ返しました、「これで結構です、どうか預かって置いて下さい」
「私が預かるという訳ですか」
「その他に安全な保管法はないのです、どうかそれを確実に預かっていて下さい、そして失敬だが疲れましたからこれで引取って頂きましょう」
成瀬氏は深い太息《といき》をつき、腫《は》れぼったい眼を閉じて沈黙しました。どこかの隅で、蚊が鈍い唸《うな》りをあげているきり、ひっそりとしてなんの物音もしません、署長はやがてものうそうに椅子から立ち、「お大事に」と云ってその部屋を出ました。
「あんな書類へ署名などしていいんですか」暗い夜道を帰途につきながら私はこう訊《き》きました、「幾らなんでも少し乱暴だ、と思いますがね」
「ちょっとした慈善だよ、僕たちが署名したって法律的に効力はありゃしない、然《しか》しそれで病人の気が安まるなら結構じゃないか」
「もし本当に殺人でも行われたとしたらどうです、この場合には法律的効力のない遺書に当人の意志があるのですから、成瀬氏にもしものことがあったとすると」
「妄想だよ」署長は頭を振りました、「あの人は平常から一種の偏執者だった、それが寝台へ横になったきり、僅かに右手だけしか動かせない躯《からだ》で死期を待っている、その苦悶《くもん》が色いろな妄想を生みだすんだ、本当に殺意を持つ者があるとすれば、毎晩十二時に来て云々《うんぬん》なとという思わせぶりな、下手《へた》な方法をとる筈《はず》がないよ」
「私にはどうもそう思えません、なんだか頭にひっかかってるような気がします、と云って別に理由はないんですが」
「美しい令夫人に会わなかったからさ、ちょっとあてが外《はず》れたわけだろう」こう云って署長は笑いました、「とにかく成瀬氏は容易に死ぬ人じゃない、それは僕が保証するよ、御当人は寧《むし》ろお気の毒だがね」
署長はそれきり成瀬氏の事は口にしませんでした。けれども私には気になってならない、陰鬱なあの邸内の風景、巨万の富と寝たきりの病人、まだ若い孫のような美しい妻、青年秘書、病主人の甥《おい》、あの不機嫌なぎすぎすした老僕、暗く重苦しい部屋の中で唸っていた一疋の蚊、……そういうものが頭の中で頻《しき》りに明滅するのです、そして夜毎十二時頃に病室へ忍びこんで、臭素剤シロップの中へなにかの薬滴を入れる怪しい人影などが、……私はどうにも気持がおちつかないので、とうとう自分で成瀬家の内情調査をやることにしました。それには五日ばかりかかりましたが、大した収穫はありませんでした。秘書の和泉勇作は少年時代に拾われ、成瀬氏の世話で薬学専門学校を卒業しています、然し氏は和泉君を独立させようとはせず、それ以来ずっと資産管理の助手のような仕事をさせて来ました、和泉君は陰性なくらい温和な質で、もう年も三十二になるのに独身ですし、最近はひじょうに不機嫌な苛《いら》いらしたようすをしているそうです、これは年齢や環境や当人の位置からみて当然のことでしょうが、私はそこになにか危険の兆《きざ》しがあるように思え、「これは注意しなくちゃあいかんぞ」と独《ひと》り呟《つぶや》いたくらいでした。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
松川郁造というのは、成瀬氏の弟で松川家へ養子にはいった良彦という人の息子です、中学二年生のとき父母と一緒に米国へ渡り、ロサンゼルス在で農園を営んでいたが、間もなく流行病で父母に死なれて農園を喪《うしな》い、転々と職を追って放浪した末、Cという大学の学僕をしながら法科を卒業した、それから桑港《サンフランシスコ》で五年ほど弁護士をしてみたが面白くゆかず、半年ばかりまえに帰国して伯父を訪《たず》ねた、成瀬氏はながい病臥《びょうが》で気が弱っていたところ肉親の甥を見たのでたいへん悦《よろこ》んだそうです、そしてこれから自分の身のまわりの世話をするようにと云いました、郁造氏はこの市で弁護士を開業する積りだったが、伯父の頼みを聞いてそのほうは延期することにし、辻町の下宿から毎日あの邸《やしき》へ通って、午前九時から午後八時まで、成瀬氏の側に付きっきりで面倒をみている、邸へ来て住むようにと云われるが、伯母がまだ若く余りに美しいし、自分も独身だから、そう云って郁造氏は相変らず下宿に寝泊りをしている、……概略こんな状態だったのです。まことにうるわしい伯父甥の関係ですが、米国での生活や帰国した理由に裏があるかも知れない、一概にうるわしい関係で片付けるのは早計だ、私はこう考えました。この他にまだ佐知子夫人や木内老人のこともあるのですが、特に、挙げる必要もなし退屈でもありますから略します。私は調べただけのことを署長に話しました、署長は眠そうな眼で私を見ていましたが、大きな欠伸《あくび》をしながらこう云ったものです。
「それは、それは」
詰りまったく問題にしていない訳です、私はがっかりしてひき退《さが》りました。……たしかその翌朝でした、出勤するとすぐ捜査主任が事件の起こったことを知らせに来ました。
「毒殺の疑いの濃い死亡届がありましたので、芝山君(というのは警察医です)といっしょにいってまいります」
「どこだね、それは……」
「曲輪町の成瀬邸です、御主人の正彦氏が被害者のようだと聞きました」
署長の上躰《じょうたい》がぐっと硬直し、その手からペンが転《ころ》げ落ちました。署長は私を見ました。それから、「いっしょにゆこう」と云うなり、すぐ帽子を取って椅子から立ちました。……私の昂奮《こうふん》がどんなに強かったかはお察し下さい。車が成瀬邸へ着くまで、私は独《ひと》り頭のなかで色いろな人物やさまざまな場面を組立てたり崩したりしていました、「とうとう事実になった、とうとう」などと呟きながら、然《しか》しまあ話を急ぐことに致しましょう。
成瀬邸へ着くと、最初に呼ばれて死躰を診《み》た池崎という内科の博士がいて、私たちを二階の例の室へ案内しました。成瀬氏は寝台の上で、片手に硝子《ガラス》の吸呑《すいのみ》を掴《つか》んだまま死んでいました、黄色く汚《きた》ならしい白髪が乱れかかり眼を大きく瞠《みひら》き口を明けています、なにか非常な驚愕《きょうがく》にうたれたとでもいうような表情で、頭はやや右に傾き、吸呑からこぼれた薬液で、寝衣《ねまき》の胸からシイツまで濡れている、垂帷《カーテン》が絞ってあるので、なにもかもはっきりわかるのですが、その他《ほか》には動いた物もなく変ったようすも見当りませんでした。
「今朝五時頃に電話で呼はれまして」池崎博士はこう説明しました、「すぐ来て診察したのですが、とうも死躰の表情が異様ですし、こぼれている薬液に杏子《あんず》ようの匂いがありますので、吸呑の中から小量を取っていちど宅へ帰り、すぐ試験してみますと、青酸加里《せいさんカリ》が検出された、それで取敢えずお知らせしたような訳です」
「むろん致死量ですな」こう云いながら、署長は寝台の下からなにか拾って見ていましたが、ズボンの隠しへすばやく押込んで、「ではもうここで検屍《けんし》をする必要もありませんな、念のためあとで解剖だけはしてみますが」
捜査主任が来て検事局へ電話を掛けたこと、階下に家族の集まったことを告げたので、池崎博士には引取って貰い、私たちは階下の応接間へゆきました。それは大理石のマンテルピイスを付けた堂々たる煖炉《だんろ》のある、重おもしくて広い、りっぱな部屋でした、ゴブランの壁掛も、すべての家具、椅子や肱掛椅子や卓子なども、高雅な細工のがっちりとした物です。……家人たちはすでにその部屋の中に集まっていましたが、奇妙なことにみんな離れ離れに立っている、夫人は肱掛椅子に、木内老人は壁際に、女中は扉口に、和泉君は窓に凭《もた》れて、という風なんです。この不幸を共に分けあおうというようすは誰にもなく、お互いに反撥《はんぱつ》し忌憚《いみはばか》っているといった具合でした。
「松川という故人の甥に当る方があるそうで」捜査主任が椅子に掛けながらこう云いました、「いま電話を掛けましたところすぐこっちへ来るということでしたから」
署長は頷《うなず》いて、「では皆さんに少しお訊《たず》ね致します」と訊問を始めました。……私は署長が発見者の木内老人を訊問しているあいだに、佐知子夫人と和泉秘書とをそれとなく観察しました、夫人は予想より遙かに美しかった、それはたしかですが、その美しさにはどこかしらひやりとする、譬《たと》えば石像のような冷たい感じなのです、余りに整い過ぎた美人というものは非人情にみえる、夫人の美しさはその類かも知れません、然もその顔には悲しみの色が微塵《みじん》もなく、寧《むし》ろ冷笑するような徹底的な無関心が感じられたのみで……私はふと「吸呑の中へ毒物を入れたのは夫人ではないか」という疑いを覚え、それが少なくも不自然に感じられないのに自分で驚きました。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
窓に凭れている和泉秘書は、異常に昂奮し、それを表に現わすまいとして、けんめいに努力しているのが明らかでした。彼は痩形《やせがた》のかなりな長身で、細面の憂鬱な顔だちです、血色は悪いし額には苦悩する者のような深い皺《しわ》が刻まれているし、不眠の後のように唇は乾《かわ》き、眼は神経的に絶えず動いている、立っている足を暇もなく踏み変え、腕組みをしたり解いたり、すべての容子《ようす》がまったく落ち着きを失っていました。……署長の訊問はこのあいだに木内老人から女中へ移り、そこで一つの事実が発見されました、それは昨夜十二時頃に、夫人が母屋《おもや》からどこかへ出てゆき、三十分ほどして帰るのを女中が見たというのです。
「貴女《あなた》はどうしてそれをみつけたのです」
「先日から縫っていた単物《ひとえもの》があがりかかっていましたので、つい時間を忘れて縫いあげたのが十二時ちょっとまえでした、それから片付けてお手洗いにゆこうとしますと、奥さまのお部屋が開いて出ていらっしゃいますから、お小言を頂いてはと思って、電燈を消し、そっと立っておりました、奥さまは廊下をこちらへいらしって、私の部屋の外を、洋館のほうへおいでになったのです、それで私は手洗いにまいり、帰ってすぐ寝《やす》んだのですが、それから三十分ほどして、奥さまがお部屋へお帰りになるのを聞いたのでございます」
「そのときなにか変ったようすに気がつかなかったかね」
「いいえなにも気がつきませんでした」
署長は次いで和泉秘書を呼びました。彼は挑戦するような姿勢で椅子に掛け、訊問に対しては投げやりなぶっきらぼうな調子で答えました。彼は十時に寝て一時間ほど本を読み、そのまま眠ってなにも知らなかった、朝早く木内老人のけたたましい叫び声で眼を覚《さ》まし、病室へ駆けつけて初めて主人の死を知ったと云うのです。
「そのとき病室でなにか変った事を見なかったかね」
「なにも気がつきません、すぐ階下へいって医者に電話を掛け、そのまま階下で医者の来るのを待っていました」
署長はなお二三質問したうえ、こんどは佐知子夫人の訊問に掛りました。夫人はその表情と同じ冷淡な、少しも感情の表われない調子で、然し言葉少なに答えました、成瀬氏が彼女の世話を好まなくなったので、午後いちど五分ばかり見舞いにゆくほか、半年以来殆んど痛室には近づかないこと、今朝はやはり木内老人の叫び声で、初めて変事を知ったことなど……署長は例のように眼をつむり、だるくって堪《たま》らないという調子で訊問を続けました。
「ゆうべ十二時頃にお部屋を出て、三十分ほどして帰られたということですが、そういう習慣がおありなんですか」
「習慣という訳ではございませんが、この頃ずっと不眠の癖がございますので、時どき気分を変えに部屋を出ることがございます」
「ゆうべは何処《どこ》へいらっしゃいましたか」
「昨夜は……」夫人はちょっと口籠《くちごも》ったようです、「なんですか昨夜は、洋館のほうでなにか物音がしたように思いましたから、それでいってみたのでございます」
「どんな風な物音でしたか、それから貴女は何処までいらしったのですか」
「ちょうど揺戸《ゆれど》が合わさる時のような音と申したら宜《よろ》しいでしょうか、それが二度かすかに聞えたような気が致しました、わたくし洋館の扉口までまいりまして、暫く耳を澄ましておりました、でもそれからはなにも聞えませんでしたので部屋へ戻ったのでございます」
「お宅には揺戸がありますか」
夫人は黙ってかぶりを振りました。そのとき一人の男が刑事の案内でせかせかとはいって来ました、彼はもう四十近い年齢で、薄禿《うずはげ》で頬のこけた、ごく平凡な顔だちですが、着ている服は外地で作ったのでしょう、仕立も生地もいいがかなり派手な柄物で、荒い斜《なな》め縞《じま》のけばけばしい襟飾《ネクタイ》をしめ、右手には大きな指輪が光っていました、やはり血筋でしょう、風貌《ふうぼう》にどこか成瀬氏と似通ったところがあり、私はすぐ松川郁造氏だと思いました。署長は夫人の訊問を打切って彼の方へ立ってゆきました。
「そうです松川です、松川郁造です」彼はおちつこうと努めながら、然し不安に耐え兼ねるという風でした、「いったいどうしたのですか、なにか伯父に変ったことでも……」
「二階へまいりましょう」署長は沈んだ声でそう云いました、「然しどうぞ余りお驚きにならないように」
署長と私とで彼を病室へ案内しました。彼はそこへはいるなり、ああと云って棒立ちになり、まるで殴《なぐ》られたように全身を震わせました、然しそれはほんの一瞬間です。次いで彼は突きのめされたように寝台の側へ駆け寄りじっと死躰を瞶《みつ》めましたが、そのときおののくような声で、「自然じゃない、自然じゃない」と呟くのが聞えました、「とうとう事実になった、他殺だ、殺されたんだ、ああ伯父さん」
私は署長を見ました、なにしろ医者と私たち以外には、まだ誰も成瀬氏が毒殺されたということは知らない筈《はず》ですから、彼だけがいきなりそういう言葉を洩《も》らすのは理由がなくてはなりません、然し署長は黙って松川氏の腕をとり、寝台からひき離すようにして階下へおりました。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
松川郁造を加えて署長が元の席へ就く、これで関係者は揃《そろ》った訳です。署長は郁造氏に向って、今朝四時半頃、木内老人が毎日のように朝食を運んでいったとき、成瀬氏の死んでいることが発見されたこと、呼ばれた医師が死因に疑問を持ったので、自分たちが一応の調べのために来たことなど説明し、なお是れに就いて郁造氏になにか思い当ることはないかと訊《たず》ねました、……彼は佐知子夫人や和泉君のほうへ時どき鋭い一|瞥《べつ》をくれながら、帰朝してこの家へ伯父の世話をしに通うようになって以来の事を、巧みな英語まじりのおちついた調子で語りました、けれども成瀬氏の死に就いてはなにも心当りはない、と答えるだけです。署長は暫く彼の顔を見ていましたが、やがて、「それではさっき寝台の側で貴方《あなた》の云った言葉の意味を説明して下さい」と突込みました。
「これは自然ではない、他殺だ、殺されたのだ、貴方はこう呟《つぶや》かれた、あれはどういう意味なのか聞かして頂きましょうか」
「あれはいや、あれは」郁造氏はひどくまごつき顔を赭《あか》らめさえしました、「私は逆上していたんです、伯父の死があまり突然だったものですから、あれは失言です、だってそんな筈《はず》がないじゃありませんか、私はあれを取消します」
「然《しか》し貴方はこうも云われた、とうとう事実になった、……これにはなにか理由があるでしょう、念のために云いますが、こういう証言は神聖です、それは時に死者の代弁ともなるものです、勇気を以て、貴方の知っている事を云って下さい、事実はいつか顕《あら》われずにはいないものですから」
「申上げましょう」まる一分ばかり考えた後、郁造氏は低い声でこう云いました、「実は半月ほどまえから伯父が、時どきこんなことを訴えるのです、毎夜十二時頃、誰かが病室へはいって来て、臭素剤シロップの吸呑へなにかの薬滴を入れる、おれは毒殺されるに違いない、……こう云うのです、私は信じませんでした、恐らく病気が伯父の脳を侵した結果、そういう妄想が起こるのだろうと考えました、だってそんな怖《おそ》ろしい事がこの家で行われる訳がないのですから、然し伯父の言葉は忘れ得なかったのでしょう、さっき死顔を見たとき反射的にそれが現実になったのだと思い、ついかっとしてあんなことを口走ってしまったのです」
「かなり重大なお話ですな」署長はなにか思い耽《ふけ》るような調子で、こう云いながら眼をあげました、「奥さん、お聞きのとおりですが、貴女《あなた》は御主人からそういう話をお聞きになったことがありますか」
「いいえ」夫人は紙のように蒼白《あおじろ》くなった顔を僅かに横へ振りました、「わたくし聞いたことはございません」
和泉秘書も木内老人も、女中はもちろん誰も聞いていないと答えました。署長はそこで静かに椅子から立ち、重おもしい口調で次のように云いました。
「まことに残念ですが奥さん、私は職務上あなたを本署へお伴《つ》れしなければなりません、和泉君も同様です、どうか二人ともすぐその支度をして下さい」
「僕が、なんで僕が」和泉君は憤然と叫びました、「いったいどういう訳です、僕にどんな疑いがあると云うんです、どんな」
「見せましょうか」署長は冷やかにそう云い、ズボンの隠しからくしゃくしゃになった一枚の手帛《ハンカチ》を取出しました、「ここに和泉という姓の縫取りになっている手帛がある、これは君の物だと思うがどうです」
「むろん僕のです」和泉君の顔は激しい動揺が現われました、「それがどうしたんですか」
「これが病室の寝台の下に落ちていたんだ、寝台の下に」署長は珍しい刺すような口調でこう云いました、「君は薬学専門学校を出ているそうだね、毒物の致死量もよく知っているだろう、これが君に対する嫌疑の理由だ、然し単にそれだけじゃない、夜半十二時に病室へ行って、吸呑の中へ毒薬を入れる者がある、そしてそれのできる者は、失礼だが奥さんと君より他《ほか》にない、これでも君にはなにか異議があるかね」
和泉君は頭を垂れました、それは大きな力でうちのめされたような、絶望的に悄然《しょうぜん》とした姿でした。佐知子夫人は石のように硬《こわ》ばった表情で聞いていましたが、署長の言葉が終ると同時に立上り、女中といっしょに室から出てゆきました、署長は刑事の一人を呼び、「この人の支度を見てやりたまえ」と和泉君を指さしました。そして二人が出てゆくとすぐ、松川氏のほうへ振返って、
「だいたいお聞きのとおりですが、念のため成瀬氏の遺骸《いがい》を解剖することになると思います、お気の毒ですが御了解願います」こう挨拶《あいさつ》して主任を呼びました、「検事局からはまだ来ないのかね、ばかに遅いようだがもう一度催促をして只れないか、僕は二階にいるから……」
そして署長は私に眼くばせして椅子から立ちます、私は息苦しくなったこの部屋から出ることにほっとして、署長といっしょに二階へ上ってゆきました。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
二階へ上った署長は病室の前で立止り、廊下の左右を見まわしていましたが、やがて病室の反対側にある扉を明けました、中はまっ暗です、「マッチはないか」と云うので、私は隠しをみましたが、あいにく持っていないもんですから、死躰《したい》の番をしている刑事の処《ところ》へいって借りて来ました。署長はそれを二十本あまりも燃して丹念に部屋の中を調べまわります、……そこは家具|什器《じゅうき》の置場とみえ、造付《つくりつけ》の戸棚があり寝台とか椅子などという道具がいっぱい積み重ねてありました。久しく人の出入りがなかったのでしょう、空気は濁って黴《かび》臭い匂いが鼻をつくようです、署長は床の上を念入りに調べ、白い覆布《おおいぬの》の掛けてある寝台の上を手で撫《な》でまわすなど、約十分ほど熱心に歩きまわっていましたが、「よかろう」と呟いてその部屋を出ました。
「この部屋になにか関係があるんですか」
私は不審に思ってそう訊きましたが、署長はなにも答えないで、こんどは廊下の突当りまでゆき、そこにある両開き扉を明けるのです、それはすぐ開きました、外へ出ると露台で、鉄の非常|梯子《ばしご》が庭へ下りています、署長はその梯子を下りて一段ずつ丁寧に調べ、なお梯子まわりの土まで、身を跼《かが》めながら見てまわりました。……訳のわからないこの捜査が終ったとき、主任が検事局の人たちを案内して来ました。彼等は自動車の故障で遅れたのだそうで、すぐ病室へはいり、現場調査を始めましたが、これは話す必要がないでしょう。私達は証拠物件を収め、成瀬氏の遺骸を運び出したうえ、佐知子夫人と和泉秘書を伴れてその邸を去りました。
「御愁傷のところたいへん御迷惑ですが」辞去するとき署長は松川氏にこう云いました、「夫人の留守ちゅうこの邸《やしき》のことは貴方にお願いします、いずれ御相談もありますから」
「役には立たんでしょうが承知しました」郁造氏はこう云ってふと声をひそめ、懇願でもする風に署長の眼を見あげました、「然しどうか、あの二人の嬢疑が晴れて呉れるように祈ります、そんなことのできる人たちではないのですから、伯母も和泉も善良な人間です、きっとなにかの間違いだと思いますから」
署長は微笑しながら肩を揺上げ、なにも云わずに玄関へ下りました。……車で署へ帰る途中、署長は深い溜息《ためいき》をつきながら、沈んだものうそうな声でこんなことを云いました。
「成瀬氏は気の毒な人だ、僕はまえにもあの人の変った性格に就いて色いろ聞いているが、まったく悲劇の一生という他はない、生きているあいだ親族と往来せず、友人もなく、世間とも没交渉、愛し愛されたこともない、あれだけの富を持ちながら譲るべき子もなく、死んでも一人として心から嘆く者がない、……これらはみな成瀬氏の偏執的な独善主義から来ている、誰の罪でもないんだ、然もこういう独善主義はまわりを毒さずにはいない、こういう悪ガスは必ず人を中毒させる、……どうしたらその中毒から救うことができるだろう、どうしたら……」
私は思わず「ははあ」と頷《うなず》きました。事件はすでに解決に近づいている、例に依《よ》って、署長の頭ではもう「仕上げ」の計画が始まっている、こう推察したからでした、然し私は黙って、半ば眼をつむっている署長の横顔を眺めていました。……署へ着くとすぐ、署長は主任を呼んで、夫人と和泉とを「特五号」へ入れるように命じました。
「一緒にですか」主任は眼を瞠《みは》って、「婦人とあの男を一緒に入れるんですか」
「そのための聴査室じゃないか」署長は上衣《うわぎ》の釦《ぼたん》を外《はず》しながら云いました、「二人で置くほうが話は早いし、思いがけないことが聴けるよ、やってみたまえ」
主任は不安そうに出てゆきました。「特五号」は聴査室とも呼ぶ保護室の一で、部屋の三方にマイクロホンが装置してあり、中で話すことがすべて離れた別の部屋で聴けるようになっている、この二人のような場合には最も適切な部屋でした。……署長が上衣の前をはだけて、ぐったりと椅子に掛けたとき、私は例の遺言書のことを持出してみました。
「とうとうあれが問題になって来ましたね、署長、故人の意志を果すためにはあれに法律的効力を与えなければならない、それができないとすると私たちは……」
「いいから三十分ばかり眠らせて呉れ」署長はこう云って椅子の背へ凭《もた》れかかり、眼を閉じながら大きな欠伸《あくび》をしました、「三十分ばかりな、今日は柄にもないことをしてすっかり疲れたよ、頼むから少しそっとして置いて呉れ」
その夜は主任と一緒に署で泊りました。「特五号」でいつ二人の話が始まるかわからない、始まったら聴かなくてはならないからです、然し朝までなんの知らせもなく、スピーカーの番をしていた内勤の話では、まるで無人の部屋のように静かだったそうです。……朝になって署長が出勤しますと、芝山警察医が死躰解剖の報告に来ました。然しそのとき「特五号」で話が始まったという知らせがあり、私はすぐとびだしましたので、剖検の結果は聞くことができませんでした。駆けつけたその部屋には既に主任が来ており、内勤の調節しているスピーカーからは女の啜《すす》り泣《な》きの声がながれ出ています、私は手早く紙と鉛筆を取って速記に掛りました。
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
「貴方《あなた》が私を嫌っていらっしゃることはよく知っています」やがて啜り泣きの中から、こういう夫人の声が聞えて来ました、「でも貴方は御存じがないんです、私がどんな気持で生きて来たか、五年のあいだどんな気持で私が生きて来たかということを……」
こみあげる嗚咽《おえつ》のために言葉が切れました、傷《いた》ましいとも哀《かな》しいとも云いようのないその嗚咽は、私の眼にふと晩秋の曠野《ひろの》を描きださせたのです、蕭々《しょうしょう》と風の渡る曠い曠い草原、片向きにさらさらうちなびく秋草の中に、絶え絶えの音をあげて虫が鳴いている、灰色の重たい雲に閉ざされた空、遠く遙かに横たわっている地平線、あらゆる物の死絶えたような侘《わび》しい眺《なが》めのなかで、咽《むせ》ぶように細ぼそと虫が鳴いている、……こういう想いが私の心をいっぱいにしたのです。
「貴方の冷たい身振りが、憎み罵《ののし》るような貴方の眼が、昼も夜も私を苦しめる、眠っていてさえもそれから逃げられない、私は哀しくて辛《つら》くて、生きていることにさえ耐えられない気持でした、五年間、……いつかは本当の私を知って頂ける時が来るだろう、……ただその一つを頼りに今日まで生きて来たのですわ」
「なんのために」やや長い間をおいて、男の冷淡な声が聞えました、「今になってなんのために、そんなことを仰《おっ》しゃるんです」
「なにもかもおしまいだからです、もう貴方とはお会いすることもできなくなるでしょう、生きているうちに、こうしてお会いできるあいだに、ひと言だけ聞いて頂きたかったからです」
「貴女《あなた》が苦しんで来たということをですか、それを僕に信じろと仰しゃるんですか」
「いいえ……」夫人の声はふり絞るように悲痛なものでした、「いいえ、わたくしが愛していたということをですわ、わたくしが貴方を愛していたということをですの」
断腸という表現があるとすれば、そのときの夫人の嗚咽はそのまま断腸の叫びだったと云えましょう、ぎりぎりの窮地に陥り、救いようのない立場に追詰められて、身も心も投げだした告白に違いありません。あの豪華な応接間で見た夫人の美しい姿、非人情で冷やかな、些《いささ》かも情感の匂いのないあの美しさには、このような激しい情熱が秘められていたわけです。……夫人の嗚咽を縫って、和泉秘書の声が低く聞えて来ました、これも苦悶《くもん》に圧《お》し拉《ひし》がれた痛ましい呻《うめ》きでした。
「貴女が愛していたんですって、貴女がこの僕を愛していたんですって、……奥さん、やめて下さい、貴女はそれが逆だということはよく御存じじゃありませんか」
「愛していました、この他《ほか》にはなにも聞いて頂くことはございませんわ、わたくし貴方を愛しておりました」
こみあげる嗚咽のためにとぎれがちなその囁《ささや》きには、どんな小さな疑いを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しはさむ余地もない真実が籠《こも》っていました。ああという男の呻きが起こり、そのままながいこと夫人の啜り泣きだけしか聞えて来ません。夫人はどのような姿で泣いているのでしょう、男はどんな気持でそれを見ていることか、これからどんなことを云いだすだろう、私は強い好奇心と期待のために汗の出るほど鉛筆を固く握り緊めました。
「僕は貴女を憎んでいました」ずいぶん経ってから和泉秘書がそう云いだしました、「貴女がそんなに美しく、そんなに若い年であのような老人の処《ところ》へ嫁して来られたから、……石のように冷酷な、人間らしい感情の塵《ちり》ほどもないあんな老人の処へ、なんのために貴女は嫁《とつ》いで来たんです、なんのために」
「その訳は貴方が御存じですわ、わたくし貴方は憐《あわ》れんで下さると思っていました」
「僕が初めて伺ったとき」和泉君は遠い過去を想い廻《めぐ》らすようにこう云いました、「貴方はまだ女学校の一年生だった、それから学校を卒業なさるまで、毎月の末にはきまって僕はお宅へ補助費をお届けにいった、このあいだにも、美しく育ってゆく貴女をみて、僕がどんなに夢と絶望とで苦しんだか知ってはいらっしゃらないでしょう、僕は自分の価値を知っていました、将来もわかりきったものです、結局、諦《あきら》めなければならない、それには此処《ここ》から逃げだすことでした、そしてその決心をしたとき、貴女が成瀬家へ嫁いで来ることを知ったんです、……僕は動けなくなりました、どうしてでしょう、成瀬氏は貴女のお家とその婚約を条件に補助されたという、僕はそれを聞いて憎悪《ぞうお》のとりこになったんです、僕があのように苦しみ悩んだ貴女、どんなものにも代え難く想い憧《あごが》れた貴女、その人が僅かな補助の代償として身を売った、宜《よろ》しい見てやろう、……僕はこう思いました、この不徳義な結婚が平安である筈《はず》はない、成瀬氏は初めから病人だった、貴女とはいちども寝室を共にしたことがない、こんな不自然な関係はきっと破滅する時が来る、必ず、……そして僕は、来る日も来る日も、貴女を憎み成瀬氏を憎み、あの家の破滅する時を待っていたんです」
「わたくし貴方を愛していました、貴方を愛しておりましたの」夫人は咽《むせ》びあげながら、ただこう訴えるばかりでした、「貴方を愛して貴方を……」
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
このとき誰かが後ろからスピーカーへ手を出して、ぷつんとスイッチを切りました。びっくりして振返るといつ来たのかそこに署長がいます、どうしたんですかと訊《き》く暇もなく、「もういい、ゆこう」と云って立上ります、二人の会話はちょうどクライマックスに来ていたので残念でしたが、仕方なしに私も後かち立ってゆきました。
「あの憎悪が結局こんどの犯罪の原因なんですね」私は廊下へ出ると署長にこう云いました、「不徳義な結婚に対する憎悪と、その底にある夫人への激しい愛が、結局はああいう異常なかたちで顕《あら》われたのでしょう」
「あれは表現だよ」署長は事も底げにこう答えました、「憎悪などありゃあしない、あれは和泉君の愛情の深さを表現する言葉だ、おれが聞きたかったのはあの言葉さ、二人は互いに愛し合いながら、境遇に支配されてそぶりにも出せずにいた、応接間で訊問しながらおれはたぶんそんなことだろうと睨《にら》んだんだ、ことさら反撥《はんぱつ》し合うような二人の容子《ようす》は、そのまま愛の表白にみえたからね、……成瀬氏が死んで鎖は切れた、然《しか》しそれだけでは救いようのないほど二人は毒されている、時を外《はず》してはだめだ、なるべく早く真実を告げ合う機会を与えなければいけない、おれはこう思ったんだ、そして幸いそれが成功して呉れたんだ、これで二人は救われるんだよ」
「それでは成瀬氏を毒殺したのは誰です、あの二人が無関係だとすると……」
「成瀬氏は毒殺されたんじゃないよ」
「なんですって」私は署長室の扉の前で棒立ちになりました、「ではいったい……」
「あの人は心臓|麻痺《まひ》で死んだんだ、なにか非常に大きな衝動《ショック》を受けた結果ね、死躰《したい》を解剖してそれがはっきりした、毒殺犯人などはいやあしないんだよ」
「だって署長、現に僕たちは毎晩十二時頃にという、例の話を成瀬氏の口から聞いたじゃありませんか、そして現在その吸呑《すいのみ》を持って」
「その次は寝台の下の手帛《ハンカチ》かね」署長はこう云って笑いながら、剣を付け帽子を取上げました、「さあいこう、君の純朴な疑問を解いてみせてやるよ、車は呼んである」
署長はいちど引返して、主任になにか云い置きをしました。そして私たちは車で署をでかけましたが着いた先は成瀬邸です、出迎えた木内老人に「松川さんにどうぞ」と面会を求め、応接間へ通りました。五分ばかり待ったでしょうか、松川氏は和服の着ながしで、深い憂愁を強《し》いてひき立てるような、力のない微笑を見せながらはいって来ました。……挨拶《あいさつ》を交《か》わして椅子に掛ける、すぐに署長は「貴方の祈りが届きましたよ」と云いだしました、「調べてみたところあの二人には、詰り奥さんにも和泉君にも、疑わしいところはなにもないのです、間もなく二人とも此処へ帰ってみえますよ」
「すると、なんですか」、郁造氏は袂《たもと》から煙草を取出しました、「結局その、嫌疑は晴れたという、そういう訳ですか」
「二人のために祈ると云われた、貴方にはなによりのお知らせだと思って、ひと足さきにまいった訳です」
「詰り犯人は、犯人は他《ほか》にある、そういうことになるんですか」
「そういうことになりますな、もしも、犯人があるとすればですね」署長はここでぐっと躯《からだ》を反《そ》らし、例の楽な姿勢になって眼をつむりました、そろそろ本領が出たわけです、「私にはどうしても解釈のつかない事が一つあるんです、それはですね、成瀬氏がどうしてあの吸呑の薬を呑んだかという点です」
「と云うとそれは、どういう意味で……」
「貴方もお聞きになったそうですが、実は私も成瀬氏から聞いたんです、毎夜十二時頃に誰か来て、臭素剤シロップの中へ毒物ようの物を入れる、あの話ですね、或る機会で私も氏の口から聞いたんです」
「僕は、然し僕は信じなかったのですよ、だって」
「まあお聞きなさい、例《たと》えば貴方が信じなかったにしてもですね、成瀬氏は誰かが来て毒物ようの物を入れるのを見たと云う、そう云う以上、御自分は信じていたのでしょう、それなら、氏は絶対にあの吸呑には手を触れない筈じゃありませんか、他の者なら知らぬこと成瀬氏だけは呑む筈がない、なぜなら、その中に毒物ようの物が入っていることを知っているんですからね」
「……なるほど」こう云って松川氏は初めて煙草に火を点《つ》けました、気のせいかマッチの火が震えるように見えます、「……そう仰しゃればふしぎですね、然し、伯父はもう病気でかなり神経も鈍っていましたから」
「そういう解釈もありますが、私は別にこんな風なことを考えてみたんです、それはですね、あの毎夜十二時|云《うん》ぬんという話は、貴方と私たちしか聞いていない、他の誰も聞いていないんです、逆に云うと私たちと貴方だけは知っているが、他の誰もそんな話は知らなかった、……そして、あの吸呑の薬を呑むからには、成瀬氏も知らなかったのじゃないか、こういう解釈です」
「よくわからんですが」松川氏はふとなにやら英語で呟き、眉を顰《しか》めながら署長を見やりました、「伯父がなにを知らなかったというんですか」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
「あの吸呑《すいのみ》の中へ誰かが毒を入れるという、あの話をですよ」署長は、大きななま欠伸《あくび》をし、椅子の上で身を反らせました、「他の者と同様に成瀬氏も知らなかった、だからこそ吸呑の薬を呑んだ、こう考えれば最も自然じゃあないですか」
「然《しか》し貴方《あなた》は現に伯父から聞いたと仰《おっ》しゃったでしょう、僕が聞いたことはともかく、もし貴方の聞いたのが事実とすれば」
「事実とすれば、いいですか、私の聞いたことが事実とすればですね、それは成瀬氏では無かったということになるんです」
そのとき松川氏はとつぜん煙草に噎《む》せて、身を踞《かが》めながらこんこんと激しく咳入《せきい》りました。署長はのんびりとその鎮《しず》まるのを待ったうえ、眠たげなまだるっこい調子で、
「病室は暗かった、枕電燈は濃い色のシェード、燭光《しょっこう》も弱い、汚れて乱れた白髪の鬘《かつら》を冠《かぶ》り、毛布に包まれていれば、まして初対面の私たちにはそれが本当に成瀬氏かどうかわかる筈がない、事実そのときは私にもわからなかった、けれどもちょうど一昨日の晩でしたよ、私は寝床の中で頬《ほっ》ぺたを蚊に食われた」こう云って署長は自分の右の頬を指さします、「この処《ところ》をです、それでぴしゃっと叩《たた》き潰《つぶ》したんですが、そのときふと病室であった事を思いだしました、というのは、私が寝台の側で成瀬氏の話を聞いていたとき、二度まで蚊が成瀬氏の頬に留ったんです、氏の頬がその反応でぴくぴく痙攣《けいれん》するのを見て、私はそっとその蚊を追ってあげました、私はそれを思いだしたんです、そして神経が不随である筈の部分が、蚊に留まられて神経反応を起こす筈がない、ということに気づきました、……いかがです松川さん」
「どうもお話がぴったり来ないんですが」
「では説明しましょう」署長は相変らずだるそうな調子で、「或る人間が成瀬氏を寝台から抱上げ、病室の向うにある物置部屋へ移したんです、そして用意してあった扮装《ふんそう》をして寝台に上り、五道三省の来るのを待って、例の毒薬の話をした、その人間はみごとに成瀬氏の役を勤めたが、健康な不随意神経まで支配することはできなかった、……これでぴったりするでしょう」
「ですがいったい、誰です、そんなことをする男は、誰だというんです」
「他の誰も知らないことを知っている人間です、毎夜十二時というあの話を知っている人間、詰るところ、私か貴方かどちらかです」
その瞬間の息詰るような沈黙は忘れられません、蒼白《そうはく》になった顔で署長を睨《にら》んでいた松川氏は、抗弁しようとして口を二三度あきかけました、だがもうその力は無かったのでしょう、低く呻《うめ》いたと思うと、両腕で面を抱《かか》えながら卓子の上へ俯伏《うつぶ》せになりました、
「私はこれ以上なにも云いません」署長はしずかに続けました、「貴方にだけ知らせてあげる事がある、それは成瀬氏が毒を飲まなかったということです、非常な衝動《ショック》に依《よ》る心臓|麻痺《まひ》です、なにが衝動になったかはおわかりでしょう、……ともかく貴方にとっては幸運でした、そしてどうかこういう幸運には二度とお預りにならぬように御忠告します」
そのとき表へ自動車の着く音が聞えました、署長は椅子から立ちながら、一枚の紙片と手帛《ハンカチ》とを卓子の上へ置いて、「こちらはいつかの遺言書です」と云いました、それはもう劬《いたわ》るような、温かな響きの籠《こも》った調子でした。
「そしてこの手帛を、貴方の手から和泉君に返すだけの、贖罪《しょくざい》の勇気を期待します、それが貴方の新しい出発ですから」
署長はこう云って応接間を出ました。玄関へ出ると、ちょうど夫人と和泉君がはいって来たところです、二人はこちらを見てびっくりしたようですが、署長はにこにこ笑いながら近寄っていきました。
「どうもたいへん御迷惑を掛けて恐縮です、なにもかも私の考え違いでした、こんな事はめったにないのですが、まことに済みません、お許しを願います」あやまるというよりお祝いでも述べているような、たいそう浮き浮きした調子です、そして二人が返辞をする隙もなく、署長は「和泉君」と親しげに呼びかけました、「……ごらんのとおり奥さんは独《ひと》りになられた、これからは君がちからになってあげなければならない、奥さんの頼みにするのは君だけです、どうか狭量な考えを捨ててすなおに強く生きて下さい」
そして珍しくも和泉君の肩を叩き、夫人と二人を見比べるようにしながら、
「人間は死ぬまでしか生きない、たしかに愛し合うのは生きているうちだけです、愛する者があったなら、そしてその機会が来たら、時を失わずに愛するがいいのです、……お詫びの印に、この言葉をお二人に差上げます、失礼しました」
佐知子夫人が泣きそうになったと思ったのは私の誤りでしょうか、車へ乗ってからも、私には夫人の歓《よろこ》びの嗚咽《おえつ》が聞えるように思えて仕方がありませんでした、……然し私にはまだ一つ疑問があったのです、それは成瀬氏に与えた非常な衝動というやつでした。
「君は頭が悪いね」署長は眠そうな声で、こう説明して呉れました、「成瀬氏はいちど松川に物置部屋へ運ばれたことがある、その驚きがまだ残っていた、そこへまた松川の姿をみつけたんだ、彼は夜更《よふ》けに非常|梯子《ばしご》から病室へ入り、自分で僕に話したとおり吸呑の中へ毒物を入れた、そして光りの届かない処から容子《ようす》を見ていたんだ、成瀬氏は吸呑を取り、それを口に当てたとき松川の姿をみつけた、その恐怖と驚きが心臓麻痺を起こさせたのさ。松川はそれを毒死したものと思い、和泉君の手帛を、……ちょっ、君はまだおれにこんな下らないお饒舌《しゃべ》りをさせる積りかい、そのうえ仕上げが相変らずの飴ん棒などと云うんだろう、おれは飴ん棒さ、だがおれは……」そしてわが寝ぼけ署長は鼾をかき始めました。
底本:「山本周五郎全集第四巻 寝ぼけ署長・火の杯」新潮社
1984(昭和59)年1月25日 発行
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
夜毎十二時
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)俄《にわ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)長|宛《あて》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]
-------------------------------------------------------
[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
その年の五月は梅雨の繰り上ったかたちで、鬱陶しいこぬか雨が下旬ちかくまで降り続き、それがあがったと思うといっぺんに暑さがやって来ました。湿気の多いところへ俄《にわ》かの暑さですから、蝿や蚊の繁殖も例年にないひどさで、流行病を警戒する宣伝が早くから行われるありさまでした。……そういう季節の一日、五道三省という個人名で署長|宛《あて》に書留の速達便が届きました、差出し人は曲輪町の成瀬正彦、大きく「必親展」とあります。曲輪町の成瀬といえば旧藩主の一族で、その巨《おお》きな資産といっぷう変った性格とで有名です、私はすぐにその手紙を署長のところへ持ってゆきました。
「僕には訳がわからない」署長は読み終った手紙を押してよこしながら、うんざりしたという風にその逞《たくま》しい肩を揺上げました、「こういう人たちは警察をどう思っているんだろう、自分の使用人とでも考えているんだろうか、まあ読んでみたまえ」
私は手紙を取りました。それはごく簡単なけれど小学生の書いたように歪《ゆが》んだ下手《へた》くそな鉛筆の走り書で、「自分の生命に関する件でぜひ極秘に相談したいことがある、今夜正十時に万障繰り合せて来て貰いたい、その際できるなら公証人を同伴するように、また来訪は私服に限り、玄関では石田三造という名を通じて頂きたい」こういう意味のことが書いてありました。
「然《しか》し生命に関するということですから、このまま抛《ほう》って置く訳にもいかないでしょう」
署長は暫くなにか考えていましたが、やがてふと私のほうへ振返り、「君は半年ほどまえにどの新聞かで成瀬家のことを書いた記事を読んだ覚えはないか」と訊《き》きました。そう云われて気がついたのですが、長い病床にある成瀬氏と若い夫人のことに就いて、たしかに美談風なことがどの新聞かに出ていた筈《はず》です。
「内容は忘れましたが読んだ覚えはありますね」
「済まないが捜して来て呉れないか」
私はすぐ書庫へいって小使に手伝わせながら綴込《とじこみ》を繰ってみました。それは五カ月前の夕刊報知に出ていました、「現代|嬋娟伝《せんけんでん》」という題で、美人という噂《うわさ》の高い当市の名流婦人や令嬢を評判記風に書いた連載物です。成瀬夫人の記事はその五番めにあり、三回にわたる精《くわ》しいものでした。……簡単に云うとこうです。成瀬正彦氏は旧藩主の一族であり屈指の資産家として著名だが、狷介《けんかい》孤高の質でまったく世間と交渉を持たず、深くその邸内に隠れて禅者の如《ごと》き生活を続けて来た。五年まえ、氏は健康の衰えを感じて夫人を迎えた、夫人はやはり旧藩主の支族の家柄だが、すっかり零落して数年まえから成瀬氏の補助を受けていたのである、新夫人の名は佐知子、年は十八歳で女学校を出たばかりだった。成瀬氏はすでに五十六歳で年のひらきも大きかったし、夫人はその母校でも美人の名が高かったので、この結婚は香《かんば》しからぬ世評を愛けた。然し間もなく成瀬氏は脳溢血で倒れ半身不随で病床に就いて以来、夫人は献身的に良人《おっと》の看護をして今日に至っている。世間はこの点で夫人に対する偏見を改めなくてはいけない、家庭は成瀬氏子飼いの和泉秘書と、老僕、女中という寂しい人数だ、訪客もなし外出もしない明くことなき門、閉ざされたる窓、陰鬱な暗い邸《やしき》の中で、老いたる病夫のために幸多き日を捧《ささ》げ、修道尼の如き明け昏《く》れを送る佳人、これこそ正《まさ》しく、……ざっとこんな調子のものでした。
「いってみるかね」署長は新聞を読み終ってからそう云いました、「美しい令夫人に会えるだけでも値打があるかも知れない」
「公証人というのをどうなさいますか」
「君の代理でいいだろう、本当に必要ならまた改めてゆくさ、たぶんそんな事なしで済むと思うがね」
その夜十時五分前に私たちは成瀬邸を訪れました。築地塀《ついじべい》をとりまわした広い邸内には、隙もなくみず楢《なら》や榧《かや》や椎《しい》などの常緑樹が枝をひろげ、それだけでも暗くじめじめした感じなのに、建物が明治初期の洋館で、がっちりはしているが窓の少ない英国風の陰気な造りですから、重くるしく冷たい圧迫するような雰囲気が澱《よど》んでいました。
「せっかくですが主人は病中ですし、どなたにもお会いしない定《きめ》ですから」
玄関へ出た老人がこう答えました。腰の曲りかけた、白髪の、ぎすぎすした老人です、これがこの家で「爺《じい》や」と呼ばれる木内又平でした。
「いや御主人は会って下さる筈です」署長はこう云いました、「どうか石田三造がまいったと伝えて下さい、きっとお許しがでるでしょうから」
老人はなお無表情な眼で疑わしげにこちらを見ていましたが、やがて奥へ訊《き》きにゆき、ほどなく戻ると、黙りこくった不機嫌な顔つきで、どうぞという手真似《てまね》をしました。私たちは廊下を曲ってゆき、もう古びた、少しぎしぎしいう階段を登って、三つ並んでいる扉のいちばん端の室の前に立ちました、廊下を隔ててこちら側にも二つ扉がみえ、廊下のつき当りは露台へでも出るらしい重くがっちりとした両開き扉になっています。……老人が叩《ノック》しますと、室内から澄んだ鈴の音が聞えました。それをよく聞きすましてから老人は扉を明け、ようやく私たちのために躯《からだ》をどけるのでした。その物ものしい容子《ようす》は、この家の日常の退屈で古臭い習慣と主人の頑《かたくな》な好みを表わしているようで、私は早くも不愉快な気持に聾われました。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
それは二間に三間くらいの、ひどく陰鬱な感じの部屋でした。黒ずんだ緑色の垂帷《カーテン》を引いた窓のほうを頭にして、大型のマホガニイ製の寝台がどっしりと据えられている。部屋の飾付は単純で重おもしく、天床《てんじょう》も壁も嵌木《はめき》細工の床も時代のさびと沈んだ艶《つや》を帯びていました、寝台の右側に棚付きの脇卓子《わきテーブル》があり、その上に濃い藤色のシェードを掛けた枕電燈が点《つ》いている、弱よわしい――微《かす》かなその光りが、寝台の上に寝ている老人を私たちに見せて呉《く》れました。……黄ばんだ、麻のようにこわい白髪と、腫《は》れぼったい眼蓋《まぶた》と、だらっとした緊《しま》りのない唇とがまず注意を惹《ひ》きました、然しこれだけ見るのがやっとのことでした、自尊心の強い人たちが誰でもそうであるように、成瀬氏も私たちに顔を見られることが不愉快だったのでしょう、けわしく眉を顰《しか》めながら枕ランプの光りから外向《そむ》き、不自由な右手をだるそうに動かして、椅子へ掛けろという合図をしました。
「たしかに五道君ですな」成瀬氏は枕ランプの笠《かさ》を傾《かし》げて、光りがまっすぐこちらへ向くようにしながら、低いうえに舌のもつれる、ひどくがさがさした声でこう云いました、「たしかに五道三省君に間違いありませんな、もし貴方《あなた》が……」
「間違いなく五道です、御相談というのを伺いましょう」
「わしは躯《からだ》が利《き》かない、このとおり舌もよくまわらない、恐らく物の判断も不正確だろうと思う、だから君が五道君の名を偽っているのだとしても、見やぶる能力がないかも知れない、……そう思いはせんかね」
舌がもつれるので聞きにくいし、偏執的に疑い深いねちねちした調子なので、署長も些《いささ》か気を悪くしたのでしょう、「そんなに御不審ならこのまま帰ることにしましょう」と云って椅子から立ちそうにしました。
「君は怒ったんですか」成瀬氏はこう云いました、「まあ掛けて下さい、わしは一般に人間というものを信じない質なんでね、が、君が五道君だということはたしからしい、宜《よろ》しい信じましょう」
「御用談を伺いましょうか」
「これを……」こう云いながら、成瀬氏は例のよく利かないぶるぶるする右手で、一枚の紙を差出し霞した、「これを読んで、貴方とそこにいる公証人とで、立会保証をして貰いたいのだ」
署長は受取って披《ひら》きました。それは遺言書といったもので、「自分の死後、成瀬家に属する全資産は、甥《おい》の松川郁造に譲る、郁造はその中から現金で一万円を余の妻佐知子に与えること、当市の慈善事業へ一万円寄付すること、右二条を実行する義務がある、これに対して親族じゅうのいかなる異議も※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しはさむことは許さない」こういう文言のあとへ署名|捺印《なついん》がしてあります、署長は困ったように溜息《ためいき》をつきました。
「これはかなり重要な問題ですな、事情も有ることでしょうが、然しどうして私を立会人に選ばれたのですか」
「他に無いからだ」成瀬氏は冷笑するような調子でこう答えました、「わしの周囲には信ずることのできる人間はひとりもおらん、みんな虎狼《ころう》の如き奴等《やつら》ばかりだ、然もわしは、生命を脅やかされておる、生命を……五道君のことは度《たび》たび新聞で読んだし、警察署長という身分がこの遺言の立会人としても、またわしが殺されようとしている事実に対しても誰より有力な立場にあると考えたからだ」
「どうも信じ兼ねますな」署長はこう云いながら、ふと手を伸ばして成瀬氏の頬《ほお》にとまっている蚊を追いました、「貴方のような御身分の方がそんな危険な状態にあるとは、私には信じられません」
「君が信ずる信ぜないは勝手だ、そしてわしも自分の感覚がまったく健全だとは主張しない、然し、わしはこの眼で見るのだ」成瀬氏はちょっと言葉を切り、どこかを瞶《みつ》めるように眸子《ひとみ》を凝らしながら続けました、「毎晩十二時頃に、誰かがこの部屋へはいって来る、そして、その脇卓子の上にある、わしの臭素剤シロップのはいっている吸呑《すいのみ》の中へ、なにかの薬滴を入れる、それからまたそっと出てゆく、……毎晩だ、毎晩十二時頃には、必ずこれだけのことを見るんだ」
「それだけでは、どうもし署長はじっと病人の顔を見まもっていました、「ひとつもう少し精しく聞かせて頂きたいですな」
「わしの躯にはもう臭素剤だけしか用がない、それも午後と、夜半の二回、心悸亢進《しんきこうしん》の起こる場合だけに、……甥の郁造がその二度の臭素剤シロップを作って呉れる、午後一時に一回、午後八時、彼が帰るときに一回、わしの見ているところで、そこの薬棚から薬を出して作って呉れる」
「どうして奥さんがなさらないのですか」
「ああ黙っていて貰いたい、君にはわしの立場がわかってはいないのだ」成瀬氏は殆んど怒りの語気でこう云いました、「和泉はこの家で子飼いからの人間だ、佐知子はわしの妻だ、けれどもわしは、……わしは食事を爺《じい》やに作らせる、薬は甥の他に手を付けさせようとは思わない、……決して、だがこんな家庭の内情は君には無関係だ、毎夜十二時に、何者かがわしの飲むシロップへ薬滴を入れる、君にはこの事実だけを知って置いて貰いたいんだ」
「およそ誰かという見当はおつきにならないのですか、男か女か、若いか老人かという……」
「この枕電燈は燭光《しょっこう》が弱いし、その人間は薬戸棚の向う側へ光りを避けて来るから、そのうえわしの視力はすっかり衰えておるので、男女の区別さえわしにはつかんのだが……」
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
だが……と云いかけたとき、成瀬氏の左の頬がぴくぴくと痙攣《けいれん》しました、大きな縞蚊《しまか》が一|疋《ぴき》そこに留って血を吸っているのです、署長はまた静かに手を伸ばして追ってやりました。
「それでは貴方《あなた》が御自分の生命に危険を感じていらっしゃるのは、夜半に誰か来て、貴方の召上る薬の中へなにか毒物ようの物を入れる詰りそのことを指す訳ですね」
「喰《た》べ物《もの》にだって入れるかもわからん」成瀬氏は抑揚のない声で云いました、「だが、わしにとってはそんなことはもう重大ではない、わしはこのとおり殆んど全身不随で、生きた死骸《しがい》も同様なんだ、死ぬことを恐れはしない、だが、わしの喉《のど》を締める手にわしの遺産を握らせるわけにはいかん、それだけは断じて許せない、おわかりかな、五道君」
「失礼ですが」署長はちょっと間を置いてから云いました、「私に二三ご家庭のことを聞かせて頂けませんか、例《たと》えば和泉という人の……」
「いや断わる、わしは成瀬正彦だ、わしが生きている限り、家庭の内情を探索するようなことは許さぬ、またどこにそんな必要があろう、そんなことはわしが死んでからで充分だ」成瀬氏はゆらゆらと例の右手を振りました、「……それから貴方は、ここでその遺言書に署名|捺印《なついん》して、むろんそちらの公証人にも同様にして頂きたい、そこに硯箱《すずりばこ》が出してありますから」
寝台のこちら側、詰り私たちの掛けている椅子のすぐ側に小さな書き物机があり、その上に螺鈿《らでん》のりっぱな硯箱が載っています、おやじどうするだろう、私はこう思いながら見ていました。ところが署長はむぞうさに机へ向い、硯箱を開けて筆を執りました、そして署名を終ると肉池《にくち》へ親指の腹を付けて拇印《ぼいん》を捺《お》し、振返って私にもやれという合図をします、仕方がありません、私も同じように署名と拇印を捺しました。
「うむ結構だ」成瀬氏は念入りに二人の名を見てから、それをこちらへ返しました、「これで結構です、どうか預かって置いて下さい」
「私が預かるという訳ですか」
「その他に安全な保管法はないのです、どうかそれを確実に預かっていて下さい、そして失敬だが疲れましたからこれで引取って頂きましょう」
成瀬氏は深い太息《といき》をつき、腫《は》れぼったい眼を閉じて沈黙しました。どこかの隅で、蚊が鈍い唸《うな》りをあげているきり、ひっそりとしてなんの物音もしません、署長はやがてものうそうに椅子から立ち、「お大事に」と云ってその部屋を出ました。
「あんな書類へ署名などしていいんですか」暗い夜道を帰途につきながら私はこう訊《き》きました、「幾らなんでも少し乱暴だ、と思いますがね」
「ちょっとした慈善だよ、僕たちが署名したって法律的に効力はありゃしない、然《しか》しそれで病人の気が安まるなら結構じゃないか」
「もし本当に殺人でも行われたとしたらどうです、この場合には法律的効力のない遺書に当人の意志があるのですから、成瀬氏にもしものことがあったとすると」
「妄想だよ」署長は頭を振りました、「あの人は平常から一種の偏執者だった、それが寝台へ横になったきり、僅かに右手だけしか動かせない躯《からだ》で死期を待っている、その苦悶《くもん》が色いろな妄想を生みだすんだ、本当に殺意を持つ者があるとすれば、毎晩十二時に来て云々《うんぬん》なとという思わせぶりな、下手《へた》な方法をとる筈《はず》がないよ」
「私にはどうもそう思えません、なんだか頭にひっかかってるような気がします、と云って別に理由はないんですが」
「美しい令夫人に会わなかったからさ、ちょっとあてが外《はず》れたわけだろう」こう云って署長は笑いました、「とにかく成瀬氏は容易に死ぬ人じゃない、それは僕が保証するよ、御当人は寧《むし》ろお気の毒だがね」
署長はそれきり成瀬氏の事は口にしませんでした。けれども私には気になってならない、陰鬱なあの邸内の風景、巨万の富と寝たきりの病人、まだ若い孫のような美しい妻、青年秘書、病主人の甥《おい》、あの不機嫌なぎすぎすした老僕、暗く重苦しい部屋の中で唸っていた一疋の蚊、……そういうものが頭の中で頻《しき》りに明滅するのです、そして夜毎十二時頃に病室へ忍びこんで、臭素剤シロップの中へなにかの薬滴を入れる怪しい人影などが、……私はどうにも気持がおちつかないので、とうとう自分で成瀬家の内情調査をやることにしました。それには五日ばかりかかりましたが、大した収穫はありませんでした。秘書の和泉勇作は少年時代に拾われ、成瀬氏の世話で薬学専門学校を卒業しています、然し氏は和泉君を独立させようとはせず、それ以来ずっと資産管理の助手のような仕事をさせて来ました、和泉君は陰性なくらい温和な質で、もう年も三十二になるのに独身ですし、最近はひじょうに不機嫌な苛《いら》いらしたようすをしているそうです、これは年齢や環境や当人の位置からみて当然のことでしょうが、私はそこになにか危険の兆《きざ》しがあるように思え、「これは注意しなくちゃあいかんぞ」と独《ひと》り呟《つぶや》いたくらいでした。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
松川郁造というのは、成瀬氏の弟で松川家へ養子にはいった良彦という人の息子です、中学二年生のとき父母と一緒に米国へ渡り、ロサンゼルス在で農園を営んでいたが、間もなく流行病で父母に死なれて農園を喪《うしな》い、転々と職を追って放浪した末、Cという大学の学僕をしながら法科を卒業した、それから桑港《サンフランシスコ》で五年ほど弁護士をしてみたが面白くゆかず、半年ばかりまえに帰国して伯父を訪《たず》ねた、成瀬氏はながい病臥《びょうが》で気が弱っていたところ肉親の甥を見たのでたいへん悦《よろこ》んだそうです、そしてこれから自分の身のまわりの世話をするようにと云いました、郁造氏はこの市で弁護士を開業する積りだったが、伯父の頼みを聞いてそのほうは延期することにし、辻町の下宿から毎日あの邸《やしき》へ通って、午前九時から午後八時まで、成瀬氏の側に付きっきりで面倒をみている、邸へ来て住むようにと云われるが、伯母がまだ若く余りに美しいし、自分も独身だから、そう云って郁造氏は相変らず下宿に寝泊りをしている、……概略こんな状態だったのです。まことにうるわしい伯父甥の関係ですが、米国での生活や帰国した理由に裏があるかも知れない、一概にうるわしい関係で片付けるのは早計だ、私はこう考えました。この他にまだ佐知子夫人や木内老人のこともあるのですが、特に、挙げる必要もなし退屈でもありますから略します。私は調べただけのことを署長に話しました、署長は眠そうな眼で私を見ていましたが、大きな欠伸《あくび》をしながらこう云ったものです。
「それは、それは」
詰りまったく問題にしていない訳です、私はがっかりしてひき退《さが》りました。……たしかその翌朝でした、出勤するとすぐ捜査主任が事件の起こったことを知らせに来ました。
「毒殺の疑いの濃い死亡届がありましたので、芝山君(というのは警察医です)といっしょにいってまいります」
「どこだね、それは……」
「曲輪町の成瀬邸です、御主人の正彦氏が被害者のようだと聞きました」
署長の上躰《じょうたい》がぐっと硬直し、その手からペンが転《ころ》げ落ちました。署長は私を見ました。それから、「いっしょにゆこう」と云うなり、すぐ帽子を取って椅子から立ちました。……私の昂奮《こうふん》がどんなに強かったかはお察し下さい。車が成瀬邸へ着くまで、私は独《ひと》り頭のなかで色いろな人物やさまざまな場面を組立てたり崩したりしていました、「とうとう事実になった、とうとう」などと呟きながら、然《しか》しまあ話を急ぐことに致しましょう。
成瀬邸へ着くと、最初に呼ばれて死躰を診《み》た池崎という内科の博士がいて、私たちを二階の例の室へ案内しました。成瀬氏は寝台の上で、片手に硝子《ガラス》の吸呑《すいのみ》を掴《つか》んだまま死んでいました、黄色く汚《きた》ならしい白髪が乱れかかり眼を大きく瞠《みひら》き口を明けています、なにか非常な驚愕《きょうがく》にうたれたとでもいうような表情で、頭はやや右に傾き、吸呑からこぼれた薬液で、寝衣《ねまき》の胸からシイツまで濡れている、垂帷《カーテン》が絞ってあるので、なにもかもはっきりわかるのですが、その他《ほか》には動いた物もなく変ったようすも見当りませんでした。
「今朝五時頃に電話で呼はれまして」池崎博士はこう説明しました、「すぐ来て診察したのですが、とうも死躰の表情が異様ですし、こぼれている薬液に杏子《あんず》ようの匂いがありますので、吸呑の中から小量を取っていちど宅へ帰り、すぐ試験してみますと、青酸加里《せいさんカリ》が検出された、それで取敢えずお知らせしたような訳です」
「むろん致死量ですな」こう云いながら、署長は寝台の下からなにか拾って見ていましたが、ズボンの隠しへすばやく押込んで、「ではもうここで検屍《けんし》をする必要もありませんな、念のためあとで解剖だけはしてみますが」
捜査主任が来て検事局へ電話を掛けたこと、階下に家族の集まったことを告げたので、池崎博士には引取って貰い、私たちは階下の応接間へゆきました。それは大理石のマンテルピイスを付けた堂々たる煖炉《だんろ》のある、重おもしくて広い、りっぱな部屋でした、ゴブランの壁掛も、すべての家具、椅子や肱掛椅子や卓子なども、高雅な細工のがっちりとした物です。……家人たちはすでにその部屋の中に集まっていましたが、奇妙なことにみんな離れ離れに立っている、夫人は肱掛椅子に、木内老人は壁際に、女中は扉口に、和泉君は窓に凭《もた》れて、という風なんです。この不幸を共に分けあおうというようすは誰にもなく、お互いに反撥《はんぱつ》し忌憚《いみはばか》っているといった具合でした。
「松川という故人の甥に当る方があるそうで」捜査主任が椅子に掛けながらこう云いました、「いま電話を掛けましたところすぐこっちへ来るということでしたから」
署長は頷《うなず》いて、「では皆さんに少しお訊《たず》ね致します」と訊問を始めました。……私は署長が発見者の木内老人を訊問しているあいだに、佐知子夫人と和泉秘書とをそれとなく観察しました、夫人は予想より遙かに美しかった、それはたしかですが、その美しさにはどこかしらひやりとする、譬《たと》えば石像のような冷たい感じなのです、余りに整い過ぎた美人というものは非人情にみえる、夫人の美しさはその類かも知れません、然もその顔には悲しみの色が微塵《みじん》もなく、寧《むし》ろ冷笑するような徹底的な無関心が感じられたのみで……私はふと「吸呑の中へ毒物を入れたのは夫人ではないか」という疑いを覚え、それが少なくも不自然に感じられないのに自分で驚きました。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
窓に凭れている和泉秘書は、異常に昂奮し、それを表に現わすまいとして、けんめいに努力しているのが明らかでした。彼は痩形《やせがた》のかなりな長身で、細面の憂鬱な顔だちです、血色は悪いし額には苦悩する者のような深い皺《しわ》が刻まれているし、不眠の後のように唇は乾《かわ》き、眼は神経的に絶えず動いている、立っている足を暇もなく踏み変え、腕組みをしたり解いたり、すべての容子《ようす》がまったく落ち着きを失っていました。……署長の訊問はこのあいだに木内老人から女中へ移り、そこで一つの事実が発見されました、それは昨夜十二時頃に、夫人が母屋《おもや》からどこかへ出てゆき、三十分ほどして帰るのを女中が見たというのです。
「貴女《あなた》はどうしてそれをみつけたのです」
「先日から縫っていた単物《ひとえもの》があがりかかっていましたので、つい時間を忘れて縫いあげたのが十二時ちょっとまえでした、それから片付けてお手洗いにゆこうとしますと、奥さまのお部屋が開いて出ていらっしゃいますから、お小言を頂いてはと思って、電燈を消し、そっと立っておりました、奥さまは廊下をこちらへいらしって、私の部屋の外を、洋館のほうへおいでになったのです、それで私は手洗いにまいり、帰ってすぐ寝《やす》んだのですが、それから三十分ほどして、奥さまがお部屋へお帰りになるのを聞いたのでございます」
「そのときなにか変ったようすに気がつかなかったかね」
「いいえなにも気がつきませんでした」
署長は次いで和泉秘書を呼びました。彼は挑戦するような姿勢で椅子に掛け、訊問に対しては投げやりなぶっきらぼうな調子で答えました。彼は十時に寝て一時間ほど本を読み、そのまま眠ってなにも知らなかった、朝早く木内老人のけたたましい叫び声で眼を覚《さ》まし、病室へ駆けつけて初めて主人の死を知ったと云うのです。
「そのとき病室でなにか変った事を見なかったかね」
「なにも気がつきません、すぐ階下へいって医者に電話を掛け、そのまま階下で医者の来るのを待っていました」
署長はなお二三質問したうえ、こんどは佐知子夫人の訊問に掛りました。夫人はその表情と同じ冷淡な、少しも感情の表われない調子で、然し言葉少なに答えました、成瀬氏が彼女の世話を好まなくなったので、午後いちど五分ばかり見舞いにゆくほか、半年以来殆んど痛室には近づかないこと、今朝はやはり木内老人の叫び声で、初めて変事を知ったことなど……署長は例のように眼をつむり、だるくって堪《たま》らないという調子で訊問を続けました。
「ゆうべ十二時頃にお部屋を出て、三十分ほどして帰られたということですが、そういう習慣がおありなんですか」
「習慣という訳ではございませんが、この頃ずっと不眠の癖がございますので、時どき気分を変えに部屋を出ることがございます」
「ゆうべは何処《どこ》へいらっしゃいましたか」
「昨夜は……」夫人はちょっと口籠《くちごも》ったようです、「なんですか昨夜は、洋館のほうでなにか物音がしたように思いましたから、それでいってみたのでございます」
「どんな風な物音でしたか、それから貴女は何処までいらしったのですか」
「ちょうど揺戸《ゆれど》が合わさる時のような音と申したら宜《よろ》しいでしょうか、それが二度かすかに聞えたような気が致しました、わたくし洋館の扉口までまいりまして、暫く耳を澄ましておりました、でもそれからはなにも聞えませんでしたので部屋へ戻ったのでございます」
「お宅には揺戸がありますか」
夫人は黙ってかぶりを振りました。そのとき一人の男が刑事の案内でせかせかとはいって来ました、彼はもう四十近い年齢で、薄禿《うずはげ》で頬のこけた、ごく平凡な顔だちですが、着ている服は外地で作ったのでしょう、仕立も生地もいいがかなり派手な柄物で、荒い斜《なな》め縞《じま》のけばけばしい襟飾《ネクタイ》をしめ、右手には大きな指輪が光っていました、やはり血筋でしょう、風貌《ふうぼう》にどこか成瀬氏と似通ったところがあり、私はすぐ松川郁造氏だと思いました。署長は夫人の訊問を打切って彼の方へ立ってゆきました。
「そうです松川です、松川郁造です」彼はおちつこうと努めながら、然し不安に耐え兼ねるという風でした、「いったいどうしたのですか、なにか伯父に変ったことでも……」
「二階へまいりましょう」署長は沈んだ声でそう云いました、「然しどうぞ余りお驚きにならないように」
署長と私とで彼を病室へ案内しました。彼はそこへはいるなり、ああと云って棒立ちになり、まるで殴《なぐ》られたように全身を震わせました、然しそれはほんの一瞬間です。次いで彼は突きのめされたように寝台の側へ駆け寄りじっと死躰を瞶《みつ》めましたが、そのときおののくような声で、「自然じゃない、自然じゃない」と呟くのが聞えました、「とうとう事実になった、他殺だ、殺されたんだ、ああ伯父さん」
私は署長を見ました、なにしろ医者と私たち以外には、まだ誰も成瀬氏が毒殺されたということは知らない筈《はず》ですから、彼だけがいきなりそういう言葉を洩《も》らすのは理由がなくてはなりません、然し署長は黙って松川氏の腕をとり、寝台からひき離すようにして階下へおりました。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
松川郁造を加えて署長が元の席へ就く、これで関係者は揃《そろ》った訳です。署長は郁造氏に向って、今朝四時半頃、木内老人が毎日のように朝食を運んでいったとき、成瀬氏の死んでいることが発見されたこと、呼ばれた医師が死因に疑問を持ったので、自分たちが一応の調べのために来たことなど説明し、なお是れに就いて郁造氏になにか思い当ることはないかと訊《たず》ねました、……彼は佐知子夫人や和泉君のほうへ時どき鋭い一|瞥《べつ》をくれながら、帰朝してこの家へ伯父の世話をしに通うようになって以来の事を、巧みな英語まじりのおちついた調子で語りました、けれども成瀬氏の死に就いてはなにも心当りはない、と答えるだけです。署長は暫く彼の顔を見ていましたが、やがて、「それではさっき寝台の側で貴方《あなた》の云った言葉の意味を説明して下さい」と突込みました。
「これは自然ではない、他殺だ、殺されたのだ、貴方はこう呟《つぶや》かれた、あれはどういう意味なのか聞かして頂きましょうか」
「あれはいや、あれは」郁造氏はひどくまごつき顔を赭《あか》らめさえしました、「私は逆上していたんです、伯父の死があまり突然だったものですから、あれは失言です、だってそんな筈《はず》がないじゃありませんか、私はあれを取消します」
「然《しか》し貴方はこうも云われた、とうとう事実になった、……これにはなにか理由があるでしょう、念のために云いますが、こういう証言は神聖です、それは時に死者の代弁ともなるものです、勇気を以て、貴方の知っている事を云って下さい、事実はいつか顕《あら》われずにはいないものですから」
「申上げましょう」まる一分ばかり考えた後、郁造氏は低い声でこう云いました、「実は半月ほどまえから伯父が、時どきこんなことを訴えるのです、毎夜十二時頃、誰かが病室へはいって来て、臭素剤シロップの吸呑へなにかの薬滴を入れる、おれは毒殺されるに違いない、……こう云うのです、私は信じませんでした、恐らく病気が伯父の脳を侵した結果、そういう妄想が起こるのだろうと考えました、だってそんな怖《おそ》ろしい事がこの家で行われる訳がないのですから、然し伯父の言葉は忘れ得なかったのでしょう、さっき死顔を見たとき反射的にそれが現実になったのだと思い、ついかっとしてあんなことを口走ってしまったのです」
「かなり重大なお話ですな」署長はなにか思い耽《ふけ》るような調子で、こう云いながら眼をあげました、「奥さん、お聞きのとおりですが、貴女《あなた》は御主人からそういう話をお聞きになったことがありますか」
「いいえ」夫人は紙のように蒼白《あおじろ》くなった顔を僅かに横へ振りました、「わたくし聞いたことはございません」
和泉秘書も木内老人も、女中はもちろん誰も聞いていないと答えました。署長はそこで静かに椅子から立ち、重おもしい口調で次のように云いました。
「まことに残念ですが奥さん、私は職務上あなたを本署へお伴《つ》れしなければなりません、和泉君も同様です、どうか二人ともすぐその支度をして下さい」
「僕が、なんで僕が」和泉君は憤然と叫びました、「いったいどういう訳です、僕にどんな疑いがあると云うんです、どんな」
「見せましょうか」署長は冷やかにそう云い、ズボンの隠しからくしゃくしゃになった一枚の手帛《ハンカチ》を取出しました、「ここに和泉という姓の縫取りになっている手帛がある、これは君の物だと思うがどうです」
「むろん僕のです」和泉君の顔は激しい動揺が現われました、「それがどうしたんですか」
「これが病室の寝台の下に落ちていたんだ、寝台の下に」署長は珍しい刺すような口調でこう云いました、「君は薬学専門学校を出ているそうだね、毒物の致死量もよく知っているだろう、これが君に対する嫌疑の理由だ、然し単にそれだけじゃない、夜半十二時に病室へ行って、吸呑の中へ毒薬を入れる者がある、そしてそれのできる者は、失礼だが奥さんと君より他《ほか》にない、これでも君にはなにか異議があるかね」
和泉君は頭を垂れました、それは大きな力でうちのめされたような、絶望的に悄然《しょうぜん》とした姿でした。佐知子夫人は石のように硬《こわ》ばった表情で聞いていましたが、署長の言葉が終ると同時に立上り、女中といっしょに室から出てゆきました、署長は刑事の一人を呼び、「この人の支度を見てやりたまえ」と和泉君を指さしました。そして二人が出てゆくとすぐ、松川氏のほうへ振返って、
「だいたいお聞きのとおりですが、念のため成瀬氏の遺骸《いがい》を解剖することになると思います、お気の毒ですが御了解願います」こう挨拶《あいさつ》して主任を呼びました、「検事局からはまだ来ないのかね、ばかに遅いようだがもう一度催促をして只れないか、僕は二階にいるから……」
そして署長は私に眼くばせして椅子から立ちます、私は息苦しくなったこの部屋から出ることにほっとして、署長といっしょに二階へ上ってゆきました。
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
二階へ上った署長は病室の前で立止り、廊下の左右を見まわしていましたが、やがて病室の反対側にある扉を明けました、中はまっ暗です、「マッチはないか」と云うので、私は隠しをみましたが、あいにく持っていないもんですから、死躰《したい》の番をしている刑事の処《ところ》へいって借りて来ました。署長はそれを二十本あまりも燃して丹念に部屋の中を調べまわります、……そこは家具|什器《じゅうき》の置場とみえ、造付《つくりつけ》の戸棚があり寝台とか椅子などという道具がいっぱい積み重ねてありました。久しく人の出入りがなかったのでしょう、空気は濁って黴《かび》臭い匂いが鼻をつくようです、署長は床の上を念入りに調べ、白い覆布《おおいぬの》の掛けてある寝台の上を手で撫《な》でまわすなど、約十分ほど熱心に歩きまわっていましたが、「よかろう」と呟いてその部屋を出ました。
「この部屋になにか関係があるんですか」
私は不審に思ってそう訊きましたが、署長はなにも答えないで、こんどは廊下の突当りまでゆき、そこにある両開き扉を明けるのです、それはすぐ開きました、外へ出ると露台で、鉄の非常|梯子《ばしご》が庭へ下りています、署長はその梯子を下りて一段ずつ丁寧に調べ、なお梯子まわりの土まで、身を跼《かが》めながら見てまわりました。……訳のわからないこの捜査が終ったとき、主任が検事局の人たちを案内して来ました。彼等は自動車の故障で遅れたのだそうで、すぐ病室へはいり、現場調査を始めましたが、これは話す必要がないでしょう。私達は証拠物件を収め、成瀬氏の遺骸を運び出したうえ、佐知子夫人と和泉秘書を伴れてその邸を去りました。
「御愁傷のところたいへん御迷惑ですが」辞去するとき署長は松川氏にこう云いました、「夫人の留守ちゅうこの邸《やしき》のことは貴方にお願いします、いずれ御相談もありますから」
「役には立たんでしょうが承知しました」郁造氏はこう云ってふと声をひそめ、懇願でもする風に署長の眼を見あげました、「然しどうか、あの二人の嬢疑が晴れて呉れるように祈ります、そんなことのできる人たちではないのですから、伯母も和泉も善良な人間です、きっとなにかの間違いだと思いますから」
署長は微笑しながら肩を揺上げ、なにも云わずに玄関へ下りました。……車で署へ帰る途中、署長は深い溜息《ためいき》をつきながら、沈んだものうそうな声でこんなことを云いました。
「成瀬氏は気の毒な人だ、僕はまえにもあの人の変った性格に就いて色いろ聞いているが、まったく悲劇の一生という他はない、生きているあいだ親族と往来せず、友人もなく、世間とも没交渉、愛し愛されたこともない、あれだけの富を持ちながら譲るべき子もなく、死んでも一人として心から嘆く者がない、……これらはみな成瀬氏の偏執的な独善主義から来ている、誰の罪でもないんだ、然もこういう独善主義はまわりを毒さずにはいない、こういう悪ガスは必ず人を中毒させる、……どうしたらその中毒から救うことができるだろう、どうしたら……」
私は思わず「ははあ」と頷《うなず》きました。事件はすでに解決に近づいている、例に依《よ》って、署長の頭ではもう「仕上げ」の計画が始まっている、こう推察したからでした、然し私は黙って、半ば眼をつむっている署長の横顔を眺めていました。……署へ着くとすぐ、署長は主任を呼んで、夫人と和泉とを「特五号」へ入れるように命じました。
「一緒にですか」主任は眼を瞠《みは》って、「婦人とあの男を一緒に入れるんですか」
「そのための聴査室じゃないか」署長は上衣《うわぎ》の釦《ぼたん》を外《はず》しながら云いました、「二人で置くほうが話は早いし、思いがけないことが聴けるよ、やってみたまえ」
主任は不安そうに出てゆきました。「特五号」は聴査室とも呼ぶ保護室の一で、部屋の三方にマイクロホンが装置してあり、中で話すことがすべて離れた別の部屋で聴けるようになっている、この二人のような場合には最も適切な部屋でした。……署長が上衣の前をはだけて、ぐったりと椅子に掛けたとき、私は例の遺言書のことを持出してみました。
「とうとうあれが問題になって来ましたね、署長、故人の意志を果すためにはあれに法律的効力を与えなければならない、それができないとすると私たちは……」
「いいから三十分ばかり眠らせて呉れ」署長はこう云って椅子の背へ凭《もた》れかかり、眼を閉じながら大きな欠伸《あくび》をしました、「三十分ばかりな、今日は柄にもないことをしてすっかり疲れたよ、頼むから少しそっとして置いて呉れ」
その夜は主任と一緒に署で泊りました。「特五号」でいつ二人の話が始まるかわからない、始まったら聴かなくてはならないからです、然し朝までなんの知らせもなく、スピーカーの番をしていた内勤の話では、まるで無人の部屋のように静かだったそうです。……朝になって署長が出勤しますと、芝山警察医が死躰解剖の報告に来ました。然しそのとき「特五号」で話が始まったという知らせがあり、私はすぐとびだしましたので、剖検の結果は聞くことができませんでした。駆けつけたその部屋には既に主任が来ており、内勤の調節しているスピーカーからは女の啜《すす》り泣《な》きの声がながれ出ています、私は手早く紙と鉛筆を取って速記に掛りました。
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
「貴方《あなた》が私を嫌っていらっしゃることはよく知っています」やがて啜り泣きの中から、こういう夫人の声が聞えて来ました、「でも貴方は御存じがないんです、私がどんな気持で生きて来たか、五年のあいだどんな気持で私が生きて来たかということを……」
こみあげる嗚咽《おえつ》のために言葉が切れました、傷《いた》ましいとも哀《かな》しいとも云いようのないその嗚咽は、私の眼にふと晩秋の曠野《ひろの》を描きださせたのです、蕭々《しょうしょう》と風の渡る曠い曠い草原、片向きにさらさらうちなびく秋草の中に、絶え絶えの音をあげて虫が鳴いている、灰色の重たい雲に閉ざされた空、遠く遙かに横たわっている地平線、あらゆる物の死絶えたような侘《わび》しい眺《なが》めのなかで、咽《むせ》ぶように細ぼそと虫が鳴いている、……こういう想いが私の心をいっぱいにしたのです。
「貴方の冷たい身振りが、憎み罵《ののし》るような貴方の眼が、昼も夜も私を苦しめる、眠っていてさえもそれから逃げられない、私は哀しくて辛《つら》くて、生きていることにさえ耐えられない気持でした、五年間、……いつかは本当の私を知って頂ける時が来るだろう、……ただその一つを頼りに今日まで生きて来たのですわ」
「なんのために」やや長い間をおいて、男の冷淡な声が聞えました、「今になってなんのために、そんなことを仰《おっ》しゃるんです」
「なにもかもおしまいだからです、もう貴方とはお会いすることもできなくなるでしょう、生きているうちに、こうしてお会いできるあいだに、ひと言だけ聞いて頂きたかったからです」
「貴女《あなた》が苦しんで来たということをですか、それを僕に信じろと仰しゃるんですか」
「いいえ……」夫人の声はふり絞るように悲痛なものでした、「いいえ、わたくしが愛していたということをですわ、わたくしが貴方を愛していたということをですの」
断腸という表現があるとすれば、そのときの夫人の嗚咽はそのまま断腸の叫びだったと云えましょう、ぎりぎりの窮地に陥り、救いようのない立場に追詰められて、身も心も投げだした告白に違いありません。あの豪華な応接間で見た夫人の美しい姿、非人情で冷やかな、些《いささ》かも情感の匂いのないあの美しさには、このような激しい情熱が秘められていたわけです。……夫人の嗚咽を縫って、和泉秘書の声が低く聞えて来ました、これも苦悶《くもん》に圧《お》し拉《ひし》がれた痛ましい呻《うめ》きでした。
「貴女が愛していたんですって、貴女がこの僕を愛していたんですって、……奥さん、やめて下さい、貴女はそれが逆だということはよく御存じじゃありませんか」
「愛していました、この他《ほか》にはなにも聞いて頂くことはございませんわ、わたくし貴方を愛しておりました」
こみあげる嗚咽のためにとぎれがちなその囁《ささや》きには、どんな小さな疑いを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28]《さ》しはさむ余地もない真実が籠《こも》っていました。ああという男の呻きが起こり、そのままながいこと夫人の啜り泣きだけしか聞えて来ません。夫人はどのような姿で泣いているのでしょう、男はどんな気持でそれを見ていることか、これからどんなことを云いだすだろう、私は強い好奇心と期待のために汗の出るほど鉛筆を固く握り緊めました。
「僕は貴女を憎んでいました」ずいぶん経ってから和泉秘書がそう云いだしました、「貴女がそんなに美しく、そんなに若い年であのような老人の処《ところ》へ嫁して来られたから、……石のように冷酷な、人間らしい感情の塵《ちり》ほどもないあんな老人の処へ、なんのために貴女は嫁《とつ》いで来たんです、なんのために」
「その訳は貴方が御存じですわ、わたくし貴方は憐《あわ》れんで下さると思っていました」
「僕が初めて伺ったとき」和泉君は遠い過去を想い廻《めぐ》らすようにこう云いました、「貴方はまだ女学校の一年生だった、それから学校を卒業なさるまで、毎月の末にはきまって僕はお宅へ補助費をお届けにいった、このあいだにも、美しく育ってゆく貴女をみて、僕がどんなに夢と絶望とで苦しんだか知ってはいらっしゃらないでしょう、僕は自分の価値を知っていました、将来もわかりきったものです、結局、諦《あきら》めなければならない、それには此処《ここ》から逃げだすことでした、そしてその決心をしたとき、貴女が成瀬家へ嫁いで来ることを知ったんです、……僕は動けなくなりました、どうしてでしょう、成瀬氏は貴女のお家とその婚約を条件に補助されたという、僕はそれを聞いて憎悪《ぞうお》のとりこになったんです、僕があのように苦しみ悩んだ貴女、どんなものにも代え難く想い憧《あごが》れた貴女、その人が僅かな補助の代償として身を売った、宜《よろ》しい見てやろう、……僕はこう思いました、この不徳義な結婚が平安である筈《はず》はない、成瀬氏は初めから病人だった、貴女とはいちども寝室を共にしたことがない、こんな不自然な関係はきっと破滅する時が来る、必ず、……そして僕は、来る日も来る日も、貴女を憎み成瀬氏を憎み、あの家の破滅する時を待っていたんです」
「わたくし貴方を愛していました、貴方を愛しておりましたの」夫人は咽《むせ》びあげながら、ただこう訴えるばかりでした、「貴方を愛して貴方を……」
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
このとき誰かが後ろからスピーカーへ手を出して、ぷつんとスイッチを切りました。びっくりして振返るといつ来たのかそこに署長がいます、どうしたんですかと訊《き》く暇もなく、「もういい、ゆこう」と云って立上ります、二人の会話はちょうどクライマックスに来ていたので残念でしたが、仕方なしに私も後かち立ってゆきました。
「あの憎悪が結局こんどの犯罪の原因なんですね」私は廊下へ出ると署長にこう云いました、「不徳義な結婚に対する憎悪と、その底にある夫人への激しい愛が、結局はああいう異常なかたちで顕《あら》われたのでしょう」
「あれは表現だよ」署長は事も底げにこう答えました、「憎悪などありゃあしない、あれは和泉君の愛情の深さを表現する言葉だ、おれが聞きたかったのはあの言葉さ、二人は互いに愛し合いながら、境遇に支配されてそぶりにも出せずにいた、応接間で訊問しながらおれはたぶんそんなことだろうと睨《にら》んだんだ、ことさら反撥《はんぱつ》し合うような二人の容子《ようす》は、そのまま愛の表白にみえたからね、……成瀬氏が死んで鎖は切れた、然《しか》しそれだけでは救いようのないほど二人は毒されている、時を外《はず》してはだめだ、なるべく早く真実を告げ合う機会を与えなければいけない、おれはこう思ったんだ、そして幸いそれが成功して呉れたんだ、これで二人は救われるんだよ」
「それでは成瀬氏を毒殺したのは誰です、あの二人が無関係だとすると……」
「成瀬氏は毒殺されたんじゃないよ」
「なんですって」私は署長室の扉の前で棒立ちになりました、「ではいったい……」
「あの人は心臓|麻痺《まひ》で死んだんだ、なにか非常に大きな衝動《ショック》を受けた結果ね、死躰《したい》を解剖してそれがはっきりした、毒殺犯人などはいやあしないんだよ」
「だって署長、現に僕たちは毎晩十二時頃にという、例の話を成瀬氏の口から聞いたじゃありませんか、そして現在その吸呑《すいのみ》を持って」
「その次は寝台の下の手帛《ハンカチ》かね」署長はこう云って笑いながら、剣を付け帽子を取上げました、「さあいこう、君の純朴な疑問を解いてみせてやるよ、車は呼んである」
署長はいちど引返して、主任になにか云い置きをしました。そして私たちは車で署をでかけましたが着いた先は成瀬邸です、出迎えた木内老人に「松川さんにどうぞ」と面会を求め、応接間へ通りました。五分ばかり待ったでしょうか、松川氏は和服の着ながしで、深い憂愁を強《し》いてひき立てるような、力のない微笑を見せながらはいって来ました。……挨拶《あいさつ》を交《か》わして椅子に掛ける、すぐに署長は「貴方の祈りが届きましたよ」と云いだしました、「調べてみたところあの二人には、詰り奥さんにも和泉君にも、疑わしいところはなにもないのです、間もなく二人とも此処へ帰ってみえますよ」
「すると、なんですか」、郁造氏は袂《たもと》から煙草を取出しました、「結局その、嫌疑は晴れたという、そういう訳ですか」
「二人のために祈ると云われた、貴方にはなによりのお知らせだと思って、ひと足さきにまいった訳です」
「詰り犯人は、犯人は他《ほか》にある、そういうことになるんですか」
「そういうことになりますな、もしも、犯人があるとすればですね」署長はここでぐっと躯《からだ》を反《そ》らし、例の楽な姿勢になって眼をつむりました、そろそろ本領が出たわけです、「私にはどうしても解釈のつかない事が一つあるんです、それはですね、成瀬氏がどうしてあの吸呑の薬を呑んだかという点です」
「と云うとそれは、どういう意味で……」
「貴方もお聞きになったそうですが、実は私も成瀬氏から聞いたんです、毎夜十二時頃に誰か来て、臭素剤シロップの中へ毒物ようの物を入れる、あの話ですね、或る機会で私も氏の口から聞いたんです」
「僕は、然し僕は信じなかったのですよ、だって」
「まあお聞きなさい、例《たと》えば貴方が信じなかったにしてもですね、成瀬氏は誰かが来て毒物ようの物を入れるのを見たと云う、そう云う以上、御自分は信じていたのでしょう、それなら、氏は絶対にあの吸呑には手を触れない筈じゃありませんか、他の者なら知らぬこと成瀬氏だけは呑む筈がない、なぜなら、その中に毒物ようの物が入っていることを知っているんですからね」
「……なるほど」こう云って松川氏は初めて煙草に火を点《つ》けました、気のせいかマッチの火が震えるように見えます、「……そう仰しゃればふしぎですね、然し、伯父はもう病気でかなり神経も鈍っていましたから」
「そういう解釈もありますが、私は別にこんな風なことを考えてみたんです、それはですね、あの毎夜十二時|云《うん》ぬんという話は、貴方と私たちしか聞いていない、他の誰も聞いていないんです、逆に云うと私たちと貴方だけは知っているが、他の誰もそんな話は知らなかった、……そして、あの吸呑の薬を呑むからには、成瀬氏も知らなかったのじゃないか、こういう解釈です」
「よくわからんですが」松川氏はふとなにやら英語で呟き、眉を顰《しか》めながら署長を見やりました、「伯父がなにを知らなかったというんですか」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
「あの吸呑《すいのみ》の中へ誰かが毒を入れるという、あの話をですよ」署長は、大きななま欠伸《あくび》をし、椅子の上で身を反らせました、「他の者と同様に成瀬氏も知らなかった、だからこそ吸呑の薬を呑んだ、こう考えれば最も自然じゃあないですか」
「然《しか》し貴方《あなた》は現に伯父から聞いたと仰《おっ》しゃったでしょう、僕が聞いたことはともかく、もし貴方の聞いたのが事実とすれば」
「事実とすれば、いいですか、私の聞いたことが事実とすればですね、それは成瀬氏では無かったということになるんです」
そのとき松川氏はとつぜん煙草に噎《む》せて、身を踞《かが》めながらこんこんと激しく咳入《せきい》りました。署長はのんびりとその鎮《しず》まるのを待ったうえ、眠たげなまだるっこい調子で、
「病室は暗かった、枕電燈は濃い色のシェード、燭光《しょっこう》も弱い、汚れて乱れた白髪の鬘《かつら》を冠《かぶ》り、毛布に包まれていれば、まして初対面の私たちにはそれが本当に成瀬氏かどうかわかる筈がない、事実そのときは私にもわからなかった、けれどもちょうど一昨日の晩でしたよ、私は寝床の中で頬《ほっ》ぺたを蚊に食われた」こう云って署長は自分の右の頬を指さします、「この処《ところ》をです、それでぴしゃっと叩《たた》き潰《つぶ》したんですが、そのときふと病室であった事を思いだしました、というのは、私が寝台の側で成瀬氏の話を聞いていたとき、二度まで蚊が成瀬氏の頬に留ったんです、氏の頬がその反応でぴくぴく痙攣《けいれん》するのを見て、私はそっとその蚊を追ってあげました、私はそれを思いだしたんです、そして神経が不随である筈の部分が、蚊に留まられて神経反応を起こす筈がない、ということに気づきました、……いかがです松川さん」
「どうもお話がぴったり来ないんですが」
「では説明しましょう」署長は相変らずだるそうな調子で、「或る人間が成瀬氏を寝台から抱上げ、病室の向うにある物置部屋へ移したんです、そして用意してあった扮装《ふんそう》をして寝台に上り、五道三省の来るのを待って、例の毒薬の話をした、その人間はみごとに成瀬氏の役を勤めたが、健康な不随意神経まで支配することはできなかった、……これでぴったりするでしょう」
「ですがいったい、誰です、そんなことをする男は、誰だというんです」
「他の誰も知らないことを知っている人間です、毎夜十二時というあの話を知っている人間、詰るところ、私か貴方かどちらかです」
その瞬間の息詰るような沈黙は忘れられません、蒼白《そうはく》になった顔で署長を睨《にら》んでいた松川氏は、抗弁しようとして口を二三度あきかけました、だがもうその力は無かったのでしょう、低く呻《うめ》いたと思うと、両腕で面を抱《かか》えながら卓子の上へ俯伏《うつぶ》せになりました、
「私はこれ以上なにも云いません」署長はしずかに続けました、「貴方にだけ知らせてあげる事がある、それは成瀬氏が毒を飲まなかったということです、非常な衝動《ショック》に依《よ》る心臓|麻痺《まひ》です、なにが衝動になったかはおわかりでしょう、……ともかく貴方にとっては幸運でした、そしてどうかこういう幸運には二度とお預りにならぬように御忠告します」
そのとき表へ自動車の着く音が聞えました、署長は椅子から立ちながら、一枚の紙片と手帛《ハンカチ》とを卓子の上へ置いて、「こちらはいつかの遺言書です」と云いました、それはもう劬《いたわ》るような、温かな響きの籠《こも》った調子でした。
「そしてこの手帛を、貴方の手から和泉君に返すだけの、贖罪《しょくざい》の勇気を期待します、それが貴方の新しい出発ですから」
署長はこう云って応接間を出ました。玄関へ出ると、ちょうど夫人と和泉君がはいって来たところです、二人はこちらを見てびっくりしたようですが、署長はにこにこ笑いながら近寄っていきました。
「どうもたいへん御迷惑を掛けて恐縮です、なにもかも私の考え違いでした、こんな事はめったにないのですが、まことに済みません、お許しを願います」あやまるというよりお祝いでも述べているような、たいそう浮き浮きした調子です、そして二人が返辞をする隙もなく、署長は「和泉君」と親しげに呼びかけました、「……ごらんのとおり奥さんは独《ひと》りになられた、これからは君がちからになってあげなければならない、奥さんの頼みにするのは君だけです、どうか狭量な考えを捨ててすなおに強く生きて下さい」
そして珍しくも和泉君の肩を叩き、夫人と二人を見比べるようにしながら、
「人間は死ぬまでしか生きない、たしかに愛し合うのは生きているうちだけです、愛する者があったなら、そしてその機会が来たら、時を失わずに愛するがいいのです、……お詫びの印に、この言葉をお二人に差上げます、失礼しました」
佐知子夫人が泣きそうになったと思ったのは私の誤りでしょうか、車へ乗ってからも、私には夫人の歓《よろこ》びの嗚咽《おえつ》が聞えるように思えて仕方がありませんでした、……然し私にはまだ一つ疑問があったのです、それは成瀬氏に与えた非常な衝動というやつでした。
「君は頭が悪いね」署長は眠そうな声で、こう説明して呉れました、「成瀬氏はいちど松川に物置部屋へ運ばれたことがある、その驚きがまだ残っていた、そこへまた松川の姿をみつけたんだ、彼は夜更《よふ》けに非常|梯子《ばしご》から病室へ入り、自分で僕に話したとおり吸呑の中へ毒物を入れた、そして光りの届かない処から容子《ようす》を見ていたんだ、成瀬氏は吸呑を取り、それを口に当てたとき松川の姿をみつけた、その恐怖と驚きが心臓麻痺を起こさせたのさ。松川はそれを毒死したものと思い、和泉君の手帛を、……ちょっ、君はまだおれにこんな下らないお饒舌《しゃべ》りをさせる積りかい、そのうえ仕上げが相変らずの飴ん棒などと云うんだろう、おれは飴ん棒さ、だがおれは……」そしてわが寝ぼけ署長は鼾をかき始めました。
底本:「山本周五郎全集第四巻 寝ぼけ署長・火の杯」新潮社
1984(昭和59)年1月25日 発行
入力:特定非営利活動法人はるかぜ