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無智の愛
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無智の愛
徳田秋声
徳田秋声
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)煩《うるさ》
(例)煩《うるさ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)分|煩《うるさ》
(例)分|煩《うるさ》
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(例)[#5字下げ]
(例)[#5字下げ]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もと/\
(例)もと/\
濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
[#5字下げ]一[#「一」は中見出し]
永野はさう云つたやうな人の世話事を、近頃は大分|煩《うるさ》がるやうになつてゐた。芳子を田舎で見てきた妻が、さも死んだ娘の代りをでも見つけて来たやうに、讚美したときにも、ちよつと其に乗りたいやうな気は動いたけれど、先年自分の姪で手をやいてゐるので、成るべく気を引締めてゐようと思つた。もと/\妻のおかよがそんな事が嫌ひではない方なので、殊に自分の姪ではあり、年頃の娘であるので、子供が多くて手の足りないところから、自分の手元において、用事を達《た》させると共に、家事を見習はせたりしながら、着物の一枚づゝも作つてやつて、東京で片着《かたづ》けることができるなら、芳子以来、どの女にも子供のできない弟のためにも、本人の芳子のためにも何《ど》んなにか仕合《しあは》せだらうと思つて言出したことであつたが、永野は何故かその娘に慈愛《じあい》をもつことができさうにも思へなかつたし、年々複雑になつて行く生活が一|層《そう》煩《わづら》はしくなるばかりであつた。
「けれど年頃の娘を一人引受けるといふことは、大変《たいへん》なことぢやないか。」彼はもう田舎でさう云ふ約束《やくそく》をして来たらしいおかよに言つた。
おかよは芳子が死《し》んだ娘と同《おな》じ年の誕生であることや、避暑旅行に一緒に行つた子供が、何とか云ふ活動の女優に肖《に》てゐると云つて、田舎におくのは可哀さうだと言つてゐることや、職業婦人として働いてゐる芳子の現在の生活事情なぞを話して、良人の同意を求めたのであつた。
「さう云ふ風に考へれば、それあ大変ですけれど、何もそんなにしてやる必要もないんですもの。」
「しかし後できつと面倒が起りますよ。」永野は言つた。
芳子の父であるところの、おかよの弟の昌一とのあひだに――それでなくてさへ金銭上の問題なぞで兎角《とかく》煩はされがちな彼のことなので、何うしても起らずにはゐないであらう葛藤《かつたう》を想像してゐたので、彼はその未知の娘に持《も》ちかけた好奇心を、わざと払退けようとした。
十七八年前、その芳子を孕《はら》んでゐた女の松尾と一緒に昌一が放浪の旅《たび》から、東京へ出て来て、永野の家に落着《おちつ》いた時分の生活を、永野も懐《なつか》しく思出さずにはゐられなかつた。ちやうど永野が、暫くぶりで田舎へ帰省して、帰つてくると、以前から知つてゐる昌一が、そんな女をつれてやつて来てゐて、昌一も一年半ばかりのあひだに見ちがへるほど田舎の荒い風に染んで、脚気の保養のために帰つて行つた頃の、あの少年らしい美しさが荒《すさ》んではゐたが、それにしても其の女のごつごつした、どこといつて女らしい美しさのないのを、おかよも蔭で可笑《をか》しがつてゐた。
其の上その女は何かにだらしがなかつたので、おかよの気にも入らなかつたし、昌一自身も東京へ連出して来てみると段々《だん/\》興ざめがして来た。そしてニタ月ほど永野のところにゐるうちに、女は身重《みおも》な体をして田舎へ帰つて行つた。女は芳子を産むとそれを母の手元において他所《よそ》へ行着いた。そして幾人もの母になつて幸福な日を送つてゐた。
その芳子と同じ年に産れた光子を失つてから、永野もおかよも、多勢の子供をもちながら、独り光子の欠けたことを心寂しく思つてゐたが、その空虚は誰《だれ》によつても充されない性質のものだと思ひながら、それが何うかすると芳子を思出させたりしてゐたのは事実であつたが、芳子を今日まで撫育《ぶいく》して来た祖母の深い愛著《あいぢやく》も思はない訳に行かなかつた。永野がおかよの申出を否定する理由も、一つはそれであつた。
「今まで放抛《うつちや》つておいたものを、十七にも八にもなつてから引放すのも悪いよ。」
「それもさうですね。」
ところでおかよの従兄筋にあたる、弁護士の柳瀬《やなせ》の細君から、芳子の出京について永野へあてゝ手紙が来たのは、その頃であつた。芳子も早く出たがつて、毎日のやうに言つてゐるし、祖母も叔父も承知のうへだから、何分よろしく頼むといふのであつた。永野は、昌一の意嚮《いかう》は知らないけれど、自分は責任はもてないといふ理由を述べて、折返し返事を出したのであつたが、間もなく何時幾日《いついくか》に行くと云ふ断定的な通知が、芳子自身から来たので、彼は意地わるく其を止《と》めようともしなかつた。
永野はさう云つたやうな人の世話事を、近頃は大分|煩《うるさ》がるやうになつてゐた。芳子を田舎で見てきた妻が、さも死んだ娘の代りをでも見つけて来たやうに、讚美したときにも、ちよつと其に乗りたいやうな気は動いたけれど、先年自分の姪で手をやいてゐるので、成るべく気を引締めてゐようと思つた。もと/\妻のおかよがそんな事が嫌ひではない方なので、殊に自分の姪ではあり、年頃の娘であるので、子供が多くて手の足りないところから、自分の手元において、用事を達《た》させると共に、家事を見習はせたりしながら、着物の一枚づゝも作つてやつて、東京で片着《かたづ》けることができるなら、芳子以来、どの女にも子供のできない弟のためにも、本人の芳子のためにも何《ど》んなにか仕合《しあは》せだらうと思つて言出したことであつたが、永野は何故かその娘に慈愛《じあい》をもつことができさうにも思へなかつたし、年々複雑になつて行く生活が一|層《そう》煩《わづら》はしくなるばかりであつた。
「けれど年頃の娘を一人引受けるといふことは、大変《たいへん》なことぢやないか。」彼はもう田舎でさう云ふ約束《やくそく》をして来たらしいおかよに言つた。
おかよは芳子が死《し》んだ娘と同《おな》じ年の誕生であることや、避暑旅行に一緒に行つた子供が、何とか云ふ活動の女優に肖《に》てゐると云つて、田舎におくのは可哀さうだと言つてゐることや、職業婦人として働いてゐる芳子の現在の生活事情なぞを話して、良人の同意を求めたのであつた。
「さう云ふ風に考へれば、それあ大変ですけれど、何もそんなにしてやる必要もないんですもの。」
「しかし後できつと面倒が起りますよ。」永野は言つた。
芳子の父であるところの、おかよの弟の昌一とのあひだに――それでなくてさへ金銭上の問題なぞで兎角《とかく》煩はされがちな彼のことなので、何うしても起らずにはゐないであらう葛藤《かつたう》を想像してゐたので、彼はその未知の娘に持《も》ちかけた好奇心を、わざと払退けようとした。
十七八年前、その芳子を孕《はら》んでゐた女の松尾と一緒に昌一が放浪の旅《たび》から、東京へ出て来て、永野の家に落着《おちつ》いた時分の生活を、永野も懐《なつか》しく思出さずにはゐられなかつた。ちやうど永野が、暫くぶりで田舎へ帰省して、帰つてくると、以前から知つてゐる昌一が、そんな女をつれてやつて来てゐて、昌一も一年半ばかりのあひだに見ちがへるほど田舎の荒い風に染んで、脚気の保養のために帰つて行つた頃の、あの少年らしい美しさが荒《すさ》んではゐたが、それにしても其の女のごつごつした、どこといつて女らしい美しさのないのを、おかよも蔭で可笑《をか》しがつてゐた。
其の上その女は何かにだらしがなかつたので、おかよの気にも入らなかつたし、昌一自身も東京へ連出して来てみると段々《だん/\》興ざめがして来た。そしてニタ月ほど永野のところにゐるうちに、女は身重《みおも》な体をして田舎へ帰つて行つた。女は芳子を産むとそれを母の手元において他所《よそ》へ行着いた。そして幾人もの母になつて幸福な日を送つてゐた。
その芳子と同じ年に産れた光子を失つてから、永野もおかよも、多勢の子供をもちながら、独り光子の欠けたことを心寂しく思つてゐたが、その空虚は誰《だれ》によつても充されない性質のものだと思ひながら、それが何うかすると芳子を思出させたりしてゐたのは事実であつたが、芳子を今日まで撫育《ぶいく》して来た祖母の深い愛著《あいぢやく》も思はない訳に行かなかつた。永野がおかよの申出を否定する理由も、一つはそれであつた。
「今まで放抛《うつちや》つておいたものを、十七にも八にもなつてから引放すのも悪いよ。」
「それもさうですね。」
ところでおかよの従兄筋にあたる、弁護士の柳瀬《やなせ》の細君から、芳子の出京について永野へあてゝ手紙が来たのは、その頃であつた。芳子も早く出たがつて、毎日のやうに言つてゐるし、祖母も叔父も承知のうへだから、何分よろしく頼むといふのであつた。永野は、昌一の意嚮《いかう》は知らないけれど、自分は責任はもてないといふ理由を述べて、折返し返事を出したのであつたが、間もなく何時幾日《いついくか》に行くと云ふ断定的な通知が、芳子自身から来たので、彼は意地わるく其を止《と》めようともしなかつた。
[#5字下げ]二[#「二」は中見出し]
その芳子が昌一の家へ落着いてから、もう大分になつた。そして時々永野の家《うち》へもやつて来て、子供の相手になつたり何かの用を足したりしてゐた。おかよの指図《さしづ》で、永野に来客のあるをりなぞ、取次ぎに出たり、お茶をもつて出たりしたが、初めから永野には余り気に入らなかつたし、おかよ自身にも、幻滅が感じられた。
「ちつとも好い子ぢやないぢやないか。」永野は初めて来たときからさう言つてゐたが、おかよも弁護する勇気はなかつた。
でも初めのうちは、自分の手置《てお》き一つで段々《だん/\》美しくしてやることが出来るやうに思へてゐた。
「え、さうね。東京へつれてくるとやつぱり駄目ですね。もつと好い子のやうに私も思ひましたし、正雄も言つてゐたんですけれど。でも東京風になれば、少しは好くなるかも知れませんわ。」
「いや、磨いてもあの子は好くならないよ。別に見つともないと云ふんぢやないんだけれど、何だか変だよ。昌一に似たところもあるけれど、全然違ふよ。」
どつちかと言ふと、芳子は般若立《はんにやだち》の顔であつた。言ふとほり、西洋人くさい顔には違ひないけれど、頬骨が高くて、目も窪みすぎてゐた。色が白く、手足もすらりとしてゐて、赭味《あかみ》を帯びた髪も太《よ》くてたつぷりしてゐたから、束髪の形はよかつたけれど、形に締りがなかつた。表情も鈍くて暗かつた。どこか婆さんじみた子であつた。蓮葉《はすぱ》では決《け》してなかつたけれど、処女らしい差恥《しうち》や愛らしさに乏しかつた。
永野はこの子を客の前へ出すのを悦《よろこ》ばなかつた。自分の傍へ寄られたり、話しかけられたりするのも、感じが好くなかつた。それは芳子か田舎|風《ふう》であるとか躾《しつけ》がないとか云ふやうな点ではなかつた。若しそんなやうな不満だつたら、教養次第で何うにでも出来ることであつたが、芳子のは先天的な鈍い感じから来てゐるのであつた。
「どうも困るな。」永野は堪へきれなくなつて、おかよに言つた。
「芳子は変だよ。若い娘らしい幼々《うゐ/\》しさが少しもないぢやないか。」
おかよも強いて弁護しようとはしなかつた。
「さうですか。そんなに変ですか。おとなしいには温順《おとな》しいんですがね。」
「おとなしい……」と永野は当惑したやうに、「それはさう言へばさうかも知れないけれど、頭脳《あたま》のぼんやりした人間を普通にさう言ふのは間違つたことだよ。あの子はお茶をもつて来ると、客の鼻の先へつか/\出て来て、べつたり坐つて突拍子《とつぴやうし》もない調子で、入らつしやいまし、と遣《や》るんでね、田舎風の粗撲《そぼく》とは又た違《ちが》ふんだ。位置と調子がわからないんだから困る。」
おかよも笑つた。
「さうでせう。あの子はどうも気がきかなくて困るんです。十八にしては、ぼんやりですね。母親に似てゐるのかも知れませんね。様子も何だかだらーんとしてゐますね。それでもまんざら痴呆《ばか》でもないやうですよ。親ですけれど、来て見《み》て、昌一のことを蔭《かげ》で笑つてゐますの。」
「さう/\、そんなところもあるな。それに不思議なことには、ぼんやりの癖《くせ》に、人の噂《うわさ》なんぞするのを聞《き》いてゐると、さう云ふ点《てん》では頭脳《あたま》が働くとみえて、人間の滑稽な点や非点《あら》なんぞ面白可笑しく話すことが実に巧い。昌一もあれにかゝつちや形《かた》なしだよ。そんな処《ところ》はよく昌一に似てゐると思ふよ。その感じ方や見方が、どうも若《わか》い娘らしくないんでね、何だか田舎の洗濯婆さんのやうに、早口《はやくち》でぺちやくちやしやべる調子が気に入らないんだ。」
「あれは昌一を頭《あたま》から莫迦にしてゐるからですよ。田舎で聞《きか》されて来てゐるんでせうが、昌一が酒ばかり飲んで襦袢の衿《えり》一つ買つてやつたこともない癖《くせ》に、親風《おやかぜ》を吹かして威張るから、何うしたつて莫迦《ばか》にされます。」おかよは強《し》ひて弁護をしようともしなかつたが、芳子に最初ほどの興味はもつことは出来なくなつたにしても、永野のやうにさう又《ま》た一|刻《こく》に非《けな》しつけるのも可哀さうだと思つた。
永野にしたところで、自身の好悪感《かうをかん》は好悪感として、若《わか》いものゝことはやつぱり気にかゝつた。嘗《な》めつかないばかりに芳子を可愛がつてゐる昌一の愛が、いかに無智なものであるかを考へると、傍観的態度を取りながらも、気分は返《かへ》つて苛苛《いらいら》した。芳子の話によると、彼はよく肩を操《も》ませたり、酒のお酌《しやく》をさせたり、または酒屋へ酒を借《か》りにやるとか、そんな事《こと》にその日/\を空しく遊《あそ》ばせておくばかりで彼女の前途の問題については何一つ計画《けいくわく》したこともないのであつた。それに是は後で耳《みゝ》にしたことであつたが、おかよのところへ金《かね》なぞ借《か》りに来る役目は、芳子ときまつた。
「おれよりかお前の方が信用があるから、お前行けつて言ふんですの。お父さんはもう迚《とて》も永野には信用がないんだからつて。それで自分で信用のないことを知《し》つてゐるだけ感心《かんしん》だと思ひますね。」芳子はおかよに言ふのであつた。
それに昌一には悪い癖があつて、芳子がもつて来た少しばかりの晴着《はれぎ》なぞも、そつとしてはおけないらしかつた。それは自分の子供の芳子に限らず、誰《だれ》のものでもさうした癖の出るのは、長いあひだの彼の習慣であつたが、おかよの言ふところによると、芳手の母や、間《なか》へ立つた柳井もその事は用心したらしく、当座の着替《きがへ》だけもたせて、様子を見によこしたものらしかつた。事によると、芳子自身の智慧《ちゑ》でさうしたのかも知れなかつた。東京へ出る気になつたのも、父の昌一が慕《した》はしいとか、何か新《あたら》しい生活の道を求めるとか云ふ、多少教養のある若い女に共通な自発的な欲求から来たと云ふよりか、おかよが子供を多勢引率して田舎へ行つたときの様子《やうす》で、永野の生活が何んなに華やかで豊かなものであるかを想像して、着物や持物でも作つてもらはうと云ふ、極《ごく》低級な慾望《よくぼう》が動機となつてゐるのであつた。永野が芳子を見て失望したのも、父の昌一と同じく、そんな点では少しも向上心や煩悶のない彼女の無智《むち》性であつた。
「お前が悪いよ。きつと衒《ひけ》らかして見せたに違ひないんだ。」永野はその事についておかよを咎《とが》めた。
「いゝえ、私がそんな事《こと》をするもんですか。」とおかよは言つてゐたが、おかよにさう云ふ性癖のあることは永野がよく知つてゐた。勿論それはさう悪い意味のもんではなかつた。故郷の人達《ひとたち》に対《たい》して誰しも普通《ふつう》にもつてゐる見《み》えだと云ふ点から言つて、永野は彼女の些《さゝや》かな矜《ほこり》を、寧ろ甘やかしい心持で、いぢらしく思つたのであつたが、芳子をも自分の生活|圏内《けんない》へ引入れようとしたことは、おかよが少し調子づいてゐるのだと思ふより外はないのであつた。
で、おかよは昌一には懲り/\してゐながらも、芳子には厭な顔をすることはできなかつた。そして「芳ちやんは何にも知らないだらうけれどもね」と言つて、今迄の昌一の仕打《しうち》を話しながら、要求に応じた。それに附《つ》けこまないでおくやうな昌一ではなかつた。そして芳子は時々厭な役目を仰せつかつた。
「お父さんまた怠《なま》けてゐるね。」とおかよがきくと、「今日もお酒を飲んで威張りくさつてゐるんです。おれは豪《えら》いんだぞ。おれは学校こそ出ないが何でも知つてゐるんだ。己が一つこの細腕に絢《より》をかければ、お前なんか自動車で帝劇へ行かうと三越へ行かうと、思ふまゝの贅沢《ぜいたく》ができるんだ。千円もするダイヤの指環をはめさせてさ……だつて。それこそ可笑しくなつてしまう。真面目でさう言つてゐるの。己ほど悧巧なものはないつて勢ひなの。」芳子はさう言つて、目に涙をにじませて可笑《をか》しがつた。
おかよも噴笑《ふきだ》さずにはゐられなかつた。
「え、あれはね、新聞学問といつてね、新聞だけはよく読むの。それで又何でもよく知つてゐるの。見もしない役者も知《し》つてゐれば、お相撲の給銀《きうぎん》から、選挙、将校連の閲歴《えつれき》、華族の内幕と言つた風《ふう》でね。お稲さんがまた自分の亭主ほど悧巧なものはないと思つてゐるんですからね。」
「そんな大きなことを言つてる癖に、お父さんてば私の著物を貸せと言ふんですの。」芳子はおかよに訴へた。
「貸したの」とおかよが訊《き》くと、
「私があれはお祖母さんに拵へてもらつたんだから、困るとさう言つたら、己んとこの厄介になつて、己の家の飯を食つてゐながら、着ものくらゐ貸さないやうな薄情《はくじやう》な奴は、田舎へ帰してしまうなんて、まるで子供のやうなことを言つてるんですの」と芳子は笑《わら》つた。
「どんな着物があるの」と永野が訊《き》くと、おかよが、
「こなひだ三越へ着て行つたあれでせう」と言つて、
「お稲さんは何と言ふの。」
「お母さんは何とも言ひませんの。お母さんは自分の箪笥《たんす》へは何《ど》んなことがあつても、手も触れさせないんですの。お父さんもそれだけは諦めてゐるから可笑しいんですの。」
「お稲さんはきついからね。」
「そんな事をしてゐると、着物は愚か、今に体まで売られてしまうぞ。」永野は苦笑してゐた。
その芳子が昌一の家へ落着いてから、もう大分になつた。そして時々永野の家《うち》へもやつて来て、子供の相手になつたり何かの用を足したりしてゐた。おかよの指図《さしづ》で、永野に来客のあるをりなぞ、取次ぎに出たり、お茶をもつて出たりしたが、初めから永野には余り気に入らなかつたし、おかよ自身にも、幻滅が感じられた。
「ちつとも好い子ぢやないぢやないか。」永野は初めて来たときからさう言つてゐたが、おかよも弁護する勇気はなかつた。
でも初めのうちは、自分の手置《てお》き一つで段々《だん/\》美しくしてやることが出来るやうに思へてゐた。
「え、さうね。東京へつれてくるとやつぱり駄目ですね。もつと好い子のやうに私も思ひましたし、正雄も言つてゐたんですけれど。でも東京風になれば、少しは好くなるかも知れませんわ。」
「いや、磨いてもあの子は好くならないよ。別に見つともないと云ふんぢやないんだけれど、何だか変だよ。昌一に似たところもあるけれど、全然違ふよ。」
どつちかと言ふと、芳子は般若立《はんにやだち》の顔であつた。言ふとほり、西洋人くさい顔には違ひないけれど、頬骨が高くて、目も窪みすぎてゐた。色が白く、手足もすらりとしてゐて、赭味《あかみ》を帯びた髪も太《よ》くてたつぷりしてゐたから、束髪の形はよかつたけれど、形に締りがなかつた。表情も鈍くて暗かつた。どこか婆さんじみた子であつた。蓮葉《はすぱ》では決《け》してなかつたけれど、処女らしい差恥《しうち》や愛らしさに乏しかつた。
永野はこの子を客の前へ出すのを悦《よろこ》ばなかつた。自分の傍へ寄られたり、話しかけられたりするのも、感じが好くなかつた。それは芳子か田舎|風《ふう》であるとか躾《しつけ》がないとか云ふやうな点ではなかつた。若しそんなやうな不満だつたら、教養次第で何うにでも出来ることであつたが、芳子のは先天的な鈍い感じから来てゐるのであつた。
「どうも困るな。」永野は堪へきれなくなつて、おかよに言つた。
「芳子は変だよ。若い娘らしい幼々《うゐ/\》しさが少しもないぢやないか。」
おかよも強いて弁護しようとはしなかつた。
「さうですか。そんなに変ですか。おとなしいには温順《おとな》しいんですがね。」
「おとなしい……」と永野は当惑したやうに、「それはさう言へばさうかも知れないけれど、頭脳《あたま》のぼんやりした人間を普通にさう言ふのは間違つたことだよ。あの子はお茶をもつて来ると、客の鼻の先へつか/\出て来て、べつたり坐つて突拍子《とつぴやうし》もない調子で、入らつしやいまし、と遣《や》るんでね、田舎風の粗撲《そぼく》とは又た違《ちが》ふんだ。位置と調子がわからないんだから困る。」
おかよも笑つた。
「さうでせう。あの子はどうも気がきかなくて困るんです。十八にしては、ぼんやりですね。母親に似てゐるのかも知れませんね。様子も何だかだらーんとしてゐますね。それでもまんざら痴呆《ばか》でもないやうですよ。親ですけれど、来て見《み》て、昌一のことを蔭《かげ》で笑つてゐますの。」
「さう/\、そんなところもあるな。それに不思議なことには、ぼんやりの癖《くせ》に、人の噂《うわさ》なんぞするのを聞《き》いてゐると、さう云ふ点《てん》では頭脳《あたま》が働くとみえて、人間の滑稽な点や非点《あら》なんぞ面白可笑しく話すことが実に巧い。昌一もあれにかゝつちや形《かた》なしだよ。そんな処《ところ》はよく昌一に似てゐると思ふよ。その感じ方や見方が、どうも若《わか》い娘らしくないんでね、何だか田舎の洗濯婆さんのやうに、早口《はやくち》でぺちやくちやしやべる調子が気に入らないんだ。」
「あれは昌一を頭《あたま》から莫迦にしてゐるからですよ。田舎で聞《きか》されて来てゐるんでせうが、昌一が酒ばかり飲んで襦袢の衿《えり》一つ買つてやつたこともない癖《くせ》に、親風《おやかぜ》を吹かして威張るから、何うしたつて莫迦《ばか》にされます。」おかよは強《し》ひて弁護をしようともしなかつたが、芳子に最初ほどの興味はもつことは出来なくなつたにしても、永野のやうにさう又《ま》た一|刻《こく》に非《けな》しつけるのも可哀さうだと思つた。
永野にしたところで、自身の好悪感《かうをかん》は好悪感として、若《わか》いものゝことはやつぱり気にかゝつた。嘗《な》めつかないばかりに芳子を可愛がつてゐる昌一の愛が、いかに無智なものであるかを考へると、傍観的態度を取りながらも、気分は返《かへ》つて苛苛《いらいら》した。芳子の話によると、彼はよく肩を操《も》ませたり、酒のお酌《しやく》をさせたり、または酒屋へ酒を借《か》りにやるとか、そんな事《こと》にその日/\を空しく遊《あそ》ばせておくばかりで彼女の前途の問題については何一つ計画《けいくわく》したこともないのであつた。それに是は後で耳《みゝ》にしたことであつたが、おかよのところへ金《かね》なぞ借《か》りに来る役目は、芳子ときまつた。
「おれよりかお前の方が信用があるから、お前行けつて言ふんですの。お父さんはもう迚《とて》も永野には信用がないんだからつて。それで自分で信用のないことを知《し》つてゐるだけ感心《かんしん》だと思ひますね。」芳子はおかよに言ふのであつた。
それに昌一には悪い癖があつて、芳子がもつて来た少しばかりの晴着《はれぎ》なぞも、そつとしてはおけないらしかつた。それは自分の子供の芳子に限らず、誰《だれ》のものでもさうした癖の出るのは、長いあひだの彼の習慣であつたが、おかよの言ふところによると、芳手の母や、間《なか》へ立つた柳井もその事は用心したらしく、当座の着替《きがへ》だけもたせて、様子を見によこしたものらしかつた。事によると、芳子自身の智慧《ちゑ》でさうしたのかも知れなかつた。東京へ出る気になつたのも、父の昌一が慕《した》はしいとか、何か新《あたら》しい生活の道を求めるとか云ふ、多少教養のある若い女に共通な自発的な欲求から来たと云ふよりか、おかよが子供を多勢引率して田舎へ行つたときの様子《やうす》で、永野の生活が何んなに華やかで豊かなものであるかを想像して、着物や持物でも作つてもらはうと云ふ、極《ごく》低級な慾望《よくぼう》が動機となつてゐるのであつた。永野が芳子を見て失望したのも、父の昌一と同じく、そんな点では少しも向上心や煩悶のない彼女の無智《むち》性であつた。
「お前が悪いよ。きつと衒《ひけ》らかして見せたに違ひないんだ。」永野はその事についておかよを咎《とが》めた。
「いゝえ、私がそんな事《こと》をするもんですか。」とおかよは言つてゐたが、おかよにさう云ふ性癖のあることは永野がよく知つてゐた。勿論それはさう悪い意味のもんではなかつた。故郷の人達《ひとたち》に対《たい》して誰しも普通《ふつう》にもつてゐる見《み》えだと云ふ点から言つて、永野は彼女の些《さゝや》かな矜《ほこり》を、寧ろ甘やかしい心持で、いぢらしく思つたのであつたが、芳子をも自分の生活|圏内《けんない》へ引入れようとしたことは、おかよが少し調子づいてゐるのだと思ふより外はないのであつた。
で、おかよは昌一には懲り/\してゐながらも、芳子には厭な顔をすることはできなかつた。そして「芳ちやんは何にも知らないだらうけれどもね」と言つて、今迄の昌一の仕打《しうち》を話しながら、要求に応じた。それに附《つ》けこまないでおくやうな昌一ではなかつた。そして芳子は時々厭な役目を仰せつかつた。
「お父さんまた怠《なま》けてゐるね。」とおかよがきくと、「今日もお酒を飲んで威張りくさつてゐるんです。おれは豪《えら》いんだぞ。おれは学校こそ出ないが何でも知つてゐるんだ。己が一つこの細腕に絢《より》をかければ、お前なんか自動車で帝劇へ行かうと三越へ行かうと、思ふまゝの贅沢《ぜいたく》ができるんだ。千円もするダイヤの指環をはめさせてさ……だつて。それこそ可笑しくなつてしまう。真面目でさう言つてゐるの。己ほど悧巧なものはないつて勢ひなの。」芳子はさう言つて、目に涙をにじませて可笑《をか》しがつた。
おかよも噴笑《ふきだ》さずにはゐられなかつた。
「え、あれはね、新聞学問といつてね、新聞だけはよく読むの。それで又何でもよく知つてゐるの。見もしない役者も知《し》つてゐれば、お相撲の給銀《きうぎん》から、選挙、将校連の閲歴《えつれき》、華族の内幕と言つた風《ふう》でね。お稲さんがまた自分の亭主ほど悧巧なものはないと思つてゐるんですからね。」
「そんな大きなことを言つてる癖に、お父さんてば私の著物を貸せと言ふんですの。」芳子はおかよに訴へた。
「貸したの」とおかよが訊《き》くと、
「私があれはお祖母さんに拵へてもらつたんだから、困るとさう言つたら、己んとこの厄介になつて、己の家の飯を食つてゐながら、着ものくらゐ貸さないやうな薄情《はくじやう》な奴は、田舎へ帰してしまうなんて、まるで子供のやうなことを言つてるんですの」と芳子は笑《わら》つた。
「どんな着物があるの」と永野が訊《き》くと、おかよが、
「こなひだ三越へ着て行つたあれでせう」と言つて、
「お稲さんは何と言ふの。」
「お母さんは何とも言ひませんの。お母さんは自分の箪笥《たんす》へは何《ど》んなことがあつても、手も触れさせないんですの。お父さんもそれだけは諦めてゐるから可笑しいんですの。」
「お稲さんはきついからね。」
「そんな事をしてゐると、着物は愚か、今に体まで売られてしまうぞ。」永野は苦笑してゐた。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
その頃芳子のことで、永野はおかよと其《そ》の大きなデパートメントストアに、知合ひの或る婦人を訪ねたのであつた。
それは誰の発意か永野には分明《はつきり》したことはわからなかつた。おかよは昌一の希望だと言つてゐたけれど、永野の想像によれば、おかよ自身の発意だとしか思へなかつた。昌一は芳子を傍《そば》から放《はな》すことを、迚も為得《しえ》ないだらうと思はれた。
その婦人は、永野の友人の未亡人であつたが、いつ逢つても気の変らない素直《すなほ》な優しい性質と、品の好い美しい容貌の持主であつた。
独りで人中へ出ることに臆病なおかよは、永野と一緒に行つて、芳子のことを其の人に頼んだのであつた。
「さう云ふ経験のある方なら採用するでせうと思ひます。」秋山さんと云ふその婦人は、何時ものとほりにこやかな表情で推薦することを承諾してくれた。
そして永野夫婦を控室《ひかへしつ》に待《ま》たせておいて、その掛りの人に間合せに行つた。それは電話の方の掛りであつた。
「田舎もので、少し頭脳がぼんやりした方ですから、何うかと思ひますが。」永野は言つたが、とにかく本人を寄越《よこ》して下さいと云ふ秋山さんの返辞であつた。
「田舎でどのくらゐ貰つてゐらしたんです。」
「さあその事はよく聞きませんでしたが」とおかよは答へた。
「とにかく今迄より此処は待遇が好いでせうと思ひます。電話の方がお厭でしたら、売場の方へまはして貰ふこともできますから。」秋山さんは言つてくれた。
それから三人で、その辺を少し見てあるいて、少しばかり買ひたいものを秋山さんに見てもらつたりして、永野夫婦は別れを告げた。
おかよが芳子をつれて行つたのは、その翌々日かであつた。その日《ひ》は履歴書なぞも持つて行つたのであつたが、芳子が愈《いよい》よ採用されることになつたと云ふことを聞いて、永野もやつと一安心した。
「芳子もぼんやりしてゐるやうで、なか/\抜目《ぬけめ》のないところもあるんですよ。」おかよは永野に話した。
「月給のことを聞かれて、少し掛値《かけね》を言つたさうです。そしたら、それに五円増して、三十五円にしてもらへたんですつて、五十円くらゐには直ぐなるさうですの。ですから、芳ちやんにさう言つたんです、それだけ取れるなら食料を月々お稲さんの方へおいれなさいつて。お稲さんの前、さうすれば昌一も肩身も広いし、あの子も気兼がなくていゝから。」
何と言つてもおかよは弟思ひだと、永野にはさう思へた。
「それぢや芳子が可哀さうぢやないか。」永野は言つたが、強いて争ふほどのこととも思はなかつた。
ところでそれから四五日たつた或日《あるひ》のこと、永野は秋山さんからの葉書を受取《うけと》つたが、それによると、芳子は三日来たばかりで、四日|目《め》からは断《ことわ》りなしに休んでゐるが、何《ど》うなすつたのかと言つて、心配してゐてくれるのであつた。
「何うしたんだい、芳子は行かないさうぢやないか。」永野は不思議に思つておかよに訊《き》いた。
「さうですか。あれ限《き》りちつとも来ませんから、何うしたのかと思つてゐましたら……病気なんでせうか知ら。」
「とにかく無断で休んでゐたんぢや、向うも差閊へるだらうからね。」
「さうですとも。直《す》ぐ呼びにやつて訊《き》いてみませう。」おかよはさう言つて、女中を昌一の家へ遣《や》ることにした。
すると芳子の代りに、お稲が間もなく遣つて来て、芳子の気が進まないから、折角骨を折つて入れていたゞいたのだけれど、お断《ことわ》りをしてもらうやうにといふのであつた。
「何でござんすか、芳ちやんでは迚《とて》も勤まらないといふんですがね。」お稲もそれには不服らしく言《い》ふのであつた。
「何うして?」永野が反問すると、得意先《とくいさき》からかゝつて来たときは、それに一々応対して受持々々へ繋ぐのが、役目なのだが、反物の名などを書きとめておかなければならない場合に、応待がうまく行かないうへに、文字を知らないのでまごつくのか辛いと云ふのと、今一つは体が弱いので、重い受話器をかけてゐるために、胸を圧迫《あつぱく》されるやうな気持ちで、気分が悪くなるので、押して三日のあひだは勤めたけれど、迚も続きさうもないといふのであつた。
永野にも仕事の様子はよくは解《わか》らなかつた。
「さうかな。そんな難かしいものなら仕方がないが、望み手は沢山あつても、誰でも入《はい》れるといふところぢやないんださうだからね。少し馴れゝば訳ない事《こと》ぢやないか。」永野は言つたが、しかし芳子の日常の気分や調子を考へると、あの広き支店に、幾十人とゐる交換室のなかへ交つて、各方面の客を引受けて、一々敏速に応答することは、ちよつと困難な仕事のやうにも想像された。
「何でもない事のやうに、秋山さんは言つてゐらつしやいましたがね。交換事務に経験のある人なら誰でも出来ることださうですがね」おかよも言つたが、彼女にしても気の進まない芳子の心持は、推量しないではゐられなかつた。
「何うせそれはあんな激《はげ》しいとこで働くんだから、田舎の交換局にゐたやうな訳には行かないだらうが、そこが辛抱なんだ。お祖母さん育ちで、意気地がないから、そんな事を言つてるんぢやないか。外に口を捜すといつても、あの位のところはちよつと有りませんよ。」永野はお稲を説き諭すやうに言つた。
「それあさうでございますとも。私もさう申してをるんでございますけれど。」
「昌一は何う言つてるんです。」
「宅も姉さんに済みませんですけれど、体が弱いんだから、強ひいてやらせるのは可哀《かあい》さうだとさう申すんでございますよ。」
「やつぱり駄目だな。しかし、それなら其で早く先方へ断らなくちや。」
「ほんとに、何ていふ人達《ひとたち》でせうね。人にばつかり骨折らせて。」おかよも言つた。
「駄目だよ。親父が意気地がないんだから。彼の男自身もさうなんだが、子供の先きのことなんざ考へてやらないんだから。」
「え、そんな考はちつともないんです。」おかよも歯痒さうに言つた。
「ほんとに今が大事の時期でございますからね」と、お稲も言つてゐた。
とにかく秋山さんが先きの人に極のわるいことになつたので、永野はおかよと一緒に再び其の雑貨店を訪問して、事情を話して詫びた。
「それは一向かまひませんですけれど、でも折角きまつたのに、惜しうございますね。」
秋山さんはさう言つて、五階か六階にある交換室へその断りに行つた。そして暫くするとおかよ達のゐる休憩室へ還つて来た。
「さう言つて話したんですよ。さうしますとお馴れにならないから、さうお思ひになつたんでせうが、決してそんな難かしいことぢやないんだから、思《おも》ひ直《なほ》してお通ひになるやうにお勧めしてくれと言ふんですの。永野さんがいらしたのなら現状を御覧になつていたゞけば、訳《わけ》なく御理解の行くことだからと、さう言ふんですが、如何です御覧になりませんか。」秋山さんはさう言つて勧めた。
「そんなに御心配していたゞいては、却つて恐縮《きようしゆく》ですわ。」おかよが気毒さうに言ふと、永野も、
「ではその方にお目にかゝつて、お詫《わ》びをしませう。」
で、秋山さんに案内されて交換室へ入つてみるとそこには教育家にでも見《み》るやうな、しとやかで物堅さうな、相当年輩の夫婦が、黒い事務服を着けて、入口《いりくち》に近《ちか》いところで全体的な仕事に坐つてゐて、秋山さんがおかよ達《たち》を紹介したところで、物優《ものやさ》しい調子で二人の挨拶に応ずると同時に、
「この通りでございますから、どうぞ御覧下さいまして」と言つて案内してくれた。
見ると広い窓の真中ほどに一列の椅子によつて、受話器をかけながら若い婦人が十人近くも勤務《きんむ》に就いてゐた。そして其と
垂直の位置に、更に同じくらゐの人数《にんずう》が、交換事務を執つてゐた。初夏のことで、明放された窓からは遠《とほ》い建物の密集《みつしう》が、淡《うす》い濛靄《もうあい》に立罩《たちこ》められた碧空《あをぞら》の下に眺められ、新鮮な風がそよ/\流れてゐた。室内は極めて静粛で、高いだけに何となく緊張《きんちやう》した気分であつた。
秋山さんは別に後方に立つて事務《じむ》を見張つてゐる、四十ばかりの着実さうな男の人にも紹介してくれた。永野が芳子を罷《や》めさせる事情を話すと、その人は残念さうに、
「お厭なものなら強《し》ひてお勧めもできませんが、折角お入りになつたものですから、もう一度お考へ直しになつては如何かと思ひますが……。少しもむづかしいことはないのでして、お馴れになれば訳《わけ》のないことです。」と言葉数は少いけれど、心から親切に熱心に勧めてくれた。そして事務について少しばかり説明してくれた。電気局の交換局なぞと違《ちが》つて、若い婦人達に対《たい》する待遇に可なり注意の払はれてゐることも頷《うなづ》かれた。
永野は其等の人達の言葉に動されて是非今一度芳子に勧めて見たいやうな気持になつて、やがて、そこを辞して出たが、しかしあの事務室の静粛な、規律立つた気分が、芳子に恐《おそ》れと圧迫を感じさせたのであらうと想像されたので、彼女の自由に任かせるより外ないと思つた。
おかよはその晩お稲の来たのを幸ひにその事を一応昌一に伝へさせたらしかつたが、やはり駄目だつた。
「やつぱり進まないさうですから、止めませうね。芳子が厭がるのを無理にやらせて、若し病気にでも罹つたら何うするつて、昌一が言つてゐるさうですの。」
その翌日おかよは又《ま》たお稲から返辞を聞いたと言つて、少し中《ちう》つ腹《ぱら》で、その事《こと》を永野に報告した。
永野もちよつと腹立しく思つた。
「仕方がない。あの連中はやはりあの連中の思ひどほりにするのが可いのさ。」永野は苦笑してゐた。
「え、さうですとも。一度かうやつておけばね。」おかよも諦《あきら》めの気分で言つた。
「芳子は東京へ出さへすれば、着物や何かゞ不断《ふだん》に拵《こしら》へてもらへて、はで/″\しく暮せるものと思つてゐたらうからね。それも一|半《ぱん》はお前に罪があるよ。お前も少しお調子もんだからね」と永野は笑ひながら、いくらか皮肉に言つた。
おかよは寂しい表情をしてゐたが、別に弁解もしなかつた。彼女から言へば、与へたり取つたりすることが、何でそんなに悪いのかといふ気がしてゐた。
「なまなか遣《や》りちらすより、初めから手をつけないに限る。それに己はそれどころぢやない。人のことで焦慮《やきもき》してゐられやしない。」永野は少し苛々したやうに言つたが、しかし其ですつかり芳子の方の肩がぬけて好いとも感じないのであつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年4月「婦人公論」)
その頃芳子のことで、永野はおかよと其《そ》の大きなデパートメントストアに、知合ひの或る婦人を訪ねたのであつた。
それは誰の発意か永野には分明《はつきり》したことはわからなかつた。おかよは昌一の希望だと言つてゐたけれど、永野の想像によれば、おかよ自身の発意だとしか思へなかつた。昌一は芳子を傍《そば》から放《はな》すことを、迚も為得《しえ》ないだらうと思はれた。
その婦人は、永野の友人の未亡人であつたが、いつ逢つても気の変らない素直《すなほ》な優しい性質と、品の好い美しい容貌の持主であつた。
独りで人中へ出ることに臆病なおかよは、永野と一緒に行つて、芳子のことを其の人に頼んだのであつた。
「さう云ふ経験のある方なら採用するでせうと思ひます。」秋山さんと云ふその婦人は、何時ものとほりにこやかな表情で推薦することを承諾してくれた。
そして永野夫婦を控室《ひかへしつ》に待《ま》たせておいて、その掛りの人に間合せに行つた。それは電話の方の掛りであつた。
「田舎もので、少し頭脳がぼんやりした方ですから、何うかと思ひますが。」永野は言つたが、とにかく本人を寄越《よこ》して下さいと云ふ秋山さんの返辞であつた。
「田舎でどのくらゐ貰つてゐらしたんです。」
「さあその事はよく聞きませんでしたが」とおかよは答へた。
「とにかく今迄より此処は待遇が好いでせうと思ひます。電話の方がお厭でしたら、売場の方へまはして貰ふこともできますから。」秋山さんは言つてくれた。
それから三人で、その辺を少し見てあるいて、少しばかり買ひたいものを秋山さんに見てもらつたりして、永野夫婦は別れを告げた。
おかよが芳子をつれて行つたのは、その翌々日かであつた。その日《ひ》は履歴書なぞも持つて行つたのであつたが、芳子が愈《いよい》よ採用されることになつたと云ふことを聞いて、永野もやつと一安心した。
「芳子もぼんやりしてゐるやうで、なか/\抜目《ぬけめ》のないところもあるんですよ。」おかよは永野に話した。
「月給のことを聞かれて、少し掛値《かけね》を言つたさうです。そしたら、それに五円増して、三十五円にしてもらへたんですつて、五十円くらゐには直ぐなるさうですの。ですから、芳ちやんにさう言つたんです、それだけ取れるなら食料を月々お稲さんの方へおいれなさいつて。お稲さんの前、さうすれば昌一も肩身も広いし、あの子も気兼がなくていゝから。」
何と言つてもおかよは弟思ひだと、永野にはさう思へた。
「それぢや芳子が可哀さうぢやないか。」永野は言つたが、強いて争ふほどのこととも思はなかつた。
ところでそれから四五日たつた或日《あるひ》のこと、永野は秋山さんからの葉書を受取《うけと》つたが、それによると、芳子は三日来たばかりで、四日|目《め》からは断《ことわ》りなしに休んでゐるが、何《ど》うなすつたのかと言つて、心配してゐてくれるのであつた。
「何うしたんだい、芳子は行かないさうぢやないか。」永野は不思議に思つておかよに訊《き》いた。
「さうですか。あれ限《き》りちつとも来ませんから、何うしたのかと思つてゐましたら……病気なんでせうか知ら。」
「とにかく無断で休んでゐたんぢや、向うも差閊へるだらうからね。」
「さうですとも。直《す》ぐ呼びにやつて訊《き》いてみませう。」おかよはさう言つて、女中を昌一の家へ遣《や》ることにした。
すると芳子の代りに、お稲が間もなく遣つて来て、芳子の気が進まないから、折角骨を折つて入れていたゞいたのだけれど、お断《ことわ》りをしてもらうやうにといふのであつた。
「何でござんすか、芳ちやんでは迚《とて》も勤まらないといふんですがね。」お稲もそれには不服らしく言《い》ふのであつた。
「何うして?」永野が反問すると、得意先《とくいさき》からかゝつて来たときは、それに一々応対して受持々々へ繋ぐのが、役目なのだが、反物の名などを書きとめておかなければならない場合に、応待がうまく行かないうへに、文字を知らないのでまごつくのか辛いと云ふのと、今一つは体が弱いので、重い受話器をかけてゐるために、胸を圧迫《あつぱく》されるやうな気持ちで、気分が悪くなるので、押して三日のあひだは勤めたけれど、迚も続きさうもないといふのであつた。
永野にも仕事の様子はよくは解《わか》らなかつた。
「さうかな。そんな難かしいものなら仕方がないが、望み手は沢山あつても、誰でも入《はい》れるといふところぢやないんださうだからね。少し馴れゝば訳ない事《こと》ぢやないか。」永野は言つたが、しかし芳子の日常の気分や調子を考へると、あの広き支店に、幾十人とゐる交換室のなかへ交つて、各方面の客を引受けて、一々敏速に応答することは、ちよつと困難な仕事のやうにも想像された。
「何でもない事のやうに、秋山さんは言つてゐらつしやいましたがね。交換事務に経験のある人なら誰でも出来ることださうですがね」おかよも言つたが、彼女にしても気の進まない芳子の心持は、推量しないではゐられなかつた。
「何うせそれはあんな激《はげ》しいとこで働くんだから、田舎の交換局にゐたやうな訳には行かないだらうが、そこが辛抱なんだ。お祖母さん育ちで、意気地がないから、そんな事を言つてるんぢやないか。外に口を捜すといつても、あの位のところはちよつと有りませんよ。」永野はお稲を説き諭すやうに言つた。
「それあさうでございますとも。私もさう申してをるんでございますけれど。」
「昌一は何う言つてるんです。」
「宅も姉さんに済みませんですけれど、体が弱いんだから、強ひいてやらせるのは可哀《かあい》さうだとさう申すんでございますよ。」
「やつぱり駄目だな。しかし、それなら其で早く先方へ断らなくちや。」
「ほんとに、何ていふ人達《ひとたち》でせうね。人にばつかり骨折らせて。」おかよも言つた。
「駄目だよ。親父が意気地がないんだから。彼の男自身もさうなんだが、子供の先きのことなんざ考へてやらないんだから。」
「え、そんな考はちつともないんです。」おかよも歯痒さうに言つた。
「ほんとに今が大事の時期でございますからね」と、お稲も言つてゐた。
とにかく秋山さんが先きの人に極のわるいことになつたので、永野はおかよと一緒に再び其の雑貨店を訪問して、事情を話して詫びた。
「それは一向かまひませんですけれど、でも折角きまつたのに、惜しうございますね。」
秋山さんはさう言つて、五階か六階にある交換室へその断りに行つた。そして暫くするとおかよ達のゐる休憩室へ還つて来た。
「さう言つて話したんですよ。さうしますとお馴れにならないから、さうお思ひになつたんでせうが、決してそんな難かしいことぢやないんだから、思《おも》ひ直《なほ》してお通ひになるやうにお勧めしてくれと言ふんですの。永野さんがいらしたのなら現状を御覧になつていたゞけば、訳《わけ》なく御理解の行くことだからと、さう言ふんですが、如何です御覧になりませんか。」秋山さんはさう言つて勧めた。
「そんなに御心配していたゞいては、却つて恐縮《きようしゆく》ですわ。」おかよが気毒さうに言ふと、永野も、
「ではその方にお目にかゝつて、お詫《わ》びをしませう。」
で、秋山さんに案内されて交換室へ入つてみるとそこには教育家にでも見《み》るやうな、しとやかで物堅さうな、相当年輩の夫婦が、黒い事務服を着けて、入口《いりくち》に近《ちか》いところで全体的な仕事に坐つてゐて、秋山さんがおかよ達《たち》を紹介したところで、物優《ものやさ》しい調子で二人の挨拶に応ずると同時に、
「この通りでございますから、どうぞ御覧下さいまして」と言つて案内してくれた。
見ると広い窓の真中ほどに一列の椅子によつて、受話器をかけながら若い婦人が十人近くも勤務《きんむ》に就いてゐた。そして其と
垂直の位置に、更に同じくらゐの人数《にんずう》が、交換事務を執つてゐた。初夏のことで、明放された窓からは遠《とほ》い建物の密集《みつしう》が、淡《うす》い濛靄《もうあい》に立罩《たちこ》められた碧空《あをぞら》の下に眺められ、新鮮な風がそよ/\流れてゐた。室内は極めて静粛で、高いだけに何となく緊張《きんちやう》した気分であつた。
秋山さんは別に後方に立つて事務《じむ》を見張つてゐる、四十ばかりの着実さうな男の人にも紹介してくれた。永野が芳子を罷《や》めさせる事情を話すと、その人は残念さうに、
「お厭なものなら強《し》ひてお勧めもできませんが、折角お入りになつたものですから、もう一度お考へ直しになつては如何かと思ひますが……。少しもむづかしいことはないのでして、お馴れになれば訳《わけ》のないことです。」と言葉数は少いけれど、心から親切に熱心に勧めてくれた。そして事務について少しばかり説明してくれた。電気局の交換局なぞと違《ちが》つて、若い婦人達に対《たい》する待遇に可なり注意の払はれてゐることも頷《うなづ》かれた。
永野は其等の人達の言葉に動されて是非今一度芳子に勧めて見たいやうな気持になつて、やがて、そこを辞して出たが、しかしあの事務室の静粛な、規律立つた気分が、芳子に恐《おそ》れと圧迫を感じさせたのであらうと想像されたので、彼女の自由に任かせるより外ないと思つた。
おかよはその晩お稲の来たのを幸ひにその事を一応昌一に伝へさせたらしかつたが、やはり駄目だつた。
「やつぱり進まないさうですから、止めませうね。芳子が厭がるのを無理にやらせて、若し病気にでも罹つたら何うするつて、昌一が言つてゐるさうですの。」
その翌日おかよは又《ま》たお稲から返辞を聞いたと言つて、少し中《ちう》つ腹《ぱら》で、その事《こと》を永野に報告した。
永野もちよつと腹立しく思つた。
「仕方がない。あの連中はやはりあの連中の思ひどほりにするのが可いのさ。」永野は苦笑してゐた。
「え、さうですとも。一度かうやつておけばね。」おかよも諦《あきら》めの気分で言つた。
「芳子は東京へ出さへすれば、着物や何かゞ不断《ふだん》に拵《こしら》へてもらへて、はで/″\しく暮せるものと思つてゐたらうからね。それも一|半《ぱん》はお前に罪があるよ。お前も少しお調子もんだからね」と永野は笑ひながら、いくらか皮肉に言つた。
おかよは寂しい表情をしてゐたが、別に弁解もしなかつた。彼女から言へば、与へたり取つたりすることが、何でそんなに悪いのかといふ気がしてゐた。
「なまなか遣《や》りちらすより、初めから手をつけないに限る。それに己はそれどころぢやない。人のことで焦慮《やきもき》してゐられやしない。」永野は少し苛々したやうに言つたが、しかし其ですつかり芳子の方の肩がぬけて好いとも感じないのであつた。[#地付き](大正12[#「12」は縦中横]年4月「婦人公論」)
底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「婦人公論」
1923(大正12)年4月
初出:「婦人公論」
1923(大正12)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
2000(平成12)年7月18日初版発行
底本の親本:「婦人公論」
1923(大正12)年4月
初出:「婦人公論」
1923(大正12)年4月
入力:特定非営利活動法人はるかぜ