福田信武(ふくだのぶたけ、1944年7月-)は、日本の外交官、政治家。
来歴
生い立ち
本国勤務
1992年、
春田真広(国際審議官)から後押しを受けて、
駐豪大使に就任。課長在職の経験がない一般職採用の者として初の人事となった。
政界進出
無所属議員
当選後、
自由党から追加公認の打診を受けるも固辞。一人会派で届出を行った。参院選の争点とされていた、
国会法改正案に賛成票を投じて、
船中勉と地縁を結ぶ。
1997年8月、首班指名選挙において、
室堂卓二に票を投じる。1997年10月、
華政クラブの所属員全会一致で入会が認められ、無所属議員で唯一派閥に所属する。
初入閣
野党政治家
2009年の
第35回衆議院総選挙において、
自由党は下野。党内派閥の見直しが求められ、所属派閥だった
華政クラブが解散される。選挙後、党本部と地元選出議員らの要請に従い、
自由党福岡県連会長に就任。
2010年1月、党
幹事長代行代理の
三好光友と、福岡県内の地方議員選挙公認を巡って対立。党本部が提示した、落選議員の再公認ではなく、新たな候補者選定をするべきという意見がもみ消されたことに腹を立て、3月に県連会長を辞任。
かつて、鉄の結束とうたわれた
華政クラブや
改革と実行の会の所属議員ら数名を集い、さらには父の旧友であった
政風会のメンバーなどを引き連れ、5月に集団離党。このメンバーに、社会党政権に反対する
共立党の数名を加えた新党
進歩党を結党。
1人会派で「
民主党・超党派の会」を旗揚げした。会派発足後、国民党の院内会派から離脱して合流する議員が複数名出てくると、元国民党代議士13名とともに新党「民主党」を結党した。民主党代表時代 67歳民主党代表に就任。党の諸方針決定に関しては
鏑木恭/民主党幹事長に音頭を取らせた。
最終更新:2025年07月22日 08:36