地下鉄サリン事件71日前

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地下鉄サリン事件71日前 - (2016/07/10 (日) 20:49:05) の編集履歴(バックアップ)


256 :神も仏も名無しさん:2016/06/14(火) 02:20:18.96 ID:3zsGkbGZ
  • 予告-

地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む)

【前回わたしは、――まあ君たちはまだその説法聞いてないだろうが――ガティーカーラ経における偉大な真理勝者、
カッサパ真理勝者の教えと、それからティローパの教えにおいて、その本質というものが同じであることを説きました。
これは昨日のね、講話の内容だが。今日は、ティローパ、ナローパの教えが、もともと天界の法則であるという話を
したいと思います。】

ここで麻原が引用する輪廻転生談とは!?

【(尊師)それはやはりヴァジラヤーナがいいよ。
(質問者C)それによって多少、法的な問題が生じるとしてもですか。
(尊師)法的な問題というと?
(質問者C)例えば損害賠償の請求を起こされると。】

ついにヴァジラヤーナ指令発動か!?

380 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23:13:27.65 ID:NkkCJJ65
地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む)

【つまり君たちはこう言われるだろう、天界に行ったら。「なんだ、やっぱりあなた方はステージが低いから、そのような高い法則をグルは教えてくれなかったのか」と。
「これは明らかに、観念的なもののとらわれ方ではなく、法則を法則としてとらえ、そしてそれを原理的に理解する能力があるとするならば、理解できたはずじゃないか」と。
「ということはあなた方の蓄積というのは、単なる観念的善行なるがゆえに、それが崩壊したときに、この天界の生活というのは終わるね」と。「哀れだね」と。
 わたしは仏典において、そのような特別な教えを随所に見受ける。そしてわたしはそれを解説なしに信徒や一般の人に提供すると。なぜ、そうするのかと。
それは、経典というものはもともとグルが〈かいけつする〉解説する、要するに教科書みたいなものであって、それを傲慢にも解脱していない者が読み、
わたしは理解したんだと考えることそのものが、もうすでにその人は魔境だからである。】

魔境は誰だろうね~w

381 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23:18:02.91 ID:NkkCJJ65
地下鉄サリン事件71日前(引用は【】で囲む)

【そしてその経典の読み方が理解できたとき初めて、人智の進歩、つまり智慧の発達というものが生じるのである。
つまり本質的に、最後の救済は何かというと、ヴァジラヤーナしかないと。そのまさにヴァジラヤーナの教えの
エッセンスが、イッリーサ輪廻転生談であるとわたしは考える。】

無差別テロの説明にはなってないね

382 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23:27:13.37 ID:9my26LEj
生長の家の教祖、オウム信者のブログ見てるw自分のブログで引用してた。

383 :神も仏も名無しさん:2016/06/15(水) 23:31:01.57 ID:NkkCJJ65
【もう一度この話の内容を追っかけてみよう。まず偉大な真理勝者サキャ神賢が、瞑想なさると。そしてこの世界のどこかで救済される
対象はいないだろうかと考えられると。そして、イッリーサのヴィジョンが現われると。で、救済が始まると。そこで、縁の最も深かった、
偉大な成就者であるマハー・モッガッラーナが空中を飛来し、そして彼のもとに行くと。そして彼は非常にケチであると。そのケチを、
ケチから解放させるために、――なぜケチから解放させる必要があるのかと。ここでまた一つ法則が出てくると。今生で貪り、聖者に
対して布施をしなかった者は地獄であるという教えがあるからだ。】

空中を飛来の段階で、おとぎ話だ、ファンタジーだって考えてる麻原信者いなかったっけ^^
自分達は成就者である、聖者である、だから信者は我々に布施しなければ地獄に落ちる、と思い込まないとやっていけない精神状態に
本部支部担当者(特に道場長)は追い込まれてたねぇ

384 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00:01:13.84 ID:J1WEcguE
【もともとミラレーパは、母親の願いによって呪詛し、そしていとこの子供を呪詛によって殺すというカルマを積んでいる。
そしてミラレーパは魔術師と呼ばれていたと。彼は、偉大なる成就の系譜であるマルパ、あるいはマルパの弟子たちから
非常に珍重されたと。なぜ珍重されたのか。それは相手、法則を邪魔する者たちを呪詛によって殺すことができたからである。】

オウムでも、魔術師の代わりに医者や科学者が重用されていたことは皆承知している事実ですね

【もしマルパの存在がなければミラレーパは、次の生も人間、そして低級霊域・動物へと落ちただろう。しかしマルパはミラレーパの
カルマを、完全に奉仕、奉仕イコール苦行と。苦行にも二つあるわけだが、一つは相手に対して、つまり弟子に対して、弟子のカルマ
を落とす、というだけではなく、それが結果的にはグルに、功徳として還元されると。あるいはグルの息子――息子というものは当然
血が半分入っているわけだが、その血が半分入ってるということは、それだけ霊性が高いと。そうすると、血統が一番いいんだという
ことになるわけだが、本当に悟ったり解脱をしたりする者の息子というのは、特別な霊性を有してると。――それに対する奉仕という
ものは、それだけで功徳になると。】

オウムのドクターやサイエンティスト達は、麻原の存在がなければ、他人を傷つけたり殺したりしなかったと思う
オウム事件の被害者は、麻原の存在がなければ、被害に遇うことはなかったと思う

オウム事件とは、加害者である弟子のカルマを落とし、(被害者である無関係の人々のカルマを落とし)、結果としてそれは解脱者である
グルに功徳として還元されるという考え方かな、これは

【聖者が慈愛によって、あるいは哀れみによって何かをなした場合、そのすべては肯定される。そのすべては完全に聖者の功徳になると。
しかし凡夫が貪りによって、自分で働いて自分で貯めたお金、あるいは自分で働いて自分で貯めた財産、これに対して執着し、布施を
しなかっただけで地獄へ至ると。これが法則である。】

凡夫は聖者に会ったら、一目散に逃げる必要がありそうだ
都知事も似たような意識だったのかもしれない

385 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00:18:07.71 ID:J1WEcguE
【もしミラレーパが、自分の魔術師的な要素を、グル・マルパや、あるいはマルパの高弟のために使わなかったとするならば、
ミラレーパの偉大なる成就、偉大なる解脱・悟りというものは当然なかったであろう。ではなぜかと。それは観念を放棄して
いるからである。つまりグルとの合一とは何かというと、自己の観念を完全に放棄し、そしてグルの指示どおり、――たとえ
それが地獄への道であろうともだ――実践する、ということになる。】

二人の間に強い縁が成立していれば、高度な実践という理屈は理解できなくもない、と頭で考えるのはOKだと思うが
解脱していない者が「私は体験して理解している」と言うのは、やっぱり魔境でしょう

同じ説法でもこう言ってるし

【一番いけないのは、きれいごとを並べ、そして法則を実践させるために少し強く出られたら、すぐ恐れ、逃げるような弟子である。】
【・・・救済のためのいかなる手段を講じたとしても、相手が真理から離れないというね、自信と確信が生じた場合、グルは弟子に
対して、まあ俗にいうところのひどいことを行なう。つまりこの「ひどいことを行なわれる弟子」が一人前であると。】

教団出入りが多くても不問扱いされるサマナが居たような・・

386 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 00:27:02.18 ID:J1WEcguE
【地獄も同じだ。肉体に対してものすごい苦しみが与えられると。苦しみによって憎しみが生じると。苦しみによって恐怖が生じると。
苦しみによって邪悪心が生じると。しかし、この憎しみの状態がもしグルが与えたものであるとするならば、必ず安らぎであるグルが途中で
現われ、そこから地獄の要素である憎しみや邪悪心といったものを取り除いてくれると。それによってそこから救済されるのである。
つまり、ここで重要になってくるのは、「縁」なのである。そしてミラレーパがまさに解脱できたというのは、グルに対する奉仕、そしてグルの
妻に対する奉仕、そしてグルの息子に対する奉仕という要素があったからである。】

事件=グルに対する奉仕
結果=弟子は地獄へ
救済=グルが地獄へ行き、縁によって彼らを救う

弟子に対してはこれを、被害者に対しては(過去の)逆縁の説法を適用して、疑念を払拭できる信者が、教学のできている信者となるんでしょう
でも、それは盲信と言わざるを得ない
本当にそうなるのか、わかるレベルの神通を得た者はいないのだから

401 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:05:30.16 ID:J1WEcguE
【例えばSがAに対して愛著を持ったと。Aが熱を出したと。Sも出したと。
まさにこれはグルと弟子の関係が成立していると。このように心の方向性というものは、まさにその魂との、身体の動作において、
言葉において、心においての形成要素によって結びつきが生じ、そしてそれによって輪廻転生を失敗したり、あるいはいったん高い
世界へ行ったとしても、そこから落ち、そして苦しみ続けなければならないのである。したがってミラレーパの呪詛による動物の殺生
や人の殺生というものは、逆にミラレーパの解脱を早めたということになる。】

オウム事件の加害者となった高弟にも当てはめることができる
オウム事件の加害者達は、彼らの解脱を早めるために、オウム事件の実行を指示されたんだという理屈になる
加害者、特に死刑囚となった弟子達は、このような麻原の説法に触れていたにも関わらず、逮捕後の麻原の発言に戸惑ったのは当然
こういった説法におけるグルや仏陀と、様子が違うではないか我がグルは、とならない方がおかしいと思う
教団に居て誰しもが思うだろうこと、「この教団って誰も責任を取らないんだよな、取れないし」
しかし潜在意識では、尊師は絶対、尊師は壊れない、尊師はカルマを受けてくださる(という責任を取り方ができる)という認識がある

その麻原が逮捕後から弟子が唖然とする態度を取り始め、最終的に廃人となったのは、ティローパのしたように、(弟子の)絶対の信を
確信しているとか、試すといった意味があったのか?それとも説法自体が知識と妄想の賜物で、現実を受け止められずに精神崩壊を
深めていったからなのか?詐病とか拘禁反応とか様々な言われ方をし、実の娘の見解も違っていたりした
精神状態をもって解脱者としてあり得ない、解脱者で無かった証拠という意見も根強くある

402 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:06:49.23 ID:J1WEcguE
【しかし、ナーローパは、偉大なグル・ティローパの弟子であり、絶対の信を具足していたと。そしてティローパが囁くと。
「君は、カルマムドラーの実践をする必要があるね」と。「女を買ってきなさい」と。そして、ナーローパは十六歳の少女を
買ってくると。そしてカルマムドラーの、カルマムドラーという名の、性欲の行使を始めると。ところが、もともとその十六歳の
少女には神性、つまり神の性質が備わっていないわけだから、煩悩だけ増大し、そしてナーディーは詰まり、ナーローパは
苦しむと。そして、絶えず勃起し続けるようなね、状態が生じたと。それを二年、三年と放っておいて、ティローパはナローパ
のところへ行くと。「なんだ、君は修行者なのに性欲の破戒をしてるのか」と。】

地下鉄サリン事件72日前から32日前まで、このような説法をした事実がある。
そもそも麻原の語る天の法則というのは正真正銘の真理なのか?仏典の随所に見受けるというが、仏教学者は皆魔境だと言う麻原に
魔境の要素は無かったのか?

オウム事件は、ナチスのユダヤ人迫害や独裁政権の(軍部による)自国民に対する弾圧や海外テロ組織によるテロ活動に通じる部分も
あるが、サリンテロの特殊性は、大義名分の無さや無差別の完全性が突き抜けている面にあると思う

経典に伝わる「グルと弟子」と「カルト教祖とその信者」の違いも検討しないといけない
麻原をチベット密教のグル方や世界的宗教の始祖方と同列に語って良いのかと
麻原は神秘的な霊性を示せたと同時に病理的な特性も随所に見受けられた
聖俗併せ持つという言葉で、麻原の実態を見極めようとしない態度は改めないと検証は始まらないだろう

403 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:10:30.45 ID:nH5jIwIX
法則を無間地獄に落ちる悪業を積むことにしか使えない
哀れな魂

404 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:27:10.03 ID:J1WEcguE
【ヴァジラヤーナが、なぜ結果の道であるといわれるのか。わたしたちが修行する目的は何かというと、苦しみの生をできるだけ短くし、
喜びの生を増大させると。そして苦しみの生にたとえ存在したとしても、そこでの苦しみを全く〈け、〉関知しないような心の完成、つまり
悟りへ至ると。そのための結果、結果を求めて行なう実践がヴァジラヤーナであり、蓄積によって最終的にその結果へ到達する道、
これが蓄積の道と呼ばれているヒナヤーナ、あるいはマハーヤーナの見解である。
例えば例を挙げよう。「殺生するなかれ」という教えがあったと。ここに毒蛇【どくじゃ】がいたと。目の前に、グルが歩いていたと。毒蛇は
まさにグルをかもうとした瞬間、自分はそのグルの後ろにいて、その毒蛇を握りつぶし、殺してしまったと。】

アストラル以上で行なわれたことが、現象界で結果として起こるのだから、結果の世界より
原因の世界にアプローチできるなら、そうするだろうね
弟子もそれを可能とするために現象界で解脱、悟りを目指して修行に励むわけで

405 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:34:10.58 ID:L67WaC8F
せっかく説法を貼り付けても、その意味を知ろうとせず
逆に邪悪見解によって誤解し誤読し話をねじ曲げ私怨を晴らすネタにしかしていないと。

それは単なる悪業ですよ。

406 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:39:25.70 ID:L67WaC8F
404
アストラル以上で行なわれたことが、現象界で結果として起こるのだから、結果の世界より
原因の世界にアプローチできるなら、そうするだろうね
弟子もそれを可能とするために現象界で解脱、悟りを目指して修行に励むわけで

貴方の語っている内容は、全て蓄積の道です。
貴方は説法を引用しているけど、経験が無いが故に引用した説法の意味を全く理解出来ていないのではないでしょうか?

407 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 06:41:52.66 ID:J1WEcguE
【ここでいろいろな検討がある。例えばグルも毒蛇にかまれるカルマがあったんだと見る見解が一つ。それから第二番目は、
結果的にこの毒蛇は殺されることによって大悪業を積まなくて済んだんだという考え方。第三番目は、自分は不殺生の戒を
破ったと考える考え方。第四番目は、そうではなく、グルに対して危害を加えるものを阻害したという、偉大な善業を〈積んだと、〉
積んだんだという考える考え方である。もちろん、この見解はヒナヤーナとマハーヤーナによって違うと。まずヒナヤーナに
おいては、見ない。マハーヤーナにおいては、その毒蛇の身代わりに、かまれる身代わりに自分がなると。ヴァジラヤーナに
おいては、それを引き裂いてしまうと。】

【これだけの違いがあると。ではなぜ、この三つは違いがあるのかというと、新しい縁を生じさせない、これがヒナヤーナであると。
大いなる功徳を積む、これがマハーヤーナであると。そうではなく、自分の修行もそうだが、対象の蛇に対しても哀れみを持ち、
そして悪業を積ませず、修行者である自分自身が、そこで相手の意識を蛇の身体からより高い身体へと移し変えるという強い
決意をもって生命を断つことができるとするならば、その蛇にとっては全く素晴らしい蛇の生だということができるし、また逆に
それを達成できなくとも、修行者によって断たれたというカルマによって、逆縁で、近い将来において必ずその蛇は生まれ変わり、
そして修行に励むか、あるいは修行の阻害をするはずである。そして次の段階で、例えば修行に励めば問題ないが、修行の阻害
をする場合、その逆縁である対象をしっかり調御し、そして救済に導き入れると。これが殺生に対する見解であると。】

修行者に殺されて良かったね、というのが麻原信者の本音
神が神と戦ったり、神が神を滅ぼす話があるように、アストラル以上の殺生は現象界の殺生とは違う意味があるんだろう

麻原は神の化身だから、現象界で弟子に殺生という奉仕をさせ、弟子の解脱という結果を早く招くと同時に、被害者は将来修行者
になる縁が生じるんだと、これがオウムのヴァジラヤーナの考え方だった

408 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:07:09.05 ID:J1WEcguE
【したがって、ラトナサンバヴァの法則として「盗め」という教えがあると。ここでその「『盗め』という教えがある」と言うと、単純に盗んでしまうが、
それではまずいと。やはり未来においてできるだけ、盗まれた人が法則に対して疑念を抱かないような盗み方をする必要があると。ここでいう
盗みとは、別の言い方をすれば「はぎ取る」と言った方がいいのかもしれない。これはまさに、先程の『イッリーサ輪廻転生談』の、イッリーサに
対する前生のマハー・モッガッラーナの対応と同じである。経典にはそのような形で、わたしたちに多くの示唆を与えてくれるのである。】

406
麻原の目にはどの経典にも五仏の法則の示唆があるように映っていたのかもしれない
だから、ジャータカでいうならイッリーサでなくても、うさぎでも麻原はヴァジラヤーナの話として語ることもできただろう
麻原信者はこの説法で何の経典が引用されていたか誰も答えなかったが、あなたは何だと思った?

409 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:09:25.22 ID:nH5jIwIX
ヴァジラヤーナの表面を見て邪推することはいくらでもできるだろう
それしか出来ない魂はそれだけの器

ヴァジラヤーナを理解できる魂というのは、霊的資質があって
以心伝心によって崇高さ、清らかさ、歓喜、こういった高い世界の情報を
読み取る事が出来る魂のこと

メクラには無理、悪業積んで無間地獄に落ちたいなら
お好きな様にどうぞ

私達はカルマを落としてもらって先に行きますんで

410 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:19:58.78 ID:nH5jIwIX
理屈をこねる事が理解だと思ってるなら大間違いだ

理解できる魂は理解するがいい

411 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:21:49.47 ID:TNEZaAEO
喜び多い生にしたいと。
たとえ他者を害しても、喜びの生にしたいと。
そうなると一発でアウト。

412 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:22:52.16 ID:J1WEcguE
オウムを勧めるということは、あなたは殺された方が良い、あなたは盗まれた方が良いと言ってるのと同じ
あなたの生命も財産も奪うが、私はその奉仕によって早く解脱が得られるし、あなたも将来そういう聖者の
立場になれる修行の道に入っていけるんだよ、やっぱりこういうことになるよね

【邪淫はどうか。性的交わりをなすなと。これは確かに性的交わりをなさない神聖行、これを実践し、心も神聖天へ至るような状態で
あるとするならば問題ない。しかし、ナーディー・プラーナ・ビンドゥの関係からいくならば、まさに交わり、そしてそれによってエネルギー
を上昇させることができる、意識を高い世界へいざなうことができるとするならば、それは肯定さるべきであり、逆に、意識を下降する、
例えば疑念が生じたり、動物のカルマが生じたりするような交わりであるとするならば、それは否定さるべきである。】

麻原が選り好んだ、若く美しい女性はそれだけ引き上がる可能性が高かっただけ、若いのも美人なのも徳の現れなのだから
と麻原信者は言えばいいのに・・黙るよね、いつも

413 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:26:15.41 ID:TNEZaAEO
もうひとつ。
出来るだけ苦しみの生を少なくしたいと。
だったら忍辱と、悪業をなさず、善業をなし
他を害さず、戒を守り、静かに瞑想修行。
これでいいじゃないかと。諸々の真理勝者方の教えであるとダンマパダにある。

414 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:43:42.07 ID:TNEZaAEO
すべての真理勝者方に帰依いたしますと。
素晴らしいじゃないですかと。
しかし、実践してないなら意味がない。

415 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:55:34.99 ID:J1WEcguE
個の完成という目的において、性的交わりを含む修行は不要という結論が出ている
修行の完成に必要な材料はこの身体の中にすべて揃っているという悟りが既に説かれている

空性大楽の体験させるという相手の利益を与えるテクニックの一つとして有効な面はあるのかもしれないが
それは尚更、若く美人を選り好むことの矛盾を浮き彫りにする気がする

要素として美と霊的素質のどちらが重要なのか、麻原は美を重視したことはよく言われているが
若くて美人であるにも関わらず、麻原が交わろうとしなかった、声も掛けなかった女性信者も居たのかどうかは
知る由も無いし、美人か微妙なのにダーキニーだった人もいなかったとは限らない

初期は手あたり次第、権力増加に伴って美人専門だったと思っているが、性タントラを取り入れてる段階で
解脱、悟りの世界に精通した他の行者の智慧には遠く及んでいないことは確実である

416 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:57:22.41 ID:nH5jIwIX
お前、映像編集のダーキニーに喧嘩売ってるのか

417 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 07:58:59.99 ID:nH5jIwIX
メクラの俺様はわかってる君だな

418 :神も仏も名無しさん:2016/06/16(木) 08:16:59.50 ID:J1WEcguE
413
説法の結論はこうなんだよ

【つまり結果の道とは何かというと、先程述べた、高い世界へ至る、低い世界を短く終わらせる、そして苦しみの生の中に自己を置いていても、
その苦しみに対して全く頓着しないような悟りの境地を貫達【完達?】するという、このような状態のものについては、すべてが肯定され、逆に、
低い世界へ長引くと、真理と巡り合う機会がなくなると、高い世界へ至ってもすぐ低い世界へ落ちると、あるいは喜びの世界にあったとしても、
そこに苦しみしかないと、このような状況をつくる状態というのは、逆に忌むべき状態である。したがって、結果の道から考えるならば、先程
述べたとおり、初めのシチュエーション、状態に至るものを善となし、そしてあとの状態に至るものを悪となすと。結論はこれだけだ。これは
言葉のカルマ、妄語・綺語・悪口・両舌についても同じことがいえるし、心において貪・瞋・癡も同じことがいえる。】

カルトは、自分のみが真理を実践する正しい集団だと思うという問題がある
相対化によってオウムは真理にも非真理にも見える

サリンを吸った人だけでなく、その身内も当然苦しむ、それだけのカルマを受けることで成立するヴァジラヤーナ
無限の光があればそれは可能かもしれないが、拘禁症状という精神崩壊の事実は、ヴァジラヤーナが成立して
などいなかったこと、カルマを受けられる限界点があったことを意味している
矛盾を無視することは妄想を増大させる結果にしかならないことを忘れてはいけない