■はじめに
この本を書こうとした動機についてまず述べよう。
私は塾講師である。都内の某塾で仕事をはじめてかれこれ三年半近くの月日が経過しようとしている。うち二年はアルバイトとして、その後は社員として働いている。つまり今年度が社会人二年目である。
社会人になってから、バイト時代とは違ってその名の通り「社会人」らしき仕事が多くなってきた。その中身の是非はおいておき、とにもかくにも「忙しい」日々である。忙しくなれば、人は心の安定を求めたくなる。今私がこの文章を書いているのは、二〇一九年夏のお盆期間中である。このゆっくりできるタイミングで、社会人としてのあり方について改めて再考して、その後の仕事をまた順調に進めていきたいと考えているし、自分の持っているノウハウを少しでも読者の皆さんにお伝えできたら、と考えている。
こういうわけで、実は当初は書名を「クールな社会人像」と設定していた。「こんなふうに働いていけば、社会人としてかっこいいよねー」ということを述べようとしていたわけである。
しかし、書いているうちに(そう、この「はじめに」は書き終わった今、書いてあるわけであるが)、仕事に限定されないようなお話、つまりは「人間としてこういうあるべきだ」「こういう生き方をしている人ってクールだよねー」ということも述べたくなってきて、範囲が多少広がった。そこでタイトルを「クールな人間像」に修正した。
限られた日数で文章を完成させねばならないという都合から、書き方のスタイルがどうしてもエッセイ調になると思われるが、そこはご了承いただきたい。
■書名「クールな社会人像」の意味
社会人のあり方について考える機会は多い。特に仕事が忙しいとき、また仕事でミスを犯したときなどは、「自分は社会人としてダメだなあ」なんて思う。そして「社会人は○○でなければ」というのをぼんやりと考えるのである。
そして私がパッと浮かんだのが「クール」という言葉である。要するに、冷静で、落ち着いており、スマートに物事を処理できる、そういう社会人を目指すべきではないか、と思ったのだ。
具体的には、「提出物が締め切りの数日前に仕上がっている」、「クレームなど悪しき事態が発生しても想定内のこととして対処できる」、「ギリギリで行動せず、開始数十分前には準備完了の状態が出来ており『暇』が演出できている」などといった状態を指している。
もちろん、私がこれを実現できているかと言われてみると、全くもってそんなことはない。むしろ私は「社会人っぽくない」と見られることが多い人間である。が、それだけに上記のことを「意識」はしている。しかも私の場合、この「意識」=思考は、仕事以外の面でも活かされており、汎用性が高い。だからこそそれを伝えていきたいと思うわけだ。私の、塾講師としての経験も交えながら、分かりやすく語っていきたいと思うので、どうぞ最後までよろしくお付き合いいただきたい。
■時間を増やすために① 「残業」「徹夜」肯定論
「残業」「徹夜」などと聞くと「よくない」というイメージをもつ読者も多いだろう。が、私はそうは思わない(かといって「進んでやれ」と思っているわけでもないが)。忙しいときはそうなってもいい、とは思う。
仕事がたまりにたまっている状況を考えてみよう。残業=悪、と考えるならば、どんなに仕事がたまっていても「明日やろう」である。いわば「後回し」になるわけで、後回し=後で苦しくなる、ということでもある。
私はそれは嫌である。後で苦労するかわりに今苦労しておく。そしてそれが限界まで達したところで仕事を終えるのである。これはとても辛いのだが、結果的にうまくいくことが多い。
ここまで聞いてみて、どうだろうか? 人によっては、上司の目もあり「残業」しにくい人もいるのではないか。であれば、「早く帰るフリをして、その後また仕事に戻る」ことをオススメする。
ここからは私の経験である。私の勤務先の校舎は、室長と私の二人体制(社員が二人いるということ)なのだが、一緒にクローズ(同時に退勤するということ)することが多い。勤怠カードをかざして、電気を消して、教室のシャッターを閉める。そして「お疲れ様です」と言って別れるのである(道は別々)。
その後私は自転車置き場で自転車に乗り、駅前で食事できる店を探す。これは毎日のルーティーンである。晩飯は毎日外食だ。
仕事がたまっていないときは、晩飯を食べた後そのまま帰宅するが、仕事がたまっているときは……そう、食べた後また校舎に戻るのである。シャッターを開けて、電気をつけて、再び仕事モードへ。結局寝てしまって「無意味」なときもあるが、少しでも仕事が進めばそれは意味のあることである。そして朝、出社の2時間前とかそのぐらいの時間帯に校舎を出て帰宅し、朝食をとりお風呂に入り、また出社する。
ようは、仕事が終わらないときは時間を増やすのである。作るのである。業務時間内に仕事が終わって「やることがなくなる」なんてことはそうそうないのだから。もちろん、仕事の効率が抜群にいい人はその限りではないだろう。
というわけで、「残業」をポジティブに捉える視点は参考にしてほしい。仕事を滞納させない手段の一つであるし、上司に隠せば「え?もうその仕事終わったの?」という状態を作り出すこともでき、クールさを演出することも可能だ。実際は仕事の要領はよくない人でも、これなら「仕事できる」人だと評価してもらえることになる。(評価はなんだかんだ大事である。)
■時間を増やすために② 同時並行
先ほど紹介した「残業」というのは少し無茶な方法だったかもしれない。また、読者の中には実現不可能な方もいるだろう。そこで今度はまた別の方法を紹介する。それが「同時並行」というものである。
これはわりと「それならやってる!」と反応してくれる人も多そうな気もするのだが、要するに仕事Aをやっている最中に、それとは別の仕事Bも進めてしまう、というものである。これを最大限に追求していくと、本当に仕事がはかどるのである。
例えば、百枚印刷したいものがあるとすれば、それの印刷中にパソコン作業ができたり、あるいはその日授業で扱う問題を解いたりすることができる。
二つの仕事を組み合わせることで仕事時間がある意味短縮される。ぱっと見これは「効率よく」仕事しているようにも見えるのだが、見方を変えれば、一つ一つの仕事はきちんと必要な時間を取って取り組んでいるわけで、むしろ仕事時間を「確保」するための方法論だと言える。
そういえば、私が前(2017年度)いた校舎の室長は、「授業しない」系の講師であった。塾講師なのに「授業しない」ってどういうこと? と思われるかもしれないが、要するに「必要最低限の説明をさっさと終わらせて、残った時間は演習時間に充てる」ということである。普通なら、演習させた後にはそれの解説をするわけで、生徒側はそこで理解がよりクリアーになっていくのだが、「授業しない」系の講師は、講義段階で例題を複数取り上げて、生徒が再現できるレベルにまで持っていくので、残った時間をすべて「演習時間」にしても生徒がら不満の声は出ない。なぜなら生徒は楽々に問題が解けるから。
そして、その室長先生は、演習時間になると教室を出て講師室に移動し、ずっとパソコン作業。チャイムの直前に再び教室に戻る、とまあそんなわけである。これだと授業時間中に業務を一歩前に進めることができるので、効率がいい。余裕が生まれる。
「残業」の方法と共通しているのは、「先にどんどん進めて、後で楽をする」ということである。悪循環ではなく好循環を生む、というぐらいに考えていただければよい。
■二度手間防止のために① 確認する・共有する
よく「確認が大事」「共有が大事」とは言う。しかし、その意味をしっかり理解しているだろうか? 結論を先に言えば、それは「ミスを防ぐため」である。
例えば、ある保護者から「今日息子を休ませます」という連絡が来て私がとったとしよう。それを私が室長に共有しないとどうなるか。例えば室長がその家庭に電話を入れるかもしれない。「今日どうかされましたか?」と。向こうからすれば不信感を募らせるしかない。要するに、我々の確認不足・共有不足が問題だったのである。
この事例の場合、相手に迷惑をかけるという痛恨のミスを犯したことも問題であるが、それだけではない。私が確認していれば室長は電話しないで済んだのであるから、時間を2倍無駄にしていることになる。業務の重複=二度手間、と言ってもよい。二度手間は禁止、ということについては社会人になった頃から度々上長の先生から私は聞かされてきており、かなり印象に残ってもいるため、私の意識の中の一つになっている次第である。
それにしても、なかなかこの「確認」「共有」というのは実現できない。(できている方は、本当にすばらしいと思う。上司と話しやすい環境が形成されているのだろう。)そもそも部下からすれば、上司に一声かけるのだけでも大きな負担である。私はそうだ。確認内容にも、「確認すべきこと」「確認するまでもないこと」があるだろう。後者だった場合、上司に注意されるリスクがある。「言ったじゃん」「当たり前じゃん」「○○に書いてあるよ。ちゃんと見な」とか。そんなこと言われたくない。だから言わない…。だからなかなか難しいところなのである。
また、声をかけるタイミングが見つからないときもあるだろう。例えば上司が他の人と会話をしていたり、席を外していたり、あるいは忙しそうだったり。そうなると話しかけにくい。
そこで一つ新たな観点として持っておくとよいのが、「非言語的コミュニケ―ションの活用」である。なにも喋って伝えることがすべてではない。例えば、仕事している様子を分かりやすく室長に見せれば、それで仕事の報告はできたも同然である。分かりやすく音を立てるでもよい。上司の目に見えるところ、聞こえるところで作業するのである。それならいちいち「終わりました」と言わなくても、やったことは伝わる。
また、上司が忙しくて伝達困難なときは、付箋を利用すればよい。私は、基本的に週3日(月・火・水)、日中に室長が会議などで教室不在となるのだが、その間にあった電話の内容などは付箋にメモして室長の机上に貼るようにしている。そうすることで報告漏れがなくなり、ミス防止につながる。
最近、「タテ社会が苦手な若者が多い」という記事をよく見かける。私もその一人だなあと常々痛感する。しかし、だからこそそこを乗り越えるためのアプローチをさまざまに探りたいところである。「非言語的コミュニケーション」、ぜひとも喋るのが苦手な人には使っていただきたい。
■二度手間防止のために② 動かない
「動かない」は言い過ぎかもしれない。が、たくさん動く=二度手間、となるケースは結構ある。例えば、私の勤務先の校舎は二階立てになっており、昼間は一階で作業をするのだが、掲示物を貼ったり清掃したりで二階に行くことがある。しかし、考えてほしい。二階に行き、一階に降りてくるだけでもだいぶ体力を消費してしまう。そこで私が意識しているのは、二階に行く回数を極力減らすということだ。特に昼間の業務中、二階に行く回数は一回にするよう心がけている。
つまり、動く回数、移動する回数を極力少なくすることで、体力の消費を抑えているのである。そうすることでこれまた「余裕」が生まれて、クールな仕事ぶりを周りに見せることができる。
先ほど「二階への移動回数を減らす」という例を出したが、他にも、仕事終わりの「書類整理」なんかも分かりやすい例だ。授業が終わって生徒が帰宅した後、各教室に置いてある書類やテキストを集めて職員室に持っていくわけだが、集めたものはどんどん積んでいき、ひとまとめの大きな山にして一気に職員室に持っていく。これが私のやり方だ。職員室を何往復もしては足が疲れてしまう。
このように、動く回数を減らすことで二度手間を防ぐというのは、私の中ではかなり大事にしている「工夫」の一つである。ただ、「一回で終わらせよう、そのために…」と、かなり頭を回転させることになる。私は頭を使って業務効率を上げるのはとても楽しいことだと考えている。書類整理など「頭を使わない」仕事のトップ3に入りそうであるが、そこをあえて「頭を使って」取り組むことで、結果的に体力を使いすぎずにラクに仕事が出来ることにつながる。「頭は使うが、体は使わない」。ぜひ皆さんも参考にしていただきたい。
■二度手間防止のために③ 忘れない工夫を!
- リスクは極力減らす(ものは落とさない、なくさない、忘れない。)
■冷静さの演出① ~ゆっくり動け、汗をかくな~
■冷静さの演出② ~パニック感を出さない~
→何か問題が起こっても「あぁ……」と。
■良質なミーティング ~「やり方」ではなく「あり方」を語れ~
- 仕事のあり方などを語る
- どういう環境ならみんなで気持ちよく働けるか。
スタンスをみんなでそろえておく→そうするとズレやミスが起こりにくくなる
■結局は準備力→ハプニングを想定し、三十分前行動を徹底せよ
仕事でのミスの原因の大半は「準備不足」に分類できると思う。部下への指示伝達漏れ、ミーティングの不足による確認漏れ、先を見据えずに目の前のものを足し算的に片づけていくことによるハプニングの発生……などなど、パターンもいろいろあると思う。
では、そういうハプニングを防ぐにはどうすればいいのか? まず大切なのは「予」の力、すなわち先を見据える力である。その日、これからどんなことがあるのかをきちんとシュミレーションをし、どんな問題が起こり得るのかをこと細かに考えるのである。
ある意味これは経験がものを言う。例えば、我々の仕事の中で、ミスをするととんでもないことになる仕事の一つが「模試運営」である。月に一度、業者の模試を生徒に解かせる。準備として、座席表を作成したり、生徒の氏名などが書かれたカード、QRシールを各生徒の机の上に配布したり、といったものがある。そして、試験時間が五十分ならキッチンタイマーを五十分で設定したり、生徒に見えるように時計を前に置いたりする。また、科目によっては特定の大問を選択せねばならないこともあり、その指示を出す。試験後には解答や解き直しプリントを配布する。このようにやることが大量にあり、一つでも漏れが生じると後処理が本当に面倒になる。
しかし、繰り返すが、「経験」がないと「予」の力は発揮できない。実際、私自身、新人講師に模試監督をさせたことがあって、結果的に「英語の選択問題で、リスニングの問題を解かせないといけないのに発音・アクセントの問題を問題をやらせてしまう」というミスが生じた。これは私のミーティング不足なのである。
となれば、生徒が来る前にミーティングをやっておく余裕が必要だ。そして、ミーティングが終わった後も時間に余裕があったほうがいい。ミーティングで話し忘れていたことがそこで共有できる可能性があるからだ。
というわけで、準備不足回避のための秘訣は「行動に余裕を持つ」である。何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、準備不足の原因のほとんどがこれに帰着するのだから、かなり大切なことだと思う。
私がちょうどこの文章を書いているのはお盆の旅行期間中である。旅行の一日目、私は「電車を一本逃す」というミスを犯した。まあこのミスが重大かどうかはさておき、その原因に注目してみたい。私は京王線に乗って高尾に向かった。高尾に着いたのはたしか二十三時前だっただろうか。そこから中央本線に乗り換えようとしたわけだが、路線情報によれば次の電車の発車が二十三時四十三分。時間がたっぷりあったので、高尾駅周辺を散策。するとマックがあったので立ち寄り、ハンバーガーとマックシェイクを購入。その後駅前のロータリーをぐるっと一周。時間は二十三時三十五分。そろそろ、と思って駅方面に戻る。
ここでハプニングが起こる。私は「青春18きっぷ」を買おうとしたが、きっぷ購入の画面をどう操作してもそれが買えない。窓口で駅員さんに聞くと、「北口に行けば買えると思います」と言われた。このときの時間が二十三時四十分。急いで北口に行こうとしたが、行き方が分からない。そもそも自分のいる場所が「京王南口」かつ「JR南口」だ。「北口はこちら」という案内も見つからない。グーグルマップを開いてみて調べてみるが、どうも近道で北口に行けるルートが見つからない。一旦、北口とは逆方向に進んで大通りに出て、ぐるっと回っていくのが確実のようだ。
結局乗りたかった電車には乗れず、時間をかけて北口へ移動することに。そして北口には、青春18きっぷが買える券売機があったが、なんとその券売機は「二十三時五十分」までしか利用できないものだった。そのときの時間は既に〇時を超えていた。意味ない…。
とまあ、話は長くなったが、要するに、電車に乗ろうとする直前に想定外のハプニングが起こったわけである。そしてその原因は何か? それは明らかに「行動の遅さ」である。マックに行っている場合ではなかったのである。高尾に着いた二十三時頃、私は何をすべきだったか。それは、間違いなく「先に青春18きっぷを買っておく」ことである。そして改札の場所(さらにはホームの場所)まで確認したところで初めて「よし、時間があるから散策!」と言えるのである。
言い換えれば、「きっぷを買う」という行動のタイミングがあと三十分早ければ、「きっぷが買えない」というハプニングにも対応できたはずなのである。
いかがだろうか。三十分前行動は、日々の仕事において意識すべきなのは当然のことであるが、日常生活においても大切である。先ほど例としてあげたのは「旅行」の話であるが、旅行とは基本的に未知の場所の開拓なのであるから、ハプニングがいくらでも待ち構えている。旅行一日目の例の件以降、私は反省して、三十分前とはいかずとも、とにかく「余裕を持って」動くことを意識した。おかげさまで今のところ、例の件を超えるほどのミスは犯していない状況である。余裕を持って動ける人、すなわちクールな人を目指そうではないか。
→電車に乗るときの注意点。
- 改札で列ができて並ぶ可能性を考えておく
- 準備しすぎないでおくある種の「柔軟性」も大切
→台風接近しているならそれに応じて計画も修正
コミュニケーションの極意
→感情のコントロール・調節!
- 発信力と受信力のバランス。両方必要
- モラルは守る
- 相手の気持ちを考える
→顰蹙を買うことは言わない 相手の逆鱗に触れない
高圧的なツイートは原則しない
例「誰も言わないだろうから俺が言う」
「これを考えているのはたぶん日本中どこ見ても俺しかいないんじゃないかなあ」
→もちろん、怒るほうにも否はある(無視すればいいのだから)
→だから別に怒らせることはダメではない
相手を怒らせる=相手に不快感を与えては、
結局承認欲求は満たせない
自分の考えが伝わらずに終わる
→矛盾を起こさないため。「一貫性」を意識
※特に批判的な論調になるとき(誰かの意見を否定してしまうとき)
例:「◎時間で完璧になる、みたいな本は嫌いだ。なぜなら、かかる時間は人それぞれだから」
→と言いたいとしたとき、反論は想定できるか?
「数字を出すことによって食いつく人が増える」など。
- 人の意見はできるだけ受容する(反社会的でない限り)
=相手との調和(弁証法を目指せ)
→しかし、常に生産性と互いのメリットを意識。
相手にとってニーズのない議論はしない
→興味のない人には無視され、興味のある人は反応してくれる環境
需要と供給の一致した環境
なぜそこで喧嘩が起こるのか?
→いい具合に自己顕示欲を満たそう
(自己顕示欲・商人欲求をみんなが満たし合える世の中であるべき)
(みんなが自分の個性を発揮できる社会に!)
→SNSならそれが可能
→本当の自分、しかし周りにそんなに知られたくないことを
信頼できる知人・友人の前で言う
(議論は戦いではない)
→基本的に、マウントをとる側は気持ちがいい。が、取られる側は嫉妬する
が、そうした感情を議論に持ち込まない
→相手の自慢は喜んで受け取る
→クールに生きよう
→空気でそこを分けよ
→例:学歴主義(肩書き主義)
→「学歴がいいと…」を、議論の際の論拠に持ち込まない
→生産性のない議論になるだけ
■おわりに
本書では、クールに仕事をするための方法論をさまざまな観点から述べてきた。初めは、「こんなふうにクールな社会人でいたいよね」という感じで述べていこうと考えていたが、結果的に「ミスを防ぐには…」という感じの語りになってしまい、タイトル通りに収まっているとは言い難いものになってしまったかもしれない。しかし、本書で取り上げた工夫をすべて実践できる人――想像してみれば、それは冷静で落ち着いていてミス一つしない「クール」な人に他ならないのではないか。もっと言えば、私はその逆がイヤである。つまり、常に忙しそうで、慌ただしく走り回り、焦って行動する人。生徒から「この人余裕なさそうだな」と思われるのもイヤであるし、何よりも、余裕を作って生徒とたくさんお喋りがしたいのである。教育サービス業に従事する身として、顧客の満足度は高めたい。そのためには、日々の業務に「クール」さが表れていることが必要条件である。「クール」な分だけ、スタッフには余裕が生まれる。それは笑顔となり、顧客にも感染する。仕事の仕方一つで顧客を笑顔にする。そんなふうに私は今後も意識して仕事していこうと思うし、皆さんの心の中にも、そういう意識付けが少しでも生まれてくれれば、私が述べてきたことの意味があったと強く思う次第である。
最終更新:2023年12月06日 10:02