第158話 本土上空の飛行機雲
1484年(1944年)7月16日 午後1時 シホールアンル帝国ウィステイグ
シホールアンル帝国南端にある領地、ウィステイグは、建国以来、辺境の町として繁栄と滅亡という経験を何度も味わった地方である。
過去に破壊と再生を繰り返したこの地方も、今では町の中心産業となっている軍需生産と繊維生産、それに魔法石生産で昔よりも
発展を遂げている。
特に軍需工場の規模は帝国の中でも有数であり、南部一帯の中ではダントツに大きい。
今、過剰生産が行なわれている魔導銃のうち、2割はこの軍需工場で生産されている。
工場は、町の中心にどかっと居座るように配置されており、朝方ともなれば、町の通りは工場に向かう多くの従業員でごった返している。
軍需工場から3ゼルド北には、ウイスクリド山脈が南東から北西に掛けて走っており、ここの山脈から西にさほど離れていない場所に、
これまた大きな魔法石精錬工場がある。
この工場は1年前に完成したばかりのまだ新しい建物で、多くの新技術がこの工場建設に注ぎ込まれている。
大きさは、ルベンゲーブの精錬工場より7割程度しかないが、的確に区切られた6つの区画には、1つの巨大な工場群として、
前線部隊は勿論、一般の生活に必要な魔法石を作り出すべく、日夜交代で可動を続けている。
このウィステイグ地方は、シホールアンル帝国にとって重要な拠点の1つであり、軍は工場の周辺には多数の対空火器、並びに
300騎以上のワイバーン・飛空挺を配備していた。
愛機であるケルフェラクは、ゆっくりとした飛行で滑走路に近付きつつあった。
(そのまま・・・・そのまま)
ケルフェラクの操縦手であるレガルギ・ジャルビ少佐は、内心で呟きながら愛機を慎重に動かす。
滑走路となる緑の薄い部分を飛び抜けたとき、主翼についている脚が地面をこすり、その際の衝撃が機体を震わせる。
ついでに、機体後部の車輪も設置し、愛機はそのまま滑走路を進んでいく。
しばらくして、速度の落ちたケルフェラクは、ゆっくりと列線に入った。
愛機が列線で止まると、彼は発動機である魔法石の停止レバーを押した。
「隊長、お疲れ様です。」
下で待機していた整備兵が、敬礼を送りながらジャルビに言ってきた。
「おう、後は頼んだよ。」
ジャルビ少佐は答礼しながら、愛機から降りた。
彼の愛機の胴体には、29の白い星と、色別に分けられたワイバーンのシルエットが描かれている。
この29のマークは、彼の撃墜記録を表す物である。
ジャルビ少佐は、これまでにサンダーボルト4機、ウォーホーク2機、マスタング2機、ヘルキャット3機、
リベレーター7機、ミッチェル3機、フライングフォートレス3機、インベーダー2機、ワイバーン3騎を撃墜している。
彼は第1戦闘飛行隊の指揮官を1年前からずっと務めており、部隊は前年6月下旬のルベンゲーブ防空戦を始めとし、
南大陸や北ウェンステル領で戦って来た。
第1戦闘飛行隊は、今年5月に北ウェンステル領西岸でアメリカ機動部隊から発艦した艦載機と交戦した際に、
出撃数38機中13機被撃墜、使用不能機10機の大損害を受けて壊滅し、後方に下がって再編成を行なっていた。
ジャルビ少佐の部隊は、同じく再編成中であった第2戦闘飛行隊と合わせて再編され、戦力は72機に回復した。
ジャルビ少佐は、この再編成った第1戦闘飛行隊を猛訓練によって再度鍛え上げていた。
誘導路の近くにある休憩所に入ると、そこには4人の男が休憩を取っていた。
ジャルビ少佐はそのうちの1人と目が合った。
「よう、お疲れさん。」
ジャルビは、親しげな口調でその男に声をかけられた。
「フレウグド、こんな所で何やってるんだい?」
彼は、声を掛けた男・・・第2中隊長を務めるインスク・フレウグド少佐に聞き返した。
「ああ、ちょいとばかり本を読んでるのさ。
フレウグド少佐は、読んでいた本を掲げながらジャルビに答えた。
「まーた難しそうな本を読みやがって。自分は頭が良いぞ!と、自慢してるのかい?」
「いんや、ただの暇潰しさ。」
ジャルビの冷やかしに、フレウグドは苦笑しながら返した。
「ジャルビ、そっちの新米共はどうだ?」
「大分出来上がってきてるよ。呑み込みが早くて助かる。」
「俺のとこも似たような物だな。新戦法を取り入れた実戦訓練も上手くこなせるようになっている。」
「問題は・・・・実戦の場に出てからだな。」
ジャルビは、不安げな口ぶりで言った。
ここ最近の飛空挺部隊は、訓練を終えたばかりの新兵の割合が、開隊当初より居たメンバーと比べて
約4割と、以前よりも格段に増えてきている。
シホールアンル軍の飛空挺ケルフェラクは、戦闘性能は勿論だが、魔法合金によって得られた頑丈な
機体のお陰で、搭乗員の生存性も、ワイバーン隊と比べて高いことで知られている。
しかし、84年に入ってからは飛空挺搭乗員の損耗率が増え始め、ついには飛行隊が壊滅判定を受けるという事態になった。
シホールアンル側の飛空挺搭乗員育成は、思いのほか順調に進んでおり、前線にはいつでも替えの搭乗員を送る事が出来た。
だが、ジャルビはそれも長くは続かないであろうと見ている。
ケルフェラクは、実戦投入された昨年6月から今年の7月始めまでに、約280機以上が失われている。
83年中に、飛空挺乗りとして任官した搭乗員は700名。
このうち、失われた搭乗員は230名を超えており、ワイバーン隊よりは少ないとは言え、損耗率は決して低いとは言えない。
ジャルビとしては、飛空挺隊の状況はこれから厳しくなるだろうと思っている。
「新人の割合が増えて来るとなると、自然に損耗も増えるかも知れんなぁ。実戦を経験していない奴は、
頭に血が上ってとんでもない事をやらかすのが多い。それが、結果的に自らの死を招いてしまう。
3週間前のジャスオでのスーパーフォートレス迎撃でも、第3戦闘飛行隊に配備されたばかりの新人が
功に逸って敵編隊のど真ん中に突っ込み、弾幕射撃によって穴だらけにされたという話もある。他にも、
新人は色々な事をしでかすが、今後はそれが増えてくるだろう。」
「嫌だねぇ。ケツの青い連中が増えてくるのは。」
フレウグドはため息を吐きながら言った。
「そんな連中を一人前にするのが、俺達の仕事だ。あいつらに早く使えるようになって貰わんと、
俺達のみならず、他の奴にも迷惑が掛かる。」
「言えてるね。」
ジャルビの言葉に、フレウグドは同意しながら深く頷いた。
「そういえば、司令官の姿が昼飯前から見えないな。」
ジャルビは思い出したように言う。
ウィステイグには、第701防空旅団と第702防空旅団がおり、それに第63空中騎士隊と第74空中騎士隊、
第1戦闘飛行隊が加わる。
シホールアンル軍は現在、この2個防空旅団並びに1個空中騎士隊と1個戦闘飛行隊でもって、ウィステイグ防空軍団
を編成しており、軍団司令部は、第1戦闘飛行隊の航空基地に設けられていた。
ウィステイグ防空軍団の司令官は、戦前から飛空挺の実用性を認識していた数少ない将官の1人であり、戦闘飛行隊の
飛空挺が訓練のために出発する際は、屋上の見張り台に上がって飛空挺隊の出発を見送っていた。
暇があるときは、時折休憩室に足を運んでは自分も寛ぎつつ、将校は勿論の事、兵や下士官にも気軽に声を掛けて雑談を楽しんでいる。
人懐っこくて、人情味の厚い司令官は、基地全体のみならず、防空軍団の将兵に慕われていた。
その司令官が、昼食前からどこかへ姿を消してしまった。
「どこに行ったかわかるかい?」
ジャルビは聞いたが、フレウグドは首を横に振った。
「さぁ、俺は知らんよ。軍団司令官のみならず、参謀連中もどっかに行っちまったから、きっとどこかで
会議でもやってるんだろ。」
同時刻 ウィステイグ市街北部
ウィステイグ防空軍団司令官である、フレング・エッセルト中将は、基地から馬車で2時間ほど離れた北にある、
この地方の領主であるフリテグ・リヒンツム伯爵の館に来ていた。
「エッセルト閣下。それは、本気でおっしゃっておるのですか?」
リヒンツム伯爵は、痩せたひげ面に不快げな表情を浮かべる。
「ウィステイグ市の住民に、敵の空襲があるから避難せよ・・・・と?」
「はい。」
フレング・エッセルト中将は即答した。
彼の体格はかなりがっしりとしており、顔つきは端正で、赤毛の髪は角状に刈り上げられている。
今年で46になるエッセルトは、このウィステイグで生を受け、軍の士官学校に入るまではここで過ごした。
士官学校卒業後は魔導士養成学校に入校して魔導士となり、竜騎士に任官した。
その後は各地の戦線を渡り歩きながら順調に出世し、今年の1月末に、病気で倒れた前任者に代わって、
生まれ故郷であるウィステイグの防空軍団司令官に任ぜられた。
ウィステイグ防空軍団の司令官に任命されてから、彼は早くも、敵国アメリカが投入した最新鋭の大型飛空挺、
B-29スーパーフォートレスを重大な脅威とみなしていた。
5000グレル、調子の良いときは6000グレルという一昔前までは天界の領域であったと言われる高みを悠々と
飛んでくるスーパーフォートレスは、あのケルフェラクの迎撃ですら蹴散らしつつ、目標を攻撃する事が出来る。
スーパーフォートレスは、この半年間で北ウェンステルやジャスオ、デイレアにあった魔法石精錬工場や魔法石鉱山、
武器製造工場、港湾施設、交通拠点といった戦略上の要衝を片っ端から爆撃し、その大半を破壊している。
このスーパーフォートレスの群れが、市街地の真ん中に広大な工場を抱えるウィステイグ市にやって来るのは、ほぼ確実と言える。
そうなると、敵機の投じた外れ弾が市街地に落ちてくる可能性は極めて高い。
エッセルトは、敵の爆撃機がこのウィステイグを爆撃すればどれほど危険であるか話した上で、住民の避難、もしくは
防空壕設営などの空襲の対策を行なって欲しいと、リヒンツム伯爵に要望したのである。
「敵国であるアメリカは、降伏せぬ敵に対しては容赦がありません。北ウェンステル領の大半が連合軍の手に落ちた今、
アメリカ軍は本土の要衝であるウィステイグを攻撃するかもしれません。その時に、あの天空の怪物達がやってくるのは
火を見るよりも明らかです。あの怪物達が搭載する爆弾が、市街地に落ちない、という保証は全くありません。現に、
友邦マオンドが1週間前に仕掛けられた、B-29による首都クリンジェ近郊の魔法石工場に対する空襲では、
流れ弾多数が市街地に落下し、700名以上の死傷者が出ています。」
エッセルトは前のめりになる格好になりながら、尚も続ける。
「ここでも、同様な事が起こるかもしれません。ここは、民を避難させるしか、被害の拡大を防ぐ方法はありません。」
「・・・・・エッセルト閣下のおっしゃる事は、よく分かりました。」
リヒンツム伯爵は頷いた。しかし、彼の目付きには、どこか見下すような色が混じっていた。
「ですが、50万の市民を避難させるには時間が必要です。それ以前に、対策を立てようにも、資金と手間も掛かります。」
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか?」
エッセルトは縋るように言った。
「・・・・正直申しまして、現時点では、50万の市民を避難させるのは不可能、としか言わざるを得ません。
それよりも・・・・・」
リヒンツム伯爵の目が光る。
「軍は敵に対して、何ら対応を行なわぬのですか?」
「いえ。我々は勿論応戦いたします。しかし、敵が大挙襲来してきた場合、我々だけでは抑えきれないかもしれません。
敵が迎撃を突破すれば、その後がどうなるかは目に見えています。」
「閣下。あなたは、この神聖な帝国本土に住む誇りある民達に、ここから尻尾を巻いて逃げろと仰せられるのですか?」
リヒンツム伯爵が厳しい口調で言い返してきた。
「いえ、そうは言っておりません。」
「同じです!」
リヒンツムが急に怒鳴り声を上げた。
「あなたは遠回しに、民達をここから逃がせと言っておられます!栄光あるシホールアンル帝国の民達にそのような事をさせるのですか!?」
「殿下は、民がどうなってもよいのですか?敵が投弾コースを外せば、市街地に爆弾の雨が降るのですよ?」
エッセルトはリヒンツムの怒声に怯むことなく、尚も食い下がった。
しかし、相手も強かであった。
「そうなる前に、落とせば良いではありませんか。あなた達が我々に見せた新戦法とやらでね。」
「・・・・ぐ!」
エッセルトは一瞬、頭に血が上ったが、激発しそうになった思いを寸での所で抑えた。
「いずれにしろ、ウィンステイグ市民の避難は現時点ではできぬ話です。もし、この事で混乱が起き、犠牲が出た場合は
どうするお積もりです?そして、敵の爆撃機が来なかった場合はどうされるのです?」
エッセルトはすぐに答えようと、口を開けた。
その時、後ろに控えていた魔導士が彼の肩を叩いた。
「閣下、基地の魔導士から緊急の魔法通信です。」
「緊急の?」
エッセルトは首を傾げた。
「スーパーフォートレスと思しき敵機が単機で、このウィステイグ上空に侵入しているとのことです。」
「な・・・・本当か!?」
思いがけぬ報告に、エッセルトは驚きの余り、目を見開いた。
「本当です。外を見れば分かるかと。」
エッセルトは魔導士が言い終わるが早いか、慌てて窓辺に駆け寄った。
目当ての物はすぐに見つかった。
「あれか・・・・・」
彼はそれを見るなり、急にため息を吐きたくなった。
雲間の間に青空が見えている。その間に、真っ白な筋が伸びつつある。その先端に、小さいながらも飛空挺と思しき機影が見える。
その機影が太陽の光に反射したのか、一瞬だけキラリと光った。
「閣下、あの白い筋が、例のスーパーフォートレスとやらですか?」
いつの間にか、リヒンツムも彼の傍に歩み寄って来ている。
「そうです。恐らく、6000グレル以上の高度を飛行しているのでしょう。」
「6000グレル・・・・・」
リヒンツム伯爵は黙り込み、それっきり伸びる白い飛行機雲に見入ってしまった。
エッセルトは、リヒンツムの表情を見るなり、彼が心中で何を思っているのかを考えた。
今まで、安全とされていた帝国の本土に侵入した米軍機を忌々しげに思っているのか・・・・
または、初めて見るスーパーフォートレスに、不謹慎にも惚れ込んでしまったのか・・・・
だが、リヒンツムが何を思っているのかは、エッセルトには理解出来なかった。
「閣下、ちょっとよろしいでしょうか?」
魔導士がエッセルトを手招きする。エッセルトは窓辺から離れ、魔導士の傍らに歩み寄った。
「基地司令が、B-29の迎撃にケルフェラクを出撃させてくれと言っとりますが。」
「迎撃か・・・・・」
エッセルトはしばし考え込んだ。
1分ほど黙考したあと、彼は魔導士を通じて、基地司令に命令を発した。
7月18日 午後7時50分 北ウェンステル領リスド・ヴァルク
リスド・ヴァルクの航空基地にある搭乗員待機室では、第145爆撃航空師団所属する第69航空団の指揮下にある航空群司令、
飛行隊指揮官、そしてB-29の機長と副操縦士、それに第201戦闘航空群の指揮官全員が集められていた。
あまり広いとは言えぬ搭乗員待機室に大勢が集まったため、室内にはむわっとした空気が充満していた。
「くそ、なんて暑さだ。」
第533飛行隊の指揮官兼機長を務めるダン・ブロンクス少佐は、室内のこもった空気に不満を漏らしながら、
持っていた紙をうちわ代わりに扇いでいた。
「こんな手狭な部屋に大人数を押し込むとは、うちの司令は部下の扱いに対して、なかなかに冷たいお方ですな。」
副操縦士であるジョイ・ブライアン中尉が持っていたボール紙を片手に持って、ブロンクスと同じように自分に向けて扇いでいる。
この2人と同じ事をしているのは他にもおり、部屋にいる大多数の参加者がなにかしらの紙や下敷きのような物を持って
うちわ代わりにしている。
その光景は、傍目から見たらやや滑稽であり、どこか笑いを誘いそうな雰囲気がある。
本人達は涼しくなりたい一心で自分に風を送っているのだが、元々部屋の温度があまり低くないことと、無駄な運動がたたって
より一層温度が上がり、扇いでも扇いでも生温い風しか来ないという悪循環に陥っている。
「早く司令殿は来ないもんかね。」
ブロンクスはだらけた口調で呟いたとき、その願いは早くも叶った。
部屋の正面にある地図等が掲げられた壁に、1人の小太りの男が入ってきた。
「テーン・ハッ!」
その掛け声と共に、集まっていた参加者達は一斉に立ち上がった。
「座っていいぞ。」
コーンパイプに口にくわえた航空団司令、カーティス・ルメイ准将は、冷たい口調で皆に言った。
体格はやや小太りであるが、肩幅は広く、意外とがっしりとしている。
ルメイ准将は、開戦当初は大尉であったが、南大陸に進出してからはB-17一個飛行隊を指揮し続け、激戦地を転戦した。
1943年3月には中佐に昇進したが、3月末にシホールアンル軍のワイバーンによってカレアント領のチェルネントの
森付近で撃墜された。
ルメイはこの時、腹部に重傷を負ったが、気が付いた時には手当が施された状態で草原地帯に放置されており、
駆け付けた救助隊によって生き残りと一緒に救助された。
回復後は本土でB-29部隊の訓練を行ない、43年12月には大佐に昇進。
44年6月には准将に昇進して、第69航空団の司令に任命された。
「諸君が待ちかねていた出撃の時が、ついにやって来た。」
ルメイは、張りのある声音で、参加者達に言い放った。
「明日、我が航空団は、シホールアンル帝国本土南部のウィステイグに向けて出撃する。」
「帝国本土・・・・シホットの内庭にか?」
ルメイが明言した後に、参加者達が一様にどよめきを発する。
「静かにしろ。まだ話は終わっていない。」
ルメイはそう言って、どよめきを沈めた。
「2日前、我が航空団所属のF-13(B-29を偵察機に改造したものである)が、ウィステイグの強行偵察を行なった。
その時の写真がこれだ。」
ルメイは後ろに振り返ると、傍に控えていた数人の兵に目配せした。頷いた兵が、壁に航空写真を張り付ける。
「これが明日、我々が爆撃する事になる攻撃目標だ。写真に写っているのは敵の工場だ。情報では、このウィステイグに
は広大な軍需工場があると言われている。この写真はその軍需工場を写した物であり、工場の周りには市街地が並んでいる。
工場の規模は、分析からして全長9キロ、幅6キロにも及ぶと言われている。シホールアンル帝国は、武器生産の何割かを、
この軍需工場で賄っていると思われる。諸君達の任務は、この軍需工場を爆撃し、敵の武器生産能力を減殺することだ。」
ルメイは淡々とした口調で説明した。
彼は他にも、魔法石精錬工場や魔法石鉱山、繊維工場の写真も見せながら一通り説明を続ける。
「このように、ウィステイグはシホールアンルにとって重要な拠点であるという事は、諸君らも理解出来ただろう。
この一連の工場群を潰せば、シホールアンルは少なからぬ打撃を受けることになり、ひいては戦争遂行にも影響を
及ぼすことになるだろう。出撃は明日の午前6時。参加兵力は、戦闘機隊が2個群に、航空団にある3個航空群全てだ。
私もB-29に乗る予定だ。」
第69爆撃航空団は、第693、694、695の3個爆撃航空群で編成されている。
各航空群は48機のB-29を装備しており、全力出撃ともなれば、計144機のB-29が敵本土に向かう事になる。
(最初から全力投球で行く訳か。)
ブロンクスは納得した。しかし、その後に別の考えが頭に浮かんだ。
「なお、搭載爆弾は、威力の高い1000ポンド爆弾とし、投下高度は10000メートルとする。今回は、敵地上空の
天候の推移も考慮に入れて、6月から導入したレーダー搭載機を先導機とする。途中、敵機の迎撃もあり得るだろうが、
これまで通りやれば問題はない。私からは以上だが、何か質問は?」
「司令、ひとつ聞きたいことがあるのですが、F-13は敵機に追撃されなかったのでありますか?」
ある将校がルメイに質問した。
「その時は、敵機の迎撃は受けなかったようだ。F-13はそのまま、高度12000を飛んだまま撮影を終えている。
敵がなぜ、F-13を迎撃しなかったかは少し疑問だが、恐らくF-13の侵入を探知出来なかった可能性が高い。
敵はこれを教訓として、今度こそはとばかりに待ち構えているだろう。明日は必ず、敵の迎撃があると思った方がいい。
諸君、明日は決して、気を緩めるんじゃないぞ。」
ルメイは、皆の頭に刻み込むような口ぶりでそう言った。
「他に質問は?」
ブロンクスが真っ先に手を上げた。
「司令、自分からも質問があります。」
「何だ?」
「敵の軍需工場は確かに広大ではありますが、あの工場は町の中心部に居座るようにして作られています。今回は140機以上
のB-29が、この工場を破壊するために出撃するのですが、落とす爆弾が多ければ多いほど、誤爆の可能性が高まると思います。
司令は、今回の爆撃に関しては、市街地に対する配慮は考えておられるのでしょうか?」
「市街地の誤爆を防ぐのは、私としても難しいとは思う。」
ルメイはきっぱりと言い放った。
「爆弾の投弾間隔を短くするなどして、市街地への誤爆はある程度防げるとは思うが、全て防げるとまではいかんだろうな。
それ以前に、私はF-13の派遣という“メッセージ”を目標に送ったばかりだ。相手側がこのメッセージを受け取り、
敵の攻撃近しと見て住民の避難を行なっている、としか考える他はない。」
「では・・・・・住民が避難しておらず、市街地の誤爆で死傷者が生じた場合は?」
「我々に責任はない。責任は、民を守るという義務を怠った、シホールアンル側にある。誤爆で民間人に犠牲が出るか
どうかまでは、我々が考えなくても良い。」
ルメイはあっさりと言い放った。
「そもそも、シホールアンル帝国は北大陸でやりたい放題やっている。北大陸侵攻の第一歩となったレスタン侵攻では
数百万の住民を虐殺し、その他の国でも似たような事をしでかしている。先の南大陸戦でも、イチョンツ収容所での事件など、
様々な蛮行を行なっている。噂では、属国の年端もいかぬ子供を大量に誘拐して、無理矢理人体実験を行なったり、高度な
軍事訓練を課して多くを死なせるといった、馬鹿げた事もやっていると聞く。そんな国に、同情など必要かと思うかね?」
ルメイの問いに、誰もが押し黙った。
「まっ、大統領閣下が示した方針に、私は従う他は無いが、それでもこの作戦で民間人に犠牲が出るかでないかで議論を
するのはお門違いだ。既に、我々は敵にメッセージを送っている。我々の爆撃で民間人に死傷者が出た。それを好機とばかりに
シホールアンル側は我々を「罪もない住民を虐殺した」等と言って批判するだろう。だが、それは間違いだ。先も言ったが、
我々には責任はない。責任は、メッセージを無視し、民を守るという義務を怠ったシホールアンル帝国にある。だから、
明日の作戦では気兼ねなく、目標を爆撃して貰いたい。」
ルメイはそう言い終えた後、ポケットから葉巻を取り出し、それを口にくわえた。
ジッポライターで火を付けた後、参加者達にもう1度問うた。
「他に質問は?」
その後、5分ほどで作戦内容の説明は終わった。
第69爆撃航空団は、明日の出撃に取りかかるために、大急ぎで準備を始めた。
1484年(1944年)7月16日 午後1時 シホールアンル帝国ウィステイグ
シホールアンル帝国南端にある領地、ウィステイグは、建国以来、辺境の町として繁栄と滅亡という経験を何度も味わった地方である。
過去に破壊と再生を繰り返したこの地方も、今では町の中心産業となっている軍需生産と繊維生産、それに魔法石生産で昔よりも
発展を遂げている。
特に軍需工場の規模は帝国の中でも有数であり、南部一帯の中ではダントツに大きい。
今、過剰生産が行なわれている魔導銃のうち、2割はこの軍需工場で生産されている。
工場は、町の中心にどかっと居座るように配置されており、朝方ともなれば、町の通りは工場に向かう多くの従業員でごった返している。
軍需工場から3ゼルド北には、ウイスクリド山脈が南東から北西に掛けて走っており、ここの山脈から西にさほど離れていない場所に、
これまた大きな魔法石精錬工場がある。
この工場は1年前に完成したばかりのまだ新しい建物で、多くの新技術がこの工場建設に注ぎ込まれている。
大きさは、ルベンゲーブの精錬工場より7割程度しかないが、的確に区切られた6つの区画には、1つの巨大な工場群として、
前線部隊は勿論、一般の生活に必要な魔法石を作り出すべく、日夜交代で可動を続けている。
このウィステイグ地方は、シホールアンル帝国にとって重要な拠点の1つであり、軍は工場の周辺には多数の対空火器、並びに
300騎以上のワイバーン・飛空挺を配備していた。
愛機であるケルフェラクは、ゆっくりとした飛行で滑走路に近付きつつあった。
(そのまま・・・・そのまま)
ケルフェラクの操縦手であるレガルギ・ジャルビ少佐は、内心で呟きながら愛機を慎重に動かす。
滑走路となる緑の薄い部分を飛び抜けたとき、主翼についている脚が地面をこすり、その際の衝撃が機体を震わせる。
ついでに、機体後部の車輪も設置し、愛機はそのまま滑走路を進んでいく。
しばらくして、速度の落ちたケルフェラクは、ゆっくりと列線に入った。
愛機が列線で止まると、彼は発動機である魔法石の停止レバーを押した。
「隊長、お疲れ様です。」
下で待機していた整備兵が、敬礼を送りながらジャルビに言ってきた。
「おう、後は頼んだよ。」
ジャルビ少佐は答礼しながら、愛機から降りた。
彼の愛機の胴体には、29の白い星と、色別に分けられたワイバーンのシルエットが描かれている。
この29のマークは、彼の撃墜記録を表す物である。
ジャルビ少佐は、これまでにサンダーボルト4機、ウォーホーク2機、マスタング2機、ヘルキャット3機、
リベレーター7機、ミッチェル3機、フライングフォートレス3機、インベーダー2機、ワイバーン3騎を撃墜している。
彼は第1戦闘飛行隊の指揮官を1年前からずっと務めており、部隊は前年6月下旬のルベンゲーブ防空戦を始めとし、
南大陸や北ウェンステル領で戦って来た。
第1戦闘飛行隊は、今年5月に北ウェンステル領西岸でアメリカ機動部隊から発艦した艦載機と交戦した際に、
出撃数38機中13機被撃墜、使用不能機10機の大損害を受けて壊滅し、後方に下がって再編成を行なっていた。
ジャルビ少佐の部隊は、同じく再編成中であった第2戦闘飛行隊と合わせて再編され、戦力は72機に回復した。
ジャルビ少佐は、この再編成った第1戦闘飛行隊を猛訓練によって再度鍛え上げていた。
誘導路の近くにある休憩所に入ると、そこには4人の男が休憩を取っていた。
ジャルビ少佐はそのうちの1人と目が合った。
「よう、お疲れさん。」
ジャルビは、親しげな口調でその男に声をかけられた。
「フレウグド、こんな所で何やってるんだい?」
彼は、声を掛けた男・・・第2中隊長を務めるインスク・フレウグド少佐に聞き返した。
「ああ、ちょいとばかり本を読んでるのさ。
フレウグド少佐は、読んでいた本を掲げながらジャルビに答えた。
「まーた難しそうな本を読みやがって。自分は頭が良いぞ!と、自慢してるのかい?」
「いんや、ただの暇潰しさ。」
ジャルビの冷やかしに、フレウグドは苦笑しながら返した。
「ジャルビ、そっちの新米共はどうだ?」
「大分出来上がってきてるよ。呑み込みが早くて助かる。」
「俺のとこも似たような物だな。新戦法を取り入れた実戦訓練も上手くこなせるようになっている。」
「問題は・・・・実戦の場に出てからだな。」
ジャルビは、不安げな口ぶりで言った。
ここ最近の飛空挺部隊は、訓練を終えたばかりの新兵の割合が、開隊当初より居たメンバーと比べて
約4割と、以前よりも格段に増えてきている。
シホールアンル軍の飛空挺ケルフェラクは、戦闘性能は勿論だが、魔法合金によって得られた頑丈な
機体のお陰で、搭乗員の生存性も、ワイバーン隊と比べて高いことで知られている。
しかし、84年に入ってからは飛空挺搭乗員の損耗率が増え始め、ついには飛行隊が壊滅判定を受けるという事態になった。
シホールアンル側の飛空挺搭乗員育成は、思いのほか順調に進んでおり、前線にはいつでも替えの搭乗員を送る事が出来た。
だが、ジャルビはそれも長くは続かないであろうと見ている。
ケルフェラクは、実戦投入された昨年6月から今年の7月始めまでに、約280機以上が失われている。
83年中に、飛空挺乗りとして任官した搭乗員は700名。
このうち、失われた搭乗員は230名を超えており、ワイバーン隊よりは少ないとは言え、損耗率は決して低いとは言えない。
ジャルビとしては、飛空挺隊の状況はこれから厳しくなるだろうと思っている。
「新人の割合が増えて来るとなると、自然に損耗も増えるかも知れんなぁ。実戦を経験していない奴は、
頭に血が上ってとんでもない事をやらかすのが多い。それが、結果的に自らの死を招いてしまう。
3週間前のジャスオでのスーパーフォートレス迎撃でも、第3戦闘飛行隊に配備されたばかりの新人が
功に逸って敵編隊のど真ん中に突っ込み、弾幕射撃によって穴だらけにされたという話もある。他にも、
新人は色々な事をしでかすが、今後はそれが増えてくるだろう。」
「嫌だねぇ。ケツの青い連中が増えてくるのは。」
フレウグドはため息を吐きながら言った。
「そんな連中を一人前にするのが、俺達の仕事だ。あいつらに早く使えるようになって貰わんと、
俺達のみならず、他の奴にも迷惑が掛かる。」
「言えてるね。」
ジャルビの言葉に、フレウグドは同意しながら深く頷いた。
「そういえば、司令官の姿が昼飯前から見えないな。」
ジャルビは思い出したように言う。
ウィステイグには、第701防空旅団と第702防空旅団がおり、それに第63空中騎士隊と第74空中騎士隊、
第1戦闘飛行隊が加わる。
シホールアンル軍は現在、この2個防空旅団並びに1個空中騎士隊と1個戦闘飛行隊でもって、ウィステイグ防空軍団
を編成しており、軍団司令部は、第1戦闘飛行隊の航空基地に設けられていた。
ウィステイグ防空軍団の司令官は、戦前から飛空挺の実用性を認識していた数少ない将官の1人であり、戦闘飛行隊の
飛空挺が訓練のために出発する際は、屋上の見張り台に上がって飛空挺隊の出発を見送っていた。
暇があるときは、時折休憩室に足を運んでは自分も寛ぎつつ、将校は勿論の事、兵や下士官にも気軽に声を掛けて雑談を楽しんでいる。
人懐っこくて、人情味の厚い司令官は、基地全体のみならず、防空軍団の将兵に慕われていた。
その司令官が、昼食前からどこかへ姿を消してしまった。
「どこに行ったかわかるかい?」
ジャルビは聞いたが、フレウグドは首を横に振った。
「さぁ、俺は知らんよ。軍団司令官のみならず、参謀連中もどっかに行っちまったから、きっとどこかで
会議でもやってるんだろ。」
同時刻 ウィステイグ市街北部
ウィステイグ防空軍団司令官である、フレング・エッセルト中将は、基地から馬車で2時間ほど離れた北にある、
この地方の領主であるフリテグ・リヒンツム伯爵の館に来ていた。
「エッセルト閣下。それは、本気でおっしゃっておるのですか?」
リヒンツム伯爵は、痩せたひげ面に不快げな表情を浮かべる。
「ウィステイグ市の住民に、敵の空襲があるから避難せよ・・・・と?」
「はい。」
フレング・エッセルト中将は即答した。
彼の体格はかなりがっしりとしており、顔つきは端正で、赤毛の髪は角状に刈り上げられている。
今年で46になるエッセルトは、このウィステイグで生を受け、軍の士官学校に入るまではここで過ごした。
士官学校卒業後は魔導士養成学校に入校して魔導士となり、竜騎士に任官した。
その後は各地の戦線を渡り歩きながら順調に出世し、今年の1月末に、病気で倒れた前任者に代わって、
生まれ故郷であるウィステイグの防空軍団司令官に任ぜられた。
ウィステイグ防空軍団の司令官に任命されてから、彼は早くも、敵国アメリカが投入した最新鋭の大型飛空挺、
B-29スーパーフォートレスを重大な脅威とみなしていた。
5000グレル、調子の良いときは6000グレルという一昔前までは天界の領域であったと言われる高みを悠々と
飛んでくるスーパーフォートレスは、あのケルフェラクの迎撃ですら蹴散らしつつ、目標を攻撃する事が出来る。
スーパーフォートレスは、この半年間で北ウェンステルやジャスオ、デイレアにあった魔法石精錬工場や魔法石鉱山、
武器製造工場、港湾施設、交通拠点といった戦略上の要衝を片っ端から爆撃し、その大半を破壊している。
このスーパーフォートレスの群れが、市街地の真ん中に広大な工場を抱えるウィステイグ市にやって来るのは、ほぼ確実と言える。
そうなると、敵機の投じた外れ弾が市街地に落ちてくる可能性は極めて高い。
エッセルトは、敵の爆撃機がこのウィステイグを爆撃すればどれほど危険であるか話した上で、住民の避難、もしくは
防空壕設営などの空襲の対策を行なって欲しいと、リヒンツム伯爵に要望したのである。
「敵国であるアメリカは、降伏せぬ敵に対しては容赦がありません。北ウェンステル領の大半が連合軍の手に落ちた今、
アメリカ軍は本土の要衝であるウィステイグを攻撃するかもしれません。その時に、あの天空の怪物達がやってくるのは
火を見るよりも明らかです。あの怪物達が搭載する爆弾が、市街地に落ちない、という保証は全くありません。現に、
友邦マオンドが1週間前に仕掛けられた、B-29による首都クリンジェ近郊の魔法石工場に対する空襲では、
流れ弾多数が市街地に落下し、700名以上の死傷者が出ています。」
エッセルトは前のめりになる格好になりながら、尚も続ける。
「ここでも、同様な事が起こるかもしれません。ここは、民を避難させるしか、被害の拡大を防ぐ方法はありません。」
「・・・・・エッセルト閣下のおっしゃる事は、よく分かりました。」
リヒンツム伯爵は頷いた。しかし、彼の目付きには、どこか見下すような色が混じっていた。
「ですが、50万の市民を避難させるには時間が必要です。それ以前に、対策を立てようにも、資金と手間も掛かります。」
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか?」
エッセルトは縋るように言った。
「・・・・正直申しまして、現時点では、50万の市民を避難させるのは不可能、としか言わざるを得ません。
それよりも・・・・・」
リヒンツム伯爵の目が光る。
「軍は敵に対して、何ら対応を行なわぬのですか?」
「いえ。我々は勿論応戦いたします。しかし、敵が大挙襲来してきた場合、我々だけでは抑えきれないかもしれません。
敵が迎撃を突破すれば、その後がどうなるかは目に見えています。」
「閣下。あなたは、この神聖な帝国本土に住む誇りある民達に、ここから尻尾を巻いて逃げろと仰せられるのですか?」
リヒンツム伯爵が厳しい口調で言い返してきた。
「いえ、そうは言っておりません。」
「同じです!」
リヒンツムが急に怒鳴り声を上げた。
「あなたは遠回しに、民達をここから逃がせと言っておられます!栄光あるシホールアンル帝国の民達にそのような事をさせるのですか!?」
「殿下は、民がどうなってもよいのですか?敵が投弾コースを外せば、市街地に爆弾の雨が降るのですよ?」
エッセルトはリヒンツムの怒声に怯むことなく、尚も食い下がった。
しかし、相手も強かであった。
「そうなる前に、落とせば良いではありませんか。あなた達が我々に見せた新戦法とやらでね。」
「・・・・ぐ!」
エッセルトは一瞬、頭に血が上ったが、激発しそうになった思いを寸での所で抑えた。
「いずれにしろ、ウィンステイグ市民の避難は現時点ではできぬ話です。もし、この事で混乱が起き、犠牲が出た場合は
どうするお積もりです?そして、敵の爆撃機が来なかった場合はどうされるのです?」
エッセルトはすぐに答えようと、口を開けた。
その時、後ろに控えていた魔導士が彼の肩を叩いた。
「閣下、基地の魔導士から緊急の魔法通信です。」
「緊急の?」
エッセルトは首を傾げた。
「スーパーフォートレスと思しき敵機が単機で、このウィステイグ上空に侵入しているとのことです。」
「な・・・・本当か!?」
思いがけぬ報告に、エッセルトは驚きの余り、目を見開いた。
「本当です。外を見れば分かるかと。」
エッセルトは魔導士が言い終わるが早いか、慌てて窓辺に駆け寄った。
目当ての物はすぐに見つかった。
「あれか・・・・・」
彼はそれを見るなり、急にため息を吐きたくなった。
雲間の間に青空が見えている。その間に、真っ白な筋が伸びつつある。その先端に、小さいながらも飛空挺と思しき機影が見える。
その機影が太陽の光に反射したのか、一瞬だけキラリと光った。
「閣下、あの白い筋が、例のスーパーフォートレスとやらですか?」
いつの間にか、リヒンツムも彼の傍に歩み寄って来ている。
「そうです。恐らく、6000グレル以上の高度を飛行しているのでしょう。」
「6000グレル・・・・・」
リヒンツム伯爵は黙り込み、それっきり伸びる白い飛行機雲に見入ってしまった。
エッセルトは、リヒンツムの表情を見るなり、彼が心中で何を思っているのかを考えた。
今まで、安全とされていた帝国の本土に侵入した米軍機を忌々しげに思っているのか・・・・
または、初めて見るスーパーフォートレスに、不謹慎にも惚れ込んでしまったのか・・・・
だが、リヒンツムが何を思っているのかは、エッセルトには理解出来なかった。
「閣下、ちょっとよろしいでしょうか?」
魔導士がエッセルトを手招きする。エッセルトは窓辺から離れ、魔導士の傍らに歩み寄った。
「基地司令が、B-29の迎撃にケルフェラクを出撃させてくれと言っとりますが。」
「迎撃か・・・・・」
エッセルトはしばし考え込んだ。
1分ほど黙考したあと、彼は魔導士を通じて、基地司令に命令を発した。
7月18日 午後7時50分 北ウェンステル領リスド・ヴァルク
リスド・ヴァルクの航空基地にある搭乗員待機室では、第145爆撃航空師団所属する第69航空団の指揮下にある航空群司令、
飛行隊指揮官、そしてB-29の機長と副操縦士、それに第201戦闘航空群の指揮官全員が集められていた。
あまり広いとは言えぬ搭乗員待機室に大勢が集まったため、室内にはむわっとした空気が充満していた。
「くそ、なんて暑さだ。」
第533飛行隊の指揮官兼機長を務めるダン・ブロンクス少佐は、室内のこもった空気に不満を漏らしながら、
持っていた紙をうちわ代わりに扇いでいた。
「こんな手狭な部屋に大人数を押し込むとは、うちの司令は部下の扱いに対して、なかなかに冷たいお方ですな。」
副操縦士であるジョイ・ブライアン中尉が持っていたボール紙を片手に持って、ブロンクスと同じように自分に向けて扇いでいる。
この2人と同じ事をしているのは他にもおり、部屋にいる大多数の参加者がなにかしらの紙や下敷きのような物を持って
うちわ代わりにしている。
その光景は、傍目から見たらやや滑稽であり、どこか笑いを誘いそうな雰囲気がある。
本人達は涼しくなりたい一心で自分に風を送っているのだが、元々部屋の温度があまり低くないことと、無駄な運動がたたって
より一層温度が上がり、扇いでも扇いでも生温い風しか来ないという悪循環に陥っている。
「早く司令殿は来ないもんかね。」
ブロンクスはだらけた口調で呟いたとき、その願いは早くも叶った。
部屋の正面にある地図等が掲げられた壁に、1人の小太りの男が入ってきた。
「テーン・ハッ!」
その掛け声と共に、集まっていた参加者達は一斉に立ち上がった。
「座っていいぞ。」
コーンパイプに口にくわえた航空団司令、カーティス・ルメイ准将は、冷たい口調で皆に言った。
体格はやや小太りであるが、肩幅は広く、意外とがっしりとしている。
ルメイ准将は、開戦当初は大尉であったが、南大陸に進出してからはB-17一個飛行隊を指揮し続け、激戦地を転戦した。
1943年3月には中佐に昇進したが、3月末にシホールアンル軍のワイバーンによってカレアント領のチェルネントの
森付近で撃墜された。
ルメイはこの時、腹部に重傷を負ったが、気が付いた時には手当が施された状態で草原地帯に放置されており、
駆け付けた救助隊によって生き残りと一緒に救助された。
回復後は本土でB-29部隊の訓練を行ない、43年12月には大佐に昇進。
44年6月には准将に昇進して、第69航空団の司令に任命された。
「諸君が待ちかねていた出撃の時が、ついにやって来た。」
ルメイは、張りのある声音で、参加者達に言い放った。
「明日、我が航空団は、シホールアンル帝国本土南部のウィステイグに向けて出撃する。」
「帝国本土・・・・シホットの内庭にか?」
ルメイが明言した後に、参加者達が一様にどよめきを発する。
「静かにしろ。まだ話は終わっていない。」
ルメイはそう言って、どよめきを沈めた。
「2日前、我が航空団所属のF-13(B-29を偵察機に改造したものである)が、ウィステイグの強行偵察を行なった。
その時の写真がこれだ。」
ルメイは後ろに振り返ると、傍に控えていた数人の兵に目配せした。頷いた兵が、壁に航空写真を張り付ける。
「これが明日、我々が爆撃する事になる攻撃目標だ。写真に写っているのは敵の工場だ。情報では、このウィステイグに
は広大な軍需工場があると言われている。この写真はその軍需工場を写した物であり、工場の周りには市街地が並んでいる。
工場の規模は、分析からして全長9キロ、幅6キロにも及ぶと言われている。シホールアンル帝国は、武器生産の何割かを、
この軍需工場で賄っていると思われる。諸君達の任務は、この軍需工場を爆撃し、敵の武器生産能力を減殺することだ。」
ルメイは淡々とした口調で説明した。
彼は他にも、魔法石精錬工場や魔法石鉱山、繊維工場の写真も見せながら一通り説明を続ける。
「このように、ウィステイグはシホールアンルにとって重要な拠点であるという事は、諸君らも理解出来ただろう。
この一連の工場群を潰せば、シホールアンルは少なからぬ打撃を受けることになり、ひいては戦争遂行にも影響を
及ぼすことになるだろう。出撃は明日の午前6時。参加兵力は、戦闘機隊が2個群に、航空団にある3個航空群全てだ。
私もB-29に乗る予定だ。」
第69爆撃航空団は、第693、694、695の3個爆撃航空群で編成されている。
各航空群は48機のB-29を装備しており、全力出撃ともなれば、計144機のB-29が敵本土に向かう事になる。
(最初から全力投球で行く訳か。)
ブロンクスは納得した。しかし、その後に別の考えが頭に浮かんだ。
「なお、搭載爆弾は、威力の高い1000ポンド爆弾とし、投下高度は10000メートルとする。今回は、敵地上空の
天候の推移も考慮に入れて、6月から導入したレーダー搭載機を先導機とする。途中、敵機の迎撃もあり得るだろうが、
これまで通りやれば問題はない。私からは以上だが、何か質問は?」
「司令、ひとつ聞きたいことがあるのですが、F-13は敵機に追撃されなかったのでありますか?」
ある将校がルメイに質問した。
「その時は、敵機の迎撃は受けなかったようだ。F-13はそのまま、高度12000を飛んだまま撮影を終えている。
敵がなぜ、F-13を迎撃しなかったかは少し疑問だが、恐らくF-13の侵入を探知出来なかった可能性が高い。
敵はこれを教訓として、今度こそはとばかりに待ち構えているだろう。明日は必ず、敵の迎撃があると思った方がいい。
諸君、明日は決して、気を緩めるんじゃないぞ。」
ルメイは、皆の頭に刻み込むような口ぶりでそう言った。
「他に質問は?」
ブロンクスが真っ先に手を上げた。
「司令、自分からも質問があります。」
「何だ?」
「敵の軍需工場は確かに広大ではありますが、あの工場は町の中心部に居座るようにして作られています。今回は140機以上
のB-29が、この工場を破壊するために出撃するのですが、落とす爆弾が多ければ多いほど、誤爆の可能性が高まると思います。
司令は、今回の爆撃に関しては、市街地に対する配慮は考えておられるのでしょうか?」
「市街地の誤爆を防ぐのは、私としても難しいとは思う。」
ルメイはきっぱりと言い放った。
「爆弾の投弾間隔を短くするなどして、市街地への誤爆はある程度防げるとは思うが、全て防げるとまではいかんだろうな。
それ以前に、私はF-13の派遣という“メッセージ”を目標に送ったばかりだ。相手側がこのメッセージを受け取り、
敵の攻撃近しと見て住民の避難を行なっている、としか考える他はない。」
「では・・・・・住民が避難しておらず、市街地の誤爆で死傷者が生じた場合は?」
「我々に責任はない。責任は、民を守るという義務を怠った、シホールアンル側にある。誤爆で民間人に犠牲が出るか
どうかまでは、我々が考えなくても良い。」
ルメイはあっさりと言い放った。
「そもそも、シホールアンル帝国は北大陸でやりたい放題やっている。北大陸侵攻の第一歩となったレスタン侵攻では
数百万の住民を虐殺し、その他の国でも似たような事をしでかしている。先の南大陸戦でも、イチョンツ収容所での事件など、
様々な蛮行を行なっている。噂では、属国の年端もいかぬ子供を大量に誘拐して、無理矢理人体実験を行なったり、高度な
軍事訓練を課して多くを死なせるといった、馬鹿げた事もやっていると聞く。そんな国に、同情など必要かと思うかね?」
ルメイの問いに、誰もが押し黙った。
「まっ、大統領閣下が示した方針に、私は従う他は無いが、それでもこの作戦で民間人に犠牲が出るかでないかで議論を
するのはお門違いだ。既に、我々は敵にメッセージを送っている。我々の爆撃で民間人に死傷者が出た。それを好機とばかりに
シホールアンル側は我々を「罪もない住民を虐殺した」等と言って批判するだろう。だが、それは間違いだ。先も言ったが、
我々には責任はない。責任は、メッセージを無視し、民を守るという義務を怠ったシホールアンル帝国にある。だから、
明日の作戦では気兼ねなく、目標を爆撃して貰いたい。」
ルメイはそう言い終えた後、ポケットから葉巻を取り出し、それを口にくわえた。
ジッポライターで火を付けた後、参加者達にもう1度問うた。
「他に質問は?」
その後、5分ほどで作戦内容の説明は終わった。
第69爆撃航空団は、明日の出撃に取りかかるために、大急ぎで準備を始めた。