※投稿者は作者とは別人です
66 :外伝(またはパラレル):2007/11/10(土) 20:01:01 ID:OiXF2z220
サンダーボール作戦
12月22日、アヌスホルンに進出した第4機甲師団司令部に地元レジスタンスから戦線
の後方80マイルにあるティポンの魔法石採掘場で多数のアメリカ軍捕虜が強制労働に就
かされているとの情報がもたらされた。
第4機甲師団は二週間以内にティポン方面に向け大規模な突破作戦を行う予定だったがこ
れが実施された場合、採掘場を放棄する際に守備隊が捕虜を“処分”していくであろうこ
とは火を見るよりも明らかだった(三ヶ月前に起きたイチョンツ収容所事件を知らない者
はいない)。
報告を受けた第12軍団司令部は採掘場を急襲して捕虜を救出するための特別攻撃ティー
ムを派遣することを決定。
ティームの指揮官には第4機甲師団R戦闘団の西竹一中佐が選ばれた。
米国戦車購入使節団の一員としてイリノイ州ロックアイランドの陸軍造兵廠を視察中に転
移に巻き込まれ開戦と同時に米陸軍に志願した西中佐は南方大陸の戦いで水際立った活躍
を見せ、ジョージ・S・パットンをして戦車隊を指揮するために生まれてきた男と言わし
めた米陸軍きってのタンクエースだった。
12月26日早朝、耳を弄する爆音とともにサンダーボール作戦の幕が切って落とされた。
第8空軍が戦闘機と戦闘爆撃機、双発爆撃機に加え四発重爆まで投入した絨毯爆撃を行う
と同時に第12軍団隷下の師団砲兵が装備する105ミリと155ミリの榴弾砲、軍団直
轄砲兵の8インチ榴弾砲、更にはシャーマン・カリオペの60連ロケットランチャーが鉄
の豪雨となって最前線に降り注ぐ
永遠に続かと思われた砲爆撃の余韻も醒めぬうちに朦々と立ち込める爆煙を衝いて、見慣
れないスマートなシルエットの戦車が戦車砲を撃ちまくりながら猛スピードで現れた。
第12軍団は本国から届いたばかりの最新鋭戦車M24チャーフィーの第一陣20輌を全
てこの作戦に投入していた。
アヌスホルンからティポンへ向う街道は大型車輌の通行には不向きなうえ30トンのM4
中戦車は途中にあるオマル川の橋を渡れなかった(悠長に仮設橋を組んでいる時間は無い)。
そこで軽戦車ながらM4と同等の火力を持つM24に白羽の矢が立ったのだ。
時速35マイルの路上最高速度を発揮して突っ走るM24-先頭を走るM24の砲塔には
1932年のロス五輪馬術競技で西中佐に金メダルをもたらした愛馬の名前である“UR
ANUS”の文字が書き込まれている-の後にはハーフトラックに分乗した機甲歩兵、そ
して救出した捕虜を運搬するためのトラックのコンボイが続く。
今回の作戦に使用されるGMCトラックには西中佐の命令で運転席と荷台に装甲版が取り
付けられるとともに自衛用の火器が搭載されていた。
多くの車輌は荷台の左右にジープ用のガン・マウントをボルト止めし30口径か50口径
のブローニング機関銃を装備したが、中には前後左右に1挺ずつ、計4挺の50口径機銃
を装備したほかどこから調達したのか航空機用の30口径連装機銃を助手席のフロントグ
ラスから突き出した重武装タイプもあった。
67 :外伝(またはパラレル):2007/11/10(土) 20:04:03 ID:OiXF2z220
時速25マイルの進撃速度を維持して快調に飛ばす特別攻撃隊は一度も敵の反撃に遭遇し
ないことを訝しみながらもその日の正午にはオマル川を越え、採掘場は目と鼻の先という
位置まで到達していた。
ティポンのシホールアンル軍司令部も特別攻撃隊の侵入に気付いてはいたがその動きを完
全に読み違えていた。
人権思想という概念の無いシホールアンル軍(これはこの世界の住人全般に言えることだ
が)はアメリカ軍が捕虜を救出するために攻撃を掛けてきたとは思わず、特別攻撃隊の目
的は司令部を襲撃して指揮系統を混乱させることだと判断したのだ(軍事的には真っ当で
はある)。
さらにティポンの採掘場は採掘量、魔法石の質共に無いよりマシといった程度のもので、
どちらかというと占領地住民の懲罰施設といった性格のものであり、シホールアンル軍は
さほど重要視していなかった。
このためティポン方面軍の主力は大部分が司令部のあるティポンの街周辺に布陣し、採掘
場の守備隊には警戒態勢につくよう連絡しただけだった。
採掘場守備隊からの緊急魔法通信がティポン方面軍司令部に届いたときにはM24の砲撃
が採掘場の正面ゲートを吹き飛ばしていた。
おっとり刀で飛び出して来たゴーレムはたちまちM61APCの直撃を受けて砕け散った
が続いて現れた高速戦闘型キメラ-背中の甲羅に無数の棘を突出させたギランサス-には
手こずらされた。
ライフル弾を跳ね返し、ずんぐりした体型に似合わぬ俊敏な動きで戦車の砲撃を躱すギラ
ンサスは空中高くジャンプすると体を丸めて体当たりしてくる。
この攻撃で3台のトラックが破壊されたが、最後はM15自走対空砲の37ミリ砲がキメ
ラをズタズタに引き裂いた。
救出した捕虜(ルベンゲーブで撃墜された“ダイアモンド・リル”の乗員もいた)をトラ
ックに乗せている間、一緒に強制労働に就かされていた地元住民の嘆願を聞いた西中佐は
砲弾に余裕のある戦車に命じて-M24は戦闘室床下の湿式弾庫(誘爆を防ぐため水が張
られている)に48発の75ミリ砲弾を収納するが、ほとんどの戦車兵は規則などクソ喰
らえとばかりに車内の空きスペースに予備の砲弾を詰め込んでいた-彼らの苦い思い出の
象徴である兵舎や人夫小屋を破壊していった。
途中で待ち受けるティポン方面軍主力との遭遇を避けるため、往路を大きく迂回するコー
スを取って帰路についた特別攻撃隊は、途中敵の捜索隊と小規模な遭遇戦を繰り返しなが
らも27日の夕刻にはオマル川西岸に進出した第4機甲師団の先遣隊と合流することが出
来た。
特別攻撃隊の損害はM24軽戦車1輌、M3ハーフトラック3輌、GMCトラック7台、
戦死17名、負傷49名であった。
66 :外伝(またはパラレル):2007/11/10(土) 20:01:01 ID:OiXF2z220
サンダーボール作戦
12月22日、アヌスホルンに進出した第4機甲師団司令部に地元レジスタンスから戦線
の後方80マイルにあるティポンの魔法石採掘場で多数のアメリカ軍捕虜が強制労働に就
かされているとの情報がもたらされた。
第4機甲師団は二週間以内にティポン方面に向け大規模な突破作戦を行う予定だったがこ
れが実施された場合、採掘場を放棄する際に守備隊が捕虜を“処分”していくであろうこ
とは火を見るよりも明らかだった(三ヶ月前に起きたイチョンツ収容所事件を知らない者
はいない)。
報告を受けた第12軍団司令部は採掘場を急襲して捕虜を救出するための特別攻撃ティー
ムを派遣することを決定。
ティームの指揮官には第4機甲師団R戦闘団の西竹一中佐が選ばれた。
米国戦車購入使節団の一員としてイリノイ州ロックアイランドの陸軍造兵廠を視察中に転
移に巻き込まれ開戦と同時に米陸軍に志願した西中佐は南方大陸の戦いで水際立った活躍
を見せ、ジョージ・S・パットンをして戦車隊を指揮するために生まれてきた男と言わし
めた米陸軍きってのタンクエースだった。
12月26日早朝、耳を弄する爆音とともにサンダーボール作戦の幕が切って落とされた。
第8空軍が戦闘機と戦闘爆撃機、双発爆撃機に加え四発重爆まで投入した絨毯爆撃を行う
と同時に第12軍団隷下の師団砲兵が装備する105ミリと155ミリの榴弾砲、軍団直
轄砲兵の8インチ榴弾砲、更にはシャーマン・カリオペの60連ロケットランチャーが鉄
の豪雨となって最前線に降り注ぐ
永遠に続かと思われた砲爆撃の余韻も醒めぬうちに朦々と立ち込める爆煙を衝いて、見慣
れないスマートなシルエットの戦車が戦車砲を撃ちまくりながら猛スピードで現れた。
第12軍団は本国から届いたばかりの最新鋭戦車M24チャーフィーの第一陣20輌を全
てこの作戦に投入していた。
アヌスホルンからティポンへ向う街道は大型車輌の通行には不向きなうえ30トンのM4
中戦車は途中にあるオマル川の橋を渡れなかった(悠長に仮設橋を組んでいる時間は無い)。
そこで軽戦車ながらM4と同等の火力を持つM24に白羽の矢が立ったのだ。
時速35マイルの路上最高速度を発揮して突っ走るM24-先頭を走るM24の砲塔には
1932年のロス五輪馬術競技で西中佐に金メダルをもたらした愛馬の名前である“UR
ANUS”の文字が書き込まれている-の後にはハーフトラックに分乗した機甲歩兵、そ
して救出した捕虜を運搬するためのトラックのコンボイが続く。
今回の作戦に使用されるGMCトラックには西中佐の命令で運転席と荷台に装甲版が取り
付けられるとともに自衛用の火器が搭載されていた。
多くの車輌は荷台の左右にジープ用のガン・マウントをボルト止めし30口径か50口径
のブローニング機関銃を装備したが、中には前後左右に1挺ずつ、計4挺の50口径機銃
を装備したほかどこから調達したのか航空機用の30口径連装機銃を助手席のフロントグ
ラスから突き出した重武装タイプもあった。
67 :外伝(またはパラレル):2007/11/10(土) 20:04:03 ID:OiXF2z220
時速25マイルの進撃速度を維持して快調に飛ばす特別攻撃隊は一度も敵の反撃に遭遇し
ないことを訝しみながらもその日の正午にはオマル川を越え、採掘場は目と鼻の先という
位置まで到達していた。
ティポンのシホールアンル軍司令部も特別攻撃隊の侵入に気付いてはいたがその動きを完
全に読み違えていた。
人権思想という概念の無いシホールアンル軍(これはこの世界の住人全般に言えることだ
が)はアメリカ軍が捕虜を救出するために攻撃を掛けてきたとは思わず、特別攻撃隊の目
的は司令部を襲撃して指揮系統を混乱させることだと判断したのだ(軍事的には真っ当で
はある)。
さらにティポンの採掘場は採掘量、魔法石の質共に無いよりマシといった程度のもので、
どちらかというと占領地住民の懲罰施設といった性格のものであり、シホールアンル軍は
さほど重要視していなかった。
このためティポン方面軍の主力は大部分が司令部のあるティポンの街周辺に布陣し、採掘
場の守備隊には警戒態勢につくよう連絡しただけだった。
採掘場守備隊からの緊急魔法通信がティポン方面軍司令部に届いたときにはM24の砲撃
が採掘場の正面ゲートを吹き飛ばしていた。
おっとり刀で飛び出して来たゴーレムはたちまちM61APCの直撃を受けて砕け散った
が続いて現れた高速戦闘型キメラ-背中の甲羅に無数の棘を突出させたギランサス-には
手こずらされた。
ライフル弾を跳ね返し、ずんぐりした体型に似合わぬ俊敏な動きで戦車の砲撃を躱すギラ
ンサスは空中高くジャンプすると体を丸めて体当たりしてくる。
この攻撃で3台のトラックが破壊されたが、最後はM15自走対空砲の37ミリ砲がキメ
ラをズタズタに引き裂いた。
救出した捕虜(ルベンゲーブで撃墜された“ダイアモンド・リル”の乗員もいた)をトラ
ックに乗せている間、一緒に強制労働に就かされていた地元住民の嘆願を聞いた西中佐は
砲弾に余裕のある戦車に命じて-M24は戦闘室床下の湿式弾庫(誘爆を防ぐため水が張
られている)に48発の75ミリ砲弾を収納するが、ほとんどの戦車兵は規則などクソ喰
らえとばかりに車内の空きスペースに予備の砲弾を詰め込んでいた-彼らの苦い思い出の
象徴である兵舎や人夫小屋を破壊していった。
途中で待ち受けるティポン方面軍主力との遭遇を避けるため、往路を大きく迂回するコー
スを取って帰路についた特別攻撃隊は、途中敵の捜索隊と小規模な遭遇戦を繰り返しなが
らも27日の夕刻にはオマル川西岸に進出した第4機甲師団の先遣隊と合流することが出
来た。
特別攻撃隊の損害はM24軽戦車1輌、M3ハーフトラック3輌、GMCトラック7台、
戦死17名、負傷49名であった。