第95話 ボーフィン奮闘(後編)
1483年(1943年)12月1日 午前10時51分 ソドルゲルグ岬沖110マイル地点
スタウト艦長は、軍医長のモラン大尉から艦内電話を交わした後、急いで医務室に向かって行った。
「軍医長、話とは何だ?」
彼は医務室に入ると、モラン大尉に聞いた。その時、彼は薬品の詰まった瓶を手に取って見ていた。
「艦長、実はですね。彼女のほうからあなたに話したい事があると言って来たんです。」
「君がかね?」
スタウト艦長は怪訝な表情を浮かべながら、メリマに視線を向けた。
「はい。艦長、この潜水艦は魔法探知を受けていますね?」
「ああ、そうだが・・・・・それよりもどうして、この艦が魔法探知を受けているとわかったのだ?」
「私、わかるんです・・・・・」
「わかる?」
「はい。私が、艦長や先生に、これまで体験した事を言いましたね?」
「ああ。マイリー共の研究所という、名前だけの収容所にぶち込まれ、散々な目にあったという話だな。」
「ええ。実を言いますと、私はあの研究所で、相手の魔法探知がわかるように仕立て上げられたんです。」
「ちょっと待ってくれ。君はさっき、そんな事は一言も話してなかったじゃないか。」
「言いませんでした。いや、言いたくなかった、と言ったほうが正しいでしょうか・・・・」
頭の中で蟲が這いずり回るような感触がする・・・
頭の中が、火の塊を入れられたかのように熱くなってくる・・・・
最初、その実験を試された時、メリマは頭に感じた不快感と頭痛に苦しみ、やがてはのた打ち回った。
「チッ、こいつも失敗作みたいですな」
黒い法衣を着た魔道士が、黒い指のような石を、もう1人の黒い法衣を着た男に見せながら話している。
「まだわからんぞ。何しろ、エトロンヌの領主の娘だ。それなりに魔力は高いはずだぞ。」
薄れ行く意識の中で、男達の会話ははっきりと聞き取れた。
「エイルム家はあの国の中でも優秀な魔道士を何人も生み出している家系だ。あのお姫様も、魔法使いの血を受け継いでいる。
実際、魔法のセンスは良かったらしいからな。」
ぼやけていく視界・・・・だが、男が冷たい視線を送って来るのがはっきりと分かる。
「まあ、失敗すればそれだけの事だ。成功するにせよ、失敗するにせよ、早く結果が出ることに越した事は無い。」
口調ぶりからして、メリマが死のうが知った事ではないようであった。
それも当然かもしれない。
メリマのような、ハーピィ等の亜人種は、彼らの前では、実験動物同然なのだから・・・・・
「後何分で、結果が出るかな。」
男は、そう言いながら早く仕事が終わるのを待ちわびていた。
その言葉を聞いたあと、メリマは意識を失った。
次に目が覚めたのは、それから3日経った朝の事であった。
目覚めた時には、研究所の魔道士2人が珍しげな表情で彼女に見入っていた。
この2人が、あの時、自分を苦しめたあの2人であると気付くのにそう時間はかからなかった。
「班長、実験は成功したようですな。」
「ああ。流石は、名門魔道士一族のお姫様だ。他の出来損ないとは違うね。」
その時、メリマは驚いた。
彼女は、この2人の魔道士の言葉に驚いた訳ではない。2人の魔道士の後ろには、鏡があった。
メリマは、黒い液体を首筋に注射された後、しばらく苦しんだ後に意識を失った。
彼女は、意識を失うまでは、髪は青色だった。
だが、鏡に映っていた彼女の紙の色は、緑色に染まっていた。
「あたしの髪の色・・・・・元々は青だったのに・・・・・」
かつて、家族や友達から、澄んだ美しい髪の色として褒められていた、自慢の蒼い長髪。
その青いはずの色が、今では緑に染まっている。
「副作用だよ。」
班長役の魔道士が、何気ない口調で言って来た。
「この黒い魔法石を体に注射する場合、体のどこかの部位に副作用の症状が現れる。いつもなら酷い事になるんだが・・・・
よかったな、髪の色が変わっただけで。」
班長がそう言うと、部下と彼は笑い合った。
「なかなか似合っているぞ。これから自慢するといい。」
男は、嘲笑を含んだ口調でそう言って来たが、メリマはその後、一言も発さなかった。
その後は、意識を高める訓練と称されながら、強制的に暗く、狭い監獄に入れられて、を行わされたり、どこぞから捕まえてきた
野獣と戦わされたりと、過酷な訓練を次々とやらされた。
3ヶ月。メリマにとって、その3ヶ月は思い出す事すら、拒絶反応をもよおすほど、辛い日々だった。
その辛い訓練で得た物は・・・・
「相手の探知魔法を、自分も探知し、それを妨害できる・・・・か。」
10分ほど、メリマから話を聞かされたスタウト艦長は、半信半疑といった口調で呟いた。
「にわかに信じられん話ですな。」
モラン軍医も、やや困惑している。
「とりあえず、メリマ君がこのような特殊能力を持っている事は分かった。」
「はぁ・・・・・やはり信じられませんか?」
「信じたいのは山々なんだが・・・・・俺達は君のようなハーピィ族に会った事ないし、魔法とやらも見た事が無い。
それなのに、自分は相手の魔法探知を妨害できるといわれてもね・・・・・」
スタウト艦長は、ため息まじりにそう言った。
彼はおもむろに天井に顔を向ける。
医務室の天井に、灯りの電球が灯っている。その先には、鋼鉄製で覆われた艦体がある。
そのもっと先には、冷たい海水がある。
(今頃、海面にはマイリー共の駆逐艦が、絶えず往来してるんだろうなぁ・・・・・)
全く、こんな時に限って水上艦乗りが羨ましく感じてしまう。
スタウト艦長は、内心で愚痴をこぼした。
「まあ、話は分かったよ。」
彼は、メリマに顔を向けてから、穏やかな口調で言った。
その時、スタウト艦長は、体をずいっと、メリマに近づけた。
「それで、話したい事はこれだけかね?」
「いいえ。むしろ、これからが本題です。」
メリマは、一瞬呼吸を置いてから、意を決したように再び口を開く。
「あたしの行う探知妨害魔法を使って、敵駆逐艦の探知範囲から逃げましょう。」
その言葉を聞いたスタウト艦長は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ふむ。そいつは悪くない手だ。だが、」
スタウト艦長は、メリマの顔をまじまじと見つめる。
メリマは、一見元気そうに見えるが、よく見ると少し疲れが残っているように感じる。
「果たして、君の探知妨害魔法とやらがどれぐらいまで持つか。いや、君の体調からして、本当に使えるかね?」
スタウト艦長は、鋭い口調でメリマに質問する。だが、
「使えます。」
メリマは即答した。
「最低でも、30分は探知妨害魔法を発動できます。命を賭ければ、50分程度の発動も可能です。」
「そうか。それは頼もしいものだ。」
スタウト艦長は、満足そうな表情を浮かべて頷く。
「艦長、あたしを使ってください。あたしを、こんな目に合わせたマオンドに。マオンドが敵に対して使うはずだった、
あたしという兵器を、当のマオンドへその威力を味合わせる為に!」
メリマは口調を強め、懇願するようにスタウト艦長へ言った。
「ああ。味合わせてやろうじゃねえか。お前さん決意、確かに受け取ったぞ。」
スタウト艦長は微笑みながらそう言うと、メリマの肩をポンと叩いてから医務室を出て行った。
発令所に戻ったスタウト艦長は、まずソナー員のバイ2等兵曹に現状を聞いた。
「ソナー員。敵さんの様子はどうだ?」
「依然、本艦から少し離れた海上を航行しています。速力は18ノットです。」
「18ノットか。俺達の真上をのんびりと歩きやがって。」
スタウト艦長は、忌々しげな口調で呟いた。
「艦長、ちょっといいですか?」
航海長のフィロル・ランドール大尉が彼に話しかけてきた。
「航海長か。どうした。」
「敵の行動パターンが分かりました。」
ランドール大尉は、スタウト艦長を対勢表示板の前へ連れて行く。対勢表示板には、係りの航海科員が張り付いて、彼我の位置を記入している。
「敵さんは、本艦の周囲7000メートル圏内を往来しています。現在、敵駆逐艦2隻は方位160度、本艦の左舷前方側3000メートルの
海域を時速18ノットで航行しています。敵駆逐艦2隻は、2度ほど(×)を描くようにして付近の海域を往来しており、もう間も無く、
3回目の往来に差し掛かるはずです。」
「(×)を描くように、低速で航行か。敵の指揮官はなかなかしぶといな・・・・・」
この時、スタウト艦長は、そこに隙があるのでは無いかと思った。
彼はもう1度、対製表示板を注意深く覗き込んだ。
5分ほど考えた後、スタウト艦長は口を開いた。
「幹部士官を呼んでくれ。それから、医務室からメリマ君を呼んで来てくれ。」
2分ほどして、ボーフィンの幹部士官と、メリマが発令所にやって来た。
「忙しい所を集まってもらったが、皆に知らせたい事がある。」
スタウト艦長はそう言いながら、メリマに指差した。
「現在、俺達はかなりヤバイ状況にある。海上には2隻の敵駆逐艦が執念深く張り付いている。俺達は、そいつらの積んでいる
魔法探知機の効用範囲外で待機している状態だ。だが、敵が長く居座れば、その分艦内の空気は少なくなっていく。俺の見た限り、
敵艦の指揮官はかなりしぶといだろう。このままではじり貧は避けられん。」
スタウト艦長は一旦区切ってから、メリマに顔を向ける。
「だが、俺達にはまだツキがある。メリマは、先ほど俺に話してくれた。敵駆逐艦の探知魔法を妨害できる、と。」
スタウト艦長の言葉に、幹部士官がどよめいた。
「彼女が、マイリーの管理する魔法研究施設から逃げてきた事は、君達も知っているだろう。その魔法研究施設で、メリマは訓練を受けた。
敵の探知魔法を妨害するジャマーとしてな。」
「では艦長。私達は、彼女が持つその特殊能力を使って、この状況を打開しようと言うのですか?」
副長のドリー・ストルックス少佐の質問に、スタウト艦長は頷いた。
「その通りだ。それに、敵の行動に一定のパターンがある事が分かった。」
スタウト艦長は、対勢表示盤に書かれた敵艦の進路を、指示棒でなぞる。
「敵駆逐艦は、このように(×)印を描くような形でこの海域を往来している。最初は方位45度から225度方向へ、北上した後は
方位315度方向から135度方向に向かって、付近一帯の哨戒を続けている。今、敵艦2隻は方位225度方向へ向かっている。
この調子で行けば、間も無く転舵を行い、本艦の右舷前方から左舷後方に抜けていく。この中心が交わる点に敵艦が到達する時、
我が艦は敵艦の左舷後方、または右舷後方にいる事になる。チャンスは、敵艦が横斜めに航行して行き、縦に行き始めた時だ。
本艦はタイミングを見計らって、メリマ君の魔法妨害を盾としながら浮上し、敵艦を狙える射点に付く。」
メリマがやや驚いたような表情になる。次いで、何かを言おうとしたが、メリマは艦長の思っている事がわかったのか、何も言わなかった。
先ほど、彼女はスタウト艦長に対して、敵から逃げようと言ったのだが、スタウト艦長は水上速力の遅い潜水艦では敵から逃げ切るのは困難と
判断し、思い切ってこの2隻の敵艦を攻撃する事にした。
「攻撃は最大の防御、ですか。なかなか思い切った策ですな。」
水雷長のフリッツ・トライアンツ大尉がぶっきらぼうな口調で言う。身長はやや小さいが、肩幅が広く、がっしりとした体型を持つ男だ。
トライアンツ大尉のしごきは厳しく、水雷科の部下達からは鬼よりも怖いとして恐れられているが、その反面、部下達からの信頼は厚い。
「ああ。確かに思い切った策だ。」
「ですが、現状から見れば、これ以上の作戦は無いと、私は思います。」
「私もです。」
「私も同意見です。」
他の幹部士官達も、スタウト艦長の案に賛成した。
「メリマ君がいるからこそ、出来る作戦ですな。彼女がいなければ、自分らは何の策も見出せなかったでしょう。私は、艦長の案に賛成します。」
ランドール大尉もまた、賛成の意を艦長に伝えた。
「全員一致だな。」
スタウト艦長はそう言うと、すぐに作戦決行を命じた。
午前11時40分
「艦長、後部発射管室の修理が完了しました。」
ダメージコントロール班の班長が、疲れた表情を滲ませながらスタウト艦長に報告してきた。
「ご苦労だった。これで、浸水は全て食い止めたな。」
スタウト艦長は、少しばかり安堵した。
ボーフィンは、先の爆雷攻撃でいくつかの区画に浸水を生じたが、乗員の必死の防水・修理作業のお陰で大事には至らずに済んだ。
最後まで浸水していた後部発射管も、たった今防水作業と、修理作業を終えた。
「排水作業はもう間も無く終わります。」
「わかった。大分疲れているようだな。しばらくは休むといい。」
「アイアイサー」
班長はスタウト艦長に敬礼すると、発令所から出て行った。
「艦長、敵駆逐艦2隻が転舵を開始しました。敵は北上に移ります。」
「ようし、いよいよだぞ。」
チャンスがやって来た。
敵駆逐艦2隻は、北上を始めている。これまでのパターンからして、一旦北上した後に、再び横斜めに南下するであろう。
(全く、なかなかにしぶとい奴らだ。この哨戒パターンもよく考えて作られている。短気な艦長ならば、たまらず飛び出していくだろう)
スタウト艦長は、内心で海上にいる敵の指揮官に対して感嘆する。
(恐らく、この方法で、何隻もの潜水艦を沈めてきたのだろう。だが、貴様らが付けてきた自信は、このボーフィンが木っ端微塵に打ち砕いてやる)
「敵艦2隻の推進音が北上しつつあります。距離2100、徐々に遠ざかります。」
「ようし。メインタンクブロー!」
スタウト艦長の指示によって、ボーフィンはついに行動を開始した。
海底に沈座していた艦体がゆっくりと浮き上がる。艦尾のスクリューが電動モーターの力を得て、回転していく。
ミシ・・・ミシという艦体が軋む音が聞こえて来る。
現在、深度は135メートルだ。
ボーフィンの圧壊深度は200メートル以上あるから、なんとか耐えられている状態であるが、本来の最大深度は120メートルまで。
要するに、ボーフィンの艦体は無理をして、この深度の水圧に耐えているのである。
(いくら圧壊深度の範囲内とはいえ、少し無理をさせていたみたいだな)
スタウト艦長は、内心でそう呟きつつも、水圧に耐えてくれたボーフィンに深く感謝していた。
「深度132・・・・131・・・・130・・・・」
行動開始から4分ほどが経過し、ボーフィンはゆっくりと浮き上がりつつある。
潜舵を操る兵員は、額に玉のような汗を掻きながら、スタウト艦長の細かい指示に従って、慎重に捜査する。
「ゆっくりだ・・・・・ゆっくりといけ。」
スタウト艦長は、念を押すように呟いた。
「魚雷戦用意。」
次に、スタウト艦長は魚雷戦用意の命令を発した。
命令を受け取った前部、後部発射管では、水雷科の下士官兵達が慌しく使用する魚雷を点検していく。
「深度128メートル・・・・・127メートル・・・・・126メートル」
深度が徐々に上がっていく。
敵駆逐艦が発する魔法探知機の効用深度は120メートル。今、敵駆逐艦2隻は北上中だが、そう遠くない時間に転舵を開始するであろう。
「メリマ君、準備はいいかな?」
スタウト艦長は、発令所の真ん中で立っているメリマに質問した。その問いに、メリマは緊張した表情で答えた。
「はい。いつでも大丈夫です。」
「頼んだぞ。君だけが頼りだ。」
スタウト艦長の言葉に、メリマは深く頷く。
「取り舵、進路300。」
「取り舵、進路300アイアイサー。」
やや間を置いてから、ボーフィンの艦首が左に振られ始める。
「進路300!」
「舵戻せ!」
計測員の声を聞いたスタウト艦長は、すかさず指示を下す。
これで、ボーフィンの進路は定まった。
「深度124・・・・122・・・・間も無く深度120です。」
「艦長!敵駆逐艦の推進音探知!方位315度!距離3000!」
「メリマ君、出番だ!」
スタウト艦長は、鋭い声でメリマに言った。
頷いたメリマは目を閉じ、下げていた両手を力強く握り締める。それと同時に小声で何かを呟き始めた。
魔道式展開
敵の探知魔法を捜索
敵勢力の座標位置を魔法探知によって確認
敵勢力からの探知魔法の魔法波を確認
構成確認 解明
対抗魔術を練成
魔法式発動準備良し
術式・・・・・起動
(マオンドよ・・・・・あなた達が作った探知妨害魔法、イリズグラミルの威力を、身を持って知るがいい!)
「艦長・・・・・」
航海長のランドール大尉は、感嘆したような口調でスタウト艦長に話しかけてきた。
「ああ・・・・魔法使いって、本当にいるもんだな。」
発令所にいる誰もが、探知妨害魔法を発動させているメリマに視線を集中させていた。
メリマから、淡い青色の光が滲み出ていた。
澄んだ青色の光に包まれたその姿は、まるで女神の光臨を思い起こさせるほどの美しさだ。
彼女が決意した時に、スタウト艦長はメリマから聞いていたが、彼女は魔法を注射された時の副作用で、自慢の髪の色が変色したと言う。
本来の髪の色は、澄んだ青色と聞いていた。
(もしかすると、副作用で変わってしまう前の髪の色は、このような色だったのではないだろうか?)
スタウト艦長は、内心でそう思った。
「・・・・いかん。見とれてたな。計測員!深度は!?」
ハッとなったスタウト艦長は、慌てて本来の仕事に戻る。
「はっ!今は深度119です!」
深度119・・・・ボーフィンは深度120より上に浮上したのだ。
深度120から上は、敵の魔法探知機の効用範囲内である。
ボーフィンは、ついに危険区域内に突入を開始した。
「敵との距離は?」
「敵駆逐艦2隻は、本艦より距離2700メートル。方位315度方向から南下しつつあります。今の所、進路、速度、共に変化ありません。」
「ソナー員。敵の動きによく注意しろ。」
「アイ・サー」
それから、時間だけが過ぎていった。
刻々と、ボーフィンの深度が上がっていく。
深度は115から110。110から80。80から60と上がりつつある。
その間、乗員達は極度の緊張の中、ひたすらに敵の探知魔法に引っかからないでくれと祈るばかりだ。
敵艦の動きは、何ら変化が見られない。
そして、変化が無いまま、ついに潜望鏡深度に到達した。
「潜望鏡上げ!」
スタウト艦長は、潜望鏡で敵艦の姿を確認する事にした。
潜望鏡が上げられる。潜望鏡は、そう間を置く事も無く、すぐに海面に突き出された。
スタウト艦長は、すぐに潜望鏡に取り付いた。
潜望鏡の向こうに、晴れ渡った空と、穏やかな海が見えた。
スタウト艦長はそのままぐるりと、潜望鏡を回す。180度回転させた所で、彼は目的の物を見つけた。
「下ろせ!」
すぐにスタウト艦長は潜望鏡を下ろさせる。潜望鏡が海面に突き出されてから10秒と経っていない。
「敵は真後ろにいる。面舵一杯、進路140度!」
スタウト艦長の指示の下、ボーフィンの艦首が回る。やがて、ボーフィンは回頭を止めた。
「回頭終わりました。」
「ソナー員!敵に変化は?」
「ありません。敵駆逐艦2隻は以前、本艦の前方を航行中。距離は約3000です。」
「ようし、水雷室、魚雷発射用意!」
スタウト艦長は命令を発しながら、メリマに視線を向ける。
メリマが探知妨害魔法を発動して既に22分が経過している。
彼女は今、全身に汗を掻き、時折息を荒げながらも、ボーフィンの存在を敵から隠し続けている。
本人は最低でも、30分程度は大丈夫と言っていたが、彼女の疲労は予想ほど回復できていないようだ。
(もうしばらくの辛抱だ)
スタウト艦長は、内心でメリマを気遣いながらも、再び上げられた潜望鏡に目を通した。
潜望鏡の向こうにいる艦影は2つ。いずれも小型であり、艦種は駆逐艦であろう。
艦首に白波を蹴立てて航行しているが、速力はそれほど速くも無い。
水雷室では、水雷科員総出で、発射管に魚雷を装填している最中だ。
「ようし、下ろせ!魚雷を発射管の中に押し込め!」
イトウ2等兵曹は、部下の水兵達を叱咤しながら、自らも魚雷を吊り上げるチェーンを持って、別の魚雷の弾頭部に巻きつける。
Mk-14魚雷は全長が6.25メートル、重さ1.4トンもある。
この重い魚雷を、チェーンで吊り上げて装填具に置き、それから魚雷発射管に装填するのだが、この作業がまた一苦労である。
しかし、普段の訓練で手馴れていた水雷科員は、汗だくになりつつもこの作業を慎重に、そして、早くこなしていく。
「気を付けろ、そっとだ・・・・・」
イトウ兵曹は、他の水雷科員と共に、そっと魚雷を装填具に載せる。
ここで大事故でも起こせば、彼ら水雷科員のみならず、ボーフィン乗員全員が、冷たい海底で永遠の眠りに付く事になる。
水雷科員達はそうなってはいけないと、何度も心で言いながら、最後の魚雷を装填した。
「艦長、魚雷発射準備完了です。」
「水雷長、よくやった。発射管制はこちらで行う。」
「わかりました。艦長、胸のすく雷撃を期待しております。」
水雷長はそう言うと、艦内電話を置いた。
その後ろでは、魚雷の装填作業を終えた水雷科員達が、発射管に向かって何か言っている。
「お願いです、決して外れないで下さい。外れたら神様を一生恨みます。」
「馬鹿野朗、神様にそんな事言ったら、当たるモンも当たらなくなるじゃねえか。もっと言葉選べ。」
水兵の言葉に、イトウ兵曹がケチをつけた。
「じゃあ、言葉を変えます。どうか魚雷様、どこぞの先輩がやったような行為のように、発射しても必ず命中してください。」
「おい、こいつ。何気に貴様の事馬鹿にしとるぞ。」
仲間の下士官が苦笑しながら、イトウ兵曹に言った。
「こいつめ。魚雷を撃ち出したら、次は先輩を馬鹿にする貴様を撃ち出してやるぞ!」
「おう。ボーフィンの水雷科に不届き物はいらんぜ!」
がやがやと騒ぎ始める彼らに、間も無くトライアンツ水雷長の渇が入れられた。
「敵駆逐艦2隻・・・・前部発射管の魚雷を全て使おう。」
「先にどっちをやりますか?」
「1番艦だ。」
スタウト艦長は、潜望鏡を覗きながら副長にそう返事した。
敵駆逐艦2隻は、右舷側を晒しながら航行している。敵との距離は3100メートル。
敵が南下しているから、ボーフィンとの距離は離れつつある。
「目標、敵1番艦。速力16ノット、敵の進路は135度。1番、2番、3番発射管を使う。」
「目標、敵1番艦。使用発射管1、2、3。」
スタウト艦長が、細かい指示を発射要員に伝える。
発射要員はその数値を入力し、水雷科の発射要員が、魚雷発射の態勢がいつでも出来るように準備する。
10秒ほど、静寂が流れた。
その10秒という時間が、ひどく、ゆっくりと経過した時、スタウト艦長は決断した。
「魚雷発射!」
彼の号令と共に、ボーフィンの艦首からMk-14魚雷が海中に撃ち出された。
午後0時28分
駆逐艦イッグレは、先導艦バゥラゴドの後方300グレルを航行していた。
「敵が姿を消して、早2時間以上が経つが、バゥラゴドからは何も言って来ないか?」
艦橋にいるイッグレ艦長、ルロンギ少佐は、隣で立っている副長に聞いた。
「はぁ・・・・バゥラゴドからは依然、生命反応探知の報告は入っていません。もしかして、敵の潜水艦は新型で、
あの新型魔法探知機の効用深度外から逃げたんじゃありませんか?」
副長は、どこか諦めたような表情で言い放った。
「まあ・・・・相手はアメリカ軍だからな。そう言う事もあり得るかも知れんな。」
「既に、2時間以上張っていますが、このまま張り付いても時間の無駄ではありませんか?」
「・・・・そうだな。」
副長の言葉に、ルロンギ少佐は頷いた。
「あと1時間ほど様子を見てから、バゥラゴドと話を付けよう。」
ルロンギ少佐は、少し残念そうな表情でそう言った。その刹那、
「艦長!魚雷です!!」
突然、右舷見張員から切迫した声が艦橋に響いてきた。
「何!?本当か!?」
ルロンギ少佐は、突然の思いがけぬ報告に内心仰天していた。
「本当です!」
「位置は?」
「魚雷3本が本艦・・・・いや、バゥラゴドに向かっています!」
この時、艦橋からも、海中にすぅーと伸びていく3本の白い線が見えた。その3本の白い線は、バゥラゴドの右舷側に向かいつつあった。
「バゥラゴドに警報!」
ルロンギ少佐は、慌てて魔道士にバゥラゴドへ向けて警報を遅らせる。
バゥラゴドでもようやく確認したのだろう、艦首が右に振られ始めた。
だが、魚雷は既に、バゥラゴドの右舷50グレルに迫っていた。
最初の1本目が、艦尾に向かう。しかし、咄嗟の回避運動が功を奏し、すれすれで魚雷は外れていった。
だが、バゥラゴドの運もここまでであった。
その次の2本目は、右舷後部に向かって来た。
バゥラゴドの右舷で、魚雷に見入っていた乗員が、一斉に左舷側側へ向けて逃げ散る様が、イッグレの艦橋から見渡せた。
白い航跡が、バゥラゴドの右舷後部に突き刺さった、と思えた直後、突如、巨大な水柱がバゥラゴドの船体後部に上がった。
その6秒後に、今度は2本目がバゥラゴドの右舷中央部に命中する。
魚雷はバゥラゴドの艦腹を叩き割り、艦内の兵員区画内に達してから炸裂した。兵員区画内の真上には、弾薬庫があった。
アメリカ海軍のMk-14魚雷は、43年から弾頭の炸薬を従来のTNT火薬から、爆発威力の高いトルペックス火薬に更新している。
トルペックス火薬は、TNT火薬の1.5倍の威力を持つ。
その強力な火薬を、Mk-14は約300キロ近く搭載している。
トルペックス火薬の爆発エネルギーは、バゥラゴドの兵員区画をいとも簡単に破壊しただけに留まらず、天井をぶち破り、弾薬庫をも席巻した。
2本目の魚雷が命中して5秒ほどが経った時、バゥラゴドが中央部から大爆発を起こした。
「バゥラゴドが大爆発を起こしました!!!」
強烈な爆発音が轟いた後、見張りの悲痛な声が艦橋に届いた。
爆炎がやや収まり、沸き立つ黒煙の中には、バゥラゴドの艦尾と艦首が見えている。
艦尾と艦首は水平に向いておらず、やや逆立っている。
先の爆発で艦体の中央部が断裂してしまったのだ。
ルロンギ少佐は知らなかったが、バゥラゴドはまさにジャックナイフと呼ばれる形になって、急速に沈みつつあった。
「艦長!右舷後部に魚雷です!」
「何!?」
ハッとなったルロンギ少佐は見張りに聞き返した。
「数は?」
「3本です!」
「全速!取り舵一杯!」
ルロンギ少佐はすかさず指示を下した。
イッグレは、すぐに回頭を始めるが、3本の魚雷はイッグレの右舷後方200グレルに迫っている。
もはや、一刻の猶予も無い。
(かわせるか?)
ルロンギ少佐は、内心そう呟いた。
魚雷は放射状に展開する形で迫って来ている。向かって来る航跡は3つだから、魚雷は3本だ。
イッグレの艦体が、更に回頭を続ける。この時、3本中、1本の魚雷がイッグレとの衝突コースに入っていた。
「魚雷1!本艦に近付きます!距離100グレル!」
敵の魚雷は、20リンル以上の高速でイッグレに向かいつつある。魚雷が迫って来る角度からして、確実に命中する。
(まずった!)
ルロンギ少佐が自らの失態を悟った時、白い航跡はイッグレの左舷後部側に隠れていた。
ガン、という小さい衝撃が伝わる。
その0.5秒後、ズドォーン!という猛烈な衝撃がイッグレを揺さぶった。
次いで、イッグレの左舷後部に高々と、水柱が立ち上がる。
魚雷は、左舷後部の第3砲塔前の舷側に命中した。
命中の瞬間、魚雷はイッグレの艦腹を食い破り、後部倉庫室に弾頭を覗かせた後、そこで炸裂した。
爆風は、その下の区画にある魔法探知機が設置されていた探知室にまで及び、そこに詰めていた2名の魔道士が、痛みを感じる間も無くミンチにされた。
水柱が崩れ落ちると同時に、イッグレは速力を落とし始めた。
「機関停止だ!停止!」
ルロンギ少佐は間髪いれずに機関室へ命じた。
「後部倉庫室付近から浸水、火災発生!」
「艦長!後部兵員室にも海水が侵入しつつあります!今いる人数では手が足りません!応援を寄越してください!」
「こちら機関室!先の衝撃で機関長が転倒して気を失いました!他にも2人が負傷しています!」
艦内の各所から、次々と被害報告が届けられて来る。
ルロンギ少佐は、その1つ1つに対処を命じていくが、艦後部で発生した浸水は、拡大の一途を辿っている。
被雷から10分後には、イッグレは左舷に6度傾斜していた。
「艦長、浸水が止められそうにもありません。」
浸水区画で、作業の指揮に当たっていた副長が、全身濡れ鼠の格好で艦橋に上がってきた。
「駄目か?」
「このままでは、浸水は中央部に達するでしょう。今やっと、浸水を後部のみに留めているのですが、これもいつまで持つか・・・・・」
「わかった。」
ルロンギ少佐は、副長の肩を叩いてから次の命令を発した。
「総員退艦だ。乗員達をすぐに救命ボートに乗せるんだ。」
「わかりました。」
副長は頷くと、艦橋を飛び出していった。
ルロンギ少佐は、左舷側の海上をじっと眺めた。
(あの不利な状況で、敵はどうやって、魚雷を撃ってきたのだろうか。いや、そもそも、どうして俺達の魔法探知機には
生命反応を捉える事が出来なかったのだろうか・・・・)
彼は、内心でそう呟く。
アメリカ潜水艦は、どういう訳か、生命反応を発していなかった。
いつもなら、魔法探知機が生命反応を捉えるはずなのだ。しかし、先ほどの魚雷攻撃の際には、その反応が全く無かった。
生命反応の無い潜水艦・・・・・
「俺達は、幽霊と戦っていたのか?」
ルロンギ少佐は、どこか冗談めいた思いで、そう呟いていた。
1483年(1943年)12月6日 午前3時 ノーフォーク沖南東500マイル地点
潜水艦ボーフィンは、浮上航行しながら給油艦との会合地点に向かっていた。
スタウト艦長は、艦橋に立ちながら双眼鏡で周囲を見張っていた。
「艦長、コーヒーをお持ちしました。」
副長のストルックス少佐がコーヒーを持ってきた。
「ありがとう、気が利くな。」
スタウト艦長は礼を言いながら、彼からコーヒーカップを受け取る。
「しかし、今思うと、こうしてのんびり浮上航行出来る事自体、幸せですな。」
「ああ。5日前はそれすら考えがつかないほど、追い詰められたからな。」
スタウト艦長は、どこかしみじみとした口調で副長に返事する。
5日前、ボーフィンは敵駆逐艦2隻の爆雷攻撃を受け、絶体絶命のピンチに陥った。
だが、その前日に拾い上げた、ハーピィのメリマが協力してくれたお陰で、ボーフィンはなんとか虎口を脱する事が出来た。
特に、発射した魚雷が敵駆逐艦2隻に命中した時の印象は強く残っている。
最初、敵1番艦に魚雷が命中し、そのすぐ後に誘爆と思しき爆発音が聞こえた時は、誰もが頬を緩ませた。
続いて、逃げようとする敵2番艦に魚雷が命中した時は、艦内では歓声が爆発し、水雷室では皆が誰彼構わず抱きついたほどであった。
ソナー員の報告では、最低でも敵駆逐艦1隻撃沈、1隻大破(現実にはイッグレは沈没している)の戦果を挙げたようだ。
その直後、それまで探知妨害魔法を発動してメリマが、魔法式を解除した後、急に倒れた。
スタウト艦長は、副長と共にメリマを急いで医務室に運び込んだ。
モラン軍医の診察によると、メリマが倒れた原因は疲労のようであった。
それからというものの、医務室で寝込むメリマには、乗員達から大量のアイスクリームや菓子、それにジュース等が差し入れとして持ち込まれたようだ。
しかし、問題も発生した。
ボーフィンは、敵駆逐艦2隻との戦闘で損傷を被っているが、あの戦闘の後、ボーフィンの燃料タンクには3分の1の量しか重油が入っていなかった。
このまま帰還しても、東海岸の目前で燃料切れとなるのは確実である。
そこで、スタウト艦長は大西洋艦隊司令部に状況を報告すると共に、給油艦による燃料給油を要請した。
大西洋艦隊司令部からは了承という回答が得られ、6日の午前0時に給油艦との会合地点を無電で教えられた。
「給油艦との会合地点まで、あと2時間で到達する予定です。」
「そこから俺達の我が家までは、あと2日はかかるな。だが、あと2日程度の道のりとはいえ、対潜警戒は常に厳としておけ。
今は姿を見せなくなったが、マイリー共の気持ち悪い海蛇共がいきなり襲って来ないとも限らんからな。」
「わかってますよ。ここまで来て敵にやられたんじゃ、末代までの恥ですからな。」
副長はそう返事すると、豪快そうな笑い声を上げた。
スタウト艦長も口に微笑を浮かべながら、コーヒーを啜った。
コーヒーはとても温かく、冷風で冷えた体が、熱いコーヒーによって内から徐々に体温を取り戻していくのがわかった。
1483年(1943年)12月1日 午前10時51分 ソドルゲルグ岬沖110マイル地点
スタウト艦長は、軍医長のモラン大尉から艦内電話を交わした後、急いで医務室に向かって行った。
「軍医長、話とは何だ?」
彼は医務室に入ると、モラン大尉に聞いた。その時、彼は薬品の詰まった瓶を手に取って見ていた。
「艦長、実はですね。彼女のほうからあなたに話したい事があると言って来たんです。」
「君がかね?」
スタウト艦長は怪訝な表情を浮かべながら、メリマに視線を向けた。
「はい。艦長、この潜水艦は魔法探知を受けていますね?」
「ああ、そうだが・・・・・それよりもどうして、この艦が魔法探知を受けているとわかったのだ?」
「私、わかるんです・・・・・」
「わかる?」
「はい。私が、艦長や先生に、これまで体験した事を言いましたね?」
「ああ。マイリー共の研究所という、名前だけの収容所にぶち込まれ、散々な目にあったという話だな。」
「ええ。実を言いますと、私はあの研究所で、相手の魔法探知がわかるように仕立て上げられたんです。」
「ちょっと待ってくれ。君はさっき、そんな事は一言も話してなかったじゃないか。」
「言いませんでした。いや、言いたくなかった、と言ったほうが正しいでしょうか・・・・」
頭の中で蟲が這いずり回るような感触がする・・・
頭の中が、火の塊を入れられたかのように熱くなってくる・・・・
最初、その実験を試された時、メリマは頭に感じた不快感と頭痛に苦しみ、やがてはのた打ち回った。
「チッ、こいつも失敗作みたいですな」
黒い法衣を着た魔道士が、黒い指のような石を、もう1人の黒い法衣を着た男に見せながら話している。
「まだわからんぞ。何しろ、エトロンヌの領主の娘だ。それなりに魔力は高いはずだぞ。」
薄れ行く意識の中で、男達の会話ははっきりと聞き取れた。
「エイルム家はあの国の中でも優秀な魔道士を何人も生み出している家系だ。あのお姫様も、魔法使いの血を受け継いでいる。
実際、魔法のセンスは良かったらしいからな。」
ぼやけていく視界・・・・だが、男が冷たい視線を送って来るのがはっきりと分かる。
「まあ、失敗すればそれだけの事だ。成功するにせよ、失敗するにせよ、早く結果が出ることに越した事は無い。」
口調ぶりからして、メリマが死のうが知った事ではないようであった。
それも当然かもしれない。
メリマのような、ハーピィ等の亜人種は、彼らの前では、実験動物同然なのだから・・・・・
「後何分で、結果が出るかな。」
男は、そう言いながら早く仕事が終わるのを待ちわびていた。
その言葉を聞いたあと、メリマは意識を失った。
次に目が覚めたのは、それから3日経った朝の事であった。
目覚めた時には、研究所の魔道士2人が珍しげな表情で彼女に見入っていた。
この2人が、あの時、自分を苦しめたあの2人であると気付くのにそう時間はかからなかった。
「班長、実験は成功したようですな。」
「ああ。流石は、名門魔道士一族のお姫様だ。他の出来損ないとは違うね。」
その時、メリマは驚いた。
彼女は、この2人の魔道士の言葉に驚いた訳ではない。2人の魔道士の後ろには、鏡があった。
メリマは、黒い液体を首筋に注射された後、しばらく苦しんだ後に意識を失った。
彼女は、意識を失うまでは、髪は青色だった。
だが、鏡に映っていた彼女の紙の色は、緑色に染まっていた。
「あたしの髪の色・・・・・元々は青だったのに・・・・・」
かつて、家族や友達から、澄んだ美しい髪の色として褒められていた、自慢の蒼い長髪。
その青いはずの色が、今では緑に染まっている。
「副作用だよ。」
班長役の魔道士が、何気ない口調で言って来た。
「この黒い魔法石を体に注射する場合、体のどこかの部位に副作用の症状が現れる。いつもなら酷い事になるんだが・・・・
よかったな、髪の色が変わっただけで。」
班長がそう言うと、部下と彼は笑い合った。
「なかなか似合っているぞ。これから自慢するといい。」
男は、嘲笑を含んだ口調でそう言って来たが、メリマはその後、一言も発さなかった。
その後は、意識を高める訓練と称されながら、強制的に暗く、狭い監獄に入れられて、を行わされたり、どこぞから捕まえてきた
野獣と戦わされたりと、過酷な訓練を次々とやらされた。
3ヶ月。メリマにとって、その3ヶ月は思い出す事すら、拒絶反応をもよおすほど、辛い日々だった。
その辛い訓練で得た物は・・・・
「相手の探知魔法を、自分も探知し、それを妨害できる・・・・か。」
10分ほど、メリマから話を聞かされたスタウト艦長は、半信半疑といった口調で呟いた。
「にわかに信じられん話ですな。」
モラン軍医も、やや困惑している。
「とりあえず、メリマ君がこのような特殊能力を持っている事は分かった。」
「はぁ・・・・・やはり信じられませんか?」
「信じたいのは山々なんだが・・・・・俺達は君のようなハーピィ族に会った事ないし、魔法とやらも見た事が無い。
それなのに、自分は相手の魔法探知を妨害できるといわれてもね・・・・・」
スタウト艦長は、ため息まじりにそう言った。
彼はおもむろに天井に顔を向ける。
医務室の天井に、灯りの電球が灯っている。その先には、鋼鉄製で覆われた艦体がある。
そのもっと先には、冷たい海水がある。
(今頃、海面にはマイリー共の駆逐艦が、絶えず往来してるんだろうなぁ・・・・・)
全く、こんな時に限って水上艦乗りが羨ましく感じてしまう。
スタウト艦長は、内心で愚痴をこぼした。
「まあ、話は分かったよ。」
彼は、メリマに顔を向けてから、穏やかな口調で言った。
その時、スタウト艦長は、体をずいっと、メリマに近づけた。
「それで、話したい事はこれだけかね?」
「いいえ。むしろ、これからが本題です。」
メリマは、一瞬呼吸を置いてから、意を決したように再び口を開く。
「あたしの行う探知妨害魔法を使って、敵駆逐艦の探知範囲から逃げましょう。」
その言葉を聞いたスタウト艦長は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「ふむ。そいつは悪くない手だ。だが、」
スタウト艦長は、メリマの顔をまじまじと見つめる。
メリマは、一見元気そうに見えるが、よく見ると少し疲れが残っているように感じる。
「果たして、君の探知妨害魔法とやらがどれぐらいまで持つか。いや、君の体調からして、本当に使えるかね?」
スタウト艦長は、鋭い口調でメリマに質問する。だが、
「使えます。」
メリマは即答した。
「最低でも、30分は探知妨害魔法を発動できます。命を賭ければ、50分程度の発動も可能です。」
「そうか。それは頼もしいものだ。」
スタウト艦長は、満足そうな表情を浮かべて頷く。
「艦長、あたしを使ってください。あたしを、こんな目に合わせたマオンドに。マオンドが敵に対して使うはずだった、
あたしという兵器を、当のマオンドへその威力を味合わせる為に!」
メリマは口調を強め、懇願するようにスタウト艦長へ言った。
「ああ。味合わせてやろうじゃねえか。お前さん決意、確かに受け取ったぞ。」
スタウト艦長は微笑みながらそう言うと、メリマの肩をポンと叩いてから医務室を出て行った。
発令所に戻ったスタウト艦長は、まずソナー員のバイ2等兵曹に現状を聞いた。
「ソナー員。敵さんの様子はどうだ?」
「依然、本艦から少し離れた海上を航行しています。速力は18ノットです。」
「18ノットか。俺達の真上をのんびりと歩きやがって。」
スタウト艦長は、忌々しげな口調で呟いた。
「艦長、ちょっといいですか?」
航海長のフィロル・ランドール大尉が彼に話しかけてきた。
「航海長か。どうした。」
「敵の行動パターンが分かりました。」
ランドール大尉は、スタウト艦長を対勢表示板の前へ連れて行く。対勢表示板には、係りの航海科員が張り付いて、彼我の位置を記入している。
「敵さんは、本艦の周囲7000メートル圏内を往来しています。現在、敵駆逐艦2隻は方位160度、本艦の左舷前方側3000メートルの
海域を時速18ノットで航行しています。敵駆逐艦2隻は、2度ほど(×)を描くようにして付近の海域を往来しており、もう間も無く、
3回目の往来に差し掛かるはずです。」
「(×)を描くように、低速で航行か。敵の指揮官はなかなかしぶといな・・・・・」
この時、スタウト艦長は、そこに隙があるのでは無いかと思った。
彼はもう1度、対製表示板を注意深く覗き込んだ。
5分ほど考えた後、スタウト艦長は口を開いた。
「幹部士官を呼んでくれ。それから、医務室からメリマ君を呼んで来てくれ。」
2分ほどして、ボーフィンの幹部士官と、メリマが発令所にやって来た。
「忙しい所を集まってもらったが、皆に知らせたい事がある。」
スタウト艦長はそう言いながら、メリマに指差した。
「現在、俺達はかなりヤバイ状況にある。海上には2隻の敵駆逐艦が執念深く張り付いている。俺達は、そいつらの積んでいる
魔法探知機の効用範囲外で待機している状態だ。だが、敵が長く居座れば、その分艦内の空気は少なくなっていく。俺の見た限り、
敵艦の指揮官はかなりしぶといだろう。このままではじり貧は避けられん。」
スタウト艦長は一旦区切ってから、メリマに顔を向ける。
「だが、俺達にはまだツキがある。メリマは、先ほど俺に話してくれた。敵駆逐艦の探知魔法を妨害できる、と。」
スタウト艦長の言葉に、幹部士官がどよめいた。
「彼女が、マイリーの管理する魔法研究施設から逃げてきた事は、君達も知っているだろう。その魔法研究施設で、メリマは訓練を受けた。
敵の探知魔法を妨害するジャマーとしてな。」
「では艦長。私達は、彼女が持つその特殊能力を使って、この状況を打開しようと言うのですか?」
副長のドリー・ストルックス少佐の質問に、スタウト艦長は頷いた。
「その通りだ。それに、敵の行動に一定のパターンがある事が分かった。」
スタウト艦長は、対勢表示盤に書かれた敵艦の進路を、指示棒でなぞる。
「敵駆逐艦は、このように(×)印を描くような形でこの海域を往来している。最初は方位45度から225度方向へ、北上した後は
方位315度方向から135度方向に向かって、付近一帯の哨戒を続けている。今、敵艦2隻は方位225度方向へ向かっている。
この調子で行けば、間も無く転舵を行い、本艦の右舷前方から左舷後方に抜けていく。この中心が交わる点に敵艦が到達する時、
我が艦は敵艦の左舷後方、または右舷後方にいる事になる。チャンスは、敵艦が横斜めに航行して行き、縦に行き始めた時だ。
本艦はタイミングを見計らって、メリマ君の魔法妨害を盾としながら浮上し、敵艦を狙える射点に付く。」
メリマがやや驚いたような表情になる。次いで、何かを言おうとしたが、メリマは艦長の思っている事がわかったのか、何も言わなかった。
先ほど、彼女はスタウト艦長に対して、敵から逃げようと言ったのだが、スタウト艦長は水上速力の遅い潜水艦では敵から逃げ切るのは困難と
判断し、思い切ってこの2隻の敵艦を攻撃する事にした。
「攻撃は最大の防御、ですか。なかなか思い切った策ですな。」
水雷長のフリッツ・トライアンツ大尉がぶっきらぼうな口調で言う。身長はやや小さいが、肩幅が広く、がっしりとした体型を持つ男だ。
トライアンツ大尉のしごきは厳しく、水雷科の部下達からは鬼よりも怖いとして恐れられているが、その反面、部下達からの信頼は厚い。
「ああ。確かに思い切った策だ。」
「ですが、現状から見れば、これ以上の作戦は無いと、私は思います。」
「私もです。」
「私も同意見です。」
他の幹部士官達も、スタウト艦長の案に賛成した。
「メリマ君がいるからこそ、出来る作戦ですな。彼女がいなければ、自分らは何の策も見出せなかったでしょう。私は、艦長の案に賛成します。」
ランドール大尉もまた、賛成の意を艦長に伝えた。
「全員一致だな。」
スタウト艦長はそう言うと、すぐに作戦決行を命じた。
午前11時40分
「艦長、後部発射管室の修理が完了しました。」
ダメージコントロール班の班長が、疲れた表情を滲ませながらスタウト艦長に報告してきた。
「ご苦労だった。これで、浸水は全て食い止めたな。」
スタウト艦長は、少しばかり安堵した。
ボーフィンは、先の爆雷攻撃でいくつかの区画に浸水を生じたが、乗員の必死の防水・修理作業のお陰で大事には至らずに済んだ。
最後まで浸水していた後部発射管も、たった今防水作業と、修理作業を終えた。
「排水作業はもう間も無く終わります。」
「わかった。大分疲れているようだな。しばらくは休むといい。」
「アイアイサー」
班長はスタウト艦長に敬礼すると、発令所から出て行った。
「艦長、敵駆逐艦2隻が転舵を開始しました。敵は北上に移ります。」
「ようし、いよいよだぞ。」
チャンスがやって来た。
敵駆逐艦2隻は、北上を始めている。これまでのパターンからして、一旦北上した後に、再び横斜めに南下するであろう。
(全く、なかなかにしぶとい奴らだ。この哨戒パターンもよく考えて作られている。短気な艦長ならば、たまらず飛び出していくだろう)
スタウト艦長は、内心で海上にいる敵の指揮官に対して感嘆する。
(恐らく、この方法で、何隻もの潜水艦を沈めてきたのだろう。だが、貴様らが付けてきた自信は、このボーフィンが木っ端微塵に打ち砕いてやる)
「敵艦2隻の推進音が北上しつつあります。距離2100、徐々に遠ざかります。」
「ようし。メインタンクブロー!」
スタウト艦長の指示によって、ボーフィンはついに行動を開始した。
海底に沈座していた艦体がゆっくりと浮き上がる。艦尾のスクリューが電動モーターの力を得て、回転していく。
ミシ・・・ミシという艦体が軋む音が聞こえて来る。
現在、深度は135メートルだ。
ボーフィンの圧壊深度は200メートル以上あるから、なんとか耐えられている状態であるが、本来の最大深度は120メートルまで。
要するに、ボーフィンの艦体は無理をして、この深度の水圧に耐えているのである。
(いくら圧壊深度の範囲内とはいえ、少し無理をさせていたみたいだな)
スタウト艦長は、内心でそう呟きつつも、水圧に耐えてくれたボーフィンに深く感謝していた。
「深度132・・・・131・・・・130・・・・」
行動開始から4分ほどが経過し、ボーフィンはゆっくりと浮き上がりつつある。
潜舵を操る兵員は、額に玉のような汗を掻きながら、スタウト艦長の細かい指示に従って、慎重に捜査する。
「ゆっくりだ・・・・・ゆっくりといけ。」
スタウト艦長は、念を押すように呟いた。
「魚雷戦用意。」
次に、スタウト艦長は魚雷戦用意の命令を発した。
命令を受け取った前部、後部発射管では、水雷科の下士官兵達が慌しく使用する魚雷を点検していく。
「深度128メートル・・・・・127メートル・・・・・126メートル」
深度が徐々に上がっていく。
敵駆逐艦が発する魔法探知機の効用深度は120メートル。今、敵駆逐艦2隻は北上中だが、そう遠くない時間に転舵を開始するであろう。
「メリマ君、準備はいいかな?」
スタウト艦長は、発令所の真ん中で立っているメリマに質問した。その問いに、メリマは緊張した表情で答えた。
「はい。いつでも大丈夫です。」
「頼んだぞ。君だけが頼りだ。」
スタウト艦長の言葉に、メリマは深く頷く。
「取り舵、進路300。」
「取り舵、進路300アイアイサー。」
やや間を置いてから、ボーフィンの艦首が左に振られ始める。
「進路300!」
「舵戻せ!」
計測員の声を聞いたスタウト艦長は、すかさず指示を下す。
これで、ボーフィンの進路は定まった。
「深度124・・・・122・・・・間も無く深度120です。」
「艦長!敵駆逐艦の推進音探知!方位315度!距離3000!」
「メリマ君、出番だ!」
スタウト艦長は、鋭い声でメリマに言った。
頷いたメリマは目を閉じ、下げていた両手を力強く握り締める。それと同時に小声で何かを呟き始めた。
魔道式展開
敵の探知魔法を捜索
敵勢力の座標位置を魔法探知によって確認
敵勢力からの探知魔法の魔法波を確認
構成確認 解明
対抗魔術を練成
魔法式発動準備良し
術式・・・・・起動
(マオンドよ・・・・・あなた達が作った探知妨害魔法、イリズグラミルの威力を、身を持って知るがいい!)
「艦長・・・・・」
航海長のランドール大尉は、感嘆したような口調でスタウト艦長に話しかけてきた。
「ああ・・・・魔法使いって、本当にいるもんだな。」
発令所にいる誰もが、探知妨害魔法を発動させているメリマに視線を集中させていた。
メリマから、淡い青色の光が滲み出ていた。
澄んだ青色の光に包まれたその姿は、まるで女神の光臨を思い起こさせるほどの美しさだ。
彼女が決意した時に、スタウト艦長はメリマから聞いていたが、彼女は魔法を注射された時の副作用で、自慢の髪の色が変色したと言う。
本来の髪の色は、澄んだ青色と聞いていた。
(もしかすると、副作用で変わってしまう前の髪の色は、このような色だったのではないだろうか?)
スタウト艦長は、内心でそう思った。
「・・・・いかん。見とれてたな。計測員!深度は!?」
ハッとなったスタウト艦長は、慌てて本来の仕事に戻る。
「はっ!今は深度119です!」
深度119・・・・ボーフィンは深度120より上に浮上したのだ。
深度120から上は、敵の魔法探知機の効用範囲内である。
ボーフィンは、ついに危険区域内に突入を開始した。
「敵との距離は?」
「敵駆逐艦2隻は、本艦より距離2700メートル。方位315度方向から南下しつつあります。今の所、進路、速度、共に変化ありません。」
「ソナー員。敵の動きによく注意しろ。」
「アイ・サー」
それから、時間だけが過ぎていった。
刻々と、ボーフィンの深度が上がっていく。
深度は115から110。110から80。80から60と上がりつつある。
その間、乗員達は極度の緊張の中、ひたすらに敵の探知魔法に引っかからないでくれと祈るばかりだ。
敵艦の動きは、何ら変化が見られない。
そして、変化が無いまま、ついに潜望鏡深度に到達した。
「潜望鏡上げ!」
スタウト艦長は、潜望鏡で敵艦の姿を確認する事にした。
潜望鏡が上げられる。潜望鏡は、そう間を置く事も無く、すぐに海面に突き出された。
スタウト艦長は、すぐに潜望鏡に取り付いた。
潜望鏡の向こうに、晴れ渡った空と、穏やかな海が見えた。
スタウト艦長はそのままぐるりと、潜望鏡を回す。180度回転させた所で、彼は目的の物を見つけた。
「下ろせ!」
すぐにスタウト艦長は潜望鏡を下ろさせる。潜望鏡が海面に突き出されてから10秒と経っていない。
「敵は真後ろにいる。面舵一杯、進路140度!」
スタウト艦長の指示の下、ボーフィンの艦首が回る。やがて、ボーフィンは回頭を止めた。
「回頭終わりました。」
「ソナー員!敵に変化は?」
「ありません。敵駆逐艦2隻は以前、本艦の前方を航行中。距離は約3000です。」
「ようし、水雷室、魚雷発射用意!」
スタウト艦長は命令を発しながら、メリマに視線を向ける。
メリマが探知妨害魔法を発動して既に22分が経過している。
彼女は今、全身に汗を掻き、時折息を荒げながらも、ボーフィンの存在を敵から隠し続けている。
本人は最低でも、30分程度は大丈夫と言っていたが、彼女の疲労は予想ほど回復できていないようだ。
(もうしばらくの辛抱だ)
スタウト艦長は、内心でメリマを気遣いながらも、再び上げられた潜望鏡に目を通した。
潜望鏡の向こうにいる艦影は2つ。いずれも小型であり、艦種は駆逐艦であろう。
艦首に白波を蹴立てて航行しているが、速力はそれほど速くも無い。
水雷室では、水雷科員総出で、発射管に魚雷を装填している最中だ。
「ようし、下ろせ!魚雷を発射管の中に押し込め!」
イトウ2等兵曹は、部下の水兵達を叱咤しながら、自らも魚雷を吊り上げるチェーンを持って、別の魚雷の弾頭部に巻きつける。
Mk-14魚雷は全長が6.25メートル、重さ1.4トンもある。
この重い魚雷を、チェーンで吊り上げて装填具に置き、それから魚雷発射管に装填するのだが、この作業がまた一苦労である。
しかし、普段の訓練で手馴れていた水雷科員は、汗だくになりつつもこの作業を慎重に、そして、早くこなしていく。
「気を付けろ、そっとだ・・・・・」
イトウ兵曹は、他の水雷科員と共に、そっと魚雷を装填具に載せる。
ここで大事故でも起こせば、彼ら水雷科員のみならず、ボーフィン乗員全員が、冷たい海底で永遠の眠りに付く事になる。
水雷科員達はそうなってはいけないと、何度も心で言いながら、最後の魚雷を装填した。
「艦長、魚雷発射準備完了です。」
「水雷長、よくやった。発射管制はこちらで行う。」
「わかりました。艦長、胸のすく雷撃を期待しております。」
水雷長はそう言うと、艦内電話を置いた。
その後ろでは、魚雷の装填作業を終えた水雷科員達が、発射管に向かって何か言っている。
「お願いです、決して外れないで下さい。外れたら神様を一生恨みます。」
「馬鹿野朗、神様にそんな事言ったら、当たるモンも当たらなくなるじゃねえか。もっと言葉選べ。」
水兵の言葉に、イトウ兵曹がケチをつけた。
「じゃあ、言葉を変えます。どうか魚雷様、どこぞの先輩がやったような行為のように、発射しても必ず命中してください。」
「おい、こいつ。何気に貴様の事馬鹿にしとるぞ。」
仲間の下士官が苦笑しながら、イトウ兵曹に言った。
「こいつめ。魚雷を撃ち出したら、次は先輩を馬鹿にする貴様を撃ち出してやるぞ!」
「おう。ボーフィンの水雷科に不届き物はいらんぜ!」
がやがやと騒ぎ始める彼らに、間も無くトライアンツ水雷長の渇が入れられた。
「敵駆逐艦2隻・・・・前部発射管の魚雷を全て使おう。」
「先にどっちをやりますか?」
「1番艦だ。」
スタウト艦長は、潜望鏡を覗きながら副長にそう返事した。
敵駆逐艦2隻は、右舷側を晒しながら航行している。敵との距離は3100メートル。
敵が南下しているから、ボーフィンとの距離は離れつつある。
「目標、敵1番艦。速力16ノット、敵の進路は135度。1番、2番、3番発射管を使う。」
「目標、敵1番艦。使用発射管1、2、3。」
スタウト艦長が、細かい指示を発射要員に伝える。
発射要員はその数値を入力し、水雷科の発射要員が、魚雷発射の態勢がいつでも出来るように準備する。
10秒ほど、静寂が流れた。
その10秒という時間が、ひどく、ゆっくりと経過した時、スタウト艦長は決断した。
「魚雷発射!」
彼の号令と共に、ボーフィンの艦首からMk-14魚雷が海中に撃ち出された。
午後0時28分
駆逐艦イッグレは、先導艦バゥラゴドの後方300グレルを航行していた。
「敵が姿を消して、早2時間以上が経つが、バゥラゴドからは何も言って来ないか?」
艦橋にいるイッグレ艦長、ルロンギ少佐は、隣で立っている副長に聞いた。
「はぁ・・・・バゥラゴドからは依然、生命反応探知の報告は入っていません。もしかして、敵の潜水艦は新型で、
あの新型魔法探知機の効用深度外から逃げたんじゃありませんか?」
副長は、どこか諦めたような表情で言い放った。
「まあ・・・・相手はアメリカ軍だからな。そう言う事もあり得るかも知れんな。」
「既に、2時間以上張っていますが、このまま張り付いても時間の無駄ではありませんか?」
「・・・・そうだな。」
副長の言葉に、ルロンギ少佐は頷いた。
「あと1時間ほど様子を見てから、バゥラゴドと話を付けよう。」
ルロンギ少佐は、少し残念そうな表情でそう言った。その刹那、
「艦長!魚雷です!!」
突然、右舷見張員から切迫した声が艦橋に響いてきた。
「何!?本当か!?」
ルロンギ少佐は、突然の思いがけぬ報告に内心仰天していた。
「本当です!」
「位置は?」
「魚雷3本が本艦・・・・いや、バゥラゴドに向かっています!」
この時、艦橋からも、海中にすぅーと伸びていく3本の白い線が見えた。その3本の白い線は、バゥラゴドの右舷側に向かいつつあった。
「バゥラゴドに警報!」
ルロンギ少佐は、慌てて魔道士にバゥラゴドへ向けて警報を遅らせる。
バゥラゴドでもようやく確認したのだろう、艦首が右に振られ始めた。
だが、魚雷は既に、バゥラゴドの右舷50グレルに迫っていた。
最初の1本目が、艦尾に向かう。しかし、咄嗟の回避運動が功を奏し、すれすれで魚雷は外れていった。
だが、バゥラゴドの運もここまでであった。
その次の2本目は、右舷後部に向かって来た。
バゥラゴドの右舷で、魚雷に見入っていた乗員が、一斉に左舷側側へ向けて逃げ散る様が、イッグレの艦橋から見渡せた。
白い航跡が、バゥラゴドの右舷後部に突き刺さった、と思えた直後、突如、巨大な水柱がバゥラゴドの船体後部に上がった。
その6秒後に、今度は2本目がバゥラゴドの右舷中央部に命中する。
魚雷はバゥラゴドの艦腹を叩き割り、艦内の兵員区画内に達してから炸裂した。兵員区画内の真上には、弾薬庫があった。
アメリカ海軍のMk-14魚雷は、43年から弾頭の炸薬を従来のTNT火薬から、爆発威力の高いトルペックス火薬に更新している。
トルペックス火薬は、TNT火薬の1.5倍の威力を持つ。
その強力な火薬を、Mk-14は約300キロ近く搭載している。
トルペックス火薬の爆発エネルギーは、バゥラゴドの兵員区画をいとも簡単に破壊しただけに留まらず、天井をぶち破り、弾薬庫をも席巻した。
2本目の魚雷が命中して5秒ほどが経った時、バゥラゴドが中央部から大爆発を起こした。
「バゥラゴドが大爆発を起こしました!!!」
強烈な爆発音が轟いた後、見張りの悲痛な声が艦橋に届いた。
爆炎がやや収まり、沸き立つ黒煙の中には、バゥラゴドの艦尾と艦首が見えている。
艦尾と艦首は水平に向いておらず、やや逆立っている。
先の爆発で艦体の中央部が断裂してしまったのだ。
ルロンギ少佐は知らなかったが、バゥラゴドはまさにジャックナイフと呼ばれる形になって、急速に沈みつつあった。
「艦長!右舷後部に魚雷です!」
「何!?」
ハッとなったルロンギ少佐は見張りに聞き返した。
「数は?」
「3本です!」
「全速!取り舵一杯!」
ルロンギ少佐はすかさず指示を下した。
イッグレは、すぐに回頭を始めるが、3本の魚雷はイッグレの右舷後方200グレルに迫っている。
もはや、一刻の猶予も無い。
(かわせるか?)
ルロンギ少佐は、内心そう呟いた。
魚雷は放射状に展開する形で迫って来ている。向かって来る航跡は3つだから、魚雷は3本だ。
イッグレの艦体が、更に回頭を続ける。この時、3本中、1本の魚雷がイッグレとの衝突コースに入っていた。
「魚雷1!本艦に近付きます!距離100グレル!」
敵の魚雷は、20リンル以上の高速でイッグレに向かいつつある。魚雷が迫って来る角度からして、確実に命中する。
(まずった!)
ルロンギ少佐が自らの失態を悟った時、白い航跡はイッグレの左舷後部側に隠れていた。
ガン、という小さい衝撃が伝わる。
その0.5秒後、ズドォーン!という猛烈な衝撃がイッグレを揺さぶった。
次いで、イッグレの左舷後部に高々と、水柱が立ち上がる。
魚雷は、左舷後部の第3砲塔前の舷側に命中した。
命中の瞬間、魚雷はイッグレの艦腹を食い破り、後部倉庫室に弾頭を覗かせた後、そこで炸裂した。
爆風は、その下の区画にある魔法探知機が設置されていた探知室にまで及び、そこに詰めていた2名の魔道士が、痛みを感じる間も無くミンチにされた。
水柱が崩れ落ちると同時に、イッグレは速力を落とし始めた。
「機関停止だ!停止!」
ルロンギ少佐は間髪いれずに機関室へ命じた。
「後部倉庫室付近から浸水、火災発生!」
「艦長!後部兵員室にも海水が侵入しつつあります!今いる人数では手が足りません!応援を寄越してください!」
「こちら機関室!先の衝撃で機関長が転倒して気を失いました!他にも2人が負傷しています!」
艦内の各所から、次々と被害報告が届けられて来る。
ルロンギ少佐は、その1つ1つに対処を命じていくが、艦後部で発生した浸水は、拡大の一途を辿っている。
被雷から10分後には、イッグレは左舷に6度傾斜していた。
「艦長、浸水が止められそうにもありません。」
浸水区画で、作業の指揮に当たっていた副長が、全身濡れ鼠の格好で艦橋に上がってきた。
「駄目か?」
「このままでは、浸水は中央部に達するでしょう。今やっと、浸水を後部のみに留めているのですが、これもいつまで持つか・・・・・」
「わかった。」
ルロンギ少佐は、副長の肩を叩いてから次の命令を発した。
「総員退艦だ。乗員達をすぐに救命ボートに乗せるんだ。」
「わかりました。」
副長は頷くと、艦橋を飛び出していった。
ルロンギ少佐は、左舷側の海上をじっと眺めた。
(あの不利な状況で、敵はどうやって、魚雷を撃ってきたのだろうか。いや、そもそも、どうして俺達の魔法探知機には
生命反応を捉える事が出来なかったのだろうか・・・・)
彼は、内心でそう呟く。
アメリカ潜水艦は、どういう訳か、生命反応を発していなかった。
いつもなら、魔法探知機が生命反応を捉えるはずなのだ。しかし、先ほどの魚雷攻撃の際には、その反応が全く無かった。
生命反応の無い潜水艦・・・・・
「俺達は、幽霊と戦っていたのか?」
ルロンギ少佐は、どこか冗談めいた思いで、そう呟いていた。
1483年(1943年)12月6日 午前3時 ノーフォーク沖南東500マイル地点
潜水艦ボーフィンは、浮上航行しながら給油艦との会合地点に向かっていた。
スタウト艦長は、艦橋に立ちながら双眼鏡で周囲を見張っていた。
「艦長、コーヒーをお持ちしました。」
副長のストルックス少佐がコーヒーを持ってきた。
「ありがとう、気が利くな。」
スタウト艦長は礼を言いながら、彼からコーヒーカップを受け取る。
「しかし、今思うと、こうしてのんびり浮上航行出来る事自体、幸せですな。」
「ああ。5日前はそれすら考えがつかないほど、追い詰められたからな。」
スタウト艦長は、どこかしみじみとした口調で副長に返事する。
5日前、ボーフィンは敵駆逐艦2隻の爆雷攻撃を受け、絶体絶命のピンチに陥った。
だが、その前日に拾い上げた、ハーピィのメリマが協力してくれたお陰で、ボーフィンはなんとか虎口を脱する事が出来た。
特に、発射した魚雷が敵駆逐艦2隻に命中した時の印象は強く残っている。
最初、敵1番艦に魚雷が命中し、そのすぐ後に誘爆と思しき爆発音が聞こえた時は、誰もが頬を緩ませた。
続いて、逃げようとする敵2番艦に魚雷が命中した時は、艦内では歓声が爆発し、水雷室では皆が誰彼構わず抱きついたほどであった。
ソナー員の報告では、最低でも敵駆逐艦1隻撃沈、1隻大破(現実にはイッグレは沈没している)の戦果を挙げたようだ。
その直後、それまで探知妨害魔法を発動してメリマが、魔法式を解除した後、急に倒れた。
スタウト艦長は、副長と共にメリマを急いで医務室に運び込んだ。
モラン軍医の診察によると、メリマが倒れた原因は疲労のようであった。
それからというものの、医務室で寝込むメリマには、乗員達から大量のアイスクリームや菓子、それにジュース等が差し入れとして持ち込まれたようだ。
しかし、問題も発生した。
ボーフィンは、敵駆逐艦2隻との戦闘で損傷を被っているが、あの戦闘の後、ボーフィンの燃料タンクには3分の1の量しか重油が入っていなかった。
このまま帰還しても、東海岸の目前で燃料切れとなるのは確実である。
そこで、スタウト艦長は大西洋艦隊司令部に状況を報告すると共に、給油艦による燃料給油を要請した。
大西洋艦隊司令部からは了承という回答が得られ、6日の午前0時に給油艦との会合地点を無電で教えられた。
「給油艦との会合地点まで、あと2時間で到達する予定です。」
「そこから俺達の我が家までは、あと2日はかかるな。だが、あと2日程度の道のりとはいえ、対潜警戒は常に厳としておけ。
今は姿を見せなくなったが、マイリー共の気持ち悪い海蛇共がいきなり襲って来ないとも限らんからな。」
「わかってますよ。ここまで来て敵にやられたんじゃ、末代までの恥ですからな。」
副長はそう返事すると、豪快そうな笑い声を上げた。
スタウト艦長も口に微笑を浮かべながら、コーヒーを啜った。
コーヒーはとても温かく、冷風で冷えた体が、熱いコーヒーによって内から徐々に体温を取り戻していくのがわかった。