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みずたまりのほとり(みなみ視点・2日目)

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それっきり眠れないまま、朝が来て…
支度をして、家を出た。
いつもゆたかが来るバス停で遅刻寸前まで待った。
ゆたかは…来なかった。

朝のHRで、ゆたかは風邪で休みだと先生が言った。

「ほんとは、昨日のあれが原因じゃ…」

教室のどこからともなくそんな声が上がった。

「すっごい泣いてたもんね…」

「下手すると、もう学校来なかったり…?」

「そこまで落ち込まなくても…」

他の生徒からもいろいろな声が上がる。
悲観的な見解が多くて、心がどんどん重くなる。
でも、救われた点もあった。
その声の中に、ゆたかのおもらしを詰るような物はなかった。
みんな、ゆたかのことを心配してくれている。
おもらしのことでゆたかをいじめる人が出るかも…という私の心配は、杞憂のようだ。

一時間目が終わるとすぐ、私は三年生の教室に行った。
泉先輩なら、ゆたかが休んだ本当の理由を知っているはず。
怖かったけど、聞かないでいることはできなかった。

三年生の教室に着いた。
呼びかけるまでもなく、泉先輩が私に気付いた、

「お、みなみちゃん」

泉先輩は私のところに来てくれた。
昨日と変わらない笑顔で。

「ゆたかのことで…聞きたい事があります」

「休んだの、ほんとに風邪かってこと?」

「…はい」

泉先輩は苦笑した。

「聞きに来ると思ってたよ。昨日の今日だし、普通は疑うよね。
 昨日の帰り道で風邪気味だったのは一応ほんとで、
 表向きはまだ治ってなくて休むってことにしたんだけど…。
 今日休んだ理由の99%以上はみんな思ってる通り、昨日のこと。
 今朝も、ベッドから出られないぐらい落ち込んじゃってて…」

やっぱり、そうだった。

「ゆたか…もう…学校に…来られないんですか…?」

答えが怖くて、声が途切れ途切れになる…。

「いやいや、そんな大げさな」

泉先輩は私が冗談でも言ったように笑った。

「おもらしなんて萌えイベントに過ぎないよ。私だって某ゲームでやらされるし。
 今のゆーちゃん、一人でどんどん深みにはまっちゃってるから、
 何か外からのきっかけがいるかもしれないけど、きっと立ち直れるって。
 こうして、みなみちゃんみたいに心配してくれる友達もいるんだからね」

泉先輩の言葉には、何の当てこすりも含まれていなかった。
泉先輩は、ゆたかのおもらしが私のせいだということを今も知らない。
このまま平穏でいたくなかった、と言ったら嘘になる。
でも、それは泉先輩を騙し続けること。

「泉先輩…昨日の詳しい状況を、ゆたかから聞いてないんですね」

「ん?うん。授業中にやっちゃったってのをふゆき先生から聞いただけで、
 ゆーちゃん本人には何も聞いてないよ。
 詳細希望しないでもないけど、まだ思い出すのもつらいだろうし…」

「泉先輩…」

「ん?」

「私が…ゆたかにおもらしさせたんです」

私ははっきりと告げた。

「え…」

泉先輩は、少しの間考え込んだ。

「あー…みなみちゃんが言ってるのはあれだね?
 漫画とかでよくある『○○さんは私が殺したんだ』みたいな…
 『ゆーちゃんを救えなかった。私がおもらしさせたも同然だ』っていう…」

私は首を横に振った。

「言葉通りの意味で…です。
 私が何もしなければ、ゆたかはおもらししないでトイレに行けました。
 私が手を出したせいで、ゆたかはおもらししたんです。
 だから…ゆたかは怒ってて、昨日、保健室で私を拒絶したんです…」

「うーん…」

泉先輩がまた少し考え込んだ。
表情から明るさは消えていた。

「…みなみちゃん。
 『おもらしは萌えイベント』とか言っといてなんだけどさ」

泉先輩は、私の目の前まで近付いてきた。
夢の中の光景が、現実と重なって見えた。

「ほんとなら、それはちょっと…」

泉先輩は、ゆっくりと手を上げた。

「…聞き捨て、ならないな」

「………」

…ぽん。

その手は、怖くて目を閉じかけた私の肩に優しく置かれた。

「…でもね。
 一方の言い分だけじゃ判断できないよ。
 今のみなみちゃん、自分の悪い方に悪い方に思い込みしてる気がする。
 ゆーちゃんと同じように、一人でどんどん深みにはまっていってるみたいな」

「………」

思い込みだったら、どれだけいいか。

動くのを懸命に拒否するゆたか。
それを無視してゆたかに触る私。
触った瞬間のゆたかの悲痛な叫び。
それを合図のように、椅子の下に落ち始めたおしっこ。
払いのけられた手。
保健室でのゆたかの言葉。

記憶の全てが、思い込みじゃないことを裏付けている…。

「ゆーちゃん本人にも話を聞くまで、私の態度は保留ってことで。
 もしみなみちゃんの言うのがほんとで、ゆーちゃんが怒ってたら…
 そのときは、そのときだね」

泉先輩は不敵に微笑んだ。
その微笑みは『そのときは覚悟しといてね』という意味と、
『そのときはフォローしてあげるよ』という意味のどちらにも取れた。

「で、言っておくと、昨日と今朝見た限りで、
 ゆーちゃんが自分以外の誰かを責めてる様子は全然なかったよ。
 保健室のあれも、みなみちゃんに怒ってたというより
 恥ずかしくて誰にも会いたくなかったって感じに私は見えたな。
 今言えるのは、そんなとこ。じゃ、あんまり深く悩まないように」

泉先輩は手を振って戻っていき、私も自分の教室に戻った。

「泉先輩に聞いてきたんだね。小早川さんのこと」

ひよりが聞いてきた。

「うん」

「どうだって?」

「昨日風邪気味だったのは本当。でも、休んだのは、やっぱり昨日のこと」

「そう…」

自分の口で言って、改めて認識を深くする。
私のせいで、ゆたかは学校に来られなくなってしまった…。

「あのね、あくまで私の意見だけど…
 岩崎さんが責任を感じる必要はないと思う」

私の心の中の呟きを聞き取ったかのように、ひよりは言った。

「あんな状態になってたら、すぐ保健室に連れて行こうって思うのは当然だよ。
 私が岩崎さんの立場でも、きっと同じようにした。抱っこは無理だけど…。
 …それに、触られただけでもらしちゃうような状態になっちゃったら、
 結局、トイレに行くのは無理だったんじゃないかな?
 つまり、おもらしは誰にも防ぎようがなかったわけで…」

…そうかもしれない。
私が余計な事をしなくたって、結局尿意は収まらないで、
ゆたかはおもらししてしまったかもしれない。

…でも。
もっと早くゆたかがおしっこしたいのに気付けば、
まだ動けるうちに連れ出すことはできた。
私は保健委員なのに、ゆたかのこと、注意してなかった。
私の不注意が、ゆたかのおもらしを招いた。
泉先輩の言葉の一部を借りれば、
『ゆたかを救えなかった。私がおもらしさせたも同然』だ…。

だけど、ひよりの気持ちは素直に嬉しかった。
ひよりにまで心配をかけちゃいけない。

「…ありがとう、ひより。何だか、気持ちが楽になった」

私は、そう言って微笑んだ。

「………」

ひよりは『楽になったように見えないよ』と言いたそうな目をした…。

………

重い気持ちのまま、お昼が過ぎて、5時間目の授業中。

…ぶるっ。

不意に寒気がした。

教室は快適な温度に調節されている。
今日は特に体調が悪いという事もない。
なのに、どうして寒気が…。

「…っ!」

ぎゅっ。

おなかに嫌な感覚がきて、脚を思いっきり閉じた。

おしっこ…したい!

そういえば、今日は学校で一回もトイレに行った記憶がない。
ゆたかのことばかり考えていて忘れていた。

普段の私は、いつも余裕を持ってトイレに行ってる。
過去に失敗した経験からじゃなく、たしなみとして自然に身についていた。
だから授業中に今のような状態になるのは初めてで…すっかり焦ってしまった。

どうしよう……!
おしっこ……授業中なのに……!
どうしよう……どうしよう……!
おしっこ……おしっこ……!
このままじゃ……!

「……!」

そわそわしているうちに、あることに思い至った。

今の私の状態は、昨日のゆたかに繋がっている。

…頭の中で、まだ形にならない一つの考えが生まれた。

(私……)

頭の中に真っ白な部分があるせいか、うまく考えを形にできない。
でも、意識がおしっこからそっちの方に行ったことで、落ち着いてきた。
『おしっこしたい!』と感じた直後は焦ってしまったけど、
落ち着いてみるとまだまだ余裕だった。

5時間目は無事に終わった。
休み時間になっても、私はそのままじっと席に座って考え続けた。

(私も…)

ひよりが私の所に来て小声で言った。

「ちょっと失礼なこと聞いても…いいかな?」

嫌な予感がしたけど、私は頷いた。

「さっきの授業中から、トイレ行きたそうに見えるんだけど…気のせい?」

…予感が当たった。
授業中にそわそわしてたの、見られていた。

「気のせいじゃない…行きたい」

私は正直に答えた。

「他の人にも…ばれてたかな?」

「ううん、私だけだと思うよ。
 実は、さっきの授業中に私も行きたくなっちゃって…。
 そわそわ=トイレ、っていうのが念頭にあったから気付けた感じ」

ひとまず安心。

「そんなわけで今から行くけど…よかったら一緒にどうかな?」

ひよりはそう言ったけど、私は首を横に振った。

「行かない。私、このままで次の授業を受ける」

「え…」

ひよりの『え…』は、明らかに理由を尋ねていたけど、
私はそれ以上説明できなかった。
さっきから浮かんでる考えをまとめるには、今の状態でいるのがいい。
そう漠然と感じただけだったから。
幸い、ひよりはそれ以上問い詰めようとせず、一人でトイレに行った。
やがてチャイムが鳴り、6時間目の授業が始まった。

(私も、ゆたかと…)

ときどきもじもじしたり、脚をぎゅってしたり、寒気で震えたりはしてしまう。
でも、まだ限界という感じには程遠い。
さっきあんなに焦ってしまったのが嘘のよう。
この授業中に大きな変化は起きない。
確信した私は、授業を適度に聞きながらさっき浮かんだ考えをまとめにかかった。

…授業が始まってから、ずっと一つの熱い視線を感じていた。
ひよりが私を見ていた。
心配しているようにも、何か期待しているようにも見える、複雑な表情で。
私が目が合うと慌てて視線をそらすけど、少し経ってから見るとまた目が合う。
すごくそわそわして落ち着きが無かった。
私とどっちがおしっこ我慢してるのか分からないぐらい。

もしかして…、
混んでたか何かでトイレ使えなくて、ひよりもまだおしっこ我慢してるとか?
大丈夫かな。ひより…。

私の心配はまた杞憂で、無事に6時間目の授業も終わった。
気の早い生徒はもう帰り始めている。
席に座ったまま、ほっと一息。
考えは、まとまった。
頭の中の真っ白が、小さくなった気がした。

私はトイレに行くために立ち上がった。
立ち上がるのも余裕。歩くのも余裕。

ぴょん、ぴょん。

その場で軽く飛び跳ねてみても、おなかに鈍い痛みを感じる程度。
体育じゃなければ、もう一つ授業があったとしても耐えられそう。
自分の膀胱のしぶとさに呆れた。
明日は、もっと工夫が必要だ…。

無事におしっこを済ませてトイレから出ると、ひよりがいた。

「間に合ったんだよ…ね?」

恐る恐るという感じで聞いてくるひより。

「うん」

「はぁ…今の授業中、ずっとどきどきしっ放しだったよ…」

…今頃気付いた。
ひよりは、おしっこを我慢してる私の事が心配で落ち着かなかったんだ。

「ごめん…そんなに心配してくれてたなんて…」

「いや、いいんだけどね…。
 私が勝手に興奮…げほごほっ、そう、心配しただけだから…」

「他の人…気付いたかな。私の様子に」

さっきと同じ質問。

「ううん。一応そっちも注意してたけど、そういう気配はなかったと思う」

よかった。
他の人に気付かれてたら、明日は警戒されて計画に支障が出るだろう。
問題は、ただ一人気付いているひよりだけど…。

「ところで…
 さっき、どうしてトイレ行かなかったのかな?
 あんまり聞くことじゃないかもしれないけど、気になっちゃって…」

やっぱり、それを聞かれた。

トイレに行かなかったのは、ある考えをまとめるため。
それを言えば、まとめた考えとは何かも当然聞かれるはず。
その考えを、教えるのは躊躇われた。

「まだ、そんなに行きたくなかったから」

「5時間目の時点で仕草に出ちゃうほどだったのに?
 トイレ行く時間はあったし、別に我慢する必要なかったよね」

「えっと…何となく、あのままでいようと思っただけ。特に意味はないよ」

「何となく…なのかな?
 ほんとは…小早川さんのこと、意識してたんじゃないかと思うんだけど…」

…ひよりは、気付いている。
明日の計画まではともかく、私がゆたかのことで何か考えていて、
それは今日おしっこを我慢してみたのと関係があるということを。
これじゃ、明日、計画を実行し始めた時点ですぐに気付かれてしまう。
そして、ひよりはきっと止めようとするだろう…。

…ごまかすのは無理だ。
ひよりには、明日起こる予定のことを教えるしかない。
教えた上で、邪魔をしないでくれるよう頼むしかない…。

「ひより…」

私はひよりの手を取って、まっすぐに目を見つめた。

「お願いがあるの」

「な、何?」

「今日のこと…
 私が…おしっこ、わざと我慢してたこと…誰にも言わないで」

「…ももも、もちろん!言うわけないよ!」

ひよりはなぜか照れていた。

「それと…明日、私がまた同じような状態になっても…
 ううん、もっと危なそうな状態になっても、ひよりは気にしないでいて」

「え!?」

「そして…先生や他の誰かに言ったりもしないで。
 …最後まで、放っておいて」

「ちょ、ちょっと待って…『最後まで』って…あの…つまり…」

ひよりは困惑していた。
困惑の理由は二つ考えられる。
一つは、お願いが突飛過ぎて意図が分からないから。
もう一つは…意図を完全に読み取ったから。
…きっと、後者だ。

「ゆたかのために…お願い、ひより」

「う、うん…」

私は押し切った。

(私も、ゆたかと同じようにみんなの前でおもらししたら、
 おもらしした仲間ができて、ゆたかが立ち直るきっかけになるかもしれない。
 それに、ゆたかにおもらしさせた私への報いにもなる…。
 するのは明日。ゆたかがしたのと同じ、6時間目の授業で…)










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