僕は某所で一般の方の詩を評価しているが、その際に僕自身が留意している点がある。それは「圧縮度」である。
これは皆さんよくご存じのアーカイブ(書庫とも。zipやlzh、rarなどがある)の概念と同じである。たとえば複数のファイルを圧縮してzipにした際、元のファイルより少ない要領で伝達(メールでの送信やHDD間の通信など)ができる。
詩も同じで、伝えたいことを文字の限りを尽くして過不足なく伝えようとするより、詩として文字を少なくして行間を読むという作業をさせることで伝達することが可能なのである(
補足1)。
アーカイブには、ツールソフトが必要である。圧縮したり解凍したりするためである。解凍レンジやLhaplusなどが有名である。これは一定のアルゴリズムによってファイルのデータを圧縮し、同じアルゴリズムを用いることで解凍も可能にしている(
補足2)。
こうした圧縮・解凍のアルゴリズムと詩は類似していて、作者と読者が同じアルゴリズムをもっていなければ、作者から読者への伝達はできない。フランス語を知らない日本人にフランス語で電話をかけても、意味を伝えられないのと同様である。
たとえば「空に月が浮き、海には舟が浮いている」という意味を伝える際、「空に月、海に舟」とするなら意味は伝えられる。しかしさらに省略して「空に、舟が」としてしまうと意味が変わってしまう。これは作者の省略の方法が適切ではなかった例である。
この論理では、読者にもある程度の造詣・知識が求められる。3歳の子供に俳句をたしなめというのは無理難題である。これはデリケートな問題で、ある詩が理解されない理由として作者の失敗と読者の無知と、明確に指摘することは難しい。たとえば作者が読者に「お前がバカだからわからないんだ」と云う場合はただの傲慢でしかないこともあるし、読者が作者に「ただのわかりにくい詩だ」という場合は自身の無知を恥じて隠したいという心情があるかもしれない。日本人にフランス人が電話をかけた際、2人の居住している国が日本なら日本語を使わないフランス人に非があるだろうし、フランスであればフランス語を知らない日本人に非があると云えるだろう。
補足1
もちろん文字の限りを尽くして相手に伝えることも有用な手段ではあるし、詩とは圧縮して文字数を抑えることを目的としているのではない。(
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補足2
わかりにくい人のために。
鍵と錠を思い浮かべてほしい。鍵とはもちろん、家の鍵や車・自転車の鍵などの、棒状のものである。錠とは鍵穴や南京錠などの「鍵を差し込む側」である。鍵を開けるには、閉めた鍵と同種の鍵がないといけない。違う種類の鍵では、錠を開けることはできない。
つまりここでいう鍵が「ファイル圧縮・解凍ソフト」であり、錠が「圧縮されたファイル」に当たる。
さらにわかりにくくなってたらスイマセン。(
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最終更新:2010年12月15日 02:28