イギリス経験主義について

イギリス経験主義


 イスラームのスコラ哲学の後、コペルニクスが地動説(1543)を、ニュートンが万有引力の法則(1687)を発見するなど、世界では様々なことが発見された。

 17世紀になると、「経験主義」が現れる。この経験主義者には、ベーコン、ホッブス、ロックなどイギリス出身の人が多かった。
 またそれと同時に、スコラ哲学から発展した「合理主義」の流れもある。こちらはデカルト、パスカル、スピノザ、ライプニッツなどに繋がっていく。



フランシス・ベーコン

 フランシス・ベーコン(1561~1616)はイギリスの哲学者・政治家・法学者。
 同姓のロジャー・ベーコンと同じく、「帰納法」を重視して、事実そのものの認識が誤りやすいことを指摘した。その原因として4つのイドラを挙げた。
 また「知識は力なり」という言葉とで知られ、独力では果たせなかったものの学問の壮大な体系化を構想していた。体系化の構想はフランス百科全書派にも引き継がれる。


4つの偶像(イドラ)

 イドラ(idola)とは、ラテン語で偶像・幻影を示し、アイドル(idol)の語源でもある。ここでは誤りや偏見のことであり、こういったものを除くことで人は真理に辿り着けて、本来の姿を取り戻すとベーコンは考えた。

  1. 種族のイドラ――人間の本性がもっている先入観。自分の偏見に合う事例により心が動かされるといった人類に共通の誤り。
  2. 洞窟のイドラ――人間個人がもっている偏見。狭い洞窟から拾い世界を見るように、個人の性癖や体質・習慣・偶然などから生じる「井の中の蛙」といったような誤り。
  3. 市場のイドラ――人間のコミュニケーションの手違いから起こる誤謬。市場で作られた言葉が思考に及ぼして生じる偏見であり、口コミなどが挙げられる。
  4. 劇場のイドラ――誤った学問によって引き起こされる虚像。舞台上の手品や作り話に惑わされるように、伝統的な権威や誤った規則などから生じる誤り。


生涯

 エリザベス女王の時代に、イギリスの大臣ニコラス・ベーコン子として名家に生まれ育つ。12歳で大学に入学し、その後ロンドンので法律を学ぶ。
 23歳で議員となり、45歳のときに14歳の少女と再婚。それからは順調に道を進んでいき大法官にまでなるが、ワイロによって失脚する。刑罰は免れるが、公職を退くことになり晩年は研究と執筆を続けた。
 1626年、春の寒い日に、冷却による腐敗防止についての観察をするため、彼は戸外で鶏の腹中に雪をつめていた。このときに引いた風邪がもとになって亡くなった。
 晩年には「ノヴム・オルガヌム(新機関)」という本を執筆したが、その影響もありイギリスのろう教育が始まっている。ろう教育を最初に始めた人物(ろう学校を最初に設立した人物ではないが)であるとされている。





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最終更新:2011年08月14日 03:06
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