小説の定義は難しい。簡単に「長さ」と区分することもできるが、すでに長編・中編・短編・掌編など長さによる小説自体の区分がある。詩を短いものとすると、小説より長い詩や、詩よりも短い小説などの区分がつかなくなる。
小説に物語性を求める(主人公がいる、ヒロインなどが登場する、起承転結がある、など)こともできるが、物語性のある詩や、物語性の薄い小説の区分が曖昧となる。
たとえば起承転結のない作品を読んだときに、「これは小説ではない」とあなたが判断したとしよう。しかし同じ作品を読んだ別の読者が、「これは紛れもない小説だ」と答えた場合、明確な区分ができなくなる。これは感情論に任せるべきではない。
なので、小説の定義は曖昧のまま保留にしておく他ない。
ひとつの解釈のしかたとして、太宰治の「
葉」という小説に以下の文がある。
「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」
これは主人公の兄が、主人公に話しかけているシーンである。
兄の話すように、文学小説では伝えたいことを「そのまま過不足なく言及する」のではなく、「物語のなかに隠す」のである。
小説の内容の意味合いについて分類すると、以下のような区分がある。
この2つの定義でわかりやすいのは、エンターテインメントである。これは作者が主として「読者を楽しませる」という目的のもとに制作されたものである。
これに対して文学とは、作者の思想や考え、世に伝えたいことを伝えることを主体としている。
読者が、ある作品を文学かエンターテインメントか決定することは難しい。また多くの読者がエンターテインメントと見なしているものでも、文学と見なす人がいることはままある(
Fateは文学 - Google 検索)。この場合に限らず、ひとつの作品を100%文学、100%エンターテインメントと分断するのも危ういかもしれない。
またこの区分での文学が、小説や詩などの文章を扱っている学問という意味での文学とは異なるということに留意されたい。
小説は画像系や映像系よりも、想像力を必要とする。これは作者にも読者にも、である。
最終更新:2011年08月06日 10:32