一元論

一元論

 心身問題での一元論は、「ココロもカラダも1つのモノの表れだ」という見地。

唯物論

 「心身はどちらも物質だ」という見地。

唯心論

 「心身はどちらも精神だ」という見地。

中立一元論

 「心身はどちらも、物質でも精神でもない究極的ななにかでできている」という見地。ちょうど唯物論と唯心論の中間の意見。



唯物論


行動主義(心理学)

 もともとは心理学の一分野で、「自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の組み合わせによって決定されていく」という見地。
 フロイトやユングに対抗するように、ココロ――とくに無意識――は計測したり実証することができないため、目に見える『行動』に目を向けた。
 行動主義者によって考えがまちまちだが、ある程度は以下の法則性がある。

  • 行動の観察が心の動きを研究する最高・最善にして唯一の方法である。
  • 行動のみが心理学の研究対象である。例えば「信念」や「性格」といった心のカタチを表す言葉は、単に行動への傾向性を主題とするための方便にすぎず、指示対象として何らかの心的実体を伴う訳ではない。

 心身問題での行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。


(心脳)同一説

 「ココロとは脳の反応そのものだ」という見地。
 サブカテゴリとして、「タイプ同一説」と「トークン同一説」がある。
  • タイプ同一説……同じココロの反応であれば、誰でもいつでも同じ脳の反応になる。
  • トークン同一説…同じココロの反応でも、同じ脳の反応などない。
 ここでのタイプ・トークンとは、「タイプ=抽象」「トークン=具体」という解釈で申し分ないと思う。この同一説での特徴的な固有名詞と思っておいたほうがたぶん楽。


機能主義

 心身問題では、「人間のココロの反応をトレースして、同じ反応を得られればそれがココロだ」という見地。原因(インプット)と結果(アウトプット)に着眼して、ココロの本質については保留している。
 過程を重視してあるので、どんな素材のロボットでも同じ反応が得られるのであれば、それはココロだということになる。

非法則一元論

 「ココロはカラダから生じるが、カラダがココロと同じだとは限らない」という見地。

消去主義的唯物論

 「ココロは錯覚だ」という見地。
 これまでの歴史で新たな主張や発見があるなかで、適切でなく誤りであるとされた言葉や概念は「消去」されていく、という考えが下地にある。



中立一元論


汎神論

 「すべての物体・精神は、神だ」という見地。
 日常生活にある自然や、人間のつくった人工物などの物質から、人間の精神に至るまで、すべてのものは「神」だとする。
 似たものに、アニミズムがある。






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最終更新:2011年08月30日 21:07
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