ギリシャ哲学
哲学を英語でphilosophy(フィロソフィ)というが、語源はギリシャ語のフィロソフィア(φιλοσοφία、philosophia)であり、「知恵(sophia)を愛する(philos)」という意味である。つまり理性の立場をしっかりと踏まえてものごとを考える、ということである。
このため、ゼウスを主神とするギリシャの多神論の宗教と、若干ながら軋轢があり、哲学者のソクラテスは宗教を侮辱して青年を堕落させたとされ、毒を飲む結末を選ぶこととなった。またピタゴラスは宗教教団の教祖となり、宗教と哲学の共存を選んだ。
宗教と哲学の軋轢は大きいものの、哲学が許されていたのはギリシャが新しい社会だったからである。
哲学はギリシャで宗教とは区別され、理性によって体系化されるに至った。
ギリシャは西アジアの辺境にあり、西アジアの文明を摂取するとともに、西アジアの専制帝国の軍事的・政治的支配を受けず、自由に選択したり行動したりすることができた。これは東アジア文明における日本の立場とよく似ている。ギリシャでは西アジア文明の成果を学びながら、ポリスという新しい体制の最初の市民社会を建設できたように、宗教とは違った科学や哲学を作ることができた。
ギリシャ哲学の最初のテーマは宗教と同じく「この宇宙とは、世界とは、根源的になにか?」だった。この問題に最初に答えたのが、現在のトルコ西部の植民都市ミレトスの市民ターレスだった。
ターレス
ターレス(前624~前546)はミレトスの商人で、中近東を広く旅行し、とくにエジプトをよく知っていた。天文学を学び、日食を正確に予言したり、エジプトのピラミッドの高さを一定の時間にその影を測定することではかったりした。
ターレスのもっとも有名な哲学は「世界の根源は水だ」というものである。
アナクシマンドロス
アナクシマンドロス(前610~前546)もミレトスの哲学者。世界の根源を「アペイロン」という「不定で、無限なるもの」であると答えた。アペイロンがみずからに備わっている運動によって次々と分化し、私たちが見るような宇宙ができあがってきた、と説明した。
アナクシメネス
アナクシメネス(前585~前528)もミレトスの哲学者。「世界の根源は空気である」とした。残っている文章の断片には、「われわれの魂は空気であって、われわれを統括しているように、息と空気が世界全体を包み込んでいる」とある。
このターレス・アナクシマンドロス・アナクシメネスは、自然哲学の祖といえる。そしてこうしたミレトスの哲学者たちに続いて、ピタゴラスが現れた。
ピタゴラス
ピタゴラス(前582~前493)は、サモスという島が出身の数学者・哲学者。ピタゴラス教団という宗教結社の教祖でもあった。ミレトスの哲学者とは違い、世界の素材ではなく「論理(ギリシャ語ではロゴス)」を問題にした。
数学者らしく「すべてのものは数である」と主張した。
こうしたエーゲ海東岸のイオニア地方の哲学に対して、イタリア半島の南にあるエレアという町でも哲学が生まれた。これをエレア学派と呼ぶ。
クセノファネス
クセノファネス(前580~前480頃)は、エレア学派の最初の哲学者。イオニアで生まれるが、放浪してエレアに住んだ。
ゼウスを始めとするオリンポスの神々を、生きた人間のようであると嘲笑して、抽象的な唯一不変の神的存在を主張した。
パルメニデス
パルメニデス(前540~前470)は、クセノファネスの弟子。「有」こそが唯一不変の宇宙の根本的実在である、とした。
ゼノン
ゼノン(前490~前430)は、パルメニデスの弟子。パルメニデスの討論を論証するために論理を緻密に突き詰めて、「ゼノンの詭弁」といわれる「アキレスは亀を追い越せない」や「飛ぶ矢は静止している」といった論理の矛盾を指摘し、主観的
弁証法の祖といわれている。
このエレア学派からさらに続いて、ヘラクレイトス・エンペドクレス
ヘラクレイトス
ヘラクレイトス(前544~前484)は、ミレトスの北方にあるエペソスの王家出身で、ミレトスの自然哲学を受けて、世界の根源は「火」であると挙げた。さらに生成即消滅、対立物の闘争といった考え方で、客観的弁証法の祖といわれている。また「万物は流転する」という言葉で有名。
変人であるといわれ、仙人のような生活をして、ヨーロッパ最初の隠者といわれている。
エンペドクレス
エンペドクレス(前493~前432)は、それまでの自然哲学をを総合して、世界の根源を「火・水・空気・土」の四大であるとした。
もうひとつの自然哲学の流れとして、エーゲ海北岸のアブデラ地方で、レウキッポスとデモクリトスから生まれている。
レウキッポス
レウキッポス(生没年不詳)については、弟子であるデモクリトスによってしか伝えられていない。レウキッポスは、世界は還元すればそれ以上は分割されないアトム(原子)に辿り着き、アトムの結合・分離によって万物が説明される、という「原子論」を提示した。後にマルクスが博士論文で取り上げた哲学者である。
このような各地のギリシャ植民地都市に加えて、前5世紀~前4世紀にかけてギリシャ本土のアテナイ(アテネ)が政治・経済・文化的に黄金時代を迎え、「ソフィスト」という偉大な哲学者が登場する。ソフィストとは「知恵のある人」という意味で、ソフィストたちは一箇所に定住せずに、渡り歩きながら授業料をとって知識を教えた。主に家政の術を教え、また政治に必要な弁論の術も広め、自然よりも人間に関心を寄せるようになった。
ソフィストの代表は、プロタゴラスとゴルギアスである。
プロタゴラス
プロタゴラス(前500?~前430?)は、「万物の尺度は人間である」という立場から、人間にとって絶対的真理は存在せず、真理は主観的なものにすぎないと主張した。こうしたシニカルな懐疑論は宗教的に不敬虔だとして、アテナイから追放された。
ゴルギアス
ゴルギアス(前487~前376)は、ゼノンの弁証法を駆使して「真と偽、善と悪との間には絶対的区別はない。したがって、ひとつの考え方を他の人に信じさせる技術が大切だ」とした。非常に長生きし、109歳まで元気だったという。
最終更新:2011年11月26日 09:57