在日の老女と息子の会話
老女「あたしゃ12歳の時、徴兵で日本に連れてこられたよ」
取材スタッフ「ちょ、徴兵!?」
息子「ナニ言ってんの!?(当時は)まだ法律(徴兵)がなかったの!証拠もあるの!
あん時は自分の意思で来る時代なのに!」
老女「なんで無いのよ!」」
息子「徴兵ってのは42,3年にできるの法律が。あの時は自分の意思で来た時代なのに」
老女「ナニ言ってんのアンタ!!(朝鮮語で興奮して)工場で働いたんだよ!」
息子「他の朝鮮人も、○○さんも(徴兵が無かったことを)みんな知ってるよ!
なんで徴兵、徴兵って言うの!?」
老女「(興奮した朝鮮語で)私は徴兵で来たんだよ!友達が知ってるよ!このボケ!」
息子「何がボケだよ!」
最後に、老女が取材スタッフに一言..
「うちの息子には“(反日)思想”が無いの」
〔日付なし・一九四九年8月末から9月初旬と推定される〕
(総理府用箋)
〔右上に「シーボルトへ---君はどう思うかね?
一五九〇マック〔数字の意味不明〕と自筆で書き込んである」〕
連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥閣下
親愛なる閣下
日本の戦後の諸問題のうち朝鮮人と台湾人に関するものがありますが、
彼らはかつて日本国民であり、現在もこの国に依然として滞在しているものです。
ここでは台湾人については、彼らが比較的少数であり、
それほど問題を起こしておりませんので、しばし触れないことに致します。
しかし、総数約一〇〇万人、
そのほぼ半数は不法入国者であるところの在日朝鮮人の問題について、
われわれはいま早期の解決を迫られております。
私はこれら朝鮮人がすべて、彼らの生国の半島に送り返されることを欲するものです。
その理由は以下のとおりです
1.日本の食糧事情は、現在もまた将来においても、余分な人々を維持することを許しません。
アメリカの厚意によって、
われわれは大量の食料を輸入していますが、その一部は在日朝鮮人を食べさせるために用いられています。
これらの輸入は、将来何世代にもわたって我が民族の負債となることでありましょう。
もちろん、われわれはそのすべてを返済する覚悟を固めておりますが、
この対米負債のうち朝鮮人のために生じた分まで、将来の世代に負わしむるのは、
公正なこととは思えません。
2.これら朝鮮人の大多数は、日本の経済の債権に貢献しておりません。
3.もっと悪いことには、これら朝鮮人は犯罪を犯す割合がかなり高いのです。
彼らは我が国の経済法規を破る常習犯です。
かなりの数が、共産主義者かその同調者であり、最も悪質な政治的犯罪を犯しがちなのです。
投獄されているものは、既に七〇〇〇人を超えています。
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/02(火) 19:35:29.04 ID:7eLNg2MYP
(つづき)
戦後今日まで裁判に付せられた、朝鮮人による刑事事件は以下のとおりです。
年次 事件数 朝鮮人関係者数
1945(8月15以降) 5334件 8355人
1946 15579件 22969人
1947 32178件 37778人
1978(5月末現在) 17968件 22133人
合計 71059件 91235人
さて朝鮮人の送還計画としてわたしが考えるのは次のようなものです。
1..原則として、朝鮮人は全て送還され、その費用は日本国政府の負担とする。
2.日本に在住を希望するものは、日本政府に許可を申請すべきものとする。
在住許可は、日本経済の再建に貢献しうると見なされたものに与えられる。
以上述べました私の考えが、期間によって原則的に承認を得られた場合は、
送還に伴う予算その他の具体的措置について、改めて案を提出いたします。
敬具 吉田茂
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。
主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。
増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。
また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。
戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。
現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。
(1959年7月13日 朝日新聞)
戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。
資料は34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本>政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。
永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。
在日特権を許さない市民の会2-1(H18.11.20) | 在日特権を許さない市民の会2-2(H18.11.20) |
■在日・強制連行の神話 鄭 大均 (著) 「在日の多くは海峡を自らの意志で越えたのだ。 在日は強制連行されてきた人々とその末裔だとする主張がある。 が、一世の証言に丹念にあたれば、それが虚構にすぎないことが分る」 | |
■これでは困る韓国―ニューカマー韓国人の対話 崔 吉城 (著, 原著), 呉 善花 (著, 原著) 呉 「在日の人たちにしても、植民地時代も自分の意志で積極的にきた人のほうがずっと多いんじゃないですか。 強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。」 崔 「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。」 | |
■歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本 中川 八洋 (著) 「GHQは「在日」の朝鮮人の”帰国”に過剰ほどの支援をなして、 すべての希望者に帰国のための無料の船便を提供しています。」 | |
■吉田茂=マッカーサー往復書簡集 1945-1951 (講談社学術文庫) 文庫 袖井 林二郎 (編集) <臣茂、民主改革阻むため。> 「戦争で負けても外交で勝つ」。それをモットーにした政治家にとって、マッカーサーとの交渉は政治のすべてであった。 何を「護持」したかったのか? 日本人の、いったい何が「保守」できたのか? 吉田が秘した無数の手紙は、占領軍との間で繰り広げられた手に汗にぎる折衝を明らかにする。 第一級資料集! |
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