「ッ!!!」
ステッラがつい一秒前までいた位置を、巨大な拳が高熱と共に通り過ぎていく。敵のスタンド『レッド・ホット』は炎と一体化した特殊なスタンドであったが、先程炎上した車を利用することで、通常以上の大きさへと強化されていた。
もはや、アパートの二階付近に頭を並べる大きさだというのに、見境も無しに攻撃する度に、周囲に停められていた車やバイクを巻き込むことで、更に大きさと勢いを増していく。
おまけに、ステッラが相手をしないといけないのは、このスタンドだけではなかったのだ。中空に浮かんだ彼へと、翼を持つ合成生物が群れを成して襲いかかる。それを拳の連打で打ち払いながら、ステッラは伸ばした腕で窓枠を掴み、強引に軌道を修正した。次から次へと四方八方から襲い来る攻撃を、彼はかわすことで精一杯だった。
この戦闘は、明らかにステッラが苦戦している。言いかえると、苦戦“程度”で済んでいる、ということだ。敵は数で勝り、スタンドの戦闘力でも勝る。本来ならば鎧袖一触で肉泥に変えられてもおかしくない圧倒的に不利な状況であるのに、「防戦一方」で済んでいる理由は、彼の経歴とそのスタンドにある。
『SORROW』の能力は、「バネにする」こと。バネとなった脚は、平面的な機動力である疾走には向かないものの、ローマの様な建物が密集する場所では、立体的な機動力をもたらしてくれる。
そして、バネとなった腕は、伸びる際の勢いと距離によって、リーチとスピードが強化される。その上、全身を鉄製のコイルバネに変えてしまえば、人体ではひとたまりもない灼熱にも短時間ならば耐える事が出来る。鉄の融点は1535℃なのだ。
機動力と戦闘力が増強され、熱への耐性を持ち合わせた上に、彼がローマの地理に詳しい事が加算されれば、獣の大軍と強敵を相手にしてもしばらく持ちこたえる事は不可能ではない。ステッラの奮戦ぶりに、何処に居るのか判らない敵の本体さえもが感心しきった声を上げた。
「やはり、『パッショーネ』の幹部ってのは腕が経つな。この状況下でまだ生きていられるんだから大したもんだぜ。だが、俺が見つけられんのかな? 『グラットニー』で縮小されることで、誰にも見つからないように姿を隠しているこのカールド様をよぉ!」
何処からか響く哄笑に、ステッラはフン、と鼻を鳴らすだけで応じた。悔しいが、今のところ反論の術がない。敵を見つける手段など、彼のスタンドでは持ち合わせていないのだ。時間を稼ぎながら、反撃のチャンスを窺うより他に道はない。跳躍の軌道を変えたことで、飛来した『レッド・ホット』の一撃が明後日の方向へと通り過ぎていくのを眺め、着地しようとする彼であったが、その時ステッラの目があるモノを捉えた。
(アレは……、陽炎か? ……そうか、この手があったか!)
空気の揺らぎを見た事をきっかけとし、彼の脳裏で瞬く間に勝利への方程式が組み立てられる。反撃のチャンスをモノにした! 瞳に決意の炎を湛えて、優雅に着地しようとしたステッラであったが、彼が踏んだのは硬い地面ではなく、粘り気ある液状の地面であった。
「!!?」
目を見開き、ねばりつく地面を見据えたステッラに、再び何処からか嘲笑の声が沸き起こる。
「馬鹿だねぇ、あんた実に馬鹿だぜ。このカールド様が、無駄にスタンドで暴れまくるとでも思ってたのかぁ? 折角だから教えてやるけどよ、アスファルトってのは熱に弱くてな……、50℃前後程度の温度で融けちまうんだぜ。そして、俺の『レッド・ホット』は炎と一体化したスタンド。
アスファルトを溶かして、特大のゴキブリホイホイを作るなんてのはマス掻いてる合間にだって出来る事だぜ! わざわざ大振りの攻撃を繰り返してたのは、こういう事だってのが判ったか?」
どこかから聞こえてくる嘲笑に合わせ、ゆらゆらと陽炎を纏いながら近づいてくる『レッド・ホット』。しかし、ドロドロになったアスファルトに身動きを封じられながらも、ステッラの口元には笑いが浮かんでいた。
「ア゛ァ? 何笑ってやがるんだ、あんたは?」
「いや、悪いな。お前があまりにも勝ち誇っているのが可笑しくてな。確かに、動きを止められたのには驚いたが、その程度の事で『勝った』と思うにはまだ早い。
気付かないのか? 舗装を溶かすということは、その下にあるものを利用しやすくなったという事でもあるんだぜ。地面の下にあるのは何だ? これだ!」
ステッラの言葉が終った直後、突然変化した光景にカールドはその目を疑った。
地面から一筋の水が勢いよく噴出し、『レッド・ホット』を直撃したのだ。
もちろん、突然泉が湧き出た訳ではない。アスファルトに埋まった『SORROW』が「水道管」を破壊して、辺り一面に水をぶちまけたのである。
ドロドロに溶けたアスファルトを貫いて、へし折られた水道管の断面が地面へと突き出ている。そこから四方へと溢れだす水がアスファルトにかかるよりも早く、ステッラはバネで伸ばした腕で手近な常夜灯を掴み、
「こんな手段を使われたところで、俺のスタンドであれば融けたアスファルトから脱出する事など容易い。無駄な手間だったな」
バネが縮む力を借りて粘つく舗装から脱出する。そして、大量の水によって鎮火していくはずの『レッド・ホット』を見つめ……、火力が、衰えない?
「これくらいの事はする、と思ってたぜ……。だからよ、俺はあえて大振りな攻撃を『レッド・ホット』にさせることで、周囲の車を巻き込む事を隠蔽してたのさ。水道管をブッ壊すくらいじゃ、すぐには鎮火されねえくらい炎を大きくする為になぁッ!」
相変わらず、判別できない位置から聞こえるカールドの声。それに、だがステッラはただ肩をすくめるだけであった。
「鎮火してくれるに越した事はなかったが、消えないならばそれでもかまわないさ。まさか俺が“火を消す為”だけに水をぶちまけた、とでも思っているのか? まずは、炎に浴びせかかった水が、高熱の水蒸気となって周囲に広がる……」
バシャン、と何かが水たまりへと落下する音がした。それは、まるで雨の様に次から次へと響いてくる。そう、雨と言ってよかったのだろう。落下したのが水滴ではなく『動物の死骸』である事に目をつぶればだが。
言うまでもなく、この死骸は先程までステッラを襲っていた合成動物の群れである。だが、それらの命を奪ったのは断じてステッラではない。
ある動物は体内から焼かれた、『レッド・ホット』によって作り出された高熱の水蒸気を吸いこんだが為に。
そして、ある動物は『槍』によって貫かれた。ステッラが脱出する際に飛び散った、融けたアスファルトの飛沫が、浴びせられた冷水によって固められて『槍』となったのだ。
先程までステッラを窮地に追い詰めていた怪物たちが、一瞬にして全滅させられたことに、カールドが歯噛みする音が微かに聞こえた。
「てめぇ、図りやがったな?」
「さあな。こいつらを始末したのは、俺ではない。お前だ。鎮火する程度の火力ならばこうは上手くいかなかった、過度にスタンドを強化した自分の愚かさを恥じることだな」
ステッラの揶揄に、もはや言葉を交わすことさえせずに、さほど大きさに変化のない『レッド・ホット』が襲いかかる。巨大な炎の腕が、風を切って振り回される。その速さは、バネによってステッラが跳躍する速度をはるかに超えていた。
回避すら間に合わない連撃、しかし、それはなぜか常に空を切った。動き回っていたとはいえ、ステッラは必ず拳の先に存在していたというのに。
「ば、馬鹿な?! なんで、『レッド・ホット』が触れることすら出来ないというんだ! 貴様は、拳を避けてすらいない。
まさか、『パッショーネ』は新手のスタンド使いを送りこんできたのか!? 馬鹿な、そんな時間などあり得ない!」
「…………水の所為だ」
「何だと? 貴様の援軍は二人組なのか? 水を介して移動するスタンドで、幻惑するスタンドを送り込んだとでもいうのか?」
相手の問いかけに、ステッラはニヤリと笑いを浮かべた。的外れもいいところであった。
カールドのこの反応は、スタンド使いとしては正常なモノであった。スタンド使いは、自らが超常現象の体現者であるが故に、やや特殊な状況下に置かれると、それを「スタンドによる攻撃」と認識してしまいがちのは仕方がないと言える。
が、実際のところ、スタンドによるものでなくても、人間の認識を裏切ることは可能なのである。それを、ステッラは利用したのである。
「だから、『水』だと言っているだろう。スタンドではない。むしろ、俺の方が聞きたいくらいだ。何故、判らないのか、と。『ヴィルトゥ』には義務教育すら終えていない人間しかいないのか? 脳ミソがクソになっているのか?」
ステッラの挑発に、しかしカールドは言い返すことさえままならない。スタンドによるものではない? ならば、何故攻撃が当らないのか? その答えは、実に意外な現象であった。
「水道管から噴出した『冷たい』水は、お前のスタンドにかかるだけではない。地面へも広がっている。それが空気を冷やせば、何が出来ると思う? 蜃気楼に決まっているだろう。それもこれも『レッド・ホット』と地面との温度差が激しかったおかげだ、礼を言わないとな。
それと、もう一つ言っておくが、さっき地面を掘ったのは、水道管を破壊するためだけではない! 俺は、『ガス管』も曲げておいた。そろそろ、パイプが熱されて爆発を起こすことだろうな。
この辺りに貴様が身を隠しているなら、確実に巻き込んで燃やしつくす程に、そして遠方から監視しているのならば、スタンドパワーを瞬時に消費しきってしまう程に、貴様のスタンドは強化されるッ! この一角を燃やしつくす程に、貴様の命を燃やしつくす程に!
仮に、それでもお前が生き延びたとしても、『レッド・ホット』の炎による上昇気流と、先程生まれた水蒸気、そしてこの戦闘で巻き上げられた塵埃は、スコールの要因になるッ! 上下からの水の挟み撃ちを耐えきれると思うなッ!」
そう言い捨て、ステッラはバネ状の足を駆使し、壁を蹴って宙高く跳ね上がる。雲間にほんのりと顔を出す満月をバックに、異形の足を持つ影が宙返りするはるか下、地上は炎に包まれた。
その炎は、まるで焼死する人間の様に身悶えし、よじれ狂い、やがて降り始めた雨に打たれて消えていった。
今回の死亡者
本体名―カールド
スタンド名―レッド・ホット(噴出した都市ガスによって、スタンドが本体の制御不可能な域にまで急速に巨大化した際に、自身が巻きこまれて焼死)
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