概要
戦力
海を隔てた島嶼の都市が戦場となったため、双方の編成は揚陸の可否によって形を決められ、投入できる火力の性格も分かれた。
遠征
セトルラーム連邦軍は主力部隊約50万を西方島に送り込み、包囲網の正面を押さえたうえで、外郭の背面を断つ配置にも兵を割いた。オクシレイン軍約20万が南側から加わり、指揮は
ゲザッセル中将が執っている。高機動歩兵10万を中核とする編成には軽戦車5000両が付され、軽量の特殊装甲を纏った車体は時速150キロメートルで戦場を走った。義勇兵団350名は、東部戦線から引き揚げた帝国の第12精鋭歩兵軍と第3機械化軍団の有志によって編まれ、身寄りを残す者は募集の名簿から外されている。兵団に回された装備は主力戦車2両で、
長距離プラズマ砲1門が火力の柱に据えられ、宙軍駆逐艦セラーヴァ級2隻も同じ指揮下に置かれた。艦の運用は帝国の乗員が引き受けており、通信の手順だけは連邦軍の様式に合わせて組み替えられている。帝国政府は本国の世論を慮り、兵団の外見をセトルラーム軍に揃える措置を採ったため、車体には青灰色の塗装が施され、艦体にも同じ意匠が回された。無線の交信では連邦の部隊呼称が用いられ、帝国語の使用は出撃の前に禁じられたうえ、部隊の符号も連邦の様式に置き換えられている。上空では、南部戦線から転じた
第4世代ゾラテス級事象界域制圧艦が制空権を握り、地上の進退は艦の影の下で決められた。
防備
迎え撃つ側は正規軍5万を骨格に据え、民兵25万を市域の各区に配し、街路ごとの守備を街区の班に委ねた。都市は半径100キロメートルの円形をなし、外周は砲塔を備えた城塞に囲まれ、中心部にはリッケンフェール・タワーが立つ。放射状に伸びる街路は外郭の各門まで通じており、守備隊は内側の環状路を使って兵を横に動かした。同年春の爆撃によって市街の大半は瓦礫に変わり、
ティラスト派の権威を体現した革命聖堂も崩れ落ちている。臨時兵器工場の生産は細り、
オペレーション・ボトルブレイク以降、西部戦線に届く弾薬の量は低い水準に据え置かれた。銃器の払底は鹵獲した帝国製ライフルが埋め、装甲車は
ヴァルヘラ州軍政府から以前に届いた車両を野戦の工房で直して用いる。防衛線には簡易のバリケードが並び、手製の爆発物が路面の下に埋められ、崩れた建物の窓には狙撃の座が設けられた。民兵の士気は市街での抵抗を説くスローガンによって保たれ、投降を口にした者は同じ隊の手で処断される。地下には商業区域から続く坑道が延び、大宰相府が掘り下げた壕も同じ層に口を開けており、指揮所の一部は地表から移されていた。市域には
変異キメラが入り込み、無差別の襲撃が守備の配置を乱したため、夜間の哨戒には正規軍が回された。
公国
グロノヴェイルは
ユリーベル公国本島の北端に位置し、市域の外側に広がる平野から山地までが同国の領土にあたる。公国軍は革命の初期から市街の南で政権軍と向き合っており、六年にわたって戦線を保ってきた。王党派の連合に属する立場から連合軍とも交戦の関係にあり、公国は双方を敵に回した位置に置かれている。1007年までに周辺海域の主導権は連合軍の手に渡り、上空の警戒も同軍の機体が引き受けた。本島へ渡る航路が塞がれた結果、王都コルナンジェへ送っていた部隊は帰還の道を絶たれ、
アリウス公王の指揮下に留め置かれる。揚陸を阻む手立てを失った公国は、内陸への進入を控える条件のもとで交戦を避ける旨を連合軍の司令部に通告した。自軍の戦線は本島中部まで下げられ、対グロノヴェイル正面が空いた結果、連合軍は上陸から二日で市域の外郭に取りついた。六年をかけて公国軍が削り続けた外郭の砲座は、包囲の始まった時点で三分の一が沈黙している。
経過
交戦は共立公暦1007年の夏に始まり、外郭の突破から市域の中心へと焦点を移しながら十日にわたって続いた。
上陸
連合軍は海峡を渡って本島の北岸に兵を上げ、艀を昼夜通して往復させながら、グロノヴェイル郊外の平野に展開した。焼け野原に変わった一帯では視界が開けており、両軍の砲兵は稜線を隔てずに互いの陣を直接に捉えている。義勇兵団は包囲網の後方に配され、市域へ通じる補給路の遮断を受け持ち、夜陰に紛れて街道の要所に取りついた。
長距離プラズマ砲の青白い閃光が政権軍の補給基地を貫くと、炎上した燃料庫から黒い煙が立ち上り、周辺の視界を塞いだ。セラーヴァ級2隻はセトルラームの艦隊旗を掲げたまま低い軌道に降り、
属性レーザーで輸送車列を焼き払ったうえ、郊外に散らされた弾薬の集積所にも同じ照準を向けた。オクシレイン軍の軽戦車は速度を活かして側面に回り込み、拡声器から投降の呼びかけを流しながら陣地の背後を突いた。ゲザッセルは市域の外周に宣伝の車列を巡らせ、民兵の動揺を誘ったうえで、降った者の身柄を後方の拠点に集めている。三日にわたる最初の交戦で義勇兵団は30名を失い、オクシレイン軍の戦死者は2000名に達した。セトルラーム主力の損害は1万名を数えたものの、政権軍の防衛網は各所で破れ、外郭の門のうち三つが連合軍の手に落ちる。
市域
外郭を抜けた連合軍は、瓦礫の積み上がった街路で市街戦に入り、街区ごとの制圧に日数を費やした。訓練を欠いた民兵は数の多さで押し返しており、焼け残った建物の骨組みを盾として路地の奥から射撃を続けたため、連合軍の前進は街区ごとに足を止められた。義勇兵団の主力戦車1両が集中したロケット弾を浴びて擱座し、乗員は炎の回った車内から脱する時機を逸した。残る1両はプラズマ砲でバリケードを溶かし、後続の歩兵に通路を開いたまま、四日目まで先鋒に立ち続ける。セトルラーム主力は5万の兵力を正面に投じ、ゾラテス級の
レーザー砲撃と連携して敵陣を分断した。戦闘機と無人ドローンが上空を埋め、焼夷クラスター弾の炎が街区を舐めたため、地表の熱は日没の後まで残る。オクシレイン軍は後方から援護に回り、高機動歩兵が民間施設の解放を進め、住民を郊外の集合地点まで送り出した。ゲザッセルの呼びかけに応じた民兵は数千人を数え、武器を捨てて連合軍の線を越えている。一週間にわたる市街の交戦で義勇兵団は70名を失い、オクシレイン軍の損害は1万名にのぼっている。セトルラーム主力の損害は5000名で、正面を守った政権軍は12万の戦力を戦列から消した。セラーヴァ級の砲撃で外壁の一角が崩れると、市外の
変異キメラが群れをなして流れ込み、連合軍の封鎖線に穴が開いた。
地下
十日目、ゾラテス級が市域の全体に
ミサイル攻撃を加え、リッケンフェール・タワーの周辺は灰に埋もれた。義勇兵団は市域の外縁に回り、逃れてくる住民を郊外の集落まで誘導したうえ、負傷者の担送にも人手を割いている。狭い路地では政権軍の混成部隊との近接戦が夕刻まで続き、崩れた建物の内側にも同じ戦いが及んだ。泥に汚れた偽装の制服のまま、兵団は瓦礫の下に潜んでいた前線の指揮官を捕縛し、後方の尋問所まで送り届けた。オクシレイン軍は聖堂跡の裏手に築かれた防衛線を破っており、高機動歩兵が残党の掃討にあたった。ゲザッセルは自ら前線に立ち、糧食の集積された倉庫の一群を占拠して、守備隊の補給を断っている。セトルラーム主力はタワーの周辺に突撃し、大宰相府直属の守備隊が最後の抵抗を組んだため、市庁区の一帯は夜まで燃え続けた。同日のうちに市域の制圧が宣言され、政権軍の死傷者は投降した者を含めて8万を超えた。連合軍の損害は義勇兵団100名とオクシレイン軍3000名にのぼり、セトルラーム主力は2万名を失った。地下の深層には大宰相府の残余が潜み、坑道の掃討が積み残されたまま、連合軍の任務は封鎖に切り替えられる。
影響
交戦の帰結は西部戦線の勢力図に及んだうえ、翌年の停戦をめぐる各国の思惑にも形を残した。
西方島
西部戦線における政権軍の組織的な抵抗は市域の陥落によって絶え、東西から王都を挟む構想も同じ日に潰えた。臨時兵器工場の設備は瓦礫の下に沈み、無人機の補充が途絶えたため、王都圏への空襲も以後は途切れたままとなる。ユリーベル公国は本島中部の防衛線を保ったまま市域の統治を連合軍に委ね、接触の場を通告の範囲に限っている。王都圏に残った政権軍は西からの増援を絶たれ、以後の攻勢を手元の兵力だけで組み立てる形に移ったため、王都の周辺で続く交戦は消耗の度合いを深めていく。連合軍は市街に駐屯地を設け、封鎖線の維持に兵力を割いたうえ、坑道の入口ごとに監視の班を置いた。焼け跡には住民の遺体が積み上がり、生存者の捜索は年を越しても続き、身元の判明した者から名簿に記される。
変異キメラの群れは瓦礫の隙間に居着いており、封鎖にあたる部隊は夜間の哨戒を強いられた。海路の主導権を握った連合軍は本島への補給を安定させ、南部の港から届く物資を北岸の集積地に積み上げている。公国の指導部は戦後の独立を見据え、温存した兵力を内陸に置いたまま、市域の帰属を巡る協議を先送りにした。
残余
地下の深層に残った大宰相府の要員は、封鎖の続く市域で潜伏を保ち、坑道の水脈から飲料を得ていた。
コックス大宰相も同じ層の壕に身を置いており、翌1008年の停戦成立まで指揮系統の形を維持する。停戦の後、壕へ踏み込んだ王党派の部隊が大宰相を引き回し、平和維持軍による身柄の救出作戦が実行された。政権の残党は各地の軍閥に散り、武装のまま市の周辺に潜む者も相当数を占めたことから、治安の回復まで更に多くのリソースを費やした。市の水道と電力は交戦の間に断たれ、復旧作業は連合軍の工兵が引き受けたものの、坑道の封鎖が続く区画は手つかずのまま年を越した。市民の側では包囲の間に食料の備蓄が尽き、避難した者の多くが公国領の収容拠点に流れ込んでいる。収容の割り当ては、到着の順に組まれた。医薬品の払底が拠点の内側で争いを招いたため、公国軍は警備の人員を増やした。義勇兵団の生存者は帝国へ戻り、公式の記録から外されたまま部隊を解かれた。戦死者の名は、連邦軍の名簿に借りた形で刻まれている。
波紋
セトルラーム政府は市域の制圧を国民に告げ、西部戦線の決着を戦争の転機として説明した。連邦議会では包囲に費やした兵力の規模が問われており、
フリートン政権の求心力は年の後半に落ち込んでいる。オクシレインでは民間人の保護にあたった実績が公表され、
センジュ大統領は戦後の統治を巡る協議で秩序の回復を先に据える立場を採った。共立公暦592年の
グロノヴェイルの戦闘の以後、市街の民兵が示した抵抗の激しさは各国の教範に記されてきた。包囲戦の記録も同じ項目に加えられ、市街地での長期戦を避ける方針が各国の司令部で検討される。連邦軍の内部では、市街地の制圧に投じた兵力の規模を検証する報告書が翌年まで作成され、島嶼への揚陸を伴う作戦の手順も同じ機会に見直された。オクシレイン軍は損耗した第一線の部隊を本国へ戻し、後続の作戦に回せる兵力を年内に組み直している。帝国の関与は伏せられたままとなり、義勇兵団の戦闘記録は連邦軍の文書に紛れて保管された。
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最終更新:2026年08月23日 12:49