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スティグマ・ヴェイル・インターセプト


概要

 スティグマ・ヴェイル・インターセプトは、第三次ロフィルナ革命の終盤に実行された阻止作戦である。
共立公暦1008年の秋から冬にかけて、連合軍の封鎖下に置かれた西部戦線のグロノヴェイル周辺が戦場となった。
作戦の相手は、大宰相府の命令系統から離れた政権軍の一部隊であった。

戦力

 封鎖線を挟んだ双方のうち、地表を使える側は上空の網から編成を起こし、地下に押し込められた側は坑道の構造に縛られている。

残置
 国家戦略軍は、コックス政権が直属に置いた精鋭であり、大量破壊兵器の保管を長らく任務としてきた。政権の内部では投射の可否を巡る議論が数年にわたって続き、大宰相自身が見送りを説いた経緯から、部隊の実働は抑え込まれている。グロノヴェイル包囲戦の後、司令官ゼヴァン・クルードは大宰相府の命令系統から部隊を切り離し、投射の準備に取りかかった。手元に残された弾体は、包囲の始まる前に地下へ運び込まれた備蓄の残余であり、界饗種の強化因子を封じた散布体を中身とする。Tバイオロジカル・スフィアの改良にあたる型式(K2トライデント)では拡散の速さが引き上げられ、既存の中和剤を素通りする組成も与えられた。投射の手段は二通りに分かれており、瓦礫の外縁に均された秘匿の滑走路に旧式爆撃機が隠され、坑道の深層には面火力の射出機構が据えられている。掃討の積み残された地下の区画が拠点となったため、兵員は坑道の経路に沿って夜間だけ移動した。飢餓で細った守備の残余からも、抗命に加わる兵の数が日を追って増えていく。

連合
 連合軍の側では、オクシレイン軍が阻止の任を引き受け、ゲザッセル中将が全体の指揮を執った。上空の網は航空戦闘母艦を軸に組まれており、重巡航艦と巡航駆逐艦が周囲を固める。スペクトルフリゲートが坑口から昇る排気の検知に回されたため、偵察の任に就いた主力戦闘機は迎撃にも振り向けられた。離陸の兆候を掴む手順にはB.N.S.データの照合が組み込まれており、地表の温度の差から滑走路の位置を絞る算段が立てられている。メレザ・レクネール常任最高議長は人道の見地から関与を決め、平和維持軍のFT2執行本隊が地上の展開を受け持ち、住民の収容にも人員を割いた。セトルラーム空軍は近接の支援にL3武装ヘリとセトライナーを充て、T-4の出撃を機体の温存を理由に最小限まで絞っている。第4世代ゾラテス級事象界域制圧艦が市域の上空に留め置かれ、三勢力の交信は同一の様式に揃えられた。

経過

 一連の行動は9月下旬の兆候の把握から12月の掃討まで続き、封鎖線を境として局面が移った。

察知
 共立公暦1008年9月下旬、連合の偵察艦隊が坑口へ運び込まれる貨物の列を捉えた。衛星の画像には緑の帯を巻いたキャニスターが写っており、荷役に就く兵の人数まで判別できる解像度が得られている。オクシレインの分析班は散布の後の気流を計算し、汚染が西方島の全域から海峡の対岸まで広がる見通しを報告した。センジュ大統領は緊急の閣議を招集し、大総統府にも同じ図面を回して支持を取りつける。増派はラムティス条約の踏破を理由としてフリートン大統領の裁量で決められ、連邦議会の反対も押し切られた。10月1日、連合軍は封鎖線を坑口ごとに詰め、監視の班を各入口に張りつける。10月の一月は滑走路の捜索に費やされ、瓦礫の下に均された路面の反射が航空写真の照合から浮かび上がったため、封鎖の班は坑口の見張りと並んで外縁の巡回にも就いた。地表の熱源の分布が三度にわたって記録されると、離陸の予定は11月の初旬と見積もられた。

出撃
 11月の初旬、秘匿の滑走路から護衛の戦闘機が先に上がり、旧式爆撃機が滑走に移った。連合軍の偵察機は動き出しの時点で機影を捉えており、三勢力の指揮所には離陸の映像が配られている。ステルスの装備を備えたセトルラーム空軍のT-4が高度を下げて接近すると、MQGMの斉射が護衛の編隊を割った。滑走中の爆撃機はオクシレイン軍機の機銃掃射で炎に包まれ、路面に残る機体によって後続の発進が塞がれる。上がり切った二番機以降は海側へ抜ける針路を採ったところで追撃を受け、山の稜線に沿って残らず墜ちた。第27特殊作戦連隊が炎の残る滑走路に突入したため、掩体に積まれた弾体は無傷のまま押さえられた。地下ではゼヴァンが射出機構の作動を令しており、面火力の投射が縦坑の口から始まった。単機で縦坑に取りついたオクシレインの戦闘機が射出口に爆弾を送り込むと、装填の途中にあった弾体が誘爆し、深層の区画は天井ごと崩れ落ちた。

坑道
 崩落の後、連合軍は残された坑道の掃討に移り、坑口ごとに編まれた班が地下へ降りた。深層の通路は瓦礫で塞がれており、ゼヴァンの所在は投射区画の残骸の下と見積もられる。押さえた弾体は識別の装具を着けた工兵が一本ずつ運び出し、封じたまま海上の処理艦まで送られ、船倉の隔離区画に納められた。国家戦略軍の残余は通路の分岐ごとに抵抗を続け、負傷した兵から順に投降の列に並んでいく。投降した兵は坑口の外で武装を解かれ、氏名の照合を経て後方の収容所まで移された。市街では武装した市民が街区の奥に立て籠もったため、街区ごとの制圧には日数が費やされている。掃討の途中で封鎖線に穴が開き、瓦礫の隙間に居着いた変異キメラが坑道の内側まで入り込む。12月に入って最後の街区が押さえられると、投射の手段が失われた旨は連合軍の司令部から公表され、市域の封鎖は年を越して続いた。

影響

 交戦の帰結は西方島の統治の形に及び、王党派の兵力の置きどころにも変化を残した。

西方島
 西部戦線に残っていた政権軍の投射の手段は、坑道の崩落によって尽き、地下の設備も瓦礫の底に沈んだ。連合軍は封鎖の任務を続けており、市街の駐屯地も坑口の見張りに合わせて増やされている。交戦の続いた一帯では防壁の多くが失われ、変異キメラの群れがユリーベル公国本島の全域に広がる事態を招いた。統治の主体である公国政府は連合軍に抗議を寄せ、名指しの対象はセトルラームに向けられている。本島中部に戦線を保つ公国軍は、内陸の集落ごとに駆除の部隊を配し、避難した住民の収容にも人手を割いた。周辺の海域は連合軍の手にあり、上空の警戒も同軍の機体が引き受けたため、本島から王都へ渡る航路は塞がれている。王都に送られていた公国の派遣部隊はヴェイル・グラウストラ元帥の手元に一括され、アリウス公王の指揮下で段丘の守りに就いたまま、本島へ戻る道を絶たれた。

余波
 造反の経緯は捕虜の尋問で明らかになり、大宰相の承認を欠いたまま計画が進められた顛末が、連合軍の記録に書き留められた。政権の内側では命令系統の分断が表沙汰となっており、地下壕から発する指令の効力を疑う指揮官が各地に現れる。前線に残る部隊では独断の行動を咎める声と、投射の見送りを説いた大宰相の判断を責める声が交わった。連合軍では三勢力の指揮を一本に束ねた手順が検証の対象に据えられ、停戦の後の駐留の分担を巡る協議にも各国の司令部から同じ手順書が持ち込まれる。メレザ・レクネール常任最高議長は市街の住民の被害を機構の総会で報告し、封鎖の継続を各国に求めた。オクシレイン軍は損耗を抑えて作戦を終え、機体の整備は本国の工廠に回された。王都圏の決着は第六次コルナンジェ攻防戦に持ち越され、王党派の兵力は段丘の街区に集まっていく。

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歴史
最終更新:2026年08月24日 09:31