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第四次コルナンジェ攻防戦


概要

 第四次コルナンジェ攻防戦は、第三次ロフィルナ革命の中期に起こった地上戦である。
王都コルナンジェの丘陵に開いた坑道と河筋の渡河点を戦場としており、コックス政権軍が段階を踏む攻略の第一歩に据えた。
共立史では、王都の飲み水の確保が争点に上がった交戦に数えられる。

戦力

 政権軍が組んだ攻略の計画は二つの段に分かれ、丘陵の坑口と河筋の渡河点を握る作業が先の段へ置かれた。コックス大宰相は、街区の路地へ踏み入った先鋒が三度にわたって包囲された経緯を重く見ており、突入の時期を翌年へ送る判断を下した。籠城の続く王都が坑道からの搬入で持ちこたえている以上、水と荷の経路を涸らした後であれば市街の抵抗は薄まると見込まれている。ヴァルヘラ州軍政府の中立宣言(事実上の敗戦)によって峠道からの鉱物が細ったため、押さえた坑口から掘り出した鉱石をグロノヴェイルへ送る算段も、大宰相府は同じ計画に加えた。前線へ出されたのは少人数の遊撃隊で、爆裂兵器の携行に加えて、坑内の作業に慣れた要員が班ごとに付けられている。作戦の指図では切羽の仕事に土地の坑夫を充てることとし、鉱石を麓へ下ろす手順も出発の前に示した。傘下の高速戦隊は河筋の艀を狙う任務を受け持ち、出撃の枠は燃料の残量に応じて決められる。迎える側では、鉱山の町の警備が麓の詰所に詰める少数の手に委ねられており、坑内で働く人員の大半を坑夫が占めた。王都直轄司令官ガルヴェイン・ゾルドリックの手元で丘陵へ出せる野戦の一隊は、海路の帰還を閉ざされたサンリクト公国の上陸部隊から抜き出された。アリウス公王は臨時政府の名で坑道の維持にあたる人手を街区ごとに割り当て、交代の順を役場の名簿から決めた。坑内の地下水を汲み上げる排水の装置と、上流で水を清める濾過の設備は、同じ経路の電力に繋がれている。

経過

 共立公暦1005年の交戦は、丘陵の斜面に開いた坑口で始まり、四週間の間に坑道の奥と河筋へ場所を移した。

坑口
 共立公暦1005年6月15日の未明、政権軍の遊撃隊が鉱山の町に入り込み、斜面に並ぶ坑口のうち三つを占拠した。爆裂兵器で巻き上げ機の櫓が倒されると、坑内から荷を引き上げる作業は同じ日のうちに止められた。町の住民は坑木を担いで斜面を下り、麓の詰所へ占拠の報せを届けた。ガルヴェインは公国の上陸部隊を丘陵へ差し向け、稜線の裏手から鉱山の町へ回り込む経路を選ばせている。6月18日、坑口の周りには携行式ロケットランチャーが据えられ、坂を上る装甲車両の側面が焼かれた。遊撃隊は捕らえた坑夫を横坑の切羽に立たせており、掘り出した鉱石は麓の車列へ運び下ろされる。公国の将兵は斜面の岩場に伏せたまま夜を待ち、灯りを消した状態で坑口の一つに取りついた。6月22日、三つの坑口のうち二つが取り返されたものの、奥へ通じる横坑は遊撃隊の手に残された。麓の詰所には坑内から運び出された負傷者が並び、手当ての順序は傷の深さから決められた。

浸水
 6月23日から、交戦の場は坑道の奥へ移り、地表の斜面には見張りの班だけが残された。政権軍の遊撃隊は排水の装置を破壊しており、坑底に溜まった地下水は横坑の低い側から水位を上げていく。坑夫を案内に立てた公国の部隊は、水に浸かった坑道を胸まで進み、支柱の陰に隠れた相手と至近で撃ち合った。灯りの油が尽きた区画では手探りの移動が続き、方角の判断は坑木の刻みから読み取られる。7月1日、水圧を受けた支柱が折れ、横坑の一区間が崩落した。坑内で作業に就いていた住民が生き埋めとなり、掘り出しの人手は街区の班から集められる。上流の排水が濾過の設備を経る前に河筋へ流れ込むと、街区の役場は水道の使用を止めた。艀による夜間の輸送が水の運搬を受け持ったところ、高速戦隊の機体が渡河点の上空に現れ、係留された艀に機銃を浴びせている。7月5日、渡河点の橋頭堡が遊撃隊の急襲を受け、荷役の場は上流の浅瀬へ移された。

搬出
 7月6日、直轄軍は予備役の装甲部隊約9万人を丘陵の街道に投入し、稜線の裏手に伸びる遊撃隊の連絡線を断った。斜面を登る車両は坑口の手前で隊列を解き、岩場の伏兵は歩兵の手で一つずつ潰されていく。7月8日、共立機構国際平和維持軍は武装解除区域を丘陵の街道まで広げ、通行する車列の積荷を改める措置に踏み切った。鉱石を積んだ荷は臨検の枠を避けて稜線の裏側へ回され、夜のうちに西の州境へ送り出される。搬入の車列は民主革命ロフィルナ軍にも狙われており、双方の手に渡る弾薬の量はさらに削られた。7月10日、坑内の水位が下がり始め、閉じ込められていた遊撃隊の一部が坑口から投降する。7月11日、丘陵と坑道の各所で退路を断たれた政権軍では、四週間の交戦を通じて約7万人の将兵が失われた。7月12日、残る部隊は横坑の支柱を爆破して坑道を潰し、鉱石の車列を連れて西の街道を退いている。コックス大宰相は、街区への突入を翌年の段に置く方針を指揮官に示した。

影響

 交戦の帰結は王都の飲み水の確保に及び、双方が翌年へ向けて整えた備えにも形を残した。

水利
 四週間の交戦によって、民間人の死傷者は約18万人に達した。水道の再開には濾過の設備の据え直しが要件とされ、街区は負担金を集めて上流の区画から順を決めた。復旧までの間の飲み水は上流の浅瀬から艀で運ばれ、街区ごとの割り当ては人数から定められる。鉱山の町を離れた住民は河岸の段丘へ移り、斜面の平場に仮の住まいを組み立てた。段丘に移った住民の名簿は麓の詰所で作り直されており、水の受け取りに用いる札は世帯ごとの人数を記した上で配られた。水番の当番が仮の住まいの並びを回り、汲み置きの桶へ順に水を注いでいく。爆破された横坑は水没したまま残され、迂回の斜坑を掘る作業は秋まで持ち越された。坑道からの搬入の量は交戦の前の水準を割り込み、市街の工房は鋳直しに回す屑鉄の確保を先に置く。斜面の巻き上げ機は、櫓の残骸を除いた場所から組み立て直された。

戦備
 政権軍が運び出した鉱石は臨時兵器工場の炉に入り、弾薬の生産は年内の水準を保った。大宰相は王都への突入を翌年の段に据えたまま、水と荷の経路を涸らす方針を保っている。王都の側では坑口ごとに守備の班が置かれ、坑夫の召集を後回しにする措置も臨時政府の名で定められた。司令官府は丘陵の守備を公国の上陸部隊へ移し、直轄軍の常備軍を関門の警備に戻した。糧食の支給は王国の負担で賄われ、帳面には公国の部隊名が別項として書き加えられた。公国の将校は司令官の会議に席を得たが、街区の班長との間では守備の分担を巡る食い違いが続いた。臨時政府は坑口の守備に就く班へ灯りの油を優先して配っており、街区に回る分は夜の時間を短くする形で切り詰められた。詰所の名簿には、坑夫と守備の班が別の欄で記された。稜線の見張りは坑口を見下ろす位置へ移され、麓の街道を上る車列の数が詰所に報される。

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歴史
最終更新:2026年08月22日 13:00