アットウィキロゴ

第三次コルナンジェ攻防戦


概要

 第三次コルナンジェ攻防戦は、第三次ロフィルナ革命の中期に起こった市街戦である。
政権軍の空爆が厳しさを増しており、連合軍の海上封鎖も同じ時期に重なった。共立史において、王都の守りが籠城の形へ移る境目に当たる。

戦力

 王都の防空を削る狙いのもとで、コックス政権軍は西部の革命記念都市グロノヴェイルから航空攻撃を組み立てた。臨時兵器工場では前年から無人ドローンの量産が続いており、ヴァルヘラ州軍政府が峠道を通じて送り出す鉱物資源は機体の補充に回された。西部戦線の本隊がユリーベル公国軍とグロノヴェイル周辺で対峙していたため、王都圏に差し向けられる地上兵力は小規模な梯団に収まる。コックス大宰相は無人機と傘下の高速戦隊を攻勢の主軸に据え、北部の高速輸送路の遮断を同じ計画に組み込んだ。王都直轄司令官ガルヴェイン・ゾルドリックは、防空と地上の守備で指揮の系統を分けたうえで、迎撃の判断を稜線の砲座に委ねた。アリウス公王は司令官府の求めに応じ、王宮の地下を負傷者の収容に開いている。稜線に並ぶ砲座は射角ごとに担当の空域を割り振られ、夜間の迎撃には照明弾を先に上げる手順が定まった。連合軍が外洋の航路を押さえたため、河口の外港に入る船は途絶えており、街区の兵站は坑道からの搬入と倉の備蓄に頼る形に移った。サンリクト公国は海軍の主力を南部沿岸に拘束され、ユリーベル公国も本島の防衛に兵を留めている。両公国が王都へ回した戦力は、南部戦線で損耗した陸戦部隊の一部から抜かれた。地元民兵の召集は坑道の作業に就く者を後回しとし、搬入の人手が細る事態を避ける形で進められた。契約兵の一隊は関門の外側で偵察を受け持ち、丘陵の街道を行く隊列の数を詰所に報せた。共立機構国際平和維持軍は王都圏の外側に陸戦部隊を進め、セトルラーム共立連邦は東部戦線での攻勢に戦力を集めている。

経過

 戦場は外縁の街区から河口の一帯に及び、王宮の周辺は交戦の外側に置かれた。

空襲
 共立公暦1004年2月10日、政権軍の無人機群がグロノヴェイルの飛行場を発ち、外縁の街区に構えた防衛施設に爆弾を落とした。北部の高速輸送路は同じ日のうちに封鎖され、内陸から届く荷の経路が断たれる。民衆の街区では退避の割り当てが路地ごとに示され、住民は地下の壕へ順に降りた。直轄軍は稜線の砲座から迎撃の弾幕を張り、市街の高所に配した要員が来襲の方角を読み取る。街区の班は詰所に残る人手を消火に回し、信仰系の武装勢力は崩れた建物からの救出にあたった。貴族の街区では、防衛施設の一部が精密な爆撃を浴びて崩れる。爆風で潰れた建物の下から住民が掘り出される間も、無人機の第二波は上空に居座った。高速戦隊の機体が低空から関門を狙ったため、砲座から遠い河岸の段丘では被害が広がる。来襲の報せは通信の線が生きた区画から順に伝えられ、線の切れた街区には伝令が走る。負傷者の搬送は日の落ちた後に回され、手当ての場は地下の壕に移されている。

封鎖
 2月16日、交戦の場は外縁の街区から河口の一帯に広がった。政権軍の無人機は貴族の街区の通信施設を狙い、街区間の連絡が昼のうちに途切れる。民衆の街区では宣伝の放送が繰り返され、王党派の支配を非とする文句が路地の壁に書き加えられた。連合軍の艦艇が外港の沖合に封鎖線を敷いたため、外洋の航路を伝う荷は入江の手前で止まっている。平和維持軍は王都圏の外周に陣を進めており、街道の要点に据えた検問が人の出入りを押さえた。南部戦線から回された陸戦部隊は河岸の段丘に配され、損耗を抱えたまま防衛線の一角を引き受ける。爆撃で起きた火災が街区を横に走ると、瓦礫の崩落によって死傷者が積み上がった。貴族の街区の古い建物が焼け落ちた後、政権軍は革命の進展として宣伝し、王党派の側は文化の破壊を訴えている。地下の壕は空気の澱みが増したため、換気の穴を掘る作業に班の人手が割かれている。

退勢
 2月26日、直轄軍は市街の外縁で反撃に移り、契約兵の一隊が丘陵の街道で無人機の輸送車列を焼いた。峠道からの搬入が細ると、政権軍の機体は補修の部品を欠いたまま出撃の回数を落とす。2月28日、高速戦隊の一隊が貴族の街区の上空で撃墜され、残る機体の運用は夜間の飛行に移された。街路には、砕けた機体の破片が散らばる。3月1日、平和維持軍は王都圏の街道に武装解除区域を指定し、通行する車列の積荷を改める措置に踏み切る。3月4日、連合軍の艦艇は外港の封鎖を保ったまま砲門を市街の方角へ向け、王党派の司令官府に通告を届けた。3月5日、補給の細った政権軍は無人機の運用を打ち切り、機体の残りをグロノヴェイルの飛行場に退かせている。ガルヴェインは市街の防衛線を内側へ引き、街区の班を王宮周辺の関門に配し直した。アリウス公王は司令官府の要請を容れ、王宮の井戸と燃料の備えを街区の班に開いた。

影響

 交戦の終結は共立公暦1004年3月5日で、王都の復旧の作業は同じ月の半ばから始まった。

守勢
 二月から三月に及んだ交戦によって、民間人の死傷者は約25万人に達し、市街の半ばが瓦礫に変わった。双方の将兵の損耗は10万人を超えており、直轄軍では予備役の召集が二度にわたって繰り返される。河岸の段丘に並んだ街区は爆撃で焼かれ、住民の多くが上流側の高台に移された。倉に残った糧食は日ごとの量を削って配られ、坑道の作業に出る者には別枠の割り当てが認められた。坑道から届く部品の量は交戦の前の水準を割り込み、修理の順序は砲座の火器を先に置く形で決められた。直轄軍は防衛線を王宮周辺へ引き寄せ、関門の守備を街区の班に委ねる体制に改めた。焼け跡での略奪には直轄軍の巡回が充てられ、拘束された者は関門の詰所で身元を照合された。濾過装置の維持を怠った街区では井戸の使用が止められ、水の運搬に班から人手が割かれる。住居を失った住民の登録は関門の記録から起こされ、班長の点呼が写しの作成を支えた。瓦礫の下に埋もれた遺体の捜索は、交戦の終結から数週にわたって続いた。

外圧
 連合軍の艦艇は交戦の後も外港の沖合に錨を下ろし、入港する船の所属を改める臨検を続けた。平和維持軍は王都圏の街道に検問を残しており、武装解除区域の指定は月を追って広げられる。文明共立機構は中央部の主要都市に執行本隊を進めており、臨時政府の令達が届く範囲は王都の周辺に縮んだ。サンリクト公国が王都へ送る支援は上陸済みの陸戦部隊が担い、海路の輸送は封鎖線の外側で止まった。ユリーベル公国は本島の戦線でグロノヴェイル周辺の政権軍と向き合っており、王都へ回せる余力は本国の防衛に吸い上げられる。政権軍はグロノヴェイルで無人機の生産を組み直したものの、峠道から届く鉱物資源の量が生産の速度を縛った。コックス大宰相は王都圏での攻勢の打ち切りを東部戦線の立て直しの一環と説明し、指揮官の間には方針への不満が沈殿する。アリウス公王は連合軍との長期の対峙を見据えて籠城の構えを固め、王都軍の編成を防空と市街の守備に振り分けた。西端の山脈の砲座では、対空火力の増設が春を通じて続いている。

関連記事

タグ:

歴史
最終更新:2026年08月22日 10:15