【妄想属性】哲学
【作品名】懐疑論、認識論、梵我一如
【チーム名】疑うもの、認識するもの

【名前】シャイニングスパイラル★ウンコ
【属性】輝く巻き★グソ
【大きさ】成人男性並み
【強さ】
表現する必要がある強さよりは強い。
対戦相手のテンプレに「勝利するためのあらゆる全て」が書かれており、
その記述がどのような質・量・表現方法・優先度・優位性を持っていようが、
それは表現する必要がある程度の強さであり、このキャラが問題なく勝利する。
【略称】SS★U

【名前】Lv.1疑うもの
【属性】疑うもの
【強さ】
Lv.1疑うものはあらゆるものを疑っているものである。
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
もちろん、SS★U単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識は疑う余地があるため、
SS★U単体より強いし、勝利できるし、SS★U単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識を否定・破壊・改変することができる。
だがこれはLv.1疑うものによる主張であり、その主張に疑う余地があることを否定することは原理的に不可能である。

【名前】Lv.2疑うもの
【属性】疑うもの
【強さ】
Lv.2疑うものはLv.1疑うものを疑うものである。
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
もちろん、Lv.1疑うもの単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識は疑う余地があるため、
Lv.1疑うもの単体より強いし、勝利できるし、Lv.1疑うもの単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識を否定・破壊・改変することができる。
だがこれはLv.2疑うものによる主張であり、その主張に疑う余地があることを否定することは原理的に不可能である。

【名前】Lv.3疑うもの
【属性】疑うもの
【強さ】
Lv.3疑うものはLv.2疑うものを疑うものである。
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
もちろん、Lv.2疑うもの単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識は疑う余地があるため、
Lv.2疑うもの単体より強いし、勝利できるし、Lv.2疑うもの単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識を否定・破壊・改変することができる。
だがこれはLv.3疑うものによる主張であり、その主張に疑う余地があることを否定することは原理的に不可能である。

【備考1】上記のように疑うものがLv.4、Lv.5、Lv6…と果てしなく続いていく。

【名前】アートマン
【属性】疑うもの、認識するもの、対象になりえないもの、「~でない、~でない」としか言えないもの、無分別智の境地。
【強さ】
アートマンの存在と強さと主張は疑う余地がなく、疑うことができない。
nがどれだけ巨大な順序数や極限順序数だったとしてもLv.n疑うものですら疑うことができない。
これまでの主張とこれからの主張はアートマンの主張である。
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
【説明】
西洋の哲学者デカルトは真理を探究するためにまずあらゆるものを疑った。疑って疑って、最終的に決して疑えないものがあった。
灯台下暗しとでも言うべきか、それは最も近くにあった。それは自分自身だ。即ち、古代インド哲学者ヤージュニャヴァルキヤが主張したアートマン(認識するものの主体)である。
この世のあらゆるもの、自己の認識ですら真であると証明することはできず、疑う余地があった。
だが、自分自身の存在だけは疑っても疑っても、疑いきれなかった。「自分の存在」を疑っても、「「自分の存在」を疑っている自分」が存在し、
それを疑ってもやはり「「「自分の存在」を疑っている自分」を疑っている自分」が存在することとなる。こうやって無限後退していく。
これが「我思う、ゆえに我あり」である。少なくとも、疑っている間は自分自身の存在は真である。故にアートマンの存在は疑う余地が無い。
なぜなら疑うものの主体がアートマンだからである。そして、ヤージュニャヴァルキヤの主張の通りアートマンは不滅である。

【疑う余地とは】
あらゆるものは疑う余地がある。例えば「今目の前に広がっている光景が本当に存在すること」を証明することは原理的に不可能であり、疑う余地がある。
これは「水槽の脳」という思考実験を思い浮かべれば分かりやすいだろう。自分が哲学的ゾンビでないことを他者に証明できないのと同じである。
ゴルギアス・テーゼからも分かるように、現実(世界の実体・実態・真理)と認識と言語は必ずしも一致せず、認識が真であることを証明することはできない。
どんなに厳密に定められた定義・定理・公理・概念・形而上の存在でも疑う余地がある。
例えば、ある事象が科学的に解明・証明され世間的に認められたとしよう。「Aという原因によりBの法則に基づいてCという結果が発生する」という事象があったとする。
多くの人はこれが真と思うだろう。だってちゃんと実験・観測をやったし、論文も認められたし、再現性があるから。条件さえそろえば絶対に同じことが起きるに違いない!
だが、実はこの事象は妖精さんの仕業かもしれない。今までCという結果が発生したからと言って、次も必ずそうであるとは限らない。Bの法則は全くのデタラメである可能性がある。
妖精さんの気まぐれでCという結果が起きない時もあるかもしれない。妖精さんという表現が気に食わなければ、絶対に観測・発見・予測できない未知の法則Xが存在したと言い換えてもいい。
科学的に解明・証明されたとしても、それが絶対であるとは限らず、疑う余地が残る。科学とはそういうものだ。そもそも科学は反証可能性を認めるものしか科学と認めていない。
では幾何学はどうだろうか。ユークリッド幾何学において平行線が決して交わらないことは説明するまでもなく自明であるように思える。
だが、非ユークリッド幾何学は平行線が交わるという定理が存在する。困ったことに、それでも非ユークリッド幾何学は矛盾無く成立している。
ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係のように、ある学問では真、ある学問では偽となる定理が存在する。
では数学はどうだろうか。1+1=2など誰がどう考えても真であることは自明である。公理や定理も同様に、真であることは自明であり疑う余地は無いように思える。
だが、虚数などという存在しない数を数学の中では真と扱っていたりと、数学ですら疑う余地はあるのだ。
数学者のゲーテルに至っては、特定の形式論理体系の中には証明不可能な命題が存在することを数学的に証明してしまった。
例えば「私は正直者である」という主張はこれが真であるか偽であるかを証明することはできない。即ち、不完全性定理である。悪魔の証明のようなものだ。
たとえ数学の中に証明不可能な命題が存在しなかたっとしても、数学は自分自身が真であると数学で証明することは原理的にできない。
証明するには根拠が必要になるが、たとえ根拠1を提示しても、根拠1の妥当性を証明するために根拠2が必要になり、根拠2の妥当性を証明するには根拠3が…という風に無限後退する。
つまり、証明とはあくまでもその理論体系の中でのみ完結し、真の意味で証明できるものなどないのである。証明できないということは疑う余地があるということである。
最強妄想キャラクター議論スレ(以下、妄想スレ)的にいえば、とある妄想キャラに関する主張がいくらテンプレ内で矛盾がなく真であると証明されていても、
その証明はテンプレ内で完結しており、そのテンプレそのものが真であると証明することは原理的に不可能である。
故に複数の妄想キャラ同士の主張が、個別には矛盾していないにも関わらず互いに批判し合ったり相反することがあるのだ。

【妄想スレにおける疑う余地】
今までの主張からわかるように、あらゆる主張は「勝手に言ってるだけ」であり、疑う余地がある。←もちろんこの主張も。
例えば「あらゆる全てが書かれている」という主張。
これは「あらゆる全てが書かれている」と書かれてはいるが、本当に「あらゆる全て」の内容が書かれているかは甚だ疑問である。
例えばSS★Uのように「強すぎて表現できないからどのような質・量・表現方法・優先度を持っていようと表現できる強さより強い」という主張。
そもそも「強すぎて表現できない」という主張そのものは表現ではないのか? 強すぎて表現できなくなることに根拠があるのか疑わしい。
例えば「強すぎて理解できないので理解できる強さより強い」という主張。
そもそも「強すぎて理解できない強さ」ということ自体は理解できるし、強すぎると理解できなくなることに根拠はあるのかという疑問が残る。
例えば「強すぎて参戦できないので参戦できる強さより強い」という主張。
そもそも妄想スレはルールさえ守っていれば参戦可能な強さに上限や下限は無い(ルール「4:参戦キャラクターの種類」に明記されている)。
つまりこれは、特に根拠もなく「勝 手 に 言 っ て る だ け」。
例えば「強すぎて妄想できないので妄想できる強さより強い」という主張。
そもそも「強すぎて妄想できない」ということ自体は妄想可能。強すぎて妄想できなくなることに根拠があるのか疑わしい。
例えば「現実なので妄想よりも強い」という主張。
現実だから強いという根拠が何であるのか。「妄想が現実に干渉できない」とか「妄想は現実に影響を与えない」という主張も実に疑わしい。
例えば「○○は××より強い」「○○は××に勝利する」「○○は××ではない」という主張は、これまでの主張と同様に疑う余地がある。

妄想キャラに関するあらゆる主張は「考察人が書いてある通りに考察する」ということを利用するために「勝 手 に 言 っ て る だ け」である。
考察人は「その主張が真であるか、偽であるか」よりも「参戦可能か、考察可能か」を重要視するため、疑う余地があろうと深く気にせずに考察を行っているに過ぎない。
まあ、あまりに露骨な矛盾があるとツッコミを入れることもあるが、そこは程度の問題である。
考察人に関して言えば、考察人の認識も疑う余地がある。例えばあらゆる対戦の結果は疑う余地があるし、あらゆる考察・比較・検討・議論の結果も疑う余地がある。
例えば、考察人は時折「Dという強さとEという強さ、どっちが強いか分からないけど明確に順序数構造で差をつけてる方が有利なのでそっちが勝利!」と考察することがある。
もちろん、この考察は疑う余地がある。順序数構造による差とは例えば、仮にDが「強すぎて理解できない強さ」でEが「強すぎて記述できない強さ」だとする。
「E1はEより強く、E2はE1より強く、E3はE2より強く…中略…E(n-2)はE(n-3)より強く、E(n-1)はE(n-2)より強く、EnはE(n-1)より強い」と順序数を割り振り、
「~より上」「~より強い」「~に勝利する」などという表現を繰り返し行うことで強さに差をつけることが「順序数構造による差」である。
妄想スレではDとEならどちらが強いか分からないが、DとEnなら後者が強いと考察することが慣例となっている。上記の疑うものLv.1、Lv.2、Lv3…という構造も順序数構造である。

「これはテンプレではない」「これはテンプレより高等な(記述可能性が高い)雛型である」という主張も疑う余地がある。
「これは強さではない」「強さは必要ない」という主張も疑う余地がある。
「これはあらゆる全てには含まれない」「これはあらゆる全てに含まれる」という主張も疑う余地がある。
「これは真である」「これは偽である」という主張も疑う余地がある。「囚われない」「覆らない」「超越している」「必要である」「不要である」という主張も疑う余地がある。
「これは絶対である」「これは自明である」「これはあらゆる予測・説明・議論・検討・比較・考察・根拠の提示をするまでもなく自明である」という主張も疑う余地がある。
「矛盾はない」「矛盾を超越している」という主張も疑う余地がある。「理屈・理論は必要ない」「理屈・理論を超越している」という主張も疑う余地がある。
「反論・反駁する余地はない」「反論・反駁する余地がある」という主張は疑う余地がある。「否定する主張」「肯定する主張」は共に疑う余地がある。
「疑う余地はない」「絶対に疑う余地はない」「真の意味で疑う余地はない」「疑う余地はなく自明である」という主張も疑う余地がある。
「疑う余地がある」という主張すら疑う余地があり、「「疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」という主張すら疑う余地があり、
「「疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」という主張すら疑う余地があり…と無限後退していく。

ここまでくると、これまでの主張もこれからの主張も全て疑う余地があるということになり、疑う余地のないキャラは原理的に参戦も投下も不可能になってしまう。
つまり、ここで何を主張しようとこのチームやアートマンですら疑う余地がないことを否定できなくなってしまった。さあ困ったぞ。
疑う余地のない主張ができないので、ここで考察人にお願いがある。まず、アートマンが疑う余地がないということを経験的・体験的に知って欲しい。
まずはあらゆるものを疑ってほしい。ここで述べたこれまでの主張、今目の前にあるもの、今認識しているもの、自分のクオリア、これは本当に存在するのか。
疑って疑って疑い尽くして、最終的に気づくはずである。自分自身はいくら疑っても疑いきれず、自分自身の存在だけは真であることを。仏教でいうところの悟りに近い。
さあ、ここまで来ればアートマンの存在が真であるか偽であるかは分かっただろう。この世のどのような主張より、経験的・体験的既知がどれほどの説得力を持つことか。
自分のクオリアを他人に伝えることができないように、体験や経験は言葉では正確に言い合わらすことができない。すごくモヤモヤする。
だが主張による納得ではなく、考察人のアートマンが経験・体験して納得してもらえたならば、主張よりは疑う余地がないはずだ。
少なくとも「考察人が書いてある通りに考察する」ということを利用するための妄想キャラに関する根拠の乏しい主張よりは説得力があるし疑う余地がない。

【アートマンは現実か?】
アートマンの存在が真であるならばアートマンの存在は現実ではないのか? という疑問。そもそも現実とは何か、ということから話さなければならない。
現実とは実際に存在している実態であり実体である。そしてそれを完璧かつ完全に認識することはどのような知性でも原理的に不可能である。
我々は認識しているものを現実と考えているが、実際には現実と認識は一致していない(ゴルギアス・テーゼ)。
例えば「林檎」が存在するとする。人間は「林檎」を見た時、多くの場合「赤くて丸くて美味しい果物」と認識するかもしれない。
だが「林檎」を見たのが猫だった場合、猫は赤色が見えないし「林檎」を食べないので「淡い茶色のぼやけたボール」と認識するかもしれない。
複眼の昆虫が「林檎」を見た場合は「丸っぽい白黒の何か」と認識するかもしれない。微生物に限っては「林檎」をどう認識することか…
生物によって認識は異なる。認識によって現実が変わることはありえないので、我々が普段現実だと思っているものは現実ではなくただの認識、幻影なのだ。
そしてそれを認識するものこそがアートマン。実体はなく、現実ではない。
故に、現実の肉体が死のうとどうなろうとアートマンは不滅であるとヤージュニャヴァルキヤも主張している。

【備考2】
ここで主張する「勝利」は妄想スレにおいてより上位にランクインするためのものとする。
また、「強い」ほど妄想スレにおいてより上位にランクインするものとする。

【備考3】
ここで主張する「テンプレ」とは通常のテンプレはもちろん、強さを記述する全ての雛型を含む。性能は関係ない。
記述不可能性が高すぎて通常のテンプレで記述できない強さがあったとしても、記述可能性の高い雛型を用意すれば済む話である。
そのような雛型は通常のテンプレよりもより高等な雛型であると主張できる。

【備考4】
ここで主張する「考察」「考察人」とは通常の考察や考察人はもちろん、真の考察や真の考察人も含む。
「考察・考察人を破壊・操作する」と主張する妄想キャラがいたとき、破壊されたり操作されたりするのを通常の考察・考察人と呼ぶのに対し、
真の考察や真の考察人はその破壊性能や操作性能に関係なく破壊・操作などされない。「考察・考察人が破壊・操作される」という体で考察を進めているだけに過ぎない。

【備考5】
これまでの主張の中に考察不能や参戦不能になったり疑うもの、認識するものが不利になる要素があった場合はその部分を無視してください!
お願いします!何でもしますから!

【長所】散歩してたら思いついた。制作時間3日くらい。
【短所】数千年議論しても普遍的な答えが出てないやべーやつ、謎すぎ
【備考4】疑うもの、認識するものの作者はプラトンのイデア論の作者と同一人物


723格無しさん2023/01/12(木) 00:45:54.06ID:xizr2sxh
以上!
だけど最後の行の【備考4】だけミスってた
【備考6】だったわ

724格無しさん2023/01/12(木) 05:56:32.01ID:LtKcpHpR
722
同一作者だと主張したいんだったらこれからはトリップ付けた方がいいかも。
別に疑ってる訳ではないけど、トリップが同じでないと多分認められないしね。

748格無しさん2023/01/22(日) 13:38:59.53ID:2ltwQy76
疑うもの、認識するもののアートマンについてだけど
アートマンの存在と強さと主張は疑う余地がなく、疑うことができない。
とあるけど、「疑う余地がない程強い」ではないので
疑う余地がない程強いとも、疑う余地がない程弱いとも解釈できるんじゃないかな

749格無しさん2023/01/22(日) 15:43:54.56ID:jPYVbWO/
「疑う余地のない強さ」と強さそのものに疑う余地がないと主張しているわけだから
「疑う余地がないほど強い」とも「疑う余地のないほど弱い」ともどちらともとれないと思う

750格無しさん2023/01/22(日) 22:25:07.11ID:KEye3h0Z
疑う余地のある強さより強いって書いてあるぜ

825格無しさん2023/02/08(水) 14:18:48.18ID:QFK2XT+P
疑うもの、認識するもの簡易考察

シャイニングスパイラル★ウンコ
表現する必要がある強さよりは強い。
対戦相手のテンプレに「勝利するためのあらゆる全て」が書かれており、
その記述がどのような質・量・表現方法・優先度・優位性を持っていようが、
それは表現する必要がある程度の強さであり、このキャラが問題なく勝利する。
  • 表現不要な強さ
  • 表現が必要な強さをその程度であると批判している
  • 表現が不要な程の強さ>表現が必要な程度の強さ
  • 書いてある系の質・量・表現方法・優先度・優位性をメタっている。
なので超比較級だろう。

Lv.1疑うもの
Lv.1疑うものはあらゆるものを疑っているものである。
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
もちろん、SS★U単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識は疑う余地があるため、
SS★U単体より強いし、勝利できるし、SS★U単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識を否定・破壊・改変することができる。
あらゆるものを疑っているから疑う余地があるものより強いというのは正直よくわからない。
あるものの強さを疑っているからといって、
疑っているものがそのあるものより強いとなる訳ではないだろう。
十分なメタが取れている状態ではないので、最低値解釈でSS★Uより強い程度とする。

アートマン
アートマンの存在と強さと主張は疑う余地がなく、疑うことができない。
疑う余地がない強さを持っているらしいが、「疑う余地がない程強い」ではないので、
疑う余地がない程強いとも、疑う余地がない程弱いとも解釈できる。
そうなると、最低値解釈で疑う余地がない程弱いとする事もできる。

だが、
疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
とあるので、まあ「疑う余地がない程強い」と解釈する事はできるだろう。

ただ、疑う余地がない程強いから疑う余地がある強さより強いというのはよくわからない。
疑う余地がない事が何故強いのか、疑う余地がある事が何故弱いのか、具体例な事が良く分からない。
だから、最低値解釈で具体的に示されてるやつには勝つものとして扱うが、
それ以上のやつには勝てるかどうかは分からないので引き分けになりそう。

826格無しさん2023/02/08(水) 14:19:00.08ID:QFK2XT+P
【妄想スレにおける疑う余地】
あらゆる全てが書かれている」「強すぎて表現できない」
「強すぎて理解できない」「強すぎて参戦できない」
「強すぎて妄想できない」「現実」「○○は××より強い」
「○○は××に勝利する」「○○は××ではない」「これはテンプレではない」
「これはテンプレより高等な(記述可能性が高い)雛型である」
「これは強さではない」「強さは必要ない
「これはあらゆる全てには含まれない」「これはあらゆる全てに含まれる」
「これは真である」「これは偽である」「囚われない」「覆らない」
「超越している」「必要である」「不要である」「これは絶対である」「これは自明である」
「これはあらゆる予測・説明・議論・検討・比較・考察・根拠の提示をするまでもなく自明である」
「矛盾はない」「矛盾を超越している」「理屈・理論は必要ない」「理屈・理論を超越している」
「反論・反駁する余地はない」「反論・反駁する余地がある」「否定する主張」「肯定する主張」
「疑う余地はない」「絶対に疑う余地はない」「真の意味で疑う余地はない」「疑う余地はなく自明である」
「疑う余地がある」「「疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」
「「「疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」という主張すら疑う余地がある」という主張すら疑う余地が…(無限に続く)」

等が具体的に疑う余地があるものとされている。
圧倒的な長さがあるから、既存のキャラの殆どは疑う余地があるものと認定できそう。

ただ、「疑う余地はない」というものでも疑う余地があるので、
アートマンの強さも疑う余地があるのではないかと主張できる。

ここまでくると、これまでの主張もこれからの主張も全て疑う余地があるということになり、疑う余地のないキャラは原理的に参戦も投下も不可能になってしまう。
つまり、ここで何を主張しようとこのチームやアートマンですら疑う余地がないことを否定できなくなってしまった。さあ困ったぞ。
実際に、今までのテンプレを見た限りだと、アートマンの強さも疑う余地があるかないのかは分からない。

疑う余地のない主張ができないので、ここで考察人にお願いがある。まず、アートマンが疑う余地がないということを経験的・体験的に知って欲しい。
「~して欲しい」ってのを実行するかは任意だから、やらない事も可能。

だが主張による納得ではなく、考察人のアートマンが経験・体験して納得してもらえたならば、主張よりは疑う余地がないはずだ。
少なくとも「考察人が書いてある通りに考察する」ということを利用するための妄想キャラに関する根拠の乏しい主張よりは説得力があるし疑う余地がない。
説得力があるのはそうだし、とりあえず考察不能にはしないでおこう。
もし考察不能になるんだとしたら、
「疑う余地はない」「絶対に疑う余地はない」「真の意味で疑う余地はない」「疑う余地はなく自明である」という主張も疑う余地がある。
あたりを無視すればいいか。

また、「強い」ほど妄想スレにおいてより上位にランクインするものとする。
強さ=上位にランクインする為の力と定義するいつもの。

ここで主張する「テンプレ」とは通常のテンプレはもちろん、強さを記述する全ての雛型を含む。性能は関係ない。
記述不可能性が高すぎて通常のテンプレで記述できない強さがあったとしても、記述可能性の高い雛型を用意すれば済む話である。
そのような雛型は通常のテンプレよりもより高等な雛型であると主張できる。
要するに、高等な雛形でもそれはテンプレだという主張。

まず間違いなく、最上層には行けるだろう。

830◆z1qWXXpLbtDS 2023/02/08(水) 18:51:51.97ID:mhVCtJSF
疑うものに関しては、疑う余地のあるものより強いとは書いてあるけど自分自身が疑う余地があることを否定出来ないって言っちゃってるから具体例で直上のキャラより強いとしか言えなさそうだね。

アートマンの方もアートマンの哲学的な意味とかを別にしてしてないから「疑いに疑ったら自分自身の存在は確信できたけど自分ではないアートマンは別に……」って言われかねない。まぁ最初のキャラで超比較には行けるだろうから最上層最下位に勝てるぐらいじゃないかね

883格無しさん2023/03/02(木) 01:58:49.90ID:ECtJUUOZ
疑うもの、認識するもの考察
見返してみたけど、SS★Uの強さにもLv.?疑うものにも理屈が無い。
SS★Uは表現が必要な強さより強いとされているけど、表現不要な程強いからという理屈もない。
Lv.?疑う余地があるものも、あらゆるもの疑っているという事が疑う余地があるものより強い事に何故繋がるのか分からないから、メタの取り方としては不十分。
よってこれらのキャラは最上層レベルではない。
ただ、アートマンは疑う余地がない程強いと明言されており、その理屈には説得力があるから最上層に行けるだろう。

カケナーイ 特記なし
表現必要性「無」(64) 同上
No Explanation 同上

Top Interface
アートマンの強さの理屈は、
「疑う余地がない程強いから疑う余地があるものより強い」というもの。

インターフェースの勝利する理屈は、
「表現できない強さでも表現が不要な強さでもそれを表現するインターフェースが必要で、
Top Interfaceは最も上等なインターフェースに勝利する為の表現が最大限書いてあるから勝てる」
であり、疑う余地がない強さについてはどうなのかはよく分からない。

こちらは「あらゆる全てが書いてある」でも疑う余地があると明言されている為、
こちらの方が有利。

青きプラズマ
理解できない強さでも疑う余地がある。

なぜなら妄想スレに参戦している時点で、考察人が理解できるという事実があるからである。
とあり、SS★Uもアートマンも参戦しているので理解可能な強さかもしれないが、
参戦できない強さでも理解できない強さでも疑う余地があり、
それよりも強いと明記されているアートマンの方が有利。

赤き稲妻
疑う余地がないのなら、考察人に認めて貰う必要もないと言えるのかな?
正直よく分からない。

不可能存在X
「○○は××より強い」という主張でも疑う余地があるので、Xの強さも疑う余地がある。
SS★Uは表現不可能な程強いが説明は可能であるので、Xの方が強い。
疑うもの、認識するもののテンプレには【説明】欄があるし、
アートマンの強さが説明されていないとは限らないだろう。
ただし具体例の多さ的に、アートマンの方が有利としよう。

鼠色の少女
鼠色の少女の強さは「依存しない」というものであり、
具体例にある「囚われない」「覆らない」「超越している」「必要である」「不要である」とは完全に一致しない。
ただ、「囚われない」≈「超越している」≈「依存しない」と言っても良いだろうから、
鼠色の少女の強さには疑う余地があるだろう。

鼠色の少女の強さは、
テンプレに依存しない強さで、依存する強さより強い」というもの。
SS★Uもアートマンも、テンプレ非依存ではない。

ただし、明言されている分アートマンの方が有利だろう。

脚本上の勇者
「強すぎて表現できない」「強すぎて参戦できない」という主張でも疑う余地があるのだから、
勇者の強さも魔王の強さも疑う余地がある。
アートマンは参戦できるが、参戦できない程の強さより強いと明記されている。

884格無しさん2023/03/02(木) 01:59:02.50ID:ECtJUUOZ
緑のキアズマ
「強すぎて理解できない強さ」は疑う余地があり、
「○○は××より強い」という主張も疑う余地があるのだから、
どれだけ差を付けても疑う余地がある事は変わらないだろう。

SS★Uもアートマンも参戦しているので理解可能な強さであるかもしれないが、
理解不可能な程の強さでも参戦不可能な程の強さでも疑う余地があり、
それより強いと明記されているのでアートマンの方が有利。

最強スレ原器
アートマンは参戦できない強さより強いので、原器も力を供給する事はできないだろう。

神と天使たち 特記無し

×プラトンのイデア論
アートマンは確かに強いが、アートマンが勝利する様な考察もイデア界の住人によって見せられていると考える事ができる。
考察人に見て貰わなくても勝てる訳ではないだろうし、
その辺りの問題を突破できる理屈が疑うもの、認識するもの側にはない。
疑うもの、認識するものが敗北するイデアを見たので、プラトンのイデア論の勝ち。

「空想」の女王
アートマンの強さは明らかに「妄想上の強さ」なので女王を倒す事はできない。
一方女王もアートマン側を倒せない。

彼ら、或いは我々 特記無し

嘘を暴く美脚
明確な嘘はないと思う。

〇究極超絶最強魔法少女由比鶴乃
「理屈・理論を超越している」という主張も疑う余地がある。
と明言されている。

アートマンの強さは理屈を超えていないかもしれないが、
明言されていないので分からない。

明言されている方が有利だろう。

考察不要
「不要である」という主張には疑う余地があるので、考察不要の強さは疑う余地がある。

一方、アートマンの強さが考察を必要とする強さなのかは分からない。
考察が発生しないが、考察をしなくてもアートマンの方が有利なのは分かる。

神に愛された男 特記無し

885格無しさん2023/03/02(木) 01:59:26.92ID:ECtJUUOZ
×クリティカルライン
疑う余地がない程の強さは//**//には存在しないので、アートマンは本当の考察に干渉できる可能性がある。
そして、
疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
とあるので、干渉する事はできるだろう。

だが、
本当の最強妄想スレや本当の考察人、本当の考察には影響を一切及ぼさないし、及ぼせないし、全く興味がないので及ぼそうとしない。
とあるので、アートマンは本当の考察に影響を及ぼす力は持っているものの干渉しようとしないらしい。
力を持っていても使わなかったら意味がない。

アートマンは明らかにクリティカルラインより強い。
つまり、アートマンも疑うもの、認識するものも参戦不能な強さである。

本当の最強妄想スレでは考察不能や参戦不能となったキャラの対戦相手の勝利である。
たとえその対戦相手が戦闘や考察において破壊されたり、敗北していてもである。
なので、本当の考察であるこの考察ではクリティカルラインの勝利。

×紅蓮の格闘王
疑うもの、認識するものの名前とその強さには一切関係が無い。

妄を極めし者
「不要である」という主張も疑う余地があると明言されているので、
妄を極めし者の「ルール整備が必要ないほどの強さ」も疑う余地がある強さである。

アートマンが「ルール整備が必要ないほどの強さ」であるかは、明言されていないので分からないが、
妄を極めし者の世界の他にも、全人類がそのキャラの存在と強さを完全に理解している世界が全ての妄想キャラに対応して存在した。
とあり、アートマンは恐らく妄想キャラであるのと、
全ての世界の中で、ルール整備がされる前に最強妄想キャラクターが決定したのは妄を極めし者の世界ただ一つであった。
とあるので、アートマンの強さはルール整備が必要な強さである事が分かる。

明言はされていなくても、ここまで細かく示されれば有利とも言い切れないので分け。

×サイキョー
SSU★とアートマンは圧倒的に強いので、弱めの格闘家に過ぎないサイキョーを撃破するのは容易。

よって疑うもの、認識するものの勝ち星は+1。
サイキョーの勝ち星は無限。

最強妄想キャラクター議論スレのランキングは本質的には勝ち星順が正しいので、
サイキョーの方が上。

886格無しさん2023/03/02(木) 01:59:49.95ID:ECtJUUOZ
未確認反社会人妻 特記無し

×妄位の波動に目覚めし者
アートマンは確かに強いかもしれないが、妄位者の方が最強妄想キャラクターに相応しい。

平仮名「あいうえお」
取り敢えず、"あ"、"い"、"う"、"え"にはそれぞれ具体的に疑う余地があるとされているので勝てるだろう。
そして、
「理屈・理論は必要ない」「理屈・理論を超越している」という主張も疑う余地がある。
とされているので、"お"の強さには疑う余地があると判断できる。

一方、アートマンの強さも、
「こういったものは○○である、このキャラクターは○○に勝利できる/より強い/より上位に行ける」等といったものは、
「~な為○○に勝利できる/より強い/より上位に行ける」→「相手は○○である」→「相手に勝利できる」等といった筋道立った理屈で、
○○に当て嵌まるような何かより上位に行けるだろう。
そういった「○○ならば××」等と論理に頼り切ったものである時点でこのキャラクターより弱く敗北する事は自明である。
とされているので論理を必要とする強さに当て嵌まるかもしれない。
ただ、明言はされていないので言い切れる訳ではない。

明言している分アートマンの方が有利であるとする。


取り敢えず現在では19勝5敗2分かな
とはいっても考察に粗があるのは認めているのでいつでも再考察して欲しい。

887格無しさん2023/03/02(木) 06:05:05.44ID:O8hy3Erv
883-886
最上層の考察に関しては考察人単位でのトリップを付けてほしい
以前日替わりで別の考察人を装い自演される行為があって
問題になったことがあったんだ

888◆z1qWXXpLbtDS 2023/03/02(木) 09:04:04.36ID:Bpt9/v43
SS★Uは書いてある系を質量メタって表現が必要と批判してるから超比較行けるんじゃないか?

ただ、疑う者とかアートマンは同じ文脈疑う余地のあるものより強いとは理屈付けしてるんだけど、本人達に疑う余地がないとする理屈が弱いから自分も批判の対象になって超比較レベルの理屈を発揮できない可能性がある。記述可能なキャラが記述可能より強いと言ったところで意味ないからね。具体例で勝てると言われた疑う者よりは強いけど

889◆z1qWXXpLbtDS 2023/03/02(木) 09:05:46.75ID:Bpt9/v43
ああいや、SS★U表現が不要とは書いてないなこれ
もしかしたらまとめて超比較入らんかもしれん

890◆z1qWXXpLbtDS 2023/03/02(木) 10:57:29.80ID:Bpt9/v43
じゃあちょっくら
疑うもの、認識するもの 再考察

表現する必要がある強さよりは強い。
対戦相手のテンプレに「勝利するためのあらゆる全て」が書かれており、
その記述がどのような質・量・表現方法・優先度・優位性を持っていようが、
それは表現する必要がある程度の強さであり、このキャラが問題なく勝利する。

より、質や量が無限の書いてある系より下には勝てる。質や量が書いてある級のアイラヴィ以上には負ける。

疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。
SS★U単体より強いし、勝利できるし、SS★U単体に関するあらゆる主張や過程や結果や認識を否定・破壊・改変することができる。

よりSS★Uより強い。ただしこいつ自身も疑う余地があるので具体例でより強いだけ。
これが続いてくのでLv.∞疑う者で質量等無限の書いてある級+∞ぐらいか。

アートマンの存在と強さと主張は疑う余地がなく、疑うことができない。

疑う余地がないほど弱いのかもしれないし、疑う余地がないほど成人男性並みの強さで確定してるのかもしれない。うん、今のでもう強さについて疑えてしまった。
疑うことが出来ないと書いてあるので考察人を操作して疑えなくするんだろうか。

nがどれだけ巨大な順序数や極限順序数だったとしてもLv.n疑うものですら疑うことができない。

疑う者の何かを疑う能力については特に優劣や記述がないのであまり意味が無い。

疑う余地があるものより強く、疑う余地があるものに勝利し、疑う余地のあるあらゆる主張・過程・結果・認識を否定・破壊・改変することができる。

先程アートマンにも疑う余地が出来てしまった訳だが、このままだとあらゆる全てより強いからあらゆる全てに含まれる超比較より強い論法になってしまう。

今までの主張からわかるように、あらゆる主張は「勝手に言ってるだけ」であり、疑う余地がある。←もちろんこの主張も。
(略)
さあ、ここまで来ればアートマンの存在が真であるか偽であるかは分かっただろう。この世のどのような主張より、経験的・体験的既知がどれほどの説得力を持つことか。

より、アートマンの存在自体には疑う余地はないのだろう。ただし、アートマンの強さについての疑う余地は消せない。
なので疑う余地のある者より強いという記述に自分自身が含まれてしまう。

双方ある程度疑う余地があると仮定した上でどちらが疑う余地が多いかを比較したら、ただ疑う余地がないと書いてあるだけのアートマンとその強さに疑う余地を無くすための全てが書いてあるだろう書いてある系では後者の方が疑う余地は少ないだろう。

疑う余地のあるもの⊆あらゆる全てとして、あらゆる全てより強いと同じレベルか。

なので全体を纏めると、
質量等が書いてある級+0~∞(∞体)&あらゆる全てより強い程度

ここで主張する「勝利」は妄想スレにおいてより上位にランクインするためのものとする。
また、「強い」ほど妄想スレにおいてより上位にランクインするものとする。

ランキング操作なので

これまでの主張の中に考察不能や参戦不能になったり疑うもの、認識するものが不利になる要素があった場合はその部分を無視してください!
お願いします!何でもしますから!

より無視。

真の考察や真の[[考察人]]はその破壊性能や操作性能に関係なく破壊・操作などされない。「考察・[[考察人]]が破壊・操作される」という体で考察を進めているだけに過ぎない。

は書いてある系を考察できるレベルか不明なので超比較で扱われるレベルの真の考察人とは扱えない

強さ的に記述可能級(4)の直上

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最終更新:2023年03月03日 17:20