『もどかしい世界の上で』
電車の中が嫌いだった。
無数に刺さる他人の視線が、私の心の自由を縛り付けていたから。
──今では、棘のようだった視線に鋭さなど微塵も感じない。
────そう思うと、あの頃の自分が不思議でならない。
月曜日が嫌いだった。
下校のチャイムが鳴るまで、その重圧がずっと肩にのしかかっていたから。
──今も苦手なのは相変わらずだけれど、重みを分かち合える友達がいる。
────だから、あの頃のように一人で擦り切れることはなくなった。
人と話すことが嫌いだった。
誰かに嫌われたくないから。
──その二種の『嫌い』が完全対義語になった今、私は時折、────『好き』だったあの頃を思い出す。
ボロボロのミサンガがまだ形を保っていた──好きだった『はず』の、あの頃を。
*最終回 『もどかしい世界の上で』
◆
………
……
…
「え? 知らないの?ごっち、転校したんだよ。今日」
その言葉が鼓膜に鈍く響いたのは、夕暮れ時だった。
るみ──八幡さんの、ある種処刑宣告のような言葉に、そこまで私が絶望しなかったのは、きっとそれを聞かされたのが遅すぎたからかもしれない。
ぼっちちゃんは、周りの友達には転校のことを話していたらしい。
それでも、私にだけは最後まで言わなかった。
【秘密にしたかったから】──。
or
【いじわるのつもりだったから】──。
or
【言うタイミングが、なかったから】──。
彼女らしい動機をいくつも思い浮かべて、『真理』という名のパズルにはめ込もうとしたけれど、どれもうまく噛み合わない。
――これは、私の勝手な推測だ。
……いや、彼女に依存しきっていたからこそ、分かってしまう本質、と言ったほうが近い。
ぼっちちゃんは、
──【それを言ったら、『私』が壊れてしまう】───から、あえて、言わなかったのだと思う。
別れの言葉すらも、一言も。
あのとき。
迷子に出会う前、彼女がスマホで連絡を取っていた相手は、──『私と友達になれるよう、誰かに頼んでいた』のかもしれない、とか。
つまり、日曜の誘いをしたときの、「……必要なかったかな」という言葉は、
──『そのこと』を指していたのかもしれない、とか。
今になって思えば、あの日の一言一句、すべてが伏線だったんじゃないかと。
思えば思うほど、脳内は雪見だいふくで埋め尽くされて、つい冷凍庫を開けてしまう時もあった。
◆
ぼっちちゃんがいなくなった結束バンドは、まるであっけないものだった。
解散したわけじゃない。
埋め合わせのように新しいメンバーが加わり、みんなは仲良くして、ファンのみんなも、何事もなかったかのように受け入れていた。
──あの頃。
段ボール箱を身を挺して隠す『逆メタルギアパフォーマンス』をしたり、
「今日は歌いたくない。だから弾く」と、ギター担当が『ノンボーカル宣言(つまり当たり前のこと)』を、わざわざ声高に叫んだり。
その奇行じみた振る舞いで、カルト的な人気を生み出していた『最大エナジー』が欠けているというのに。
リョウも、喜多ちゃんも、みんな、驚くほど嫌味なく、『いつも通り』演奏を続けていた。
私もまた、それに、不満も、虚無感も、名前をつけられるような感情も抱かない。
沸き立つこともない。
不思議なことに、手首のミサンガの感触をふと認識することが無い限り――私まで、『彼女』のことを、忘れていたのだ。
「…………」
……本当に、不思議だ。
あれほど、誰よりも依存しきっていた『はず』の私が、大切だった『はず』の、──あの子を忘れてしまうなんて。
……世界は、それを残酷と呼ぶのかもしれない。
…………彼女の行方を知らないまま、一人で、何事もなかったように青春を送る私は、罰せられるべき存在なのかもしれない。
ただ――
言い訳のつもりはない。
忘れ去った彼女への、逃げ口上でもない。
それでも、──ただ。
この忘却は、『ぼっちちゃんが残した置き土産』だったんじゃないかと、思ってしまう。
誰も、自分のせいで悲しまないようにと。
そして何より、私が、ぼっちちゃんという存在で完全に絶望しないようにと。
普段はピエロのふりをしている──人一倍、頭が回る彼女が仕組んだ、『一世一代のイリュージョン』ではないかと。
私はぼっちちゃんの性格を踏まえて、そう思えてしまう。
それとも。
……これは、本当に残酷な結論だけれど。
──あの頃の日々は、友達がいなさすぎた私が生み出した、『イマジナリーフレンド』。
──『後藤ひとり』という存在は、そもそも、実在しない概念じゃないのかって。
デジタル媒体で確かめようとしても、写真に写る彼女はいつも、ヤドカリの着ぐるみで身を隠していた。
『証明』という二文字そのものを、最初から拒絶するようだった。
私は、この二つの仮定を、どちらも証明できないまま。
そして、仮定そのものが、『彼女との過去』と一緒に、霧のように散っていくまま。
今日も、親友二人に別れを告げ、電車を降りる。
………
……
…
◆
今日は金曜日。夕暮れ空。
家に帰ってテレビをつければ、ちさ子たち『金曜メンバー』が毒を吐き、
九時からのMステでは『ロック』が流れ、
インスタを眺めながら、金ローの『千と千尋』を、ただのBGMとして流す。
……どこか、なぜか懐かしくて。
……涙は出ないけれど、もどかしくて。
既視感だけが残る、その、アフタースタイル。
そのアフタースタイルを、特別待ち遠しかったり、楽しみの高揚感を感じることはない。
ただ、それを穏やかに過ごすことに『幸せ』を感じなくなったという、無意識の『幸せ』の時間。
私はそれを目指して、街の空気に呑まれながら、家路を歩いていた。
──そんなときだった。
「……え?」
──もうすっかり春だというのに、『雪見の味』がふいに耳を通り抜けたのは。
街の一角。
本来なら、誰の目にも留まらない地味な路地にて、異様な人だかりができていた。
視線は、一点に集まり。誰もが、静かに、ただその『音』を耳に流し続けている。
甘美な響き、というのがおしゃれなのかもしれない。……悪意込めて言えば『騒音』なのだろうけども。
「……あ……!」
その中心にいる人物が、もし『編曲者』だというのなら。
私は胸を張って、『作詞者』として、抱擁することにしよう。
周囲が失笑した、「徒歩ほのほ~♪」なんていうメロディは、
風もなくして私のミサンガを断ち切っていた。
「…………もう~なにやってんのさ! ねぇ────」
【ぼ虹~優しすぎるぼっちちゃん】
0%。──END
…………+1%、
2%……──────。
最終更新:2026年02月10日 01:40