コトノハ 第1話『言葉の刃』
言葉。
地球上に存在するあらゆる生物の中で、唯一人間だけが手に入れた概念。
言葉を手に入れた人間は、それを意思疎通の手段として使い始めた。自分の気持ちを、感情を、考えている事を、言葉に乗せて相手に伝える。すると、言葉を受け取った相手もまた言葉を返してくれる。そうやって人間は交友関係を築き、仲間を増やし、現在に至るまで繁栄し続けてきた。
地球上に存在するあらゆる生物の中で、唯一人間だけが手に入れた概念。
言葉を手に入れた人間は、それを意思疎通の手段として使い始めた。自分の気持ちを、感情を、考えている事を、言葉に乗せて相手に伝える。すると、言葉を受け取った相手もまた言葉を返してくれる。そうやって人間は交友関係を築き、仲間を増やし、現在に至るまで繁栄し続けてきた。
でも、言葉というものは時に刃にもなる。
刃と化した言葉は放たれたが最後、相手の心を無残にも斬りつける。一度心に負った傷は、決して消えることはない。たとえ一瞬忘れていても、ふとした瞬間に思い出せば再び傷口は疼き、永遠に心を苦しめ続ける。そして誰かの心を傷つければ、その分自分の心も傷つくリスクを負う。
刃と化した言葉は放たれたが最後、相手の心を無残にも斬りつける。一度心に負った傷は、決して消えることはない。たとえ一瞬忘れていても、ふとした瞬間に思い出せば再び傷口は疼き、永遠に心を苦しめ続ける。そして誰かの心を傷つければ、その分自分の心も傷つくリスクを負う。
言葉は、どんな刃物よりも鋭利で恐ろしい刃だ。私達人間は、そんな刃を常に持ち歩きながら毎日生きている。知らないうちに誰かを傷つけながら、のうのうと。
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「行ってきます。」
「行ってらっしゃい、気をつけてね?」
「うん、分かってる。」
母と短い挨拶を交わし、家を出た。大空市内にある町の一つ、青空町に引っ越してきた私.....音羽 初は、先週から青空小学校に通っている。
「良い天気だな.....」
昨日一日中降っていた大雨がまるで嘘のように、今日は朝から雲一つない快晴だった。この町の名前と同じ、どこまでも晴れ渡る青空に何となく心を躍らせながら、私は学校に続く通学路を歩いていく。
「.....あ」
その途中、私は一匹の野良猫を見つけた。毛並みも整っていて、少し小柄な三毛猫だ。
「..........おいで。」
私はその場にしゃがみ、右手を差し出した。その瞬間、私の瞳がうっすらと赤色に染まるのが近くの水溜りに映った。
「にゃ〜」
猫は一声鳴くと、ちょこちょこと私の手元に向かって歩いてきた。優しく頭を撫でてやると、猫は目を細めゴロゴロと喉を鳴らしながら私の手にすり寄ってくれた。
「可愛い.....」
猫は好きだ。自由気ままなところとか、悩み事なんて全く無さそうなところとか.....もし生まれ変われるなら、私も猫になりたいと小さい頃から思っていた。まぁ、今も小学五年生で十分小さいけど。
「あれ?初ちゃんだ!」
猫を撫でていると、不意に背後から声がした。振り向くと、私と同い年くらいの女の子が立っている。髪を二つ括りにし、太陽の形をした大きな髪留め。私の顔を見たその子は、明るく微笑んで挨拶した。
「おはよう!初ちゃん!」
私は一瞬言葉を詰まらせ、少し遅れて
「...おはよう、暁星さん。」
と挨拶を返した。
「えへへー♪でも暁星さんじゃなくて、そろそろ旭ちゃんって呼んでほしいなぁ。もうお友達でしょ?」
「あっ....ご、ごめん、旭...さん......」
暁星 旭さん。私と同じ小学五年生で、同じクラスメイトの女の子。いつも笑顔が明るくて、クラスを引っ張ってくれる委員長みたいな人だ。
「ううんっ、謝らなくて大丈夫だよ。それより学校行かないと!」
「そ、そうだね。......またね。」
私は猫に手を振って別れを告げ、旭さんと一緒に学校に向かうことにした。
「初ちゃん、新しい学校はもう慣れた?」
「うーん......まだちょっと不安、かな....」
「そっかぁ、でも大丈夫!何かあったら、あたしが助けてあげるから!」
旭さんはポンっと自分の胸を叩いてそう言った。私よりも背は小さいのに、旭さんはとても頼り甲斐のある存在だ。
「ありがとう、沢山迷惑かけちゃうけど.....よろしくね。」
「全然気にしなくて良いよー、それにあたし以外にも、頼れるお友達はいっぱいいるよ!」
旭さんはそう言って、目の前を指差した。
「あ......っ」
その方向を見ると、向こうから二人の女の子が歩いてくるのが見える。相手も此方に気がついたのか、そのうちの一人が大きく手を振り始めた。
「おーい!初ー!」
『力 イズ パワー』とよく分からない言葉が書かれたTシャツを着た女の子、水無月 美奈さんだ。周りからは、みっちゃんとも呼ばれている。
「おはよう.....美奈さん。」
「んー?何か固っ苦しいなぁ。みっちゃんって呼んでくれて良いんだぜ?」
「そ、そう.....?まだ慣れなくて.....」
「んな固くなるなよー!アタシら友達じゃねーか!なっ!」
そう言って、美奈さんは私と肩を組んできた。
「わわ.....!」
「っへへ、これでちょっとは慣れただろ?」
「そんなわけないでしょうがこのバカは。」
すると、もう一人の女の子が美奈さんの脇腹に思い切り肘鉄を喰らわせた。
「おごァッ!?」
「ごめんねー、まだ転校してきたばっかりで緊張してるのに。ほら、謝れこのバカ。」
「ってぇ〜!何すんだよ玲亜!ってかバカって言うな!」
髪を頭の横で結んだ太眉の女の子、虹富 玲亜さん。美奈さん相手には少し当たりがキツいけど、普段は面倒見が良くて優しい人だ。
「おはよう玲亜さん、何と言うか...朝からキレが良いね。」
「おはよ、まあいつものことだしね。」
玲亜さんは困ったように笑いながら言った。
「あはは、相変わらず二人は仲良いねぇ。」
「へへっ、だろー?」
「そんなことないよ。」
「そんなことないよ。」
タイミングは同じだけど、言っていることはバラバラだった。
「おい!何でだよ玲亜!」
「冗談だって。それより早く行かないと遅刻するよ。」
「あわわっ、そうだった!初ちゃん、急ご!」
「う、うん......!」
「ほらみっちゃんも、置いてくよ。」
「ま、待って、まだ脇腹がぁ!」
チャイムが鳴らないことを祈りながら、私達は学校までの道を全速力で走った。
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............
「ぜぇ、はぁ......間に合ったぁ....」
「美奈さん、足速かったね......」
何とか学校に着いた私達は、息を切らしながら教室に向かっていた。
「玲亜ちゃん、一時間目なんだっけ?」
「今日は月曜日だから.....算数だね。」
「げっ!?今日ってアタシから当てられるんじゃねえか!?」
「あーらら、よりによって苦手範囲じゃん。頑張れ〜」
「うるせー!もっと感情込めろよ!」
「あはは.....」
美奈さんと玲亜さんのやり取りを見ながら笑っていると、ふと掲示板に貼ってあるポスターが目に入った。
「今月の標語.....?」
「あー、それは毎月変わる目標みたいなものだよ。今月のはあたしが考えたんだ♪」
「旭さんが?」
ポスターに書かれた標語は『人が傷つくことを言わないようにしよう』だった。
「..........」
「だってよ、ってことで玲亜!今月はもうアタシにバカって言うなよ?」
「はぁ?あんたバカって言われても平気でしょ。」
「平気じゃねーよ!!アタシを何だと思ってんだ!」
「バカ。」
「ムキーーーーー!!」
顔を赤くして怒る美奈さんを尻目に、玲亜さんはふと私に顔を向けてきた。
「.....初ちゃん?」
「えっ?」
「何かボーッとしてるけど、大丈夫?」
どうやら、知らないうちに私は上の空になっていたらしい。旭さんも私の方に心配そうな視線を向けていた。
「ご、ごめん.....何でもない。」
「そう?良かった.....あたしの標語、何か変だったかなって心配になっちゃった。」
「そ、そんなことないよ!凄く良いことだと思う。.....ほんとに。」
私は慌ててそう言った。三人も安心してくれたのか、その後は特に気に留める様子もなく教室に入っていった。
(..........人が傷つくことを、言わないように.....か。)
さっきは何でもないって誤魔化したけど、本当はずっと考えていた。私は特に、言葉に気をつけなければいけないと。私の言葉は、皆とは少し.....いや、かなり違うから。
下校時間。
「終わったー!さーて、帰ってゲームでもするかな!」
「その前に宿題ね、今日はやけにいっぱい出されたし。」
「うげえ、そうだった.....」
美奈さんと玲亜さんは、帰り道も一緒だった。
「二人とも、また明日ねー!」
「うん、また明日。初ちゃんも。」
「またなー!」
「うんっ、また明日ね。」
旭さんと私も、途中までだけど帰り道が同じだった。
「あ、猫だ!」
今朝の猫が、再び道の途中に現れた。今度は別の黒い猫も一緒に居る。
「かわいー!おいで!」
旭さんが手招きしながら呼びかける。しかし、猫は聞こえていないかのようにそっぽを向いていた。
「あれー?さっきは初ちゃんに寄ってきてたのに。」
「あ、えっと.....あれは.....」
私が説明しようとすると、旭さんは瞳をキラキラさせながら此方を見つめてきた。
「え、え?」
「お手本見せて!」
「.....う、うん..........」
私はその場にしゃがみ、今朝と同じように「おいで」と手を差し出す。その瞬間、私は瞳に微かな熱を感じた。
「みゃ〜」
「にゃ〜ん」
すると、さっきまで知らん顔をしていた猫達が、途端に此方に寄ってくる。
「すごーい!初ちゃん、どうやったの?もしかして動物使い!?」
「そ、そんな大したものじゃないよ。何ていうか.....その.........」
パチパチと手を叩きながら旭さんが尋ねてくるが、私はどう説明すれば良いか分からなかった。
それもその筈、私が言った言葉は本当に現実に起こるからだ。今、猫達が寄ってきたのも私の言葉で無理矢理こっちに来させたようなもので、決して猫達が自分の意思で近づいてきたわけではない。
「初ちゃん.....?」
「.....旭、さん..........私は............ッ!?」
私は思わず言葉を濁す。その瞬間、脳裏に以前の記憶がフラッシュバックした。
薄暗い路地裏、黒い服を着た大人達、そして今よりも幼かった私.........何と言ったかは思い出せない、いや、思い出したくないけど、私は彼らに何かを言った。すると、黒服の大人達は一瞬にして.........
嫌だ。
これ以上、思い出したくない。
「.....う.......あぁ........!!あぁあああぁあぁあああぁああああ!!!」
頭を抱え、私は絶叫した。
「初ちゃん!?」
驚く旭さんを振り切り、私はその場から走り出した。その記憶から逃げるように、ただ無我夢中に。
「嫌だ......嫌だ、嫌だ!!忘れろ、忘れろ....!記憶から消えて無くなれぇええっ!!」
走りながら必死に叫ぶと、脳裏に浮かんだ記憶はだんだん薄れていき、私は少しずつ落ち着きを取り戻すことが出来た。
「はあ、はぁ.....っはぁ..........」
息を切らしながら、まだ震えが治らない両手で私は頭を掻き毟った。
「何で......こんな思いしなきゃいけないの..........」
自分の放った言葉を現実に引き起こす、それが私の力。使い方次第で、文字通り“刃”と化す私の言葉..........『言刃-コトバ-』と名付けたこの力が、私は自分が持つ欠点の中で何よりも嫌いだった。
続く