雨空の昴星 第4話『参上、墨桜』
大きな校舎。広いグラウンド。耳を澄ませると、皆の笑い声が聞こえてくる。
「.....此処は.......学校.........?」
気がつくと、私はいつの間にか青空小学校の前に立っていた。やけに視界が眩しいこと以外は、特に身体の違和感等もない。
「.........そうだ、早く行かないと遅刻しちゃう。」
私は校舎の方に向かって駆け出した。グラウンドでは、皆がドッジボールをして遊んでいる。
「皆、おはよう!私も混ぜて!」
そう呼びかけると、皆は一斉に此方に振り向いた。
そして..........
「うわあああああ!!」
「怪物だ!!こっち来るな!!」
「あっち行けよ!化け物!!」
皆は口々にそう叫んで、私目掛けてボールや小石を投げつけてきた。
「うわっ、ちょっ、やめてよ皆!私だよ、初だよ!?」
「嘘つけ!!どう見ても化け物だろ!」
「何でそんな事言うの!?私は..............」
そう言って、腕を伸ばした瞬間。
「.......え?」
私は、初めて身体にも違和感を覚えた。自分の腕だと思ったそれは、うねうねと気味悪く動く触手だった。
「何、これ.....どうなってるの......?」
私は怖くなり、慌てて校舎の窓ガラスに自分の姿を映してみた。
「...........!!!」
そこに映っていたのは、私じゃなかった。
いや、私だと思いたくなかった。
両腕は触手で、身体はスライムのようにドロドロに溶けていて、眼球は垂れ下がり、髪はほとんど抜け落ちて、口からは緑色の液体を涎のように滴らせている......皆が言った通りの、醜い化け物だ。
「あ.......あぁ.........アアアア...........」
声も私のものじゃない、低くて気持ちの悪い声だ。私はその声から逃げるように、異形と化した手で耳を塞いで絶叫した。
「ウワァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「......ぁぁあああああああああ!!!」
喉が破裂する程の勢いで叫びながら、私は飛び起きた。息は荒く、全身汗で濡れていて、それなのにガチガチと歯を鳴らしてしまうくらい寒気で身体が震えている。
「.......はぁ.....はぁ............うっ、グ、オエエエッ.............」
一気に気分が悪くなり、私は思い切りその場で吐き戻してしまう。ひとしきり吐き終わってから、身体の震えが止まらないまま恐る恐る自分の身体を見回した。触手じゃない、ちゃんと指が五本ある人間の腕。足も、身体も、人間のそれと同じ。顔を触っても、何処か溶けているような感触は全く無い。私の身体は、元の姿に戻っていた。
「............夢.......か.......................」
ようやく私は安心し、周りを気にする余裕も出てきた。
「.......此処は..........?」
冷たい鉄の床、辛うじて近くのものくらいは視認出来る程度の薄暗い空間。時折、ピチャッと天井から水が滴り落ちる音が響く。
その水滴が一粒、私の額に落ちてきた。凄く冷たい.....けど、お陰で目は完全に冴えた。
「..........あ......思い出してきた..........」
意識がはっきりしてくるにつれ、さっきまでの記憶も蘇ってくる。私は、『PleiaDeath』の計画の為に私を捕まえに来たお父さんと戦って.....いや、ほとんどやられっぱなしだったけど、戦って負けたんだ。
「.......ってことは......私は、『PleiaDeath』に捕まった......のかな..........」
「誰か居るの?」
「!」
女の子.....いや、男の子か?どちらともつかない中性的で柔らかな声が背後から聞こえた。
「やぁ。お客さん.....ってわけじゃなさそうだね。」
「.....君は........?」
薄暗い場所でもはっきり分かる、青白い素肌。背は私よりも遥かに小柄で、ボロボロの服を着ている。薄茶色の髪が目を覆い隠すように長く伸びているせいで顔つきまでは分からないけど、どちらかと言えば男の子に見えた。
「ボクはユーマ......ここに捨てられた“失敗作”だよ。」
「ユーマ.........」
落ち着いた声で話すその子は、私の手をそっと握って薄く微笑んだ。
「大丈夫......キミの敵じゃない。」
その言葉に、私も安心して手を握り返す。そして、此処に来るまでの経緯をユーマに話した。
「そっか.......でも、まだキミは人体実験を受けていないんだね。」
「うん......多分。特に身体が変ってことも無いし。」
「良かった.........ボクみたいにされたら、おしまいだからね...........」
「ユーマみたいに........?」
「ここは、Dr.アトラの研究所.....彼はボク達子どもを実験材料に、人体実験をしているんだ。」
Dr.アトラ........お父さんが口にしていた名前だ。それに人体実験って........此処はきっと、カレンが言っていた『PleiaDeath』の計画と関係がある場所に違いない。
「ボクも被験者にされた.......生き残ることは出来たけど、その代わりに......無機物しか食べられない身体になったんだ。」
ユーマはそう言って、近くに落ちていた釘を口に入れて咀嚼し始めた。ゴリッ、ゴリッ.....と噛み砕く音が部屋中に響き渡る。
「......美味しい、の?」
「美味しくないよ、ただの鉄の味。だけど、ボクはこういうのしか食べられない......普通の食べ物を食べたら、全部身体の中で毒になってボクを殺すんだ。」
「そんな..........」
「あはは、そんなに気にしないで。そのおかげで、こうしてゴミ箱に捨てられても死なずに済んでるから。」
ユーマは長い髪の下で、唇を緩ませ笑ってみせる。その笑顔は、人体実験を受けた人間だとは思えない程素朴で無邪気だった。
「でも、キミがここに居たら危ないよ。早く逃げないと、Dr.の実験台にされちゃう。」
「逃げるって.......どうやって?」
「ボクについてきて。」
再び私の手を握り、ユーマは歩き出した。歩く度にぴちゃぴちゃと水の音がするくらい床が何かで濡れている。
「...ねえ、ユーマは何で失敗作って言われたの?」
「んー......多分、Dr.の思った通りになれなかったから、かな。Dr.はボク達被験者を沢山連れてきては、一人ずつ実験台にして.....Dr.の思い通りになれなかったり、途中で死んじゃったりした子は皆ここに捨てられるんだ。」
「じゃあ、此処にはユーマの他にも......」
「うん、もうボク以外皆死んじゃったけどね。ここに捨てられた子は、ご飯なんか貰えない。実験で生き残れても結局死んじゃうんだ。」
「...................」
Dr.アトラ......許せない。人の命を何だと思っているんだ。私は心の中で、静かに怒りを燃やしていた。
「さ、着いたよ。秘密の抜け穴さ。」
ユーマが案内してくれた先には、子どもなら余裕で通れそうな穴が空いていた。そこを通り抜けると、さっきよりも少し明るい空間に出た。
「この抜け穴、ボクが壁を噛み砕いて作ったんだ。でも、ここから先がどうしても行けなくて.....」
「何かあるの?」
「ほら、あそこ。」
壊せば簡単に出られそうな小さな鉄格子の隙間から、光が漏れている。慎重に覗いてみると、格子の向こう側で黒服の男達が銃を持って歩き回っていた。
「あいつらは............!!」
間違いない。一年前、私を連れ去ろうとした奴らと同じだ。やっぱり、此処は『PleiaDeath』の基地なんだ。
「鉄格子を壊すことは出来るけど、あの人達を相手にするような力はボクにはないから.....でも、いざという時の為の避難通路は作っておこうと思ったんだ。」
「.........そうだったんだ。ユーマは十分強いよ、希望を捨てずに生きて此処から出ようとしたんだから。」
私はユーマの頭を撫で、鉄格子の外に居る男達を睨みつける。
「此処から先は任せて。あいつらは......私がやる。」
「えっ?」
私はポケットから『隻翼』を取り出した。
「ユーマ、この鉄格子だけ壊してくれる?」
「う、うんっ。」
ユーマは頷くと、バリボリと音を立てて鉄格子を噛み千切った。
「!!な、何だ!?」
異変に気付いた男達が此方を向き、銃を構える。が、それよりも早く私は『隻翼』を構え、男達に向かって叫んだ。
「下衆が.........しばらく寝てろッ!!」
「なっ!?........グゥ...............」
男達はたちまち床に崩れ落ち、ぐっすりと眠り始めてしまった。
「ふわぁ......キミ、凄いんだね!」
「君のことは私が守る、これ以上誰も死なせない!」
私はユーマを背中に負ぶい、この悪夢のような研究所から抜け出す為に走り出した。
............................
..............
「.......到着、青空小学校。既に荊姫 カレンも到着している模様です。」
青空小学校の校舎の屋上。耳に装着した小型の通信機に向かって、一人の少女がそう告げる。
『音羽 初が居ない今、奴を止められるのはお前だけだ。生徒達には指一本手出しさせるな。』
「了解。任務、開始。」
少女は通信を切ると、校舎の中へと潜伏した。
「ねえ!カレンちゃんってば!」
「教えろよ!!初を何処にやった!?」
旭と美奈がカレンを問い詰めている。ホームルームの時間になっても学校に来ない初を不審に思い、初以外で唯一『PleiaDeath』の存在を知っている旭がやむを得ずそのことをクラスの皆に話したのだ。
「でスからぁ、ワタシは主様に任せた後のことは知りまセんって!」
「ふざけんじゃねえッ!!てめぇがよく分かんねー組織の連中なのは旭から聞いた、初の居場所くらい上の奴らから聞いてるだろ!?」
美奈はカレンの胸ぐらを掴み、唾を飛ばしながら怒鳴りまくる。いつもはすぐに喧嘩っ早い美奈を止めようとする玲亜も、今この状況ばかりは止めようとせずに黙ってカレンの答えを待っていた。
「........チッ、うるせぇっスね.........久々にイラッときまシたよ.........」
カレンは舌打ちし、美奈の手を掴み乱暴に引き剥がした。
「あぁ?やるってのかよ!?」
「調子に乗るのもいい加減にしやがれって言ってるんスよ......このクソ猿野郎がッ!!!」
瞳を赤く光らせ、髪をブワッと逆立てるカレン。次の瞬間、美奈の四肢が何かに引っ張られるように動かなくなった。
「なッ!?んだよこれ!?」
「全員殺せ!!!」
怒りのままにカレンが叫ぶと、美奈は近くに置いてあったハサミを手に取り暴れ出した。
「うわっ!?みっちゃん何してるの!?」
「ち、ちげぇっ!身体が勝手に!!」
「アハハハハハハハハハハ!!ワタシを怒らせた罰っスよ!止めて欲しかったら今すぐ謝ることっスね!」
「くそっ、誰がてめぇなんかに.......!!」
「だったら無理矢理にでも土下座させてやりまスよ!ワタシの符号で.........あ痛ァッ!?」
突然、カレンが頭を押さえて蹲る。それを踏み台に、一人の少女が宙を舞って美奈の元に着地した。
「《断絶-ダンゼツ-》。」
少女がそう言うと同時に、美奈を拘束していた見えない糸が斬れた。
「おぉっ、動ける!助かったぜ!」
「..........」
何も言わずに少女は立ち上がり、カレンの方に振り向いた。カレンも顔を上げ、怒りが混ざった引きつり笑顔を浮かべる。
「これはこれは...........『墨桜-ブラックチェリー-』のお方じゃないっスか............」
「......肯定。『墨桜』団員番号零零四、鬼桜 杏。団長命令により馳せ参じた。」
首に巻いた紫色のマフラーをなびかせ、黒衣の少女.....鬼桜 杏は、両手に持った刃の切っ先をカレンに突きつけた。
続く