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所詮赤本屋のやることは>Revenge of Heel. - (2009/05/17 (日) 02:35:35) の編集履歴(バックアップ)


所詮赤本屋のやることは>Revenge of Heel.


  危惧した事が現実になりつつあるような気がします。
  今朝の朝刊で「最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話」なるゾッキ本による、著作権侵害、盗用の主犯「株式会社サンクチュアリ・パブリッシング」が、

   社団法人「小さな親切」運動本部 代表 田中 義具 様

  宛の「お詫び」を「小さな親切」運動本部が期待した全国紙3紙の内で讀賣新聞、毎日新聞の2紙への掲載を実行しました。


  右が讀賣新聞朝刊、左が毎日新聞朝刊、いづれも平成21年5月16日付
 
  確認はしていませんが、どう言う訳か、ブロック紙東京新聞にも掲載されたとか?東京新聞の親元中日新聞には掲載がなかったようですが。私の所でとっているのは、お約束の残り一紙旭日新聞ですが、これには見当たりませんでした。
  どう見ても、真摯な謝罪広告に見えない、「禊広告」。「犯罪事実の範囲を絞り」、「既遂を」、「親告罪」で告訴告発されていないことを良い事に、「嫌疑」と言いくるめる。
  こんな「謝罪の謝の字もない謝罪広告」もどき、初めて見ました。謝罪者と被謝罪者の記載位置が同じって、私、最初「何でサンクの謝罪に『小さな親切』の代表が謝ってるんだ?」と「え~っ」と思ったくらいです。
  テレビなんかでは良く見掛けましたけどね、一連の「食品偽装」事件の報道で。「傲然と謝罪」ってやつ。多分、新聞社ってのは、「お詫び」とか、「謝罪」とか表題に書いてあれば、中身が自己弁護や間接的な被謝罪者への攻撃(礼儀の喪失・不履行)であっても受けちゃうんでしょうな。
  第一、讀賣は、あの話は「讀賣新聞から抜きました」ってことになったら、「侵害を受けた当事者」になりかねない存在、だから報道したと思ったのに、広告貰ろて手打ちですか?それじゃあ、「トリ屋」や「ブラック」と一緒じゃん。毎日も。これで旭日新聞もだったら大笑い。広告貰えなかった産経がいっちゃん真っ当に見えてくる。皮肉。
  謝罪広告、サンクチュアリに
  「讀賣、朝日、毎日掲載が『小さな親切』運動本部の条件」
 って言われたって、
  「トリ屋」と同じになるから「倫理的に受けられない」
 って言やぁ良かったじゃん。
  「謝罪広告できないのアンタ所の責任」
 とサンクチュアリに責任逃れの材料にされそうになったら、こう言ったら良かったのに、
  「じゃあ、これっ、広告の代わりに『謝罪』、記事にしましょう。全国に謝罪の意志が流れるんだから、『小さな親切』運動本部も了解していただけるでしょうし、一寸確認入れてみますね運動本部に。」、
  「あっ、もしもし、小さな親切運動本部さん?代表の田中様お願いします、ええっ、今サンクチュアリさんお越しになって、はぃ、『謝罪』を記事でどうかと、アッ、それで宜しいですか?じゃぁ、早速『記者会見』で『謝罪』表明していただきますね。」、
  「あれ?『記者会見』だめって?」、「サンクチュアリさんそれはないですよ、『小さな親切』運動本部さんも、『謝罪』記事で良いって仰ってますし、謝罪無ければ法的措置取るって仰ってるし、うちは広告受けるわけにいかないし。」

  そんな妄想はさておき(実はマジですが)、危惧ってのは以下のことです。昨5月15日(もう一昨日ですが)以下の事をここに挙げるつもりで、書いてて、寝ちゃったんですね。

  私は、「小さな親切」運動本部は嫌いです。だって、偉そうに「小さな」って言うんだもん。前回の「赤本屋の手口は皆同じ」で私は、「小さな親切」(大きなお世話)運動本部、と揶揄しましたが、実際、今その尊大さが、著作権について(大きなお世話)な、悲惨な状況を生み出そうとしているんだもん。
  私には、彼ら社団法人「小さな親切」運動本部が著作権法の親告罪の意味を取り違えているんじゃないかと思えてならないんです。
  つまり、「告訴・告発しないから、悔い改めなさい、免罪を与えます」、親告罪とは赦免の権利であると。「小さな親切」運動と言う大きな神の掌で、repent したら包んで遣わそう。それが親告罪の意味だと。実際そういう使い方をしているように思われるんです。
  親告罪は、告訴、告発した場合に、告発者(被害者)が告発しなかった場合より、より大きな損失が懸念される事案、あるいは、公権力に自動的に告訴、告発権が委ねられた場合、国民の権利(その最大のものは人権ですよね)に公正な保護が期待できなくなる事案について、その利害得失が最も大きい者、告発者(被害者)に第一義に、専一に告訴、告発権を委ねることだと思うんですよね。
  著作権法違反の場合は、
  窃取あるいは詐取行為であっても、著作物すなわち、言論、表現に係る財産権については、直接にかつ自動的に公権力がこれを取り締まる事が、言論、表現の自由と言う国民の固有の権利の保護と馴染まない部分があるから告発権者を限定しているわけで、本来は窃取、詐取行為の認定と公訴権までを告発者(被害者)に認める趣旨、つまり告発者を判事にする意図のものじゃ有りません。
  でも、今そうなろうとしています。結果、著作権法の本来の目的、「無断複写」、「盗用」の阻止、抑止機能が「小さな親切」運動本部の善意によって少なからず損壊する前例が作られつつありますよね。
  しかも、尊大さのもう一つの側面は、「自主的な行動を求め」た、つまりマスター(旦那)として「自主的な行動」を鷹揚に眺めてた。結果半月以上、この件の主導権を株式会社サンクチュアリ・パブリッシングに握らせちまったと言う失点になって返って来ちゃいました。
  つまり、出版元の社長自身が「著作権法に違反している」と認めた著作物が、半月以上もの間、なお書店で販売され続けると言う事態を生んじまったわけです。
  本件については、社団法人「小さな親切」運動本部は純粋に被害者です、でも、その中の人達の危機対応能力の低さ、醜悪に肥大した善意に基づく、尊大な旦那(マスターあるいはメンターか)意識が、社団法人「小さな親切」運動本部を、嫌な言い方ですが適当な言葉が無いんで使っちゃいますけど、友達をマルチに勧誘しちゃった大学生状態にしちゃってる様な気がするんです。
  まぁ、OCLなんかは、本件は空前の好決算の中でレセプションで終わるはずの株主総会での汚点でしょうから、これへの社内の責任の擦り付け合いで、取り敢えず、事態から距離を擱いてほとぼりの冷めるのを待つかってことなんでしょうから、中の人の社会的責任への認識はもっとどうしようもないんじゃないかと思いますけど。
  何で、発覚と同時に果断な処置、「告訴、告発」しなかったのか、それが一番この「書籍偽装」ってのかな、に最良の対応、リスクマネジメントだったのに。勿論、今からでも遅くはないと思いますよ、見掛けだけなのか、本気の改悛なのか分りませんが、本気だって、やっちゃった事には責任取らなきゃならないし、本気の改悛ならそれも分っていて慫慂として縛に就くだろうから、株式会社サンクチュアリ・パブリッシングと公称著者の中村克氏を告訴、告発するべきだと思います。それぞれの中の人達は。

  ヒールは慈悲を請う振りをして、ボルトで急所を突いて来てるんです。告発しなけりゃ、なお、この件の主導権は「株式会社サンクチュアリ・パブリッシング」にあるんだもんね。次、OLCとの「お話し合い」?。戦力の逐次投入をしてるのは、サンクチュアリ社じゃないですよ、「小さな親切」運動本部ですよ、この戦線。OLCは敵前逃亡かしら?

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