地下妄の手記

東京高速鐵道略史の略史 その3

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東京高速鐵道略史の略史 その3


 さて、今回は果たして原田先生に辿り着けるんだろうか?

 まず、前回ふれた、「帝都東京・隠された地下網の秘密」(洋泉社版)144頁の

     『日本土木建業史』主要土木工事年表の一九三八年(昭和十三)から一九四二年(昭和十七)には、
   以下のような建設工事が記録されている。

    建設工事項目         発注者             着工年(昭和)   建設費     施工担当

    東京駅改築          鉄道省東京改良事務所    一三年二月    545、700    大林組
    地下鉄建設二期工事    東京高速鉄道会社      一三年十一月  1、395、800    鹿島建設
    新宿線1工区地下鉄建設  帝都高速度交通営団     一七年六月   1、135、300    鹿島建設

これの、「東京駅改築」が東京高速鐵道「渋谷線」の東京駅延伸計画とは何の関係も無い事は前回ふれました。
 ここら辺りの詐術の基本は、工事の内容が年表上でハッキリしているものについては、それを伏せた上で勝手な推定を行い、何の工事か記述が無いものについては、裏付けを取れていない、自己に都合のいい情報を付加して推定しているところです。
 前回ふれた、

     東京駅改築          鉄道省東京改良事務所    一三年二月    545、700    大林組

は「日本土木建設業史年表」には、こう書かれています。なお、竣工年月の年は昭和15年です。この工事は15年1月竣工です。

     1(13.2)  東京駅改築第2回第5乗降場新
              設其6高架橋新設其他
              鉄道省東京改良事務所
              545,700円                   ―大林組

東 京駅が4つの乗降場で開業した事や乗降場を昭和11年頃から増設工事し始めた事は、秋庭さんが編集だか、執筆だかの「写真と地図で読む!帝都東京地下の 秘密」(洋泉社2006年10月刊)にも書かれていることです。ここまで、年表に書かれているのに、それを伏せているのは、政府でしょうか?秋庭さんで しょうか?
あっ、そうそう前回で触れた委託工事費との絡みでも、裏付けを取れていない、自己に都合のいい情報を付加」されてましたね。

      この当時、地下鉄銀座線の銀座-新橋間の建設費が大よそ七〇万円だった。五五万円はそう外れ
    てもいないと思われるのでここで取り上げた。

ここん所はもう少し突っ込むと、
東京地下鐵道浅草線(現メトロ銀座線浅草―新橋間)の銀座-新橋間は636m。
東京高速鐵道渋谷線(現メトロ銀座線新橋―渋谷間)の未成免許区間東京―新橋間と比較するなら、京橋―新橋間の方が妥当でしょう。
そうすると
銀座-新橋間636mに京橋―銀座間885m加えて1,521mあります。
 秋庭算(銀座―新橋間=70万円)でも167万円かかりますが、
秋庭(戦前の鉱山の様な)地下鉄なら半分以下の価格で出来るので「ここで取り上げ」られたんでしょうか?
なお、渋谷線は1m当りの建設費が実際は3287円かかってますから、
秋庭算(銀座―新橋間≒東京―新橋間=636m)でも、210万円はかかっちゃうことになります。

「地下鉄建設二期工事」と「新宿線1工区地下鉄建設」については秋庭さんの以下の記述から一寸考えてみたい。

      地下鉄建設第二期工事については、東京高速鉄道が銀座線を開通した後の工事ということになる。
   工期は三年、施工は鹿島組、建設費は一四〇万円ほどになっているが、場所は明らかにされていなか
   った。
    鹿島建設はまた、営団地下鉄の「新宿線1工区地下鉄道建設」にあたっている。この建設の工期は
   四二年(昭和十七)六月から四五年(昭和二十)八月までとなっている。営団地下鉄の赤坂見附の工事
   は、四二年六月から四四年の六月までとされていて、弁慶濠に鉄板を一枚打った程度だったという。
   「新宿線1工区」がどこになるのかわからないが、建設費は一一四万円ほどになっている。鉄板一枚で
   この金額になるとは思えないから、営団はやはりどこかで大規模な地下鉄建設をしていたのではないだ
   ろうか。
 
上の年表から盗んで来た記述から、「地下鉄建設二期工事」、がなぜ「工期は三年、」と秋庭さんに判るのでしょうか?
 あるいは、「新宿線1工区地下鉄道建設」の工期が「四五年(昭和二十)八月まで」と判るのでしょうか?
 
 それは前回も書いたとおりこの「日本土木建業史」ならぬ、「日本土木建設業史年表」(土木建設業史専門委員会編 社団法人土木工業協会社団法人電力建設業協会昭和43年刊)が竣工年月ベースで編纂されているからです。
 ですから、前回書いたとおり、

    地下鉄建設二期工事    東京高速鉄道会社      一三年十一月  1、395、800    鹿島建設

は昭和16年11月のところに書かれています。正確にはこんな記述です。( )内は着工年月

     11(13.11)  東京地下鉄第2期工事
                東京高速鉄道(株)
                1,395,800円                ─鹿島組

だから、「工期は三年」となるわけです。ところで、虎ノ門―新橋が竣工し、渋谷―新橋の全通は昭和14年1月、ですから「東京高速鉄道が銀座線を開通した後の工事」とは言えません。
前章で、私は、
      鹿島建設ともあろうものが、あっ、当時は鹿島組です(勿論原典にも鹿島建設とは書いてありません)、ともあろうものが
     140万ほどの工事に丸2年もかかるもんなんでしょうか?」
と書きましたが、13年11月~16年11月、丸3年ですね。こちらの章で訂正しておきます。

「略史」では、

    一、昭和十三年六月十四日鐵道大臣より連絡線四谷見附、赤坂見附
      間の工事施行認可を得たので、目下製鋼工作物築造認下申請中である

とありますから、東京高速は連絡線の何等かの工事に着手したのかもしれません。
一応竣工が昭和16年11月、営団設立が昭和16年7月ですので、この工事は営団で竣工したことになりますが、一方で「略史」の「一、會 社 の 現 況」に「五島常務の巨腕」と言う項があり、五島慶太がこう語っています。

   「新宿線の建設は時局の為不可能となり、其結果、今日の如き不成績となつた現在の赤字成績を以つて、
 東京地下鐵と合併せんとするも相手としないであらう、從つて高遠の成績を補強して大體兩社對等の地位に
 於いて合併談を講じ得る程度に向上せしむる事が急務である。目下東京市の陸上交通事業調整を企圖せら
 れつゝあるが就中最も緊急を要するものゝ一つは東京地下鐵と東京高速の合併である、此國策線に沿ふて
 協力せんが為めに京濱株を買收したのである」

 「時局の為不可能」と言うのは、別に、国民には知らされていなかったものの、新宿線を国防防空用に作って、陸軍がこっそり使うようにしたとか、そう言うことではありません。
 工事で必要な「人、物、金」の内、「人、物」が軍需、軍備に取られて採算ベースで作るのは今は諦めざるを得ないと言うことです。
 これは昭和14年9月頃の発言ですので、「東京地下鉄第2期工事」は着手はしたが、その後遅々として進まず、昭和16年7月営団設立、9月営団として地下鉄営業開始ですから、昭和16年11月竣工したかどうかは別として、営団に引き継がれた。そんな様に思われます。
そして、
    新宿線1工区地下鉄建設  帝都高速度交通営団     一七年六月   1、135、300    鹿島建設

 下は年表の126頁です、「新宿線1工区地下鉄道建設」は左側の下から二つ目にあります。秋庭さんが「着工年(昭和)」とした部分は(17.6)と略記されています。



 この頁ご覧になって「おやっ?」と思われた方、アンタは鋭い!

 せやねんっ、この頁最初の2件除いて、全部竣工年月昭和20年8月。実は後の127頁も全部20年8月竣工。昭和20年8月って何がありましたっけ。
 「すぐる大東亜戦争に」、「まぁけた」ってのは何時でしたっけ?
 だから、中国、朝鮮、台湾の工事全部竣工扱い。そうすると、「新宿線1工区地下鉄道建設」の工期が「四五年(昭和二十)八月まで」は本当に竣工したものか?判んないんですよね。この年表では。これを「工期」と言っちゃっていいんだろうか?
 秋庭さんは、
     鹿島建設はまた、営団地下鉄の「新宿線・1工区地下鉄道建設」にあたっている。この建設の工期は
   四二年(昭和十七)六月から四五年(昭和二十)八月までとなっている。営団地下鉄の赤坂見附の工事
   は、四二年六月から四四年の六月までとされていて、弁慶濠に鉄板を一枚打った程度だったという。
   「新宿線・1工区」がどこになるのかわからないが、建設費は一一四万円ほどになっている。鉄板一枚で
   この金額になるとは思えないから、営団はやはりどこかで大規模な地下鉄建設をしていたのではないだ
   ろうか。
とか、「写真と地図で読む!帝都東京地下の謎」の「幻の新橋駅」のこの行

     東京メトロが編纂している社史には、かつてそんな駅があったことも記されていない。なぜ、折
   り返し運転が中止されたのか、戦争中、そこは何に使われていたのかなども、まったく触れられて
   いない。

 とか、「略史」の裏取りを原田勝正和光大学教授(当時)の書かれた「幻の防空用地下鉄道」から摘み食いした文章や受け売りでされているように思われます。原田先生の文も相当に問題含みなのですが、秋庭さんの操作の仕方も問題です。
 特に、「帝都東京・隠された地下網の秘密」(洋泉社刊)140頁

          それから二年後、一九四一年の秋にふたたびこの線に乗る機会があった。すでに来たるべき
         「日米戦争」が子どもたちの耳にも聞こえていた。(中略)赤坂見附の駅で、渋谷行は上のホー
         ムに発着する。ホームに降りて、何か異様な感じがした。線路の反対側が壁で仕切られ、その
         壁は、いづれも仮の設備というかたちである。すぐ改札口を通らず、下の、浅草行のホームに
         下りてみた。ここも同様である。

      教授の文章はじつに臨場感にあふれていて、私などはつい、仮の壁の向こうに地下鉄の線路が
     敷かれているような気がしてくる。
                 中略
      教授の経験した「異様」な雰囲気は、おそらく、仮の壁によるものだった。じつは、私もこれ
     と似た「異様」な感覚を覚えたことがある。それはまさにいま仮の壁が取り払われたことで、五
     十年前からあったものが眼前に現れたという感覚だった。
      それは半蔵門線が開通したときのことだった。表参道の駅には、銀座線の上り下りと、半蔵門
     線の上り下りの四本の線路が並んでいた。だが、この駅はあたかも壁が取り払われただけかのよ
     うに、どこにも新しい建築の匂いがなかった。天井も、柱も、駅の構造も、戦前につくられてい
     たとしか思えなかった。

と言う記述。
  まぁ、感じ方は人様々だけど、表参道の駅には確かに、銀座線と半蔵門線の方向別複線で半蔵門線B線と銀座線A線が同一ホームの3番線、4番線に、銀座線 B線と半蔵門線A線が同様に5番線と6番線に並びますから、銀座線のホームの壁の向こうに戦前から半蔵門線のホームと線路があって、半蔵門線が国民に供与 された時、秋庭暦で言うと昭和53年8月開通時にその壁を取り払ったんだと、まぁ、壁の向こう側が見えない国民としては、そう言われりゃ否定する証拠も 持っていないから、「古いかなぁ?」としか言いようが無いのだが。
 この事実が無ければね。

     ちなみに、半蔵門線ができる前の銀座線表参道駅は、現在より渋谷よりにあった。
     (読む・知る・愉しむ東京の地下鉄がわかる事典213頁)

     表参道はかつては神宮前と称していたが、1972.10.20の千代田線代々木公園延伸開業時に駅名変更が行われた。当時、千代田線と
    銀座線との乗換は一旦改札を出て地上を経由するもので不便であったが、半蔵門線開業時に銀座線の駅を赤坂見附方に移設、半蔵門線と
    同一ホームで乗換えることができるように大改良され、千代田線とも立体的に連絡が可能となった。
    (鉄道ピクトリアル2005年3月臨時増刊号特集東京地下鉄129頁)

       この工事は,国道246号(青山通り)と都道413号線(井の頭通り)の表参道交差点付
     近を駅中心に,銀座線・千代田線及び半蔵門線の総合連絡駅を築造するため、交差点の
     渋谷方にあった銀座線表参道駅を浅草方へ約180m移設し,半蔵門線の新駅と一体化を
     行うものである。
                 (中略)
       銀座線表参道駅移設順序は,次のとおりである。
     (1)第1次移設
        既設銀座線表参道駅の移設が一度にできない理由は,駅施設(出入口,電気室,出改
       札所,駅事務室,駅係員室,トイレ,倉庫,機械室等)が半蔵門線トンネルの新設に支
       障するため,あらかじめ千代田線交差部付近からホーム終端にかけて,約90m間のトン
       ネル(1層6径間)を築造し,この区間に銀座線表参道駅をいったん移設した。(移設
       期間:昭和51年12月1日~昭和52年11月30日)(図46)
     (2)第2次移設
        第1次移設期間中の12か月で,ホーム始端から千代田線交差部間にトンネル(2層6
       径間)を築造し,銀座線表参道駅をほぼ中央に移設した。(移設期間:昭和52年12月1
       日~昭和53年7月31日)(図47)
     (3)移設完成時
        この段階は,銀座線移設完了と半蔵門線建設工事終了時の形である。(図48)
     (4)構造
        今回の構造設計に当たってほ,昭和初期築造の銀座線トンネルにできるだけ外力の影
       響を与えない構造としたため,駅始端部の標準断面は新設トンネルで銀座線を抱き込む
       ラーメン構造(2層6径間)とした。
        駅終端部の標準断面は,新設トンネルで銀座線を挟み込む構造とし,銀座線には下床
       で半蔵門線の軸力のみを伝えるラーメン構造(1層6径間)とした。なお,新設トンネ
       ルの上床下面と銀座線上床上面の間隙部には,緩衝材として砂をてん充した。
         (東京地下鉄道半蔵門線建設史 渋谷―水天宮前 第7節 表参道
         四A・五A工区の駅新設に伴う銀座線改良工事 448頁~)

 オッさん、表参道の駅が出来た当時、本当に異様に感じたんだろうか?気分まで、原田先生の受け売り?
  千代田線表参道駅の100mほど西にあった銀座線表参道(元神宮前)の駅は、半蔵門線建設にともなって、昭和51年12月から1年間、180メートルほ ど東、千代田線表参道駅の東側に接着した場所に移設(移築じゃありませんよ)され、昭和52年12月からは90メートルほど、西にまた移設され、翌53年 8月から、半蔵門線との共用が開始されます。つまり、銀座線の現表参道駅は、半蔵門線完成の9ヶ月前に新造された駅です。
 また、壁が取り払われ たと言っても、半蔵門線営業開始と同時に開通したわけじゃ無く、8月1日開業の約1ヶ月前、7月3日から、入線試験が始まってい て、7月10日以降公式試運転、養成運転とかやってます。上記鉄道ピクトリアル2005年3月臨時増刊号特集東京地下鉄127頁には7月10日の試運転時 の表参道の駅の写真があります。モノクロですが、エッどこが戦前からの古い駅?ですし、このときにはもう工事用の防護壁は撤去されています。

要するに、自分の嘘を原田先生の随筆風論文で補強しようとして、赤坂見附は原田先生使用済みなもんで、「表参道」で壁を創ったってことなんでしょう。
まぁ、失敗ですね、この詐術は。

 アカン、今回も原田先生の「は」の字で終わりそうです。

 すいません、次回に引っ張ります。

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