地下妄の手記

大東京の地下400年 九層倍の嘘 おいらん編

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619metro

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  大東京の地下400年 九層倍の嘘 おいらん編

  留まるところを知らぬ、秋庭さんの妄想妄言の集大成。角川からも出るらしい駄ビング本、その先駆け?「おいらん」とかけて、梅毒と解く、心は「花の魁」とでも言うべきか?「大東京の地下400年 99の謎」
  もう、冒頭「はじめに」から、過去の捏造記事のダビング、中村順平の「東京の都市計画を如何にすべき乎」について、従来の

  この地図の元図は旧帝国陸軍が空中写真として撮影し(印画紙に焼かれた写真と言うことでしょうか?それともそれを図化した?)、内務省から中村順平に提供された市販されていない(民間に地図作成は許されていなかったから)特別な地図。それに中村が設計した都市計画を(地下妄の設計図として書き込んだ

と言う、「帝都東京・隠された地下網の秘密[2]」からダビングした空中写真測量に係わる捏造からスタートしています。

  秋庭さん杜撰にも、今回は図版の多くが、ご自身の旧著で、他者の著作物から盗んできて掲載した図版を、該当出版屋の編集から、版下かフィルムそのものを貰いやよいのに、旧著の書籍そのものから複写してしかも縮小で刷っているもんですから、写真版はオフセットのモアレだらけで、図の体を為して居らず、こんなことも私が駄ビング本と言う所以なのですが、今回ご本を購読の皆さんに、まぁ、これが読めるかどうかわかりませんけど、掲載の図版には、「一分万二 郊近京東」と標題が右下にあります。

 

  「二万分一」とはなんでしょう?これは地図の縮尺ですね。測量成果としての地形図の縮尺体系は、現在では二万五千、五万、二十万となっていますが、明治末までは、二万、十万の体系がとられていました。すなわち、明治末まで秋庭さんの言う、栄光の陸地測量部の地形図の内詳図は二万分の一で作成されていました。地形図の縮尺体系が変わった理由は、日露戦争でどうも、二万、十万が使いにくかったことがあった様です。それで、五万を主図にした。そして詳図は二万から二万五千に切り替えて行った、結果大正期の陸測は二万の地形図は作らなくなりました。
  従来より申し上げているとおり、陸地測量部の地図は、地図払下規則によって、明治20年以降昭和16年まで現在の国土地理院の地形図がそうであるように、市販されていました。誰もが買うことができました。なお、一気に二万から二万五千に切り替わったわけではなく、昭和初期まで廃版されることなく、順次切り替えられて行き、実用に供されていたと言うのが実態のようです。
  ところで、この正式名「圖面平 案畫計興復市京東大」、地図の真ん中辺に、「巨大」好きの秋庭さんが何故これに言及しないのか不思議なくらいに大きな川が流れています。隅田川(旧荒川)ですが、当時の実際、いや現在の隅田川と比べても、随分と幅広く大きなものとして描かれています。一方で、元が空中写真なら絶対確認できるくらいに巨大な人工構築物が既に当時存在したのにも係わらず、その片鱗すら描かれた居ないものがあります。
  荒川放水路(現荒川)です。1911年(明治四十四年)着手本格化1916年(大正五年)頃。震災で大きな被害を受けたと言われますが、翌大正13年には岩淵水門からの通水が行われるくらいに完成間近だった幅500メートルの人工の河が何故「圖面平 案畫計興復市京東大」に無いのでしょうか?
  いま、Google earth などでこの「一分万二 郊近京東」同様に俯瞰して御覧になられたら、その隠し様の無い大きさがお解かりいただけると思います。
  
  つまり、「一分万二 郊近京東」は航空写真測量で作られたものではなく、「正式二万分一地形図」と言う陸測の市販地図(実際には、主題「東京東部」、「千住」など9枚ほどの図をつなぎ合わせたものが)「東京近郊」として売り捌き所から市販されたということになろうかと思われます。

  中村順平さん別に、内務省から提供された空中写真、或いは空中写真測量に拠って作られた、門外不出の地形図を提供され、そこに都市計画を上書きしたわけではありません。  

  ところで、中村順平氏異様に太い隅田川を描いているところから見て、隅田川流域の洪水、治水に対しては相当に意識があったようですが、「荒川放水路」当時の東京市、内務省が絶対に外す事の無い、しかも完成間近のこの治水装置が描かれないこの図が、内務省の肝煎り、しかも地下の設計図だと言う秋庭さんの主張の方が、400年99の謎よりはるかに大きな謎なのではありますまいか?
  もし、秋庭さんがジャーナリストを目指しておられるということなら、中村順平が何故、あんなにも太い隅田川を描いたのか?帰国子女じゃなかった、帰国親父中村、元々関西人の中村、建築家と言え、都市計画や土木行政の専門家という点においてあやしいところのある、駆出しの建築家中村順平は、荒川放水路を知っていて無視したのか?知らなかったのか?この謎を解き明かすことこそ、ジャーナリズムではないかと思うのですが如何でしょう。

  さて、

  当時の陸軍航空部が第一次世界大戦で分捕ったドイツ製のカメラを使い撮影した航空写真に、建築家の中村順平が設計した都市計画を書きこんだ地図だ。

  と言う、秋庭さんの主張について、面白いエピソードが、秋庭さんもご存知の「近代日本建築学発達史」(日本建築学会編1972年丸善刊、文生書院2001年復刻刊)6編都市計画 5章関東大震災と復興事業 区画整理について書かれた1028頁に

 震火災で家をなくして路頭に迷った人々はさしづめ
のねぐらとして焼跡にバラックを急造した。区画整理
の設計が始まるころにはこのバラックの数はおそろし
く増してきて,大部分の土地にバラックが建てられた。
沢山の幹線街路ができ区画整理道路ができ,さらに復
興小公園ができるのでほとんどの土地が換地されるこ
とになり,このバラックも全部移転させねはならない
が,このバラックが日毎に増加してくるのでその実情
を把握することほ不可能に近かった。そこでこれを航
空写真測量によることがもっとも近道であると考えた。
欧米ではすでに航空写真が都市計画に採用されていた
が,日本ではまだその前例はなかった。日本では航空
写真を撮影が可能かが不明であった。このとき玉置は
これを陸軍に依頼することを思いついて.千葉県下志
津の陸軍飛行学校をたずねた。たまたまこの飛行学校
には第1次世界大戦でドイツからの分捕品として焦点
距離のそれぞれ違った航空写真機が数十台きていた。
しかし格納したままで一度も使用されたことはなかっ
た。そこで飛行学校では訓練の絶好の機会であるとし
てただちに承諾した。しかも訓練であるから,僅少な
フィルム代のほかの経費いっさいは陸軍持ちであった。
これによって東京および横浜の数千枚の航空写真が日
本において初めて撮影されて,それが即刻区画整理の
設計に利用されることになったのである。

と書かれておりました。(「玉置」とは当時復興事業区画整理に奔走された玉置豊次郎氏のことです)

捏造は繰り返されます。 

  「参考文献」とは、無断複写して良い文書図画のことではありません。勝手に書き換えたり、乗っていない記事を書き加えたり、して良い文書図画のことではありません。原著者が思いもしなかったことを歪曲解釈して「こう言っているのだ」と言って良い文書図画のことでもありません。
  と何度繰り返したことでしょう。
  秋庭さんとその利用者の出版屋どもには、自分たちのやってることがメディアの自殺であり、言論出版表現の自由を如何に阻害するものであるかが皆目判っていないとしか言いようがありません。
  改めて皆さんの行状を解き明かしていくことにしましょう。


1」都心の道路地下から戦国時代の「街道」が発見された!
2」遺跡調査が、太田道灌の「江戸城」が消えた謎を解いた!
 


  まぁ、他にもこの「遺跡調査団」モノがありますが、こっちも書き易いところからこの辺でまとめて置きます。

  この遺跡調査団は、「地下鉄7号線溜池駒込間遺跡調査会」ですから、地下鉄7号線すなわち南北線の経路、それも駅部分などの開削工区を調査したわけです。
  「北の丸公園」とか「江戸城」「皇居」とかって、いったいどこの南北線沿線なんでしょうか?

3」江戸の町はなぜ「盛り土」と「埋め立て」でつくられたのか?

  江戸城の話?江戸の町の話?江戸の町が「盛り土」と「埋め立て」でつくられたのは、住居地が必要だったから、大量の土砂は持ち込まれたのではなく、入り江の埋め立てなんかは、江戸城周辺の高いところを削った土だったでしょ。四谷、谷が無くなったとか言ってるけど、外濠って谷利用じゃなかったっけ?
  秋庭さん、悪いこたぁ言わねぇ、江戸東京博物館入館料高いけんど、常設展観といで。どうやって埋め立てたかとか、江戸の領域の広がりとか、一目でわかるぜ、ついでんに「上水」のからくりってぇのもな。
 4」川をせきとめ、地下に潜らせてできた「上水」の謎
5」大名屋敷の境目に発見された大きな溝は「地下道」か?

  秋庭さんが、鈴木理生氏の「東京の地理がわかる事典」(日本実業出版社 1999年刊)から盗んで、しかも今回は新たなタイトルを付けられているこれ、

 

  なんで、“「上水」の推測ルート”って「推測」なんてお断り書きがしてあるんでしょう。どうやら、今回、

 4」川をせきとめ、地下に潜らせてできた「上水」の謎

で、

  さらに謎めいているのが、新宿御苑から江戸城までの上水ルートだ。それは地下深くに隠されていて、どこをどう流れていたか、今もわかっていない。

なんぞと、今までの無断複写、盗用だけじゃ足らなくて、糊塗のしようの無い嘘ついちまったもんだから、「推測」じゃなくどこをどう流れていたかが明らかな、上水のルートが描かれちまっている鈴木氏の図に、嘘の上っ張りを貼り付けたわけだ。

  ったく、カスのやることはどうしようもねぇな。

 

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