概要
戦闘に至るまでの背景
▲695年3月における勢力図
ディルセアが突然「この、
ルーディア包囲網による長期戦を打破するため、自分に一軍を与えてほしい」と言い出した時は、諸将は驚きを隠せなかった。
ルーディアが見込み、軍師に任命した
ディルセアとはいえ、この時点ではまだ大軍勢の指揮をとったことはなく、彼の活躍は内政と作戦立案、そして水面下の謀略という、目に見えないものであったことから、
ベルザフィリス国のほとんどの将が彼のことをまだ「軍師」ではなく、
ルーディアの相談相手くらいにしか認識していなかった。
彼は元々素性の知れない流浪の者であったが、そもそも国そのものが無から生まれ、実力ひとつで出自を問わず集められたこの国においては、他国に見られる様な「出身も判らない者に対する偏見の目」といったものが存在しなかったが、その
ベルザフィリス国でおいてさえ、彼の突然の発言は驚きをもって迎え入れられていた。
だが
ディルセアは、
ラゴベザス、
デイロードの前で、「自分の(総指揮官としての)初陣には地味な相手だ」と洩らしたという。
この言葉が諸将の肩の力を抜かせる冗談だったのか、それとも本気だったのかは判らないが、ともかく
ディルセアの自信が伺える。
両軍の戦力
戦闘経緯
出鼻を挫かれた
デスレーダは、自らの軍勢も前進させ、
ゾーグ部隊と2部隊で同時攻撃する策をとった。
だが、これも
ディルセアの想定通りの行動に過ぎず、彼はすぐさま準備していた行動に移った。
この時、
ラゴベザス、
デイロード側には実際には数十騎しか兵が存在せず、これは彼らだけが急いで移動して設置された、旗のみの無人部隊であった。
込み入った山地だからこそ可能なこの擬態は、
ディルセアが得意とする心理作戦であった。
自分が包囲されたと信じ込んだ
ゾーグは、実際は兵力の差がそれほどなかったのだが、混乱によってまったく機能せず、
デスレーダ部隊が到着するより前に壊滅、
ゾーグは生け捕られ、この後
バルド国への道案内を務める事となる。
戦いの結末
リッヅの戦いは、動員された兵数も少なく、決して決戦と呼ぶような規模の戦いではなかった。
にもかかわらず、この戦いこそが名門
ボルゾックと
バルド国の滅亡を3年早めたと言われている。
それは、お互いの国の軍師が直接対決し、
ディルセアが全ての面において完全勝利を収めた為である。
ルーディア包囲網を組んだ連合軍といいながら、既に全盛期を過ぎた落日の
バルド国だけ完全に蚊帳の外と扱われていた事もあり、
シャリアル国、
アル国からの援護は一切得られず、(彼ら自身も、
ルーディアや他の部隊と対陣していた為、動けなかったという点もあるが)この後、
ベルザフィリス国軍は守りを固めるという基本方針を維持しつつ、
バルド国にのみ電撃的に侵攻する。
リッヅの戦い以後、一方的に蹂躙されるだけの
バルド国軍は、これ以後大きな抵抗ができず、連戦連敗を重ねてついに10月11日に、首都が陥落する。
バルド国の滅亡
ボルゾックの最期は、
蜉蝣戦記に記述されている内容によると以下の通りである。
城を炎に包まれた
ボルゾックは、自らの敗北を信じることが出来ず、最後まで自分の兵を集結させよと叫び続けた。
見かねた軍師
デスレーダが、名門に相応しい自決を促すが、彼はそれを受け入れることができず狂ったように泣き叫ぶ。
デスレーダは剣を抜いて
ボルゾックを貫くと、返す刀で自らの喉を突き、城と運命を共にした。
戦いの後、まるで墓標の様に大地に突き刺さった無数の武器をみて、
アルディアはこう詠った。
悠々なる大地 滅びし者の影は無言の抵抗
骸、累々と並び 主失いし剣 その身代わりとして洋々と晒される。
(アルディア著「蜉蝣戦記」より)
最終更新:2024年07月11日 02:05